DOTFAMILYの平和な日々
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2002年09月30日(月) 捻挫

昨日、洗ったタオルを目線より高く積み上げて両手で押さえ、受話器を肩と顔の間に挟んで話をしながら階段を下りていたら、こけ落ちてしまった。で、左足を捻挫した。結構痛い。

じっとしていれば痛くないのだが、足首を動かすとズキンと痛い。もしかしたら骨が折れているんじゃないだろうか?と骨を折った経験がない私はこの程度の痛みで不安になる。が、骨が折れていたら腫れるはずである。じゃ、折れてないんだ。ひびが入ったかな?と骨にひびが入った経験すらない私は考える。でも、それでも腫れるはずだよな。

ま、明日まで様子を見よう、と思ってそのまま寝ることにした。ところが、痛みで時々目が覚める。覚めるということは眠っているということなので、眠れないほど痛くはないのだが、眠っている時というのは頻繁に足を動かしているものらしい。知らんかった。1時間に1回位の割合で目が覚める。とっても不愉快。痛くて不愉快なのではない。夜中に目が覚めることが実に不愉快なのである。

で、不愉快なまま朝起きて、左足を見てみると、全然腫れてない。歩いてみると、やっぱり痛い。が、そのまま歩きつづけていたら痛みがだんだん引いていった。やっぱ、ただの捻挫なんだ。しかも、ちゃんと歩けるから、ほっとけばその内治るだろう。運転するのに左足はいらないし。

私は病院へいかなければならない怪我なんぞは生まれてこの方やったことがないのだが(とっても大人しいお子様だったに違いない)、多分捻挫くらいはやったことがある・・・と思う。が、記憶にない。突き指ならある。(昔々、『サインはV』や『アタック・ナンバーワン』が流行っていた頃のことですな。)だから捻挫の痛みがどの程度のものなのかわからない。どういうことをやれば早く治るのかも知らない。そういう時は・・・ほっとこう!

私は粗忽物である。従って、階段から落ちたことは数え切れないほどある。実家の階段、学校の階段、アパートの階段、会社が入っているビルの階段、デパートの階段。新宿駅の階段を一番上から一番下まで、一気にダダダッとこけ落ちたこともある。(あの時、とっさに他人のふりをして逃げたHさん、お元気ですか?)が、その時でも捻挫すらしなかった。昨日落ちたのは我が家の階段の下から5、6段である。この程度で捻挫・・・もしかして、カルシウムが不足してる?って関係あるのかな?

ちなみに、私が新宿駅の階段を一気に転げ落ちた原因は、階段に手をついて身体を支えず、両手でスカートを押さえたからである。若かったのだなぁ。


2002年09月29日(日) ダンナの血液型

すっかり書くのを忘れていた。最近色んな方から「その後どうなったんだ?」というメールを頂き、思い出した・・・えっと、書かなかったっけ?

ダンナの血液型のことである。ダンナはただ今腎臓移植に備えて様々な検査をしている。まず最初にやったのが血液検査である。彼は自分の血液型を知らなかったのである。と同時に、ダンナに腎臓をあげようと快く引き受けてくれたダンナの弟も血液検査を行なった。彼も知らなかったのね。で、結果・・・ダンナはB型、弟はAB型であった。これじゃ腎臓貰えないじゃないか!で、ダンナの妹はA型であった。なんとまぁ、見事にダンナに腎臓をあげることが出来ない兄弟が揃ったものである。(ちなみにもう一人の弟は健康のためドナーにはなりたくない、いや、なれないらしい。)

ダンナの妹は、焦って親戚中に電話をかけ、ドナーを捜した。が、いくら二つあると言っても、そう簡単に腎臓をあげようと言う人が現れるとは私は思っていなかった。ダンナやダンナの妹は、血液型さえ合えば、誰でも簡単に「いいよぉ」と言ってくれると考えていたらしい。そんな訳ねぇじゃないか!もちろん面と向って「あげない!」と言い切る親戚はいない。が、皆検査をしなかったり、むにゃむにゃと誤魔化したりするばかりである。それって・・・当たり前だよな。彼らにも家族がある。養わなければならない子供達がいる。で、もちろん仕事もある。例え彼らがドナーになっても良いと思っても、家族の同意が得られなければドナーになるのは不可能である。そして、たかが従兄弟のために回復に1ヶ月から半年はかかるというドナーになるという人がそうそういる訳がない。ドナーが見つからなければ死ぬ、というなら話は別であろうが、ダンナは人工透析だけでも生きていくことはできるのだ。

で、結局どうなったかって?ははは、いるんです、バリバリのB型が一人・・・そ、私。わかったよ、私があげるよ!という訳で、ダンナの検査は次の段階に進んだのであった。

しかし・・・我が家族が休みの日、同じ家の中にいても全員バラバラなことをやっている理由がやっとわかった気がする。我が家は全員B型なのである。見事に全員、強調性ないもんなぁ。


2002年09月28日(土) インターネット事情

私はこれまで、50MBまで使える無料ホームページの『HOOPS』にお世話になっていた。そのHOOPSがこの度インフォシークと合併(吸収?)することになった。従って10月からアドレスが変わるそうである。(ってもう変わってるけど)11月になるとHOOPSのカウンタも使えなくなるらしい。う〜ん、またカウンタを新しくしなくてはならないのだな。HP更新のためのサーバ名も変えなければならないのだな。そう言えば、ジオシティ(だったと思う)の無料ホームページがHOOPSに合併されたのは、最近のことではなかっただろうか?ジオシティでHP作ってなくて良かった、とほっとしてたのにぃぃぃぃ!急激に膨脹するインターネットのこと、色々あるのであろう。が、PC音痴の私としては、ちょっと困る。

この日記もまた無料日記サイトの『えんぴつ』さんのお世話になっている。ここも最近カテゴリーが変わりましたな。(最近じゃなかったっけ?)利用者が増えるとカテゴリーも増やさないといけないのだろうな。という訳で、私も新カテゴリーの「静かな日常」にお引越しをすることにした。が、実はここにいても良いのかという一抹の不安もある。同じカテゴリーに属している人の日記を読んでいると、ちょっと違うかもしれない、という気もする。が、それじゃどこへ?というと・・・わからない。ま、いっか。

で、最近私が利用しているインターネットのサーバーの方も色々と変化があったらしい。アドレスそのものは変わらないのだが、サーバー名が変わったので設定を変更するようにというメールが届いた。指示通りにやれば決して難しいことではないのだが・・・間違ったらどうしよう?という一抹の不安がある。

おまけにホームページの方で使っているMSNのHotmailは「ただ今混雑中」と拒否されることが多い今日この頃。

私が望んでいるのは、何も変わったことが起こらない静かな日常なのだ。胸ときめくことが何一つなくても何も不満はない。ただただ、毎日同じような日々が平凡に流れていくことだけが私の願いなのである。でも、変わらないものなんて・・・世の中にはないのだなぁ。


2002年09月27日(金) 世間はすっかり・・・

10月だというのに、私の日記ではまだ9月である。
8月にやったみたいに、抜けた日は思い切って飛ばせば良いとわかってはいるものの、ついつい埋めていってしまいたくなるこの性格は何とかならんもんかな?

私は決して几帳面な性格ではない。というかかなりいいかげんな性格である。はっきり言ってだらしない!なのに、日記に空白が続いたり本棚に隙間があったりすると気になってしょうがない。本棚に版型が違う本が一冊でも入っていると嫌だ!引き出しの中はきちんと仕分けされ、その中に入らないものはたとえ必要なものであっても捨ててしまいたくなる。にもかかわらず、テーブルの上や床の上には平気で物を積み重ねる。どうも見えるところは気にならないが、目に付かないところがごちゃごちゃしているのは気になる性分らしい。

反対に、ダンナは目につくところさえきちんとしていれば、クローゼットや引出しの中がどうなっていようが全然気にならない。したがって、目に付くところに置いてあるものは、やたら引き出しの中に入れたがる。で、どこに何があるのかわからなくなってしまうのである。物を無くさないだけ私の方がましだと思うのだが・・・人が来た時だけはダンナの性格の方が良いかな?と思ってしまう。

さて、愚息は・・・彼は見事に両方の性格を受け継いでいる。どこがどのようにちらかっていようが全然全く気にならない。しかも物を捨てるのが大嫌いである。(ちなみに物を捨てられないのはダンナの性格を受け継いでいる。)両方の性格を受け継いでいるところは他にもある。私は何をやるにしてもスピードはあるのだが丁寧さに欠ける。ダンナは一つ一つのことをとても丁寧にやるのだが、何をやらせても恐ろしくスピードが遅い。愚息は何をやってもいい加減でしかも遅い!・・・気の毒なことである。


2002年09月26日(木) 犯罪候補生:その後

まだ『その後』というには早すぎるのだが、そこには「一日も早く『その後』になって欲しいという愚母の思いが込められているのである。

毎週木曜日午後3時15分からフットボールの試合が行なわれる。(あのぉ・・・アメフトって書いたほうが分り易い?)まだプレシーズンの練習試合である。愚息の学校が所属しているリーグ以外の学校と対戦する。リーグ戦は10月17日から始まる。愚息のチームは始めての試合で圧勝。が2回目の試合は負けだった。2回目・・・愚息がキックアウトされた試合である。

愚母「ふ〜ん、負けたんだ。」
愚息「うん」
愚母「どうして負けたの?」
愚息「僕が出なかったからじゃない?」
そ、そ、そんなことは絶対ないと思う!

で、今日の試合・・・圧負(という言葉なんてあったっけ?)
愚母「あれ?今日もまだ試合出してもらえなかったの?」
愚息「ううん、出たよ。」
愚母「ちょっとだけ?」
愚息「ううん、ちゃんと出た。」
やっぱり試合の勝ち負けに、君は関係ないじゃないか!

ところで、愚息にとって最近フットボールの居心地は良くなったそうである。理由はもちろん、一回切れてしまったからだ。だからと言って愚息に絡んでくる子がいなくなったわけではない。彼らにとって、罵り合いは挨拶なのである。特に愚息が虐められていたわけではない。1年生だからほとんどが初めて会った子達である。多分、片っ端から絡んでいくことによって相手の性格、付き合いやすさ等を判断しているのだと思う。それに・・・彼らはものすご〜く口が悪いのだ。が、基本的には気のいい連中ではあるらしい。

今では、余りしつこく愚息に絡んでくる子がいると、周りの子が止めに入るらしい。曰く「おい、いいかげんにしとけよ。Fujiはすぐ切れるぞ!」う〜ん、こんなことで良いのだろうか?が、一人だけ違う子がいるそうである。彼は愚息に絡んでくる子に対してではないく、愚息に言葉をかける。曰く「Fuji、抑えろ!今度切れたら退部だぞ!」同級生だよな。高一だよな。14歳だよな・・・しっかりした子がいるんだなぁ。フットボールやる子ってみ〜んなアホだと思ってた。


2002年09月25日(水) Back to School Night:2

では、続きを・・・

焦って世界史の教室に向う私にダンナが話し掛ける。

愚父「1時間目は何の授業?」
愚母「世界史」
愚父「教室は?」
愚母「E3」
愚父「それ、どこ?」
愚母「こっち!」
愚父「行ったことあるの?」
愚母「ない!」
愚父「どうして知ってるの?」
愚母「地図を見ろ、地図を!」
愚父「地図、どこにあるの?」
愚母「自分で手に持っとるじゃないか!」

突然、父親に目覚めたダンナは、そもそもBack to School Nightが何であるかすら知らないのである。高校は初めてとは言え、私は過去9回も愚息のBack to School Nightに行ったことがるのだ!黙って後ろからついて来い!

さて、世界史の教室に辿りついた所で、終了のベルが鳴った。ま、仕方ないか。先生に挨拶だけして、次へ行こう!・・・おいこら!挨拶だけじゃ!長話をするでない!去年卒業した愚息の従妹の話なんぞしている場合じゃないぞ!ほら、次、行くぞ!

生物学の教室では、先生と予防注射の話を始めるし、時々立ち止まっては「懐かしいなぁ」と感傷に耽るし、トレイニング・ルームでは自分の高校時代の先生と再会して盛り上がるし(愚息が通っているのはダンナの出身校なのである。)、おかげで全てのクラスを遅刻してしまった。

Back to School Nightに行くにはそれなりの準備が必要である。たいした準備ではない。子供の時間割と教室番号、教師の名前だけ調べて行けば良い。そんな簡単なことすらやらずに、良くもまぁのこのこと来れたもんだ。そもそも、学校における親の義務というのをダンナは全く把握していないのである。

もう2度とダンナと一緒には行かんぞ!


2002年09月24日(火) Back to School Night

愚息の高校の”Back to School Night”だった。ま、説明会みたいなものである。高校になると、一々親宛てにお便りなんぞは来ないから、学校の行事は愚息から聞くしか知る方法がない。(いや、あるんだろうけど、私は知らない・・・子供が大きくなるにつれ、子育てに対する情熱が色あせてくるのである。)で、昨日愚息から「母さん、明日学校へ行かなくっちゃいけないんだってよ。」と言われた。そういうことは前もって言えよなぁ。

愚母「何があるの?」
愚息「ようわからんが、Back to School Nightとか言ってた。」
愚母「何時から?」
愚息「Nightっていうくらいだから夜だよな。」
愚母「だから何時?」
愚息「知らん。」
愚母「明日絶対聞いてこいよ」
愚息「うん、頑張る。」
一体何を頑張るんじゃ!

という訳で当日の今日、愚息によると、7時半から始まるけど、ぎりぎりに行ったら駐車場が混むから7時15分くらいに行った方が良い、とのことである。さて、何故かここ数日間で父親業に目覚めつつあるダンナが、僕も行く、と言う。「あんたが行くならわたしゃいかんでも良いな」と思うのであるが、彼は私が行かなければ一人で行くようなヤツではない。あくまでも「一緒に」行くのである。ところで、ダンナは時間に滅茶苦茶ルースである。彼が人工透析を始める前は、愚息の剣道の試合には一緒に行っていた。(親子3人で行くほどのもんかい?!)通常、剣道の試合は午前8時に受付が始まる。が、ダンナが一緒だと8時半前に着いたことがない。ダンナが行かなくなってからは遅刻したことは一度もない。親戚が集るパーティなんかは1、2時間の遅刻はざらである。だから、ダンナが行くと言ったときも嫌な予感がしたのだ。

7時15分に着くためには、7時前には家を出なくてはならない。が、万一のことを考えて、ダンナには6時半に家を出たいと言っておいた。透析を終えた彼は、テレビの前でぼけ〜っと過ごし、私が家を出ると言った6時半を過ぎてから、おもむろに出かける準備を始めた。しかも彼は用意に時間がかかる。私なんて、起きて15分もあればパン食って珈琲飲んで化粧をして出かけられるのだが、彼は朝の準備に1時間はかかるのである。・・・案の定、学校へ着いたら7時40分だった。しかも、始まる時間は7時半ではなく、7時だったのである。やれやれ、全くこの父子ときたら・・・

7時から体育館で学校全体についての説明があり、7時半からは各教室を回ってそれぞれの先生の話を聞くことになっていた。教室巡りがもうすでに始まっている。各教師が話す時間は1科目につき10分、その後5分間で次の教室へ移動しなければならない。大きな学校だから、教室移動に時間がかかる。しかも、どこにどの教室があるのか全然わからない。が、1時間目は愚息が一番好きな世界史の時間である。ここは一つ時間に遅れてでも先生に挨拶をしておいた方が良かろう。

う〜ん、また長くなったから、続きは明日。


2002年09月23日(月) 追突事故

ダンナが追突事故をやってしまった。被害者ではない。加害者である。高速道路で前のトラックにぶつかり、そのトラックがその前の車にぶつかり、と玉突き事故を起したのである。偉いこっちゃ、と私は思うのだが、本人は「参ったなぁ」と余り参ってなさそうな顔で言っている。ダンナのピックアップ・トラックは前が潰れて、ドアも開かなくなってしまっている。相手の車はどうなっちゃったのかなぁ・・・不安。

彼はつい最近、追突事故を起したばかりである。ま、前回の事故は全く全然対したことがなく、彼のトラックのバンパーには注意しなければわからないほどの傷がついただけであり、ぶつけられた人の車にも、バンパーにちょっとだけ傷がついただけだった。が、ぶつけられた人が警察を呼んだおかげで、警官の書いた報告書にサインをさせられた。が、結局これが幸いしたのである。被害者はやたらと首の周りをさすり、「医者に行っても良いか。弁護士を雇った方が良いか?」と警官に聞いていたそうである。警官は「行くのは自由だけど、この程度じゃ事故とも言わないから相手(ダンナ)の保険は使えないと思うよ。ま、やってみるのは自由だけどね。」と答えていたそうである。結局、ダンナの保険会社に請求は来なかった。が、ダンナが不注意だったのは事実である。

今回は明らかに修理が必要な事故である。相手はどうだったの?大丈夫だったの?警察は呼ばなかったの?と色々聞いたのだが・・・ぶつけられた二人とも急いでいたらしく、ダンナが保険の番号を教えたら、それだけで慌しく去って行ったそうである。おいおい、被害者が逃げてどうするんだよ!ま、自分の車を運転して去っていったのだから、車はともかく乗っていた人は大丈夫だったのであろう。

それにしても、ダンナは不注意すぎるのではないだろうか?何故こんなに不注意なのか?疲れているからだと思う。特に、昨夜は寝不足なのだ。突然、父親の真似事を始めた彼は、思い通りに事が進まず(そりゃそうだ。14年間、父親らしいことをせず、突然、説教を始めたって愚息が聞く訳がないだろうが!)ストレスが溜まっていたのである。愚息には充分言って聞かせているし、彼もかなり我慢しているのだが、ダンナの方が愚息に絡むのである。自分の体調を考慮してからやって欲しい。普通に生活ができるとは言え、人工透析をやっている病人なのである。

しばらく仕事を休んだ方が良いんじゃないだろうか?もう運転はしない方が良いんじゃないだろうか?大きな事故を起してからじゃ遅いじゃないか!などという私の心配をよそに、「修理してもらうついでにさ、後ろのバンパー、傷ついてたから新しいのと変えてもらって良いかな?」などとほざいているダンナであった。

ところで、前方注意になった原因は、車の中で食べていたリンゴを落として、拾おうと身を屈めたことにあったそうである。高速道路運転中に落とした物を拾ったりするなよなぁ。


2002年09月22日(日) 秋のチーム試合

Fall Team Tournamentを訳すと「秋のチーム試合」になるのかな?それともTournamentはトーナメントとカタカナで書くべきだろうか?って、どうでも良いか。
・・・「試合」じゃなくて「大会」かな?

という訳で、剣道のトーナメントがあった。名前からわかるように、個人戦はない。南カリフォルニア(以外から出場したってもちろん全然構わないんだけど、それ程大きなトーナメントではないから、他所の州からわざわざ来る道場はない)の各道場から、有段者、級、女子、それぞれの部から代表チームが一組づつ出場する。南カリフォルニアの道場といっても、全部は出てなかったみたい。それでも結構あるんですな、剣道の道場は。

この試合、ちょっと前まではGardena Team Tournamentという名前だった。(いつ変わったんだろう?)で、よその道場のことはよくわからんのだが、愚息が通っている道場は、級ディヴィジョンは以前は2軍が出場することになっていた。(1軍は夏に行なわれる2世ウィークに出場)が、ここ数年、事情が変わったらしい。どうかわったのかは全然わからんのだが、どちらの試合も1軍が出場していた。

ところで、剣道に1軍2軍などというものはもちろんない。ただ単に、強いのから5人を1軍、次の5人を2軍と便宜上そう呼んでいるだけである。そしてもちろん、強いというのは試合で勝つ子という意味であり、剣道が上手い子という意味ではない。ま、ほとんどの場合、上手い子が勝つんですけどね、たま〜に、上手いけど全然勝てない子っつうのもいるのだ。

愚息は誰もが認める「下手だし弱い剣士君」であるから、チームに選ばれることなんぞはまずないのだが、選ばれる基準が曖昧になっていたおかげで今年はチームに選んで頂いた。今年のチームは1軍と2軍が混じりあい、しかも「あぶらむし」の愚息まで入っちゃったのだな。何でもやりたがる愚息はとても嬉しそうであった。(嬉しそうではあったのだが、だからといって練習に励む訳ではない)

このチーム戦というヤツ、見てる親の気持ちは複雑である。というか、実に正しくない!チームが勝つか負けるかなんてぜ〜んぜん気にならない。愚息が勝てば良いのだ。愚息のせいで負けたということにだけはなって欲しくない、と願いながら観戦してしまいますな。愚息が勝ってチームがさっさと負けてしまえば、心の重荷は降りるのである。な〜んて自分勝手な愚母なんだろう!(ここだけの話ね)

結果は、愚息のチームは2位だった。愚母は取り合えず愚息が一敗もしなかったのでほっと胸をなでおろしたのであった。


2002年09月21日(土) ニックネーム

フットボールの資金集めの朝食会が近くのレストランであった。土曜日は日本語学校があるのだが、やはりこういうイベントには参加した方が良いだろうと思って、愚息とダンナの両親を連れて行った。(ダンナは外食ができないのでお留守番)

レストランに入ると“Fuji! What’s up!”というお声があちこちからかかる。(おっ、お前、止めさせられたんじゃないの?という声も結構かかったりしたけど)日系人が極々少数派の愚息の学校では日本名が珍しいのか、皆が彼のニックネームを発音したがるそうなのである。その度に、義父が反応してしまう。何故か?義父のニックネームも「Fuji」だからである。ちなみにダンナもダンナの弟妹も全員「Fuji」である。その上、私の呼び名も「Fuji」である。つまり、我が家は全員「Fuji」なのだ。って、しかたねぇよ、全員同じ苗字だもん。

話はちょっとずれるけど・・・Fujiという言葉とFu○kという言葉は語呂が合うらしく、愚息は“Fu○king Fuji”というありがた〜い形容詞付きで呼ばれることが多いらしい。これが彼をいらだたせる原因の一つなのだ。相手は全く悪気がなく軽〜い気持ちで言っているらしいし、彼も頭ではそうわかっているのだが、彼にとって“Fu○k”は禁断の言葉なのである。私が絶対に使うのを許さない言葉の一つなので(ぽろっと言ってしまうと口を叩かれる)、彼は14年間使ってはいけないと信じて来たのである。それを連発されると・・・これはもうカルチャー・ショックであろう。実際、フットボール部の連中の言葉の悪いことには私も呆れて物が言えないを通り越して、近寄るのが恐いくらいだ。練習を終えて駐車場に来る子達の会話を車の中で聞くと、私はあわてて窓を閉めてロックまでしてしまう。

愚息は決してきちんと話すタイプではない。スラングだってちゃんと使う。小中校では彼は最も口が悪い子の一人だったのである。が、そこはほれ、厳しいクリスチャンスクールでのこと。公立の子は口が悪いということは決してないが、中には口が悪い子だっている。しかも、どうもそういう子がフットボール部に集っているようなのだ。ま、仕方ないよね、過激なスポーツだもん。愚息もおいおい慣れていくしかあるまい。(もちろん、いくら慣れても私は絶対そういう言葉を使うのは許さん!)

で、話を戻して・・・愚息のニックネームのFujiは、日本語で書くと「富士」である。富士山の富士。そもそも身体がデカかったから付いたニックネームでもあるのだ。でもなぁ、あのスラーッとした美しい富士山の姿・・・「お前ら、富士山見たことねぇだろう!」と言ってやりたい。そして、私のニックネームであるFujiは「藤」である。発音は同じでも、愚息と私とでは意味が全然違うのだ!


2002年09月20日(金) 犯罪候補生:2

昨日の暴力事件(?)の後、ダンナはすぐにでも学校のカウンセラーに相談するか、あるいは心理学者のカウンセラーに診てもらうかしなければいけない、と息巻いている。が、私が「どうぞ、やったら」という消極的な態度しか取らないので(どうしてもそれ程深刻な問題とは思えないのだ・・・ちなみに、相手はかすり傷一つ負っていない)きっとその内うやむやになってしまうだろう。ダンナは文句は言うけど自分では愚息のために決して動かないのである。「〜しなければならない」というのは「お前が〜しろ!」という意味なのである。

そりゃ、私だって学校から呼び出されたり、フットボールや学校からキックアウトされたりしたら、なんらかの行動は取る。が、昨日の事件がどれほど深刻なものであったかはまだわからないのだ。

ダンナが愚息に「コーチが話があると言っていたから、明日会って来い」と言っていたので、その様子を聞いてからでも遅くはあるまい、と思っていた。そもそもね、ダンナが知らないだけで、殺人にまで発展しない喧嘩は学校でしょっちゅうあっているのだよ。一昨日もフットボール部員が練習後「決闘」をやったそうである。愚息はもちろん見に行ったが、中々始まらないので帰って来たと言っていた。翌日聞いたところ、判定で勝ち負けが決まったらしいが、本格的に殴り合いになる前に大人に止められたそうである。それ程悪い子達ではないのだ。

愚息や愚息の友人によると、喧嘩に強い弱いというのはそれ程問題ではないらしい。売られた喧嘩を受けて立つ度胸があるかどうかが問われるというのである。う〜ん、青春してるなぁ。「じゃ、君はもう大丈夫でしょう?」と聞くと、「うん」と素直に答えていた。

さて、以下は愚息から聞いたコーチとの会話である。

愚息「僕に話があるって父が言ってたので来ました。」
コーチ「おお、昨日のことだ。」
愚息「はい」
コーチ「お前、フットボールを止めるべきだと思うか?」
愚息「いいえ。」
コーチ「そうか、じゃ、もうあんなことやるなよ。今度やったら退部だぞ」
愚息「は〜い!」

面接時間30秒以下・・・そんなもんだろうと思ってたよ。


2002年09月19日(木) 犯罪候補生:その1

ついにやってしまった・・・

高校が始まってから2週間、フットボールのチームに何故か愚息に付きまとってからかい続ける子がいたそうだ。愚息はかなり頭に来ていたらしいのだが、小学校中学校で学んだ通り「嫌なことを言う子がいたら『止めてくれ』と頼みましょう。それでも止めなかったらその場を立ち去りましょう。」というアドバイスを素直に実行しておったそうだ。小さい頃は身体がデカかったせいで、私が厳しく「喧嘩禁止」を言い渡していたこともある。彼は彼なりにぐっと我慢していたらしいのだが、ついに・・・切れた!

しかもフットボールのゲームの最中にである。ま、ゲーム中であるからパットで完全装備しているから思いっきりやってもたいしたことはあるまい、という気持ちはあったらしいのだが・・・殴りかかってしまったらしいのである。即、ゲームから外された。相手の子はと言えば、全く反撃に出ず、防御一方だったからお咎め無し。ま、仕方あるまい。「手を出した方が問答無用で一方的に悪い」という鉄則がアメリカ社会にある。しかも愚息が一方的に殴りつけたのである。

先生のいるところで喧嘩するなよなぁ、というのが私の率直な感想である。が、ダンナは違った。現場を目撃したということもあるのだろうが、彼は怒りまくったのである。「こんなことじゃ、近い将来誰かを殺すか、誰かに殺されるかだ!」「あいつの将来は刑務所だ!」と怒りまくって・・・私に電話をしてきて私を怒鳴ったのである。・・・おいおい、そういうことは本人に言え!

でもね、そんなに怒りまくることを愚息はやったのであろうか?確かにアメリカの学校は喧嘩に対しては日本の学校より厳しい。少なくとも私が学生だった頃の古き良き日本・・・喧嘩をしていたら先生が「危ないから外でやって来い!」と怒鳴っていた時代の日本より厳しい。暴力は絶対許されない。何故なら、暴力、即、殺人につながるからである。何しろナイフや銃などの武器を持ってる高校生が多いからね。実際に殺人は起こっているのだし。教師にして見れば、喧嘩を見ただけでそれがどれほど深刻なものかは判断できない。だから大事を取ってやたら厳しくしているのである。それはもう、親としてはとても有難い。でも、だからといって良い子の「すぐにムカツクお年頃」の高校生達が喧嘩をすることは絶対ないのだろうか?高校生にもなるともう皆自分をコントロールする術を身に付けているのであろうか?

高校生の喧嘩と殺人の間には高い壁がある、と私は思う。しかし私のような愚母が将来「家の子に限って・・・」などという羽目になるのかもしれない、という一抹の不安がないでもない。


2002年09月18日(水) 読んでから見るか、見てから読むか:2

映画を見てから読んだハリーポッターが面白かった理由。

多分、初めて読んだ時、イメージがわかなかったからだと思う。お城の様子、登場人物の外見。普通は本を読みながら自分が都合の良いように想像していくものだと思う。だから映画化された時、自分が想像していたのと大きく違って戸惑ってしまうことは良くある。通常、私が想像するものと映画化されたものの間にはもの凄い差があるのだ。それだけ私の想像力が正しい方向へ働いていないということであろう。でも、だからこそ、原作を読んでいたって映画も新鮮な気持ちで楽しめるのよね。

で、ハリーポッターであるが、愚息の日本語学校から借りて読んだ時、ストーリーが全くイメージできなかった。だから面白くなかったのだろう。映画を見た後なら、お城の様子や登場人物がすぐイメージとして沸いてくる。もちろん、人から与えられたイメージではあるのだが、それでもイメージできるということは楽しめるということなのだ。反対に読んでもイメージできない本は面白くない。

さて、話は変わるが、私は翻訳本というのが嫌いではない。日本語の方がスラスラ読めるから当然である。本はできれば日本語で読みたいものだ。もともと作者が誰かということはあまり気にしないので、作者が書いたものを読もうが翻訳者が訳したものを読もうが大差はない。っつうか、面白い本は英語で読もうが日本語で読もうが面白いのである。と思っていた。でも、これってもしかしたら違うのかもしれない。

愚息が小さな頃、毎日絵本を読んであげていた。エリック・カール(だったっけ?もう昔のことなので記憶があやふや)の本は日本語版も出ているので、どちらも読んであげた。もう少し大きくなってからはドリトル先生やムーミンシリーズも読んであげた。(余談であるが、ああいう長編を一冊読み聞かせるというのは中々大変であった。)中々面白いと思っていた。愚息も喜んで聞いていた。

愚息には読み聞かせてないが、トム・クランシーのネット・フォース・シリーズも私は結構気に入っている。自分で買うならペーパーバック、借りたりもらえたりするなら日本語の文庫、と手に入る方を読んでたのだが、どっちの方が面白いなんて考えたこともなかった。同じ本を読み比べた訳ではないが、どちらも面白かった。そういう例はいくらでもあげられる。

で、話を戻そう。ハリー・ポッターである。読み始めたら止められなくなってしまった。一気に4巻読んでしまった・・・だから日記を更新する時間がないのだな。ハリー・ポッターは翻訳本と原本のイメージが全然違う。っつうか、英語版はイメージがどんどん広がっていって実に面白い。4巻目になると流石にマンネリ化してきて、ペースは落ちてしまったが、それでも止められなかった。ベストセラーになる理由がやっとわかった気がした

そこで、バイ・リタラチャルの子供達にも聞いてみた。流石にバイ・リタラチャルだけあって、本をよく読んでいる子達である。予想通り、ハリー・ポッターは日英両語で読んでいた子が結構いた。が、彼らのほとんどは日本語版は途中で投げ出したと言う。日本語版は原書と全然違う、全然面白くない、という子もいた。語学力の問題だけではないような気がする。

自分の想像力不足を棚上げしてこういうことを書くのはいけないことだとは思うのだが・・・翻訳本は原作のイメージを全然伝えてないぞ!(そもそも会話文が変)というか、原書の存在を匂わせる翻訳本というのは、もうその地点で面白くないと思う。

という訳で・・・ハリー・ポッターは子供向けの本である。出てくる単語は決して難しくない。語彙も大人の本に比べると断然少ない。(簡単だと言われているトム・クランシーやジョン・グリシャムなんかに比べてもはるかに少ない。)1ページに何度も出てくる単語はわからなかったら調べた方が良いけれど(そういう単語は4巻通してしょっちゅう出てくるから)、他のわからない言葉は飛ばして読んだって全然困らない。だから、原書が手にはいる人は是非原書の方を読んで頂きたい。特に、「ハリー・ポッターなんて、どこが面白いの」と思った方には、原書は特にお奨めである。結構面白いよ。


2002年09月17日(火) 読んでから見るか、見てから読むか:1

という広告が昔々あった。あれは映画のコマーシャルだったかな?それとも本の宣伝だったのかな?何の映画だったかな?兎に角、問題は原作を読んでから映画を見るか、映画を見てから原作を読むかということである。

私は、絶対読んでから見る派だった。例えば、ジョン・グリシャムの本はたくさん映画化されているが、映画ではストーリーが単純化されてしまう。省いてあるシーンも多い。だからといって映画が面白くないわけではない。私は映画の方も結構好きである。が、映画を先に読むと、ダイジェスト版を読んだ後で原作を読んでいる気分になって余り楽しくない。原作を読んでから映画を見ると、先が見えて面白くないかと言えば、そうでもない。映画の場合は話がわかっていても面白いものは面白い。で、原作がある映画は、先に読んでから見ることにしている。

しかし、例外もある。最近その例外に出くわしてしまったのである。ナント、あのハリー・ポッターである。以前、日記に「ハリー・ポッターのどこが面白いんかい?」と書いたことがある。その時、私はまだ映画を見ていなかった。愚息の通っている日本語学校の図書室から借りて読んだのだが、全然全く面白くなかった。で、友人から原書を借りて読んでみたのだが、ストーリーが頭に入っていたので、ついついパラパラと読んでしまったので、これもまた面白くなかった。本って、じっくり読まないと面白くないんだよねぇ。で、先日ダンナが何故かハリー・ポッターのDVDを買って来たので、不覚にも見てしまった。そして・・・面白かった!面白くて2度続けて見てしまった。

何が面白かったって、そりゃ、あのお城の様子である。いいな、いいな、あんな所に住みたいな、あんな所で働きたいな、いや、あんな学校に行きたいな!とお城の様子にうっとりとなったのである。ま、ストーリーは知ってましたからね。原作に中々忠実に作ってあったじゃないですか。いやぁ、子供向けの映画といってあなどれないぞ!

さて、後日、愚息に頼まれた本を買いに行った時、ハリーポッターのペーパーバック4冊セットがセールになっていたので、つい買ってしまった。そして読み始めたのだが・・・これが面白いのである。何故か面白いのか?長くなっちゃったから続きは明日ね。


2002年09月16日(月) ジーンズの洗濯

アメリカでジーンズと言ったらやはりリーバイスであろう。ジーンズと言わずにリーバイスという人もいるほどである。で、このリーバイス、男性の場合に限ると思うのだが、下着を履かずに直接リーバイスを履いている人が結構いるらしい。そんなことして、ジッバーに挟まったりして・・・と人事ながら心配になってしまう。ジッパーがついていない501の場合だけなのかもしれない。雑誌や小説、テレビやラジオでそういう話を聞くだけで、実際にどの位の人が下着なしでジーンズを履いているかは知らない。が、ジーンズを履いている男性を捕まえて、「あなた、下着履いてます?」と聞くわけにもいくまい。・・・実際にかなりいるという噂である。

でね、そういう人ってやっぱり毎日ジーンズを洗濯するわけだよな。私はジーンズを愛用しているが(リーバイスは履かない・・・あれはスタイルの良い人じゃないと似合わんもん)、週に2回しか洗わない。もちろん一日中ジーンズで過ごした日は洗うけど、そうでない時は2、3日履いてから洗う。だれが1週間にジーンズを7本も洗うか!

という話をダンナとしていたら、「普通の人は毎日ジーンズを履き替えてるよ。」と言われた。その上、「バスタオルだって、一回使ったら洗濯するのが普通」だと言うのである。家は3人家族だから、一日最低3枚はバスタオルを洗うことになる。家の洗濯機はそれほど小さくはないと思うのだが、バスタオルは一度に6枚位しか洗えないと思う。6人家族だったら、毎日バスタオルを洗うために洗濯機を回さなければならないことになるじゃないか!

そもそも、バスタオルなんて身体を洗って綺麗になったところで使うわけである。使った後、干しておけば洗わなくても毎日洗わなくても良いと思うけどなぁ・・・良くない?で、我が家では1週間に1回、バスタオルを洗うことにしている。それでも、毎日2回は洗濯機を回す。それに加えて、ジーンズにバスタオルを毎日洗うなんて、手間より(洗濯機が洗ってくれるわけだから、手間はたいしたことはない)水がもったいないと思てしまう。この水不足のLAで、そんなことして良いのだろうか?


2002年09月15日(日) Clean Out My Closet!

魔の四次元空間である私のクローゼットを片付けたわけではない。
愚息が割と気に入っている、エミネム(で良いのかな?これって何回聞いても発音できない・・・どうしてもチョコレートのM&Mに聞こえてしまう)の唄の話である。ここ一月ほどラジオでよく聞く局である。タイトルは知らない。車に乗っていて、この曲がラジオで流れる度に愚息がボリュームを上げてくれ、と言う。で、ついつい聞いてしまうことになる。

ラップであるから何を言っているのかさっぱりわからんのだが(ラップじゃなければわかるんか!)、サビの部分は繰り返されるからなんとな〜くわかってくる。どうやら母親に文句を言っているようである。

ごめんね、母さん
傷つけるつもりじゃなかったんだ。
泣かせるすもりはないんだけど
今夜は僕のクローゼットの片づけをするんだ

???

愚母「ねぇねぇ、なんでこの人突然クローゼットの片付けするの?」
愚息「?」
愚母「泣かせるもりはないけどクローゼットをクリーンするってお母さんに向って言ってない?」
愚息「言ってない!」
愚母「言ってるよぉ・・・Clean out my closetって!」
愚息「・・・あのね、それ『自分がずっと心の中で思っていたことをぶちまける』っていう意味」

・・・なるほど。
これじゃ、仮に歌詞を読んだとしても意味はわからんな。


2002年09月14日(土) 三国同盟

日本、中国、イタリアの三国同盟。対するはドイツである。実はこれ、戦争の話ではない(って当たり前だけど)。愚息の高校の世界史の授業の話なのである。

ロスアンジェルスの高校には色んな人種がいる。そもそもアメリカが移民の国なのであるから、当然である。アメリカでネイティブアメリカンと言ったら白人のことではなくインディアンのことである。白人にもイタリア系、スペイン系、フランス系と色々ある。もちろん彼ら高校生のほとんどは3世や4世(愚息は4世)かそれ以下であり、母国語は英語、ご先祖様の生まれた国の言葉なんぞは全くしゃべれない。

で、世界史の先生の話である。彼は教科書なんぞ無視してしゃべりまくるそうである。とにかく世界中の国(アメリカを含む)の悪口を言いまくる。で、日本の悪口を言う時は日系人の愚息に向って、中国の悪口を言う時は中国系に向って、という風に、それぞれの生徒に向ってまるで個人攻撃をかけているような話し方をするのだそうである。

さて、このクラス、いくらテストで100点を取っても、宿題を完璧にこなしていても、授業に参加しなければ良い成績はもらえない。成績の中でクラス・ディスカッションが占める割合が大きいのだそうだ。(アメリカですなぁ)
そこで、日本の悪口を言われた愚息は、つたない知識を元に必死になって反論しようとする。まぁ、彼の場合、自分に向って言われた悪口がアメリカだろうが中国だろうがリヒテンシュタインだろうが反論を試みると思うのだが・・・だって彼は日本人じゃないもん。

ところが、いくら頑張っても先生には太刀打ちできない。で、中国系の子とイタリア系の子と3人で団結して先生に向って行くことにしたそうである。先生はドイツ系。ここに対ドイツのための日本・中国・イタリアの三国同盟が成立したのであった。中々面白そうではないか!ちなみに、先生はドイツの悪口も言いまくるそうである。差別は無しね。

しかし・・・教科書を無視して授業を進めているくせに、2週間たったらきちんと1単元のテストがある。「教科書に書いてあることぐらい家で読んで覚えて来いよな!」ということをきちんと実践しているらしい。


2002年09月13日(金) アメリカの高校:愚息の一日

昨日の愚息の一日。

6:15am−起床
7:00am−高校へ行くために家を出る。(が、運転して連れて行くのは愚母である。)
3:15pm−フットボールの試合(毎週木曜日がフレッシュマンの試合)
6:00pm−試合後、学校の近くのラーメン屋さんで夕食をかきこみ、剣道の道場へ向う。
6:45pm−剣道の道場へ到着。道場にある小さな部屋にて宿題開始。(宿題が終わるまで練習禁止!)
8:30pm−宿題無事(?)終了。着替えて剣道の練習へ。
11:00pm−剣道の練習終了。
11:45pm−帰宅。シャワーを浴びて・・・
12:30pm−着床

彼にはゲームをする時間もテレビを見る時間もない。しかし自分で決めたことなのだ、最後まできっちりやってもらおうじゃないか!
と思いつつ、明日のテストは大丈夫なのだろうか・・・と心配になるような愚母だから愚息から甘く見られるのである。

しかしなぁ、運転手として付き合わされる愚母はたまらんぞ!
愚母は愚息が起きる1時間前に起きて、朝飯と弁当を作らなければならないのだ。


2002年09月12日(木) アメリカの高校:3

高校の選択科目について。これが結構楽しそうなのが色々ある。コンピュータはもちろんのこと、製図やCAD、車の運転(彼らは高校で運転を学ぶ、そして免許を取る、そして・・・高校に自家用車で通っている子もたくさんいる)やメインテナンス(アメリカ人ってだからみんな車のメインテナンス自分でできるのね)、コーラスやバンド(ジャズバンドもあります)、ジャーナリズム、電化製品の修理(おっ、これ私も習いたい)、心理学、コスメトロジー(これも取りたいなぁ・・・と化粧が下手な私)、etc.もちろん、こういうのが取れるのは、必須科目をほとんど取ってしまった生徒だけである。

卒業単位を取り終わった子は、高校で大学の一般教養と単位を取ることもできる。高校でやるのでなく、近くの大学に授業を受けに行く。何故そんなに急いで単位を取りたいのか?高校からそんなに頑張って大学の勉強をすることもあるまいに、と以前から不思議に思っていたので、高校時代にかなり大学の単位を取っていた愚息の従妹に聞いてみた。(とても愚息と血の繋がりがあるとは思えない出来の良い子である。)

彼女の返答:高校は義務教育であるから、公立高校に行っていれば授業料を払う必要がない。教科書も無料で貸してもらえる。が、大学は例え州立で授業料が安いといっても1単位いくらで授業料を払わなければならない。教科書は自費で購入しなければならない。(アメリカの教科書って滅茶苦茶高い!)卒業するのに必要な単位はどこの大学でも一定であるから、高校で無料の時に出来るだけたくさんとっておくと大学に行った時に安く卒業できる。

素晴らしい!

流石は自力で大学に行くアメリカ人である。同じように、州立大学は授業料が高いので(私立に比べりゃ安いけど)、コミュニティ・カレッジ(短期大学、授業料無料、教科書は自分で買う)に2年間行って、その後州立大学に移る子もたくさんいる。州立大学に移るためには、コミュニティ・カレッジで良い成績を修めなければならない。最初から州立に入った方が勉強に関していえば楽である。が、経済的に見れば、比べ様もないほどの差がある。アメリカの高校生は色々と考えているのである。

が、そうかと思えば、最初の3年間で卒業単位を全て取ってしまい卒業資格試験も受けてしまい(2年生から受験できる)、最後の1年はほとんど学校に行かずに遊びまくっている子もいる。アルバイトしてせっせと稼いでいる子もいる。色々な子がいるんですな。


2002年09月11日(水) 世界貿易センターテロ事件から1年

アメリカの到る所でメモリアル・サービスが行なわれた。

そっか、あれからもう1年も経つんだな。愚息を学校へ送って行くために家を出るちょっと前に、テレビの画面に写った飛行機が世界貿易センターに突っ込んだ直後の映像。映画の宣伝にしては移りが悪いな、と思いながらテレビを消し、愚息を学校に送り届けた帰りの車のラジオで事件のことを知った。・・・思い出すなぁ。

さて、今日はアメリカ中でメモリアル・サービスが行なわれた。こんなに人が一箇所に集ることなんかめったにない。つまり、テロリストが攻撃するまたとない機会である。と危惧されたが、何事もなく無事一日が終わった。人もたくさん集っただろうけど、セキュリティも厳しかっただろうから当然だ。ここでまた何か起こったら、FBIもCIAも人前に出す顔がなかろう。それでなくても911のテロを防がなかったと思いっきり攻撃を受けているのである。

ニュースではメモリアル・サービスの他に空港の様子をレポートしていた。あれ以来飛行機には乗りたくないという人と、以前と全然変わらないという人、半々のようである。空港でのインタビューでも、それぞれの意見の人が発言していた。その中の1人、ある日本人は「別に飛行機で旅行するのが怖くなったということはありませんが、アメリカン・エアラインは使いたくないです。」と答えていた・・・エアラインの問題じゃないと思うんだけど。

一方、愚息の学校では・・・いるだろうなぁ、こういうアホなヤツ、という予想通り、「構内に爆弾が仕掛けられた」という噂を流したアホがいて、4時間目の授業が始まる前に全校生徒が校庭に集められ、警察がやって来て(ボム・スクワットは来たのかな?)爆弾捜索が行なわれたそうである。愚息は授業が中止になって喜んでいた(アホの1人)だが、こういう高校が一体アメリカ中で何校くらいあったかを考えると気が遠くなりそうである。

噂を流した生徒は発覚せず、罰せられた生徒はいなかったそうである。全校生徒2千人近い学校、犯人が見つかる可能性はあるまい。というか、必死になって捜したりもしないだろうな、学校側は。


2002年09月10日(火) アメリカの高校:2

さて、愚息の場合、朝6時15分に起きて7時頃家を出る。で、5時半にフットボールの練習が終わり、家に帰ってくるのが6時頃。夕食を食べてシャワーを浴びて(たまには1時間ほど昼寝をして)8時頃から宿題を始める。宿題は・・・毎日ある。主要4科目全部毎日宿題が出る。例えば・・・英語の教科書は学校に持っていく必要がない。家に置いてある。次の日の授業で習うレッスンは家で読んで理解していく。で、学校でそれについてディスカッションを行なうのだそうだ。教科書を学校に持っていかなくても良いのではなく、持って行ってはいけないのである。教科書に書いてあることは家で理解して来い。質問があれば受け付ける。授業では他のことをやる!という態度なのである。これは世界史も同じ。加えて、英語と世界史はエッセイの宿題が出る。生物学は、これまた学校では実験ばかりで教科書は自分で読め!と宿題になる。幾何学は・・・これも毎日1レッスンづつ家でやってくることになっている。こんなことしてたら宿題が終わるのは夜中近くになってしまう。中学の頃より宿題が増えた。ちょっと考えれ当たり前なのだが、高校になるとなんとな〜く楽になるような気がしていたから寝耳に水である。

アメリカの高校生活というものは、もっとのんびりとして楽しいものだと思っていた。なんだか「受験地獄」と叫ばれた私の高校時代の方がもっとのんびりとしていたような気がする(って個人的にのんびりしてただけかな?)。愚息のスケジュールを見ていると、他の子もこんなに大変な思いをしているのかしら?と思う。が、フットボール仲間には0時間目(7時から)のクラスを取っている子もいるのである。彼は愚息より過激なスケジュールをこなしているのであろう。

愚息が通っているのは公立高校である。義務教育の公立高校、誰でも入れる公立高校、アメリカで一番レベルが低いカリフォルニア州の中でも最もレベルが低いロスアンジェルス・カウンティにある公立高校なのである。アメリカの高校って・・・結構厳しいですぜ!


2002年09月09日(月) アメリカの高校:1

愚息の高校生活第2週が始まった。何故かアメリカの学校は勉強が楽だというイメージが頭から離れない。中学で散々宿題に悩まされたにもかかわらず、どこかで「私立だから・・・きっと公立だったらこんなに宿題は出ないに違いない」と思っていたのだろう。もちろん、甘かった!一体誰がアメリカの学校は勉強が簡単だなんて考えを私の頭に植え付けたんだ?!

愚息は小学校・中学校とクリスチャン・スクールに通った。公立の学校に通っている友人の子供達の教科書を見せてもらったところ、学校で習う内容は公立も愚息が通っていた学校も同じだった。同じテキストを使っている科目も多かった。もちろん、難しいことを教えている私立もある。が、愚息が行ったのは所謂受験校ではなかったので、勉強は余り重視していなかった(だから選んだのだが)。だからわかっていたはずなのだ、高校は公立だからって勉強が楽になる訳がない、ということは。

アメリカの高校は、大学のように単位制である。1科目1年間のが10ユニット、半年のが5ユニット。卒業するには英語40ユニット(4年)数学30ユニット(3年)理科20ユニット(2年)社会30ユニット(3年)体育30ユニット(3年)外国語・音楽・演劇・美術からの選択10ユニット(1年)職業訓練または大学準備クラスから20ユニット(2年)の必須科目に加え、様々な選択科目から40ユニット。合計220ユニット取り、州が定めた高校卒業試験に合格しなければならない。

1年生は取りあえず必須科目を取らなければならないので、愚息の時間割は必須科目5科目に選択1科目の6時間。全く面白味のない時間割である。学校は1時間目の8時に始まり6時間目が終わるのが3時。ただし、0時間目というのが7時から始まり、1年生でも頑張って0時間目から取っている生徒も多い。(もちろんそういうが出来るということは愚息の頭には全く入っていない・・・良いけどね、それで)

ちなみに彼の時間割は・・・1.世界史、2.生物学、3.幾何学、4.Introduction to Technology Education(唯一選択科目。色んな機械の使い方を教えてくれるそうな)5.英語、6.体育である。

フットボールをやる子は6時間目の体育の時間、2時半からフットボールの練習が始まる。で、終わるのは5時半。もう思いっきり疲れて帰ってくるのである。体操服は絞れば汗がぽたぽたと落ちるほど濡れている。顔を真っ赤にして重い(これがまた本当に重いんだ)引きずるようにして歩いてくる。しかし、家に帰ると苛酷な宿題が待っているのである。愚息よ、これが高校生活なのだよ!


2002年09月08日(日) クレジットテスト:2

(続き)愚息は日本語学校に通っているから、交渉次第で日本語を外国語のクレジットにすることができる。そうなれば高校で外国語を取る必要はない。が、このクレジットテスト、学校によっては9月一杯で受付を締め切るところがあるという。
愚息は早速学校に交渉に行った。

まず、誰に交渉すればよいのか調べなければならない。高校にはホームルームというものはない。つまり、担任の先生というのがいない。その代わり、カウンセラーというのがいる。で、カウンセラーに認めてもらい、申込書を貰わなければならない。カウンセラーはたくさんいる。が、誰が自分のカウンセラーなのかわからない。で、愚息は事務室に自分のカウンセラーが誰かを聞きに行った。返事は「わからない。」・・・これが公立高校の現実である。何のためにカウンセラーに会いたいのか、と聞かれたから「クレジットテストについて話したい。」と言ったら、「そんなのはこの高校ではやってない。日本語学校で手続きをしてもらいなさい。」とちんぷんかんぷんな答えが帰ってきたと言う。

という訳で、昨日日本語学校へ行ってクレジットテストの申し込み方というものを尋ねて来た。流石に日本語学校では「そんなもの知らない。」なんて答えは返ってきませんな。実に丁寧に説明してもらった。説明によると・・・

現地校の先生の中には、そういうものの存在すら知らない人がいる。自分の高校でそういうことを行なっているということを知らず、「この高校はそういうものは認めてない。」と言い張る先生もいる。申込書を置いていない高校もある。学区のオフィスに行って自分で貰って来いというところもある。一旦申込書にサインして置いて、テストの後で「認めない。」「知らない。」という先生もいる。従って、「クレジットテストを受けて外国語の単位として認めてもらうかどうかは、生徒の交渉能力と根気次第なんですね。頑張って下さい!」と励まされてしまった。

愚息と同じ高校へ通っていた日系人で、1週間毎日事務室に通いつづけやっと認めてもらったという子もいる。面倒な交渉は諦めて2年間外国語の勉強をするか、1、2週間で済むなら、と根性で交渉し続けるか・・・愚息次第である。


2002年09月07日(土) クレジットテスト:1

日本語学校の2学期が始まった。愚息は早生まれだから、日本語学校のほとんどのクラスメイトより現地校の学年が一つ下になる。つまり、ほとんどの子は現地校では10年生(高2)になったのだが、愚息は今月高校生になったばかりである。高校になると勉強も難しくなる(と思う)。課外活動も活発になる。高校と日本語学校を両立させるのは実に大変である。

さて、こちらの高校では外国語を2年間取らなくてはならない。正確には、大学へ行くつもりならば取っておかねばならない。つまり、高校で学校を止めちゃう人は外国語は勉強しなくても良いのね。学校によって多少違うのだが、一般的なのは、スペイン語・フランス語・中国語の中から選ぶことになっている。

愚息の学校はメキシコ人と中国人が多い。といっても彼らは2世、3世であるから、母国語は英語である。しかし、スペイン語や中国語がしゃべれる生徒もたくさんいる。その中に混じってスペイン語や中国語を学ぶのはハンディが大きすぎる。という訳で、ほとんどの日本人はフランス語を選択するらしい。南カリフォルニアで暮らすなら、スペイン語が出来ると絶対有利なので、頑張ってスペイン語を選択する子もいる。

ところで、愚息は愚母に似て語学の才能が全くない。語学って結局センスなんだよなぁ。彼は中学の時にスペイン語を取ったのだが(これは高校の単位としては認められない)、クラス全員の成績がAとBだったのに、愚息1人だけがCという結果であった。(教師が実に嫌な顔をしながら私に全員の成績表を見せてくれた。)そんな彼が外国語なんぞ取れる筈がないではないか!って、最初から諦めちゃいけませんけどね。

ところがここに抜け道がある。クレジットテストというヤツである。現地校以外に語学の学校へ通っている子は、その学校で行なわれるクレジットテストというものに合格すれば、それが高校の単位として認められるのである。愚息が通っている日本語学校も、このクレジットテストを行なっている。ただし、それを現地校が認めてくれるかどうかは個人的に交渉するしかないのである。(続く)


2002年09月06日(金) お葬式

お葬式に行った。今年3度目のお葬式である。お亡くなりになったのは皆さん愚息の剣道道場の関係者。道場にも厄年というのがあるのだろうか?この歳になると、知人友人のご両親がお亡くなりになるということはよくある。おかげさまで私の両親もダンナの両親も健在であるが、知人友人のご両親がお亡くなりになると、「ああ、私もそういう歳になったのだなぁ。」と柄にもなくしみじみとした気分になる。が、知人友人や息子の友人のお葬式となると、とてもやりきれない気分になってしまう。当たり前だ・・・当たり前なのだが、このもやもやはなんとかならんかな?

お葬式は西本願寺で行なわれた。仏式である。浄土宗か浄土真宗かのどちらかだと思う。(どちらかは知らない・・・この罰当たりめ!)アメリカに来て以来、お葬式には何度も出席したにもかかわらず、仏式のお葬式というのは今年初めて経験した。日本に住んでいた頃出席したお葬式はほとんどが仏式である。実家は日蓮宗(創価学会ではないが)だから、初めて浄土真宗のお葬式に出席した「あれっ?ちょっと違うな」と思った覚えがある。その後、同じ浄土真宗でもお寺によってちょっとづつやり方が違うということを学んだ。(実は高1の頃、お葬式が流行ったのである。つまり、友人がバタバタを死んでいった時期があったのだ)もちろん違うといっても仏教は仏教である。お焼香の時に戸惑うというほどのものではない。あるお葬式でお経の本を渡されて、では「皆さん一緒にお経を唱えましょう」と言われた時は焦ったが。

しかし、アメリカの仏式というのは日本のとは随分違う・・・と思う。日本のお葬式では友人が故人の思い出を語るなんてのはなかったような気がする。故人の経歴の紹介もなかった気がする。後、皆で合唱(お経ではない)というのも初めての経験だった。歌を知らないから一緒に唄えなかった・・・申し訳ない。

一番驚いたのが、バックグラウンド・ミュージック(?)がエレクトーンの演奏だったことだ。日本でも出席者が多いお葬式に出たことがあるが、2時間以上続いたお焼香の間中、お坊さんはお経を唱え続けていた。こっちは最初だけで、あとはエレクトーンの演奏に変わるのである。お寺でエレクトーン・・・なんか変だな、と思ったのは私だけなのだろうか?


2002年09月05日(木) タマがない!

現在使っているコンピュータは2年半ほど前に購入したものである。DVDだって(使ってないけど)CD−Rだってちゃんと付いている。時々フリーズしたり強制修了させられたりすることはあるけれど、買い換えたいと思うほど不自由したことはない。が、マウスだけは閉口ものだった。特にここ数ヶ月、マウスが思うように動いてくれない。タマを取り出してきれいにしても、ギュウギュウとマウスパットに押し付けてみても、中々言うことを聞かなくなってしまった。

じゃぁ、買い換えろよな!とわかってはいたものの、そのままだましだまし使い続け、つい先日、完全に動かなくなってしまった。マウスにも寿命があるのね!で、諦めて昨日新しいのを買いに行った。

いやぁ、マウスといっても色んな種類があるんですな。とてもネズミには見えないぞ!と思うものが沢山あった。まるでSFに出てくるレーザー銃である。・・・ふ〜ん。しかし私はどうも新しいものに中々馴染めない・・・歳のせいかな?いかにも『マウスでございます』というのが良いな。

メーカーだってたくさんある。どこのが良いのか全然わからない。今まで使っていたのがLogitechとかいうメーカーのだった(マウスに書いてあった)ので、2年半で壊れてしまったにも拘わらず同じメーカーのを選ぶことにする。

えーっとえーっと・・・コードレスっつうのもあるのね。便利かな?でも高いな。普通のでいいや、普通ので、と思い、それでも一番安いのは抵抗があるから安いのから2番目のを買ってきた。Logitech MX300 Optical Mouseと書いてあった。
家に帰ってじっくり見てみると・・・マウスの裏にタマがない!タマがなくて一体どうやってぐりぐりするんだ?!一体いつからマウスにタマがなくなってしまったのだろう?私の知らない内に、世の中はどんどん変わって行く・・・タマの代わりにマウスの裏の真中に赤いライトがつくのである。ちょっと感動!

しかも、ポインタがスクリーンの上を速やかに移動する。開きたいファイルに狙いを定めてマウスパッドの上を何度もぐりぐり回す必要がない!考えてみれば(考えなくても)当たり前のことなのだが、とっても感動してしまった。

あっ、もしかしてこの赤いライトが”Optical”っつうヤツなの?


2002年09月04日(水) 雑用の片付け

暑い!まるで真夏のようだ・・・ってまだ南カリフォルニアは真夏。

ちょっと先の予定が詰まっているので、今日1日で溜まっていた雑用を片付けることにした。
7時半に愚息を学校に落とした足(車)でスーパーマーケットへ寄って食品を買い込む。家に帰って買った物を冷蔵庫に入れ、洗濯物を乾燥機に放り込み、再び外出。

1.郵便局・・・長い間借りていた宗教関係の本を読み終わらないまま持ち主に送り返す。日本の友人に頼まれていた荷物を送り出す。

2.トロフィー屋さん・・・愚息の唯一の優勝トロフィー(剣道)のてっぺんに付いている勝利の女神(?)が足からポッキリ折れていたのを修理してもらう。待っている間に出来て、たった5ドル。ふ〜ん、トロフィーって安いんだ。

3.学校用品を取り扱っている店・・・愚息の今学期の教科書を注文。これは彼が使うのではなく、私が使うのである。私は英語の勉強が嫌いなので、代わりに愚息の教科書を読むことにしている。わからないところがあれば彼に聞けるので便利である。いよいよ高校レベルに入った・・・かな?

4.ベスト・バイ(電化製品の店)・・・ついにマウスを購入。ふ〜ん、最近のマウスって裏にボールがついてないんだ。ワイヤレスもあったけど高かったので止めた。

5.文房具屋さん・・・愚息の学校で必要な文房具を購入。こういうのって学校が始まる前に揃えるんじゃないかい?

6.本屋・・・愚息に頼まれていた本を購入。『指輪物語』はまぁ良いとして、何故に今更ドクター・スースの本などを欲しがるのだろう?ま、いっか。

7. クリーニング屋さん

これだけやって家に帰ったら午後1時になっていた。そして何故かダンナが家でお弁当を食べていた。お昼を家で食べるんだったら先に言ってくれれば、朝、お弁当を詰める手間が省けるじゃないか!

さて、愚息を迎えに行く時間になるまで仕事しなくっちゃ。


2002年09月03日(火) 愚息、高校入学

とは行っても、入学式なんぞはないんですな、こちらの高校。そう言えば、キンダー(小学1年生の前に一年間通う義務教育の幼稚園。小学校に属している)に入学する時も、子供を学校で落としてお終いだった。子供が初めて学校へ行く日、親が不安になるのはこちらも同じ。教室に入っていった我が子の様子を見ようと窓にへばり付く親達を追い散らす校長先生・・・恒例の新学期の風景だった。もちろん小学校のお話。高校ともなると親は学校の敷地内にすら入って行きませんな。
 さて、愚息が入学したのは普通の公立高校である。(特殊な公立高校も無いではない・・・頭の良い子だけを集めた高校、滅茶苦茶態度が悪い子が行く学校etc.)だからこの高校がカリフォルニア、あるいはロスアンジェルスの平均的な学校のシステムだと思う。で、新学年が始まる日、生徒達はまず学校で『時間割表』を受取る。クラスが始まる20分前に来いということだったが、登録日に時間の20分前に行って1時間待たされた経験があるので、7時15分に愚息を学校に落としてきた。彼のクラスは1時間目の8時から始まるのである。1年生から張り切って0時間目(7時始業)から取っている生徒もいるらしいが、まぁ、そんなに欲張ることもあるまい。(とアドバイスしてしまった結果である。)学校の前で落としたので、彼がどの位待たされたかは知らない。が、1科目を除いて授業には間に合ったそうである。
 何故1科目遅れたのか?昼休みを取る時間を間違えたそうである。彼の学校、昼休みが2回あって、どちらの休みにお昼を食べるかは取るクラスの先生が何時にお昼を食べるかによるそうなのである。複雑だなぁ・・・そうでもないか。という訳で、クラスに行ったのが授業が終わる10分前だったそうである。
 愚母「叱られた?」
 愚息「ううん。」
 愚母「何も言われなかったの?」
 愚息「時間を間違えたって言ったら、ああそうか、って言われただけ」
 愚母「で、それ何のクラスなの?」
 愚息「それが・・・ようわからん!」
楽しい高校生活になりそうである。


2002年09月02日(月) The Most Wonderful Time of the Year!

いよいよ明日から学校が始まる。中学を卒業してから2ヶ月半、いやぁ、実に長い夏休みだった。特にここ2週間ほどは朝から晩まで運転手に徹していたため、コンピュータをつける時間すらなかった。メールの返事もかけず、随分と色んな人に失礼なことをしてしまった。

愚息は明日から高校生である。日本では中学3年生の年齢なのだが、こちらの高校は日本より1年早く始まり4年間通う。つまり、卒業時の年齢は日本と同じである。中学までは1学年90人という小さな学校に通っていたのが、高校からはナント1学年500人以上!こんな大きな学校で愚息ややって行けるのだろうか?と1学年200名ほどの高校しか通ったことがない(小学校は1学年80名、中学は120名だった)私はちょっと不安。

こっちもいいかげん愚息に付き合うのにうんざりしていたが、愚息の方とて同じである。流石に明日からの学校を楽しみにしているようであった。日頃『明日の準備』などしたことがない愚息が、夜、おもむろに準備をしている。フットボールのユニフォームや道具をバッグに詰める、明日学校へ着ていく服を選択する、そして最期は夏の間ブリーチをし続けてきた髪を青に染める!「うん、これで準備万端だ!今日は早く寝よう!」

愚母「あのぅ・・・ノートとかペンは?」
愚息「えっ、そんなもんいるの?」

・・・一体こいつは何をしに高校へ行くのだろうか?

 ちなみに、こちらの公立高校は基本的には制服である。が、学校が始まる前に「私服で通わせます。」という書類に親がサインをして提出すれば私服でも良いのである。全員の親がこの書類を提出しているのであろう、制服を着ている子は1人もいない。一体なんのために制服があるのだろう?と思いつつ当然サインをして学校へ提出した愚母であった。


2002年09月01日(日) さりげなく復活

8月はとても忙しかった。要領の悪い私は、何をするにも人より時間がかかるのでいつも忙しい気がしてならない。が、8月は家にいる時間が短かったので、いつもにも増して忙しいかったような気がするいや、正確に言えば家にいる時間が短かったのではない。家に居続ける時間が短かったのである。出かけて、帰ってきて1、2時間で再び出かける。朝から晩までそれの繰り返しである。1、2時間しかないとコンピュータをつける気にならない。もちろん仕事以外で1、2時間もコンピュータの前に座っていることなどないのだが、そこはほれ、気分の問題である。で、8月はホームページの更新はもちろんのこと、日記すら書けなかった。

9月に入り、愚息も学校が始まったことだし、まだ生活のペースは乱れたままだとはいえ、日記だけでも復活させよう。8月の空白は・・・なかったことにしよう。とはいうものの、あちこちに出張っていたために書くことはたくさんあるのだ。忘れない内にイベントがあった日だけは空白を埋めていかなくては。

それにしても子供の送り迎えというのは大変なものである。子供が小さい間は子供と行動を供にしていたのでそれほど大変だとは感じなかった。が、愚息がティンエイジャーになってからというもの、子供の行動に一々付き合ってはいられない。というより愚息の方が嫌がる。しかし車の運転は出来ない。ここ南カリフォルニアでは車無しではどこにも行けない。じゃ、運転出来ない奴は家にいろ!という訳にもいくまい。運転できないのは愚息のせいではないからである。まぁね、子供だって一々親に頼みたかぁないわな。でもなぁ、他の親もみんなそうやってるんだろうなぁ。16歳になったらすぐに子供に免許を取らせる親の気持ちがようやくわかった夏休みであった。


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