DOTFAMILYの平和な日々
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最近、愚息が家にいることが多い。きっと夏休みだからだろう。昼近くに起き出して来て、一日中テレビを見たりゲームをやったりしている。時々、「お腹すいたぁ、何か食べさせて」「サイバーカフェ、連れてって」「ねぇねぇ、オレンジジュースがなくなったから買いに行こう」などと言いに来る。先日ドサクサに紛れて「300ドルちょうだい」などと言うので思わず「うん、ちょっと待って」と言いそうになってしまった。しかし、家事している時に愚息が家の中でゴロゴロしているのは愉快ではない。
最近、ダンナも家にいることが多い。きっと病気だからだろう。家にいるなら病人らしくベッドで寝ていれば良いのだが、朝、きちんと起きて朝ご飯を食べたがる。その後、食事のと食事の間には一日中テレビを見ながらゴロゴロしている。病人だから仕方あるまい。しかし、家事をしている時にダンナが家の中でゴロゴロしているのは愉快ではない。
私がお金を頂ける仕事をしている時は、愚息もダンナも寄ってこない。私は自営業を営んでいるので(なぁんて言うほど格好良くはないのだが)、週末に仕事をすることもある。そういう時、愚息もダンナも協力的である。何も言わずにそこら辺でひたすらゴロゴロしている。家事をやっている時も彼らは私の邪魔はしない。食事の時間以外はそこら辺にひっそりと転がっている。存在を悟られると手伝わされるからである。
が、私が仕事の合間にホームページで遊んでいたりすると、何故か彼らは何処からともなく現れて、「ああしろ、こうしろ」と色んなことを要求する。要求することがないと自分が見ているテレビを指して「ねぇねぇ、ちょっとこれ見に来て」などと言う。こういうところは見事に父子そっくりである。
しかし、私が家計簿をつけている時、彼らは決して私に近寄らない。腹が減っていても近寄らない。よっぽど恐い顔(あるいは切羽詰った顔)してるんだろうな。
2002年08月04日(日) |
Supercamp:その4 |
愚息を迎えに行った。スーパーキャンプの最終日は卒業式である。たった10日間のキャンプに卒業式もないものだ、と思うのだが、指導員達がスーパーキャンプとは何かの説明をしてくれたり、子供達がこの10日間で学んだことを発表してくれたりするので、親にとっては有難いことである。
愚息のグループは14歳〜17歳まで。全部で100人くらいいたかな?100人ほどの高校生が全員とても真面目にセレモニーに参加していた。誰かがスピーチをしている時は全員が真剣に耳を傾け、スピーチが終わると物凄いと言っても良いくらいの拍手と声援があちこちから飛んでくる。話すほうだってこれだけ真剣に聞いてくれれば、そして終わった後、あれだけの声援が飛び交えば、嬉しいだろうな、と思う。多分人前で話すのが苦手だったんじゃないかな、と思われる子がぽつぽつと話し出す。途中でつっかかったりもする。感極まって話の途中で泣き出してしまう子もいる。そんな時、大声で励ますのは参加者の生徒達であって、指導員達ではない。これって、目の前で見ると結構感動ものですぜ!彼らはたった10日間の間に心を開くことができたんだな、と嬉しくなってしまう。
式が終われば解散である。男も女も関係なく抱き合って別れを惜しむ。泣いてる子もたくさんいる。通常、アメリカ人は男同士の場合は握手、あるいは握手らしきもの(あの手や拳を合わせるヤツ)、女同士、あるいは男と女の場合は抱き合って挨拶をする。愚息は相手が女であっても抱き合うのは苦手のようである。中学の卒業式の後、女の子達と別れの挨拶をするときは、流石に抱き合わねばなるまい、と覚悟を決めたのか、相手に腕を回されても逃げずにぼけーっと突っ立っていた。そんな息子が、男の子とまでまるで抱き合わんばかりの挨拶をしていた。女の子との挨拶は自分から腕を回して抱きしめているではないか!(これって進歩?)あちこちで「来年、また会おうな!」と約束している。きっととても有意義なキャンプだったんだろう・・・ん?来年また会おう?おいおい、来年もまた行くのかい?
あの『リング』がこちらで映画化されるそうだ。 キャストは全てアメリカ人である(と思う)。 日本でとっくに映画化してるから、それを吹き替えるなりサブタイトルをつけるなりすれば良いと思うのだが、事はそう簡単ではない・・・らしい。 実は日本の映画『リング』を見たことがないので、出来の良し悪しはよくわからないが、こちらまで評判が伝わってくるほどの大ヒットであったらしい。 (じゃ、そのまんま使えるんじゃないかい?) 私の想像では・・・日本人キャストの映画では、映画そのものがエキゾチックな感じを与えてストーリーの怖さが上手く伝わらないのではないか?という理由で英語版は別に映画化することにしたのではないだろうか? う〜んと、言ってること、伝わったかな?
どちらにしても、原作の面白さ(恐さ?)がアメリカで認められたということである。 実に目出度いことではないか! こんなに面白いのにどうして英語に翻訳原稿されないのだろうと思っていた作品が(漫画も含めて)たくさんある。 「日本人じゃなきゃわからないよ」なんてことは絶対ないと思う。 面白いものは誰が読んでも(見ても)面白い・・・と思うんだけどなぁ。
これを機会に、日本の作品が次々と映画化されると嬉しい。 『リング』が公開されたら絶対見に行くもんね!
ちなみに、昔こちらで『ウルトラマン』が撮影されたはずだ。 当時撮影中のスタッフを某日本食レストランで見かけたことがある。 全員アメリカじんだった(フランス人やドイツ人が混じっててもわからんかったけど)。 直接話したわけではないが、お店の人が「彼ら、今『ウルトラマン』の撮影してるんですよ。」と教えてくれた。 が、その後『ウルトラマン』がこちらで上映された、という話は全然聞かない。 そういうことが『リング』に起こらないように願う。 ただし、『リング』の映画化に関してはテレビで言っていたことなので、多分大丈夫であろう。
楽しみだな!
悲しいことがあった。 大したことではない。 人生が変わるわけでもなければ、取り返しのつかないことでもない。 何かを無くした訳ではない。 誰が悪い訳でもない。 そんなことで落ち込むんじゃねぇよ!と怒鳴りたくなるような些細なことである。 でも、悲しい・・・そういうことってあるよな。
そういう時、私は本を読む。 本に没頭して、悲しいことを頭の中から追い出してしまう。 夜中過ぎても本を読みつづける。
若い頃は徹夜で本を読んだこともあった。 1週間部屋に閉じこもりっきりで本に没頭したこともあった。 完全に逃避である。 が、時間が経てば大抵のことは忘れられるのである。 忘れ去ってしまうことはできないが、取り合えずあの遣りきれない思いだけは消えてしまう。 しかも、私の場合は大抵のことは1週間以内に忘れてしまえるのである。
そうやって逃避をして取り返しのつかないことになったことは・・・一度もない。 つまり、元々が大したことではないのだ。 本を読んで頭の中から追い払ってしまえる程度のことなのである。 でもなぁ・・・やっぱり悲しいよなぁ。
残念ながら、この歳になると明日のことが気になって徹夜で読書をすることはできない。 が、そういう日は眠りが浅い・・・明日は辛い一日になりそうである。 もちろん、精神的にではなく肉体的に辛いのである・・・やれやれ。
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