DOTFAMILYの平和な日々
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2002年05月31日(金) 犬、首吊り事件

前を走っている車の助手席に乗っている犬、あんなに身を乗り出してて大丈夫かなぁ、と思っていたら、案の定、落ちた!

当然、その車は急ブレーキをかけた。
「大丈夫かなぁ」と思って見ていたので私も急ブレーキをかけた。
良かった良かった・・・全然良くない!

ナント助手席には人が乗っていて、犬の鎖を握っていたのである。
小さな犬であった。
だから首吊り状態になってしまった。
鎖を握っている人が手を離すと、犬は地面に落ち、隣の車線を走っている車にはねられる恐れがある。
だから犬は首吊り状態でドアにベタッとへばりついている。
声も出ないようである。

運転していた人が慌てて飛び出してきて、犬を窓から中に押し込んだ。
彼女も充分パニック状態であった。
車線変更をして追い越して行こうかな?とも思ったのだが、パニックになった運転手が飛び出してきても恐いから、おとなしく後ろで待っていた。

どうやら犬は無事だったみたいだ。
が、結局最後まで犬の鳴き声は聞かなかった。
運転手は私に向ってしきりに頭を下げた後、去って行った。
とりあえず、めでたしめでたしなのであろう。
でもなぁ、助手席に人が乗っていたというのに犬が飛び出すというのはあまりに不注意なのでは?
これって虐待だよな。


2002年05月30日(木) 愚息なしで剣道へ

「という訳で、愚息は旅立って行ったのであった。」
と昨日書いたけど、アイツはちゃんと旅立ったのかな?

木曜日は剣道の日である。
会計を引き受けている私は(愚息が色々と迷惑をかけているので、何かお手伝いをしなくては申し訳ない・・・というか私が会計をやっている限り破門にはなるまい、という下心)愚息がいないのに道場へ行かなければならなかった。
ところで、愚息が行っている道場はNon-profit Organizationである。
先生は皆ボランティア、従って月謝はメチャクチャ安い。
だから私が扱う金額も少ない。
で、道場へ行くと子供達が「あれ?○○○(愚息の名前)は?」と聞いてくれる。
有難いことである。

さて、用事を済ませてさっさと帰ろうとすると、「今、月謝払って良い?」と聞いてくる親がいる。
そのために来たのであるから「うん、いいよぉ」と答える。
で、ちょっとお話する。
で、帰ろうとすると他の人が「払わなきゃいけないお金、たまってる?」と聞いてくる。
たまっているかどうか調べる。
で、ちょっとお話する。
で、帰ろうとすると・・・

「おいおい、私を帰らせないようにわざとやっとるんかい?」
と言うと、
「当たり前じゃない。子供がいなくても一人だけ早く帰らせてたまるか。」
というお返事。
う〜ん、その性格・・・お友達だなぁ。

引きとめようとして出してくれた珈琲を有難く頂いてから、それでも9時頃には帰ってきてしまった。
彼女達は11頃までは子供を待っていなければならないのである。
剣道を続ける子供達も偉いと思うけど、連れてくる親はもっと偉い!

ここ数年、小さな子は9時半頃帰れるようになったのだが、愚息が始めた頃は全員が終わるまで残っていなければならなかった。
当時5歳だった愚息は9時過ぎると足がふらついて、剣道どころか立っているのが精一杯という状態であった。
その上、翌日学校ではしっかり眠っていたそうである。

小さな子が早く帰れるようになった頃、愚息はすでに小さくなかった。
従って、私は早く帰るという恩恵を授かっていない。
愚息は剣道を始めて今年で10年になる。
私って・・・偉いなぁ。


2002年05月29日(水) 修学旅行へ無事出発?

明日から愚息の修学旅行である。
科学の先生による数々の妨害にも負けず、無事参加できることになった。

さて、集合場所はLAX、時間は午前4時半である。
参ったな、と思っていたら、今晩から友人の家に泊まりこんで友人の親に連れて行ってもらうと言う。
もう一人連れて行かなければならない子がいるのでついでに愚息もどうぞ、という訳である。

友人の親は遅れてはいけないので夜中の3時には家を出ると言う。
(家からLAXまで1時間もあれば十分だと思うんだけど・・・)
で、夜中の3時出発では、寝ている時間はない。
ということは、寝ないで遊べる。

私が連れていけないことはないのである。
夜中だから道が混んでいることもあるまい。
が、愚息は遊びたいがために連れて行ってもらうことにしたようである。
友人の家にはコンピュータが3台あって、インターネットに入らなくても3人で同じゲームが遊べるらしい。
それを狙っているのである。

子供同士で決めたことだから、と彼の親から確認の電話があった。
「LAXまで送っていけないって聞いたけど?」
う〜ん、連れて行けないことはないんだけど、ここで正直に「息子はお宅で遊びたいからあなたに連れて行ってもらうことにしたんだ。」と言うわけにもいくまい。
話が長くなるし、ややこしくなる。
ここは一つ素直に「はい」と言っておこう。
という訳で、「よろしく」とお願いした。

もう一人の子は学校が終わってからすぐ彼の家に行くらしいが、愚息は一度家に帰って、食事をしてシャワーを浴びてから行くというので、夜8時頃彼の家に連れて行った。
実は、その子の親と話すのは始めてである。
(顔くらい知ってたけど)
で、”Is he a good boy?”と聞かれた。
「ハイ!」と即答できないところが辛い。

実は、私は愚息のことをとても良い子だと思っている。
が、そう思ってない人(特に教師)は多いであろう。
ここは笑って誤魔化すしかない。

そして、愚息に”Have fun!”と別れの挨拶をして帰ろうとすると、「10日間も○○○がいなくて大丈夫か?」と聞かれた。
あのなぁ、一人っ子の親が皆子供がいなくて淋しがると思ったら間違いだぞ!

という訳で、愚息は旅立って行ったのであった・・・と思う。


2002年05月28日(火) Breakfast Clubその後

5月20日、愚息がBreakfast Clubへ入れられた、という話を日記に書いた。
このクラブ、F(=Fail=不可)を取った子だけが入るのだ、と後でわかった。
愚息は成績が悪い。
が、宿題をきちんと提出してテストを受けている限りFは取らないことになっている。
愚息は宿題は出しているしテストは受けているはずである。
(出来不出来はこの際関係ない)
なのに何故F?

7年生の半ば頃からずっと愚息は科学の先生と折り合いが悪い。
先生はあの手この手で愚息を落ちこぼれさせようとして来た。
例えば、ちゃんと宿題を提出しているのに「出てない!」と文句をつける。
提出していれば採点されて帰ってきた宿題があるので、愚息はそれを見せる。
すると先生は「あ、そう」と言って、次の日また「宿題が出てない」と言う。
毎回やるわけではない。
成績表をつける前にどどどっと一気にやるのである。
で、提出した証拠を見せるのは翌日になるから、成績は下がる。

私が学校へ行って話をして来ようか?と何度も愚息に言ったのだが、自分で対処する、親は出てこないで欲しい、と言われたのでこれまでぐっと我慢してきた。
本当は怒鳴り込みたかった・・・英語がわかろうとわかるまいと、こういう場合そんなことは大したことではない。
が、ここは愚息の意志を尊重するべきであろう、と思ったわけだ。

さて、愚息はその先生と戦いながら学校へ通っていたのだが、ここ3ヶ月ほどは流石に疲れたらしく、毎朝学校へ着くと必ず「行かなくっちゃいけない?」「今日、休んでよい?」と聞くようになった。
落第は無理だと悟った先生が、せめて修学旅行へ行くのを妨害しようと気合を入れて責めてきたからである。
それでも私には出てくるな、と愚息は言う。
こういうの、親としてはとても辛い。

しかし何とか乗り切って、もうすぐ卒業というところでBreakfast Clubである。
宿題では落とせないと諦めた先生が、愚息が陸上競技会で科学のテストを受けることができなかったのを利用して、1日遅れで受けたテストの1週間も採点をせず、その時のテストを0点として成績表に書き込んだ結果のFであった。
いやぁ、そういう先生もいるもんですな。

さて、Breakfast Clubの第一日目、校長がやって来て生徒の一人一人に何故Breakfast Clubに入れられたのか、と聞いて回ったそうである。
で、愚息の理由を聞いた校長がその先生に注意して、愚息は一日で退部。
もともと愚息はBreakfast Clubへ行く必要はなかったそうである。
最後の最後まで虐めてくれるじゃないか、Mrs.Duncan!(と本名を書いてしまおう!)

しかしまぁ、今回は校長の助けを借りて愚息の勝ち!
(勝ち負けの問題か?・・・勝ち負けの問題じゃ!)
私は早起きから開放されたのであった。
めでたしめでたし・・・ということにしておこう。
(実情はもうちとばかり複雑)


2002年05月27日(月) 夜、ベットに入って・・・

「さぁ、寝るぞ!」という時になってダンナが
「僕と一緒に寝るのがそんなに嫌なのか?嫌なら嫌と言えば僕は他のところで寝る。」
と突然何の脈略もなく言い出した。
おいおい、一体何なんだ?
ちゃんと隣に寝とるじゃないか!

今日、インターネットを使ってラスベガスのホテルに予約を入れた。
ダンナは後ろで見ていたのだが、その時は何も言わなかった。
ところが・・・
一部屋に「キングサイズのベッド一つ」か「クィーンサイズのベッド二つ」かを選ぶところで、私は迷わずクィーンサイズのベット二つを選んだ。
ラスベガスに限らず、旅行へ行く時はいつもベッドが二つある部屋を予約していたからだ。

何故ベッドが二つ必要なのか?
いつも愚息が一緒だったからである。
愚息のために一部屋別に取る、などという不経済なことはしない。
が、今回は愚息はいない。
よ〜く考えてみたら、これまではダンナと私が一つのベッドを使い、2人分の幅がある愚息がもう一つのベッドを使うというパターンだった。
すっかり忘れていた。

で、ダンナは私が一人で寝たいからベッドが二つある部屋を予約したと思ったのである。
一人で寝たい=ダンナと一緒に寝たくない
・・・そんなこと一々考えてねぇよ!

そもそも、文句があるのならその場で言えば良いじゃないか!
ねちねち考えてから寝る時になって言い出すなんて卑怯だぞ!

もちろん、「一緒に寝たくない」うんぬんというのはきっかけである。
お互いの不満が毎日少しずつ蓄積していき、許容量を越えたところで爆発したのである。
我らの夫婦喧嘩はいつもこのようにして発生する。

ダンナの方が我慢が足りないので、いつも彼の方からふっかけてくる。
最も、機嫌最悪状態の私と一緒に暮らしていれば我慢の限界も来ようというものだ。
愚息だったら「母さん、寝れば」と言ってそそくさと自分のためにインスタントラーメンを作り始めるのだが、ダンナは最低1日3回きちんとした食事を取らなければ死んでしまうので、私にそう言うわけにはいかない。
「寝れば」なんて言うと「誰があなたの食事を作るんだ!」「誰があなたの下着やタオルを消毒するんだ!」「誰が薬を取りに行くんだ!」などと反撃が来るのはわかりきったことである。
(そういう嫌味をちゃんと言うんだなぁ、私は)
しかも、自分で食事を作る位なら私の不機嫌に耐えた方がましだと考えているらしい。
で、ここんとこ私のストレスレベルが最高値を示していたので、じっと耐えていたダンナにも限界が来たのである。

という訳で、久々に夫婦喧嘩になった。
終了したのが午前3時。
勘弁してくれよなぁ。

朝5時に起きて朝ご飯とお弁当を作るのは一体誰だと思っているだ!
次回はもっと早めに始めて欲しい。


2002年05月26日(日) 男の子のソックスと脛毛について

剣道のトーナメントがあった。
遠〜い所であったので、友人のHさんが愚息と私を乗せていってくれた。
愚息はあっさりと負けてしまったのだが、Hさんの息子のチームが優賞したので表彰式まで残っていなければならなかった・・・頑張って自分で運転して行けば良かった。
ま、こうなることはわかってたんだけど・・・

で、暇だったので駐車場で井戸端会議をしていた。
オバサン達の井戸端会議に、ティンエイジャーの男の子達がちゃんと参加するというのが面白いですな。

話題は男の子達が履いているソックスについて。
あれ、何て言うのかな?
踝のところまでしかないソックス。
あれが流行っているらしい。
オバサン達は口を揃えて「女の子みたい」と言う。
彼らは短パンを履いて長いソックスを履くのは格好悪いと言う。
が、彼らは皆ロングパンツを履いていたので、裾をまくり上げて短いソックスを見せてくれた。

見せてくれたのは良いんだけど・・・みんな毛深いんだなぁ。
あれに比べれば愚息なんて可愛いもんだしみじみ思ったのであった。
しかし、普通見せるかそんなもん?


2002年05月25日(土) 今時の若者2:留学生編

昔々、私がまだOLをやっていた頃・・・
巷には日本からの留学生が溢れていた。
彼らは親の金を使って青春を謳歌していた。
当時はまだ愚息が生まれていなかったんで、子無しの気軽さで夜外出することも多かった。
そこで友人宅に溜まっている留学生(というより遊学生)の姿を良く見かけた。
彼らはなんでもアリである。
ドラッグ、セックス、ロックンロールの世界である。
実は・・・私は酒は飲めないしドラッグはやらない。
しかもその頃すでに結婚していた。
だからそういう場所に長居はしたことがないので内部事情はわからない。
が、「わぁ〜お!」の世界であった。
個人的に話してみるとそれほどひどい子達ではなかったのだが(中には「そりゃ犯罪だ!」と言いたくなるのもいたけど)、彼らに対する非難の声も大きかった。

しかし、留学生全員がそうなのではない。
特にバブルがはじけてからの留学生は真面目派が主流になっていったようである。
その真面目な留学生さん達・・・彼らがまた凄いんだ、これが。

「ベッドで寝たことなんてないですよ。アパートに帰って机に向って・・・気が付いたら朝です。」
「アメリカに来てまで日本人同士で固まるなって言われるけど、分厚いテキストを一週間で何冊も読まなきゃいけないんだから、日本人同士協力して読まなきゃついていけませんよ。」
その勉強量たるや、日本の受験生真っ青である。
そりゃそうだろうな、外国語で勉強するんだから。
しかし、彼ら、気合が入っている。

もちろん、昔から真面目な留学生はいた。
しかし、私が彼らに出会うチャンスがなかったのだ。
日本の女子高生が全員援助交際をしているわけではないのと同じで、留学生全員が遊びまくっているわけではないのである。
ただただ、極一部の留学生の壮絶な遊びかたら目立っていただけなのだ。
何しろ、真面目な留学生達はキャンパスか図書館にしか出没しないのである。

こういう若者を見ると、日本の将来は明るいではないか!と安心してしまうのであった。
皆さん、頑張ってね!


2002年05月24日(金) 今時の若者1:帰国子女編

昔々、私がまだ学生だった頃・・・
私が行った大学はインターナショナル・スクールなるものが付属していて(付属という言葉は間違っているかもしれない。どっちがどっちに付属しているという訳ではなかったのかも?)、そこから上がってくる学生達はキャンパス内で英語でおしゃべりをしておった。
トイレなんかで楽しそうに英語でおしゃべりをしている連中を見ると「ええのぉ」と羨ましく思ったものである。
彼女達は帰国子女であった。

先輩の一人に父親が海外赴任したことがある人がいた。
母親と妹は父親についていったのだが、彼女は当時高校生だったので一人日本に残った。
妹の英語は一時帰国する度に上手くなっている。
最終的に帰国した時、妹は英語がペラペラであった。
「いいなぁ。私も行けば今ごろ英語でこんなに苦しまなくても良かったのに。」とその先輩は良く言っていた。

今でも英語が全然わからないでアメリカに来た駐在員のお子さん達は、あれよあれよという間に英語が上達していく。
それに対して母親の英語はというと・・・あっと言う間に上手くなる人もいれば、全然ダメという人もいる。
「若い子はすぐ英語が上手くなって良いわねぇ」という声をあちこちで聞く。

しかし、彼らは若いから上手くなるのだろうか?
アメリカに住んでいるから英語が上手くなるのだろうか?
確かに若い方が記憶力があるというのは事実だろう。
が、彼らは自覚のあるなしにかかわらずもの凄い苦労をしているのである。

彼らはアメリカに着いてすぐ、英語を全く知らなくても英語で勉強を教える学校へ入学するのである。
我々大人は多少なりとも英語教育を受けている。
全然しゃべれなくても聞き取れなくても、hamburgerとかeggとかcar位なら読める。

しかし、小学生高学年、あるいは中学になったばかりの全然英語を知らない子が突然英語しか使わない学校へ入るのである。
しかも、これは本人が望んだことではない。
「このチャンスを利用して外国の言葉及び文化を学ぼうではないか!」という志の高いお子さんも中にはいるだろう。
しかし、「えっ?何で私がアメリカの学校へ通わにゃならんの?」と思う子もいるのではないだろうか?

例えば・・・私はイタリア語が全然わからない。
そういう国や言語があるということは知っているが、言葉は全く知らない。
で、イタリアに行って小学校なり中学校なりに通いなさい、なんて突然言われたら、あっさりと「イヤ!」と言ってしまうであろう。
その苦労・・・考えただけでゾッとする。

そういう苦労を乗り越えて彼らは英語が堪能になって行くのである。
簡単に「アメリカにいたから英語がしゃべれるようになって良いわねぇ」なんて言えるもんじゃないと思う。
確かにチャンスには恵まれていた。
だからといって苦労がなかった訳ではない。

カルチャーショックを乗り越えて英語がペラペラになって帰っていく若者達。
しかも、日本語力は維持したままである。
つまり、同時に日本語の勉強も続けていたわけである。
何年アメリカに住んでいても英語が上達しない上に日本語力が低下している私は、心から彼らを「偉いなぁ」と思う。

帰国シーズンなのでこういうことを考えてしまった。


2002年05月23日(木) あなたは奥様を100%信頼していますか?

私のダンナは病気である。
治療に協力し、サポートするのは家族の役目である。
それを嫌だと思ったことはない。
しかし、しかし・・・
もうちょっと自分のことは自分でやっても良いのではないだろうか?
寝たきり老人ではないのである。
仕事にも行けるのである。
家事を手伝えとか子育てをしろとか言っているのではない。
そういうことは以前からやってなかったので、今更期待していない。

例えば、病院や薬局とのやり取り。
私は英語が出来ないので、言わなくてはいけないことを文章にしてから電話をかける。
書類は辞書を使って丁寧に読む。
ざっと目を通してもわからないからである。
ダンナがやれば5分で済むところを私は1時間以上かけてやるのである。
そういうのって時間の無駄じゃない?
しかも、ダンナと病院のやり取りの間に私が入っているので、これは一種の伝言ゲームである。
間違いも多い。
電話のかけ直しも多い。

さて、ダンナの食事制限は厳しい。
ナトリウム、リン、カリウムはmg単位で制限されている。
食事制限が始まった時、ダンナはそれを私に伝えただけである。
どの食品にどの位の量のナトリウム、リン、カリウムが含まれているかなど全く関心を持たない。
私にまかせっぱなしなのである。

つまり・・・ダンナの殺生与奪権は私が握っているのである。
そういうのって不安じゃないんだろうか?
私だったら、自分が生きるか死ぬかの問題は自分で把握していたいと思う。
食事が重要なら、自分で作るとまではいかなくても、献立くらいは立ててみると思う。
しかし、ダンナにはその気が全くない。
完璧に100%私を信頼しているとしか思えない。
・・・恐ろしいことをやっているという自覚はないのだろうか?

他所様のダンナさん達はどうなんだろう?
妻に殺生与奪権を与えてのほほんと暮らしているのだろうか?
う〜ん、知りたい!聞きたい!

「あなたは奥様を100%信頼していますか?」


2002年05月22日(水) 灌流液の配達

透析のための灌流液の配達が4週間に1度ある。
みかん箱くらいの大きさのダンボールが4週間分(100個ほど)配達されてくる。
配達日は月曜日、前の週に薬会社から何時ごろ配達するかお知らせがある。

100箱ほどある荷物を私が運べるはずもないので(いや出来るけどしたくない)配達員に部屋の中まで運んでもらう。
で、クローゼットの中に入れてもらうこともあれば、壁際に置いてもらうこともある。
毎回、置いてもらう場所が違う。
その支持はダンナが出す。

ダンナは各週月曜日が休みである。
(土日は毎週休み)
が、灌流液の配達がある日は必ず仕事に行く。
これまで一度も家にいたことがない。
つまり・・・私がダンナから指示を受け、それを配達員に知らせるわけである。

最初の頃、「午後12時から3時の間に配達に来ます。」という連絡を受けたことがあった。
ダンナに愚息を迎えに行く時間にひっかかってるから困ると言うと、「僕が時間を決めたわけじゃない。迎えに行けないなら他の人に頼むか、友達の家にでも行かせておけばよい。僕の知ったことじゃない。」と言われた。
で、他の人に頼んだり、友達の家に行っても良いかどうかの確認を取るのは誰なんだ?
一体、誰のせいで愚息を迎えにいけなくなったんだ?

その後、配達は午前中にして貰うようにアレンジした。
ところで、月曜日は配達の日だった。
午前8時から10時の間に来るという。
8時なら愚息を送っていっても急いで戻れば間に合うだろう。
と思っていたら、ナント7時15分に配達に来た。
私は丁度家を出ようとしていたところであった。
ダンナはまだ家にいた。
「私は○○○(愚息の名前)を学校に連れて行かなくっちゃいけないから、薬、受け取っといて」とダンナに言うと・・・
「僕、今からシャワー浴びるからダメ」

お前は一体何様だ!


2002年05月21日(火) Breakfast Club

というのをご存知だろうか?
昔、そういうタイトルの映画があった。
見た方はご存知だろう。
私は見ていないが、それが何かは知っている。
ダンナは知らなかった。
アメリカ人でも知らない人は多いのかもしれない。
そんなことを私は知っている・・・知りたくなかったけど。

さて、Breakfast Clubというのは何か?
成績の悪い子が早朝登校をしてお勉強をするクラブである。
参加は自由・・・な訳がない!
強制である。
成績が上がるまで止めさせてもらえない。

実は、愚息はこのクラブに入ったことがなかった。
愚息の友人供はみんな入っているので存在は知っていた。
それに、アメリカの学校にはBreakfast Clubの他にもDetentionというのがあって、こっちの方は愚息は度々くらっているので、クラブの連中と一緒になることがあった。

Detentionというのは何か悪いことをやった罰で学校に居残りさせられることなのだが、愚息が通っている学校は居残りの代わりに早朝登校させられる。

9年間一度もクラブに入らなかったことが奇跡なのだと思う。
もっと早く入れられていても当然だったのだろう。
でもなぁ・・・後2週間で授業が終わるというの今更入るなよなぁ。

という訳で(どういう訳だ?)愚息は今日からBreakfast Clubの会員となった。
朝6時半に登校しなければならない。
ということは6時に家を出なければならない。
ということは4時半に起きなければならない。

起きてから1時間半も何してるの?という疑問はごもっもなのであるが・・・朝食と弁当作りに1時間半もかかってしまうのである。
確かに私がトロいのではあるが、ダンナのダイエットに合わせて食事を作るのは時間がかかるのだ。
夕食はみんな同じ物を食べるが、朝と昼まで育ち盛りの愚息に病人食を食わせるわけにもいくまい。
従って、4食分を作らなければならない。
前の日に作るなどということは出来ない・・・眠いから。

愚息が停学になろうが成績が悪かろうが、私は親の義務程度(つまり全然効果がない)にしか叱らない。
成績なんて落第しない程度なら良いのだし、停学も暴力や麻薬が関係していないのなら大したことはあるまいと思っている。
が、Breakfast Clubだけは許せん。
思いっきり怒った!

愚息は私が何故こんなに怒り狂っているのか充分理解している。
私は早起きさせられることに対して怒っているのである。


2002年05月20日(月) カリフォルニアンは走らない

南カリフォルニアン、あるいはLA付近の住人だけかな?

雨が降った。
雨が降ると交通事故が起こる。
今日もちゃんと愚息を送って行く時に通る道路で車が3台事故を起して1車線通行止めにしていた。
ま、いつものことである。

愚息を送って行く時間は、他の人たちも通勤通学時間である。
学校が近い子は歩いて行く。
車の窓から歩道を眺めると、この雨の中、傘もささずにぞろぞろと子供達が歩いている。
走っている子など一人もいない。
せかせか歩いている子もいない。
いつもの朝と同じようにのんびりと雨に濡れながら歩いている。

一体コイツら何なんだ!
君達は焦るということを知らんのかね?
彼らは雨が降っても走らない。
遅刻しそうになっても走らない。
きっと親もそうなんだろう。

ところで、愚息も傘をささない。
雨が降っていてもささない。
しかも、走るどころか、いつもと同じようにのんびりと歩いていく。
雨に濡れながら・・・春雨じゃないってば!
彼は遅刻しそうになっても焦らない。
もちろん走らない。
そういえば、彼の父もそうである。

そうか・・・彼ら(愚息とダンナ)はカリフォルニアンなのだな。


2002年05月19日(日) 黒は人を好戦的にする

って本当なのかな?

愚息はアホな文が書いてあるTシャツが好きである。
先日届いたカタログをチェックして欲しいTシャツに印をつけていた。
「買ってくれ」という意味である。
流石に服は「お小遣いで買いなさい。」とは言わない。
理由は、私がチェックするからである。
私が嫌いな服は着させない。
これは当然であろう。

かといって私の好みの服を着せようというのではない。
私の許容範囲はかなり広い。
学校の先生方が眼をむいて怒るような服でもOKである。
例えば、プロレスとスケートボードは教師の敵である・・・らしい。
そういうのって偏見だと思うんだけどな。

私に関して言えば、(こういう時“私的には”って言うのだろうなぁ、今時の日本人は)Tシャツに関して言えば、暴力とセックスに関することが書いてあるのは不可。
(他には、体の線がはっきりわかるのも不可・・・アーノルド・ショワルツニガーのような体になったら可・・・ってなるわけないか)

で、話を戻して、愚息が印をつけていたTシャツのカタログを「注文するのちょっと待って」と言って取りに来た。
書いてある文だけチェックして、色まではチェックしていなかったらしい。
黒いTシャツはいらない、と言う。
黒を着ると好戦的になるので、Tシャツは白が良いと言うのだ。
最近発見したのだそうだ。
最近頓に怒りっぽくなっているので、黒は避けた方が良いことを自覚しているらしい。

ところで、今月末から行く修学旅行には傘かレインコートを持っていかなければならないという。
愚息がレインコート代わりに使っているジャケットは随分前にジーッパーが壊れている。
新しいのを買わないと、と思いつつも特に困ることがなかったので壊れたまま使っていた。
が、はやり修学旅行中に雨が降ってジッパーが止まらないと困るであろう、と思って買いに行ってきた。
愚息の好みのブランドも形も決まっているので買い物は実に簡単である。
(しかも安い。)
壊れたジャケットはグレーだったのだが、今日行くと同じ形の黒があった。
愚息は「あっ、黒だ。嬉しいなぁ。」と迷わずそれを選んだ。

おいおい、黒を着ると好戦的になるんじゃなかったんかい?
修学旅行中に好戦的になってもらっちゃ、こっちが困る。
(態度が悪い子は親が自費で迎えに来なくてはいけないことになっている・・・イーストコーストまでチケットを買って迎えに行かされてはかなわん。)

ところで、その店、”Buy One, Get One Fee”セールをやっていた。
Get one freeって言われても、他に欲しいものなどない。
が、何も貰わないで帰るのもなんなので・・・同じジャケットを貰ってきた。
予備ということにしておこう。

店員さんに、あなたも同じジャケットを買えば?と言われたが、愚息とペアルック(死語?)なんて死んでも嫌だ!


2002年05月18日(土) 授業参観日

愚息が通っている日本語学校は年に2回授業参観日がある。
過去16回の参観日には何があっても駆けつけていた。
あんな愚息であるから、せめて親が誠意を見せようという・・・ま、ポーズである。

が、中学3年になるやいなや、「安全当番」と「図書当番」が立て続けに回ってきた上、土曜日に雑用が入って本来土曜日にやるはずの仕事を完璧に無視していた。
もちろん無理やり時間を作れば行けないことはなかったのだ。
しかし、過去16回の恥を思い出すと、小心な私は体が竦んでしまう。
で、今日の授業参観日は・・・サボった。
先生方も大変だろうが、親も大変なのだよ・・・あんな息子を持つと。

私は妊娠中にナント25キロも太った。
愚息を産んですぐ、5キロ減った。
(何しろ愚息が4300gで生まれたのだから当然である。)
が、その後は全然減らず、デブのままであった。
ところが愚息が幼稚園に入るやいやな、5キロ減った。
心労のせいである。
で、小学校へ入学するとナント一気に10キロ減!
おまけに白髪がどっと増えてしまった。
・・・そういう息子なのである。

先生方から「ああいう息子さんを持つ母親の苦労は想像を越えるものがあるとは思いますが・・・」と言われること度々、凄いのになると「神様がお与えになった試練だと思って・・・さぁ、一緒に祈りましょう。」とまで言われたことがある。
もう「参観日」と聞くと登校拒否症になってしまいそうである。
で、サボった次第。

愚息を迎えに行くと、他の母親達から「どうして来なかったの?面白かったのに。」とお声がかかる。
そりゃ、あなた方は面白いでしょうよ、自分の子じゃないんだから。
極めつけは・・・「いやぁ、面白いショーを見せて貰った。」であった。
一体彼はどんなショーをやったのだろうか・・・いや、知りたくない!


2002年05月17日(金)

昨日テーブルの上を蟻が二匹歩いていたのを発見した。
バスルームの洗面台の上にも一匹。
いや〜な予感がした。
朝起きて台所へ行くと・・・蟻がお祭りをやっていた。
という訳で、今日は一日蟻と格闘していた。

殺虫剤をまけば一発でいなくなることはわかっている。
わかってはいるのだが・・・台所に殺虫剤は使いたくない。
で、片手に洗剤、片手に雑巾、で蟻と格闘するのである。
洗剤を吹きかけて雑巾で拭き取るのだが、か弱い蟻の中には根性があるやつがいて、私の手に噛み付いて離れないヤツがいる。

蟻に噛みつかれるとチクリとする。
痛〜いというほどではないのだが不愉快だ。
が、指でエイッとはじいても飛んでいかなかったりすると、敵ながらあっぱれ、と思ってしまう。

そう言えば最近ネズミを見なくなった。
以前買ってきたネズミ捕りには埃がたまりつつある。
もちろんネズミがいなくなった訳ではない。
暖かくなったので外へ引越ししたのだと思う。
2,3日前には庭を走っているのを見かけた。
流石に庭にはネズミ捕りを置かない。
我が家の駄犬が引っかかること確実だからである。

蟻も外にいる分には気にならないのだけど。
というのは私だけ。
犬のエサに蟻がたかって迷惑をするのは我が家の駄犬とエサ用のボールを洗わなければならない愚息である。

そう言えば、先日愚息が庭に殺虫剤をまいていたっけ。
あれが蟻総攻撃の前兆だったのだなぁ。


2002年05月16日(木) 突然ダンナが・・・

「ラスベガスへ行こう!」と言い出した。
5月30日から10日間、愚息が修学旅行へ行くので、その間2泊3日くらいで行こうというのだ。
「母の日」の家族パーティにも参加できなかったし、「父の日」にも参加できないだろうから、プレゼント代わりに両親をラスベガスへ連れて行きたいそうだ。
(ダンナの母はラスベガスが大好きなのだ。)

しかししかし・・・家族パーティに参加しなかったのはダンナの都合なのである。
何しろ食事制限が厳しいのでパーティへ行っても食べる物がない。
しかも透析時間と食事時間が決まっているので、出かけてものんびりできない。
ダンナ1人をほって行くわけにはいかないので我が家は全員「欠席」。
それに対して文句があるわけではない。
病気なんだから仕方あるまい。
家族が支えるのは当然である。

しかし、そういうダンナがなんでラスベガスなんかに行けるんだ!
泊りがけで旅行なんかに行けるんだ!

でもまぁ、医者に言わせれば何でもできるそうなのである。
医者は「旅行は気晴らしになるので大いに結構」と言う。
家からラスベガスまでは車で4、5時間。
透析を済ませて出かければ充分次の透析時間までにはホテルに入れる。
車だから透析セットも積んでいける。
だから不可能ではない。

が、一体誰が旅行の準備をするんだい?
誰がホテルに予約を入れるんだい?
誰が食事の心配をするんだい?
ダンナとダンナの両親・・・私は完全に旅行社の添乗員になるのはわかりきったことである。

この能天気さは一体何なんだ?


2002年05月15日(水) 春のち夏、ところによっては冬になるでしょう。

という天気だった。
「曇りのち晴れ」とはちょっと違う。
「曇りのち晴れ」といえば、1年の内の3/4は「曇りのち晴れ」なのである。
ここ南カリフォルニアでは真夏でも午前中はどんよりとした日が多い。
早朝から青空が見えていると・・・その日はもうメチャクチャに暑くなる。
40度を越えることになる。
まるで砂漠である・・・って砂漠だけど。

という訳で、やっと夏になったのに今日はまた春に戻ってしまった。
もともとは砂漠であるから夜は冷える。
春でも夜は寒い。

が、夏になったのだから、と冬物の掛け布団を洗濯してしまった。
毛布も洗った。
しかし、考えてみれば掛け布団を「洗濯してしまった」というのもすごいな。
洗濯機で洗って乾燥機で乾かすのである・・・便利だ。
で、布団袋に入れてクローゼットの棚の一番上に仕舞いこんだ。

といっても日本のように衣替えというものがあるわけではないので、簡単に出せるところにある。
クローゼットに入ればどこにあるかは一目でわかる。
が・・・一旦片付けたものは出したくないよなぁ。

夜、ダンナが寒いと言う。
「暖房つけようか?」
5月に暖房とは何事か!
寒ければ着ればよいのである!
ショートパンツにTシャツで暖房をつけたがる・・・カリフォルニアンだ!


2002年05月14日(火) 今日も夏だった

愚息が5月30日から10日間修学旅行へ行く。
ワシントンDCとニューヨークへである。
毎年泊まっていたホテルは911で崩壊してしまったので(世界貿易センターの中にあったのだ)今年は聞いたこともないようなホテルに泊まるらしい。

今日、学校で説明会があった。
話題の中心は、子供が旅行中にどうやって連絡を取るかであった。
オプションは以下の3っつ。

1. 子供にテレフォンカードを持たせておいて、時間を決めて電話をさせる。
2. ルームメイトの親と連絡を取り合って、交替で夜9時から9時半の間に部屋に電話を入れる。電話をした親がルームメイトの親に連絡する。
3. 携帯電話を持たせる。その場合日中は電話を先生に預けることになる。夜も前もって届けてある番号以外には電話をしてはいけない。時々抜き打ち検査をしてどこにかけたか調べる。

おいおい、たった10日間の旅行で何故子供と連絡しなければならないんじゃ?
何かあったら、こっちが嫌でも学校側から連絡があるだろう。
こちらに緊急事態が発生したら、先生に連絡すればよい。
何で修学旅行中の子供と毎日話さなければならんのだ?
と疑問に思ったが、ま、人それぞれ。
そういう親もいるのであろう。

集合場所はLAX。
集合時間は、ナント午前4時半。
え〜っ、そんなに早く空港へ連れて行かないといけないの?
スクールバスを借りてみんな一緒に連れて行ってくれれば良いのに・・・
ニューヨークのど真ん中のホテルに泊まるかと思えば、スクールバス一台借り渋る。
貧乏なのか金持ちなのかわからん学校である。

解散もLAX。
家を出る前に空港に電話をして、飛行機が時間どおりに着くかどうか確認すること、とのことである。
遅れるのは構わないが、たま〜に早く着くことがあるのだ。
到着した時に親の顔が見れなかった子供が可哀相だ・・・そうだ。
以前、親が迎えに来てなくて泣いてしまった男の子がいたという。
おもわず“Wimp”と呟いてたつもりが、持ち前の声の大きさで・・・校長先生に睨まれてしまった。
しかしなぁ・・・迎えが遅れたくらいで14にもなった男の子が泣くなよなぁ。

あっ、タイトルと全然関係なかったっけ。


2002年05月13日(月) 突然夏!

昨日、突然夏がやって来た。
今年は全然暑くならないなぁ、と思っていた矢先のことだった。
ここ南カリフォルニアでは4月のイースター・バケーション頃にプール開きをする。
プール開きといってもただその頃になるとプールに入れるくらい暖かくなるというだけの話だが・・・水は1年中入れっぱなしである。
しかし今年のイースターはとてもじゃないがプールに入れるような気温ではなかった。
そのまま4月が終わり5月に入り・・・おいおい、こんなに寒くて大丈夫かい?と心配していたほどであった。
5月に入ってもジーンズにトレーナーなんで格好をしていたのである。
例年なら暑くてそんな格好はできない。

それが突然夏!
この突然っていうのがなぁ・・・このまま夏に突入するのだろうか?
それともまた涼しくなるのかな?

ところで、昨日の母の日はダンナのリクエスト通りにオープンして間もない電気屋さんへ行ってきた。
ダンナの狙いはもちろんDVDプレーヤー。
しかし、その店よりも近所のディスカウントストアの方が安いということを発見。
結局買わないで帰ってきた。
が、せっかく来たのに・・・ということで、長年欲しかったオーブントースターを買ってきた。
わ〜い、わ〜い、嬉しいな。
これでトーストが食べられる。
(今まで持ってなかったのかよ、って突っ込まないように)

愚息は予約を入れておいたゲームソフトを手に入れたので映画には行かなかった。
そもそも母の日に一緒に映画に行く友人などいなかったであろう。

おまけ
母の日の思い出パート2:
愚息が日本語学校の2年生の時、母の日のプレゼントに「お手伝い券」というのを作ってきた。
最初から「  券」と書かれたチケットの空白に「肩たたき」とか「皿洗い」とかを自分で書き込むヤツだ。
今でもやってるんだなぁ。

私が愚息から貰った「お手伝い券」には・・・
「はどう券」と「しょうりゅう券」と書いてあった。
字が違うだろうが、字が!

当時流行っていたゲームを偲ばせるそのチケットは今でも取ってある。
しかし、母親にそんな技かけてどうするんだ?
(できないだろうけど)


2002年05月12日(日) 母の日の思い出

もうすでにホームページに書いたような気がしないでもないのだが・・・
毎年『母の日』になると愚息に聞かせる話がある。
思い出話ではあるのだが、私が子供の頃の話ではない。
愚息にまつわる母の日の思い出である。

愚息が幼稚園に通っていた頃のこと。
愚息はとにかく座って何かをやるということが苦手だった。
黙ってじっと座っていられるのは食事の時とビデオゲームをやっている時だけだった・・・って全然今と変わっとらんな。
苦手なだけなら良いのだが、我慢の無い子だったので、嫌いなことはしなかった。
という訳で、お絵かきだの図工だの、作品を作ってきたことがなかった。
迎えに行くと、他所のお子様達は自分が作った作品を手に嬉しそうに親の元へ駆けていく。

“Look what I made today.”
“Wow, that’s great!”
“I made this for you!”
“Thank you. I’m very proud of you”

こういう会話がやってみたかったなぁ。

さて、母の日の前の金曜日、愚息の幼稚園ではプレゼント用のクッキーを作ったそうである。
愚息を迎えに行くと先生から「いつもは何にもしないで外で走り回ってるだけなのに、今日は自分から作るって言ったんですよ。とっても良い子に皆と一緒にクッキーを作りました。」と言われた。
“Wow! I’m very proud of you!”の世界だ!
で、愚息はどこ?
「あれ、さっきまでいたんだけど・・・」と先生。

やっと探し当てた愚息は、教室できちんとテーブルに座って焼きたてのクッキーをお行儀良く食べていたのであった。

Happy Mother’s Day!


2002年05月11日(土) Ocean’s Eleven

先日ビデオの整理をして、タイトルをアルファベット順に並べた。
「さぁ、これからAから順に片っ端からビデオを見るぞ!」
と思って、最初の『The Abyss』を見たのだが、そっから先が続かなかった。
テレビの前に1時間以上続けて座っている時間が取れない。

週末、夕食を食べながらダンナと愚息はビデオを見る。
彼らは特に何が見たいということはないようなので、私が「これ見よう」と言えば大抵意見は受け入れられる。
が、彼らは私が何か言う前に既に見始めている。

という訳で、今日も『Air Force One』を見ることができなかった。
2人は『Ocean’s Eleven』を既にデッキに入れていたのであった。

面白かったので、ついつい最後まで見てしまった。
これってリメイクなんだそうだ。
オリジナルもちょっと見てみたいな。
(最近、George Clooney頑張ってますな。
そう言えば、『Ocean’s Eleven』の隣にある『O Brother, Where are Thou?』もGeorge Clooneyではないか。)

こういう愉快な映画(『Ocean’s Eleven』のこと)は大好きだ。
本と同じく、私はエンターテイメント系しか見ない。
(要するに、難しいのはダメなのである・・・頭、使いたくない・・・いや、使う頭がない。)

昔見た『スティング』を思い出してしまった。
ポール・ニューマンとロバート・レッドフォーフォード・・・このコンビ、懐かしいなぁ。
思い出すと見たくなるのは当然で、えっと、スティング、スティング・・・あれ?無い!
なぜじゃ!
あの名作が何故家にはないんじゃ!
『明日に向って撃て!』はちゃんとあるのにぃ・・・
これで我慢しよう、という訳にはいかない。
『Ocean’s Eleven』の後は『スティング』じゃないとイヤだ。
と1人ブツブツ言いながらベッドに向うのであった。
ダンナと愚息はその後何か見てたみたいだ。

それにしても、我が家には名作というのはほとんどないのだなぁ。(しみじみ)


2002年05月10日(金) Lutheran Athletic League

愚息が通っている学校はLutheranである。
実は私はLutheranというのがルター派の教会だということを知らなかった。
宗教革命のルターは中学(高校だっけ?)で習ったから知っていたが、それがあのLutherと同一人物だということに気が付かなかったのである。
英語と日本語とではかくも発音が違うのだなぁ・・・って気づかない方が変?

で、今日はLutheran Athletic Leagueの陸上大会だった。
会場はとあるLutheran中学。
今シーズン行なわれた南カリフォルニア中学生陸上大会やクリスチャン・スクール陸上大会に比べると随分と規模が小さい。
だからという訳ではないが、愚息はナント走り幅跳びに出場したという。

愚母「走り幅跳び、どうだった?」
愚息「おう、受けたぜ!」
愚母「?」
愚息「僕みたいな体型の子が走り幅跳びなんて出るわけないから、応援が凄かった。他の学校の生徒まで見に来てた。」
愚母「体型だけで受けたの?」
愚息「いや、助走のコースが長すぎて全部全速力で走ったら飛ぶ前に疲れるから、2/3くらいまで歩いて、そこからよっこいしょっという感じて走り出したんだけど・・・歩いてる間に『走れ!走れ〜!』って応援が凄かった。」

おいおい、それは応援かい?

愚母「で、結果は?」
愚息「僕が走り幅跳びで勝てると思う?」
愚母「全然思わない。」
愚息「受ければ良いんだよ、あんなもん。」

さて、愚息のメイン・イベントである砲丸投げは・・・
彼は、彼の前に投げる子達が次々に彼の記録より遠くへ投げるので、自分の番が回ってくるまで内心凄く焦ったそうだ。
「ま、まずい!なんでそうなるんだ?」と冷や汗ものだったそうである。

で、自分の番になった球を持ってみると・・・「あれ?軽い」
ナント、中学生用の軽い球を使っていたのだ。
当然、今回も優勝。

全国大会の出場資格が取れる記録を持っているのだが・・・愚息の学校は全国大会へは出場申請をしないのであった。
ま、仕方ないよ、軟弱学校なんだから。

愚息の名誉のために一言・・・100m走は2位だった。
彼はデブ過ぎて走れない、という訳ではない。
走るのが嫌いなだけである・・・デブだから。


2002年05月09日(木) ホームページについて

おこがましくも自分のホームページを開設してから1年近く経つ。
最近全然更新していない・・・困ったもんだ。
書くことがなくなったわけではない。
もともと『書くこと』というほどのことはなかったのだから、ホームページを開設すること自体が間違いだったのだが、これはこれで実は私にとっては正当な理由があったのである。
えっ?それは何だって?
・・・とてもじゃないが恥かしくて言えない。

さて、ネタ切れでもないのに何故更新しないのか?
時間がないんだよなぁ、これが。
最近、インターネットに繋げない日々が続いているのである。
毎日毎日ホームページを更新している人達って一体どういう生活を送っているのだろう、と感心してしまう。
特に子育てをしながら働く主婦の皆様・・・爪の垢を送って欲しいほどである。

私ってどうしてこう要領が悪いんだろう?
どうして物事をテキパキと片付けられないんだろう。
・・・頭悪いのかな?
性格のせいかな?
体力がないからかな?
う〜ん、歳かなぁ?

と、今日の日記は愚痴と気長にホームページに付き合って下さっているお友達に対する言い訳でありました。
(ネタがない訳ではない・・・って本当かいな?)

こんな日記やホームページに付き合って下さって・・・心から感謝してます。
三日坊主の私がぼちぼちとはいえ1年近くもホームページを続けてこられたのは、あなたのおかげです!
どうもありがとう!


2002年05月08日(水) 本を読む

本を読むのが好きだ。
読書家ではないし、人様に言えるほどの感想もない。
「あ〜面白かった。」で終わりである。
文学は読まない。
ノンフィクションもほとんど読まない。
もっぱら娯楽小説である。
それも出きれば長〜いのが良い。

実は私のホームページの下〜の方に『読書記録』というコーナーがある。
去年、家中の本を整理するぞ!という覚悟で、処分本と取っておく本を選り分けるために家にある本の再読(初めて読むのもあったりして)し始めて、処分した本のタイトルだけでも書き留めるつもりで始めたのだが、途中でプッツリと終わっている。
(タイトルしか書いてないので、他人が見ても全然面白くないページである。)

この空白の間、本を読んでいなかったわけではない。
何しろ人様から戴いた本ばかりなので、私の好きな作家の本ではない。
どんな本を読んでもそれなりに面白いのだが、これを続けていると好きな作家の好きな本が無性に再読したくなってしまう。
という訳で、本の整理はしばらくお休みにして、愛読書の再読をしていたのである。

ま、それだけじゃありませんけどね・・・どうせホームページの隅っこにひっそりと置いてある自分だけのためのページなので、更新しなくても問題はあるまい・・・などと勝手な理由をつけていただけ。
その内ここも更新する予定だ。

さて、最近再読した本・・・
有栖川有栖さんの『月光ゲーム』『孤島パズル』『双頭の悪魔』の3部作。
江神探偵シリーズは5部作だったはずだけど・・・後の2部はもう出てるのかなぁ・・・自分で調べもせずに古〜い本を本棚から引っ張り出して来て読んだのでありました。

もうこれ何回位読み返したのかな?
でもやっぱり面白い。
小学生の頃、ポプラ社の少年探偵団シリーズ、怪盗ルパンに名探偵ホームズで始まり、徐々に創元推理文庫へ移行していった、という私と同じ世代の作者のせいかな?
心当たりあるでしょう?>同世代の方々

・・・というような本だけが並んだ本棚を1個持っている。
こういうのってかなり幸せかもしれない。


2002年05月07日(火) 反抗期

30年前、私は反抗期の真っ只中にいた・・・はずである。
はずではあるのだが、余り記憶がない。
人並みに反抗期はあった・・・と思う。
具体的に何かに対してではなく、なんとなく腹を立てていた気がする。
やたら感情的だった気がする。
こういうことって忘れてしまうもんなんだなぁ。

現在、愚息が反抗期の真っ只中にいる。
傍から見ているとよ〜くわかる。
しかし、「反抗期なんだから仕方ない。いつかは落ち着くだろうし・・・」なんて言ってる場合ではない。
ここは一つ正面から立ち向かうしかあるまい。

私に対しての反抗ならいくらでも受けて立つ覚悟はできているのだが、他でやられると困る。
が、愚息には私の覚悟がひしひしと伝わるらしくて、私に対しては手におえないほどの反抗はしない。
時々、所謂『キレル』あるいは『マジギレ』というヤツなのであろうか、所構わず怒鳴り出すことがある。
こういう時は、負けずに怒鳴り返すことにしている。
その内、警察呼ばれるだろうなぁと思いつつ・・・その時はその時である。

学校の教師と上手くいかない。
これは今に始まったことではないのだが、最近だんだん自分が押さえられなくなっているらしい。
(これまでにも爆発したことは何度かあるのだが・・・で、停学の経験あり。)
愚息の話を聞くと、彼の言い分にも一理あると思う(親馬鹿かな?)。
思うのではあるのだが、教師の気持ちもわからないではない。

もうすぐ修学旅行である。
引率は愚息が最も嫌っている教師である。
(最も好きな教師も行くけど。)
「修学旅行中にキレずに我慢できるかどうかわからない。」と愚息は言う。
・・・困ったな。


2002年05月06日(月) ダンナの一日

ダンナは自宅で人工透析をやって生きている。
(って書くとまるで人工透析が彼の仕事のように聞こえるな。)
平日は透析をやって仕事へ行き、職場で一回やって4時には家に帰ってきてまた一回、寝る前にもう一回、という風にやっている。
(って書くともしかして、これが彼の仕事かもしれないという気になってくる。)

人工透析を始めると具合が良くなるはずだったのだが、全然良くならない。
検査によると、血圧もコレステロールも塩分も、その他諸々全て完璧値だそうだ。
だから何故疲れやすいのかわからない、と医者は言う。
が、本人はいつも身体がだるいと言う。

そんな調子なので、時々(というか頻繁に)仕事を休む。
病気だから仕方ないとはいえ、あれだけ仕事に行かないで給料が貰えるというのは実に有難い話である。
いつまで続くのかな?

仕事に行かない日のダンナの一日。
朝、起きる→透析をする→朝ご飯を食べる→寝る→昼前に起きる→透析をする→ひるご飯を食べる→テレビをつけてその前で寝る→夕方起きる→透析をする→夕食を食べる→テレビをつけてその前で寝る→10時頃起きる→透析をする→寝る。

これが仕事に行く日はと言うと。
朝、起きる→透析をする→朝ご飯を持って仕事にでかける→職場で何をしているのか私は知らない・・・仕事を広げて寝てるのかな?→4時ごろ家に帰って来る→透析をする→夕食を食べる→テレビをつけてその前で寝る→10時頃起きる→透析をする→寝る。

本人が一番嫌なんだろうけど・・・見てる方だってたまりませんぜ。
こんなに寝てて、身体が動かなくなるのではないか、と心配になったりもする。
健康で若い(?)私ですら一日歩かないと身体が重く感じるのだ。
しかしまぁ、起きてて私の仕事の邪魔をされるよりは良かろう。

それにしても、たま〜に、ほんのたま〜になのだが、不安になるのはどこからも請求書が来ないということである。
突然どっと来たら・・・夜逃げかな?


2002年05月05日(日) 子供の日

今日は『子供の日』だということに夕方になってやっと気がついた。
気がついたところで特に何をするわけでもないのだが・・・ああ、そうか、今日は子供の日なんだなぁ、と思っただけである。

愚息が小さな頃は新聞紙で兜を折ってそれをかぶせて写真を写したり、ミニ鯉のぼりを飾ったりして、それなりになにかちょっとしたお祝いをしたものだが、今では誕生日に身長を測るのすら忘れるほどである。
(いやぁ、成長したもんだ・・・誰が?・・・私が)
両親に貰った鎧兜の飾りは、数年前にガラスケースを特注して以来、一年中飾りっぱなしである。
(ちゃんと片付けないとお婿にいけなくなるということもあるまい。)

今年はたまたま日曜日だったので休みだったのであって、当然アメリカでは祭日ではない。
愚息だって『子供の日』なるものの存在すら覚えていまい。
昼近くに起き出して、さっさと友人達と映画に行ってしまった。

ここカリフォルニアでは、5月5日といえば『シンコ・デ・マイヨ』である。
メキシコの独立記念日。
もちろんこれも国の祭日ではない。

が、あちこちでパーティが催される。
フリーウェイの側にある公園では毎年盛大なパーティが行なわれる(らしい)。
そのため、その公園があるフリーウェイの出口付近はものすごい渋滞である。
今年は・・・とある公園で行なわれていたパーティに車で突っ込んで来て、死亡者が4、5人出たということた。
(詳しいことは不明・・・わかったらお知らせします・・・って興味ないかな?・・・誰に話しとるんじゃ?)

我が家では・・・
「柱の傷は一昨年の〜」どころではない。
柱の傷は一体何年前のものなのだろうか?

愚息が帰ってきたら、久しぶりに身長を測ってみようかな?


2002年05月04日(土) 規則が守れない

あ〜あ、また叱られた。
もう嫌になってしまう。
愚息を迎えに行ったら「先生が呼んでるよぉ!」
今度は何やった!

愚息は規則が守れないのである。
(これって何とか言う病名があったな・・・コイツ、もしかして病気?)
しかしなぁ・・・一緒に叱られた母親の視線が・・・
「あんたの息子がそそのかしてるんでしょう!」と言いたいのが痛いようによくわかる。
ああいうのを『白い眼』というのだな。

家の息子のせいかなぁ・・・そうだろうなぁ・・・他の子は1人ではやらないけど、家のは1人でもやるもんなぁ。
でも、それって自主性がないんでないの?

問題を起こす度に母子で長〜い長〜い話し合いが持たれる。
何故こういう規則ができたのか?
何のための規則なのか?
この規則は間違っていると思うか?
この規則は守らなくても良いと思うか?

で、また復習!
愚息はちゃんとわかっているようなのである。
上記の質問をすると、すらすらと答えが帰って来る。

「君、心からそう思ってる?」
「うん、思ってる。」
「反復学習したことを言ってるだけじゃないの?」
「違う。」
「じゃ、なんで守れないの!」
しばらく間があってから愚息がボソッと一言
「なんでなんだろうなぁ?」

人はこれを反抗期を呼ぶ。


2002年05月03日(金) 反比例

ここ数ヶ月におけるダンナの機嫌と私の機嫌。

私は料理が嫌いだ。
自分で料理をしなくても良いなら、食事をしなくても良い!というくらい嫌いだ。
しかし、生きていくためには食べなければならない。
という訳で、できるだけ手抜きしつつもこれまで何とか食いつないできた。

ダンナの腎臓がダメになる前だって、塩分やコレステロール、カロリー、食べてはいけない食品等等、色んな制限があったので外食はほとんど出来なかったとは言え、制限はそれほど厳しいものではなかった。
だからこそやってこれたのだ。

が、透析を始めてから制限が非常に厳しくなった。
塩分、リン、カリウムをミリグラム単位で測らなければならなくなったのである。
(塩分一日2gっつうたら大変ですよ、これ)
もちろん、外食は一切できない。
外食だと食品成分が正確にわからないからである。
これまで気をつけるといっても大雑把にやってきた私にとってこれは辛い。
辛いだけなら良いのだが、何しろ計算に時間がかかる。
買い物にも時間がかかる。

食事の準備に時間を取られると、他のことが出来なくなる。
しかも、洗濯は消毒するものと普通のものとに分けなければならないので、これまた時間がかかる。
掃除も「埃で死んだいない」などと嘯いていたが、「埃で死ぬかもしれない」となるとささっと、というわけにはいかなくなる。

家事にばかり時間をかけていると、仕事や愚息のイベントに付き合う時間がなくなる。
しかし、仕事や子育てに関しては「時間がなくなっちゃったぁ」では済まない。
いや、済むのかもしれないが済ませたくない。

という訳で、ここ数ヶ月私の機嫌は悪くなる一方である。
反対に、ダンナの機嫌は日に日に良くなっていく。
体調は全然良くならないっていつも文句言ってるくせに・・・なんでだろうなぁ?


2002年05月02日(木) SHREK

『SHREK』というビデオを見た。
去年のクリスマスに近所の子供にプレゼントしたビデオをダンナが借りてきたのである。

私は子供向けの映画というものはほどんど見ない。
子供向けの映画というもほは子供向けに作られているのであって、大人が見てもそれほど面白いものはない、というのが私の考えである。
(名作は大人が見ても面白い、という意見はあるだろうけど、ま、好みの問題ね。)
愚息が小さな頃(3歳頃まで)は一緒に子供向けの映画も見たが、彼は4歳になる頃から子供向けの映画に興味を失ってしまったため、全く見る機会がなくなってしまった。
(1歳前にスター・ウォーズやスター・トレック見せて育てちゃいましたから・・・私のせいかい?)

で、『SHREK』である。
全然期待していなかったせいもあるだろうが・・・面白かった!
久々に面白い映画を見た、と言っても良いくらい面白かった。

愚息と一緒に「ひど〜い!」「残酷過ぎる!」「冷た〜い」などと言いながらゲタゲタ笑わせてもらった。
一番笑ったシーンは・・・
SHREKとお姫様が一緒に歩いていて、SHREKがカエルを膨らませて風船を作りお姫様にプレゼントすると、お礼にお姫様がヘビを膨らませた上、それを犬の形にして縛り、SHREKにあげる、という非常に残酷なシーンである。
笑っちゃいけないよねぇ。
でも、おかしい。
他にも、つい笑ってしまうさりげなく残酷なシーンがたくさんあってとても楽しい。

なんといっても、人気の秘訣はお姫様の逞しさであろう。
でも、もう、本当にもう、お姫様お姫様したお姫様っていうのは受けないんだろうなぁ。
それもちょっと淋しい気もする。

愚息も、どうやら「守ってあげたい」お姫様タイプよりSHREKに出てくる逞しい女性の方が断然好みのようである。
最も、彼のお気に入りはドンキーのようであるが。
声がエディ・マーフィーだからかな?


2002年05月01日(水) 医者と銃

アメリカには70万人の医者がいます。
医療過誤で死ぬ患者は、1年間に約12万人。
毎年、医者1人につき、約0.171人殺しているということになります。

アメリカで銃を保持している人の数はおよそ8千万人です。
銃の事故で死亡する人(子供を含む)は一年間で約12万人。
銃一丁につき、約0.0000188人が死亡していることになります。

統計によると、医者の方が銃よりも9千倍危ないということです。
現実は、全ての人が銃を持っているわけではありません。
でも、ほとんど全ての人に主治医がいます。
この危険な事実を友人達に警告して下さい。
状況が私たちの手に負えないほど悪化する前に、医者を禁止しましょう。

・・・というチェーン・メールを受け取った。

確かに我が家には銃はない。
が、主治医はいる。
しかし、医者を禁止されても困るのだが・・・

アメリカにおける医療過誤の多さは今に始まったことではない。
昔から問題にされていた。
が、一向に改善されない。
絶対医者にはかからない、という年配の知人もいる。

豊尻(?)用シリコンを豊胸手術に使ってしまった(逆だったかな?)というような笑ってはいけないがついつい笑ってしまいそうなミスのニュースならしょっちゅうテレビでやっている。
しかし、医療過誤で誰かが死亡したというニュースはほとんど聞かない。
だからといってそういうことが起こっていないのではなく、そういうニュースは報道されないことになっているのである。
報道どころか、患者にも知らされていないケースもあるのかもしれない。

ん?もしかして、これって日本も同じ?


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