DOTFAMILYの平和な日々
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2002年04月30日(火) |
この世のものとは思えない |
我が家は愚息が生まれる前から薄味である。 ダンナの健康のためである。 だから愚息は薄味で育っている。 冷奴にも醤油をかけない(だしをかける) お刺身やお寿司ですら醤油なしで食べる。
しかし、ダンナが人工透析を始めて以来、ますます薄味に磨きがかかってきた。 ここで塩を少々、というところを全部飛ばすのである。 そういうものを毎日食べていると、こちらの方が参ってしまう。 最近、とみに(私の)機嫌が悪いのはきっとそのせいであろう。 じゃ、ダンナのだけ別に作れって? ヤダ、めんどくさい。
が、昨日、ついに我慢できなくなって・・・肉だけ別に焼いてしまった。 塩をたっぷり振りかけて、バターをたっぷりつかって、じゅぅぅぅ〜っと。 それを一口食べた愚息が・・・
「おおお!うめぇ! とてもこの世のものとは思えない!」
・・・育ち盛りというのに、気の毒な食生活を送っている愚息である。 (でもさ、あなたデブなんだから、やっぱり塩分は控えた方がよろしくってよ!)
2002年04月29日(月) |
Stupid Asian Driver |
はい、私のことですだ。
今日は午後からクリスチャン系中学の陸上大会があったので、例によって例の如く運転手を務めた。 先日の南カリフォルニア中学陸上大会と違って、参加選手の数はぐっと少ない。 が、午後2時から開始だったので、終わったのは6時近かった。 帰りは子供達を学校まで送り届ければ良いことになっているのだが、私が連れて帰ることになった子が2人とも家まで送ってくれと言う。 え〜っ、家まで行くのぉ? この交通渋滞の中、あのフリーウェイを走れって? ・・・ふむ。
ま、断っても良かったんだけどね。 2人とも愚息の友人である。 しかも、1人は両親と一緒に住んでいないし、もう1人は両親が離婚していて平日は母の家、週末は父の家という忙しい生活をしている子である。 だからって彼らが特に可哀相だとは思わない。 こういうのに一々同情していたらやってらんない。
が、多分学校に着いたら電話で誰か迎えに来てくれる人を捜して、見つかったら迎えに来てもらうまで待つんだろうな、疲れてるのに大変だな、迎えに来てくれる人が見つからなかったらどうするんだろうな、などとついつい考えてしまうのもメンドウだから、送って行くことにした。
1人は家の近くだから良い。 問題はもう1人である。 彼の父親の家には何度か行ったことがあるのだが、母親の家に行くのは始めてである。 これが・・・フリーウェイを降りてからが長かった。 くねくねと曲がる道を行くのである。 帰り、大丈夫かな?
と思っていたら、案の定、迷った。 いや、フリーウェイの入り口までは問題なく戻れたのだが、フリーウェイの入り口の方向を誤った。 私は片道3車線の道の一番左側にいた。 入り口は一番右側からしか入れない。
ここは当然一度左折して戻るべきであろう。 が、時間は遅い、フリーウェイは混んでいる。 はやく帰ってダンナに飯を食わせねば、ダンナが弱って死んでしまう。 (時間どおりに食わせないといけないのである。) ええい!入ってしまえ!
“Stupid Asian Driver!” と呟いたのは愚息であった。 もちろん私のことである。 後ろから来てた人の代弁をしてくれたのね。 ごめん! 悪かったよ!
ところで、愚息は今回も砲丸投げで一位を戴いた。 ま、軟弱クリスチャン系の大会だからね・・・当然だろうな。
2002年04月28日(日) |
老眼鏡無しで文字を読む方法 |
最近、字が読みにくくなった。 特に夜は読みにくい。 これは・・・老眼としか思えない。 40も半ばになると老眼鏡をかけても良いのではないか?と思うのだが、無しでも暮らしていけているのでついつい眼鏡屋さんに行くのを先延ばしにしている。
という話を友人としていたら・・・ 眼鏡を外して見てみたら、と言われた。 よけい見えなくなるような気がするんだけどなぁ、と思ったが物は試し。
見える! 見えるではないか! ・・・うゎ〜、感動!
これで当分老眼鏡を購入する必要はあるまい。 でも、これってもしかして常識だったの?
Sさんは私のホームページに登場するYSさんやその家族ではありません。
愚息は日本語学校の中学3年生だ。 創立以来出来が悪い子ではないかと思うのだが、本人は平気で通っている。 小学校に入学した時は、まさか中3まで行けるとは思っていなかった。 もうすぐ小学校を卒業する時、「最後まで良く頑張ったね。ご苦労様でした。」と言うと、「僕、中学校に行く。」と言う。 あれほど嫌がっていた日本語学校なのに、後3年も行くんかい? そりゃ、私は嬉しかった(ようなめんどくさいような・・・)けどさ。
先輩のSさんに励まされたそうなのである。 Sさん「もうすぐ中学生だね。」 愚息「僕、小学校までで止めようと思ってるんです。」 Sさん「えっ?最後までやれよ。」 愚息「でも、勉強嫌いだし、宿題大変だし。」 Sさん「俺だって勉強嫌いだよ。宿題だって嫌だったよ。でも最後まで行ったんだぜ。お前も最後まで頑張れ。途中で止めるんじゃないぞ。最期までやったら絶対良いことあるからな!」
その後、 「宿題なんか全部やらなくっても、勉強なんかわからなくっても気にするな!」 というありがた〜いお言葉が続いたそうである。 ・・・という訳で、愚息は中学に進学したのであった。 愚息は最後のアドバイスのみきちんと覚えて従っている。
愚息は剣道が下手だ。 いつまでやっても上手くならない。 が、たま〜に、間違って(?)試合に勝ってくることがある。 (といっても優賞までは行かないが) ある試合の後のこと・・・
愚母「今日はがんばったね。」 愚息「うん、Sさんがアドバイスしてくれたんだ。」 愚母「なんて言われたの?」 愚息「うん、竹刀を真っ直ぐ持って、真っ直ぐ振るようにって」 愚母「ふ〜ん、それって・・・アドバイスになってる?」 愚息「うん・・・多分・・・なった。」
アドバイスの内容の問題ではない。 要するに、先輩のSさんに励まして頂いたのである。
こんな風に、日本語学校と剣道(道場は違うけど)は良く出来の悪い愚息に声をかけてくれた。 Sさん本人はアドバイスをしようとか励ましてあげようとか言う気持ちではなかったのだと思う。 何気なく言ってくれるからこそ、愚息の励みになったのだと思う。 いや、愚息は励みになったという自覚すらないのかもしれない。 でも、Sさんの話をする愚息はいつも嬉しそうだった。 ああいう先輩に出会えたということは、愚息にとっては宝物なんだと思う。
一度本人にお礼が言いたかった。 けれど、Sさんの周りにはいつも友人や後輩達が集まっていた。 皆からてい慕われていたのだから当然である。 だからおばさんはおとなしく引っ込んでいた。 Sさんだって、私からお礼を言われても何のことか全くわからなかっただろうな。
今日はSさんのお葬式だった。 彼はまだ、19歳だった。 Sさん、これまでどうもありがとうございました。 これからも、愚息達後輩を見守ってやって下さい。
愚息はレタスのことをサラダと言う。 何度も何度も訂正したおかげで、最近になってやっとサラダ=レタスではないということがわかったらしいのだが、それでも時々間違える。 幼い頃の思い込みというものは恐ろしいものである。
でもさぁ・・・まるで我が家のサラダにはレタスしか入ってないように聞こえるじゃないか! ・・・入ってないか。
そう言えば、我が家ではカリフラワーをめったに食べない。 カリフラワーを買おうとする度に、ついつい隣にあるブロッコフラワーだっけ?カリッコリーだっけ?あの、緑のカリフラワーを買ってしまうのだ。 淡色野菜だって必要だということはわかっている。 わかってはいるのだが・・・どうしても緑黄野菜の方が偉い気がしてしまうのである。
ダンナの実家で初めてカリフラワーを見た愚息は、 「あ、このブロッコリー、色つけるの忘れてる!」と叫んだのであった。 (昔の話ですよ、昔の)
しかし、我が家の食生活の貧しさがバレてしまうな。 (とブロッコリーを茹でながら考えた。)
夜9時半頃。 まだやらなければならないことは終わってなかったのだが、もう限界!という感じでちょっと居間のソファに座った。 すると・・・身体が自然に横になってしまった。 で、不覚にも(?)眠ってしまった。
10時過ぎに目が覚めたら、隣にクマさんがいて毛布がかけてあった。 実はここまでは良くある話なのだ。 クマさんを置くのも毛布をかけてくれるのも愚息である。 私がぐっすり眠れるように、との配慮である。
が、今日は何故か毛布の上に白い紙が乗っかっていた。 見てみるとわけのわからん字らしきものが書いてある。
愚母「これ何?」 愚息「お札」 愚母「・・・」
さて、心優しき息子を持ったものだ、と思った方もいらっしゃるのではないだろうか? 残念ながら、一見優しそうに見える愚息の行為の目的は、私が簡単に目を覚まさないようにすることである。 (クマさんが隣にいるとぐっすり眠れると信じ込んでいるところがとても14歳とは思えないが・・・) 何故私に眠っていて欲しいのか?
もちろん、私が起きていると煩いからである。
「宿題終わったの?」 「ぼーっとしてないでさっさと宿題やりなさい!」 「えっ、終わったの?じゃ、さっさと寝なさい!」 「いつまで起きてるの!」 「寝ろ〜!」 とまぁ、こんな具合である。
従って、私が居眠りでも始めようものなら、ここぞとばかりに宿題もほっといて遊び始める。 後で自分が困ることなど全く考えない・・・往々にして後で困るのは私なのであるが。 (だって先生から叱られるんだもん・・・私が・・・愚息に言っても全然効かないので、最終的には私の所へ来る。)
で、毛布をかけてくれるのだが、愚息はこれを「封印する」と言う。 しかし・・・お札まで貼られたのは初めてだぞ! しかも手製のお札・・・そんなもん効かねぇよ!
昔から、よく人に「○○に似てる。」と言われる。 ○○に入る人物(時には人でないこともある)は言う人によって違う。 有名人ではないからである。 「私のお姉さんに似てる。」 「友達のお姉さんに似てる。」 「中学校の同級生に似てる。」 つまり、どこにでもいる人に似ている・・・つまり、私はどこにでもある顔をしているんだなぁ。
歌手や俳優に似ていると言われたことはない。 (当たり前だ・・・美人に似ているわけがない。) が、そう言われても特に不愉快ではない。 というか・・・ああ、私の顔ってよくある顔なんだなあ、と思うと何故か安心してしまう。
個性が強いと言われるより、平凡だと言われる方が嬉しいのは何故だろう?
しかし、残念ながら「この人があなたに似ている○○さんです。」と紹介されたことはない。 ちょっと会ってみたい。
・・・というより再認識だな。
私は運転が下手だ。 だからいつも安全運転を心がけている。 事故を起こすより遅れた方が良い、事故を起こすより遅刻した方が良い・・・ 寝坊した朝はこの言葉を呪文のように唱えながら運転している。 (私は遅刻が大嫌いなのだ。)
車がたくさんいる時は、流れを崩さないように周りのスピードに合わせて走るが、前後に車がいない時は、制限時速しか出さない。 高速道路がどんなに混んでいても(って限度があるけど)、追い越しレーン(一番左側)は走らない。 後ろに車がいなければ、信号が黄色になったら止まる。 (後ろに車がいた場合、黄色で止まったら追突される!) 普段は早め早めに家を出るので、焦る必要はない。 従って、無事故無違反である。 (ま、いくら慎重に運転してても運が悪けりゃ事故には会いますが)
無理やり割り込んでくる車に対しては、「何だこのヤロウ!」と思うが、素直に割り込ませる。 前の車との間に、車一台は入るくらい間を取っている(もちろん混んでる場合は別)ので、バンバン割り込まれることになる。 でもまぁ、事故に会うより良いか。 と、普段はとても穏やかな性格なのである。
が、今日、昼間・・・ 片道3車線の道を走っていた。 一番右の車線が、右折車線になり、その車線だけ車がずら〜っと並び、他の2車線はガラガラだった。 私は真中の車線を走っていた。 私の車線の前後には車はいなかった・・・いないっつうたら本当にいないのだ、この辺は。
突然、右車線に並んでいた車が、ぐわ〜ん、とアクセルを踏んで私の車に突進してきた。 私の前に割り込んで来たのではない。 私の車の右側に体当たり!という感じで車線変更したのだ。 ああいうのは何なんだろうなぁ・・・
もちろん、あわてて隣の車線に避難したので事故にはならなかったが・・・ 免許を取って初めて、すぐにその車の前に入り、中指を立て “○uck ○ou!”と口を大きく開けて叫んでしまった。 (ちなみにこの言葉は絶対絶対言ってはいけない言葉です。 昨年日本へいった時、いたる所でこの言葉を聞き、唖然としました。 これを言ってしまったら喧嘩を売っていることになります。 相手が銃をもっている場合は撃たれることもあります。)
こういう動作がとっさにできた自分に驚いた。 どこが穏やかな性格なんじゃ?
相変わらず愚息と怒鳴りあいが続く日々である。 もう当たり前になってしまって、特に日記に書く気もせんわい。
が、今日の怒鳴りあいの話題は「完璧な人間」についてであった。 何故そういう抽象的なことが親子喧嘩の話題になるんじゃ?
早い話が、「完璧な人間」とはどんな人間か?と聞かれた訳である。 何故そういう話題になったかを説明すると長〜く退屈な話になるから省略。 で、どういう討論(怒鳴りあい)がなされたか、というのも書くと再び腹が立ってくるので省略。
しかし、途中で2人とも考え込んでしまって、討論はふぇいど・あうぇいしてしまったのである。 結論らしきもの・・・は出た。
体が老化して機能しなくなるまで生きつづけた人じゃないのかなぁ、と思うのだが・・・如何なものであろうか? えっと、ポイントは『老化』です。
ハワイに住んでいる友人がLAへ来ている。 で、夕方我が家へ遊びに来た。 彼女の目的は、家の近所にあるチャイニーズ・レストランのシーフード・コンビネーション・パンフライ・ニュードルである。 (あっ、いや、私に会いにきてくれたの・・・ごめん)
我が家の近所には中国人(台湾人)がたくさん住んでいる。 従って、美味しいチャイニーズ・レストランがたくさんある。 で、その中の一つにとても美味しい焼きそば(なんて言ったらコックさん叱られるかな?)を食べさせてくれる店があるのだ。 愚息も大好きで、いつもそこへ行きたがるのだが、ダンナの食事制限が厳しくなって以来、外食が出来なくなったため、もう何年も行っていない。
しかし、わざわざハワイからあの焼きそばを食べに来たのである。 ここは行かねばなるまい! で、ダンナにそう言った。 ダンナは気持ちよく「行っておいでよ。」と言ってくれた。
愚妻「で、あなたの夕食はどうするの?」 愚夫「あ、僕、サンドイッチでもオムレツでもなんでも良いよ。」
ふ〜ん、で、それは一体誰が作るんだね?
ここ数日、はっきりしない天気が続いている。 1日の間で温度差が大きい。 半袖のTシャツだけでも暑いこともあれば、長袖を着ていても肌寒いこともある。 青空の時もあれば、雨がぽつぽつ落ちてくることもある。 で、こういう時、カーディガンが一枚あると便利だ。 ジャケットじゃちょっと固苦しい感じ。
実はカーディガンが好きである。 10年以上も前に買った水色のコットンのカーディガンを未だに愛用している。 Outback Redというメーカー。 オーストラリアのメーカーだという話を、これまた10年以上前に聞いたことがある。 このメーカー、最近どこにも見当たらない。 誰か知らないかなぁ・・・ とても気に入っていたのである。
オーストラリアの田舎ファッションという感じ。 自分で言うのもなんだが、私は田舎っぽい服が似合うのである。 可愛いカントリー風・・・ではない。 田舎の野良仕事風のヤツ。 スカートだったら洗いざらしのデニムのたっぷりしたフレアスカート。 しかもずでーっと長い。 間違っても可愛らしい小花模様が入っていてはいけない。 無地ですよ、無地! それを都会っぽく着こなすのでなく、しっかりと『田舎のおばさん』風に着る。 つまり、そのまんま着るのである。 鏡に写った姿を見てみると自分でも惚れ惚れするぐらい田舎のおばさんである。 (いえ、野良仕事どころか、庭仕事すら満足に出来ないんですけど・・・格好だけ見るとプロです。)
で、4次元空間クローゼット(あの小さなスペースに信じられない量の何かが投げ入れてある)からカーディガンを引っ張り出して来た。 う〜ん、やっぱこういうの好きだなぁ。
着古して貫禄がついた、というよりは「この歳になってそういうのを着るのは止めなさい、みっともない!」とお叱りを受けそうなカーディガンを着ていたら、ダンナが「あっ、カーディガン着てる。」と当たり前のことを言った後に続けて・・・ 「似合わないね!」
うっ! 似合うと思ってたのは本人だけか?
卒業式を始め色々な行事が続くので、この際思い切って愚息のスーツを購入することにした。
これまでにもきちんとした格好をしなければならないイベントはあったのだが、スラックスにシャツ、ネクタイという格好で済ませていた。 つまり、ジャケットを持っていなかったのである。
実は、愚息は幼い頃バイオリンを習っていた。 (それが今じゃエレクトリック・ベースである・・・あの頃は可愛かった。) で、リサイタルの度に黒のスラックスの白のワイシャツ(今時ワイシャツなんて言葉使わないのかな?)、蝶ネクタイにカマーバンドという衣装(所属していた○○ストリングスの制服)を持っていたので、蝶ネクタイを普通のネクタイに、カマーバンドをベルトに、という格好で乗り切っていたのである。 バイオリンを弾くときはジャケットは着ない。 従って持ってない。
高校生にもなることだし、体格は大人なのでジャケットなしではマズイことがこれからあるだろう、という訳である。
スーツと言われて愚息がイメージするのは、今は亡きジョン・ベルーシ扮するブルース・ブラザーズである。(彼はジョン・ベルーシのファン・・・実は私も) 黒だったら冠婚葬祭にも使えるベーシック。 やはり最初の一着は黒であろう。
ということで、近所のディスカウントスーツ屋さん(?)へ行った。 愚息は背は低いがデブなので(ジョン・ベルーシですな・・・って愚息の方がデカイけど)普通の店だとサイズがないのではないか?という不安があったので大きなサイズのお店に行こうかと思ったのだが、とりあえず普通の人用のお店を覗いてみた。 いやぁ、さすがアメリカ。 あるもんですな、愚息のサイズ。
店員さんに「何をお探しですか?」と聞かれ、 「黒のスーツでこの子に入る一番安いの!」 と即答してしまった。
2時間近くかけて、黒いスーツに白いシャツ、黒の革靴と黒のソックスと一揃え購入してほっと一安心。(黒いベルトと黒のネクタイは持っていた。)
・・・孫にも衣装。 君もこれで一人前のおじさんに見えるぞ!
しかし、愚息は・・・ 「母さん、黒い帽子とサングラス買わなくっちゃ!」
おいおい、これ以上の出費は無理だぜ!
ついに買ってしまった! わ〜い、わ〜い、嬉しいな。 もう何年も前から磁石が欲しいと思っていたのだ。
磁石といってもマグネットではない、コンパスの方の磁石ね。 車の中につけるヤツ。
無いからといってものすご〜く困るわけではないから、気に入るのが見つかるまで・・・と積極的に探すこともなく、買い物のついでにチラチラと見ていたのだが、中々良いのが見つからなかった。 買い物のついでだから車のアクセサリー屋さんには行かないもんねぇ。 行けばきっとすぐ見つかったんだろうけど。
大袈裟なのやしゃれたデザインのはあちこちで見るのだが、私が欲しかったのは運転の邪魔にならないシンプルなヤツ。 しかも安いのが良いな。 本格的な家の整理・整頓を始めたので(ホームページの自己紹介の欄に趣味は整理・整頓と宣言してしまった!)、収納ボックスを買いに行った店で見つけた。 (宣言してから収納ボックスを買いにいくまでに時間があったのは、当然セールになるのを待っていたからである。)
直径4センチくらいの透明のプラスチックのボールの中に水が入っていて、その中で一回り小さな丸い黒い磁石が泳いでいる。 で、ボールに黒い棒(プラスチック)がついていて、それを付属品の吸盤に差し込む。 吸盤はフロントグラスの左上につけた。 吸盤に差し込んでるだけだからくるくる回せる。 見やすい位置に動かすことができるし、小さいので邪魔にならない。 ま、な〜んてことないコンパスなのである。 が、このな〜んてことないっていうのが中々見つからないのである。
さて、何故車の中にコンパスが必要なのか。 もちろん、方向音痴だからである。 方向音痴だから、車の中には地図帳が入っている。 どこかへ初めて行く時は、必ず行き方を地図で調べる。 それでも、高速道路が工事中で迂回しながらぐるぐる回っているうちに方向がわからなって困ったことが何度もある。 気が付いたらとんでもない所へ行っていたこともある。 いくら地図が読めるからって、方向がわからないんじゃ使えないじゃないか! という訳でコンパスである。
で、気づいたのだが・・・これまで北だと思っていた方向がかなりずれていた。 それでも「困ったなぁ」くらいで14間年も運転してきたんだなぁ。
ちなみに磁石の値段は500円弱であった。 充分に幸せ!
以前、前に “I love to watch seasons change”と書いてあるTシャツを見たことがある。 後ろには “Football, Basketball, Baseball, Hokey” と書いてあった。
これはプロスポーツだけのことではない。 学生にもスポーツのシーズンはある。 だからかけもちでやっている子が多い。
愚息の学校は秋がフットボール、冬がバスケットボール、春が陸上になっている。 (サッカーと野球はない) 愚息はバスケットボールはやらない(やれない?)が、フットボールと陸上をやる。 で、気がついたら陸上のシーズンが始まっていた。
で、先週書くのを忘れていたのだが、金曜日に大学のスタジアムで中学生の陸上大会があった。 朝7時に学校集合。 で、運転手の私は(在宅勤務ってこういう時に使われるんだよなぁ)朝も早よからお弁当作って愚息を学校へ連れて行き、仲間をピックアップしてスタジアムへ。 (我が家は愚息の学校とスタジアムの中ほど、どちらかといえばスタジアム寄りにある・・・直接行きたい!)
多分競技は8時頃から始まったんだろうなぁ・・・ガキども、いえ子供達を入り口で落として帰ってきたからよくわからんけど。 で、4時に迎えに行ったらまだ終わってない。 結局終わったのは6時過ぎていた。 参加者が5000人を超えるとはいえ10時間もスタジアムで過ごすというのも凄いなぁ。
さて、愚息がバスケットボールをやれないのは、技がないのもあるが、まず走れないからである。 そんな愚息が何故陸上? 試合は平日の昼間あるから学校がサボれるからでしょう、という話もある。 しかし、しかし、そうではない・・・ここからはちょっと愚息自慢ね。
愚息は遂に3年連続1位を保持し遂げたのであった。 何の競技かって?・・・ははは・・・
砲丸投げ!
2002年04月16日(火) |
高校のオリエンテーション |
愚息が行く高校のオリエンテーションがあった。 高校生になるのだから、当然親は出て行かない。 が、送り迎えはしなくてはならない。
まず、朝、通常通り7時45分に学校へ連れて行く。 「8時45分から高校でオリエンテーションがあるから、8時半に迎えに来てね。」 おいおい、その位の距離は歩けよ、(中学から高校まで約2キロほどである。)と言いたいところだが、学校側(中学)が許してくれない。 愚息は2、3キロの距離は喜んで歩く。
しかし、45分間じゃ家に帰ってる時間はない。 買い物をする時間もない。 (というか店が開いてない、あるいは、開いてても商品が出揃っていない。) 仕方なく45分間駐車場で待った。
8時45分に愚息と彼の友人を高校まで連れて行く。 「11時半に終わるから迎えに来てね。」 ・・・へいへい。
11時半に高校へ迎えに行って、中学まで送って行く。 「今日は陸上部の練習があるから、4時半に迎えに来てね。」
家から学校までは30分ほどかかる。 たいした距離ではないとはいえ、1日3往復は辛いものがある。
ふん、どうせ私は運転手。 (Mom’s Taxiですな)
そうそう、オリエンテーションで勝手にフットボールのサマーキャンプに登録をしてきたという。 (中学の)卒業式の次の週から9週間。 (その後2週間、あの有名な“Hell Weeks”というのがあって、その次の週から新学期が始まる。 夏休みはフットボール三昧かい?) 練習は午前7時半からだそうだ。 1人で行ってくれるなら何も文句はないんだけどね・・・アメリカ人が早く子供に免許を取ってもらいたいと思う気持ちがよ〜くわかった。
2002年04月15日(月) |
日記、6日分一気に掲載 |
するなよなぁ・・・
いえ、まぁ色々事情があって・・・ といってもたいした事情ではないのですが・・・
毎日読んで下さっている数少ない読者の方々、申し訳ございません。 今後もこのようなことがあるとは思いますが、止めるつもりはありませんので、長〜い目で見守ってあげてください。 (とまるで他人事のような言い方をする・・・)
ダンナの両親はもう歳である(当たり前だ)。 で、最近、力仕事が苦痛になってきたそうだ(これも当たり前である)。 芝刈り機を使うのが辛いという。 そういうことは早く言って欲しい。 (言われないと気づかない私) 我が家には力持ちが約1名いるのである。 技はないが・・・これはやっている内に覚えるであろう。
「必要な時はいつでも言って下さい。 ○○○(愚息の名前)を寄越しますから。」と言うと、 「最近の子供はお手伝いを嫌がるからねぇ。」と言われた。
そんなことはない! お手伝いなんてよほど出来た子じゃないとやりたがるものではない。 最近の子がそうなのではなく、昔からそうだったと思う。 が、「やらなくてはならないことはやらなくてはならない。」(これ我が家の家訓の一つ)
さて、私は愚息が生まれてからずっと「お手伝い」なんぞはさせたことがない。 家事を教えようという気もない。 男の子だから、ではない。 私だって親から何一つ教わらなかった。 「人間、必要なことは必要になったら出来るようになるもんだ。」 (えっ?だから出来てないって? う〜ん・・・でも、まぁ死なない程度にはできてるから・・・)
ダンナの病気が悪化してからは、我が家では「男の仕事=愚息の仕事」となった。 やりたくてやっている訳ではないが、本人も「仕方ない」と諦めている。 だって仕方ないもん。 (宿題も「仕方ない」と諦めてやってくれないものかなぁ?) 一度も文句を言ったことはない。
夜中にダンナの具合が悪くなって、薬を取りに走ったりダンナをトイレに連れて行ったりするのも愚息の役目である。 これも何一つ文句を言わないでやる。 私では力が足りないのだから仕方ない。 (「パンツの上げ下ろしだけは母さんがやってね」と言っているが、幸いそのような状況になったことはまだない。)
という訳で、おじいちゃんの家の芝刈りも力があるヤツがやるのは当然だろう、と思って義父にそう言ったら、愚息に聞いてみる、ということであった。
義父「○○○(愚息の名前)、おじいちゃんの家の芝刈りしてくれんか?」 愚息「はい。」(即答)
当たり前だよねぇ。
息子の剣道の先輩が亡くなりました。 突然の事でした。
謹んで哀悼の意を表します。
久しぶりにダンナの透析の話。 (大丈夫です。まだちゃんと生きてます!)
あれから(どれから?)ずっと彼は毎日4回透析を行なっている。 自宅で3回、オフィスで1回である。 だいぶ慣れてきたようで、準備から終了まで30分ほどでできるようになった。
彼の勤務時間は午前7時から午後5時まで。 昼休みが30分で1日9時間半労働だった。 (で、土日に加えて各週月曜日が休み) が、5時にオフィスを出ると3回目の透析の時間に間に合わない。 しかも、長時間労働にはやはり無理があるらしい。
で、午後2時頃仕事を終えることにしたらしい。 3時には家に帰って来る。 昼休みと透析時間で1時間。 これじゃ一日6時間労働じゃないか しかも、相変わらず隔週月曜日は休みである。
・・・ふ〜ん、良いなぁ。 こんなんで仕事が勤まるんだ。 (えっと・・・勤まりません。ちゃんと家に仕事を持ち帰っています。)
しかし、ダンナが3時に家に帰ってくるというのは私にとって良いことは何もない。 と思っていたら、ひとつだけあった。 家族揃って夕食が食べられるということである。 これは大きい!
家族揃って和気藹々・・・ではない。 準備と片づけが一度に終わるからである。
(娯楽)小説を読んでいると、会話文の中に「〜してくれ」というのが良くでてくる。 良くはでてこないのかもしれないが、気になっているので良く目につく。 何故気になっているのか? こういう会話は日常生活の中でめったに聞かないからだ。
といっても、日常生活の中ではほとんど日本語は聞かないし、これは男性のしゃべり方であるからおばさん達の会話には当然出てこない。 しかも相手が男性であっても、通常大人は丁寧語でしゃべっているから、何かお願いをする時は 「〜して下さい。」 あるいは、 「〜して下さいませんか?」 ぐっとくだけても 「〜してくれない?」 である。
愚息とはなしている時、私は 「〜して」あるいは「〜してくれない?」と言っている(と思う・・・あまり意識したことはないが) じゃぁ、一体どこに「〜してくれ」という言い方をする人がいるんだろう? 小説の中では実に自然である。 が、実際は中々耳にしない。 誰か「そんなの普通の言い方だよ」とおっしゃる方がいらっしゃらないものだろうか?
ところが・・・ふと気づいたのだが、そういう言い方をするヤツが身近にいた。 愚息である。 彼は私に何か頼む時、「〜してくれ」あるいは「〜しておくれ」と言う。 他の人にもこういう言い方をしているのかどうかはわからない。 が、愚息の日本語は元々変なので、これまでそれほど気にしてはいなかったのだ。
まさか、これって最近の若者のしゃべり方・・・のはずはないよね?
2002年04月10日(水) |
Spring has come! |
今年は春が来るのが遅かった。 先週末からDaylight Saving Timeが始まったというのに、肌寒い(は大袈裟だが)日が続いていた。 普通3月には春になる。 イースターバケーションはプール開きなのだが、今年はとてもとても寒くてプールに入る気分ではなかった。 まだ「さぁ、プール!」(「さぁ、泳ごう!」ではないところが悲しい・・・私は木槌)という気分ではないが、今日午後からやっと暖かくなった。
そうか、今日の午後、やっと春が来たんだ! だから何だということはないのだが、やはり春は気分がウキウキする。 何か良いことあるかな・・・ないだろうなぁ。
さて、ここ南カリフォルニアでは春が来るとすぐに夏である。
例えば、朝起きて歯を磨く。 寝る前にも歯を磨く。 そういうことを面倒だと思ったことはない。 何も考えずに洗面所へ行って歯を磨く。 「あっ、歯磨くの忘れた!」ということはまずない。 どんなに寝ぼけていても、どんなに疲れていても、朝起きるとすぐ、ベッドに入る前に自然と身体が動いてしまう。 ・・・当たり前のことである。 しかし、生まれた時からこうだった訳ではない。 毎日毎日やっている内に習慣になってしまったのである。
例えば、毎朝必ず珈琲を入れる。 どんなに寝ぼけていても体調が悪くても入れる。 歯磨きと違って、珈琲なんぞ飲まなくても特に困ることはない。 (珈琲を飲まないと目が覚めないのだが、多分これは気のせいだと思う。) 困ることはないのだが、何故か必ず入れる。 豆の種類とか入れ方には全くこだわらないのだが、インスタント・コーヒーではダメ。 メンドウだと思ったことはない。 これも歯磨きと同様、習慣になってしまっている。
さて、食事である。 これも長年の間1日3回食べている。 自分で食事を作るようになったのは、これまでの人生の半ばを過ぎてからのことであるが、つい最近のことという訳ではない。 なのに何故習慣になって身体が自然に動いてくれないのだろう?
毎日毎日「今日の食事は何にしよう?」と考える。 1週間分の献立を作っておいて、まとめて買い物をしていた頃もあった。 しかし、1週間後の夕食に何を食べたいかということが事前にわかるだろうか? 食事の準備というものは当日の気分と体調、スケジュールで大きく変わってくる。 という訳で、「今日の食事は〜」となるのである。
現在はダンナのダイエット(食事療法)のために食品成分表を使って材料をアレンジしなければならないので尚更メンドウではあるのだが、ダンナが健康であっても毎日食事を作らなければならないことには変わりはない。 例えダンナがいなくても私は食わねばならない。
みんなやってることだよね。 やんなきゃいけないことだよね。 みんながやってるんだから、わたしにだってできるよね。
・・・できねぇよ!
4月3日の日記で我が家の郵便箱を道から1mほど入ったところに立てたら郵便が配達してもらえなくなった、という話を書いた。 で、先週1週間は郵便が届いたり届かなかったりだった。
郵便局に問い合わせたりもしたのだが・・・結局『郵便箱は郵便配達人が配達車から降りずに出し入れできる場所・高さに設置しなければならない』という規則は実際にあったのであった。 仕方ないなぁ・・・
しかし、同じ場所に立てても同じことが起こるのである。 これまでは道から家に向って右側に立てていたのだが、こうなったら左側に立てるしかあるまい。 ・・・ん? 左側は我が家の土地ぎりぎりまでコンクリートのドライブウェイである。 立てられない・・・ こうなったら隣の家の敷地に不法侵入しかない。 実は隣の家の住人達は庭のはじっこに杭を打って郵便箱を立てたところで文句を言うような人達ではない。 それどころかトンカントンカンやっていたら手伝ってくれそうな人達なのである。 が、彼らがずっとここに住むとは限らない。 いつかは家を売って引っ越してしまうかもしれない。 そうなったらそうなった時ではあるのだが・・・ここはひとつ最悪の場合も考えておいた方が良かろう。
という訳で、バケツにコンクリートを流し込み、それに棒を立てて上に郵便箱を乗っけ、我が家のドライブウェイの左にど〜んと置いてみた。 ・・・とても見苦しい。 近所からクレームがでなければ良いのだが・・・
「これはちょっとなぁ・・・後でこのバケツ、もうちょっと埋め込んでおこう。」 と言ったのは一軒おいた隣の住人である。 うん、勝手にやっといてね!
数年前から気になっていたことがある。 「○○的」の『的』という使い方のことだ。
「私的には〜」という文を見かけるようになったのはいつの頃からだっただろう。 これはこれで良い。 特に反対意見はない。
言葉というものは日々変わっていくものだと思っている。 流行語だったものが定着して広辞苑に載ったりする。 最初は聞くたびに変だなぁと思っていた言葉をいつの間にか自分が使っていたりする。 そうやって言葉は変わっていく。 乱れていくとは思っていない。
若者が私にわからない言葉で話す。 これも数百年前からあったことである。 一々目くじら立てて怒ることでもあるまい。 要はきちんとコミュニケートできれば良いのである。
もちろん、そういう言葉は『美しくない!』という意見もあるだろう。 が、日常会話で大切なのは美しさではなくわかりやすさだと思う。 わかりやすい上で美しいのなら尚良い。 しかし、美しくてもわかりにくいのは困る。 しかも、この「美しい」と感じる気持ちは人によって違う。
で、「○○的」である。 これはずっと流行語だと思っていた。 私は個人的には「私的には」という言葉が好きではないので自分では使わないが、人が使う分には意味は理解していた・・・と思っていた。 他にも「○○的には〜」という文はよく見かけるが、何となく意味はわかる気がするし、漠然と「これってどういう風に使うのかなぁ?」と思っていた。
先日、阿刀田高著の『奇妙な昼下がり』(講談社文庫)を読んでいたら、あとがきに 『本来的にはこういう事情を含んでいたものを切り離し〜』という文があった。 この本は1996年に発行されたものだ。 最近の本ではない。 しかも、阿刀田高という人は「今時の若者」ではないと思う。 (私より年上だと思うけどなぁ) そういう人でも「本来的には〜」という言葉を使っている。
ふむ・・・
やはりわかっていた気になっていただけだったのだろうか? 私なら「本来はこういう事情を〜」と書くと思う。 でもここに『的』という語が入っているからにはここは「本来は〜」ではいけないのであろう。 「本来は」と「本来的には」とはどうやって使い分けるのだろう? どのような違いがあるのだろう?
愚息の日本語学校の始業式だった。 ついに中3になってしまった。 最後の1年を始めてしまった・・・偉いなぁ。 これから1年、止めずに続けることができたら中学卒業である。 当たり前のことのように聞こえるが、我が愚息にとっては全然当たり前ではない。 ものすご〜く『偉い!』ことだ・・・と思う。 誰が何と言おうと私はそう思う。
「まだ通わせてるの! 大変だろうからもう止めさせなさい!」 とは私の母の言葉である。 だって本人が行くって言ってるんだからしょうがないじゃないか!
しかし、先生方やクラスメイトにとっては迷惑な話である。
でもここまで来たんだ、面の皮を益々厚くして、最後まで頑張ろうじゃないか! (自信ないけど)
2002年04月05日(金) |
部屋ごとに色を決めて・・・ |
もちろん我が家のことではない。
雑誌に『収納なんたらかんたら』という特集があると、ついつい手にとってしまう。 そういう特集には、『部屋ごとにテーマを決めて色を統一しましょう。』と良く書いてある。 例えば・・・立ち読みだったからなんの雑誌か忘れたが、子供部屋が明るい青、リビングはベージュ、寝室はピンク(おいおい、ピンクかよぉ)、という家の写真が載っていた。 なるほどねぇ・・・
服にしろインテリアにしろ(ホームページにしろ)センスというものが全くない私の家は「テーマを決める」も何もあったもんじゃない。 が、好きな色というのはあるもので、自然となんとな〜く統一されている雰囲気になってしまう。
愚息が生まれる前から、ダンナと私にはそれぞれ基本色があった。 基本色・・・好きな色である。 ダンナは紺色、私は灰色。 (ネイビーブルーとグレーとは呼ばない) 並べてみても決して合わない色ではない。
で、愚息が好きな色は黒である。 灰色と黒を並べると違和感はないが、紺色と黒の組み合わせは好きではない。
灰色と紺色は合う。 黒と灰色は合う。 紺色と黒は合わない。
う〜ん、象徴的だ。
2002年04月04日(木) |
1週間に何回バッグを代えるか? |
美容院へ行って日本の雑誌(何という雑誌だったかは忘れてしまったが、ミセスを対象とした雑誌だったと思う)を読んでいたら、「あなたは一週間に何回バッグを代えますか?」という記事があった。 1、 2回というのが多数派だった。 服に合わせて毎日代えます、という人もいた。 お気に入りのバッグを1週間ずっと使っています、という人もいた。 うわ〜お! 思わず「バッグ、いくつくらい使ってます?」と美容師さんに聞いてしまった。
私は年に2回しか代えない・・・春・夏用と秋・冬用である。 油断していると冬用の黒いショルダーバッグを夏になっても使っていることがある。
あっ、もう4月か・・・春用に代えなくっちゃ。
2002年04月03日(水) |
郵便箱の立て方についての規則 |
なんてもんがあるんですなぁ。 箱の大きさや高さだけでなく、立てる場所まで決まっている。
郵便屋さんは車で配達に来る。 で、郵便屋さんが車に乗ったままで手を伸ばせば届く場所に立てないといけないそうである。 手が届かない所へ立てておくと郵便物を配達してくれない。 これはきっと車社会の南カリフォルニアの規則に違いない! もしかしたら怠け者の街LAだけの規則かもしれない。
何故このような規則があることを発見したのか? 我が家の郵便箱は、ここへ引っ越して以来16年間同じ場所に立っている。 というか・・・立っていた。 我が家のドライブウェイ(公道から玄関·車庫に通ずる私道・・・と辞書には書いてあるが、そんな立派なもんじゃない。全長10mにも満たない細い坂道である。)の入り口(の前には当然門などという上等なものはない)に立っていた。
その郵便箱がここ1、2年間、何回立てても倒されてしまうのだ。 誰かが車をバックさせる時にぶつけて倒すのである。 (へたくそ!) 最初の14,5年は何事もなかったのだから、これは1、2年前に近所に引っ越して来たヤツの仕業である。 心当たりは充分あるのだが、証拠がない。 (我が家は袋小路の突き当たりに建っているので、住人以外が入ってくることはまずない。) 証拠がないので責めるわけにはいかない。 (証拠があっても「責任とっておめえが立て直せ!」とも言えんだろうなぁ)
で、余りに何度も倒されるので、頭に来てドライブウェイの入り口から1mほど離れたところへ立て直した。 すると・・・ お察しの通り、上記の規則のために郵便を配達してもらえなくなった。
おいおい、たった1mだぜ! 車から降りて数歩位歩いてくれたって良いじゃないか!
我が家には本と同様にビデオテープが散らばっている。 ま、散らばっているといってもテレビ周辺にしかないのだから居間とゲームルームにしかない。 それでも収納棚がないものだから(いや、あるにはあるのだが小さくて入りきれない)いたるところに積み上げてある。 これは醜い。 醜いだけなら良いのだが、拭き掃除が面倒である。
ダンナは私と違って綺麗好きである。 が、何故か埃や汚れは気にならないらしい。 つまり、整理整頓がきちんとされていれば掃除の方はどうでも良いらしい。 いや、これも違うな。 目に見える部分がきちんとしていればOK。 クローゼットや箪笥の中に物がごちゃごちゃ詰め込まれていても一向に気にならない。
私は・・・クローゼットや箪笥、棚がきちんと整理整頓されているのがとても好きだ。 棚や箪笥の中がすっきりしていれば、床の上に物が溢れていたって気にならない。 が、何度整理整頓してもすぐにぐちゃぐちゃにしてしまうヤツが約2名同居しているので、完全に賽の河原の石積み化している。 掃除は大嫌いだが、これは「やったって無駄なんだよなぁ」というわけにはいかない。 生きているからには独身だろうが既婚だろうが、炊事・洗濯・掃除はついてまわるのである。
ま、それはそれとして・・・ ずっと前からダンナはビデオテープをきちんと整理したいと言っていた。 (じゃ、やれば良いじゃないか!) つまり、収納棚を買おうというのである。 カタログを見たりお店に行ったりして、「あれが良い」「あれが欲しい」と言い続けてきた。 が、DVDプレイヤーと同じく、一向に買ってくる気配がない。
いやぁ、もう諦めました。 先日シアーズのカタログで見たのがシンプルでたくさん収納できそうだったので、仕方なく私が注文した。
届いた・・・自分で組み立てるヤツだった。 で、スクリュードライバーとハンマー片手に自分で組み立てた。 こういうのって普通男の人がやるんじゃないのかなぁ・・・あ、そうか、我が家には使える男はいないのだった。 見ていたダンナが「手伝おうか?」 ふん、手伝ってもらったら余計時間がかかるわい! イースターバケーション中で家でぼけーっとしていた愚息は・・・逃げた!
わ〜い、出来た! 早速散乱しているビデオかき集めて収納した。 アルファベット順にきちんと並べていく・・・この辺が偏執的である。 250本まで収納したところで、一杯になってしまった・・・おいおい一体いつ誰がこんなにたくさんビデオ買ったんだよ! (自分で録画したホームビデオは一本もない。) ダンナは5ドル以下の買い物はせっせとしてくるのである。 (ここ数年、DVDのおかげでビデオテープの安売りが多いのだ。)
それにしても、私が一度も見たことがないビデオがたくさんある。 これ全部見終わるまでDVDプレイヤー買わんぞ!
最近レンタルビデオ屋さんもすっかりDVDに変わってきとりますな。 お店で売ってるのもDVDばっか。 ・・・実は我が家には未だにDVDプレイヤーが無い。
ビデオデッキを買ったのだって、アメリカの家庭に最低1台はある(生活保護を受けている人の家にすらある)という状況になってから初めて買ったのである。 だって、それまで待てば随分安くなるじゃないか。
しかししかし、ここまでDVDが普及してしまったら、我が家でもそろそろDVDプレイヤーを買わなくてはならないのだろうか? 実はDVDプレイヤーが出始めた頃からダンナが欲しがっていた。 いつものように「安くなるまで待て!」と言っていたのだが、最近流石に安くなっている。 ダンナは懲りもせずにセールの広告を見つける度に私の所へ持ってくる。 で、ここ半年ほどは「じゃ、買ってくれば?」と言っているのだが、一向に買ってこない。
実はダンナは100ドル(約1万3千円)以上の買い物は1人ではできないのである。 (貧乏が染みついてますな。)
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