2004年12月28日(火) |
「カレンダー・ガールズ」慎ましやかで可愛くて愛情深いオバチャン、お婆ちゃんたちがセミヌードのカレンダーガールになった訳は? |
『カレンダー・ガールズ』【CALENDAR GIRLS 】2003年・米 監督:ナイジェル・コール 脚本:ティム・ファース/ジュリエット・トウィディ 撮影:アシュレイ・ロウ/オリヴァー・カーティス 音楽:パトリック・ドイル 俳優: ヘレン・ミレン(カレンダー発案者、クリス) ジュリー・ウォルターズ(夫を亡くしたアニー) シアラン・ハインズ(ロッド) ペネロープ・ウィルトン(ルース) セリア・イムリー(シーリア) リンダ・バセット(コーラ) ジェラルディン・ジェームズ(女性連盟ネイプリー支部長、マリー) ジョン・アルダートン アネット・クロスビー フィリップ・グレニスター ジョージ・コスティガン グレアム・クラウデン ジョン・フォーチュン
1999年、英国はヨークシャーの、のどかなのどかな田舎町、ネイプリー。 この町の中年以上の女性はほとんどが女性連盟ネイプリー支部の メンバー。本来は、女性の地位向上や教養の向上を目指す 全英の組織だが、ここネイプリーで毎週木曜日に行われている 会合は、町民の誰か1人に、スピーチをしてもらったり、手芸や 健康体操など、親睦を主な目的としたものだ。
なにしろ田舎町のこと。話題も乏しく、思わず居眠りしそうな話や マニアックすぎて可笑しくてたまらない話がほとんどで、あまり役に立つ演説は聴けなかったが、彼女たちは週に一度のこの集会を とても楽しみにしていた。
主人公のクリスは夫と花屋を営んでいる。高校生の1人息子、ジェムはちょっと難しいお年頃。でも陽気なクリスは息子のベッドの下のエロ本なんて気にしない。むしろ、ジェムのほうが、あっけらかんとしすぎている母親が不気味でならない。
1999年の夏。クリスの無二の親友、アニーの夫ジョンが 白血病で亡くなった。 常に太陽を探す向日葵をこよなく愛し、妻を慈しむ立派な男性だった・・・。 アニーには子供もおらず、火が消えたように沈み込んでしまう。
季節は秋に移ろい、そろそろ、女性連盟ネイプリー支部恒例の、 カレンダー制作のシーズンとなった。 例年、風景写真である。今度のカレンダーも、12の美しい教会を選びましょう、と支部長から話があった。
ジェムの自転車の修理に行った工場の壁に吊されたヌードカレンダーを何気なく眺めていたクリスは、閃いた!!
ネイプリー支部の今年のカレンダーは、自分たちのヌード写真に したらどうかしら!?
50代以上のおばちゃん、お婆ちゃんばかりだけど、園芸家だった亡くなったジョンが言っていた。 女性はヨークシャーに咲く花に似ていると。 歳を重ねるほど、その美しさを増すのだと。
意気消沈しているアニーのために、何かできることは。 病院の待合室のソファ、堅かったな。 そこに肩を落として疲れ切って座っていたアニー。 不治の病の家族を抱えて病院でつらい看病をする町民のために、せめて座り心地のいい立派なソファを贈ろう。 そのために、カレンダーで資金を集めるのよ!
さてさて、このアイディアに賛成してくれる仲間はいるかしら? 家族は理解してくれるだろうか? 女性連盟はいかがわしいと眉をひそめるのでは・・・・。 でも、とにかく動いてみなくちゃ! クリスとアニーはジョンの追悼のため、アイディアを実行に移そうとがんばるのだった。
カメラマンはどうしよう、スポンサーはつくかしら。 ああ大変!
カレンダーのために、家業の花屋をそっちのけで飛び回るクリスに 文句ひとつ言わない夫。だが・・・・。
小さな町だ。この騒動でマイってしまったのは、思春期のジェムだった。好きな女の子には嘲笑され、はしたない母親だと恥じ、 酒にタバコに、そしてついにはハッパにも手を・・・!
だがクリスは、動き始めた歯車に完全に巻き込まれ、家族をかえりみる余裕などない。 いや、違う、平凡な生活から飛び出した自分に酔い、チャンスを逃すまいと面倒ごとに目をつぶっているのだった・・・。
そんなクリスがアニーは心配だ。 否、心配を通り越して、怒りに変わってきてすらいた。
愛する家族が生きているのに、なぜほったらかしにするの、と。 ひとりぼっちのアニーには、歯がゆくてたまらない。
英国を飛び出し、全米に知られる存在となった11人の田舎のオバチャンたち。 でも、やがて思い知るのだ。商業主義の醜さを。
それでも、オバチャンたちは凹まない。当初の目的のため。 カレンダーは、想像を絶する売り上げを記録してゆく・・・!
実にいい映画でした。 DVDの特典では、実際にカレンダガールとなったお婆ちゃんたちが登場して当時のことを回顧しています。 女優さんも可愛い人ばかりでしたが、実際のお婆ちゃんたちが また、なんとも上品で慎ましやかで、お茶目で。
この実話を映画化したい、と感じた製作サイドの気持ちが よくわかります。
あれよあれよというまにコトが大きくなっていく。 その一方で、夫に裏切られた妻がおり、思春期特有のモヤモヤに 追い打ちをかけられ困惑する少年がおり、そんな我が子と、冒険に夢中な妻を、慈愛の目で見つめる一家の主がいる。
有頂天になって家族をなおざりにするクリス。 チャリティーのためという大義名分が、いいわけになっていく。
アニーの、生きている家族をなおざりにするなんて許せないという 怒りと心配が胸を突く。 でも、クリスの計画は、自分が田舎町を飛び出したいという浮かれたものだけではなかったことを、後で知る。
追悼のためのソファ1つと家族の悩みだったら、比較にならないけれど、 天秤にかけてしまえるほどの大仕事になっていったのだ。
女の友情、家族というもの、商業主義というもの。 短い時間でよくまとまっているし、ちりばめられたユーモアが とてもほほえましい。
元気がもらえて、優しい気持ちになれる佳作だ。
旦那さんとのセックスのときすら寝間着のままで裸を見せたこともないような、奥ゆかしいシワシワのおばちゃん、お婆ちゃんたちが、照れくさそうに乳首とお股を日用品でかくしてはにかんで 写っているカレンダー、とてもステキだ。
2004年12月18日(土) |
「コールドマウンテン」レニー・ゼルウィガーはじめ脇役陣はお見事、でも主演と脚本、演出がこれじゃなぁ。 |
「コールド マウンテン」【COLD MOUNTAIN(地名の通称)】2003年・米 監督・脚本:アンソニー・ミンゲラ 原作:チャールズ・フレイジャー『コールドマウンテン』 撮影:ジョン・シール 美術:ダンテ・フェレッティ 編集:ウォルター・マーチ 音楽:ガブリエル・ヤーレ 俳優:ジュード・ロウ(南軍の脱走兵、インマン) ニコール・キッドマン(牧師の娘、エイダ) レニー・ゼルウィガー(エイダを助ける農婦、ルビー) ドナルド・サザーランド(エイダの父、モンロー牧師) ナタリー・ポートマン(戦争未亡人、セーラ) レイ・ウィンストン(地主で義勇軍リーダー、ティーグ ) フィリップ・シーモア・ホフマン(ヴィージー) ジョヴァンニ・リビシ(ジュニア) ジャック・ホワイト(逃亡兵、ジョージア) ブレンダン・グリーソン(スタブロッド) キャシー・ベイカー(老農婦、サリー) ジェームズ・ギャモン(サリーの夫) ジェナ・マローン(渡し船の船頭で稼ぐ少女) イーサン・サプリー(パングル) ルーカス・ブラック(南軍の少年兵、オークリー)
1864年、南北戦争は泥沼化。 ヴァージニア州の戦況は最悪だ。北軍の奇襲を受け、南軍は多数の死傷者が出る。 その中に、古びた本に美しいが微笑んではいない女性の写真をはさみ大切にしていた男、インマンもいた。
地獄を見て3年が経った今となっては、戦争が始まった、北軍に目にものみせてやる、と浮かれていた愚かさが悔やまれる。重傷で生死の境をさまよい、どうにか一命を取り留めたインマンは、脱走兵も、匿った者も銃殺されることを覚悟の上で、故郷、ノースカロライナ州のコールドマウンテンを命がけで目指す。
ひと目でいい、故郷に残してきた運命の恋人、エイダに逢いたい・・・・。 知り合ってから言葉もほとんどかわすこともないまま、出征の朝に瞬間、かわしたたった一度の接吻。彼女は待っていると言った。 そして、つらくて微笑むことができないとうつむいている写真をくれた・・・。
エイダは、澄んだ空気を求めて都会から田舎にやってきた牧師の 1人娘だった。箸より重い物は持てない都会のお嬢さまのエイダは、文学とピアノを愛する才女。
そんなエイダと、寡黙で精悍な村の青年インマンがなぜ惹かれあったのか、それは運命としかいいようがない。 共通の話題もなく、ぎこちない2人の会話。 だが、2人は運命の恋人なのだった。 手に触れることすらないまま、戦地へ赴く朝、むさぼるようにかわした接吻を2人は決して忘れなかった・・・。
村の青年たちは皆、戦争から帰ってこない。 毎日届くのは訃報だけ・・・。 村は生気を失う。 エイダも、老いた父が他界してからというもの、収入もなくなり、 奴隷に与える食料もなくなり手放し、食事も作れず洗濯もできず、 枯れ木のようにやせ細りみすぼらしい姿に・・・。
それでもプライドの高いエイダは助けを求めず、1人、することもなく、何百通も戦地のインマンに手紙を書き続けるのだった。
エイダを我が物にしようと、地主の中年男ティーグが付けねらうが、エイダは毅然とした態度で決してなびかない。
そんなエイダを心配し、村の農婦サリーが、知り合いの娘ルビーを よこす。ルビーは酒浸りの父親に苦労して育った。 そんな父親も今は戦地。だがいないほうがむしろラク、ってなもんで、実に逞しく、そのへんの男よりも力持ちで農業や家畜の飼育に詳しい村娘だ。
手当はいらない、寝床と食事があればいい、と住み込んでくれることになったルビーの厳しくも熱心な指導のもと、荒れ果てた家も畑も、少しずつ、息を吹き返してゆく。
どこの州でも、脱走兵を狩るために義勇軍とは名ばかりの血も涙もない虐殺を愉しむかのような連中が、金で兵役を逃れた連中を 中心に結成される・・・・。
コールドマウンテンの義勇軍は地主親子がリーダーだ。 サリーの息子たちも、奴らが惨殺した・・・。
その頃。インマンは度重なる艱難辛苦に耐えに耐えつつ、1歩1歩、故郷を目指していたが・・・。
こりゃ参ったな、というのが本音。 かなり相性が悪い部類の作品だったようだ。
だが、作り手の情熱はよ〜く伝わってくる作品で、助演、脇役 も実に見事で、感想を書かずに放ってしまうのも惜しくて。
先に、こりゃいかんでしょう、と思ったところを。
◆ニコール・キッドマンは、ジュード・ロウとの年齢のバランスはよいのだが、どうみても南北戦争時代の良家の未婚の令嬢にしては薹がたっている。 イメージとしては、「ピアノ・レッスン」のホリー・ハンターのような知的で貞淑な貴婦人なのだろうが、子持ちの寡婦役なら ピッタリだったと思うが、いかんせん、18〜23くらい(コールド・マウンテンに超してきた段階で)の乙女でないと妙なので、 冒頭から軽く30代半ばのハイミスに見えるニコールは痛い、痛すぎる。 まぁ、牧師である父親が溺愛し、また彼女も老いた父を残して 嫁げず、いい年になってしまった、というのならそれもそれだが、 そうすると今度は、いいトシをしてあまりにも乙女チックすぎるでしょう、ということになる。
たった一度の抱擁と接吻だけで運命の恋人と慕い続ける可憐さが ない。 運命の再会時、おびえていたとはいえ、あのドスの効いた声には百年の恋も冷めませんか・・・。
あとは演技の問題。 逞しい田舎の村娘になってゆく・・はずだが、変わったのは衣装と髪型だけで、体型も指の太さも肌の色も変わらない。 食うや食わずで生ける屍だった頃と、畑仕事に精を出し銃も構える南部女になってからの雰囲気にまったく違いがない。 ここが1つの見せ場だと思うので、時間の経過がヒロインから 感じられないのは痛い。
◆繰り返しの多用により、シンプルなストーリーなのにものすごく 長尺で無駄が多い。
故郷の恋人を思う気力だけで一歩一歩、血を流しながら歩む 男か、故郷で待ち続ける女か、どっちかに重点を置いたほうが よかったのでは。
故郷を、母を恋う気持ちで血へど吐きながら、という題材ならば、 すでに「裸足の1500マイル」があるわけで、 恋愛が主題で目指すものは違うものの、題材に斬新さがない。
両方を欲張ったせいで、なぜ南北戦争なのか、時代背景の 意味が薄くなってしまい、いつの時代でも別にかまわない、 悲恋物語になってしまった。
よくいえば、普遍的なのかもしれないが、敢えて時代を設定した以上は、それに即した物語にしてほしい。
アメリカにとって、南北戦争の持つ意味は大きいだろう。 独立戦争とも違う。(※余談だが、独立戦争を背景にした壮大なロマンス映画に、アル・パチーノ主演の「レボリューション」がある、これはすごい)
懸命に作り手がそこを訴えようとしているのがわかるだけに、 なまぬるさが惜しまれる。
◆ジュード・ロウを活かしきれていない。 英国きっての若手名優を起用して、この脚本では・・・。 ジュード・ロウ主演で戦争の狂気とそこではぐくまれるロマンスというところでは、「スターリングラード」が秀逸だった。 ジュードは、喋らせてナンボの、実に見事なセリフまわしをする 俳優だ。 無口な男という設定なだけに、魅力が半減。
◆セリフ関係でついでにもう一言。 ・・・全員、訛りがぐちゃぐちゃ・・・・・。 ジュードはもちろん、それはそれは美しい英国英語。 ニコールはがんばってはいるものの、オージー英語。 100点満点、南部訛りなのはレニー・ゼルウィガーのみ。 すっごく気になってしまったのだ。 南部をあつかった映画は数あれど、訛りにはどれもすごく気を遣っているのに、なんで本作は??
◆地主ティーグ、そこまで血も涙もないコトするなら。 力ずくでヒロインをモノにしてしまうのがふつうでしょうな。 俺の女にならないなら出て行け、といびってヒロインをいじめ、 村を追われたヒロインがどんどんおちぶれてどこかで娼婦になって・・なーーんて展開、ベタすぎますが、ともかく、 あれだけ暴力的な男がストーカーのようにじーーーっと見てるだけってのはヘン。
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気に入らなかったのはそこだけ(だけにしちゃ多いけど)。
もちろん、いいなぁと思ったところもあったわけで。
☆レニー・ゼルウィガーの演技! やりすぎ〜?というくらいの迫力で結構。 なにせヒロインの度肝を抜かねばならないのだから、中途半端じゃいかんでしょう。 アル中の父親にないがしろにされ、自力で生き抜くすべを身につけた男勝りのタフな南部の村娘。 さばさばとした性格、素朴さ、力強さの陰に見え隠れする孤独、 愛に飢えた心。 そして、初めての恋。憎まれ口をたたいても、にじみ出るたった1人の肉親へのやるせない愛。 ルビー役、お見事でした。
☆戦争未亡人を演じたナタリー・ポートマン。 大きくなりましたね、はもう禁句でしょうか(笑) 彼女はすばらしかったですが、そもそも、このシーンはなくては ならないシーンではなく、映画という器には余分だったかも。 連続ドラマで一年くらいかけてやるのなら、あったほうがいいエピソードだと思うけれど。
☆ジョヴァンニ・リビシ。 この人はあいかわらずですね。こういう脇役がいてこそ映画はおもしろくなる。
☆ジュナ・マローン。 大きくなりましたね(もうコレやめよう(^_^;) 彼女の大ファンなので、短い出演でしたが、おおっと思いました。
☆森の老婆のシーン。 ここは実にいいですね。命、未来、犠牲。短いシーンなのに 印象的でした。
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あと30分短く、主演がジョニー・デップで、ヒロインは無名の新人の若い娘さんだったら同じ脚本でももっと好きになれたかも。
2004年12月17日(金) |
「クリビアにおまかせ」懐かしさを感じるポップでチャーミングなミュージカル仕立ての総天然色ハートウォーミングコメディ♪ |
『クリビアにおまかせ』【JA ZUSTER, NEE ZUSTER(はい、看護婦さん、いいえ、看護婦さん)】2002年・オランダ 監督:ピーター・クラマー 原作:アニー・M・G・シュミット 脚本:フランク・ハウトアッペルス/ハリー・バニンク ピーター・クラマー 撮影:ピヨッター・クックラ 出演:ルス・ルカ(療養所長、クリビア) パウル・R・コーイ(隣家のクソ爺ぃ、ボーデフォル) ワルデマル・トーレンストラ(泥棒、ヘリット) チツケ・ライディンハ(住人、イェット) パウル・ドゥ・レウ(美容師、ワウター) ベップ・コスタ(住人、発明家の博士さん) エド・ブレンナー(住人、おでぶちゃんのベルトゥス) レナート・ヴァンダー(住人、へせっぽちのボビー) フリッツ・ランブレヒツ(ヘリットのおじいちゃん)
60年代、サクラ草通りを舞台に、君子蘭(クリビア)の名を持つ陽気な看護婦さんを中心に繰り広げられる“ご近所ミュージカル”。
法廷。療養所、クリビア・ホームの女主人で看護婦のクリビアが、 隣人で大家のいじわる爺さんボーデフォルに立ち退きを求めて告訴されたが、あっさり判事に却下される。
療養所とはいうものの、現在彼女のホームに入居しているのは、 病人ではなく、身よりもなく、1人暮らしをするお金もなく、仕事の才能もなく、どうもうまく社会に適応できないけれど、夢と希望に満ちて陽気に生きている人々だ。
バレエダンサーを夢見るけどリズム感がゼロのイエットや、 素晴らしい薬を発明してノーベル賞をとろうと頑張る発明家の 博士さん・・・そんな彼らが、クリビアの慈愛と奉仕の精神の庇護の元、家族のように暮らしている。
・・・だから元気すぎて、毎日一日中、どったんばったん、上から下への大騒ぎ!博士さんはしょっちゅう実験に失敗して爆発騒ぎを 起こすし。 でも、「ドアをバタンをしめないでぇ!」と叫ぶクリビアの声が実はいちばんやかましいのであった。 ボーデフォル爺さんが血圧上がる理由もわかるけどネ。
さて、舞台をまたしてもクビになったバレリーナの卵、イエットが しょんぼり帰宅する途中、ハンサムな青年ヘリットと出逢う。 2人は恋の予感に酔いしれるが、ヘリットが実は泥棒を稼業にしていたことから、クリビア・ホームとボーデフォル爺さんを巻き込んで大騒動に・・!!
やっかい事は、ヘリットだけではなかった。 博士さん、ついに“悪人を善人にする薬”の開発に成功。 臨床実験なぞなしに、ボーデフォル爺さんの愛猫(※凶暴)に 食わせてしまったぁ! それに気づかれちゃったからさぁ大変、またしても告訴されてしまった。
まだまだ騒動は続く。 ヘリットのグランパ(お爺ちゃん)が、彼の誕生日を祝いに やってくるという。 ホームをあげて歓迎パーティを準備していた彼らだが、 ヘリットの爺ちゃんも泥棒だと知って大ショック!!家系らしい・・。
しかもこの爺ちゃん、とんでもない置き土産を! ついに進退窮まったクリビア。
ああ、行くあてのない彼らはこのまま追い出されてしまうのか。 ボーデフォルは、クリビア・ホームを金持ちの老婦人専用の養老院に改築して大儲けしようとご機嫌だ・・・・。
う〜〜ん♪ なつかしい、MGMのテクニカラーミュージカルへの オマージュがこんもり詰まったハッピーでキュートでハートフルで カラフルな、レトロ感が心地よい作品。
君子蘭のオレンジの花のように元気いっぱいで凛とした雰囲気の オレンジ色の髪のクリビア。 どことなく山田花子に似ている愛嬌満点の顔立ちのお嬢ちゃん、 イエット。 2人とも美人じゃないんだけど、親しみのある顔立ちがいい。
この物語、もともとはオランダのお茶の間で60年代に大人気だったTVシリーズ。あれですな、「カラー・オブ・ハート」の中の“プレザントヴィル”みたいな位置づけでしょう。
後に舞台化もされ、舞台の主演も、オランダのトップ女優、ルス・ルカ。 これがこうして映画化され、本国では大ブームになったようですね。
雰囲気が、「リトルショップ・オブ・ホラーズ」にも似てますよね。セットの街角で歌い踊るミュージカル・コメディ♪(話がそれますが、「リトル〜」は舞台では悲劇ですが、映画ではハッピーエンドですよん)
先が読め読めの展開も、ちっともつまらなくない。 1シーン1シーンがとても楽しいのだもの。
赤十字をイメージした赤と白、不思議の国のアリスのような 水色のワンピースに白いエプロンの看護婦さん姿。 とっても綺麗。
個人的にツボは、男性陣のシャツ+ブリーフ(赤十字のマーク入り)(≧∇≦)/
60年代の衣装、髪型、小道具。 そして、オランダの方が見れば、雑誌や雑貨が当時流行したもの のようで、レトロさがたまらないみたいですね。 オランダ語の響きもステキ。 ドイツ語ほど堅くない、フランス語ほど優雅でない。 公式サイトで知りましたが、登場人物のキャラによって訛が バラバラなのも、地元の人にはウケるようです。
コントっぽいドタバタ感も嫌みがなく楽しいかぎり。 老若男女を問わず、オススメの映画だと思いますよ♪
2004年12月15日(水) |
「ポーリーヌ」花の国ベルギーの、小粒だけど本物の真珠のような映画。知的障害のある60代の姉をめぐり、妹たちがてんてこ舞い。 |
『ポーリーヌ』【PAULINE & PAULETTE(ポーリーヌとポーレット)】2001年ベルギー=仏 ★2001年カンヌ国際映画祭 監督週間キリスト教会賞 監督:リーフェン・デブローワー 脚本:リーフェン・デブローワー/ジャック・ブーン 撮影:ミシェル・ファン・ラール 音楽:フレデリック・ドゥヴレーズ/フレデリック・デフレーセ 俳優:ドラ・ファン・デル・フルーン(知的障害のある老女、ポーリーヌ) アン・ペーテルセン(すぐ下の妹、ポーレット) ローズマリー・ベルグマンス(末の妹、セシール) ジュリアンヌ・デ・ブロイン(ポーリーヌの姉、マルタ) イドヴィグ・ステファーヌ(セシールの恋人、アルバート)
ベルギーの小さな村、ロクリスティ。 知的障害がある66歳の老女、ポーリーヌは、独身4人姉妹の上から二番目。 かなり高齢の姉マルタが、手厚く手厚くポーリーヌを世話していた。 歌いながらお花に水をやることと、紙に書かれたメモをもっておつかいにいくこと、花の写真や絵をちぎって集めてはコレクションすること、それがポーリーヌの日課だ。靴ひもも自分では結べない。
近所に住むぽってりとふくよかな三女のポーレットは、小さな洋品店を経営しながら、夜は素人オペラのディーヴァをつとめている。 薔薇色のものにかこまれて花のように華やかなポーレットは、 ポーリーヌの自慢で憧れだ。 しょっちゅう、店にふらふらと来ては、妹にくっつく。 ポーレットは鬱陶しくてたまらない。
だがある日、とうとうマルタが帰らぬ人となってしまう・・・・。
葬儀の直前に、やっとこさ駆けつけた四女のセシール。 50代で子供のいないセシールは、ずっと前にこの田舎を捨てて 都会に飛び出してキャリアウーマンとして生きている。 インテリの恋人と同棲中だ。
さて、数分も1人きりでは置いておけない幼児のように手のかかるポーリーヌをどうするか。
毎日現実を見ているだけに、施設に預けると言い張るポーレット。 そんなの可哀想だと口先ではいいつつ、自分が面倒をみるのはイヤだと言い張るセシール。
ところが、マルタは遺書を遺していた。 公証人に内容を告げられ困ってしまう2人・・・。
施設に預けるのなら、遺産はすべてポーリーヌに。 妹のうちどちらかが手厚く世話をするのならば、財産は三等分に。
う〜〜ん。
当のポーリーヌは、大好きな、大好きな、お花のようなポーレットのそばがいい。 でも、仕事に趣味に多忙なポーレットにはつきっきりで世話は無理。 セシールは、妹といえど、十数年も逢ってなかった。顔も覚えていない。都会のアパートはとても狭く寝室1つとリビングだけだ。 だいたい、気むずかしいインテリの恋人が首を縦にふるはずがない。
う〜〜ん、困った。
資産家ではなかったから、財産たって血眼になるほどのモンじゃない。別にこだわるわけじゃないんだけど・・・・。 「姉妹仲良く暮らすこと」それがマルタの遺言だった。
とりあえず・・。ポーレットの家に身を寄せるポーリーヌ。 マルタと何十年も暮らした家は、売りに出した。
だが、予想した通り、次から次へポーリーヌがやっちゃってくれる こと、逆にできないことの多さにポーレットはノイローゼ寸前に・・・・。
ついにキレてセシールのところへ押しかけポーリーヌを置いてきてしまうのだが・・・・・・。
知的障害のある兄弟の面倒を見なければならない状況に追い込まれ、ふりまわされながらも、やがて自分の人生に欠落していた 大切なものに気づいてゆく、というあたりは、往年の名作、 「レインマン」 1988年・米 によく似ている。 また、知的障害者とのふれあいが人生の見方を豊かにしてくれた、という普遍的なテーマの名作に、 血の繋がりどころか縁もゆかりもない知的障害者になつかれてしまいてんてこまい、でも(以下、レインマンのテーマと同じ)、という「八日目」 1996年・ベルギー・仏 がある。
ベルギーの映画は、今まで観たものすべて、深い人間への慈愛と ユーモアに満ちた、温かい映画ばかりだ。 ちなみにベルギー映画で一番素晴らしいと思うのは、 「トト・ザ・ヒーロー」。
お国柄なのか、そういう映画を選んでバイヤーが買い付けているのかはわからんが。 でも、国をあげて緑化、園芸に取り組んでいる“花の国”の精神 なのではないかな、と思うのだ。
「八日目」は、幸福感と悲劇が同居する結末にショックと、他に どうしようもないのかな・・・という諦めが入り交じり、ちょっと複雑だった。 コッポラの「雨の中の女」もそうだった。 身寄りのない赤の他人の知的障害者を一生世話は現実的に できないわけで、悲劇にもっていってしまいがち。 「八日目」は神様のお気に入りとなって天に召されるのだから 単純に悲劇とは片づけられないが、信仰心があるかないかで あの映画の感想は両極にわかれるだろう。
前ふりが長くなったが、本作は、赤の他人ではない。 「レインマン」寄りの物語と思って大丈夫。
ただし、状況は全然違う。 全員独身、高齢4姉妹(末娘は50代くらいでまだ若いが)。 ポーリーヌに、特殊能力はなし。 映画のはじめは、障害ではなく老人性痴呆症かと思った。
「レインマン」はめちゃめちゃどシリアスな映画である。
本作は、老人問題、知的障害者を抱える家族の問題を描きながら、 ・・・・コメディの要素がかなり強い。 誤解しないで頂きたい、可愛らしすぎる行動をとるポーリーヌを 笑うのではない。 彼女が、チャイコフスキーの「花のワルツ」を口ずさみながら 花に水をやる姿や、美しいものに見入る姿に目尻が下がることは あっても、可笑しくなんかない。
姉の言動に振り回され、自分を見失っている妹たち、特にやはり ポーレットが可笑しいのだ。 そして、自分だったらどうするべ?と思うとき、深刻にずもーん (-ι-;) と悩む方向にはゆかないんだな、この映画。 ずもーん(-ι-;) ときたのは真正面からアルツハイマーを 患った高齢の妻を介護する高齢の夫を描いた「アイリス」。 問題が身近すぎて・・・。
この「ポーリーヌ」、高齢である、ということが、問題をかなり身近にしているように思う。特殊な問題、でありながら、実は普遍的じゃないか?
知的障害者の施設を、老人ホームにおきかえてみると、 家族、兄弟姉妹のいる人は、いつか直面する確立が高いはずだ。
でも、この映画の優しさと明るさは、ポーリーヌ、という女性の人間性によるものだ。 大事なこと。それは、知的障害者=ポーリーヌ ではないし、 ポーリーヌ=知的障害者 ではない、ということ。
障害があったってなくたって、人格とは別物だ。 この映画が微笑ましいのは、ポーリーヌがステキなレディだから。 そして、その妹のポーレットも、大輪の薔薇のようなレディだから。
みんな、自分が生きるため、誤魔化しなしの本音で話す。 一見すると偽善者のように見えてしまいがちなセシールだって、 施設に入れたら可哀想だから(実際には、ポーリーヌ、施設で とても楽しい日々を過ごし、同じ趣味の友達もでき、成長もするのだから、セシールの勝手な思いこみなのだが)、誰か身内がひきとるべきだ、でも私はできない、というのは本音だ。 姉を愛しているから、出る言葉だ。
愛してなかったら、スズメの涙の財産なんかにこだわらず、 施設に預けなさいよ、と言うだろう。 何十年も、家族と故郷から逃げていたセシールの後ろめたい気持ちが、腫れ物に触るようにポーリーヌを扱う姿の滑稽さで際だつ。
セシールがしてあげられたこと。一番お金持ちで一番若くて元気だけど、してあげられたのは、ポーリーヌの大好きな花のカーペットを見せてやり、「花のワルツ」のオルゴールを買ってやれたことだけ。でも、それも彼女なりの愛。
この映画を観ると、同じ知的障害というキーワードからも、 その「選択」というキーワードからも、を「アイ・アム・サム」 思い起こす。
ポーリーヌにも、ポーレットにも、一番よい選択(グッドチョイス)を。 ラストは、ほぼ「アイ・アム・サム」と同じととってよいだろう。
一緒に暮らすことだけが愛じゃない。仲良しの証拠じゃない。
映画という枠を離れて、何年か後に、ポーレットが先に他界しても、あるいは、高齢によりポーレットが老人性痴呆も出て シモの世話が必要になったその後、突然、施設に放り込まれるよりもずっと幸せなはず。
ファンタスティックな映像と、とても現実的な物語。 愛に満ちている。 それはうわっつら、何でもしてあげるわ、大好きよ、というものではなくて、姉妹1人1人のポーリーヌに対する愛情表現が本物だから。 マルタは世話を24時間やき、手厚く守った。でもポーリーヌの自立は妨げられた。でも、それも愛。 ポーレットは怒るしグチもこぼすし、24時間かまっちゃいられない。施設にも入れる。でも、おかげでポーリーヌは靴が自分で はけるようになり、パンにジャムを塗ることも覚えたし、 家族以外に、「友達」もできた。彼女の自立を無意識にでも促したのだ。これも愛。 2つの愛を比較なんてできない。どっちも本物だから。 セシールは、オルゴールを贈ることしかできなかったけど、 そんな自分を責めている。それだって愛。
なにかすることだけが愛じゃない。 何もできなくて優しい言葉をかけるだけでも、手をかさないことも、愛だったりする。
大事な人がいるなら、逢いにいこう。そして話そう。 モノを贈るのでもなく、つきっきりでもなく。
2004年12月14日(火) |
「デューン/砂の惑星」若きカイル・マクラクランの貴公子ぶりにクラクラ。いかにこの作品が後世のSFに影響を与えたことか。 |
『デューン/砂の惑星』(劇場公開版)【DUNE(海辺の砂丘、惑星アラキスの通称)】1984年・米 監督・脚本:デヴィッド・リンチ 原作:フランク・ハーバート 撮影:フレディ・フランシス 特撮:キット・ウェスト 特殊メイク:ジャンネット・デ・ロッシ 音楽:ブライアン・イーノ/TOTO クリーチャーのクリエーター:カルロ・ランバルディ
俳優: 【アトレイデス家】 カイル・マクラクラン(アトレイデス家の世継ぎ、ポール) フランセスカ・アニス(ポールの母、道女ジェシカ) ユルゲン・プレフノフ(レト・アトレイデス公爵) デビッド・スチュワート(アトレイデス家の惑星学者、ガーニー) ディーン・ストックウェル(アトレイデス家の主治医、ユエ博士) リチャード・ジョーダン(アトレイデス軍の指揮者、ダンカン) フレディ・ジョーンズ(アトレイデス家、ハワト)
【皇帝】 ホセ・フェラー(表向き宇宙の支配者シャダム4世) バージニア・マスケル(シャダム4世の娘、イルラン) シルバーナ・マンガーノ(シャダム4世に仕える道女) 【ハルコネン家】 ケネス・マクミラン(飛ぶデブ、ハルコネン男爵) スティング(ハルコネンの甥、サディスト美青年、ファイド) ポール・スミス(ハルコネンの甥、巨漢、ラバン) 【砂漠の民、フレメン】 イベレット・マッギル(スティルガー) マックス・フォン・シドー(カインズ博士) ショーン・ヤング(カインズ博士の娘、チャニ) アリシア・ロアンヌ・ウィット(ポールの妹、アリア) ショーン・フィリップス(教母)
はるかはるか未来・・・・。 宇宙は、皇帝、ハルコネン家、アトレイデス家の三つ巴の睨み合いのただ中にあった。 皇帝すらも恐怖にひれ伏す魔獣ギルドは、この事態の収拾を皇帝に命じる。 ギルドは、ポール・アトレイデスの暗殺を命じた。
この血なまぐさい抗争の原因、それは、砂の惑星、アラキス。 一滴の水もないその星は、デューン(砂丘)とも呼ばれている。 巨大なムシ(宇宙ミミズ)があふれかえり、砂漠に隠れ住む民が 少数いるという情報しかない、 一見何の価値もなさそうな砂の惑星が、なぜ全宇宙の欲望の渦中にあるかといえば、全宇宙を探しても、アラキスでしか“香料”が採取できないからなのであった。
この“香料(スパイス)”は、人類に超人的な力を与え、驚異的な長寿や精神力(超能力)を与え、かつ、時空を折り畳み、不動のままのワープを可能にする超光速宇宙飛行に不可欠な薬物であった。
アラキスの統治権を巡り睨み合うアトレイデスとハルコネン両家。 皇帝は、ある目論みから時の統治者、ハルコネン家から統治権を剥奪、アトレイデス家にアラキスの統治を命じる。
アトレイデスの世継ぎが男でなければ、娘をハルコネン家に嫁がせて争いは避けられたはずだった。 そのため、ジェシカは娘を産むよう命ぜられていたが、 政略結婚でありながら深く愛し合う夫レトが息子を望んだため、 ポールを産んだのだった・・・。
ハルコネンの残党が残り危険な中、アラキスに移住を余儀なくされるアトレイデス家。
だが、到着するなり父レトは内部の裏切り者によって暗殺され、自らも消されそうになったポールは、気温300度の砂漠に棄てられようとする飛行機の中で、ついにその運命的な能力の一端である“声(ヴォイス)”を発動させ、危機を逃れる。
父の無念を晴らすため、そして身重の母を守り抜くため、ポールは 巨大ミミズの襲撃を覚悟で砂漠に逃走するのであった。
アトレイデスの血は絶えた、と上機嫌のハルコネン男爵。 皇帝も、覇権争いの終結に安堵、といきたいところだが・・・?
アラキスの南極に不時着したポールと母は、彷徨ううちに、 伝説の砂漠の民、フレメンに迎えられる。 ごく少数、点在しているだけと伝えられていたフレメンが、 地中に無数に隠れ住んでいたのだ。
奴隷として地表で少数が香料採掘のため働いていたのは敵を欺くための智恵だった。
フレメンは、この母子の不思議な能力に驚き、技を伝授してほしいと願う。 ポールも母も、宇宙から争いの火種を消し去るべく、このアラキスに平和をもたらずために惜しみなく協力を誓うのだった。
ムシの毒から精製される“命の水”の毒を克服し、新たな教母として君臨する母ジェシカ。教母のみが飲むことができ、精神力を増幅させることができる。 やがてジェシカは生まれながらの道女、アリアを産む。
男が飲めば、たちまち死に至るという・・・。 だが、伝説では、男にしか到達できない境地があるのだとも。 伝説の男、クイサッツ・ハデラッハだけが、死なずにその境地に達することができる、と・・・・。
まだ、今のポールには挑戦する自信はなかった。 でもきっといつか。そう他界した父に誓うポールであった。
香料の星の地底で暮らすうち、香料によって能力を増幅させてゆくポール。 だが、やがてポールは気づいてゆく。 この香料の正体を。そして、この星の平和、ひいては宇宙の平和のためには、何をすればよいかを。 それは、父の復讐のためのハルコネン家の討伐という次元の闘いではなかった・・・・。
フレメンを鍛え、フレメンに教えられ、やがてすべての試練を乗り越えリーダーとなったポール。 時は満ちた。 今、砂漠の民が立ち上がる!!!いざ、決戦!!!
打倒、ハルコネン家、打倒、皇帝。 そして砂の惑星に命を、人類に平和を。
リンチ監督のメジャーデビュー作であり、かつカイル・マクラクランのデビュー作でもある本作、当時で製作費120億、クルーは600人以上、エキストラは15000人以上という、B級という本来の意味からはきっとズレるんだろうと思うのだけど、 私がBというとき、そこにはオタッキーなまでの製作サイドの こだわりや愛を褒め称える敬意が混じっている(っていうか、大金とすんごい労力でよくこげな楽しいもんつくったね、なんてカッコイイの!?というリスペクトがほとんど)ので、B級大作、と呼ばせてくださいw
カイル王子さまは「ヒドゥン」で若き日のお姿を初めて見て、 ズキューン!とハートを射抜かれた美青年。 あ〜そういや、ヒドゥンでも地球外生物だっ(あ、ネタバレ
私が王子さま、とお呼びするのは、カイル・マクラクラン様と ルーファス・シーウェル様だけです。 黒髪で色白が条件ナリ(すげー主観
アトレイデス家は、ロシア皇族のような雰囲気の衣装と顔立ちの キャストで固めてます。気品があります。コッチが正義ですから。 色白の肌に漆黒の髪、母星は緑と水の豊かな惑星。
悪役となる残虐非道な上変態なハルコネン家は、名前はこいつらのほうがロシアっぽいが、赤めの肌にオレンジ系の髪、毒々しく赤い唇。ん〜?アメリカ人ぽいね? 母星は無機質な機械惑星。
スティングのブチキレっぷりとえっちなオーラ漂う半裸も見物。 それにヨダレを垂らし、美少年の生き血を吸う叔父役のケネス・マクミラン(特殊メークすごいけど)のホモおやじっぷりにも爆笑。
で、皇帝ですよ。「シャダム4世」さだむぅ?さだむ・ふせいん?? なくてはならないのに採取できるところが極度に限られている香料→石油 手に負えないいくらでもわいてくるムシ→ゲリラ シャダムもビクつくギルド→7シスターズ じゃない??
砂漠ですしね、聖戦ですね。まさに。 人物の名前も、小道具も、美術もイスラ〜〜〜ムな香り。
うわ〜。ロシアVSアメリカVS中東の三つ巴の糸ひく石油資本! SFって奥が深いのぅ。
で、ギルドなんですが、なんですか、あの ウサギ+ジュゴン+★※?◇▲+マーズ・アタック!の火星人=ギルド なお姿は(汗
あの縦に長い鼻?口?の穴が、ぴくぴくひくんひくんするの、 ウサギですからぁぁ!! でも脳に直接手足が生えてるような気もしますからぁぁっ!
すみません、ギルドのキモチワル可愛い姿に興奮してしまいました。
FF10の砂漠のサンドワーム、そのま〜んま、この映画の “ムシ”に色つけたもんだ〜(笑) でかさといい、ミミズっぷりといい。
あと、あのモジュールつけて気ではぁぁぁっっっ!!!って 波動でモノをブチ壊す技、格好がまんま、「かめはめ波」だぁぁぁ!!(笑)恐るべし、当時じゃとんでもない大作だったこの映画の影響力。
ポールが波動ビーム撃つたんびに、「か〜め〜〜は〜〜め〜は!」 と言って遊んでました。こういうバカは映画館じゃできませんね。
とにかく、この際、ストーリーはいいです。 中世の男爵と公爵と王家の派遣争いと、それに立ち向かう、神秘の力を持った森の民かなんかを、まんま宇宙の彼方、 西暦10000年以上の未来にもってきたわけで。
かなり登場人物も多いし、裏切ったり裏切られたり、ごちゃごちゃしてますが、(リンチのストーリーを語るのに、破綻がどうとかは禁句→参考:傑作「マルホランド・ドライブ」)
いや、この作品は、メジャーデビューの意気込みも万全、 とっても万人受けしそうな、細かいことを気にしなければ 充分に起承転結くっきりしたわかりやすいSFですね。
・・・あのスティル・スーツ。 仮面ライダーっぽかった。
あと、鼻栓。 「バトルフィールド・アース」の鼻栓は鼻毛っぽかったけど、 これは垂れてないですから、鼻毛には見えませんな。
いい勉強になりました(ぇ
蒼い瞳じゃなくて目(白目のトコまで蒼い)、海、なかなか印象的でした。
海で終わるSFって「ダークシティ」「13F」など、思い返すと けっこうありますね。 海って命の源でもあり、ミクロな小宇宙ですものね。
2004年12月11日(土) |
「25時」明日から7年の刑期で投獄される男の最後の自由な一日。俳優陣の演技が冴え渡る。現代の哀しきスタンド・バイ・ミーのようで。 |
『25時』【25TH HOUR】2002年・米 監督:スパイク・リー 原作:デイヴィッド・ベニオフ『25時』 脚本:デイヴィッド・ベニオフ 撮影:ロドリゴ・プリエト 編集:バリー・アレクサンダー・ブラウン 音楽:テレンス・ブランチャード 俳優:エドワード・ノートン(元麻薬ディーラー、モンティ) フィリップ・シーモア・ホフマン(モンティの幼なじみ、高校教師、ジェイコブ) バリー・ペッパー(モンティの幼なじみ、証券ブローカー、フランク) ロザリオ・ドーソン(モンティの恋人、ナチュレル) アンナ・パキン(ジェイコブの生徒、ダヌンツィオ) ブライアン・コックス(モンティの父親) トニー・シラグサ(ロシア人麻薬ディーラー、コースチャ)
9.11の傷跡も生々しいニューヨーク。 夜の闇に、瀕死の犬のうめき声。 麻薬ディーラーのモンゴメリ、通称モンティは、相棒のコースチャがやめておけと制止するのもきかず、暴れる犬を抱きかかえ獣医に運んだ・・・。 後に犬は全快し、ドイルと名付けられモンティの忠犬となった。
ハドソン川のほとりの遊歩道。 ドイルと朝の散歩中のモンティが川面をみつめ佇んでいる。 ジャンキーが粉を乞いに近づくが、追い払う。
モンティは先日、何者かに密告され、DEA(麻薬捜査局)に 逮捕された。 明日の朝、出頭せねばならない。刑期は7年。 最後の自由な一日。
母校の高校にふらりと立ち寄る。 授業中の高校教師、ジェイコブを呼び出し、今夜の送別会に 来てくれと告げる。胸が締め付けられる思いのジェイコブ。 冴えない中年のジェイコブに、成績評価狙いで色目を使う女子高生がいる。奇妙な胸騒ぎを隠せないジェイコブ・・・。
ジェイコブは幼なじみのフランクにも電話で伝える。 フランクは、上司にも高慢に楯突くが、凄腕の証券ブローカーだ。 自分を何より愛し信じているフランクは、モンティは自業自得だと 冷たい口ぶりだ・・・。
散歩を終え、自宅に戻るモンティを待っていたのは恋人のナチュレル。2人の最後の日だというのに妙に冷たいモンティにナチュレルは困惑し悲しむ。
実は、モンティはナチュレルが密告したのだと吹き込まれており、 彼女の目をまともに見られないのだ。
彼女を避け、父親の元に向かうモンティ。 老いた父にも、息子との最後の夕飯だった・・・・・。
モンティが何より恐れるのは、整った顔立ちの自分が刑務所で 輪姦され続けること。気が狂いそうだ。
夜も更け、この地域の麻薬売買を牛耳るマフィアが経営するパーティ会場に向かうモンティ。
パーティには、心から信頼している幼なじみの2人しか呼んでいない。ジェイコブとフランクだけだ。
モンティは、ジェイコブには愛犬ドイルを託し、フランクにあることを頼む。親友にしか頼めない、と。
モンティは、服役するのか、逃亡するのか、自殺するのか・・・。
夜は更け、朝日が昇る・・・・。
さすがはスパイク・リー監督。感服。 黒人差別問題から離れても、やっぱりいい作品つくるな。
人種じゃないけど、一種の差別はやっぱり描かれてる。 収入。職業。(麻薬は犯罪です、それはキッパリと断罪しており、そこに同情は微塵も入ってこない)
同情は、こんなことになるまで人生の軌道修正をしようとしなかった、男の愚かさに。そしてその男をそう育ててしまった哀しい父に。 そして、人間は、失ってみなければ当たり前の日々の大切さに 気づけない生き物だということ。
当たり前の日々をこれからも失わないであろう高校教師と株式ブローカーも、失う前にまず、「得ていない」こと。 形は違えど、2人とも、失うことが怖すぎて人を愛さない。 ユダヤ人の高校教師は守りの姿勢に身を縮め、WASP(White Anglo Saxon Protestant)の株式ブローカーは自分を守るために牙をむいて攻めの姿勢で生きている。
これからの7年間だけでなく、出所後も・・・刺されたりエイズ感染などせずに運良く生き抜ければのハナシだが・・・空っぽの長い人生を送るかもしれない恐怖と不安に壊れる寸前の麻薬ディーラー を主人公に描きながら、この映画が観客を惹きつけるのは、 彼を取り巻く周囲の人々の心の動きだ。
そして、9.11で「タフで負けないNo1、アメリカ」の自信を ひどく傷つけられ、怒りと恐怖と先の見えない不安を抱えて生きるアメリカ人、中でも毎日、グラウンド・ゼロを目の当たりにしているニューヨーカーの言い尽くせない喪失感を痛ましく映像で表現している・・・。
3人の友情にはほんとは物語のはじめからヒビが入ってる。 モンティにだって本音の部分ではわかってる。 でも、最後のすがりたい誰かは、幼なじみだった。
同じ釜のメシを食ってる仕事の同僚のほうが気心が知れてる、 という場合もあるだろうが(父親のように、消防士のような 命が連帯しているような職ならば特に)、 モンティは、そのシゴトのせいで人生を失ったのだ。
消防士というシゴトのせいで人生を失った尊い喪失とは比べものにならない。繰り返し出てくる消防士の話題が、それを示唆している。
互いの職業がそれぞれにムシのすかない(モンティは2人の職業では友人の価値を判断していない、むしろ敬意を払っている。自分には到底無理な眩しい世界だから・・・だがそこに卑屈さも見え隠れし・・・)独身3人男が、それぞれ友を観ることで素っ裸の 自分を向き合わねばならなくなる辛い一夜。
恋人のナチュレルはあまりにも重い物語に花を添える小道具の1つ。美しい花ほど悲しみも深い。 やはりこれは男の物語だ。
★ベテラン性格俳優フィリップ・シーモア・ホフマンの演技には 相変わらず舌を巻くが、ちょぉぉぉぉっと、バリー・ペッパー&エドワード・ノートンの“幼なじみ”は視覚的に無理が(苦笑) 1人だけ中年のかおりが漂ってましたが(汗
やっぱり、何もできないジェイコブ。ユダヤ人は金持ちだと思われたくなくて必要以上に慎ましく暮らす小心者で他人の目を気にして したいことができない(※しちゃイケナイこともありますがね)ジェイコブ。
人一倍、気が弱いけれど、人一倍、穏やかで優しい。 ジェイコブは、愛犬を託される。 犬は裏切らない。決して裏切らないと存在の象徴だ。
★出演作ごとに男前が上がってきている(たまに下がるんだが)バリー・ペッパー。なんか好きでほとんど出演作観てるもんで。 綺麗なブロンドに垂れ眉にヘの字のおちょぼ口が強烈なバリー君。 への字口が、不平垂れまくりの今回の役にはピッタシ!! 今回、初めて、「あ、かっこいい」と思いました。いや、違うな、 「演技できるんじゃん!!」と思った、だ。 あの顔立ちのおかげで、黙ってても雰囲気出ちゃいますんで、 その雰囲気を超える何かが今までなかった。
バリー・ペッパー演じるフランクは、その攻撃性をモンティに愛されている。 きっと、こうなる前に、もっと責めてほしかっただろう。モンティは。それにフランクが気づくシーンが胸を揺さぶる。 幼なじみを失いたくないから、表面的に穏やかな旧交を大切にし、トラブルを回避した結果が、コレだ。 後悔しても後悔しても、もう遅い、自分への怒り。 それを、モンティはちゃんとわかってやっていた。
素人に数分殴られたって、半月もすりゃ治っちまう。 本来の目的の役には立たんさ。 そんなの、互いにわかってる。 フランクは、泣きながら殴った。公園で、やんちゃ坊主だった 幼い日のケンカとは違って、自分の拳のほうが痛かっただろう。
オカマ掘られるのが何より怖いんじゃない。 そんなことになってしまった自分の、美しい皮の下の醜さに釣り合う顔にしてほしかったのだと思う。
友の手を借りて、心の痛みを顔の痛みにすりかえて。 フランクもそれをわかってる、だから泣いてる。
★エドワード・ノートン。 今更何も、付け足すことは、という感じですな。黙って演技できる中堅俳優は少ないですから。 主役でありながら、映画が掘り起こしたいのは彼よりも周囲の人生であることを、理解し実践できている。 これは難しいことだと思うのだ。 学はあったのに、様々な要因でドロップアウトしてしまった男の、 強がりと孤独。 友に見せる顔、恋人に見せる顔、父に見せる顔、1人きりのときの顔。 「自業自得でムショ行きになったバカなヤツ」という紋切り型の 不良青年には見せない。 そこがコケたら、この映画もうダメだもの。配役の勝利。
「デス・トゥ・スムーチー」を唐突に思い出してしまった。 ピンクのカバのぬいぐるみ着てるの、エドワードですよ・・・・・。
コーエン兄弟の「赤ちゃん泥棒」のラストシーンを連想された方も多いだろうか。 あちらはハッピーエンド。
ああ、親だなぁ、とその一言に尽きるラストのくだり。 人生にもしもはやっぱりなくて。
もしも、飛行機があの朝つっこまなければ。それと同じで。 起こってしまったことに逃げ場はなくて。
あまりにも愛が深すぎて、応えられないゆえに痛みも倍増する。 でも、救いのない結末に子守歌のように流れる、ブライアン・コックスの淡々とした無償の愛に満ちた言葉に胸がなだめられる。 観客も、そして、きっとモンティも。
25時。24時間が過ぎて、そして、あるはずのない25時を 夢見る父。その父を、父の夢ごと抱いて、モンティは父と別れた。
2004年12月10日(金) |
「ギャザリング」正当派オカルト。残忍なものを傍観したいのは太古から人間の呪われた業なのか。クリスティーナ・リッチはまり役! |
『ギャザリング』【THE GATHERING】2002年・英 監督:ブライアン・ギルバート 脚本:アンソニー・ホロヴィッツ 撮影:マーティン・フューラー 音楽:アン・ダッドリー 俳優:クリスティーナ・リッチ(記憶喪失の女、キャシー) ハリー・フォレスター(マイケル少年) ヨアン・グリフィズ(町の青年、ダン) ケリー・フォックス(マイケルの継母、マリオン) サイモン・ラッセル・ビール(村の司祭、ルーク) スティーヴン・ディレイン(美術品修復家、サイモン) ブレア・プラント(ベルナール神父) ブリジット・ターナー(家政婦、グローブス夫人) ジェシカ・マン(マイケルの姉、エマ)
イギリスの田舎町、グラストンベリー。 村祭りを抜け出した若いカップルが丘に登る。 突然消えた2人。深い深い穴に落ちたのだ。男は即死。
一週間後、救助は間に合わず女も死んだ。
2人が落ちた穴は、紀元1世紀の神殿だった・・・! 最古の神殿ゆえ、世紀の大発見、と大騒ぎになるはずだが、 教会は不安と動揺に包まれる。
祭壇(壁)のほうを向き、教会(信者)に背を向ける形で置かれた十字架のイエス。祭壇には、聖人ではない、いくつもの石像がびっしりと磔のイエスを見つめる形で壁に埋め込まれていた。 あり得ないことだ・・。
塩分と水分で損傷が激しく、即刻修復にとりかかることになったが、教会側はマスコミに知られないよう、秘密裏に、と、この町の 司教、ルークに釘をさした。 そこでルークは、ここに住む美術品修復や真贋鑑定の専門家、 サイモンに仕事を依頼した。
サイモンは2年前、イエスの十字架の切れ端だと信じられていた木を、ただの流木だと鑑定し、信者を傷つけたとルークと一悶着おこしていた。
だが、過去の確執にこだわっている場合ではなく、あまりにも 衝撃的なこの遺跡の研究にすぐさま取りかかるサイモン。
その日はひどい土砂降りだった。 幼い息子、マイケルを後部座席に乗せて運転してたマリオン(サイモンの妻)は、若い女性を轢いてしまう!
だが担ぎ込まれた病院で、彼女はかすり傷程度で、入院の必要もない、と診断される。 頭を打ったせいで、軽い記憶喪失になっている彼女を、マリオンはせめてもの償いに、と豪奢な自宅に住まわせることにした。
彼女のパスポートによると、アメリカ人旅行客のようだ。 名前はキャシー。 すぐに体は回復した彼女は、まだ幼いエマとマイケル姉弟の世話をし、2人にもなつかれ、忙しい夫妻も安心してキャシーに子供たちを預けていた。
子供たちを学校に送ったり、散歩をしたり、小さな町をゆったりと 歩くキャシーは、不審な人々が自分をじっと見つめていることに 気づく。若者から老人まで・・・彼らは何も喋らない。 彼女にひたひたと近づき、凝視するのみだ。
それだけではなく、夜には悪夢にうなされるようになる。 昼間も、血まみれになっている人を見かけるように。 予知能力なのか・・・?
やがて彼女は気づく。マイケルも自分と同じものが見えることに。 そして、ついに、マイケルの死に顔も見えてしまう!!
父親は多忙で不在がち、生みの母は4歳のときに亡くしている。 それ以来、誰にも心を開かず喋らないマイケルが、キャシーだけに、全身で助けてと訴えているのだ。
絶対にこの子を守ってみせる、と誓うキャシー。
そんなキャシーに力をかしてくれるダンという青年が現れる。 心細さもあり、優しい彼にすがるキャシー。
調べてゆくうちに、サイモンが買ったあの屋敷の忌まわしい過去、 そしてその事件の被害者がまだこの町にいることを知る・・・。 その男は、傷つけられた自分を葬るために、あの屋敷に住むマイケルを殺して過去を清算しようとしている。
遺跡の調査も進んでいた。 磔のイエスを見つめる石像群の正体が判明する。
教会側にとっては実は驚くべき新発見ではなかった。 忌むべきもの、それはギャザリング。未来永劫、この世の地獄を見つめ続けるという罰を科された傍観者たちの姿であった。
やはり封印すべきであろう、と教会は決断を下す。 だが、解き放たれたギャザリングの呪われた力は、この町が 血に染まるのを見ようと動き出す・・・!!!
キャシーは哀れなマイケルを救えるのだろうか・・・!
雰囲気としては、「ダークネス」に近い! 古い建物、子供の悲鳴、生気なく立ちつくす人々に凝視される。 暗闇も悪魔も悪魔崇拝者も出てこないのだが、 キリスト教にまつわる呪いという性格上、バリバリのオカルトだ。
「サイン」でもトウモロコシ畑が怖かった。背が高いから・・・。 本作も、真っ昼間だというのに、あのトウモロコシ畑の怖いこと怖いこと。
ゾンビと違って、何かされるわけではないのだが、ギャザリングは 死神も同然だ。彼らが死を呼ぶわけではないが、死が彼らを集める(ギャザー)。
何もしないほうが怖いっていうの、「シャイニング」の双子の女の子もそうだった。 まだ追っかけられたほうがマシだ〜〜〜!
スラッシャー(殺人鬼)映画の怖さには慣れきってしまい 内臓が出ようが血が噴き出そうが「よく作ったなぁw」という しょうもない愉しみ方をしてしまう私だが、 オカルトはやっぱり怖い。
キリスト教では、傍観は大罪だ。 「“彼ら”は見に来たり 主への敬意ではなく ただ快楽のために」
事故現場や事件現場に集まる野次馬を見るにつけ、何が面白くて見ているんだろう、と不快さを感じていたが、人間の呪われた本能なのか・・・・。
あれですな。 ギャザリング、っていうと怖いんですが、 「野次馬」って邦題だったらどーでしょ〜? コメディっぽいですね。タイトルの力は偉大だ(笑) 要するにイエスの処刑を見に来た野次馬ですからねぃ。
公式サイトに、南京大虐殺と事実ではないものを載せていることにはツっこみたくなったが。
ちょっと気になるのは、原爆投下と、ケネディ暗殺を同じレベルの「人類の惨事」と並べられることには不快感と疑問を感じる。 ルーク司祭の事故死にいたっては、ギャザリングが遺跡を埋められたくないから意図的に起こしたようにすら見えてしまう。 3人いましたもんね。
あとですね、惨事の起こるところには国も時代も関係なく必ずギャザリングが現れるのなら、遺跡の発見と、復讐魔の関連はどうなるのでしょうか。
遺跡が発見されなかったら、彼は復讐を実行しなかったのでしょうか?私は、遺跡が日の元に晒されたことにより、惨事を引き起こすスイッチが入った、ととりましたが・・・・。
ギャザリングは不老不死で、不死身の肉体がある設定なのだけど、 それなら幽霊のように突然消えるのは奇妙。
その時代時代に合わせて普通に人生を送りながらギャザリングしている若いギャザリングと(喋る)、老人のギャザリングとの差も 不自然。 イエスの処刑を見ていた人数は決まっており、あの設定だと十数人というところでしょう。 石像の数ですもんね。
ちょっと、そのへんモヤっとするな〜。
とまぁ、細かいことを言い出すと気になってしょうがないんですが、ツっこんでばかりいて、本質を見失うのはつまらないね。
クリスティーナ・リッチの演技は見事でした。 ラスト、神々しく輝く笑顔と、それまでの蒼白な表情の違い。 メークさんの実力だけではこうはいかない。
不幸な霊感少年は可愛くなければダメです。(例:「シックス・センス」のハーレイ君) 本作のハリー・フォレスターくんもとても愛くるしい。
他人の無惨な死に様を見たい呪われた傍観者、というテーマを、ホラー映画でやっちゃうことのアイロニー(笑) この映画の観客も、ギャザリング、ってことですな。
表面的な皮肉だけではなくてね、「残忍なものを好む人間の業」「見て見ぬふりをする人間の弱さ」を思いっきり全面に押し出した 意欲作だと思いますよ。
「15ミニッツ」の殺人中継を、食い入るように食事中の人たちが見入るシーン、思い出しますね。顔を覆ってる人はいなかった。
2004年12月09日(木) |
「東京ゴッドファーザーズ」年の瀬の新宿で凸凹トリオな3人のホームレスが赤ん坊を拾う。奇跡を信じたくなる寒い師走だから、観たい。 |
『東京ゴッドファーザーズ』2003年・日本(アニメ)
監督・原作:今敏 演出:古屋勝悟 脚本:今敏/信本敬子 撮影監督:須貝克俊 美術監督:池信孝 音楽:鈴木慶一 キャラクターデザイン:今敏/小西賢一 声優:江守徹(初老のホームレス、ギン) 梅垣義明(オカマの中年ホームレス、ハナ) 岡本綾(家出少女ホームレス、ミユキ) こおろぎさとみ(捨て子、清子) 寺瀬今日子(赤ん坊を捨てた幸子) 槐柳二(行き倒れの老人) 屋良有作(ミユキの父で刑事) 加藤精三(ハナの元雇い主) 山寺宏一(タクシー運転手)
年の瀬も押し迫った凍てつく東京、新宿中央公園。 世間はクリスマスのイルミネーションで煌びやかだが、 裸電球1個の下でこの時期を過ごす人々もいる。
過去にイロイロ事情を背負って、帰る家を失ったもん同志、 肩寄せ合って、どつきあいながらも逞しく生きている3人の ホームレスがいる。 自称元競輪選手のむさ苦しいおっさん、ギン。 ココロは誰より女らしい中年オカマ、ハナ。 そしてまだ表情にあどけなさの残る家出少女、ミユキ・・・。
今夜も食料探して裏町を徘徊中。 どこからか赤ん坊の弱り切った泣き声が!! 慌ててゴミのヤマをかきわけると、玉のような愛くるしい女の赤ちゃんが捨てられていた・・・・。
とるものもとりあえず助け出し、暖め、なけなしの金でミルクと オムツを買い今後の相談とあいなる。
警察に届けよう、でないと子供の命もあぶない、と至極当然の主張をするギン。 女になれなかった悲哀から、赤ん坊をどうしても手放すことができない頑固なハナ。勝手に「清子」って名前をつけてしまった。 傍観するしかない、まだ自分も子供のミユキ。
でも、ハナにだってわかっている。 ホームレスが子育てなんてできないこと。子供だって幸福になれないこと。でも、せめて今夜一晩だけ・・・。
ギンも折れ、一晩を赤子と過ごすが、ハナはなお情がわいて離れられない。この子の親を捜し出そう、と言い出してきかない。
赤ん坊と一緒にあったコインロッカーの鍵から、清子の親探しが 始まった。 このことが、3人が自分の過去と立ち向かい人生の意味と向き合う ことになろうとは、まだ知るよしもない3人であった・・・。
師走の東京。雪がふりしきる。 次から次へ、奇妙な事件に巻き込まれつつ、無垢な清子の幸せのために命がけで奔走する3人が辿り着いた真実とは・・・・!!
今監督、実は大好きなのだ。 「PERFECT BLUE」「千年女優」と、レビューはまだUPしていないのだが、かなり前に鑑賞済み。 実写にかなり近い雰囲気の絵柄は、好き嫌いの分かれるところ。 いわゆる“萌え”系キャラはまず出てこない。 鼻の穴までくっきり、リアル系の絵柄は、可愛いものが好きな 人にはウケにくいと思う。
今監督は、だが、これなら別に実写でもいけるんじゃ・・・? という表面的なリアリティを用いながら、絶対にアニメでなければ 醸し出せない「ファンタジー」を必ず物語の中心にドンと据える。 今までの作品もそうだし、本作もその極み。
絵柄がリアルなため、物語にもリアリティを追求したくなるところだが、わざとしない。そこが好きなのだ。
ロボットもメカも宇宙も魔法も妖精も出てこない“ファンタジー”で、世界をあっといわせるアニメーターがいるかと訊かれれば、 今敏、ただ1人。今のところ。
本作でも、今監督独特のシニカルさは健在。 でも、本作が前2作と明らかに違うのは、人間の心の闇よりも、 人間の弱さをとてもとても優しく温かく見つめているところだ。 人の心の闇をズバっとついてきた他の作品よりも、やっぱり 本作のほうがいい。
この作品、真夏に観ると「なんだよ〜、都合よく次から次へ、 偶然ばっかじゃんか」と思うかもしれない。
この時期。クリスマス、年末、人肌恋しい、人生に疲れ、希望を持って年を越せる人ばかりではない年の瀬。 そこを舞台にしているからこそ、奇跡が希望に見える。
今まで生きてきて、ただの一度も消えてしまいたい、死んで溶けてしまいたい、と嗚咽したことのない幸福な人には、あえておすすめすることもないとすら思う。
私は東京の新宿うまれ。舞台となった公園で幼い頃遊んだ。 映画に写る景色はどこも知った場所。 あの街が、人情味の薄い冷たい場所だということも、 逆に、あの街でしたたかに生き抜いてきた人たちの強さ温かさも 知っている。 だから格別、思い入れがあるのかもしれない。
きよしこのよる。だから清子(きよこ)。 自分と違って穢れを知らないから清子。 ハナの醜い顔が、聖母に見えるのはどうして。 名付け親(ゴッドファーザー)というタイトルがいい。 その子の未来に、名付け親は責任があるのだ。
清子がらみではトントンとスピード感たっぷりに展開した 物語も、3人の人生の決着までは、ご都合主義でくくらない。
3人とも、新年からやり直すための鍵のありかの地図を手にいれたまで。
2004年12月08日(水) |
「地球に落ちて来た男」デビッド・ボウイ長編映画デビュー作。ローグの美意識が冴え渡るカルトSFの金字塔だ。 |
『地球に落ちて来た男」【THE MAN WHO FELL TO EARTH(邦題そのままの意味)】1976年・英 ★1977年度サターン・アワード最優秀主演男優賞受賞 監督:ニコラス・ローグ 原作:ウォルター・テヴィス 脚本:ポール・メイヤーズバーグ 撮影:アンソニー・B・リッチモンド 音楽:ジョン・フィリップス
俳優: デヴィッド・ボウイ(エイリアン、ニュートン) リップ・トーン(ブライス博士) キャンディ・クラーク(メリー・ルゥ) ジャクソン・D・カーン(カヌッティ教授) バック・ヘンリー(ファーンスワース)
アメリカ、ニューメキシコの湖に何かが眩しい閃光を放ちながら墜落した。 今にも折れそうに華奢な男が弱り切った様子で歩いてくる。 田舎町の宝石店で、英国の旅行者だとパスポートをみせ、トーマス・ジェローム・ニュートンと名乗ると、妻からの贈り物だという 指輪を20ドルで売った。 これが彼が得た地球での全財産の始まりだった・・・。
いつしか彼は、衝撃的な多岐に渡る分野での特許を獲得し、 大企業で膨大な富を得る。
それもすべて、枯渇した母星を復活させ、そこで飢えながら待つ妻子の命を助けるためだった。水の星、地球を選んだのはそのためだったのだ・・・。
だが、巨万の富で宇宙船や物質移動などの研究を着実に進めながらも、一方で、地球での快適で豊かな暮らしに慣れ、ホテルのメイドだった女、メリー・ルゥと恋をし情事に溺れていく。
心にはいつも故郷への郷愁と、苦しみ心配して待っているであろう妻子のことがあり、ニュートンの心は混乱しきっていく。
エイリアンの姿を目の当たりにしても愛してくれ、泣いてすがるメリー・ルゥを棄て、いよいよ完成した宇宙船で帰還しようとした日。
あまりにも高度すぎる頭脳に疑念を抱き、エイリアンではないかと確信を持った政府に秘密裏に拉致され、人里離れた屋敷に幽閉され、酒浸りにし、メスで切られ、血を抜かれ、人体実験を繰り返されてしまう・・・。生かさず、殺さず、数十年が過ぎた・・・。
すっかり老いたメリー・ルゥが彼を忘れられず、訪ねてくるが・・・。
(楽天では販売していません。Amazonなど他店ではDVDが入手可能です。)
やっぱりローグの映像は凄い。 トリュフォーの「華氏451」で撮影監督としてあの鮮烈な 映像を撮ったローグ、本作では監督として遺憾なくその才能を 発揮している。
デビッド・ボウイにとっても、映画俳優としてはこの作品が、 長編劇場公開映画としては(短編は60年代に1本ある)、初出演。この作品での、どこかこの世のものでないような妖しく ミステリアスな中性的で知的な美しさと、同時に薄気味悪いまでのセクシーさが世界に認知されたのだった。
SFにはいろいろな分野がある。何の略語か正式には決まっていないようだ。それだけ懐が広いジャンルといえるだろう。
宇宙人が出てくるのだから、いちばんノーマルなタイプの スペース・フィクションかもしれない。 でも、これはむしろサイエンス・ファンタジー。
トリュフォーの「華氏451」もそうだし、あの時代のSFは、 地球上で、人間を舞台に、近未来、科学が発展しているというシチェーションを借りた“人間ドラマ”が目立つ。
これもその代表格だろう。 いまや、SFというと、娯楽性に富んだ遊び心の強いB級と、 想像を絶する資金で創り上げたCGバ〜〜リバリの“リアルを追求した(敢えてそういわせてね)”超大作に二極分化してきている。
だから、妙に懐かしいにおいがした。 喩えるなら、タルコフスキー的な香りとでもいうのだろうか? 「惑星ソラリス」で味わった、冷たい体温。痛いほどの孤独。 物語には涙が滲んでいる。
映像で語る作家、ローグ。 今回の彼の主張は、中盤で、ブライスが娘から誕生祝いに 贈られた画集にあった、ブリューゲルの“イカロスの失墜”に 集約されているように思う。ダイダロスの翼はイカロスを地球の引力から引き離せない。
他人の災難に、誰しも無関心である・・・・。
山積みのTVに写るのは地球の少し前の物語や今の出来事。 それらが彼の心を侵蝕する。 彼が本当に見たいのは遠くの星で待っている家族の姿。 豊かな水を喜ぶ妻の姿。 でも、それらは彼の夢や思い出の中でしか見られない。
本当に見たいものは科学には創り出せない。 地球人が驚く科学を知る彼がきっと痛感するのはそれ。 愛する家族を映すフィルムや写真機を開発して地球で売った けれど、写真に写して残しておきたい家族が傍にいない開発者という痛々しさ。
砂漠化した母なる星をトボトボと歩いてくる、ちょっとテレタビーズっぽい全身タイツなエイリアン一家とか、原住民のテントみたいな宇宙船とか、映像のセンスが面白い。
あれですね・・・。「コーンヘッズ」が湖にドボンするのは、 これのパロディだったのね(笑)地球に落ちて来た仲良しエイリアン一家・・・だもんねぇ。 当初の目的どっかいっちゃうとこも似てるし。
本作は悲劇だし、唐突だし、時間軸はバンバン前後するし、長尺。 アクションもサスペンス要素もないので、万人におすすめできる 娯楽作品ではないように思います。 けっこうネットリと長いベッドシーン(懐かしい黒ボカシ入り) も、ボウイの色気は堪能できますが、相手役の女優さんが 小学生のような貧乳で、まぁ中性的なボウイとのからみには 逆にマッチしているのか・・・?とも思うのですが、 見事なまでに華のない女優さんで、残念。
あれだな〜、ぜったい、ボウイの美しさを際だたせるための 引き立て役ですね。 華奢なボウイがお姫様抱っこで彼女に運ばれるシーンがあります。 推定体重40kgってところでしょうかね??当時のD・ボウイ。
肩幅の狭さと手足の細さは、特殊メークなしで宇宙人(アタマでっかちの火星人系)。 まぁあれですな、「ゼイリブ」じゃないけど、けっこうもう 地球にはいろんな星からのビジターがいるのかもしれないですねぇ??悪意のあるなしに関わらず、遭難して帰れない気の毒な 宇宙人さんたち。 バレたら人体実験されちゃいますからねぇ、可哀想です。
2004年12月06日(月) |
「エネミー・オブ・アメリカ」テロ防止という大義名分を隠れ蓑に個人のプライバシーを侵害されるとしたら? |
『エネミー・オブ・アメリカ』【ENEMY OF THE STATE】1998年・米 監督:トニー・スコット 製作:ジェリー・ブラッカイマー 脚本:デヴィッド・マルコーニ 撮影:ダン・ミンデル 音楽:トレヴァー・ラビン/ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ 出演:ウィル・スミス(弁護士、ディーン) ジーン・ハックマン(情報屋、ブリル) ジョン・ヴォイト(レイノルズ) リサ・ボネ(情報屋、レイチェル) レジーナ・キング(ディーンの妻、カーラ) バリー・ペッパー(NSA、プラット) ローレン・ディーン(NSA、ヒックス) ジェイク・ビューシイ(NSA、クルーヴ) スコット・カーン(NAS、ジョーンズ) ジェイミー・ケネディ(NSA、ジェイミー) ガブリエル・バーン(偽ブリル) ジェイソン・リー(写真家、ザビッツ) スチュアート・ウィルソン(アルバート下院議員) イアン・ハート(ビンガム) ジャック・ブラック(NSA、フィードラー) トム・サイズモア(マフィア、ピンテロ)
合衆国議会は、激化するテロ防止策として提出された「通信システムの保安とプライバシー法案」をめぐり紛糾。 この法案が成立すれば、全国民の会話も通信もNSA(National Security Agency、国家安全保障局)の監視下におかれることになる・・・。
国務省からNSAに出向中の行政官レイノルズは、何としてもこの法案を通過させ、歴史に己の名を残さんと企み、プライバシーの保護を訴え、法案に反対するハマースリー下院議員を早朝の公園で事故死に見せかけ暗殺した。
ハマースリーは重鎮で若手、中堅議員への影響力が大きい。 当然暗殺が怪しまれることを警戒し、万全の証拠隠滅を謀り、 この事件は事故死として報道され闇に葬られた・・・。
だが、犯行の現場を一台のビデオカメラが無機質に見つめていたのだ。 渡り鳥の定点観測のためにゴミ箱に隠されていたそのカメラの持ち主は、自然写真家ザビッツのものだった。
何も知らずにカメラを引き揚げにきたザビッツが、レイノルズの手下に目撃されてしまったことから、ザビッツは命を狙われる羽目に・・・!!
動かぬ証拠の映像をディスクにコピーし、携帯ゲーム機の中に隠し、街中を逃げまどうザビッツ。
彼は追いつめられて事故死させられる寸前に、たまたま出くわした かつての学友、ディーンの紙袋に何も言わず証拠品を放り込んだ。 追っ手が迫り、事情を説明している余裕がなかったのだ・・・。
クリスマスの買い物中のディーンは、わけがわからず、ディスクの 存在にも気づかず、目の前で旧友が交通事故死するのを痛ましい気持ちで眺めていた・・・。
ディーンは弁護士。 今、マフィアのピンテロの悪事を暴く大仕事に専念している。 証拠となるビデオテープを情報屋から仕入れ、ピンテロを追いつめたところだ。
ピンテロにはわけがわからない。何故こんなモノが。 誰が撮影したのか見当もつかない。 撮影したヤツを連れてこなければ殺す、と脅迫するピンテロ。
いつもやっかいなヤマを踏んで女房をハラハラさせているディーンだが、今回はマジでやばそうだ。
そんなただでさえ面倒な折、NSAはザビッツの死体からディスクを発見できなかったことから、最後に接触したディーンが所持している可能性が高いと判断(無論、最新鋭の衛星映像で)。
最悪である。 NSAとマフィア、両方から追われるハメになってしまったディーン・・・。
だが、ディーンは、まだ、何故自分がこんな目に遭うのかさっぱりわからない。 警察(に扮したNSA)がザビッツの事故死の件で何か受け取らなかったかと訊きにきたが、 そんな記憶もないし、だいたい、紙袋をひっくりかえしても知らないものは出てこなかった。
なぜ、ディスクがディーンの紙袋から消えたかがわかるのは、まだずっと先のこと・・・・。
家は荒らされ、靴1足、服一着を残しすべて盗まれ壊された。 ・・・その一着、一足に、盗聴器、探知器を仕込まれているなどとは思いもよらないディーン。 これでもう、ディーンの居場所は、建物の中にいようが外にいようが丸見え。 ディーンの会話は、公衆電話だろうが携帯だろうが、すべてつつぬけ。道を歩きながらの会話も、ボタンに仕込まれた装置で筒抜け。
次から次へとディーンを襲う不審で恐ろしい出来事。 NSAは・・・いや、正確に言えばレイノルズとその腹心は・・・ 最新鋭の技術を駆使し、ディーンの抹殺とディスクの奪回に やっきになる。
この仕事に携わるNSAの技術者たちには、「これは訓練だ」と 指示して・・・・。 技術はあれども、まだ法案で使用許可の出ていない最新機器である。若い技術者たちはディーンの追跡と盗聴に夢中だ。
時期が時期だけに、ピンテロの仕業だと思いこむディーン。 弱り切ったディーンはピンテロのヤマで世話になっている情報屋 との接触を図ろうとするのだが・・・・・。
NSAにハメられ、家族の愛も信頼も失い、職も失い、友も失い、孤立無援となったディーンの死闘が始まった・・・!!
トニー・スコット&ブラッカイマーとジーン・ハックマンが「クリムゾン・タイド」で組んでなかったら、ウィル・スミスがこの役につくことはなかったようだ。 ジーンはウィルの軽妙洒脱な演技を敬遠して再三競演を断ったらしい。監督、製作サイドがゴネて決まったそうな。 そうね、デンゼル・ワシントンのほうがジーンと相性いいはずだけど、また同じコンビになってしまう。
ジーンはなにせ、前回の日記でご紹介した「カンバセーション・・・盗聴・・・」で、重い演技をしているだけあって、あの作品へのオマージュとも、ややもすると パロディともとれる本作(そっくりのシーンが続出)だけに、 へいへいへい、まぁ気にすんなよおっさん、とか言いそうな(笑) ウィル・スミスは心配だったのだろう。 ちなみに、「カンバセーション・・・盗聴・・・」のときの ジーン・ハックマンの映像が、そのまま本作の若かりし頃のブリル、として使われています。
いや、しかしトニー・スコットのこの演出ならば、ウィル・スミスで正解なんじゃないだろうか。 だって、一見、「プライバシーの侵害と国家の安全、どっちが大事?」というテーマに見える、が、この映画で扱ってるのは ソコじゃないんだよ。
もう、「いや、国家安全よか個人情報、個人の人権のほうが大事」 というメッセージというか答が出ている。
で、何やってっかっていうと、 じゃーん。 激ハイテクでスリリングな命がけ鬼ごっこ。
ふーん、てことは、「ワイルド・ワイルド・ウエスト」のノリでもいいんじゃん。
マフィアはマヌケだし、NSAも技術はすごいけど、あんまり 賢くない。 そこへきて主人公もさしてズバ抜けた頭脳の持ち主ではない。 レイチェルがらみのところを見ても、まぁキレものとはいえない。
だから火事場のクソ力というか窮鼠猫を噛むというか、な ラストの一か八か決戦が効いているのだけどね。 こういう、陰謀に巻き込まれモノは、被害者が超人じゃ 同情できないもん。 ちょっと腕利きのヤツだけど、ヌケてるとこもあるし メカには詳しくないし(あの状況で公衆電話使うバカ)、 ちょうどいいんですな。
でも、やっぱり全体を通してみるとかなりヘビーだ。 罪なき犠牲者が3名。すべてを失いかける主人公。
全体の暗さと、細部細部のマヌケさのバランスをとろうと思うと、 やっぱり軽妙洒脱さが必要になってくる。 これ、例えば黒人で弁護士風の知的な風貌の・・・ということで デンゼルあたりをもってきてしまうと、 もう、 どよ〜〜〜ん(-ι-;) としちまう。
というわけで、ウィル・スミスでよかったんじゃないかと 弁護しておきまするw
さて、ストーリーにめちゃめちゃのめり込むわけではなかった 映画で何に興味がいくかといえば、当然、俳優陣!
★バリー・ペッパー:おちょぼ口下がり眉しかもブロンドで色白の顔に眉が溶けこんでみえないペッパーちゃん。 気弱そう〜な顔の冴えない手下役がぴったんこでした。 演技力が足りないので、冷徹な極悪人チンピラにも見えず、 良心がズキズキ痛みつつしかたなく命令でやってる風にも見えず、 ど〜もどっちつかず。 でも、いいんです。バリー・ペッパーの無表情がもう泣きそうな顔、けっこう好きだから。
★ジャック・ブラック!!:このヒト、すげー端役なのに、めちゃめちゃしっかり演技してて(笑 NSAの若き技術者フィードラー役。 最新鋭の技術を駆使できることに浮かれている冒頭から、 微妙に上司の命令に疑念を抱き始める経過、そして、 これは訓練ではないのでは、と90%確信を持ってからの表情、行動、お見事です。
映画がちゃちくならないのは、端役がしっかりしているかどうかに かかってくる。
★ジョン・ヴォイト:あはははは。うわ〜、悪そう(笑) もう、登場した瞬間に、こいつ人殺すでしょう、と思ってしまう。 でも、すんごいずる賢い天才悪役じゃないとこがミソ。 保身で精一杯で、地球征服とか考えてるすげー悪役の器じゃない とこがぴったんこの配役。
★ガブリエル・バーン:あ、いかにも世を憚るプロの情報屋っぽい感じ?ひゅ〜♪ かっこいい!と思わずひっかかってもうた。
★トム・サイズモア:・・・このヒトは・・・・。 今回、とてもオイシイ役でしたね、ピンテロおやびん。
そんなこんなで、脇役の皆さんを満喫していたので、けっこう おなかいっぱいになりました。
粘着質な物語なだけに、あのラストはスッキリ胃もたれ解消パンシロン。 ふと思ったんだけど、ヴィン・ディーゼル主演のNSAがらみ(あの映画ではNSA幹部はサミュエル・L・ジャクソン)映画の 「ブルドッグ」のラストシーンと似てるね。 ホっとする。
でも、ピリっと胡椒も効いてます。 「監視する人も監視しなくちゃいけないけど、それは誰がするの?」
・・・誰がするんでしょう???? NSAを監視する組織が必要なら、その組織を監視する組織がぁぁぁ・・・∞ NSAはペンタゴンの一部だけど、CIA長官が陣頭指揮、大統領が 全体管理、というかなりややこしい組織。
CIAは敵が主に国外なので、同じ諜報でも、「アメリカの敵」(まさにエネミーオブアメリカ)と闘うヒーローってイメージがあり、 映画のヒーローにもなりうるのだが、 NSAの場合、監視対象はアメリカに住む善良なアメリカ市民全体。 そもそも、自国の内部の監視なので、NSAの全体像は未だ謎。 たぶん今後も謎だろう。 CIAも、内部の様子を映画化したのは「リクルート」が最初だが、 所詮、スパイはどっか市民生活とは無関係っぽい感じがする。
NSAは一般市民の電話を盗聴できメールを検閲できる技術を 持っている。 使い道のない高度な技術は、いつか法律の網をかいくぐり暴走するんでないかい?
不気味ですね。
2004年12月03日(金) |
『カンバセーション・・・盗聴・・・』ジーン・ハックマンが孤独な男が狂気に堕ちてゆく様を名演。 |
『カンバセーション・・・盗聴・・・』【THE CONVERSATION(会話)】1973年・米 ★1974年 カンヌ国際映画祭 パルム・ドール 監督・脚本:フランシス・フォード・コッポラ 撮影:ビル・バトラー 音楽:デヴィッド・シャイア 俳優: ジーン・ハックマン(盗聴屋、ハリー・コール) ジョン・カザール(ハリーの相棒、スタン) アレン・ガーフィールド(商売敵、モラン) ハリソン・フォード(“専務”の秘書、ステット) テリー・ガー(ハリーが囲う女、エイミー) ロバート・デュヴァル(“専務”ミスター・C) フレデリック・フォレスト(盗聴のターゲット、マーク) シンディ・ウィリアムズ(盗聴のターゲット、アン) エリザベス・マックレー(スパイ、メレディス)
サンフランシスコ、昼時で賑わう公園。 人混みの中を、若い男女が親密そうに話しながらぐるぐると歩き回っている。
それを盗聴しているプロの盗聴屋、ハリー・コール。 最新鋭の技術と熟練したスタッフで、雑踏の騒音に埋もれる会話を録音し、雑音を取り除き、依頼主に渡すのだ。
敬虔なカトリック信者のハリーは、この業界では全米No1の腕前で同業者にいくら崇拝されても、いつも後ろめたさに苦しみ、 教会で懺悔をしても気持ちは晴れない。
やましさだけでなく、恐怖もある。いつ逆の立場になっても おかしくはない。それゆえ、ハリーは生活費を渡し養っている 女にさえも、職業も住所も、電話番号すらも教えなかった。 自分の部屋の鍵、それだけが彼の砦。 ・・・他人の部屋はヘアピン1本で開けてしまうのだから、 そんなものの無意味さや頼りなさは知っている。 だから彼の心は冬の空より空虚で寒い。
かつて、NYで仕事をしていた頃、自分の録音したテープが元で、 3人が惨殺された。 今も彼の心に重くのしかかり、誰も信じず愛さず、都会の真ん中で 孤独に耐えて生きてきた。 ジャズだけを心の友に・・・。
感情と好奇心はこの仕事の敵。他人のプライバシーで食っていることを気に病む善人にはつとまらない職業だ。 テープを渡して膨大な報酬を得たら忘れるのだ。同業者は皆 そうして生きている。
今まで、幾多の汚職事件や脱税事件などの解決のため政府や大企業のトップに雇われてきた。悪を暴く方面での活躍もなかったわけじゃない。 だが、今度の依頼主は企業の“専務”。 しかも盗聴する相手は私腹を肥やしていそうな脂ぎった男でもなければ、テロリストにも見えない、若いカップル。 いったい何なんだ・・?
依頼主に渡しに行くが、本人がおらず秘書が受け取るという。 納得がゆかずテープを渡さなかった。 秘書はハリーを脅すのだった。深入りするな、と・・・。
何かひっかかる。 苦心して雑音を取り除いて聞こえてきた一言、「殺されるかも」 に、ハリーのトラウマが発動してしまう・・・・。
仲間と酒を呑んでも、女を抱いても、ハリーの耳には不安げな女性の、浮浪者を哀れむ弱々しい声が響き、盗撮した若い2人の薄幸そうな姿が目に焼き付いて離れない・・・・。
テープを消してしまおう、と眠りに落ちながら決意するハリー。 だが・・・!
『エネミー・オブ・アメリカ』とよくワンセットで語られるので、 どれどれ、と借りてきた作品。 ジーン・ハックマンが盗聴盗撮の天才の役、しかも、この仕事の 恐ろしさ(色々な意味で)を知り尽くしているが故に世俗と縁を切って生きている、という役回りも同じ、仕事場のセットもそっくり。 時期もクリスマスが近いという設定だ。(本作では、誰も信じられない主人公が唯一信じてきた「神」をよく強く意識させるためにその時期である必要があっただろう、冬の寒さも主人公の心の冷えに似合う。)
だが、本作はテーマが「エネミー〜」とは違う。 主眼は「アメリカの病理云々」とは微妙〜〜にズレるのだが、やっぱり「エネミー〜」とワンセットにしておきたくて、敢えてこの共通テーマに入れておこうと思う。
本作は、アメリカの政策がどうの、プライバシーの侵害がどうの、というお話ではない。
あくまでも、都会の孤独と重すぎる十字架を背負って薄汚い世界で 生きる男が、罪の意識にがんじがらめになり狂気に堕ちてゆくさまを描いたヒューマンドラマだ。
サスペンスの要素もあるが、明確な「真実」は観客には提示されない。恐らくはこうだったのだろう、と推測はつく。
カメラもマイクも、姿と言葉は記録できたが、真実は記録できなかったのだ。 これは大変重いテーマだろう。
もう、主人公にとっては、誰が死んだのかも、誰が殺したのかも 意味をなさない。
立場が逆転したのかどうかも定かではない。 もう主人公には真実も事実も聞こえず見えない。
彼はもう、自らの奏でる楽器の音しか聞きたくない、聞こえない。
2004年12月02日(木) |
「くたばれ!ハリウッド」名物プロデューサー、ロバート・エヴァンスがひたすら自分の栄光と挫折と復活を喋る喋る、いつのまにか虜。 |
『くたばれ!ハリウッド』【THE KID STAYS IN THE PICTURE(ヤツぁ今も映画で食ってる、ってな意味かな?若くしてハリウッドセレブ入りした彼が未だに現役映画人です、ってこと)】2002年・米
監督:ブレット・モーゲン/ナネット・バースタイン 原作:ロバート・エヴァンス『くたばれ!ハリウッド』 脚本:ブレット・モーゲン 撮影:ジョン・ベイリー 音楽:ジェフ・ダナ いろんな意味でご出演:ロバート・エヴァンス
ロバート・エヴァンスは1930年、NY生まれ。 若くしてアパレル業界で巨万の富を築いた。 ところが、ロスに出張中に、プールで水着姿を女優ノーマ・シアラーに見初められたことから、美形男優として銀幕デビューすることになる。
その後、俳優としては可もなく不可もなくな活躍を見せた彼だが、 虎視眈々とプロデューサー業に進出の機会をうかがう。 そして、まだ30代の若さで、パラマウントの製作TOPに抜擢されるのだ。
『ローズマリーの赤ちゃん』『ある愛の詩』『ゴッドファーザー』 ・・などなど、ハリウッド映画史に燦然と輝く名作を興行的に成功させ、倒産の危機にあったパラマウントの救世主となる。
だが、人生そうそういいことばかり続くわけもなく、 80年代に入るとさまざまな事件やスキャンダルに巻き込まれ 艱難辛苦を舐め尽くすが、転んでもタダでは起きないエヴァンスのど根性っぷり・・・。
生きて生かされ愛して愛され、憎んで憎まれ、儲けて儲けさせた豪腕プロデューサーのチャレンジは現在進行形。
彼は未だ現役だ。
これねぇ、面白いんですよ。 一見、ドキュメンタリー風にハナシは進んでいきます。 雰囲気としては、「ビートニク」あたりを想像していただけると、 わかりやすい。
名物プロデューサー(しかもやっぱり今も現役)のチャック・バリスの、それはそれは胡散臭いのだが、映画「リクルート」なんかを 観ちゃうと、あり得ないとも言い難いようなビミョ〜な感じの 映画、コンフェッションのような、物語仕立てでもありません。「コンフェッション」は、しっかりフィクション(元ネタの真偽はおいといて、と)。
ただし!ある一時代の盛衰を描いたドキュメンタリー風映画の 「ビートニク」と明確に違うのは、本作は、200%エヴァンスの主観でできています。
喋るのは、エヴァンスのみ。本人の映像は、過去の写真だけで 今の爺ちゃまになったお姿は拝めません。撮影拒否だそうで。 ひたすら、エヴァンスの、いかがわしいが魅力的な魔術師のような 滑らかな口調で、あくまでも彼の目とハートを通して、強調したいところだけを強調して語られていきます。 催眠術にかかったかのように、観客は「ほー、そうなんだぁ」 とエヴァンスの手中に堕ちます(笑)
元ネタ、本の前がさらにあるんです。 エヴァンスが売りつけた、6時間にわたってカセット・テープに 吹き込んだ自伝(≧∇≦)/ 商魂逞しいっ! 本になって映画になったんだから、いや〜、儲かったでしょうね。 でもきっと、そのお金をまた映画につぎ込んじゃうんだろうな。
手中に堕ちるなんて人聞き悪い? いやいや、ちゃ〜んと、冒頭で字幕で注意書き(笑)があります。
「どんな話にも3つの側面がある。相手の言い分、自分の言い分、そして真実。誰も嘘などついていない。共通の記憶は微妙に異なる」---ロバート・エヴァンス
そう、これは事実であり、同時に事実ではない。 事実? 事実なんて、何年何月何日にある映画の撮影を始めて、興行収入は幾らだったか(それを成功と考えるか失敗ととらえるかはすでに 主観であり、数字だけが事実)、エヴァンスが6回結婚したこと、 そういう、紙に記録されている類のもんでしかない。
この映画は、つまり真実なのさ。 エヴァンスの、真実。ハリウッドの真実じゃなくてね。
よくお爺ちゃんが戦争での武勇伝や、若い頃の貧乏生活からどうやってのしあがったかとか、マドンナだった婆ちゃんを自分のモンにした経緯なんかを、繰り返し繰り返し、自慢そう〜に話すでしょう。
いや、父とちょっと似てるんだな(汗 焼け野原から苦労して這い上がって、材を築いて名士の仲間入りをしたけど成金とバカにされ、女も泣かせて、倒産して、借金地獄、でもヨボヨボの爺ぃになってもまぁだ引退しない実業家タイプ。
まぁ、そういう頑固爺ぃが延々とワシ、凄かったんじゃぞ、と 喋り続ける雰囲気を想像してみてください。
退屈かって? いやいや、トンでもない。自分の親父の話とはケタが違いますんで。
一時代を創り上げた人物、しかも波瀾万丈。 客観的事実だけを追ったってかなり波瀾万丈な人生ですから、 それを本人に喋らせたらかなり面白いですよ。
耳で楽しいこの映画ですが、映像がまたなんともキッチュというのか・・・・。 立体紙芝居風とでもいうのか?なんかCG観ても驚かなくなった昨今ですが、地道に作業してっぽいこの映像に、編集さんの職人気質を感じて感服。
エヴァンス所蔵の膨大な写真を使って切り貼りデジタル加工しまくった模様。このコラージュっぽさが、余計にこう、エヴァンスのつぎはぎの記憶の胡散臭さとあいまって、いい感じなんですなぁ。
この邦題は、何なんだろう。 ハリウッドにコケにされて、でもそのハリウッドを大きくして、 互いに踏んだり踏まれたりしながら大きくなったハリウッドと エヴァンス。 愛着と皮肉のこもった、なかなかのセンスかな?
原題は読んでそのまんまの意味ですが、邦題が勝った久々の作品かもね。
2004年12月01日(水) |
「スリープレス」D・アルジェント、初期の作風に回帰。ゴブリンの音楽と鮮血で綴る伏線しっかりのサスペンスフルサイコスリラーの秀作! |
『スリープレス』【NON HO SONNO(眠れない)】2001年・イタリア 監督:ダリオ・アルジェント 原案:ダリオ・アルジェント/フランコ・フェリーニ 脚本: ダリオ・アルジェント/フランコ・フェリーニ/カルロ・ルカレッリ 撮影:ロニー・テイラー 編集:アンナ・ローザ・ナポリ 特殊効果:セルジォ・スティヴァレッティ 音楽:ゴブリン 子守歌(絵本「動物農場」)の作者:アーシア・アルジェント 俳優:マックス・フォン・シドー(元警部、モレッテイ) ステファノ・ディオニジ(“雄牛”の被害者の息子、ジャコモ) キアラ・カゼッリ(ハープ奏者、グロリア) マッシモ・サルキエリ(浮浪者レオーネ) ロベルト・ジベッティ(ジャコモの幼なじみ、ロレンツォ) ガブリエレ・ラビア(ロレンツォの父、ベッティ氏) ルーカ・ファッジオーリ(小人症の作家、ヴィンチェンゾ) ロッセラ・ファルク(ヴィンチェンゾの母) パオロ・マリア・スカロンドロ(マンニ警部) ロベルト・アッコルネロ(グロリアの恋人、ファウスト) バーバラ・レリッキ(娼婦、アンジェラ) エレーナ・マルケシーニ(“猫”の被害者) バルバラ・マウティーノ(“兎”の被害者) ロッセラ・ルーカ(“白鳥”の被害者)
1983年、古都トリノ。 口に楽器を繰り返し突き刺されるという残忍極まりない方法で 目の前で母親を惨殺された少年、ジャコモに、捜査官のモレッティは誓った。生涯かけても、必ず犯人を挙げると・・・。
ジャコモは納屋の地下室に閉じこめられており、隙間から見えたのは、犯人の妙に小さい足と、イタリアン・ホルンをザクザク突き刺され血まみれで息絶える母の変わり果てた姿だけ・・・。
トリノで立て続けに3件おきた女性惨殺事件は、いずれも断片的な目撃情報からトリノ在住の小人症の恐怖小説作家、ヴィンチェンゾと断定されたが、逮捕の直前に頭を撃ち抜かれた死体が川に浮かぶという結末で幕が下ろされた。だが銃は見つかっておらず、自殺なのか他殺なのか謎のまま・・・・。
17年後、トリノ。 遠距離で呼ばれた娼婦が客の変態行為に怯え家から逃げ出す際に、暗闇で慌て、客の持ち物を持ち出してしまう。 夜行列車で気づいた彼女がファイルの中身をみると、 彼女が子供の頃トリノを震撼させた“小人連続殺人事件”を示唆する写真や新聞記事の切り抜きが・・! 布団を頭からかぶり「いっぱい殺した、でも捕まらない」と唄うように繰り返す不気味な客の姿を思い出し、怯えて車掌に話すが、 車掌は殴られ虫の息、娼婦は車内で惨殺された。
娼婦の仲間が駅に迎えに来たが、短い停車時間では彼女を発見できず、携帯で彼女が喋っていた青いファイルだけを見つけ、警察に 駆け込もうとする。 だが、彼女も殺され過去の連続殺人の証拠は持ち去られた・・・。
殴られただけで済んだ車掌は、傷の手当てを受けながら、 娼婦が小人連続事件がどうのこうのとパニック状態だったことを 警察に話す。
まさか。 犯人は死んだはずだ。模倣犯なのか?呪いなのか?まさか幽霊の仕業だとでも・・・・?
事件の担当となった若い警部、マンニは、当時、小人連続殺人事件を捜査していたモレッティを訪ねる。 老いて物忘れも激しくなったモレッティ元警部から得るものはないと警察は諦めたが、モレッティの中でゆっくりと記憶が蘇りはじめる・・・。
過去から逃げるようにローマで1人暮らしているジャコモは、30歳の青年になっていたが、事件のトラウマは彼の人生に重くのしかかったまま・・・。
そんなジャコモに、トリノ時代の幼なじみのロレンツォから電話が。トリノが、また小人の影に怯えていると聞き、自らの過去と 決着をつける覚悟を決め、忌まわしい思い出しかないトリノを 訪れた。
警察で、やはり事件が気になっていてもたってもいられなくなったモレッティと再会するジャコモ。 警察は、トリノ中の小人症の男性を集めアリバイなどを 確認しているようだ。
果たされなかった犯人逮捕の約束を、今こそ、果たすとき。 モレッティとジャコモは、コンビを組んで独自に調査を進めてゆくが、警察やモレッティらを嘲笑うように犯行を重ねる犯人。
やがてジャコモは酒場で毒を盛られ、味見をしたロレンツォが犠牲になってしまう! 一命を取り留めたロレンツォだが、彼の父は激怒。 もう彼の家に居候はできない。孤独と恐怖にうちひしがれる ジャコモの心を救ったのは、美しいハープ奏者のグロリアだった。 傲慢でリッチな恋人、ファウストの嫉妬も気にとめず、2人は 愛し合う仲に・・・。
ターゲットは女性のみ。殺し方もまちまちだが、死体の傍には その女性のイメージと思われる動物の切り抜きが落ちていた・・・。
17年前と同じ。模倣犯か、幽霊か。 裁判所命令で、ヴィンチェンゾの遺体を再検査することに。 ところがなんと、棺の中は空だった・・・・!!!!
一連の事件の犯人の正体は、亡霊だとでもいうのか・・・・?
丹念に事件をさらっていたモレッティは、ベテランのカンで 事件の核心を掴みかけるが・・・・。
う〜〜ん、“見立て殺人”のお手本ですね。 ラストが近づくにつれ、映画の冒頭からの様々な登場人物の何気ないセリフや動作がきちんと伏線になっていることに気づき、 2時間がフラッシュバックする。よくできているなぁ。
今回もダリオ的なオカルトっぽい味付けでわくわくさせてくれますが、オバケの仕業でしたぁ、とはならない。 (この程度のネタバレはいいでしょう) ゴブリンの音楽の醸し出す美しい恐怖感、そして「エクソシスト」のマックス・フォン・シドーが主演だという一種の刷り込みで、 オカルトっぽい不安感をモワモワと醸し出すことに成功している。
同じ位置を繰り返し刺し、そこから血が噴出する、ダリオ・アルジェント独特の鮮血の美学も健在。 あー、一カ所を繰り返し刺す映像って痛そうなんだよねぇ。 一刺しで死ぬ急所ばっかなんで、犯人が粘着質ってことですね。
まぁ、初期の頃と比べれば、えらくおとなしいような気もするし、 ショッキングさが足りない気もするけれども。
青が強調された色彩とコントラストをなす鮮血の赤。 ダリオの特徴である、幾何学的な整い方は薄れているものの、 やっぱり記号性は健在。
あと、美少女とか美女がいない。 悲鳴も怯える表情も、やっぱ美女でないと。 恐怖の表情って、普通の顔立ちのひとがすると、醜いのですよ。 歪むので当然ですが。 相当に美しい方が怯えて絶叫しても、崩れないんですよね。 怯えた顔もイイねぇ、ってヤツです(変態)。
という不満はありましたが、ダリオ好きな方には勿論のこと、 イタリアン・ホラーはあまり知らないという方にも比較的 安心しておすすめできる、マニアック度の低い、きちんとした 脚本で堪能できるサイコ(まぁ要するに猟奇ものですが)・スリラーです。
廊下とか階段をちゃんと怖く撮れる監督、今減ってきてますよね。 このあたりはベテラ〜〜ン、とつくづく思うのですよw
ところで、被害者の6人の女性(映画に登場するのは4人) ですが、後半の3人は見たまんまでわかりやすいのですが (ネコのメーク、ウサギみたいな出っ歯、白鳥の扮装) 最初の3人は見た目ではわからないですね。 ヒヨコは少女の隠喩、1人目、2人目は苗字がそれぞれ、豚の暗喩、雄牛、です。 この被害者の人選からも、犯人像が浮かび上がってきますね。 なぜ17年前は苗字で殺し、17年後は見た目で殺したか。
アルジェントは自分が見た悪夢を映画のネタにすることが 多いようですが、本作もそうで、夢を娘のアーシア嬢に話し、 例の薄気味の悪い子守歌(こんなんで子供眠れるかぁぁぁぁ!!!まぁ、マザークーズもけっこう残酷なのありますしね)を 書いてもらったそうな・・・・。
エンドロールみてブっとびました。アーシアちゃんてば才能豊かw
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