2005年01月13日(木) |
「人狼 JIN−ROH」押井守の世界観+沖浦啓之の美学。ジャパニメーションの究極の美意識がここにある。 |
『人狼 JIN−ROH』1999年・日本(アニメーション) ★2000年日本映画プロフェッショナル大賞 特別賞(沖浦啓之) 【PG12指定】
監督: 沖浦啓之 演出: 神山健治 原作・脚本:押井守 編集:掛須秀一 音楽:溝口肇 主題曲:ガブリアナ・ロビン
声の出演:藤木義勝(特機隊員、伏) 武藤寿美(雨宮 圭) 木下浩之(公安部、辺見) 廣田行生(室戸) 吉田幸紘(半田) 堀部隆一(巽) 仙台エリ(未成年女子テロリスト) ナレーション: 坂口芳貞
これはもう1つの可能性としての哀しい昭和史・・・・。
昭和30年代、「日本、東京」。戦争と占領によって荒れ果てていた都市も復興へ向けて急速に動きはじめていた。 だが、あまりにも強引な経済政策がうみだしたのは、大量の失業者、そしてそれゆえの凶悪犯罪の数々だった。
反政府勢力の掌握のため、自衛隊、自治警とは違う組織を政府は苦肉の策として誕生させる。 国家公安委員会直属の実働部隊であり、首都圏に限って武力活動を行使する組織、首都圏治安警察機構、通称「首都警」。
だが、その圧倒的な武力で反政府組織と日夜市街戦を展開し続け、 勢力を拡大してゆく首都警は、次第に世論の反発を呼び、政府は窮地に追い込まれつつあった。
政治的に反政府組織を弾圧した結果残ったのは、自爆をも厭わないゲリラ集団、セクト。
今夜も、首都警の精鋭部隊である特機隊、通称ケルベロスのメンバーは、地下に潜伏するセクトを追って下水道へ。
メンバーの1人、伏が追いつめたのは、爆弾の運び屋の、年端もゆかぬ少女だった・・・。 血も涙も棄てねば生き残れない地獄の訓練を受けた精鋭部隊の伏であったが、少女を撃ち殺すことができない。 少女は伏の目の前で、自爆してしまった・・・・・。
伏は特殊な防護服により軽傷ですみ、まだ新人だったこともあり、再教育、という形で処分された。
再び訓練施設での日々がはじまる。 無口な伏は黙々と訓練に励むが、脳裏から少女の無惨な死が離れない・・・。
かつての同期であったが今は公安部にいる辺見は、伏のたっての頼みを聞き入れ、自爆した少女の素性を教える。
少女の墓前で伏は、少女にそっくりの女、圭に出逢った。 圭は少女の姉だという・・・。 圭は伏に、墓に供えようと思っていたけれど、と一冊の絵本を 手渡すのだった。 赤ずきんちゃんによく似た物語・・・・・。
2人は逢わずにはおれなくなり、次第に惹かれてゆく。
だが、圭の素性を利用して、ある企みが進行していた・・・・。
スキャンダルを利用した特機隊潰しが目的だが、その動きを先読みしていた組織があった。 「人狼」と呼ばれる、実在するかどうかすら定かではない諜報組織が・・・・。
逃げ場を失った伏と圭が辿り着いた下水道で待っていたのは・・・。
実は、押井守の世界でいちばん好きなのは、マトリックスの原点になったものではなく、「天使のたまご」。 そして、沖浦啓之とのコラボでいちばん好きなのは、TVシリーズの「赤い光弾ジリオン」、という、ちとズレた好みの私。
隠れアニヲタの私、アニメは極端なモノが好き。 完璧におこちゃま向けのアンパンマン方面か、完璧に大人の鑑賞に堪えるものか。思春期の子むけの恋愛モノや、 全年齢向けのジブリ作品にイマイチノレないのは好みのせいです。
今までは、何を観ても「AKIRA」を超えるのがないなぁ(※あくまでも自分の中でですよ〜)と思っていたのだが、 この作品にはヤラれましたわ。
上質のアニメと上質の音楽はワンセットです(断言)。 溝口肇の音楽はもともと好きだけれど、これは傑作としか 言いようがないですね。 トリハダものです。
架空の昭和30年代。 でも、なんじゃそりゃな近未来的な装備は強化スーツ以外特に出てこず、レトロモダSFとはまた違う雰囲気がいい。
近未来ではなく逆にごく近い過去、そこで繰り広げられる政府の陰謀と、殺人マシーンとして養成された、人の皮をかぶった狼としてしか生きられない男の悲哀。 要するにそれだけなんですよ。筋なんて。
舞台設定の特殊さと、映像と音楽、登場人物の声が完璧に 融け合って1つの美学を織りなしています。 そこに惹かれるのです。
タナトスの匂い漂う武藤寿美のゆっくりとした語り口。 闇の底のように静かで呪われていながらも、沼のように柔らかい 藤木義勝の低音。
結末ははじめから見えている。 そうなるしかないことがわかっているからこその痛みを伴う カタルシス。
2005年01月12日(水) |
「列車に乗った男」究極のダンディズムに酔う。憧れは叶わぬから切なくも美しい・・・。1カットごとがすべて絵。 |
『列車に乗った男』【L' HOMME DU TRAIN(列車の男)】2002年・フランス=ドイツ=イギリス=スイス ★2003年LA批評家協会賞 外国映画賞 監督:パトリス・ルコント 脚本:クロード・クロッツ 撮影:ジャン=マリー・ドルージュ 音楽:パスカル・エスティーヴ 俳優: ジャン・ロシュフォール(フランス語教師、マネスキエ老人) ジョニー・アリディ(流れ者、ミラン) ジャン=フランソワ・ステヴナン(強盗仲間、ルイジ) チャーリー・ネルソン(強盗仲間、マックス) パスカル・パルマンティエ(強盗仲間、サドゥコ) イザベル・プティ=ジャック(マネスキエの旧友、ヴィヴィアンヌ)
フランスの片田舎、秋も深まる頃・・・。 列車に揺られて何処からかこの町にやってきたワイルドな風貌の中年男、ミランは駅に降り立つとまず、薬局を探した。
ひどい頭痛でアスピリンを処方してもらうのだが、慌てて買ったため、発泡剤だったことに気づかなかった。
コップと水がなきゃ飲めない。
(外国人は、なぜか錠剤を水なしで丸飲みしますね。いつも映画をみて謎な光景です。よく喉に詰まりませんね、ってか苦くないですね。日本の薬局は普通、すぐ飲みたいと頼めばコップに水を入れてくれますよー) さきほど、薬局内で狭心症の薬を探していた品のよい老人が、 自宅にミランを誘った。
老人の名はマネスキエ。引退してもう長い、フランス語の教師だ。 今は週に一度、自宅で中学生に仏詩を教えているだけ。
緑に包まれた広大な屋敷。時が止まったようなたたずまいの屋敷の中は、寒々しい外観とは違い、柔らかな光に満ち暖かかった。 マネスキエはここでうまれ、ここで人生のすべてを過ごしてきたのだ。生活への愛が、香る家だった。
ミランは頭痛薬を飲ませてもらうと、言葉少なに挨拶をし 出て行ってしまうが、田舎町である、シーズン・オフの今は ホテルは開いていなかった。
もう日も落ち、車もなく、野宿するような季節ではない。 ミランは再びマネスキエの元へ・・・。
2人の、まったく違う人生を歩んできた男は、それぞれ、三日後の土曜日に、人生最後の命がけの挑戦をせねばならないのだった。 そうすることでしか、生き残れないのは2人とも同じだった。
このヤマを超えたら、互いのような人生を歩んでみたい。 マネスキエは、列車に乗ってこの町をうまれてはじめて出てみたいのだ。スリルに満ちたワイルドな日々を求め。 ミランは、詩を愛し、スリッパを履いてピアノを弾きワインをたしなむ静かな夜がほしい・・・・。
出逢ったばかりの男2人の、静かだが初めてづくしの新鮮な3日間がもうじき終わりを告げようとしていた・・・・。
ルコント監督の美意識は、どの作品にしても、トリハダもの。 究極の男女の愛を最高の美意識で描かせたらルコント監督の右に出る監督はいないんじゃないだろうか。
今回は、エロティシズムを排し、男と男の魂の交差点を描いている。渋い、とにかく渋い。究極のダンディズムである。 それでいて、他の作品にも共通するものだが、スノッブさが まったくない。
ルコント監督の描く人間への温かい眼差しを、増幅させているのが、ルコント作品の常連であり、彼を紳士と言わねば他に誰を紳士と言おう、という存在のロシュフォールの持ち味である、 お茶目さだ。
西部劇のまねっこ。パン屋のおかみへの可愛い苦情。 まるで少年のような顔をして床屋の椅子に座るマネスキエ。
ジョニー・アリディ演じるミランの、ぬぐうことはできないであろう影。黒い革ジャンのように漆黒の過去と未来。
無骨な手が詩集に触れる。靴を脱いで眠ったことのない男の素足が スリッパに不器用に収まる。なんて美しいんだ。
人生は列車の線路の上を終着駅めざし歩くようなものかもしれないが、その人生で、誰かの人生の線路と交錯することができたらいい。 その人のレールには乗り換えられなくても・・・・。
2人は、平行線のような人生だったけれど、3日間、並んで歩いた。終着駅の手前まで・・・。
深夜の路上。ミランの運命を決める車と、マネスキエの運命を決める車が誰も知るよしもなく、すれ違う。印象的なシーンだ。
全編のテイストを決定づける、アラゴンの詩と、乾いてはいるが 優しいブルージーなギターの響きがなんとも忘れがたい。
2005年01月11日(火) |
「ゼブラーマン」すみません、泣きました。完璧です。表面はお馬鹿まるだし寄生系SFアクションコメディだけどさ。 |
『ゼブラーマン』2003年・日本 監督:三池崇史 脚本:宮藤官九郎 撮影:田中一成 編集:島村泰司 音楽:遠藤浩二 主題歌:ザ・ハイロウズ 『日曜日よりの使者』 俳優:哀川翔(市川先生=ゼブラーマン) 安河内ナオキ(車椅子の少年、浅野晋平) 鈴木京香(浅野の母親) 大杉漣(教頭先生) 渡部篤郎(防衛庁、及川) 内村光良 (一本木先生) 柄本明(変態カニ男)
2010年、横浜八千代市。 銭湯のTVには、市内限定で異様に増加する凶悪犯罪について 報道されている。
防衛庁では、地球外生命体が八千代市に棲息しているという情報を 情けないことに海外経由で掴み、出遅れた!とばかり焦った防衛庁長官は、至急、二名の秘密捜査員を派遣する。アホか、とやる気なしなしの捜査員。 だが、レーダーは確実に、地球外生命体の存在を示していた・・・。
八千代市立の小学校の体育館地下。 緑色がかった透明で固そうなクラゲっぽいでかい脳を持つ小人さん風の(※「マーズ・アタック!」の火星人に似ている感じですな) エイリアンがひしめいている!!
さて、この小学校の3年生の学年主任、市川先生、実にクラくボンヤリした小心者で、息子はいじめられっ子、娘は援交、妻は不倫と家庭は形骸化、しかもクラスも崩壊寸前。 主任っつったって、名前だけで教員をまとめてるワケじゃない。 使えないがクビにもできない、窓際ってことだ。 父親としても夫としても教師としても、誰にもアテにされず、 バカにされきっている。 「なっちゃいねぇなぁ。」市川はブツブツ呟きながら怪しげな衣装にミシンをかけている・・・。
市川の空虚なココロを喜びで満たしてくれるのは、自分が子供の頃、たった7話で放送打ち切りになってしまったヒーローもの、 「ゼブラーマン」に憧れ、自作のコスプレ衣装に身を包み、 座布団を相手にキメ台詞を呟き、1人プロレスをする時間だけ。
部屋の中だけじゃ飽きたらず、シマウマのコスプレでドキドキしながら自販機まで行ってみたりする市川先生なのだった。
そんな6月のある日、市川の学年に車椅子に乗った転校生が来た。 華奢な身体つきに眼鏡をかけた利発そうな少年、浅野晋平だ。 化粧っ気のない芯の強そうな母親に、障害児扱いは一切しないで くれ、と強く頼まれ、ハトが豆鉄砲食らったような市川・・・。
この2人が、「ゼブラーマンの熱狂的ファン」という接点で年齢や立場を超え、強い絆で結ばれるのに時間はいらなかった。
ある夜のことだった。 どうしても、晋平にゼブラーマンのかっこを見せたくなった市川が 夜の町をこそこそ歩いていると、悲鳴が!!
小心者の市川だが、今はゼブラーマンである。 いつもの自分ではあり得ない何か強い力にひかれて現場に走る! と、そこには殺された女性、そして、カニのかぶり物を被り、 ハサミを手にした変態男がっ!
きゃー、刃物ぉ!逃げまどう市川、襲いかかるカニ男! ところがどうしたことか、ミラクルな戦闘能力が!?
カニ男を潰すと、そこから溢れ出る緑色のゼリー状の液体・・。
パトカーのサイレンに慌てて逃げ帰る市川=ゼブラーマン。 防衛庁は、刑事事件としては公表せず秘密裏に処理し、 液体を解析にまわした。 だが、この現場を、晋平が目撃していたのだった・・・。
防衛庁の及川はしつこく晋平につきまとう。 情報を公開しろ、と怒り狂って痔が切れるほど怒鳴る教頭。 市川も、児童につきまとうなと詰め寄るのだった。 及川とて、好きでやってるわけじゃないのだが・・・・。
この一件以来、市川はゼブラーマンになってしまった。 エイリアンの魔の手が市民にのびると、髪がたてがみのように逆立つ。市川は授業をほっぽってトイレで衣装に着替え、連日、エイリアンをやっつけ続ける。 次第に、その活躍は市民の知るところとなり、市川の息子も、父が実は正義の味方だと気づくのだが・・・・。
だが、そんなちまちました対応でどうにかなる相手ではなかった・・・。 エイリアンの正体と、その目的とは・・・!?
ヤケをおこした防衛庁長官は、ブッシュに頼んで中性子爆弾を 八千代市に落としてもらい、市内丸ごと焼き払う方向でずんずん話を進めていた・・・。
教頭先生はある決意を胸に、封鎖していた体育館に単身乗り込むが・・・・。市川は、教頭が自分に宛てた遺書を見つける。 後は頼んだ、Anything Goes!(為せば成る) と・・・。
教頭の真意はどこに? 八千代市が焼き払われるまであと僅か・・・! 市川は、修行のため、家を出た。息子の一言が、背中を押す。
がんばれ、ゼブラーマン!!!地球のために、息子のために、 そして、再び歩く勇気をゼブラーマンに賭けている晋平のために!!
哀川翔主演100本記念作品。 いろーーーーんな古今東西アクション、ホラー、SFのパロディ満載で、小ネタや友情出演者らだけでもかなり楽しめると思うのだが、 バカみたいにアツくまっすぐで、そのくせミョーに脱力系で、そのバランスがたまらなくイイ!
子役陣がまたうまいんだな。「間」のとりかたがうまい、キーになる晋平役のコも、息子役のコも。 哀川翔とあうんの呼吸で、実に魅せてくれる。
紙に書いちゃうと、ふーん。ってなセリフも、いい役者が 絶妙の間でやればおおおっ!と唸ってしまうもんである。
哀川翔の、ダメっぽいゼブラーマンと、キメキメのかっちょえーーーゼブラーマンとの落差がまたいい。美術さんもなかなかやりますな。キメキメのほうは、バットマンも負けてませんぜ。 これは演技力あってのことなんで、思わず拍手。
もう、ラスト近くは泣き笑いですわ。 セリフや話に感動してるのに、可笑しくて可笑しくて、映像が。
白と黒のエクスタシー。
ですから。
「オレの背中に立つんじゃねえ」
ですから。
「白黒つけたぜ」
ですから。
これを哀川翔が言うんですから。
アニキ。あんたは、きっと爺さんになっても、アニキだよ。
あとね。 懐かしい感じがたまらない、小さめの白い字幕で 「防衛庁秘密会議室」とか「チロリアン」とか出るあたりも ツボです。ちろりあんじゃ車じゃなくお菓子だぁぁぁぁ!!(叫
防衛庁の風呂とかケジラミとかはちょっとばかしスベってましたけども。いいんです、もう細かいことはどーでも。
さぁ、この物語、「SF/ボディ・スナッチャーズ」のように やっぱ1人じゃ地球は救えなかったわ、となるか、 「アウトブレイク」のように伝染してない住民ごと焼き払っちまうか、「ヒドゥン」その他の王道ヒーローものように鬼の一念、岩をも〜、となるか!?
それはご覧になってのお楽しみ♪
で、どこで泣いたか、ですか? 教頭先生の執念と自己犠牲とマヌケさに泣き、息子と父親の最初で最後になるかもしれない親子らしい会話に泣き、浅野少年の一途な瞳に泣きました。 小学校低学年の子供いますもん、ツボぐーりぐりされちゃいましたよ。
で、シメにあの主題歌ですよ。 この映画、あーんまり若いヒトよりも、ちょっと人生に疲れ気味の ヒトに、よりオススメです。
Anything Goes!なんて青いんだよ、ケッ、って 酒瓶片手にこぼしながら、やらないだけじゃん?俺。って ほんとはココロの中でつぶやいてるアナタに、そしてワタシに。
日本も、いい映画創れるじゃん。 こういうオフビートなゆるい笑いが創れて、恋愛や不治の病や霊やヤクザがからまないものでもいいもんできるじゃん。
今のところ、面白かった、と断言できる邦画は「スワロウテイル」とこれだけ。実はけっこう観ているし、まぁそこそこ、いいんじゃないの?というのは数あるのだけど、日記にあげずにまぁいいやで済ませてしまうものの本数が実は圧倒的だったり。 まぁ要するに好み、相性の問題ですが、強烈にココロにパンチを食らわしてくれるような邦画に出逢えていない。
これぞという大好きな映画に出逢うには、やっぱり本数こなしてくしかないな、観てみなきゃわかんないもんな、と改めて思うのだった。
2005年01月09日(日) |
「この世の外へ クラブ進駐軍」 豪華な若手俳優陣、わかりやすいメッセージ。不器用な作品だけど、優しく力強い。 |
「この世の外へ クラブ進駐軍」2003年・日本
監督・脚本: 阪本順治 撮影:笠松則通 編集:深野俊英 音楽監督:立川直樹
俳優:萩原聖人(テナーサックス、広岡健太郎) オダギリジョー(ドラム、池島昌三) 松岡俊介(ベース、ジョーさん) MITCH(トランペット、浅川広行) 村上淳(ピアノ、大野明) ピーター・ミュラン(EMクラブのマネージャー、ジム) シェー・ウィガム(ジムの部下ラッセル) 哀川翔(ニセ日系人)
終戦を南の島の奥地で、戦友の死体に囲まれて迎えた青年、広岡。 飛行機から大音量のジャズが流れ、敗戦を知らせるビラが雪のように舞い落ちてくる・・・。
やがて、信じられない気持ちをかかえたまま、ボロボロの軍服で故郷の東京に戻ってきた広岡。彼は楽器店の1人息子で、店は、GHQの方針により教育機関にオルガンが普及しはじめたことで、そこそこ繁盛しているのだった。
目にしたものは、かつて陸軍の軍楽隊だった連中が、パリっとした西洋風のかっこをして、ちょっと前まで命の取りあいをしていたアメリカ進駐軍の慰安のために、聞いたこともないような曲を演奏する姿だった。 ミニスカートで踊るかつての大和撫子たち、コーラ・・・・。 びっくりである。
とにかく、戦争は終わった。 食わねばならない。
楽器を片手に、進駐軍の慰安のためのEMクラブで演奏させてもらい 日銭を稼ごうと集まってきた青年たちと、タバコにちなんで “ラッキーストライカーズ”というジャズバンドを結成することに。
みな、それぞれに、いろいろ抱えている連中だった。 長崎で被爆して孤児になっている幼い弟を捜すピアニスト。ヒロポン中毒のトランペッター。反政府のアングラ活動をしている元教師の兄に居候させてもらいながら、押し入れの中でジャズレコードを聴くベーシスト。スティックをバチという、音楽のおの字も知らないドラマー。 そして、人生に何の意味も見いだせず何も信じられない投げ遣りに生きるサックス奏者・・・。
進駐軍のアメリカ人の想いもそれぞれ・・・。 事故という形で息子を亡くした軍曹。 日本兵にレイテ戦で弟を殺され、毎夜、日本兵を殺す悪夢に うなされる兵士、ラッセル。 洗っても、洗っても、手に染みついた血が落ちないような気がして ラッセルは苦しんでいる。
まるきりやる気なく、音楽への熱意が感じられない日本人のジャズバンドに、ラッセルのいらだちは一層募る。
ラッセル自身も、凄腕のサックス奏者だった。 世が世ならば、銃ではなく、一生、サックスを武器に男を誇れたのに・・・。
その悔しさは、はじめは怒りとして爆発し、次第に、 ライバルと認めた広岡との奇妙な友情の中で、ジャズへの愛を 分かち合おうとする姿勢に変わってゆく・・・。
さまざまな人間模様が交錯するなかで、散り散りになってゆく バンドメンバー。
だが、悲しい事件が再び彼らを集結させる・・・。
スタッフに誰一人、戦後の東京の焼け野原を知る者がいない状態で、丹念に丹念に調査して、画面に映らない小道具まで、心血注いで造り上げたという。
ラッキーストライク。 日の丸をやっつけろ!そんないわれがあの煙草のパッケージの模様にはある。
闇市。ヒロポン。占領軍によるレイプ。やがてヤクザになる浮浪児。思春期に終戦を東京で迎えた昭和ヒトケタの母に、何度も 聞いたっけ。
武器より楽器だ! この映画のメッセージはすごくシンプルで、あまりにストレートで、そして、時代の犠牲者たちへのレクイエムなのに、 ユーモアを失わない。
名優ミュランが、映画全体の空気を落ち着かせている。
マクベス夫人のように、夜中、手を洗えど洗えど落ちない 返り血に苦悶するラッセル。
日本兵を憎みならがも、本当に憎んでいるのは、我が身に染みついた血であり、もっと復讐のために血を吸いたがっている自分の手であり、そして、そんなことを自分に強要する、戦争だ・・・。
いまひとつ、生活のために必死で音楽をやる風でもなく、 音楽を愛してやまない風でもない、まるきりやる気のない 前半に苛々する。 だが、それが後半、物語が花開くための踏み台だった。
米軍の事情も、白人よりもまず黒人が最前線に送られる、などが 描かれてはいるが、この映画では、米軍はこうだ、日本人はこうだ、というふうには描いていない。
立場は違えど、愛する者や仲間が死ねば涙を流し、生きるためには 理想論なんぞぶってないで今可能なことで食わねばならない。 そして、誰も死にたくなんてないし、殺したくもない。
「バンド・オブ・ブラザーズ」の最後のほうにそのくだりが出てくるが、 米軍はポイント制であり、一定ポイントを満たさないと帰国できない。映画にでできた進駐軍の米兵たちは、ヨーロッパ戦線で毎日 地獄をみて、やっとヒトラーが死んで終戦だと思ったら、日本に 駐留せよと命令を受け、家族の元になかなか帰れないものたちだ。
そして、そのまま今度は朝鮮戦争が始まる。 広岡「死ぬなよ。」 ラッセル「逆だよ。殺しに行くんだ。」
暗澹とした気持ちになる。 時代が違えば、いや、戦争がなければ、ラッセルは機関銃を握ることなく、サックスを握り、砲弾を浴びることなく、賞賛の拍手を浴びていたのだと思うと。
もうちょっと、前半をタイトにまとめてエピソードを流れよく まとめてくれると、もっとよかったかなとは思うが、 若い監督らしい軽さとアツさのある、いい作品だったと思う。
2005年01月08日(土) |
「猟奇的な彼女」“偶然とは、努力した人に運命が与えてくれる橋”根底に流れるものはいいとして、ベタでコテコテだなぁ。 |
『猟奇的な彼女』【MY SASSY GIRL】2001年・韓国 監督・脚本:クァク・ジェヨン 原作:キム・ホシク 撮影:キム・ソンボク 音楽:キム・ヒョンソク 出演:チョン・ジヒョン チャ・テヒョン キム・インムン ソン・オクスク ハン・ジンヒ キム・イル
青年が丘の上の木の下に立っている。 2年前、彼女とタイムカプセルをあける約束をしたが、 彼女は来なかった・・・。
______________________ 大学生のキョヌは将来に何の展望もない気弱でダサい青年。 当然、彼女ナシ。友達も女っ気がない野郎ばっかし。
1人息子を失った叔母が寂しがっているし、いい娘も紹介してくれるってよ、と母親にしつこく叔母のところに顔を出すように催促されるが、どーもめんどくさい。
叔母と逢う約束をブッチして夜遅く帰宅途中、地下鉄で泥酔状態の 美女に出遭う。 酔っぱの女は醜いねぇ、と馬鹿にしてニヤニヤ眺めていたキョヌだが、彼女は車内でゲロゲロ吐いた直後、キョヌに「ダーリン」と 呼びかけ気絶してしまう・・・・。
周囲の人は、当然キョヌを彼氏だと勘違い。 気弱で、根の優しいキョヌは、彼女をほっぽって逃げ出すわけにはゆかず、しかたなくラブホにおぶって連れ込むが、それが 運のつきだった・・・・・・。
彼女の携帯に出たのがマズかった。親からの電話だったのか、 乱入した警官に逮捕されるハメになり、翌朝、やっと釈放されて帰宅したら、叔母との約束を無視して朝帰りのキョヌは、母親には半殺しにされそうになる。
しかも、ゆうべの彼女からは、私にナニをしたのかと激怒の電話。 ナシつけっから来い!!!とすごい剣幕。
気弱なキョヌは、ナニもしていないのに、のこのこ彼女に逢いに 指定された場所へ。
彼女とデートするハメになるのだが、べっぴんの彼女、とにかく 乱暴。その上酒癖が悪い。 口癖は「ブっ殺すよ!?」だし、ビンタはしょっちゅう。 見ず知らずの他人にも、ケンカ売りまくる。 言い分は彼女が正しいのだが、なにせ唐突で凶暴なもんだから大変だ。
でも、そんな彼女の刺々しさは、彼女が告白したように、最近大失恋して辛いせいだからかもしれない。 根っからの性格なのかもしれないが・・・。 キョヌは気づいているのかいないのか、彼女に振り回され 苦労しながらも、突飛で強引な彼女に次第に惹かれてゆく・・・。
彼女は女子大に通う、金持ちの家のお嬢様だ。 彼女の親は身なりもよくない冴えない大学生のキョヌが鬱陶しい。 近々お見合いをさせたいのだ。
でも恋いは障害があるほど燃えるのが世の常。 途切れ途切れながらも、2人の奇妙な恋は続いていたが・・・。
奇妙な縁で結ばれている2人の恋に行方は・・・・??
先に気にくわなかったトコを言っちゃいましょう。 いいとこもあったので、そっちでシメたいから。
うーん、韓国映画苦手で、コメディなら・・・と借りて観てみましたが、恋愛要素が入るとやっぱり相性がいまひとつでした。
韓国人の好む恋愛傾向(※好まれる恋愛物語、って言わないと語弊がありますね、実際の恋愛と物語は別物だから)って、私の好きな欧州的な成熟したものとは違って、よく言えば「フレッシュ、ピュア、純情」、悪く言えば「幼い、甘ったるい」。
性的な表現とは無関係にね。
強い想いは岩をもブチぬくって純粋まっすぐなトコがちょっと コワいんだわ。
難点1、キョヌ役の男性に恋愛映画の主役としての魅力がない。 まぁ、どんな男が好きか嫌いかは十人十色なのでこれは深くツっこんでも意味ありませんね。 ハンサム、に定義はないんですから。
難点2、猟奇的といっても、実際には個性的、程度の意味らしい ですが、もっとエキセントリックなのかと期待していたので、 なんだ、行儀の悪い人に言葉汚く注意する中年オバサン程度じゃん。もっと豪快なのを期待していたので拍子抜け。
このタイトルの感じ、「普通じゃない」に似てる。邦題のせいですが、そういえば思いっきり普通だった「普通じゃない」も、金持ちのワガママ娘にふりまわされる恋愛でしたね。あっちは100%コメディだけど。
ヒロインが、ただの金持ちのワガママ娘の演技レベルに留まっており、強がりの裏にある痛切な悲しみがチラりとも見えない。 だから唐突な「実は、・・・・でした」という都合の良さを 強く感じてしまう。
まぁ、実話ベースなので、あの偶然も本当なわけで。 事実は小説より奇なりと申しますしね。
「電車男」じゃないですけど、インターネットの掲示板に掲載された彼女との日々を元にした物語だそうなので・・・。
と、まぁ、かなり言いたい放題書いてしまいましたが、 嫌いだった映画は日記に載せませんから。
よかったのは、先ほども言ったように、運命や人生への信頼ですね。 これがなかったら、ただのハンパなラブコメでちっとも面白くなかったでしょう。ヒロインのおっぱい1つ拝めない真面目な作品で ある以上、真面目なメッセージ性もなきゃダメです。
「偶然とは、努力した人に運命が与えてくれる橋」 この一言に尽きますね。
脚本は、冗長だという難点を除けば、よくできています。 伏線がきちんと張られていますから。
好きなのは、やっぱり「木」のエピソードですね。 新卒サラリーマンにそんな金あるのか????と不自然には 思いましたが、物価も日本と違うし、実話だっていうんだから ソコは感動ポイントでしょう。
奇跡じゃないのよね、偶然。だからいいのかも。 偶然は必然っていうじゃな〜い? (あ、ギター侍っぽく読んでね、ココ)
でもあんた、彼の面影を求めてるだけにしか見えませんから〜! (血ぃ繋がってるしねw 薔薇の花とか、同じことさせちゃうしね) 残念!!
あ、褒めて終わろうとしたのにぃぃ(切腹!!
まったく同じ筋でも、彼女がもーーっとブチ切れたエキセントリック女だったら(パトリシア・アークエット程度)、もっとノレたと思います。
2005年01月06日(木) |
「SF/ボディ・スナッチャー」 地球人の体を奪いその人になりかわる植物タイプ侵略者の恐怖(笑) これだからB級SF大好き♪ |
『SF/ボディ・スナッチャー』【INVASION OF THE BODY SNATCHERS(肉体のっとり(強奪)屋たちの侵略】1978年・米 ★1979年度サターン・アワード最優秀監督賞、音響賞受賞 監督:フィリップ・カウフマン 原作:ジャック・フィニイ 脚本:W・D・リクター 撮影:マイケル・チャップマン 音楽:デニー・ザイトリン 特殊メイク:トム・バーマン/エドワルド・ヘンリック 俳優:ドナルド・サザーランド(公衆衛生局員、マシュー) ブルック・アダムス(マシューの同僚、エリザベス) レナード・ニモイ(精神科医、キブナー博士) ジェフ・ゴールドブラム(マシューの親友、ジャック) ヴェロニカ・カートライト(ジャックの妻、ナンシー) アート・ヒンドル(エリザベスの恋人、ジェフリー) ケヴィン・マッカーシー(走る男) ドン・シーゲル(タクシー運転手)
宇宙の彼方から、何か不定形のものが飛来した。 奇妙な植物が地上に増え始める・・・。
サンフランシスコ。州の公衆衛生局のベテラン調査員であるマシューは、今日も不衛生なレストランを摘発、強引だが仕事熱心だ。
ある日、同僚の彼にエリザベスが相談を持ちかけた。 同棲している歯科医のジェフリーの様子がおかしいという。 まるでひとが変わったようで、ジェフリーの姿ではあるけれど、 彼ではないような・・・。
マシューはよくあることだと、カリスマ的人気を誇る精神科医、 キブナー博士をエリザベスに紹介する。 だが博士はエリザベスにも、夫が夫ではないと、彼女と同じことを訴えた年配の婦人にも、精神的に不安定なだけだと諭すばかり。
だが、同じことを訴える人が増え始めたことに、マシューは 職人のカンで怪しいと感じ始める。
何かの伝染病じゃないのか・・・?
マシューの旧友で作家のジャックは、妻が経営する美容風呂で 世にも恐ろしい物体を目撃してしまう! はじめは、入浴客がマッサージ台で死んでいるのかと思った。 慌ててマシューを呼ぶジャック夫妻。
よーく観察すると、それは、まるで繭。中には、ネトネトした物質に包まれた、大人の大きさの胎児・・・。そしてその外見は、 ジャックそのものじゃないか! ジャックが鼻血を出すと、繭の中のジャックも鼻血を・・!
疲れてうたた寝をしかけたジャックの身体に、するするとわたあめのような触手をのばし、彼の身体を強奪しようとしていたのだ!
ジャックが目覚めたことで、侵略者の目的は未達成に終わったらしく、警察がやってきたときには偽ジャックはあとかたもなく消えていた。
ということは、エリザベスが危ない・・!! 慌てて自宅に駆けつけ、すでにエイリアンに成りかわられてしまっているジェフリーの形をした生物の目を盗み、寝室に侵入するマシュー。 ベッドで眠るエリザベス。ベランダでは、珍妙な植物からエリザベスが生えてきていた!!繭に包まれて、もうじき彼女をのっとって しまうのだ。
繭からそっくりさんが誕生すると、本体は消滅してしまうのだ。
それにマシュー、エリザベスらが気づいたときには、 もう街はエイリアンの天下となっており、容赦なく襲ってくる!
残り僅かな人間となってしまったマシューたちは必死で逃亡するが・・・・・・・。
なんで借りてきたかって? そりゃ〜、あーた、ドナルド・サザーランドにジェフ・ゴールドブラムですよ。目の保養、目の保養(笑)
世間じゃ韓国映画スターが大人気のようですが、私の美意識とは 合わないのです。鑑賞用の男はエグみと暑苦しさがないと(爆
ストーリーはどうでもいいんですよ、エイリアンが植物って ところでもうすでに最高にイケてますからw
動いて喋る植物人間が地球を侵略しちゃうんですから たまりません、これを笑わずして何を笑えというのか♪
あの綿あめ状の触手も好きだし、ぬるぬるした胎児っぽさも いいし、グシャっと崩れる乗り移られて空っぽになった人間の外側もナイス。
破滅系ホラーが好きな人にはたまりませんね。
しかし、ドナルド・サザーランドの 「しゃーーーーーー!!!!!!」は怖かった怖かった、マヂで怖かった。
この物語は3度リメイクされており、本作は2番目にあたります。
なりすまし、なりかわり系エイリアンというと、「ゼイリブ」とか 「ヒドゥン」がありますね。王道なんでしょうやっぱり。
ムダなあがき、好きです。
あとね、なんといってもね、
人面犬。サイコーです。笑い終わるまでビデオ止めてましたから。
2005年01月05日(水) |
「みなさん、さようなら。」お金じゃ愛は買えないけど、愛するための時間と空間、そして罪は買える。 |
『みなさん、さようなら。」【LES INVASIONS BARBARES(原始人の侵略/異邦人の闖入】2003年・カナダ=アメリカ ★2003年アカデミー賞 外国語映画賞 ★2003年カンヌ国際映画祭 脚本賞・女優賞(マリ=ジョゼ・クローズ) ★2003年インターナショナル(非ヨーロッパ)作品賞 ★2003年放送映画批評家協会賞 外国語映画賞
監督・脚本:ドゥニ・アルカン 撮影:ギイ・デュフォー 音楽:ピエール・アヴィア 俳優:レミー・ジラール(元大学教授、歴史学者、レミ) ステファン・ルソー(レミの息子、証券ディーラー、セバスチャン) ドロテ・ベリマン(レミの妻、ルイーズ) マリナ・ハンズ(セバスチャンの婚約者、ガエル) マリ=ジョゼ・クローズ(ナタリー) ルイーズ・ポルタル(ディアーヌ) ドミニク・ミシェル(ドミニク) イヴ・ジャック(クロード) ピエール・キュルジ(ピエール)
ロンドン。敏腕証券ディーラーの青年、セバスチャンは突然、 思いがけない電話を受ける。 カナダの母から、父の病状が悪化して余命いくばくもないから、 今すぐ駆けつけてほしい、と。
今、大きな取引をひかえて忙しいセバスチャンは苛々するが、 父の見舞いに行きたくない理由は仕事じゃなかった。本当は。
歴史学者の父、レミは、若い頃からヨボヨボの爺ぃになるまで、 とにかく女グセが悪く愛人を複数持ち、母とはずっと別居だ。 口を開けばシモネタばかり。大学教授の職は失うし、金もない。 父親として尊敬すべき点が見つからない。
そんな父と訣別すべく、異国、ロンドンで就職したのだった。 婚約者のガエルもロンドンで知り合った。彼女は宗教美術品専門の鑑定家だ。
それでも・・・・。血は水よりも濃いのだ。 とにもかくにも、母を悲しませるわけにはゆかない。
ガエルを伴い、カナダの病院に馳せ参じたセバスチャンであった。 何年かぶりであった瀕死の(※でも一見するとすっごい元気そう) 父に、“ボンジュール、ムッシュー”と冷淡に挨拶するセバスチャン。でも父レミも負けちゃいない。
セバスチャンには妹が1人いるのだが、ヨット運搬の専門家である 彼女は、南太平洋のどこかだ。セバスチャンは海上の妹とネットで連絡を取りあい、父にメッセージを送らせた。
しかしまぁ、なんとひどい病院なんだ。 経費節減のため、病棟を無理矢理1つの階に詰め込み、廊下も 重病人だらけ。野戦病院じゃあるまいし・・・。
レミは運良く、末期ガンということもあり病室にいたが、 ぎゅうぎゅう詰めで賑やかすぎる大部屋。 これから天に召される人間の居場所にしてはひどすぎる。
セバスチャンはまだ、弱々しくなった父を見ても、許せたわけじゃない。そんな息子を、母は悲しむ。 赤ん坊の頃、どれほどレミがセバスチャンを慈しんだかを、 ぽつりぽつりと語る母・・・・。
父さん、愛してる、なんて、言えやしない。 まだだめだ。
でも、セバスチャンは、自分にできることをあれこれと考え始める。
アメリカの病院で検査も受けさせた。 でも、父はホスピスは嫌だという。友に囲まれて最期を過ごしたいのだ。
病院の理事長と労働組合を買収し、誰もいないフロアを、父1人だけのために借り切り、きれいに内装させ、父を移した。 そこへ父の旧友たちや、かつての愛人たちで今は親友の女たちを皆 呼び寄せ、賑やかで穏やかな最期の日々を演出するのだった。
レミは満足そうだった。だが、日に日に、末期ガン特有の壮絶な 痛みがレミを襲う。とても・・・とても見ていられない! 病院で処方される合法なモルヒネでは効かないのだ。
思いあまったセバスチャンは、警察の麻薬課を訪ね、ドラッグディーラーを紹介してほしいと頼み込む。 呆れかえる刑事・・・。 だが、帰り際、刑事はこっそり伝えた。 この国でドラッグを買うのは貧乏人ではなく金持ちだぞ、と。
そうか・・!ピンときたセバスチャンは 父の昔の愛人に尋ねると、娘がジャンキーだという。 やっぱり。
こうして、セバスチャンは父の痛みの緩和のために、大麻まで 買うのだった。
ゆっくりと、最期の日が近づいて来ていた。
あと2つ、父のために叶えてやりたいことがあった・・・・。
希望通りの死を迎えさせてやるために。
湿っぽいと思うでしょう? それが全然ちっともまったく。
「死ぬまでにしたい10のこと」のように、若いみそらで幼子を残し、死ぬに死にきれないだろうに、という物語でもあれだけ ドライだったが、本作は好き放題一生し続けてきた、元気いっぱいでやり残したことのない爺ちゃんである。 ジメジメ感はほとんどない。
やり残したことは1つだけ。息子と和解したかった。 でも、日本のベタなドラマじゃないですから、 「悪い父親だった、許しておくれ〜〜」なんて、文字通り、死んでも言わないんだな。
言葉にしなきゃ、伝わらないことだってある。 言葉にしたほうが、いいことだってある。
でも、言葉にしなくたって、手を握るだけで伝わるのが親子じゃ ないだろうか。夫婦は他人だけど、親子は血の絆で繋がっている。
言葉にしたら、スルっと何かキモの大事なトコが逃げてしまうような気がすることってあるでしょう。
あの父子を見ていると、そんなものを感じるのだ。
痛み緩和のための麻薬の使用問題。 尊厳死(安楽死)の問題。
こういった未解決の社会問題にズバっと切り込んで、 そこをすべて「カネ」で解決させる部分に、疑問を抱く方も 当然おいでだろう。
でも、敢えてそれをした監督に、拍手を送りたい。だって、 「難しい問題ですな」 エラい人がそう言うのは簡単でしょう?
お金じゃ解決しないことが世の中いっぱいある。 この金で、お袋、なんとかしてやってよ、とセバスチャンが 帰ってしまったら、金はただのカネだ。
だが、セバスチャンは自ら動いた、手を尽くそうとした。 そのために、賄賂として使われた金も、犯罪者に渡った金もあった。 でも、息子は愛するための時間と空間を入手するために、 糸目をつけず金を使った。 金は、ただのカネではなく、金(きん)だった・・・。
物語の始めのほうでは、まだ、カネでどうにか溝を埋めようと してるの?とセバスチャンに不信感があった。 それが、観ているうちに、ぬぐわれていった・・・。
ところで、なにしろこのレミという爺さん、とんでもない スケベ爺である。 そして、歴史をこよなく愛していた。 レミが早口で延々と喋り続ける。 まるでこの世に一言でも多く残しておきたいかのように。
あの明るさにはあっけにとられた。 偏屈なだけの頑固爺いだったら、ちょっとツラいだろう。 レミのキャラクターは実に愛すべき爺さんだ。
ジャンキーのナタリーが変わろうとしてゆくくだり、そして、「愛」をひどく求めながら実はおそれていたガエルが、真実の愛を知ってゆくさま。そのあたりが見事。
そしてもう1つの見所は、レミに監督が代弁させる、 痛烈な歴史認識と、神とはなんぞやという論点。 かなり聞きごたえがあります。
ところで、これは邦題の勝ちですね。 平仮名で、「みなさん、さようなら。」ですもん。 どことなく、コミカルな香りがするじゃありませんか。
原題の蛮族の侵入、は、ガン細胞のことだととってもいいだろうし、数字数字ばっかりで文明の利器に埋もれ、文化の香りを 愉しむことを知らない、二重の意味で異邦人の息子がやってきた、 ととってもいいだろうし、いやもう大変なお友達なので、 酒とセックスをこよなく愛するとても原始的欲望に忠実な 皆さんがどっとやってきた、と解釈してもいいだろうし・・・。
是非、多くの方々におすすめしたい作品である。
2005年01月04日(火) |
「めざめ」 マタドールを昏睡状態に陥らせた雄牛の肉、角、目玉、骨を手にした人々の人生模様を描く上質な群像劇。 |
「めざめ」【CARNAGES(大虐殺、修羅場)】2002年フランス=ベルギー=スペイン=スイス ★2002年カンヌ国際映画祭 ユース賞 監督・脚本:デルフィーヌ・グレーズ 撮影:クリステル・フルニエ 音楽:エリック・ヌヴー 俳優:アンヘラ・モリーナ(アリス) ルチア・サンチェス(アリスの娘、保母ジャンヌ) ジャック・ガンブラン(獣医科学者ジャック) リオ(ジャックの身重の妻、ベティ) キアラ・マストロヤンニ(女優、カルロッタ) クロヴィス・コルニャック(元哲学者、アレクシ) エステール・ゴランヌ(剥製売りの老母) ベルナール・サンス(老母の息子、リュック) マリリーヌ・エヴァン(ウィニーのママ)
闘牛場。若いが腕利きのマタドールが、あと僅かというところで 猛々しい雄牛ロメロの角で突き上げられ、瀕死の重傷を負う。
闘牛士は一命を取り留めたが昏睡状態に陥った。 肝臓が機能しておらず、このままではそう長くはないだろう・・・。
雄牛ロメロは屠殺され、肉は高級レストランに、目玉は研究所に、骨は犬用の餌としてスーパーに、立派な角は捨てられた。
◆目玉◆ 獣医学の専門家ジャックは、臨月の妻ベティと暮らしている。 ベティはある秘密を抱えて、大きくせりだしたおなかをさすりながら、新しい命を待っている・・・。 だがジャックは忙しくあまり妻と話さない。 ロメロの眼球にも夢中だったが、彼は浮気をしていた。
ベティのところに間違い電話がかかってくる。 ある女性を捜しているらしい電話の相手に、そのひとは自殺した、と嘘をつくベティ・・・。
◆角◆ トレーラーで剥製を作って売る貧しい老母と、少しばかり頭の弱そうな中年の息子。 息子の誕生祝いにと、老母は立派なロメロの角を拾ってきた。 これだけは売らないよ、と母の贈り物に感激する息子。 父親は死んだのだと繰り返し言い聞かせる老母。 だが・・・・・。 ある日、リスや鳥の剥製を道ばたで売っていると、聾唖の老人が あの角を売ってほしいとせがむ。 でも、これだけは手放せないのだと断るのだった。
◆肉◆ 保育園児に不思議な絵をかく病弱な5才の少女ウィニーがいた。 人間よりも犬は大きく、鳥は空に釘で打ち付けられていた。 保母のジャンヌはウィニーにくどくどと指導しつつ、自分の愚かさ、弱さを幼い彼女に見透かされているように思い、このごろ情緒不安定だ。 ジャンヌは5才より前の記憶が抜け落ちている。 なぜだかわからない。 母アリスはジャンヌの話をかわそうとする。 カンで、ジャンヌは、母は自分の子供時代のことなど覚えていて くれていないのだと、寂しい気持ちに。 アリスは、浴室でわざと子供じみた絵を描き、濡らしたり乾かしたりして、これがお前の5才のときに書いた絵だと、ヨレヨレになった絵を見せた。 ジャンヌは喜んでウィニーに見せるが、上手すぎる、と真実を見抜かれ傷は深まった・・・。
なぜ、5才までの記憶がないのだろう。 単に幼かったからだけ・・?
母娘でゆったりとレストランで料理を愉しんでいる。 ロメロの肉のステーキだ。
そこへ、上品な紳士が現れた・・・。
◆骨◆ どさまわりのコメディ女優カルロッタは、全身のホクロを切り取って絆創膏だらけ。 あごのところの1つと、胸の谷間の1つだけは残った。 親ゆずりで根が深く取れないのだ。
情緒不安定なカルロッタは、水中セラピーに通い出したが、 今ひとつ、効果を感じられない。
着ぐるみの人形劇だけでは当然食えず、今日はスーパーで ペット用のおしゃぶり骨の売り子をしている。 ロメロの骨だ。 アツい雄牛の骨だよ、ワンちゃんも大興奮だよ、 そのかけ声につられ、ウィニーの両親が、愛犬用に1本買っていった。 ウィニーよりずっと大きいがおとなしく従順な立派な黒い毛並みの愛犬にお土産だ。
だが、駐車場でロメロの骨を乗せたままカートが転がっていき、カルロッタの車を直撃!車はひどく凹んでしまった。 その場から逃げ出す一家・・・。
だが、その光景をある男が目撃していた。 父親が落としたスタンプカードを拾い上げ、住所を確認する男。 男は、元哲学者のアレクシ。受験生の人生の明暗を分ける問題を作成する仕事に嫌気がさし、抜け殻のように生きている。
男はカルロッタに、カートは故意にある家族がぶつけた、と告げ 一緒に一家の家に押しかける。
ロメロの骨をかじった犬がのたうちまわって突然死するのをみて、自分の売った骨だと困惑するカルロッタ・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・ やがて、雄牛ロメロに関わった4組、14人の運命はゆっくりと 動き始め繋がってゆく・・・・・・・・
きっと、「マグノリア」や「ショートカッツ」などのポリフォニック系の群像劇がお好きな方にはかなり好みの構成じゃないだろうか。 一見、何の接点もない人々が、渦に飲み込まれるように引き合わされてゆく、 あるいは空を舞うバラバラのパズルのピースが魔法でくっつきあう ように大きな1つの絵を構成してゆくとでもいうのか。
アルモドバルの手腕に近いところもある。 タナトスの匂い、そこから紡ぎ出される細くも確かな希望に満ちた 輝く糸。
原題は無惨な死、それも複数の・・・を意味する言葉だと思うが、 邦題の「めざめ」、なかなかいい。
命を譲られ、昏睡からめざめる者。 この世に生まれ出でて、生にめざめる者。 闇の中だった真実にめざめる者。 本当は愛されていたのだと、愛の深さとその悲しみにめざめる者。
ある者は失い、ある者は得る。 大きな大きな運命の渦の中で、喪失と獲得が交錯する。 それを、一頭の神々しい漆黒の雄牛の霊魂が高みから見つめているかのようで。
そして、映像面での演出の巧みさに舌を巻く。 これが長編一作目とは驚くばかり。
雄牛、犬、ほくろの黒、それは闇。 コロシアム、そして円形劇場の円。とぎれないもの。取り巻くもの。 床に転がっての殴り合い、そして激しいセックス、それは愛憎。 死してなお形とどめる剥製。 全裸で赤ん坊に戻ろうとする集団。 叫べない男は電話のベルをけたたましく鳴らす。 無から有となった五つ子の泣き声が力強くタナトスの影をふりほどく。
これほど見事な構成のポリフォニックな群像劇はありそうで なかなかない。「マグノリア」と双璧をなすのではないか。 もっと知られてよい作品だ。
2005年01月03日(月) |
「キッチン・ストーリー」北欧発、ユーモアとペーソスに溢れた不思議で優しい友情の物語。観察したりされたり、ああ可笑しい♪ |
「キッチン・ストーリー」【SALMER FRA KJOKKENET 】2003年・ノルウェ=スウェーデン 監督:ベント・ハーメル 脚本:ベント・ハーメル/ヨルゲン・ベリマルク 撮影:フィリップ・オガールド 音楽:ハンス・マティーセン 俳優:ヨアキム・カルメイヤー(被験者、老人イザック) トーマス・ノールシュトローム(研究所員、フォルケ) ビョルン・フロベリー(イザックの親友、グラント)
1950年代、ノルウェーの小さな小さな田舎町、冬。 ひとり暮らしの老人、イザックはある実験に被験者として応募した。謝礼として馬がもらえると聞いたからだ。
何の調査かというと・・・。 隣国スウェーデンのとある研究所が、新しい台所用品の開発に際し、独身男性の台所での動線調査をしようというのだ。
森の中の国境を越えて、調査団が続々とノルウェーにやってきた。 その中の1人、フォルケがイザックの担当になったのだった。
調査員は、被験者の台所の窓の真横にトレーラーを横付けにし、 そこで寝起きする。そして一日中、台所の隅っこに置いた プールの監視員が座るようなハイチェアーに居座って、 被験者の動作を観察、記録するのである。
ただし、この実験には厳しい決まりがあった。 被験者と口をきいたり、キッチンのものにさわったりしては いけないというのだ。 つまり、空気のような存在として2週間を過ごさねばならない。
しかし、これはかなり珍妙な光景である・・・・。
フォルケは慣れたもので、どっかりと自分の位置を決めると 観察カードを手にイザックを見守るが、イザックはどえらく不機嫌。
馬がもらえるってのは勘違い。馬の人形だった。 大切にしていた愛馬が重い病気で、それで応募したのだった。 そうでなければ、親友のグラント以外とは口もきかない偏屈爺さんのイザックが、こんなモノに応募するはずもなかった。
仏頂面のイザックは、肝心のキッチンにめったに入ってこない! 実は、料理は2階の寝室でストーブの上でしてしまい、 料理するところは見せてやらないのだった。
しかも、仕返しだとばかりに、天井に穴を開け、自分を観察すべく座っているフォルケを観察するイザック。 調査票にはいたずら書き・・・・。
やれやれ、こりゃ困った。 この被験者はだめだな、と上司に被験者の変更をもちかけるが、 規則でできないらしいのだ。
沈黙の数日間が過ぎた。
ある日、そんな関係が変わる。
だが、被験者と調査員が口をきいたことがバレたらクビである。 イザックの仲間が1人、被験者と酒を酌み交わしクビになった。
うーーーーん。どうしよう??? いつしか、不思議な絆で結ばれつつあったフォルケとイザック・・。
職か、友情か。悩むフォルケ・・・・。
驚きましたな。こんな実験、実際に50年代のノルウェーで 行われていたんだそうですよ。笑ってしまいますが、科学者たちは大真面目なんです。
なんと、人間に対するまなざしの温かいことか。 銀世界の北欧のちっちゃな町。馬車みたいな形のレトロなミニ トレーラー。ラジオ。 電話をぜったいとらない老人。 鳴った回数で、誰が何をしに来るのかわかってしまう。
なんとも絶妙な「間」の演出。 セリフなんて前半はほとんどない。 後半だって、ぽつん、ぽつん。 でも、少ないから、交わす言葉がなんだか愛しい。
雪原で立っている国境警備員の飄々とした顔。 「何みてんだ!」って、警備員、見てるのお仕事ですから。
ラストはちょびっと、悲しい。 悲しい、じゃないかな、ちょびっとだけ、さみしい。 でも、柔らかな優しさに包まれている。
ダイニングキッチン。 家族の集うところ。 でも、ひとりぐらしの老人には、友と珈琲を飲むところ。 1人で、ゆで卵を食べるところ。
湯気の立たないキッチンは寒かったけど、黙っていたって 1人より2人のほうがキッチンはあったかかった。 喋って、笑って、酒を酌み交わしたら、窓が曇るほどあったかかった。
偏屈爺ぃと心を通わせてゆくっていうと、なんだかありきたりな 展開に聞こえるかもしれない。 でも、シチュエーションが斬新で、珍妙な状況をクスクス笑っているうちに、物語に引き込まれてしまう。
小さな愛らしい佳作だと思う。 こういう、狭い空間で丁寧に描かれる人間の物語って好きだな。
言葉をもっと大切にしようよ。 目をみて話そうよ。 それから、一緒にあったかい珈琲を飲もう。 そしたら、よく知らないあの人とも、なんだか苦手だと思ってる あの人とも、もしかしたら、一生の友達になれるかもしれないよ。
そして、一生の友達になったら、もう電話が鳴っても受話器を とらなくたっていいんだよ。 誰だかわかるもの。お茶を飲みに来るってわかるんだもの。
そんな、幸せ。
|