2004年10月30日(土) |
「モンキーボーン」ハロウィンですしw 昏睡患者の意識下の街の描写は爆笑モノ。ダークファンタジックブラックコメディ♪ |
『モンキーボーン』【MONKEYBONE】2001年・米 監督:ヘンリー・セリック 脚本:サム・ハム 撮影:アンドリュー・ダン 音楽:アン・ダッドリー 俳優:ブレンダン・フレイザー(新進気鋭のアニメーター、ステュ) ブリジット・フォンダ(スチュの恋人、女医のジュリー) ウーピー・ゴールドバーグ(死の街の責任者、デス) デヴィッド・フォーリー(スチュのエージェント、ハーブ) ローズ・マッゴーワン(昏睡者の街ダークタウンの猫女、キティ) クリス・カッタン(スチュが借りる死体) ジョン・タートゥーロ(モンキーボーンの声)
スチュは若手のアニメーター。 とりあえず6話分だけつくった生意気な猿のアニメ「モンキーボーン」が爆発的人気をはくし、一気にスターダムに。
キャラクター商品化の話が続々持ち込まれ、大富豪の予感。 でも、スチュはちっともそんなことに興味がない。 スチュは恋人のジュリーにプロポーズすることで頭の中がいっぱいいっぱいなのだ。 おばあちゃんの形見の代々伝わる婚約指輪を握りしめ、その時を待つスチュ。
やっとパーティを抜けだしたスチュとジュリーだが、まさかの 交通事故に遭遇! スチュは昏睡状態に陥ってしまう・・・・。
意識の中で目を覚ましたスチュは、妙なジェットコースターに乗せられ、真夜中の遊園地のようなアヤシい街、ダークタウンへ運ばれた。
そこは、昏睡状態にある人間と、人間の悪夢を好む奇妙なクリーチャーたちの街だった。 しかも、自分の作品であるサルのモンキーボーンが生身化して いる!!しかもめちゃめちゃ性格悪い、口悪い(そう作ったんだもん)
死に神が迎えに来、死の国へ去る人間もいるが、「復活パス」を 与えられて昏睡状態から脱出できる人間もいるようだ。
さて、現実はどうなっているかというと、 スチュはかつて、姉とこんなとりきめをしていたのだ。 「もしも昏睡状態に陥ったら、3ヶ月で生命維持装置をはずす」
ジュリーはひたすらスチュの生還を祈るが、非情に時は過ぎてゆく・・・。もうじき3ヶ月目だ。
ダークタウンの悪夢上映会で、自分の運命を知ったスチュは、 悪夢の神に相談。 死の街へ潜入してデスから復帰パスを盗むほか方法はあるまいと 助言を受ける。
ところが!
モンキーボーンに騙された〜!! 隙をついてモンキーボーンがパスを盗み、スチュの肉体に入り 目覚めてしまったのだ。
スチュは当然、ダークタウンに戻され牢獄行き・・・。
スチュの体を借りて、モンキーボーンはやりたい放題。 ジュリーも、何かがおかしいとは思いつつも、スチュの生還を祝う。
だが、この一件には裏があったのだ・・・・。 モンキーボーンが人間の体を欲した本当の狙いは???
スチュの運命や如何に!? 愛しのジュリーはこのままサルのものになってしまうのか!?
854円かよ(泣
「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」や「ジャイアント・ピーチ」のセリック監督ですよん。 この2作、ティム・バートンの作品、というイメージが強いですが、「ナイトメアー〜」はバートンはキャラデザイン、 「ジャイアント〜」は製作です。まぁ当然みっちり関わっているわけではありますが、監督はあくまでもセリック。
今回は、実写、CG、アニメーション、マペットをぐちゃまぜミックス!毒々しくも可笑し可愛い世界が今回も展開されています。
ハロウィンに最適ムービー、キテレツな死後の世界といえばティム・バートンの「ビートルジュース」 がありますが、あれが好きな方には是非おすすめしたい。
どっちが好きかは好みのわかれるところ。 私は甲乙つけがたいんですが、「悪趣味さ」なら本作「モンキーボーン」が格段上。 ティム・バートンは、何をやらしても上品さが決して抜け落ちません。化け物にすら妙な品が漂うのが特徴。
とことん下世話で悪趣味にイこうぜ、というノリの気分のときには この「モンキーボーン」をオススメw だいたいもう、映画中のアニメ「モンキーボーン」が、「サウスパーク」の10倍はお下劣ですから。
とにかく、面白くなるのは後半。 デスの温情(温情がコレかよ)で死にたてほやほやの臓器摘出中の 運動選手の遺体を借りてからが腹が攣るほど笑える。
まぁこの映画、全編にいろいろな映画のパロディが散らばってはいるのだが、暴走するゾンビでもなく、ヨロヨロ歩くゾンビでもなく、「必死で走るけどヨロヨロして内蔵が垂れかけてるゾンビ」 はあんまり他では観られないかも・・・・・・。
真っ赤な手術着(「戦慄の絆」のパロティ?)で追っかける医者たちに内臓を投げつけながら走る(「ゾンビに内臓は不要ってのは いろいろな映画で有名ですね)シーンは笑いすぎて涙が。
アホアホなだけなようでいて、ラストはなんともハートフルで、 ひねくれちゃいるけどさ、好きだなぁ。
2004年10月29日(金) |
「愛してる、愛してない・・・」裏アメリ。始まりはたった1本の薔薇の花。オドレイ・トトゥまぢ怖ぇ。ロマンス風味サイコスリラー。 |
『愛してる、愛してない・・・』【A LA FOLIE... PAS DU TOUT(狂おしいほど・・・ちっとも 英訳するとWith The MADNESS・・・AT ALLかな?)】2002年・仏
監督・脚本:レティシア・コロンバニ 脚本協力:キャロリーヌ・ティヴェル 撮影:ピエール・エイム 編集:ヴェロニク・パルネ 音楽:ジェローム・クーレ 出演:オドレイ・トトゥ(画学生、アンジェリク) サミュエル・ル・ビアン(心臓外科医、ロイック) イザベル・カレ(ロイックの妻、ラシェル) クレマン・シボニー(アンジェリクに恋する医学生、ダヴィッド) ソフィー・ギルマン(アンジェリクの同僚、エロイーズ) エロディー・ナヴァール(ロイックの診療所の受付嬢、アニタ) ナタリー・クレブス(ロイックに色目をつかう患者、ソニア) マティルド・ブラシュ(エロイーズの妹、レア)
ボルドー地方。アンジェリクは才能豊かな画学生だ。 身よりはなく、バーのウエイトレスやベビーシッターで生計を立てている。
ベビーシッターのお得意さんが、アメリカに1年間赴任することになり、空き屋となる豪奢な家に住み込んで管理することを任される。
アンジェリクはアトリエにもなる広い家をただで借りられることを喜んでいた。 実は、喜ばしくてたまらない理由はもっと別のところにあったのだが・・・・・・・。
さて、アンジェリクには熱愛中の男性がいた。 心臓外科医の中年男性、ロイックだ。 美しい弁護士の妻がいて、妻は妊娠中だが、離婚は秒読みだと アンジェリクは強気だ。
今日は2人が出逢った記念日・・・。 彼は彼女に1本の薔薇を捧げてくれたのだ。恋の始まりの記念に、 アンジェリクは花屋に頼み込んで薔薇を1本、病院に届けた。 添えられたカードにロイックは微笑むのだった。
不倫の泥沼にはまっているアンジェリクを心配しているのは、バイト先の同僚のエロイーズだけではなかった。 医学生のダヴィッドも、彼女に想いをよせ、真剣に愛するがゆえに 既婚者との恋などあきらめろと説得するのだが、馬の耳に念仏・・・。
だが、なんだかロイックの様子がおかしい。 電話もくれないし、逢いに来てもくれない・・・。
やがて、ロイックの妻が流産した。 いい気味だとほくそ笑むアンジェリク・・・。
彼の妻は家出し里に帰ってしまった。 だが、フィレンツェで結婚しようという誘いもドタキャンして 連絡もくれないロイック。
アンジェリクは胸張り裂けた。 ダヴィッドにある恐ろしいおねだりをして、ロイックにお別れのプレゼントを贈った。
だがその夜、ロイックが女性患者を殴り告訴されるというニュースをTVで見たアンジェリクは、愛するロイックのため復讐を企てるが、裏目に出てかえって彼を窮地に追い込んでしまうのだった。
絶望したアンジェリクは・・・・・・・・・・。
うおおおおお、怖ぇ。 ネタバレてますが、「執念のストーカー、彼女の名は裏アメリ」そんな感じですな。 オドレイ・トトゥでなければダメ。 ロビン・ウィリアムズの「ストーカー」(この邦題は大間違い)が 病的ではない哀しい空想ゆえの悲劇だとするなら、 本作はとっても病んだ激しい妄想ゆえの悲劇。
作品の段組は、ちょっと「ラン・ローラ・ラン」に似ていて 前半「愛してる」後半「愛してない」で同じ映像が繰り返される。
前半がアンジェリクの視点で描かれた、主観的な一連の出来事。 後半が、ロイックの視点で描かれた客観的な一連の出来事。
初監督作品はどの監督もかなり思い切った一回しか使えない手を 使うものだ。 ラストで映画に映っていない部分のシーンやセリフを見せて 真相を理解させる方法は珍しくないが、 冒頭のシーンからまるまる視点を変えて繰り返すのはあまりないかな。
そのため、くどくて飽きてしまう観客もでるのは覚悟の上か。 後半、冒頭のシーンが再度はじまって3分もすれば、事情がすべて わかってしまうので、ちょっとその後がツラい。 アンジェリクの醜悪な行動が延々続くので、正直いえば途中はトバして、で、結局どうなりました? とラストだけ観たくなる。
頑張ってとばさず最後まで観ましたが・・・。
ラストシーンはもう、さぶいぼたっちゃうキモさ(私的には、です。なんて哀れな・・・、という感想を持つ方だって多いはず)。
空想は○ アメリは皆を幸せにした。 妄想は× だけど罰は受けず皆を不幸にした。
薔薇の刺は幸福な家庭をズタズタにし、女の頬をゆがんだ幸福に 薔薇色に染める。
いい恋愛をしようと思ったら、相手と会話しましょう。 一度深く愛し合うようになったら、言葉は要らない場合もあるかもしれませんが、会話しないと、1人相撲になっていきます。
ロイックは、妻とも、ダヴィッドとも、充分な会話をしません。 亀裂と被害はそこから拡大していってしまう。 彼も思いこみが激しかったということです。患者だと思いこんだ、受付嬢だと思いこんだ・・・。
恋の相手に、目を見て「愛している?」と利いてみる勇気、 ありますか?(怖 「っていうかおまえ、誰?」ときかれたら・・・・(汗
2004年10月28日(木) |
『惑星「犬」。』 地球の侵略が順調に進んでいるか調査に訪れた1匹の宇宙犬と孤独な少年のハートフルな(笑)毒のない平和なコメディ♪ |
『惑星「犬」。』【GOOD BOY! (いい子だ、よしよし)】2003年・米 監督: ジョン・ロバート・ホフマン 原作: ジーク・リチャードソン 脚本: ジョン・ロバート・ホフマン/ジーク・リチャードソン 撮影: ジェームズ・グレノン 音楽: マーク・マザースボウ 出演:モリー・シャノン リーアム・エイケン ケヴィン・ニーロン 犬の声: マシュー・ブロデリック デルタ・バーク ドナルド・フェイソン チーチ・マリン ブリタニー・マーフィ ヴァネッサ・レッドグレーヴ カール・ライナー
小学生のオーウェン少年は両親の趣味(引っ越し)のおかげで 親友もできず、近所の体格のいい元気なやんちゃ坊主たちに いじめられてばかり・・・。
でも、オーウェンは夢の達成のために今日もアルバイト(近所の犬たちの散歩)に精を出す。大好きな犬だもの、糞の始末だって平気だ。
夢とは、犬を飼う許可をもらうこと!アルバイトがきちんと続けられたら、保健所で犬をもらってくることを両親と約束していたのだ。
いよいよ、約束の日がきて、オーウェンは愛犬との出逢いに胸を躍らせていた。
そこへ、空からちっこい宇宙船がドーン。 不時着した円盤から這い出てきたのは1匹のテリア・・・。 うろついているところを捕まり保健所行き。
オーウェンは、態度の悪い犬はもらい手がなく安楽死だと聞き、 いたたまれずにさきほどのテリアをもらういうけ、ハブルと名付け家族の一員に迎えた。
夜更け。 こっそり抜け出すハブルに気づいたオーウェンは後をつけると、 宇宙船が・・・・・・。 なんか交信してるし・・・。
近づいたオーウェンは交信機に感電し、犬語がわかるようになってしまったぁ!!
落ち込むハブル。 人間に事情がバレたらいかんらしいのだ。
ハブルが地球にやってきた理由とはこうだ。 数千年前、シリウス(おおいぬ座が・・)から地球征服のために 犬はやってきた。 いいかげん人間どもを飼い慣らしたかどうか調査するために、 女王陛下がエージェントのハブルを遣わした、ってことらしい。
犬が人間に飼われているなんて陛下にバレたら、全犬、シリウスに送還され再教育だという。
・・・地球から犬が消えるなんて・・。耐えられない!
オーウェンは犬たちを通じて友達になった女のコと一緒に、 作戦を練るのだが、所詮、子供の浅知恵。 オーウェンの両親はまた急に引っ越すと言い出すし、女王陛下はいつ来るかわからないし・・・・。
犬は地球から消えてしまうのか!?
「キャッツ&ドッグス」のような奇想天外なSFタッチの作品ではありません。CGではなく、調教された賢いワンちゃんたちの演技を堪能できる作品ですw
犬、友達少ない華奢な少年、ときたら、大真面目な名作に 「マイ・ドッグ・スキップ」などがありますね。 実にすばらしい映画なので、未見の方は是非(゚ー゚*)
「惑星「犬」。」はおもいっきりコメディーです。 個性豊かなワンちゃんたちの喋りや仕草が笑えるし、 オーウェン少年が、これまた可愛いコなんです。
ジョン・キューザックが小学生の頃はこんな顔だったんじゃないかと思うような雰囲気(彼のデビューはもっと後(23歳)なので子役時代はありません、「スタンド・バイ・ミー」で26歳だけど高校生役でした)。
男性陣にはよほど犬好きでないかぎりおすすめ作品ではありませんが、可愛い子役、可愛い犬たち、明るく陽気な世界、 可愛いものが好きな女性や、小学生くらいまでのお子さんのいる ご家庭でご家族に観るのにうってつけだと思いますよ。
DVDの特典も、調教プちレッスンなども収録されており、 なかなか楽しめます。
女王陛下がなかなか威厳がおありなんですが、 側近の犬がうさんくさくてかなり笑えました・・・。
ちゃちぃ空飛ぶ円盤も、C級SF好きのハートをキャッチ(笑)
できたら、1シーンだけでも犬しかいない惑星が観たかったけども。
2004年10月27日(水) |
「ゾンビ」3部作2作目。今回もゾンビより恐ろしいのは人間。このテーマは不動のままに、よりアクション、スリルの要素がレベルアップ。 |
『ゾンビ』【DAWN OF THE DEAD (死者の夜明け)】1978年・アメリカ=イタリア(※ダリオ・アルジェント監修版です) 監督/脚本: ジョージ・A・ロメロ 撮影: マイケル・ゴーニック 特殊メイク: トム・サヴィーニ 音楽: ゴブリン/ダリオ・アルジェント
出演:デヴィッド・エムゲ(スティーヴン) ケン・フォリー(ピーター) スコット・H・ライニガー(ロジャー) ゲイラン・ロス(フランシーン) トム・サヴィーニ
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の世界はそのまま、時間的にはあの出来事の少し後・・・。
ゾンビ(という単語は用いられないが、便宜上)たちは増え続ける一方。都市は人肉を求めてうろつくゾンビに充ち満ちてゆく。
どうにか都市部からの脱出をはかろうとする生き残ったSWAT隊員、ロジャーとピーター、そしてTV局員のスティーヴンと恋人のフランシーンは、ヘリで脱出したが、燃料もあと僅か、食料もない。
郊外の巨大なショッピングモールにどうにかたどり着き、籠城を決める。
死してなお、生きていたときの習慣でショッピングモールに集まり 売り場をうろつくゾンビたち。
倉庫に安全を確保した彼らは、ゾンビが一体一体は非常にか弱いことに勇気を奮い立たせ、食料や衣料、武器弾薬の調達をする。
時間を追うごとに外のゾンビは増え続けるが、戸締まりは厳重だ。 中のゾンビは根気よく一体ずつ始末していった。
しばし不気味に平穏な時間がすぎる。 広い売り場で買い物ごっこに興じ笑顔も見せる彼らだったが、 その刹那的な安泰を奪ったのはゾンビではなく、暴走族の一団だった・・・・。
ショッピングモールは血塗られた地獄と化す!!
2004年公開の「ドーン・オブ・ザ・デッド」のリメイク元が本作である。
ゾンビ映画は無限の可能性を秘めている。 娯楽やホラーの方向性を極めることもできるし、開祖のロメロの ように、どこまでもシチュエーションムービーとして、人間の愚かしさ恐ろしさを暴き出し、逞しさ、哀しさ、弱さも描く方法もある。
だが、近年はロメロの志を受け継いだものは減ってきているような気がする。 ダニー・ボイルの「28日後・・・」が最近では原点に還っている、という好印象を受けた(あれは結末がすきじゃないのだが)。
リビングデッド三部作は一作ごとに進化してきている。 今回は、女性もタフさを増し、アクションの要素も強くなった。 また、遊びゴコロもチラりと見え、映画の奥行きが広がってきた。 愛する者が、友人が、心を失い動く屍となり襲ってきたら・・・。 こんな恐ろしいシチュエーションも、ロメロが開祖だ。
トム・サヴィーニの特殊メイクは愛嬌があって、怖いというより 可笑しいのだが、物語は少しも可笑しい方向に流れない。 「バタリアン」のゾンビの姿はめっちゃ怖い。まぁ滑稽でもあるが、グロい。でも、物語はどこまでも滑稽である。コメディホラーの傑作だ。
視覚的には、最近の特殊メークやCGを見慣れた世代には 物足りないかもしれない。だが、メイクが薄いぶん、ゾンビの皆さん(エキストラの方々ね)がきちんと演技しているのがわかり、動きが速すぎてなんだかわからない最近のゾンビより、正直いって怖い。
ゾンビは与えないが略奪しない、欲張らない。 ゾンビは助けないが保身にも走らない。 ゾンビは愛さない(※次作では少しかわってくる)が、 ゾンビは憎まない。 ゾンビには味方も友人もいないが、敵もいない(敵にはされるが、彼らは 人間を敵とは思っていない、思うこと自体できないが、人間はエサにすぎない)。
じゃ、人間は? 人間は愛せる、守れる。だが、 人間は憎める、殺せる。
襲ってくる暴走族の連中にあるのは仲間意識だけで、愛も友情も なく、あるのは武器と醜い欲だけだ。 ならば人肉をほしがる欲しかないゾンビとどっちが怖いんだってことになる。
だが、ロメロの映画のいいところは、そうして冷酷に人間を 描きながらも、人間性を信じ、人間を愛しているのがわかるところだ。
ダリオ・アルジェントと通じるところがやっぱりある。 手段と方向性はまったく違っても。 この作品も、劇場版、ディレクターズカット版、ダリオ・アルジェント監修版などなど、これまたバージョンが豊富・・・。
でも、「ナイト・オブ・リビングデッド」のいくつかのバージョンよりズレがないような気がするのだ。 ダリオが好きだから贔屓目かもしれないが、編集と音楽のセンス、 ロメロの意図に反するようなものにはなってない。
あのラストシーンの力強さは何なのだろう。 やがて燃料は尽き、彼らだけでなく、都市も終焉が近いのがみてとれるというのに。
生き残りたいという血走った欲のにおいは消え、1分1秒でも 人間でいようとする希望。
絶望と希望が釣り合っている不思議なラストシーンはそうめったに観られるもんじゃない。
マスコミも役立たず、政府も歯が立たず、数人の生命と精神的安定を数日延すのに貢献してくれたのは“消費”の象徴ショッピングモールっていうのが痛烈。
これが三作目になると、科学も軍隊も、助けになるどころか むしろ一気に人間を終焉に導く引き金として描かれる。 が、では何が救うのか、というところまできちんと描かれるので、 またの機会にリビングデッドプロジェクトの完結編、「死霊のえじき」を・・・。
それにしても、これはある意味リアルな名ゼリフ・・・。 「地獄が満杯になると地上に死者が歩き出す」 映像よりコッチのほうが考えると怖いんだが。
余談だが、余裕があればエキストラの皆さんのコスチュームに ご注目。看護婦さんも尼さんもいます。 医療も宗教も歯が立たないようで。
2004年10月26日(火) |
「評決のとき」正義とは法の遵守だろうか。法は善人も悪人も等しく守るが白人と黒人は等しく守らないならば。 |
『評決のとき』【A TIME TO KILL 】1996年・米 監督: ジョエル・シューマカー 原作: ジョン・グリシャム 脚本: アキヴァ・ゴールズマン 撮影: ピーター・メンジース・Jr 編集: ウィリアム・スタインカンプ 音楽: エリオット・ゴールデンサール 俳優:マシュー・マコノヒー(弁護士、ジェイク・ブリガンス) サンドラ・ブロック(法学生、エレン・ロアーク) サミュエル・L・ジャクソン(被告、カール・リー・ヘイリー) ケヴィン・スペイシー(検事、ルーファス・バックリー) オリヴァー・プラット(ジェイクの親友、ハリー) チャールズ・ダットン(保安官) ブレンダ・フリッカー(ブリガンスの事務所の職員、エセル) ドナルド・サザーランド(ブリガンスの師匠、ルシアン・ウィルバンクス) キーファー・サザーランド(殺害された強姦魔の弟、フレディ) パトリック・マクグーハン(判事) アシュレイ・ジャッド(ブリガンスの妻) クリス・クーパー(巻き添えをくった保安官、ルーニー) ニッキー・カット(強姦魔の主犯格、ビリー・レイ)
アメリカ南部。黒人差別が根強く残るミシシッピー州の田舎町、カントン。 誘拐強姦暴行常習犯の白人青年2人が、黒人の村の食料品店を襲撃した後、まだ10歳の黒人少女を惨たらしく強姦し、トラックにのせ橋まで運び投げ捨てた。
犯人は酒場ですぐに逮捕された。トラックから少女の血まみれの靴も見つかり、言い逃れはできない。 大したお咎めにならない自信から、犯人はふてぶてしい態度だ。
少女は、半死半生で血まみれになっているのを川で発見された。腫れ上がった顔で、駆けつけた父親に抱きつく哀れな少女は、かろうじて一命をとりとめたが小さな子宮は破壊され、子供を産めない体になってしまった・・・。
まだ若く小さな町で大きな仕事もなく、弁護士1人、事務員1人の小さな弁護士事務所。 ブリガンス弁護士を訪ねて、被害者の少女の父親、カール・リー・ヘイリーがやってきた。 かつて、彼の兄の弁護を引き受けたことがあり、2人は旧知の仲なのだ。
カール・リーはブリガンスに告げた。 もしものときは助けてくれ、と。
うっすらと不吉な予感を察知しながらも、自分にも幼い娘がいるブリガンスには、カール・リーの怒りと苦悩は他人事ではなく、 保安官に通報する気になれなかった。 報復殺人などあり得ないと思っていたこともあるのだが・・・。
だが、予感は的中。 娘を犯し殺しかけた2人の白人が初公判のため留置所を出たところを、カール・リーは群衆の目の前でショットガンを乱射し殺害、自宅に逃げ帰った。 カールの幼なじみだった白人保安官のルーニーは巻き添えをくい、 片足を切断する重傷を負ってしまった・・・。
自宅で家族にしばしの別れを告げると、カール・リーは無抵抗で 逮捕された。 そして弁護士に、ブリガンスを指名したのだった。
カール・リーは無罪を主張。妻と4人の子供を食わせていくためにも、死刑も終身刑も絶対に避けたい。 一時的な心神喪失状態だったと主張するしかない。
カール・リーには殺意があった。 だがそれは裁判で何としても隠さねばならない。
黒人差別の根強く残る南部。 法律は白人のためのもの。 数年前、黒人女性が4人の白人に強姦されたが、無罪放免となった。今回も、無罪、運良く有罪にできても僅かな刑期ですぐにまた 出所し、同じ凶行を繰り返すだろう。 そして、白人を殺害した黒人は、裁判などあってもないようなもの、死刑が当然だ。
カール・リーにはどうしてもそれが許せなかったのだ。
地理的な不利をせめて解消しようと偏見の少ない地域での裁判を 求めるが、却下される。 陪審員の選定も、拒否権をフルに行使しても、黒人の陪審員を 検事サイドがすべて拒否してしまうので、全員白人だ・・・。
あとは、弁護人、検事双方の選んだ精神科医のあら探しに頼るほかないのだが、水面下で互いにほじくりかえすと、どちらの精神科医にも後ろ暗い点が・・・。
きつい闘い。 しかも、カール・リーに殺された強姦魔の家族が、過去の遺物と思われていた白人至上主義地下組織のKKK(クー・クラックス・クラン)ミシシッピー州部を発足させ、ブリガンスの妻子や事務員の家族を狙ったテロ行為を展開しはじめる・・・。
夫がカール・リーの計画を予想しながら阻止せず、あえて崇高な使命と売名のために危険な仕事を請け負ったのだと思った妻は、 家族の安全よりも仕事を選んだ夫に愛想をつかし、娘を連れて 実家へ帰ってしまう。
ブリガンスは、死刑制度に反対する人権擁護派の法学生で、高名な弁護士を父に持つエレン・ロアークに無報酬でこの歴史的な裁判を手伝わせてくれと懇願されるが・・・。
陪審員長は頑迷な白人の老人だ。威圧的なリーダーシップぶりに、 カール・リーに同情的な若者もひるんでしまっている・・・。
まるで勝ち目のないまま、裁判は判決の日を迎えようとしていた。
ブリガンスはすでに己に敗北していたのだ・・・。
評決の行方は。
久々に考え込んでしまった映画だ。 扱っている問題の大きさゆえに、映画という媒体が社会に与える影響の大きさを考えると、「傑作です」と言い切れない複雑なものがベッタリと後味悪く胸の底に張り付く。
「ヒマラヤ杉に降る雪」をご存じだろうか。 あの裁判では、差別され不利な判決を言い渡されそうなのはジャップ、黒人よりもはるかにマイノリティだが敵国民、日本人だ。 だが、あの作品では、被告の日本人は完全にシロであり、冤罪。 評決を決定づけたのは、弁護人の感動的な最終弁論もあろうが、 明瞭な物的証拠がギリギリになってちゃんと浮上してくる。
「ハートで聞いてください。」 このセリフ、ヒマラヤ杉でも最終弁論で用いられていた。 こちらが後で、1999年の映画なので、「評決のとき」を 暗に皮肉っていたのか・・?とふと思う。リスペクトとは思えなかった。
「評決のとき」が見終わった後で胸苦しいのは、あまりにも アメリカという国が抱える病理をまとめて扱いすぎて、 消化不良のまま胃もたれしてしまうからだ。
そもそも、強姦の上殺人未遂でも、被害者が黒人で加害者が白人なら法は法の番人にすらも無視され無罪放免や軽罪扱い、という前提が恐ろしい。
法を守らない連中が法を犯し、法を無視する弁護士、検事、判事、陪審員に裁かれたり裁かれなかったりするのだ。
だが、黒人が被告の場合は、法の遵守が叫ばれる。 ここがポイントなのだが、登場人物を増やしすぎ、ピントがぼけてしまっている。
ブリガンスの友人の離婚訴訟専門の弁護士と、ブリガンスの崇拝する師匠であるらしい(どう伝説の弁護士なのか説明されないし、裁判の有利な進行にまったく役立たない)アル中のルシアン。この2人はスター俳優だが、無意味な登場シーンが多すぎて間延びする。
魅惑的な女学生もハリウッドセレブをキャスティングしたが、 恋愛感情はうっとうしい。煮え切らないラブシーン未満は不要。 理想に燃える男子学生のほうが骨太なドラマになったかもしれない。 豪華キャストが裏目に出てしまうこともあるということだ。
だが、脇役のキーファー・サザーランド(親子出演はファンには嬉しいのだが)はいかにもアブなさげでいい。 悪役でこうでなくちゃいかん。
そして、さすがの演技力に敬服したのは、クリス・クーパー。 小さな役。セリフも出番も少ない。 だが、物語の進行上も、映画のテーマにも関わる重要な役だ。 ベッドで一筋の涙を流すルーニー。 胸を突かれる。
マシュー・マコノヒーはセリフとは裏腹の演技をしなければならず、相当に難しいやくどころであるにも関わらず、驚異的な演技を披露してくれた。
この映画、耳で聞いているだけでは真っ逆さまの結末にとれてしまう。マシューの演技に負っている部分が大きい。
サミュエルは、与えられた通りに正確に演じているはずだと 思うのだが、そもそもカール・リーという人物像に疑問を感じてしまうので、いまひとつ感情移入できなかった。
カール・リーは、黒人全体の地位向上のために世に一石を投じるために殺人を犯したのではない。 それは、途中の展開で明確にわかる。 あくまでも報復殺人であり、法が裁いてくれない悪人を処刑したのだ。 だが、死刑も終身刑も拒む。 それは家族を養うためだ。己可愛さ故ではない。 でありながら、ブリガンスには黒人差別について熱弁をふるう。
そこがこの物語をややこしくしているような気がするのだ。
現実っていうのは複雑でややこしいものだ。 カール・リーの複雑さは理解できるものだ。 だが、映画という2時間強の枠で何かを扱おうと思ったら、 どこかは削らないと。
また、ミッキーマウスの入れ墨の男の正体を、その存在がまるで 評決に関わってくるかのようにひた隠しにし、ミステリアスな 雰囲気を出そうとしたのはまったくの無駄。 意外な人物ならまだしも、単に制裁を恐れるがゆえに勧誘を断れなかったが実は善人というだけなら顔を意味ありげに隠してもしかたがない。
もう1つ、男が撮った映画にありがちなのだが、10歳の少女が 膣が裂け子宮が潰れるほどレイプされて、あんなに簡単に回復して笑顔を見せるはずがない。 「買い物袋を落としてごめんね」なんていえるはずもない。 ショックで精神的に壊れてしまったり口がきけなくなったりするのがふつうだろう。 強姦を甘くみているのは、映画制作に関わった白人の皆さんもじゃないんですか?と冷えた気持ちになった。
最終弁論、小細工を捨てた体当たりの訴えは評価したいが、 映画全体に小細工が多すぎるのには興ざめ。
結局、裁かれたのは陪審員の差別意識だったのだ。 ハートで裁く陪審員、ハートで動く法律。
それはラストだけではなく、この事件の以前も、黒人が被告だった 裁判は、白人陪審員はハートで有罪にしてきたってことだ。
何のための法律、誰のための正義。
一見、爽やかで明るいラストシーンだが、暗澹とした気持ちは晴れない。
2004年10月23日(土) |
「ワイルド・ワイルド・ウエスト」 SFちっく西部劇っぽいアクションコメディ♪ すげー金かけて豪華キャストでここまでバカを(笑 |
『ワイルド・ワイルド・ウエスト』【Wild Wild West】1999年・米 監督:バリー・ソネンフェルド 脚本:S・S・ウィルソン/ブレント・マドック ジェフリー・プライス/ピーター・S・シーマン ジェームズ・E・トーマス ジョン・C・トーマス 撮影:ミヒャエル・バルハウス 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:ウィル・スミス(陸軍騎兵隊大尉、ウエスト) ケヴィン・クライン(発明狂の連邦捜査官ゴードン/グラント大統領、二役) ケネス・ブラナー(ラブレス博士) サルマ・ハエック(リタ) M・エメット・ウォルシュ(コールマン) テッド・レヴィン(流血将軍、マグラス将軍) ソフィア・エン (ミス・リッペンリーダー)
1869年、西部開拓時代。 合衆国に危機が迫る。
腹黒天才科学者ラブレス博士が合衆国の乗っ取りを計画中だ。 国中の優秀な科学者を片っ端から誘拐監禁し、トンデモナイ すんごい兵器を開発させているのだ。
大統領は、キレやすいがタフで腕利きの合衆国陸軍第9連隊騎兵隊大尉ジェームズ・ウェストに、残忍な手段で逃亡した科学者を殺害するマグラス将軍と、その背後に居座るラブレス博士のオソロシイ計画の阻止を命じる。
ウェストの相棒に任命されたのは、一見紳士風な発明狂の連邦捜査官(でも女装も趣味の領域)のゴードン。
何でも当たって砕けろの行き当たりばったり力でゴリ押しタイプの ウエストと、用意周到だがアタマでっかちでイヤミな頭脳派のゴードン、どう考えても水と油。
さて、大統領が用意してくれたからくり満載の豪華な汽車に乗って、いざ悪党退治に出発!
囚われた科学者の父を探すためラブレスのハーレムに潜り込んだ 勇気あるレディ、リタを仲間に、冒険が始まった!
極悪非道なラブレス一味は大統領を誘拐し、合衆国をよこせと 言ってきた。 強すぎる変態科学者に自由の国、アメリカはのっとられてしまうのか!?
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いやもう、筋はこの際どうでもいいでしょ。 60年代の人気TVシリーズだったようですね。
からくり、仕掛け、派手な大道具、スベったギャグ、コテコテの お笑いが好きな人にはおなかいっぱいの映画。
これを観ようと思ったのは、あのケネス・ブラナーが上半身だけの 変態天才科学者をやるから、というのと、ハウルの動く城もびっくりの巨大クモ型戦闘マシーンが観たくてしょうがなかったから♪
・・・・おなかいっぱいです。
主演の2人より、明かにケネス・ブラナーが濃い。 そしてサルマ・ハエックちゃんの生尻も❤ฺ
えーと、シリアスな気分のときや、笑えない気分のときは、 すべりまくりのベッタベタなギャグが神経を逆撫でする可能性も ありますので、ご遠慮ください(笑
ものすごく心身ともに疲れていて、脳みその活動領域がやたら せまく、難しいことは考えられない状態のときに、家で ゴロっとしながら観る、が大正解です。
そして、ケネス・ブラナーのヘンなあごひげはやっぱり観るべきかと。
ところで、ウィル・スミスって・・・戦闘対象がCGな役が 強烈に多くありませんか。 人間相手に戦ってたのって、蝶のように舞い蜂のように刺していた偉人の半生記(いい映画ですね、大好きです)くらいしか記憶にどうもないんですが。
こういう、下品なギャグ満載の、お馬鹿映画であることを200% 自覚した映画は、とってもとっても好きなのです。
2004年10月19日(火) |
「カラー・オブ・ハート」 TVに吸い込まれ50年代のモノクロホームドラマの世界に閉じこめられた兄妹。 |
『カラー・オブ・ハート』【PLEASANTVILLE(人気ドラマのタイトル、プレザントヴィル“愉快町”】1998年・米 監督・脚本:ゲイリー・ロス 撮影:ジョン・リンドレー 美術:ジニーン・オブウォール 衣裳:ジュディアナ・マコフスキー 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ 音楽:ランディ・ニューマン 主題歌:“アクロス・ザ・ユニバース”フィオナ・アップル
出演:トビー・マグワイア(デイビッド/バド) リース・ウィザースプーン(ディビッドの双子の妹、ジェニファー/メアリー・スー) ジョーン・アレン(バドたちの母親、ベティ) ウィリアム・H・メイシー(バドたちの父親、ジョージ) ジェフ・ダニエルズ(バドのバイト先のダイナーの店長、ビル) J・T・ウォルシュ(プレザントヴィル町長、ビッグ・ボブ) ドン・ノッツ(テレビ修理工) マーリー・シェルトン(バドのGF、マーガレット)
デイビッドとジェニファーは高校生の双子の兄妹。 兄デイビッドは50年代に大ヒットした連続ホームドラマ、「プレザントヴィル」おたくでヒマさえあればモノクロ専門チャンネルで お菓子片手にTV鑑賞。 離婚後、男遊びに夢中で家庭的な主婦からはほど遠い母親に 呆れ、平和な理想の家庭や青春に憧れることで現実逃避しているのだ。
髪型も服も趣味もダサい兄貴に比べ、妹のジェニファーはイケイケコギャル道大驀進中。不良っぽい同級生にお熱で、化粧も服もケバい。
さて、そんな彼らの母親が、またしても男と旅行で家を空けることになったらしい。
チャ〜〜ンス!! デイビッドは、夜6:30から徹夜で放送される「プレザントヴィル祭り」を観たいのだ。全話放送後にあるカルトクイズに挑戦して優勝したい。
一方、ジェニファーだって今夜は勝負。 お目当ての男のコを家に呼んで、MTV観ながら朝までイチャイチャする作戦。気合い入れてオシャレしてリビングにやってきた。 6:30に彼氏が来る予定なのだ。
お約束のチャンネル争い開始! おとなしいデイビッドも今夜は妹も負けられない。 必死でリモコンを奪い合った結果、ぶっ壊してしまう。
最新式TVのイタイところはリモコンがないと動かないトコロ。 青ざめる2人の前に突如呼んでもいないのにTV修理屋の老人が現れ、苛つくジェニファーを尻目にデイビッドと「プレザントヴィル」のマニアックな話題で盛り上がっている。
すっかり気をよくした修理屋は、壊れたリモコンを隠すと妙な形のリモコンを2人に手渡し、帰ってしまった。
何が何だかわからないが、とにかく今度はそのリモコンの奪い合いに!
すると、2人はTV番組「プレザントヴィル」の中に吸い込まれてしまった!! 気がつくと世界はモノクロ、色のない世界。 50年代のファッションでキめた2人が、あのドラマの家の中に。
ママが朝ご飯よ、と声をかけにきた。 あのママだ!ドラマの中の・・・・・。
そう、2人はドラマの中の兄妹、バドとメアリー・スーになっていたのだった。
TVの中で修理工がご機嫌だ。 デイビッドの完璧なオタクっぷりに満足した彼の“ご褒美”らしいのだが、いやいや、それは望んでいない、大迷惑なハナシだ。 元の世界に帰してと懇願する2人に、修理屋はヘソを曲げてしまい消えてしまった・・・・・・・。
困りましたね。 とにもかくにも、この世界でしばらくおとなしくしている他、 ないようだ。
オタクのバドにはさほど住みにくい世界ではない。 妹に、この世界を狂わせるなと忠告するが、現代っ子のジェニファーにソレは無理というもの。
兄の予感は的中。メアリー・スーとなった彼女は友達にはナウい言葉を入れ知恵し、番組ではロマンティックな展開で恋人になるはずの男のコには、車の中で押し倒し初体験させてしまう!
この世界にはプレザントヴィル以外の町はない。道は丸く、どこにも繋がっていない。 そして、下品な言葉もなきゃ、トイレもセックスもないのダ! 喜怒哀楽の「喜」しかない世界。愉快町とはよくいったもので。
そういうわけで、この世界で初めてセックスを経験したその青年は、帰り道、1輪だけ薔薇が真っ赤に色づいているのを見つける・・・・。
あっという間に若者たちの間にセックスが広まり、町も、若者も 色づき始める。 図書館には真っ白なページの本しかなかったのだが、バドがトム・ソーヤの冒険を話し出すと、やがて図書館中の本が物語で埋め尽くされる。
ますます進む町のカラー化。 モノクロの町を行き交う、モノクロ人間とカラー人間。
そして、この町になかったモノが続々登場する。 火事に、雨。
大人たちは大騒ぎ。町議会で本を燃やす法律を作ったり、 有色人種の出入りを禁止したり・・・・。
バドとメアリー・スーのママにも、大きな変化が起こっていた。 娘(?)に教えてもらった1人えっちで性の快感を知り、 密かに想いを互いに寄せ合っていた男性と深く結ばれるのだった。
もう黙っちゃいられないのはTV修理屋である。 プレザントヴィルの世界を壊した!!と激怒しすぐ戻ってこいと 怒り狂うが、バドは、こんな中途半端に自分たちが影響を与えてしまった世界を放り出して逃げ出すわけにはいかなかった。
ところで、メアリー・スーもモノクロのまま。 恋人が(ドラマとは違う相手だが)できたけれど、バドもモノクロのまま・・・・。 どうも人によって色づくきっかけが異なるようだ。
次第に「色」への弾圧が厳しくなるが、抑圧されればされるほど、 本能は煌めき出す・・・・。
この世界はどうなってしまうのか。 そして、デイビッドとジェニファーは元の世界に戻れるのだろうか・・・???
『ビッグ』などのハートフルな作品の脚本家として知られるゲイリー・ロスの、初監督兼脚本作品となった本作。 この次に手がけたのがあの『シービスケット』であることを 考えると、彼の人間の良心や可能性の力を信じうったえる一貫した信念に感動せずにはいられない。
プレザントヴィルの人々が「色」を手に入れるきっかけは、人それぞれだ。 情熱であったり、真剣になにかに取り組む気持ちであったり、深く思考することであったり、嘘のない誠実な気持ちであったり、ときめきであったり、またそういうプラスの感情だけでなく、胸が震えるほど悲しんだり、後悔したり、怒り狂ったり。 「愉快」(楽)なときには思考も停止し心も動いていない。 喜怒哀楽の他の感情、喜ぶ、怒る、哀しむ、は、アタマの中を様々なことが駆けめぐり、心が激しく動く。つまり感動している。
感動が人生に豊かな色彩を与えるのだ。 豊かな色彩の中には美しい色ばかりではなく、醜い嫌な色もある。 だが、すべては「調和」だ。
プレザントヴィルには、これから不幸なこともおきるだろう。 美しい色も混色すれば黒ずむように、恋や情熱は嫉妬を生み、 知識欲はし烈な競争を生み、感動は絶望とコインの裏表。 美しいものへの憧れは物欲を生み、それはやがて犯罪を生むだろう。洪水、地震、火事がおこり恐怖心や事故死も・・・。 そして病気もこの町を襲うだろう。
だが、治る喜びも、生きる喜びも、その逆を知らねば味わえないのだ。
すべては「調和」なのだ。 醜いものがあってこそ、美しさの価値を知る。 悲しみがあってこそ、喜びは愛おしく、人も愛せる。 怒りがあってこそ、穏やかな心が心地よいから争いは避けたいと思う。 挫折があってこそ、再出発ができる。 間違いがあるから、新しい発見ができる。
この映画は全編を通して、力強い温かいメッセージに満ちあふれている。 そして、万華鏡のように幻想的で美しい。
いい映画は、心に残るシーンがどれだけあるかだ。 1つでも充分。 だが、本作には、いくつもいくつも、愛情溢れる素晴らしいシーンがある。
色づいたことの意味をまだ理解できず、恥じて哀しむベティに、 息子として接してきたバド(デイビッド)が慣れない手つきで 懸命に化粧をしてやるシーン。 ファンデーションが灰色で、考えてみれば可笑しくもあるシーンなのだが、2人の真剣さにとても笑えない・・・。
恋人池にデートに向かうバドたちを祝福するように降り注ぐ 桃色の花吹雪、鮮やかな木々の緑は息をのむほど美しい。
真っ赤な傘を嬉しそうにかざす可憐なマーガレットの恥らって上気した愛くるしい頬。
ベティを見上げ、切なさと愛おしさに胸がはじけそうになり 涙とともに色を手に入れるジョージ。
そして、デイビッドが人間的に成長を遂げ、ダメ母を愛しいと心底思い、優しい言葉をかけるシーン。 「こうでなくちゃ、ってことはないよ。」 「幸せの意味は人それぞれだよ。」 泣きはらしてパンダ目になって自分を責めるぐちゃぐちゃの母親 を見つめるデイビッドの優しい眼差しに目頭が熱くなる。
映画の内容とは関係ないけれど、私も40才で息子が17才だ。トビー・マグワイヤ演じるデイビッドやバドみたいな純朴で誠実な息子に育ってくれたらな〜〜。子供たちが高校生になったら、この映画、一緒に観たいなぁ。
トビーは、幼さの残る頃から好きだ。 ディカプリオ(もちろんまだ子役)と競演した(端役だが) 『ボーイズ・ライフ』、そして才能をめきっと発揮した、「アイス・ストーム」ではクリスティーナ・リッチの妹役で、 本作と同じくジョーン・アレンの息子役で登場。
少年期、青年期とすっかり、いい役者になりました。
ジョン・キューザックもトビーもそうなんだけど、童顔の男優は、 かなりトシくっても少年の役がおかしくないので芸幅が広く、 息長く活躍できるだろう。
2004年10月17日(日) |
「コンフィデンス」 “スティング”より凝った詐欺師モノの傑作!ダスティン・ホフマンには悪役は似合わないけど。 |
『コンフィデンス』【CONFIDENCE(原題に太字の部分がある理由はコメントで説明します)2003年・米 監督:ジェームズ・フォーリー 脚本:ダグ・ユング 撮影:ファン・ルイス・アンシア 音楽:クリストフ・ベック 出演:エドワード・バード・バーンズ(凄腕若手詐欺師、ジェイク) レイチェル・ワイズ(スリのプロ、リリー) アンディ・ガルシア(執念のFBI捜査官、ビュターン) ダスティン・ホフマン(暗黒街の帝王、でもADHD、キング) ポール・ジアマッティ(ジェイクの仲間、ゴドー) ブライアン・ヴァン・ホルト(ジャイクの仲間、マイルズ) フランキー・G(キングの側近、ルーパス) ロバート・フォスター(次のカモ予定、銀行頭取、モーガン・プライス) モリス・チェスナット(プライスの側近、トラヴィス) ジョン・キャロル・リンチ(銀行員、アシュビー) ルイス・ガスマン(ジェイクが抱き込んでる警官、マンザーノ) ドナル・ローグ(ジェイクが抱き込んでる警官、ウィットワース) リーランド・オーサー(三週間前の詐欺のカモ、キングの会計士、ライオネル) ルイス・ロンバルディ(ジェイクの仲間、サクラ役のアル)
ロス、夜の人気のない路地。 天才的な詐欺師、ジェイクは死んだ。
だいたいこんなことになったのも、傍でまだ怒り収まらぬ様子で ジェイクをにらみつけている赤毛の女のせいだ。 赤毛は縁起悪いんだってば。
なんでジェイクは死んだか。少し時間を戻す。 ゴツい黒人男に銃をつきつけられ、金の在処を吐けと脅されているジェイク。 答えないジェイクの後頭部に狙いを定めた男は、 「過去が見えるか?」と嫌味を言い、懺悔を迫る。
過去ね。死ぬ前に自分の人生がフラッシュバックすると言うが、 とにもかくにも、こんな目にあうハメになったのは3週間前のアレがきっかけだった・・・・・。
信用詐欺に成功して大金をカモからせしめたあの日。 だが、カモのライオネルが殺され、ジェイクの仲間で、サクラ役専門のアルも殺された。
ジェイクたちは知らなかったのだ。カモがロスを牛耳る闇の帝王、キングの会計士で、あの金はキングのもんだったとは・・・。
普通ならトンズラこくところだが、キングのヤバさとネチネチとしたしつこさは並大抵じゃないらしい。はした金でも、横領したら最後、何年でも追われ捕まったらトイレに監禁されるらしい。
そこで、正面きって交渉することに。 キングの経営するストリップ・バーにご挨拶に行き、 金を返しにきたのかと訊かれると、ジェイクは返さん、とつっぱねる。 そして、もっとデカい詐欺をやって数倍にして返すと提案したのだ。
すると、キングは側近(コーヒー係)のルーパスを監視につけることと、カモを、一方的に宿敵とキングが思ってる大富豪モーガン・プライスにすること、を条件にジェイクの申し出を受けた。
ジェイクは、今度の仕事には女が必要だと考え、世渡り上手そうな 美貌の女スリ、リリーを仲間に引き込んだ。
さて、今回の信用詐欺には何カ所か心配な点があった。 似た手口でパクられた連中を知っているからだ。 古株の仲間、ゴドーやマイルズは不安そうだ。
それにリリーとルーパス。2人も信用できない連中を抱えて、 でかすぎるカモ。不安要素が尽きない・・・。
それでも、逃げ場はないわけで、計画は始動した。 なかなか好調な出だしじゃないか。
・・・リリーが赤毛に染めたのには、皆がブっとんだが。 赤毛、鳥の模様のスカーフ、縁起悪さの自乗だ。
それでもジンクスに負けまいと皆頑張り、大金のニオイが漂ってきた。
だが、あと一歩のところで、予定外の邪魔が入った!! ジェイクの逮捕に執念を燃やすFBI捜査官、ビュターンがロスに 宿敵のニオイを嗅ぎつけてやってきたのだった。
ビュターンは、ジェイクが分け前を払って抱き込んでいるロス市警の警官2人をまずとっつかまえた・・・・。
ジェイクは、ビュターンと聞くなり、凍り付いてしまう。 まるでヘビに睨まれた蛙だ。
さてさて、何がどうしてどうなってジェイクは死んでしまうのか。
物語はビュターンの登場を機に、もの凄い勢いで妙な方向に 転がり始める・・・!!
典型的コン・ムービー。 古くは「スティング」(映画全体の完成度でいったら、これにかなうコン・ムービーは未だにないと思うけどね)、ちょっと前なら 「グリフターズ」、最近なら「マッチスティック・メン」など、 詐欺をメインに扱った映画だ。
本来ならばコンムービーの「コン」はコンフィデンス、信頼、 つまり信用詐欺だが、信用詐欺でなくても詐欺師ものをコン・ムービーっていうかな・・・・。
コンフィデンス、それは自信、信頼、ひいては極秘。 映画の中では、ジェイクの「自信」を表す言葉として、 そして、仲間との信頼関係を示す言葉として。 信用詐欺を示す「コン」を赤字にしてあるのはそういう 言葉アソビだろう。
この凝り方が、鼻についてしまうか、よくまぁこねくりまわしたね、と半ば呆れつつも感服してしまうかで、この映画の好き嫌いはわかれるだろう。
オチはまぁ、コン・ムービーを見慣れている方には、やっぱりね、という域を出ないと思うが、逆に言えば、手堅い。
少々難を言うなら、もうちょっとセリフを削って、映像のみで 処理してほしい。見りゃわかるから(;´∀`) ってことまで セリフで説明されると、字幕を読むのと、登場人物の一挙手一投足に注目するのに目が疲れる。 吹き替えのほうがいいかもしれない。
脚本は緻密なのだ。そこはおおいに評価すべき点だと思うのだが、 セリフはもう少し整理が必要だったな。
ダスティン・ホフマンは何しろ念願かなっての悪役なだけに、 とても嬉しそうだったが(「ニューオーリンズ・トライアル」ではジーン・ハックマンにフィンチの役をとられた、まぁ当然)、 演技力では絶対にカバーできないモノが俳優にはある。 オーラだ・・・・。 キレたら何するか想像もつかない怖い人をやらせて巧いのは、 コミカルな方向性ならアダム・サンドラー、 シリアスな方向ならゲイリー・オールドマン。 表情ひとつ変えずに紳士的な笑顔のまま残忍になれるという 年輩の危険人物ならアンソニー・ホプキンズ。 一見して危険人物ならデニス・ホッパーやマーロン・ブランド(笑)
ダスティン・ホフマンは役作りを楽しんでいるし落ち着きのなさは よく出ているし、キレたら大変そうではあるのだが、といっても「トイレに監禁」??? 脚本から、キングが本当にサイコ野郎なのか、ただのヤリ手裏ビジネスの達人なのかがよくわからない。 どうも、極悪人のニオイがしないのだ。 脚本からも、ダスティン・ホフマンからも。 そこは、観ていてやはりフラストレーションがたまるのは否めない。 同じとこでひっかかった方もきっとおられるだろう。 「ユー ドゥー ノット スケア ミー、ジュニア」 字幕もそっちの方向でとっているし、展開からいってコレは、 「よぉ乳臭い坊主、俺に逆らったらタダじゃおかんぞゴルァ」 という強迫のコトバだが、 ダスティンのセリフまわしだと、 「もー、ボクちゃんたら、おじさんびっくりしちゃうなぁ、やめてよぉ。」っぽい・・・。
狙いは怒鳴らなくても怖い小男、なんだろうが・・・。 怒鳴らなくても怖いオーラの小男だと、アル・パチーノにかなわない。 やっぱり善人のほうが似合うわ、ダスティンは。
対して、アンディ・ガルシアは今回はかなり腹黒そうでネチネチ なめくじより執念深そうである。 この映画、よく「オーシャンズ11」っぽいと言われるが、 そうかなぁ? そういえば、「オーシャンズ11」では、アンディ・ガルシアが ちっとも悪人に見えず、フラストレーションがたまったっけな。
余談ですが、私の可愛いルイス・ガスマンちゃんは今回もハマリ役のおばかちゃんでした。
どんでんがえしには二種類ある。 うすうす予想がついてきて、うん、やっぱりそうだよねw と気持ちよく痛快なオチ。 なんでだよ〜!!ありえね〜!!とキレてしまう唐突オチ。
本作は、冒頭のシーンにすでにオチのヒントは9割方ある。 読めてしまった方も、どう持っていくのかな、とゆったり楽しんでいただきたい。
あと、こういう映画を楽しもうと思ったら、途中であれこれ推理しながら観ないほうがいいかも。 もしかして、過剰なセリフと素早い展開は、観客の思考を ストップさせ、今、映っている映像と聞こえる言葉だけに 集中させるための作戦なのかもな。
予告編の出来がよくない。 だいたい、日本の配給会社の作る予告編は、ラストシーンが 平気で映っていたりするのがいけない。
キャッリコピーは過剰宣伝なので、あまり本気にしないほうが いいと思います。 バリバリ期待して観るよりも、キャストを楽しもう、くらいに 思って見ていると、「お?拾いモノ♪」 と楽しめるはず。
2004年10月15日(金) |
「バーチュオシティ」 きゃぁw ラッセル・クロウの生尻つるんつるん(笑) デンゼル・ワシントンはドレッドヘアだ!いいぞ! |
バーチュオシティ【VIRTUOSITY】1995年・米 監督:ブレット・レナード 脚本:エリック・バーント 撮影:ゲイル・タッターサル 音楽:クリストファー・ヤング 俳優:デンゼル・ワシントン(元刑事の囚人、パーカー) ラッセル・クロウ(殺人鬼アンドロイド、シド6.7) ケリー・リンチ(犯罪心理分析官、カーター博士) スティーヴン・スピネラ(リンデンメイヤー博士) ルイーズ・フレッチャー(警察技術研究所所長) ウィリアム・フォーサイス(警察署長)
1999年(※未来という設定っすよ)、犯罪都市ロス。 頻発する凶悪事件の犯人逮捕の訓練のため、政府は警察技術研究所(LETEC) を創設した。 現在はまだ試験運転中。
ここはバーチャル空間。妙に近未来っぽい制服の警官2名が追うのは、凶悪殺人鬼187人の人格と知能、武術を併せ持つシド6.7だ。 日本料理店でシドを追いつめるが、あと一歩のところでマシンが謎のオーバーヒートを起こして実験は中止に。
このアブナすぎる実験のモルモットになっているのは、元警官の囚人、パーカーだ。もう1人の囚人はショック死してしまった。
パーカーは優秀な警官だったが、テロリストに妻子を惨殺され逆上し、犯人のグライムズは勿論、事件とは無関係な報道人にも見境なく発砲し、大量殺人のかどで服役中なのだ。
ある時、プログラマーの1人が、スケベ心を出したナノテクの技術者を、性の奴隷のセクシーギャルのモジュールだと騙し、あのシド6.7をアンドロイド化させリアルワールドに誕生させてしまった!! プログラマーは恐ろしくなり逃亡してしまう。
撃っても切っても死なない不死身の殺人鬼シド6.7の機能を停止するには、モジュールを抜き取る他に方法はない。 ということは、接近戦を迫られるということだ。
早速、ロスの街を恐怖のどん底にたたき込むシド6.7。 ありとあらゆる凶悪さを発露し、手がつけられない。
そこで、パーカーがシド退治の命を受ける。 囚人なので、首に発信器を埋め込まれ、逃亡は不可能だ。 そして、一部の者が秘密裏にもっと恐ろしい罠をこの発信器にしかけていた・・・。
シド6.7は、パーカーが追ってきたと知ると、パーカーの宿敵グライムズの人格を出してきて、挑発する。
パーカーと同行することになった心理学の博士、カーター女史と 協力してシドを追うも、シドはあの悪夢を再びパーカーに仕掛ける。 カーター女史の幼い娘を誘拐し、時限爆弾を仕掛けて隠したのだ。
シド6.7対パーカー、その宿命の対決の行方や如何に!?
いや、もうねぇ、 デンゼル・ワシントンはどこまでもシリアス、どこまでも真顔! 悲劇のヒーロー。 ラッセル・クロウはどこまでも変態、どこまでも凶悪、どこまでもコミカルっ!
このミスマッチがもう、納豆ケーキといおうか、北京ダックの素麺乗せというおうか、ものすげーミスマッチで、人によっては受け付けないだろうし、私みたいにツボにハマって笑いがとまらなくなるヒトもきっといるだろう。
ヘンな日本の描写は、目くじらを立てるべきではない。 笑うべきだ。 アキラと書かれた名札つきの寿司職人! 前だけミニスカ後ろは着物、化粧は京劇メークのゲイシャ風ウェイトレス! お子さま寿司によくある原色のドッグフード皿みたいな寿司皿!
でも、それ以前に、映画が始まるなりの、デンゼル・ワシントンの 真紫のC級SFに出てくるっぽい警官制服に大爆笑w
デンゼル・ワシントンがリアル・ワールドで最初に顔を見せるシーンで、ヘルメットを外したらバリバリのドレッドヘアだったので、 さっきの爆発でドリフのコントみたいに焦げてああなったんだ!! と爆笑していたら、いや、囚人時代に伸びてドレッドヘアになっちゃったんだね(ありえねー
ラッセル・クロウ、リアルワールドで誕生したときは全裸♪ わぁ、さすがアンドロイド?いや、映画的サービス? お毛々なしのつる〜んとした形のイイお尻がたまりません。
しっかし、暴走気味が許される演出での悪役って楽しいだろうなぁ。戦隊モノの悪役よろしく、 フハハハハハハハッ! ですよ、ラッセル・クロウが。
そして飛び降りるときは、 バンザイ!! と叫びます。
もうこれだけで、この映画は観る価値があるでしょう。 ストーリーはごくフツーのB級復讐モノです。
できれば、デンゼル・ワシントンには、ずっとあのドレッドヘアのまんまで最後までいってほしかったのぅ。
あー、面白かったw
2004年10月14日(木) |
「ぼくは怖くない」10才の少年は少しだけ早く大人の世界の暗い穴を覗いてしまう・・・。360度の麦畑、青い空、恐ろしい秘密。 |
ぼくは怖くない【IO NON HO PAURA】2003年・イタリア 監督:ガブリエレ・サルヴァトレス 原作:ニコロ・アンマニーティ『ぼくは怖くない』 脚本:ニコロ・アンマニーティ/フランチェスカ・マルチャーノ 撮影:イタロ・ペットリッチョーネ 音楽:エツィオ・ボッソ
出演:ジョゼッペ・クリスティアーノ(ミケーレ) マッティーア・ディ・ピエッロ(穴の中の少年、フィリッポ) アイタナ・サンチェス=ギヨン(ミケーレのママ、アンナ) ディーノ・アッブレーシャ(ミケーレのパパ、ピーノ) ディエゴ・アバタントゥオーノ(この計画のボス、セルジョ)
1978年、南イタリア、麦畑に埋もれた5世帯しかない小さな村。記録的な猛暑、照りつける太陽に少年たちの肌が輝く夏。 子供らはひねもす太陽の下で遊び続ける。
ミケーレは5年生、10才だ。 遊び仲間の村の子供たち数人の中にはガキ大将もおてんばな女の子もいる。 今日は、普段行くことを大人たちに禁じられている遠くの廃屋まで 競走した。負けると罰ゲームが待ってる。 でも、幼い妹を連れていたのでビリっけつに。
仲間の女のコに、脱げとガキ大将が命令する。 泣き出した少女が哀れだし、妹には見せられないしで、進んで罰ゲームを受ける優しく正義感のあるミケーレ。
いつ崩れるかわからない廃屋の梁を目を閉じて渡るミケーレ。 彼は恐がりだが、恐怖を克服するすべも知っている、そんな少年だ。
友達は先に帰ったが、妹が眼鏡を落としたとぐずりだし、慌ててミケーレが廃屋に戻り探し始めると、眼鏡が落ちていたあたりに、 妙な穴があることに気づく。
トタン板を被せ、上から枯れ草を散らして目立たぬよう隠された穴。
恐る恐る中を覗くと、汚い毛布の下から、泥まみれの人間の足らしきものが白く浮かび上がってみえる・・・!! 恐怖のあまり慌ててその場を去るミケーレ・・・。
遅く帰宅して母親にこっぴどく怒られたが、長距離トラック運転手の父が、何ヶ月ぶりかで帰宅したのが嬉しくて楽しい夜・・・。
でも、死体だろうか、目に焼き付いた白い足・・・。 神に祈りを捧げて眠るミケーレ。
だが、少年の好奇心は動き出したらもう止まらない。 翌日もこっそりと、穴を覗きに。 足がない!!! 次の瞬間、ミケーレの目に飛び込んできたのは、初めてみる 金髪の少年。死人のように青ざめ泥まみれの・・・・。
あまりの驚きと恐怖で、ミケーレは走り去る。だが、恐怖と同時に、自分だけのとっておきの秘密を得た喜びにも胸を奮わせるのだった。
ミケーレは空想の物語をノートに書いた。 双子がうまれたが、1人は金髪で呪われた子。山に監禁したが、 父親がこっそり食料を運んで、金髪の少年は生き延びた、と。
その後も、水を与えたり、パンを与えたり、毎日金髪の少年に会いに行くのだが、鎖で足を封じられた少年は衰弱しきって目も開けず、錯乱状態だ。自分はもう死んでおり、ここは死後の世界だと 思いこもうとしている・・・。
助け出そうとするわけでもなく、ミケーレは自分だけの秘密を楽しんでいた。
だが、ある夜、村の男たちが家に集って密談を始めた。 母も一緒だ。
立ち聞きしてしまった話にショックを受けるミケーレ。 だが、まだこの時点ではミケーレは事の重大さを飲み込めていなかった・・・・・・・。
少年の素性は? ミケーレは囚われの少年を助け出そうとするのか、それとも、 このまま秘密を心にしまい続けるのか。 大人たちは村ぐるみ(たったの5軒だが)で何を隠しているというのか・・・・?
イタリアの映画祭で高く評価されたこの作品、子供が主役だからって子供向け映画じゃない。
少年が子供でいられた最後の夏。 「マレーナ」「スタンド・バイ・ミー」「夏休みのレモネード」 などの名作をはじめ、傑作がかなりあるので、このテーマを 追求してみるのも面白いだろう。
本作は数あるこういった少年の成長物語の中でも、敢えて近いタイプを挙げるなら、「アトランティスの心」かもしれない。
ドス黒い大人の世界、自分の無力さを痛感しながらも諦めず 闇に立ちむかう勇気。
子供は穴、棒、水が好きなものだ。 まだ世界が狭い子供にとって、穴は新しい世界に繋がるかもしれないチャンス。 大人が隠す世界への入り口だ。
だが、ミケーレの覗いてしまった穴は、あまりにも暗かった。 そこは大人の醜さを埋めて隠した穴だった。 穴の中に、麦畑より眩しい金髪の少年がいたときには、 穴は大事なものをしまっておく秘密の宝箱だったけれど。
その穴から金色のカナリアが消えると同時に、秘密というスリルは 失われ、底知れぬ恐怖がミケーレを襲う。
怖いのはフクロウでもヘビでも蜘蛛でもなくて、大人たち。 でも、大人たちに叱られたって殴られたって怖くない。 ミケーレが怖いのは、大切なものを失うことだ。 友達の笑顔、つまり命と、自分が自分であることを。 だから彼は怖くなかった。 失わないための冒険は怖くなかったのだ。
恐ろしい状況を描きながらも、この作品は金色に揺れる一面の麦畑、南イタリアの抜けるような青空、濃い緑の木々、そして 瞬間かいま見せたフィリッポの笑顔とまるきり邪気のない笑い声・・・そういった汚れた大人には手の届かない清いものに 包まれて守られ、どこまでも温かい。
ミケーレは、それでも父の首にまわした手を離さなかった。 ミケーレの危険な冒険は、愛する両親を守るためでもあったからだ。 ・・・結果として、あの村は廃墟と化し、子供らは孤児となるかもしれないけれど・・・・。
ミケーレが父に恨み言を言ったなら、この映画はまるきり違う、 ただの悪いオトナに立ちむかう正義感の強い子供の大冒険になってしまったはずだ。
ミケーレはたとえどんな事情があろうとも両親を愛しており、両親も息子を深く愛しているのだ。
夜の麦畑、ライトに照らされて輝く麦畑と、フィリッポの金髪。 フィリッポも怖くなかった。 彼にとっても、怖いのは銃を持った大人ではなく、友達を失うことだったからだ。
演出も見事。 南イタリアと北イタリアの貧富の差。 村は狭すぎるが麦畑は広すぎる。 捨てられないものが大きすぎて、小さな村という少し大きめの 穴にズッポリはまってしまった大人たち。
いかにも北部の子らしい色白の肌と金髪。 南部の子たちの逞しさ。 大人にとっては生活手段にすぎず、彼らを村に縛る原因の1つ である麦畑も、子供らには無限の広さに感じる遊び場・・。 大人たちの中でも、苦渋の表情を浮かべるミケーレの親、 根っからの極悪人、セルジョの、いかにもなヤクザっぷり。
そして、カメラワーク。 ほとんどがミケーレの視点だ。彼が1人きりのときは 勿論、ミケーレをカメラが捕らえるが、 少なくとも、大人と子供という関係で見れば、ミケーレの見たり聞いたりしていない大人の姿や声は、映画には映らない。 どこまでも、ミケーレの見聞きした世界。
10才、子供を脱皮して少年へと向かう時期。 普通ならば緩やかに訪れるその時期を、銃声と爆風が吹き飛ばした。そしてミケーレとフィリッポの子供時代は幕を閉じたのだ。
2004年10月13日(水) |
「CQ」 監督に任命されちゃった冴えない編集マンの苦悩と青春。レトロでキッチュでダサ可愛いw 劇中映画が超C級SFで面白いのだ。 |
『CQ』【CQ(無線用語の応答願います、とSeek You あなたを捜して、をかけてある)】2001年・米 監督・脚本:ロマン・コッポラ 撮影:ロバート・D・イェーマン 美術:ディーン・タヴォウラリス 編集:レスリー・ジョーンズ 音楽:MELLOW 俳優:ジェレミー・デイヴィス(映画編集→監督、ポール) アンジェラ・リンドヴァル(女スパイ、ドラゴンフライ=女優、ヴァレンタイン) ビリー・ゼイン(革命家“ミスターE”役の男優) エロディ・ブシェーズ(ポールの恋人、マルレーヌ) ジェラール・ドパルデュー(「ドラゴンフライ」の初代監督、アンドレイ) ジャンカルロ・ジャンニーニ(映画プロデューサー、エンゾ) ソフィア・コッポラ(エンゾの愛人) ジェイソン・シュワルツマン(「ドラゴンフライ」の二代目監督、フェリックス・デマルコ) マッシモ・ギーニ(ファブリツィオ)
1969年、パリ。 アメリカ人のポールは映画に青春のすべてを捧げている青年で、現在は2001年を舞台に設定したSF映画、「ドラゴンフライ」の編集をしている。
同棲している恋人のマルレーヌと、最近うまくいっていない。 映画に夢中で、彼女に見向きもしないポールに、彼女は苛立ちを隠せないのだ。
ポールは、私的な自主制作映画も撮っていた。部屋の中のすべてを撮り、自分にカメラを向けてあれこれ語っている・・・。
さて、セクシーな女スパイが主人公のSF映画、「ドラゴンフライ」の試写で、観客があっと驚く映画を!と主張するプロデューサー、エンゾと、哲学的な方向に走った地味なエンディングに大満足の監督、アンドレイとが激しく対立。
エンゾはアンドレイをクビにし、新進気鋭の若手監督にバトンタッチするが、車の事故を起こし、降板してしまう。
そこで、もともとポールのアイディアだったこの「ドラゴンフライ」を、ポールの手に戻そうということになり、急遽、監督に任命された。 驚愕のエンディングを用意しろ、とエンゾに命令され、出世に浮かれている場合ではない。
主演女優のヴァレンタインはあまりにも魅惑的で、ポールのアタマは彼女のことでいっぱいだ。 恋にのぼせ、仕事のプレッシャーはきついで、ポールは常に心ここにあらず。 長年つきあったマルレーヌはついに出ていってしまうのだった・・・。
さて、どう脳みそを絞ってもアっと驚くような結末をひねり出せない。エンゾは待っている。映画の撮影もラストを残すのみだ。
さて、どうしたものか・・・・。
女スパイが月にある革命家(イケメン)のアジトに潜入して、秘密兵器を奪ったところまでは出来ているのだが、さてさて困った。
う〜ん、よくできたオトナの(大人のじゃなくて)寓話だな〜。 コッポラ息子、初監督作品。
69年っていうのは重要なポイントで、この映画は実際には かなりヘビーな時代背景を孕んでいるのだが、 さすがはミュージック・クリップ界ではすでに成功を収めている ローマン・コッポラ。 ヘタしたら、無限に風呂敷が広がってしまいそうなごったな材料を、はみ出した部分は匂わせる程度に留め、決して散漫にならずに シャキーンと1本の娯楽映画に仕上げている。 こりゃ凄い。
視覚的な愉しみはもう、モチロンのこと、音楽もおっされ〜な感じ。ヘタするとただのビジュアル先行アート映画に終わってしまうところを、スキのない脚本と、ベテラン俳優陣の演技、若手陣の 雰囲気を活かした演技で、目と耳を愉しませるだけに落とさない。
「ドラゴンフライ」のベースになっているのは、1967年のロジェ・ヴァディム監督、ジェーン・フォンダ主演のエロティックSF、『バーバレラ』のようだ。これも機会があったら観てみたい。
青年の自分探し。映画への愛情、時代へのオマージュ。 カメラを愛おしむシーン。
時代は1秒ごとにもの凄いスピードで後ろに過ぎ去ってゆく。 だからいれたての珈琲を撮った映像が、愛しい。
2004年10月12日(火) |
「15ミニッツ」 メディアに殺人フィルムを売ろうとする犯罪者、立ちむかう若き放火調査官。血に飢えたメディアと視聴者。 |
『15ミニッツ』【15 MINUTES】2001年・米 監督・脚本:ジョン・ハーツフェルド 撮影:ジャン=イヴ・エスコフィエ 音楽:アンソニー・マリネリ/J・ピーター・ロビンソン 俳優:ロバート・デ・ニーロ(殺人課警部、エディ) エドワード・バーンズ(消防署放火捜査官、ジョーディ) ケルシー・グラマー(アンカーマン、ロバート) カレル・ローデン(チェコ人犯罪者、エミル) オレッグ・タクタロフ(映画監督志望のロシア人犯罪者、ウルグ) メリーナ・カナカレデス(エディの恋人、TVリポーター、ニッキー) エイヴリー・ブルックス(エディの相棒、レオン) ヴェラ・ファーミガ(最初の事件の目撃者、ダフネ) ジョン・ディレスタ(ジョーディの同僚、コーフィン) (カメオ出演)シャーリーズ・セロン(デリヘルのオーナー)
怪しげな2人組がアメリカに到着した。 チェコ人のエミルとロシア人のウルグだ。2人は銀行強盗の分け前を、金を持ち逃げしてアメリカで暮らす昔の仲間のところに取り立てに向かうところだ。
カメラおたくで映画監督を夢見るウルグは、カメラ屋に押し入り 高性能ビデオカメラを強奪して逃げた。
昔のダチのアパートに押し入り、金を使い込まれたと知ると、 キレやすいエミルは夫婦を包丁で惨殺した。 その様子をウルグは例のビデオカメラで夢中で撮影していた。
我に返った2人が見たのは、浴室の隙間から震えながらこちらを見ていた若い女。慌てて追いかけて殺そうとするがその女、ダフネは間一髪、逃げ切った・・・。
エミルとウルグは証拠隠滅のためにアパートに放火し、逃走した。
全焼したアパートに到着したのは、NY市警殺人課の腕利き警部、 エディと、消防署所属の放火調査員のジョーディ。
エディは超人気報道番組、『トップ・ストーリー』(主に凶悪犯罪関係のニュースばかりを扱う)にたびたび出演しており、NYで名刑事エディの顔を知らない者はいない。アンカーマンのロバートに捜査や犯人逮捕の瞬間に立ち会うことを許可していたのだ。だが、正直なところロバートは、もうエディの事件解決簿じゃ視聴率がこれ以上は上がらないだろうと、もっと刺激的な映像はないかと考え込んでいた・・・。
一方のジョーディは、真面目一徹仕事人間。メディアに顔を売るつもりなんぞ毛頭ない。まだ若いが放火事件の解決能力はズバぬけていた。
この2人が発火もとの部屋に入り、ジョーディが時限発火装置を 発見し、殺人放火事件と断定。 エディは何もかもわかっていながらジョーディの腕を試していたようだ。証拠品を手にメディアの取材に答えるエディ。
消防局長は手柄の横取りだとおかんむりだが、ジョーディはまるで興味がない。 黒山の人だかりから少しだけ離れ、ジョーディを見つめて何か訴えたそうな顔をした若い女性(ダフネ)の怯えた瞳が忘れられないジョーディ。 似顔絵を描いてもらい、やがてダフネの素性を掴み、保護する。 だが、一足早くダフネを発見し他言無用、と強迫したエミルたちを 恐れ、口を開かないダフネ。
彼女はチェコで正当防衛で人を殺し逃亡してきた不法滞在者。 昼は美容師、夜はデリヘル嬢で稼ぎ細々と暮らしていたのだ。 あの日は、たまたま同郷の例の夫妻にシャワーを借りていて 事件に出くわしてしまったのだった・・・。
ジョーディとダフネは惹かれあうが、立場を越えて愛し合うことは 許されなかった。
エディは、捜査への同行を懇願するジョーディに、若くて熱血漢で無鉄砲だった頃の自分をふと重ね、異例だが管轄を越えて合同で 事件の捜査に当たることを許可するのだった。
TVで見る傲慢そうなキレものっぷりとは違う、素顔のベテラン刑事エディに次第に敬愛の念を感じ始めるジョーディ・・・。
その頃。 エミルとウルグは恐ろしいことを計画していた・・・・・・。 エディを監禁拷問し、惨殺する。その一部始終をウルグが撮影し、『トップ・ストーリー』に売りつけるのだ。血に飢えたメディアは視聴率のために幾らでも出すだろう。大金持ちだ。 無論、エディと一緒にフィルムに映るエミルは逮捕は免れない。 だが、エミルは精神異常者を装えば、無罪となって精神病院送りで 済み、入院したら、自分が正常だと主張し晴れて退院。 アメリカにはダブル・ジョパティ法(二重処罰の禁止)があるので、後からいくら警察が地団駄踏んでも、エミルを再逮捕はできない、というわけだ。
・・・計画は、実行された。
恋人に今夜こそプロポーズしようと少し浮かれ気味だったエディは 罠に落ち自宅に監禁されてしまったのだ・・・。
そして、視聴率のためには悪魔に魂も売る男、ロバートは、「NYの正義の象徴エディの殺害の一部始終」のフィルムを買い、上には内緒で放送してしまった・・・!!
エミルは予定通りに逮捕された。 そして、裕福になったエミルは、高い弁護料を払い腕利きの弁護士を雇い、精神異常を主張するのだった・・・・。
こんなことがまかり通ってたまるものか・・・! ジョーディは悲しみと怒りで腑が煮えくりかえる思いだが、 法律の壁がエミルを守っており手出しができない・・・。
このままエミルは無罪放免、血で汚れたアメリカン・ドリームを手に入れるのだろうか?
『60ミニッツ』という番組は、『インサイダー』(実話が題材) にも出てきている。だが、この映画に出てくる報道番組は15分間の番組ではないようだ。 アンディー・ウォーホルが、TVニュースでインタビューされれば、その時間だけはホームレスでもヒーローになれるメディア狂いのアメリカを皮肉って、「この国では誰でも15分は有名になれる」と言ったことに由来している。 劇中でも、レオンがこの言葉を引用し、自分も脚光を浴びたいと 手柄に拘るシーンが出てくる。
職場での評判や上司の評価よりも、TVに映ることがステータスという狂気の沙汰・・・。 っちゅーか、日本の報道番組じゃ、どこの市警の誰がこの殺人犯を逮捕しました、拍手〜♪ という報道はしないね。お国柄だろうか。 たまに暴走族なんかの逮捕劇を24時間密着なんとかってタイトルで1人の巡査や警部に張り付いて特番することはあるが。
正直なところ、映画の完成度に関しては、今一歩。 過去にも視聴率のためなら何でもするマスコミの批判は たびたび扱われており、殺害をボカシやモザイクなしで垂れ流すというのは、ショッキングではあるが、衝撃的というほどではない。
そうなると、外堀をどう埋めて魅力的にしていくか、なのだが、 これだけ俳優陣が脇役にいたるまでいい演技をしているのに、 脚本がマズいのだ。頑張りすぎている。
俳優がいいだけに、欲が出て、あんなシーンも欲しい、こんなシーンもあったらいい、と詰め込みすぎ、骨太な男のドラマにすべきところが、散漫な印象になってしまっている。
エディとジョーディ、それぞれの恋愛事情にムダに時間をかけすぎているのだ。ユーモラスでいいシーンなのだが(特にエディは)。 個人的には、エディの恋愛は省き、ジョーディとダフネに、なんとなく惹かれあうが、キスもできず、というハンパなものでなく、 事件の展開や解決ににダイレクトに関わってくる濃厚な恋愛をさせるか、あるいは、ダフネが一方的に好意を寄せるが仕事人間のジョーディは箸にも棒にもかからない、てな展開のほうが、 男の友情と正義をドドーンと貫いた骨太ドラマになったはずだ。
でもね、エディがニコレットにプロポーズしようとして 「俺の靴のとなりに誰かの靴を並べたい。」としどろもどろ言うシーンは、好きだったりする。監督も、コレはイケると思って削らなかったんだろうな・・・・。 女に言わせりゃ、そこまで言われてあれだけ知性派の彼女が??? な表情ってのはないだろう、と苦笑。 ニコっと「あたしの靴でいいかしら?でもあなたが磨いてねw」 くらい言ってくれると締まったんだがな。
ちょっと話を戻して、興味深かった点は、やはり精神疾患と刑罰、 そしてダブル・ジョパティに関する部分だろう。
アメリカの法律にはズブの素人なのだが、映画『ハーモニーベイの夜明け』や『羊たちの沈黙』など、精神病患者専門の(あ。両方とも主演、アンソニー・ホプキンズじゃん・・・)刑務所がアメリカにはあるようだ。 かなり警備は厳重であり、治療よりも危険人物をガッチリ世間から引き離し幽閉する目的のようだ。労働が伴わないあたりが、通常の 刑務所とは異なるのだろうか。
『スリング・ブレイド』の場合は、犯罪を犯した年齢が低かった(12才)ため、主人公は精神病専門刑務所ではなく、普通の精神病院に強制入院させられていたのだと思う。
それらを思い浮かべるに、一端、入所してしまってから、自分は正常だと言い張って、簡単に出してもらえるのか? かなり腕利きの弁護人がついていたようなので、再検査くらいは 受けさせてもらえる可能性はあるかもしれないが。
そして、本当に精神を病んでいなくとも、有能な弁護人がつきさえすれば、狂人のフリが裁判で通用してしまうのか? 日本でもいつも思うのだが、精神鑑定というのは、何らかの数字で 出るものではないのだろう?
このあたりにリアリティを感じないといおうか、逆にもしも あり得ることならば、どんな凶悪犯罪を犯しても、狂った芝居を すれば無罪→ダブルジョパティ(二重処罰)の禁止により精神病院からも自由の身、という構図が出来上がってしまう。
この映画を観てから、日本でも繰り返し起きる猟奇殺人犯が 精神鑑定を受け・・・というニュースを聞くと、鑑定の基準は科学的なものなのか?と気になって仕方がない。
自由の国アメリカは、犯罪者にとってもとても自由らしい。 犯罪者の手記は、凶悪であればあるほどバカ売れし、マスメディアは映画化権の獲得に躍起になる。そして儲かる犯罪者。まぁ娑婆では金は使えんだろうがな。死刑囚でければ、老後を印税でリッチに暮らすことも可能かもしれん。
アタマの悪そうなロシア人やチェコ人に “I love America. No one is responsible for what they do.”(意訳:アメリカ万歳だな。何をしても許されるんだぜ。)
って言われちゃうシーンにはもう脱力。 日本でも、エミルがモーテルで見てたような、公開謝罪番組けっこうある。
チェコ人がロシア人のロシア語に“ムカツクからやめろ!”と 言うくだりには大ウケ。さぞイヤなことだろう。 金のためなら大っ嫌いなロシア人とも組んじゃうエミルの逞しさにも呆れる。 この悪役2人組、カレル・ローデンはチェコの舞台俳優。キレたら手に負えない上にずる賢い感じはなかなか。 フランク・キャプラが好きなクセに殺人シーンが大好きなウルグは オレッグ・タクタロフ、アルティメット系の格闘家だ。 なかなかいいコンビ。
サンダンスで評価されてから各方面で活躍する若き才人、エドワード・バーンズの、甘いマスクにやや細身の体、でも鋼鉄の意志と溢れる男気というのが実に魅力的だった。
ところで、ロバート・デ・ニーロが映画の中盤あたりまでに 死んでしまう役どころって、他にご存じの方、いらっしゃいます?
2004年10月10日(日) |
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」最初の“ゾンビ映画”。ロメロは悪鬼を描きつつ、人間の醜悪さと恐ろしさを暴く。 |
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/ゾンビの誕生』1968年・米 『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 最終版』1999年・米 【NIGHT OF THE LIVING DEAD(不死者たちの夜)】 原案・監督・撮影:ジョージ・A・ロメロ 脚本: ジョン・A・ルッソ 特殊メイク効果:ヴィンセント・J・ガスティーニ 出演:デュアン・ジョーンズ(ベン) ジュディス・オディア(バーバラ) カール・ハードマン(ハリー) マリリン・イーストマン(ヘレン) キース・ウェイン(トム) ジュディス・リドリー(ジュディ) チャールズ・クレイグ(ニュースキャスター) カイラ・ション(カレン)
(最終版はここから) 少女をレイプし殺害した凶悪犯の処刑が行われ、被害者の家族の たっての望みにより、死体処理役の若い男2人は墓場に犯人の遺体を運び、死に顔を見せた。 家族が去ったあと棺桶を閉じようとすると、遺体が生き返ってしまった!慌てて逃げ出す若者たち。
棺桶からのっそりとぎこちなく起きあがった死人は、ゆっくりと墓場を徘徊しはじめる・・・。
(ここからオリジナルの68年版) 日曜日の夜。だが夏時間のため、外は8時を過ぎても昼間のよう。 遠方から親の墓参りにやってきた兄妹が車に戻ろうとすると、 墓場をフラフラと彷徨く生ける死者に襲われてしまう! 兄は格闘の末墓石に頭をぶつけて死亡。 妹、バーバラは必死で駆け回り、一軒家を見つけ駆け込んだ。
2階には惨殺死体が・・・!
今夜はその家で、バーバラ、頼もしそうな黒人青年ベン、地下室で不死者に噛まれた幼い娘の看病をしていた夫婦、若いカップルの7人で籠城し、いつの間にか増え続け家に押し寄せる生ける死者たちと闘うことになる・・・。
TVでは、放射能の影響と思われるが明確な原因は不明、全米規模で大量の生ける死者が家々を襲撃し、人肉を食らう事件が続発している、と警戒を促す放送が繰り返されている・・・・・。
やがて、生ける死者に噛まれたり殺されるとその人間も同類となってしまうこと、火を怖がること、体はいくら傷つけても何度でも起きあがってくるが、脳を破壊すれば無害だということがわかる。
家に閉じこめられた彼らは、地下に避難するか、外に脱出するかで意見が激しく対立する。 何かをリーダーシップをとろうとするベンが気に入らない夫妻。 バーバラは放心状態。 幼い娘は地下室で虫の息・・・。
一か八かの脱出作戦も失敗に終わり、再び籠城した彼らの精神状態は限界にきていた。 押し寄せる死者たちの群で家は今にも崩れそうにきしむ。 窓が破れ、無数の死者たちの手が・・・!!
その頃、全米で警察や軍隊も動き出していた。 地道に1体1体、頭を狙って射殺するのだ。猟銃会の強力も得、 次第に騒ぎは鎮火してゆくのだが、 森の奥にポツリと建つこの家に救助の手はまだ来ない。
果たして彼らは生き残り朝日を仰ぐことができるのだろうか・・・。
(最終版には、ラストに数分、以下の付け足しがある) 事件からだいぶ経過したある日、新聞記者が司祭の元を訪れる。 この司祭だけは、死者に噛まれたにも拘わらず、奇跡的に回復したのだ。熱心な信者に聖水で看病してもらったおかげだといい、 これこそ神の威光であると高らかに宣言するのであった。
(このDVDには、新旧両方が収録されています)
ジョージ・A・ロメロのこの映画は、いわゆる今、“ゾンビ”と 呼ばれるようになったものに、定義(ルール)を与えたという意味で、映画史に残る貴重な作品だ。
その定義(ルール)とは、死者が何らかの原因により甦り意志(人肉を食らうためだけに動く)を持って動き、会話はできず、火を恐れる。 噛まれたり食われたり傷をつけられた者は、一定の時間をおいて、 やがて同類となる。 肉体を撃っても切っても倒れるだけで何度でも起きあがるが、 脳を破壊すれば二度と復活しない。
まぁ、吸血鬼の倒し方(吸血鬼は心臓を破壊するのが基本、銀と日光に弱い等々)からヒントを得ていると思うのだが、 シンプルなので、ロメロ以降のゾンビ映画でも、このルールは だいたい暗黙の了解事項として受け継がれていっている。
もちろん、68年のロメロ以前にも、動く死体を扱ったホラーはある。調べたかぎりでは、あの素敵なベラ・ルゴシが主演の『ホワイト・ゾンビ』(1932年)がたぶん初めて。
ただし、ロメロ以前のゾンビは、ブードゥー教の魔術によって操られる死体であり、現代人が“ゾンビ”と聞いて想像するクリーチャーとは明らかに違う。
でも、このロメロ作品でもまだ「zombi(ゾンビ)」という英単語は登場してこない。 zombiはブードゥー教の産物である。 映画では、リビングデッド(生ける屍)、グール(ghoul、悪鬼)と表現されている。
ロメロの本作(オリジナル、68年版)は、その後しょっちゅう 手を入れられ、モノクロに色をつけてみたり、脚本を一部いじったり(1990年の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世紀」はトム・サヴィーニがリメイク)、デジタル・リマスターしたり、音響や音楽を入れ替えたり、もうイロイロあって、 (着色版は音楽がちょっと好みだったけど) 30周年の記念に、ディレクターズ・カット版として最終版を 出したが、これ、ロメロは関わっていないので、ディレクターズ・カットとは言えないのじゃないか???
「最終版」はリマスターした部分とオリジナルの部分が不自然に 融合しているとか、その音楽はどうしましたか、とかいう、技術的な難点もあるのだが、主題が、ロメロの描きたかったところからズレてしまって、キリスト教万歳映画な終わり方になってしまっている。 神を出してきてしまったのは失敗だろう。
この「ナイト・オブ・リビングデッド」を一度は観てみたいと 思われる方は、このオリジナル(68年版)をご覧になることを 強くオススメする。 その他のバージョンと見比べるのは面白いと思うが、とにかく、 オリジナルを観ずに、この作品をこういうものか、と思っては もったいないし、ロメロにも、ロメロのファンにも気の毒。
ロメロ以降のゾンビ映画は、いかに恐ろしいゾンビを考え出すかに腐心し、映像技術やアクションに製作者の熱意が移行してゆく。
だが、本作は、確かにゾンビは出てくるし怖いのだが、 悪鬼に襲撃され籠城するはめになった、というシチュエーションムービーであり、要するに、主役は人間なのだ。 それは、ロメロの『ゾンビ』でも変わっていない。これもいい作品なので、そのうちご紹介したい。
極限状態で人間は「意志を持って悪知恵を用い」自分だけ生き延びようと目が血走る。 その企ては、欲を捨てた善意ある、あるいはただのか弱き人間をも巻き込みかねない。
話し合いは不可能だが、言葉と知能を持たないぶん、飢えきった狂犬と変わりのないゾンビ(※しかもロメロのゾンビは、一度死んでいるため筋肉が硬直しており、スムーズにも速くも動けない。 一体一体は実に弱いのだ)と、銃を振り回し疑心暗鬼で動き回る人間と、さて、どっちが本当に怖いのだろうか。
答は明確である。 あのラストシーンの衝撃は素晴らしい。
ホラー映画の結末は2通り。(続編を期待させるものは別) ロメロ路線の「一切の救いを否定し、映画が終わった後にまで 恐怖を残す」。これはオカルトに多い。(当然のことで、悪魔が滅びたら神も滅びるから) ダリオ・アルジェント路線の「勧善懲悪。想像を絶するような凄惨な映像がなんぼ続いても、最後には主人公だけは助かる」。
68年。まだ黒人差別がまかり通り、女性はか弱かった。 映画は時代を映す鏡だ。
ゆら〜〜りのそ〜〜りと硬直した体で蠢く屍をモノクロで観ると、 カラフルでグロテスクで動きが速い(そのせいで逆によく姿がわからなくありませんか?)現代のゾンビより、弱いとわかっていても ずっと怖い。
そして、ゾンビの頭を撃ち抜いて狩りをエンジョイする人々も、 助けの神には見えない。笑顔でナイスショット!と人体(死んでるけど)を夢中で射殺しまくる彼らのほうに、ゾっとしたのだった。
2004年10月09日(土) |
「スリー・キングス」 湾岸戦争終結直後のイラクを舞台に、金塊に魅入られた4人の米兵をブラックユーモアで描く。 |
スリー・キングス【THREE KINGS(聖書の)三人の賢者)】1999年・米 監督・脚本:デヴィッド・O・ラッセル 撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル 音楽:カーター・バーウェル 出演:ジョージ・クルーニー(特殊部隊をもうじき除隊、アーチー・ゲイツ少佐) マーク・ウォールバーグ(新米パパ、トロイ・バーロー上級曹長) アイス・キューブ(真面目なタフガイ、チーフ・エルジン二等軍曹) スパイク・ジョーンズ(トロイを崇拝するオツム弱いコンラッド上等兵) クリフ・カーティス(村民による反フセイン組織の頭、アミール) サイード・タグマウイ(イラク軍人、サイード大尉) ノーラ・ダン(うだつのあがらないジャーナリスト、エイドリアーナ) ミケルティ・ウィリアムソン(ホーン大佐)
1991年3月。湾岸戦争が終結、とりあえず停戦となったイラク、砂漠のド真ん中、米軍キャンプ。 もう米兵は乱痴気騒ぎ。 特に、戦争にも砂漠にも慣れない補充兵たちは、これで国に帰れると、勝ったことよりそっちが嬉しくてハヂけている。
さて、降伏したイラク兵の軍服を脱がせ持ち物をチェックしていると、複数の兵士の肛門から、なにやら臭い地図らしき紙の端切れが出てきた。 見つけたのはトロイとコンラッド。 真面目なチーフに見つかり3人でコソコソつなぎ合わせた地図を 見ていると、特殊部隊のキレ者、ゲイツが嗅ぎつけた。
ゲイツが赤外線で照らすと、地図はケツの穴に隠すほど価値のある モンだとわかった。 これは、フセインの隠し財宝の地図だ!! イラクがクウェートから奪った金塊の在処を示している。 間違いないっ。
ゲイツは数々の紛争で活躍したベテラン兵士だが、もうじき除隊予定だ。だが、国に帰ったところで、何かしたいことがあるでもない。この金はそんなゲイツにはたまらなく魅力的だった。
地図によれば、その洞窟はキャンプからさして遠くない。 無断外出は無論、軍紀違反だが、この距離なら往復して数時間ってとこだ。イケる!
かくしてゲイツ、チーフ、トロイ、コンラッドの4人は洞窟目指して出発した。 ところが、村につくと雰囲気が妙。 この村は、反フセイン派の組織のアジトだったのだ。 “アメリカ万歳!”と叫ぶ村人たちに困惑しながらも、 秘密基地の奥深くに入り、金品財宝、そして大量の金塊を発見する4人。
大量の丈夫なヴィトンのバッグに金塊を詰めこみ、村人の手を借りトラックに詰め込んだ彼ら。
だが、トラックの周囲の状況は緊迫していた。 イラク国民軍が反乱組織のリーダー、アミールを捕らえ処刑しようとしていたのだ。
村人が必死で4人の米兵に助けを乞う。 だが、休戦協定でイラク兵と戦うのは禁じられている。 だいいち、多勢に無勢、金も積んだし、トンずらこくのが正解に 決まってる。
だが、躊躇している4人の前で、アミールの妻が射殺された・・・。変わり果てた姿の母親にすがり泣き喚く幼い娘。
最も冷静なチーフは反対したが、もう耐えられなかった。 かくしてイラク軍と一戦交えてしまった4人。
だがこの小競り合いが、4人を後戻りのできない事態へと導くことになろうとは・・・・まぁ予測はついていただろうが(特に最も冷静なチーフには)。
銃を訓練以外で撃ったことのないコンラッド、トロイら“基地の外の現実”を知らない、百戦錬磨でない、普通の兵士たちはその目で何を見、その耳で何を聞くのか・・・・・・・。
金塊は誰の手に。 そして4人の運命や如何に。
アメリカの政策を皮肉った映画は近年イッパイあるのだが、 実際にはそう簡単にゴーサインが出るわけではない。 ツブれる企画も多いってことだ。 映画の中の言論の自由は、多くの映画人の、脅しに屈さない闘いで ギリギリ守られているのだということを、改めて認識したい。
ジョージ・クルーニーが、他のすべての仕事を蹴って、本作にどうしても出たいと監督にすがりついたそうだが、この映画を観ていると、出演者たちの心意気を感じるのだ。
ブラック・コメディーの形式を取ったのは正解だろう。 戦争映画でブラック・コメディーといえば、「M★A★S★H」(朝鮮戦争もの、腹黒ロバート・アルトマン監督のケッサク)が あるが、あそこまで笑い先行ではない。
この作品の主眼は3つだ。 1つは、反フセイン派に武器、物資、情報をどっさりと提供したアメリカ(ブッシュ政策)が、勝利したら彼らを微塵も省みず見捨てたという事実の強調。戦争は当然、無情なものだが、石油が手に入れば、中東の村人なんぞどうぞ国内で殺し合ってください、あ、武器は返さなくていいよw という態度。
2つ目は、人間が究極の選択を、極限化でどう下すかというところ。 最初は金、金と目が$マークだったヤツが、次第に正義(人の倫)に目覚めてゆくというのはお決まりかもしれないが、かなり、説得力があったんじゃないだろうか。 ・・・特に、犠牲が発生してしまってからは。
3つ目は、銃の撃ち方は訓練で知っていても、戦争を知らない兵士の割合をシビアに描いていること。 楽勝な戦争だっただけに、精鋭兵ばかりではなかった湾岸戦争。 ベトナム戦争(初期)の頃のように、国のために頑張るぞ、とやってきた兵ばかりではない。 コンラッドがいい見本だが、軍にでも入らないと食えない、無職& 無知(大統領の政策は愚か、基地の電話番号も覚えられない)な兵もゴロゴロいたわけだ。 「戦争」の質が変わり出した境目の戦争だった。湾岸戦争は。
湾岸戦争を、反乱軍のリーダー1人と、イラク国民軍の大尉1人に 代表して語らせたのもよかった。 この物語はあくまでも、「湾岸戦争というシチュエーションを借りた、金塊か人道かの選択に迫られる男たちのサバイバル物語」だ。 だから通常の「戦争を時間軸に沿って描いた戦争映画」とは違う。
映画で語られる言葉は、組織の代表者としての言葉ではなく、 そこになぜ属し活動する決意を固め闘っているかと語った、それぞれの男たちの言葉だ。
捕虜になったトロイがサイード大尉を撃てなかったのは何故か。 サイードはあの時、大尉でなく、すべてを失った父親サイードだったからだ。
この映画に出てくる人物は、みな何かしら「肩書き」を持っているのだが、彼らは肩書きでは喋らない。米兵の4人もだ。 そこが魅力的だった。
コミカルなシーンもたくさんあるのだが、一番笑ってしまった ブラックユーモアは、イマイチうだつのあがらない女ジャーナリストがあちこち取材をしているわけだが、湾岸戦争のイチバンの被害者が、石油でベトベトになって瀕死の鳥だと、同情して泣き出してしまうシーン。
確かに、湾岸戦争はメディア戦争でもあった。 頭を撃ち抜かれる反フセイン派の村の女性は映らなくても、 しつっこく油まみれの鳥は映ってたっけね。 環境破壊ももちろん重大な罪で、その後何十年も劣化ウランに苦しむ人々がいるのだから、決して些末なことじゃない。
だが、TVは目で見るものだ。 耳で聞いたり、目で読んだりするアメリカの大罪にはピンとこないが、トリだともらい泣きしてしまう、このバカバカしさに笑わずにはいられない。 毎日フライドチキン食ってるくせにさw
俳優陣は1人1人、実によかった。 有名どころはこの際置いおいて、「マルコヴィッチの穴」の 監督で知られるスパイク・ジョーンズの演技には脱力しっぱなし。 彼がいなかったら、どよ〜〜〜〜んとかなり雰囲気の違う作品になってしまったはずだ。 どっから声出してんだ?彼は。オイシイ役をもらったものだ。
砂漠の乾きを表現したカメラワーク、音楽ともに相性よし。 ビジュアル的にもスマートだった。
ところで、ビデオやDVDパッケージでは、3人の王(三賢者のこと)がゲイツ、トロイ、チーフの3人であるかのようにどどーんと3人で映っているが、そうかぁ??
まぁ、スパイク・ジョーンズは俳優としてはスターではないので 豪華な3人と並ぶと絵にならないってのはあるがな。
タイトルは、冒頭、地図を見ながら賛美歌の替え歌で、 「三賢者が黄金を捧げ」のところを「黄金を盗み」に替えて フザけているところから。 3人+リーダーで4人だ。
三賢者が探していたのはキリスト。 ゲイツがいなかったら、三賢者は黄金を見つけ、“キリスト”を見過ごしたかもしれない。 ・・・自分たちの中にいる、救いの御子を。
2004年10月08日(金) |
「ラットレース」 一攫千金目指して1000km、悪知恵絞って必死になればなるほどドツボに!2億円は誰の手に!? |
ラットレース【RAT RACE(卑劣ぬけがけレース】2001年・米 監督:ジェリー・ザッカー 脚本:アンディ・ブレックマン 撮影:トーマス・E・アッカーマン 音楽:ジョン・パウエル 俳優:ローワン・アトキンソン(あんぽんたんナポリタン、エンリコ・ポリーニ) ジョン・クリーズ(レースの仕掛け人、大富豪ドナルド・シンクレア) キューバ・グッディング・Jr(能無しアメフト審判、オーウェン) エイミー・スマート(凶暴パイロット、トレイシー) ブレッキン・メイヤー(法律違反をしたことのない弁護士、ニック) セス・グリーン(チビでセコい兄貴、ドウェイン) ヴィンス・ヴィーラフ(のっぽでアホな弟、ブレイン) ジョン・ロヴィッツ(貧乏パパ、ランディ) キャシー・ナジミー(ランディの妻) ウーピー・ゴールドバーグ(女は度胸、ベラ) ラナイ・チャップマン(女社長、ベラの娘、メリル) キャシー・ベイツ(恐怖のリスおばはん)
ここは一攫千金を夢見る連中が群がる街、ラスベガス。 大富豪、シンクレア氏が経営するホテルにたまたま居合わせた 6組12人(最終的な人数)。 彼らには何の共通点もない。
1.仕事で来た弁護士のニック。 2.家族旅行でスポーツ観戦に来た一家の父親、ランディ。 3.アメフトの審判でトンでもないミスジャッジをしてアメリカ中のアメフトファンを敵にまわし、現実逃避中のオーウェン。 4.何十年ぶりかの感動の母娘対面を果たすためこのホテルを訪れた黒人母娘、ベラとメリル。 5.せこい詐欺で楽して儲けようとホテルに不釣り合いに貧乏臭いかっこでホテルをうろつくアホ兄弟、ドウェイン&ブレイン。 6.イタリアからの旅行者、ポリ〜ニ氏。
彼らがホテルの最上階スウィートに招待された理由は1枚のコイン。スロットマシーンに仕込まれた「受付へどうぞ」と書かれた コインをゲットしたってわけだ。
そこへホテルの支配人、シンクレア氏登場。 例のコインは、一攫千金の大レースへの参加資格だという。
レースの概要はこうだ。 ここから約700マイル(900〜1000km)離れた ニューメキシコの駅のコインロッカーに、200万ドル(約2億円)入れてある。 ルールなし、交通手段自由、妨害自由、とにかく、最初にロッカーの鍵を開けた人に賞金が渡る。 そして、6本の同じ鍵を6組それぞれに渡すと、シンクレア氏はレース開始を宣言するが、誰も動かない。
ふつー、信じられないだろ。 互いに顔を見合わせ、全員棄権ですな、と愛想笑いをふりまいたのもつかの間、ノリノリのイタリア男がトコトコ駆けだしたっ!
エサを発見したネズミよろしく、雪崩のように我先に駆け出す参加者たち。
ただ1人、仕事人間クソ真面目人間(除く下半身関係)のニックを除いては。 次の仕事先に向かうべく、空港に向かったニック。ゴミ箱にキーを捨て、美女トレイシーをナンパにかかったところ、彼女はパイロットだという。しかも、管制塔に無関係に飛べるヘリの。
その頃、空港はアホ兄弟のマヌケな悪巧みによって全便欠航に。
これでニックもトレイシーと組んでレースに参加決定!
他の参加者は空路が絶たれたので、陸路でのレースとなった。
家族旅行に来たランディは家族をダマし、何も知らない妻子を 車に乗せて出発。
最初に走り出したイタリア男はホテルのロビーで立ったまま眠ってしまう。睡眠障害のようだ。
さて、このレースを競馬を楽しむように眺めているのはシンクレア氏が特別に招待した世界中の大富豪たち。 誰が一着になるか、賭けているのでありました。
彼らのロッカーキーに仕込んだ発信器で、誰がどこにいるのか わかるという仕組みだ。
さ〜て、欲深本性むき出しの6組が走る走る走る! コケる落ちる溺れる迷う追われる砂漠のド真ん中! とことんツイてないやつ、運のいいヤツ、根性だけは誰にも 負けないヤツ、次から次ぎへトンでもナイハプニングに 見舞われながら、必死でゴールを目指す!!!
2億円ゲッチュ❤ฺ するのは誰かなぁぁぁ???
お金をかけて徹底的にバカ騒ぎをする映画、実は好きなのだ。 ノレない人もいるだろうなぁ・・・ひいちゃう人もいるかも(汗 というほど過激に面白い。
実写版チキチキマシーン猛レース的なノリで、基本的に、妨害をもくろむヤツほどドツボにはまっていくお約束パターン。
レースの途中の紆余曲折の各エピソード、どれも面白いのだが、 大富豪たちのヒマ潰しの賭けのあれこれが可笑しくて可笑しくて、たまらんかった。
乱気流に意図的に乗った飛行機で最初に吐くのは誰でショー。 カーテン吊りが一番早いメイドは誰でショー。 はともかくとして、 胃薬を入れたジャクジー風呂に入りケツの毛を剃ってもらって 爪を切らせてもらうと幾らでショー にはマイった。 真面目人間の執事VS娼婦、この一戦はアツかったですな。
ああ、金持ちってアフォだ・・・・・・・。
ラストで、散々な目に遭わせてくれたシンクレア氏にしっぺ返し。 胸もすくし、ハッピー、 ハッピー、 みんなハッピー♪♪ まぁ、いいじゃないですか、
細かいシーンをあれこれ描写してしまうと未見の方に申し訳ないので、詳細は書かないが、ご覧になった方にはわかる、笑えたシーン。
やっぱり、牛ですよ、牛。 やっぱ牛乳でしょ♪ ってCMがありましたな。
アメリカ人なら知らない人はいない“I LOVE LUCY”の大群にも ウケた。監督のご母堂もちょっと老けすぎたルーシーに扮してご出演。
二重人格気味のトレイシーのマヂギレっぷりにも爆笑。 ベタベタなんだけど、やっぱり可笑しい。
舌にピアスを開けて神経をヤラれ喋れないブレインの意味不明な 「☆※◇★▽!?」なセリフを兄ちゃんだけがわかるのもコテコテ なんだけど、やっぱり可笑しい。
字幕のセンスがいいので、吹き替えよりも字幕のほうが面白い。 好きなシーンだけDVDで日本語で、字幕つきの状態で確認したが、 日本語吹き替えのほうは、声優さんの演技力が、ハリウッドスターに追いついていないのだ。 「兄ひゃん とめれ〜〜」のところ、吹き替えだと全然面白くない。
ナチがらみのネタも際どかったが、さすがに心臓に関する部分はもの凄くブラックなので笑えない人もいるだろうなぁ。ちょっとあり得ないかな、それは、という気が。 でも、電気ショックのシーンだけはウケまくった・・・。
キャストの勝利という気もする。 アフリカ系黒人のオスカー俳優が2人そろい踏み。
この映画、できたらDVDでの鑑賞をおすすめする。 カットされてしまった未公開シーンもかなり面白いのだ。 コメディにはつきものの、NGシーンもなかなかウケた。
この映画には教訓がありますね(真面目に読まないでねw
砂漠の真ん中でリスを売ってたら、買ってあげましょう。 命に関わり、ミザリーな結果になるでしょう。
あと、「発情アフロ」は、ホテルで観ないでおうちで観ましょうw
2004年10月07日(木) |
「悪霊喰」ダーク・ヒーロー見参!カトリック教会に見捨てられた罪人の罪を喰い救済する“罪食い”の哀しくも恐ろしい物語。 |
悪霊喰【THE ORDER(儀式、聖職】2003年・米=独 監督・脚本:ブライアン・ヘルゲランド 撮影:ニコラ・ペコリーニ 音楽:デヴィッド・トーン 俳優:ヒース・レジャー(カロリーヌ派司祭、アレックス) ベンノ・フユルマン(“罪食い”イーデン) シャニン・ソサモン(アレックスに惹かれる画家、マーラ) マーク・アディ(カロリーヌ派司祭、トーマス) ピーター・ウェラー(次期ローマ法王候補者、ドリスコル枢機卿) フランチェスコ・カルネルッティ(アレックスの育ての親で師、司祭ドミニク) ミルコ・カサブロ(少年の姿の悪霊) ギウリア・ロンバルディ(少女の姿の悪霊)
ローマ。年老いた司祭、ドミニクは、エクソシズム(悪魔祓い)を行うカロリーヌ派。カトリック教会からは異端として破門されている。 教会に帰ったドミニクを待っていた男は、「最期のときがきた。告白を。」と静かに告げる。 ドミニクは驚くこともなく、「アレックス、君に罪を犯した」と 懺悔をするのだった。 やがて悲鳴が聞こえ、何かが終わるのを、扉の外で幼い兄妹の姿をした悪霊が見守っていた。
NYの教会の若き司祭、アレックスを、ドリスコル枢機卿がローマから訪問し、父がわりでもあり師でもあったドミニクの死を伝えた。 アレックスは、もう1人の司祭トーマスと2人、悪魔祓いのできる カロリーヌ派最後の司祭となってしまった。 枢機卿は、ドミニクの死に不審な点がある、とローマで調査にあたるよう命令するのだった。
精神病院を脱走してきたマーラ(彼女に憑いた悪霊を祓う際、錯乱してアレックスを撃ち、収容されていたのだ)と、トーマスを伴い、いざローマへ。
ドミニクの部屋には、何か儀式らしきものを行った跡があった。 大きな机の上に、キリストが用いたというアラム文字で、 「血よ中へ 血よ外へ」と黒炭で書かれている・・・。
ドミニクは、睡眠薬による自殺だという。そして胸には何かの痕が・・・。 異端として破門されていた上、自殺では聖職者としては埋葬できない。罪人として公共墓地に葬られるという。
悲しみつつ、遺体を盗み自らの手で埋葬するアレックスだった。
師の自殺に納得のゆかないアレックスは、トーマスと調査をはじめる。
さまざまな手がかりから、やがて“罪食い(シン・イーター)”が 関わっていることを知る。 もう200年は罪食いの出現は聞かないが、とドリスコル枢機卿は 罪食いを殺すための銀の短剣を教会の宝庫からこっそり持ち出し、 アレックスらに渡すのだった・・・・。
罪食い。 それは、カトリック教会に破門された者、自殺者、罪人など、地獄へ堕ちるさだめの死者を、いまわの際に儀式を行い、その者の一生分の罪を吸い取り、清らかに天国へ送る存在であった。
罪食いは、食った罪のせいで悪夢にうなされ眠れないが、何世紀と生き長らえるという。そして罪とともに知識も吸収するのだという。 カトリック教会にとっては、罪人の魂を解放し安らぎを与えるなぞ、当然、背徳行為である。
トーマスの案内で、旧約、新約聖書に次ぐ、第三の十字架を掲げようとする異端集団と接触するアレックス。 そこで罪食いの居場所を聞いたアレックスはサン・ピエトロ寺院へと向かった。 トーマスは悪霊に操られ重傷を負ってしまい入院してしまい、アレックスは1人、孤独な闘いに挑むことになる。
そして、罪食い、イーデンと対面する・・・・。 枢機卿から預かった秘宝の短剣をつきつけるアレックスだが、 刺せなかった。
イーデンは罪食いになったいきさつを語り始めるのだった・・・。
罪食い、イーデンは何故、ドミニクの罪を食ったのか。 ドミニクは何故、自殺したのか。 アレックスに想いを寄せる心病んだマーラの運命は。
そしてアレックスは、もう後戻りのできない運命の歯車に絡め取られてゆく・・・・・・・。
悪霊、確かに若干出てくるものの、オマケ程度の扱いだ。悪霊は祓ってしまい、間違っても喰わない。これじゃZ級ホラーみたいじゃないか。 作品を汚すような邦題をつけるなよ、と怒りを通り越して呆れてしまう。
あらかじめ申し上げておくが、これはホラーではない。 オカルトではあるが、方向性としては宗教映画にも近い。 だから、カトリックの基本知識のない日本ではものすごくウケが 悪いのだろう。この邦題のせいでもあるが。
現世でどれだけ大罪を犯しても、罪食いに報酬を払えば地獄行きを免れて天国へ送ってもらえる。つまり日本風に言うなら地獄の沙汰も金次第ってやつだ。
イーデンのしてきたことは、当然ながら、地獄へ堕ちる恐怖を 犯罪や神の御心に反する行いの抑止力とするカトリック教会には 邪悪な行動だ。
だが、イーデンが何世紀も前に、幼くして罪食いの道を選んだ 最初の理由を思うと、とても胸が痛む。
どのアーティストだったか忘れたが、「信じない者しか救わないようなケチな神様なら要らない」という歌詞を耳にした覚えがあり、 妙に共感を覚えたものだった。
自ら命を絶たねばならなかった者でも、生前に善い行いを積んだ 者なら成仏できる可能性のある日本的な思想とは異なり、 自殺がその理由の如何を一切問わず、大罪となるカトリックの世界観を知らないと、この映画は理解できない。
そして、イーデンが罪食いになったきっかけの「破門」もだ。 神を信じていても、カトリックの考えから外れたものは異端であり、地獄ゆき。
そういう戒律で縛ってきたから、こうして揺るぎない宗派として 何世紀も何世紀も君臨してきたのだろう。
これはあくまでも映画についての話で、個人的にカトリックにケンカ売ってるわけではない。 腐敗しきった聖職者など、物語の世界では別段珍しくもなかろう。 聖職者も、権力者となれば政治家と変わらない側面も出てくる。
不死者ではないが死ねない孤独、数世紀に渡って罪を食い続けてきた疲労。イーデンは悪役ではあるが、腹の底まで真っ黒な悪役は1人だけであり、イーデンは限りなく黒に近いグレーゾーンの悪役だ。
この映画の主人公はあくまでもアレックス。 ダーク・ヒーローとして生きることを選んだところで物語は終わる。
『処刑人』も正義感と信仰心の強いダーク・ヒーローだった。 だが、あの映画のようなコミカルさは本作にはまったくない。
『処刑人』は人を殺めることで、アレックスは罪食いとして、 自殺者の魂を救済することで、カトリック教会の教えに背くが、 教会の存在をすっとばして、ダイレクトに神に、現世での秩序と正義の守護を誓うダーク・ヒーローだ。
法も裁けない悪人は、キリスト教的に考えれば、神が裁いてくださる「復讐するは我にあり」なのだが、『モンテ・クリスト伯』じゃないが、それじゃどうにもおさまりがつかないのが人の業だろう。
この映画、オカルト映画にはつきものの怪奇現象に見舞われまくり、なかなか完成せず、タイトルを変更したり、公開までに紆余曲折あったもよう。 『ロック・ユー!』の監督+主演男優+女優で綴る、 ダークな世界観、かなり面白かった。 ああ、宿命とはかくも悲壮な覚悟で立ちむかわねばならないものか・・・
そういえば『オーメン』もローマが舞台、悪魔に魂を売った聖職者が出てきて、怪我人病人続出だったっけ。 怖いですねぇ。
確かに、映像面ではこの作品、ややちゃちいのだ。 CG技術に難があり、ゴシックな映像とマッチしておらず、 浮いてしまっている。 罪の映像がイカみたいにあってしまい撮り直したそうだが、 いや、イカからクラゲには進化したかな・・とは・・・。
だが、音楽は秀逸。これぞゴシック・ホラー(まぁホラーじゃないけど悪霊も出てくることだし)に相応しい妖しげな曲がナイス。
とても印象的だったシーンは、古書屋の老人のセリフ。 「奈落をのぞき込むと、奈落と目が合うよ」
うわぁぁぁぁ!とさぶいぼたった・・・。
オカルトにはつきもの、古書の調査シーン。『ダークネス』とか『パズル』とかもそうだが、必ず図書館で“印の意味”を調べるシーンがある。
この映画、『薔薇の名前』が好きな人にはウケそうな気がするが。 (あの作品ほどは格調高くないので、念のため)
ところで、トーマス役のマーク・アディ、ファンなのだ。 『フル・モンティ』でなんて可愛いの!と思い、その後、『ジャック・フロスト パパは雪だるま』でも太り気味のいい人だった。
2004年10月04日(月) |
「モンテ・クリスト伯」 デュマ生誕200年記念作品。ガイ・ピアースの人間のクズっぷり、ジム・カヴィーゼルの意志の強い瞳。 |
モンテ・クリスト伯【THE COUNT OF MONTE CRISTO】2002年・イギリス=アイルランド 監督:ケヴィン・レイノルズ 原作:アレクサンドル・デュマ『厳窟王』 脚本:ジェイ・ウォルパート 撮影:アンドリュー・ダン 編集:スティーヴン・セメル/クリストファー・ウォマック 音楽:エド・シェアマー
出演:ジム・カヴィーゼル(航海士エドモン・ダンテス/モンテ・クリスト伯爵) ガイ・ピアース(フェルナン・モンデーゴ伯爵) ダグマーラ・ドミンスク(メルセデス) リチャード・ハリス(ファリア司祭) ルイス・ガスマン(ヤコポ) ジェームズ・フレイン(検事代理、ヴィルフォール) アレックス・ノートン(ナポレオン) ヘンリー・カヴィル(メルセデスの息子、アルバート) マイケル・ウィンコット(イフ城の典獄、ドルレアク) アルビー・ウッディングトン(商船会社の会計士、ダングラール)
1814年、ナポレオンが幽閉されているエルバ島。 商船の航海士、エドモン・ダンテスは、船長の急病のため、会計士ダングラールの反対を押し切り、幼なじみで荷主代理のフェルナンと2人、ナポレオンの救出者と考え問答無用で襲ってくる英国軍の射撃をかいくぐり、本船を離れ小舟で上陸する。
ナポレオンの主治医を借り、手当をするが船長は亡くなった。 一晩島に停泊した2人だが、酒飲みで目の淀んだフェルナンと、 誠実そうなエドモンを見比べたナポレオンは、誰にも言うなと口止めし、ただの旧友への私信だ、と手紙をエドモンに預ける。
当然、断りたいエドモンだが、医者を貸しただろう、とナポレオンに迫られ、恩を仇で返せぬとためらいながらも受け取ってしまう・・・。
それをフェルナンが覗き見しているとも気づかずに・・・・・。
故郷マルセイユに無事到着すると、エドモンは船長を思っての勇敢な行為を評価され、船長に昇格する。 そして、美しく愛情深い婚約者、漁師の娘メルセデスとも結婚が決まる。
面白くないのはフェルナンだ。 読み書きもできない平民のエドモンが、出世も愛も手に入れたことが妬ましくてならないのだ。
フェルナンは検事代理のヴィルフォールに密告、「ナポレオンから手紙を受け取ったという謀反行為」を咎められ、エドモンは逮捕されてしまう。
手紙を開封しておらず誰にも渡していなかったこと、読み書きのできない平民だということもあり、一度は無罪放免になりかけた エドモンだったが、誰に渡すようナポレオンに言いつかったかを 聞かれ正直に答えると、みるみるヴィルフォールの顔色がかわり、エドモンは政治犯専用の、孤島にそそり立つ刑務所、イフ城に投獄されてしまった! 手紙を渡す相手の素性も顔も知らないし口の軽い男ではないというのに、ああ、哀れ善良なるエドモン。
ナポレオンの手紙は、脱出計画だった。 そして宛先は、あろうことかヴィルフォールの父親だったのだ。 身内に謀反人がいれば、出世の妨げになる。ヘタをしたら一族の存亡に関わる。 手紙の宛名を知るのはエドモン1人。投獄の理由はそんな醜い保身欲ゆえだった・・・。
そして幼なじみを醜い嫉妬心から売ったフェルナンは、エドモンは死亡したとメルセデスに思いこませ、絶望に沈む彼女を自分のものにしてしまうのだった・・・。
古城、イフ城。 そこは死ぬまで出られることのない牢獄。 投獄の理由など、看守も典獄も興味はない。 典獄は年に一度、入獄記念日にむち打ちをすることだけが生き甲斐のサディスト。看守は顔も観ず、扉の下から食事と糞尿の器の出し入れをするだけ。 空も見えない・・・・・。
エドモンはそれでも、石の壁に神への祈りを彫り、耐え続けたが、 何年も経つうちに、神への信仰も消え失せた・・・。
そんなある日、突然床からヨボヨボの老人がボコリと出現する。 11年、脱走用のトンネルを掘って掘り続けたかつて司祭だった男、ファリアだった。 間違ってエドモンの牢に出てしまったわけだが、こうして知り合った2人は、協力してトンネルを掘り進むこととなる。 あと11年も掘れば出られるだろうと気の遠くなるようなことを 言う司祭だが、手伝えばもっと早く済むし、かわりに学問を授けてやろう、というのだ。
やがて親しくなる2人。飲み込みのよいエドモンは乾いた砂のように読み書きどころか難解な学問も身につけ、もともと優秀な兵士だった司祭に、やがて木の板で剣術の稽古もつけてもらうのだった。
復讐の炎に支配されているエドモンに、司祭は、「復讐するは我にあり」(罰は神が与えてくださる)と神の言葉を教えるが、 苦渋の日々に神を忘れたエドモンに、その言葉は届かない・・・。
ある日、トンネルが潰れ司祭が瀕死の重傷を! 司祭はいまわの際に、伝説だといわれていた財宝の在処の地図を エドモンに託し、善いことに使え、と言い残し息をひきとるのだった。
エドモンは悲しみながらも、司祭の死を利用しイチかバチかの賭けに出、脱獄に成功する。
泳いで泳いでイタリア沖に流れ着いたエドモン。 ・・・・自由! だが、目の前には強面揃いの密輸船の一団が!! 勇気と智恵で危機を乗り切ったエドモンは、“ザターラ”という 名をもらい、船長のお気に入り航海士となるのだった。
やがて、故郷マルセイユの船着き場が見えた。 船長に暇をもらうと、エドモンは忠実な僕となっていたヤコポを連れ、13年ぶりにこの地を踏みしめるのだった・・・・。
そして、復讐のターゲットである、自分を陥れたヴィルフォール、フェルナン、ダングラール、そして、自分の失踪後たったの1ヶ月であっさりと嫁いだメルセデスの4人がパリにいることを知る。
エドモンはまず、司祭の“遺産”を探し当て、その膨大な金でパリに城を買い、外国の貴族、“モンテ・クリスト伯”と名乗り、 盛大なパーティを催し、パリの社交界にその名を知らしめるのだった。
復讐の幕が、今上がる・・・・・・・。 ひとおもいに殺すだけでは足りぬ、同じ苦しみを味わわせてやると。大切なものすべてを奪われる苦しみを。
そんな今や憎悪の塊と化したモンテ・クリスト伯となったエドモンを、忠実なヤコポは心配しながらも、着々と準備は進んでゆくのだった・・・。
まずはフェルナンとメルセデスの1人息子、アルバートに目をつけたモンテ・クリスト伯は・・・・・・・。
いつもの如く、原作と映画の比較はしない主義なので、結末が 原作とは違うようだが気にしない。
メル・ギブソンは『パッション』で誰をイエス役にするかを、 この映画でのジム・カヴィーゼルの目を見て決めたという。 私は『シン・レッド・ライン』でのウィット役だった彼がとても印象的だった。 実際、それまで脇役ばかりだった彼はあの映画で見いだされ、 その後順調に主役級だ。 『オーロラの彼方へ』でもいい演技だった。
この映画は、キャスティングの勝利だと思う。 絶望と苦悩と憎悪と泥にまみれてなお、瞳の奥底に潜む善の光。 復讐の鬼を演じるのは難しくないが、そういう自分と闘いつつ 復讐を果たす苦悩と冷徹さと、押し殺した愛情と気品を同時に表現できる役者はそうそういないだろう。
そうなると仇役は観客の憎悪をかきたてる演技をせねばならない。 宿敵フェルナンを演じたガイ・ピアースは、もう天晴れ。 人間のクズの要素がすべて備わったサイテー野郎っぷりを、 これでもかと披露してくれ、映画を盛り上げる。 ガイが悪役を演じたのは、これが初めてじゃないか? ドロボーなどのカワイイ小悪党ではなくて、仇役という意味では。
酒、女、金すべてに汚く、親の七光りだけで威張り散らす乱暴な 男、フェルナン。人の持っているものが欲しいだけで、一度モノにしたら次々に棄てるという鬼畜っぷりだ。 ジム・カヴィーゼルの老け具合(というか貫禄のつきっぷり)に対して、ガイ・ピアースのほうはさしてヘア・メークに変化がないのが少し気になったが、フェルナンはぬくぬくと欲まみれの生活をしていたわけで、13年で老け込んだり貫禄がつくはずもないので、いつまでも子供のようでいいのだろう。
そして、この映画のイチオシ脇役は、大好きなルイス・ガスマン! あっちこっちにちょこっと出ては強烈な印象を残す彼だが、 本作ではセリフは少なくとも、後半からずっと、命の恩人である エドモンによりそい守ろうとする、真摯で忠実でちょっと海の男の粗野さが残るヤコポを見事に演じている。
復讐に自分を走らせようと自分の心をムチ打ち苦しむエドモンに、 「俺はあんたを守る。あんた自身からも守る。」 というシーンには胸を打たれた。これぞ忠義! 主人の、言葉に出さない真の望みを推し量り叶えようと奔走する ヤコポを、でしゃばらずに存在感で表現できるのは、ガスマンならではじゃないだろうか。
そして、俳優を語るなら、冥福を祈りつつ、名優リチャード・ハリスを語らずしてこの映画は紹介できない。 若い世代でも、ハリポタシリーズでご存じだろう。
石の牢獄の床がボコボコっと盛り上がって禿頭が見えたときには、 ああ、ついに幻覚が見えるまでにエドモンは狂ってしまったのか、とつい思ってしまった、あの強烈な登場シーン。
エドモンよりもずっと長い間、獄中の人である司祭。 それでも、飄々と、過去を恨まず前を見る。 神もホトケもあるか!と自暴自棄なエドモンに、 “空を再び見られたのを神に感謝せにゃ”と心から語る敬虔さ。 司祭らしい敬虔さと、かつて軍人だった逞しさの同居する不思議な 老人を、さすがとしかいいようのない品格で演じきる。
冒険、裏切り、冤罪、獄中生活、脱獄、ロマンス、悲恋、忠義、 男の約束、復讐、苦悩、罠、明かされる真実。 もう、てんこもり。 この手の壮大な歴史を舞台に繰り広げられる男の世界が好きな方には是非、オススメの作品だ。 ハリウッド映画とは違う、英国系の押さえた演出も好印象。 『ブレイブ・ハート』を撮ったメル・ギブソンがこの作品に目を つけたのも頷ける。
2004年10月01日(金) |
「ブラッド・ワーク」 イースウッドの映画は安定してるねぇ。サスペンスの王道でおなかいっぱい。 |
ブラッド・ワーク【BLOOD WORK(血液検査)】2002年・米 監督:クリント・イーストウッド 原作:マイクル・コナリー 『わが心臓の痛み』 脚本:ブライアン・ヘルゲランド 撮影:トム・スターン 編集:ジョエル・コックス 音楽:レニー・ニーハウス 出演:クリント・イーストウッド(元FBI、テリー・マッケイレブ) ジェフ・ダニエルズ(マッケイレブのパシリで友人、バディ) ワンダ・デ・ジーザス(依頼人、グラシエラ) ティナ・リフォード(カルフォルニア州警察、ジェイン刑事) ポール・ロドリゲス(ロス市警、アランゴ刑事) ディラン・ウォルシュ(ロス市警、ウォーラー刑事) アンジェリカ・ヒューストン(主治医、フォックス医師) メイソン・ルセロ(グロリアの遺児、レイモンド) マリア・キバン(グラシエラの妹、グロリア)
まただ。惨殺死体の傍の壁に、FBI心理分析官テリー・マッケイレブに宛てた意味不明の数字の羅列を残す連続殺人犯、“コード・キラー”が今夜もロスの夜を血で染めた・・・。
暗号解析のプロも匙を投げる暗号、関連性のない被害者・・・。 いっこうに解決の糸口を見つけられない。
だが、群がるマスコミの陰に不釣り合いなスニーカーの男。 直感に従いその男を追いかけるマッケイレブ。ビンゴか。 男は全速力で逃げ出した。
ヘリからサーチライトで路地を照らし援護するロス市警。 僅かずつ距離が縮まる。男は身軽に高いフェンスをよじ登って越えた。高齢のマッケイレブも奮闘するが、心臓が音を上げた・・・! 倒れ込むマッケイレブ。意識が遠のく寸前に、犯人に発砲。 手応えは感じたが、逃げられてしまった・・・・。
それから2年。 カルフォルニアの美しい海を臨むヨットハーバーに停泊したクルーザーで、心臓移植をうけ退院したばかりのマッケイレブは隠遁生活を送っていた。 FBIも引退し、釣り三昧の静かな日々。 不思議なことに、あの夜以来、コード・キラーも姿を消し、事件は迷宮入りとなってしまった・・・。
そんなある日、グラシエラと名乗る30代くらいとおぼしき女性が硬い表情でマッケイレブの前に現れる。
妹が殺されたがいっこうに事件の捜査が進展しない。 なんとしても事件の真相を究明してほしい、と。
何故、もう引退した自分に・・・?私立探偵の免許もない。 すると彼女は言った。 貴方の心臓は妹のものなの、と。 にわかには信じがたく困惑していると、彼女は説明した。
コード・キラーとの関連性が謎のまま引退したマッケイレブの心臓移植は、当時かなり話題になり新聞記事になった。 妹が射殺され脳死になり、移植手術をしたのはマッケイレブの手術の日。 心臓移植はドナーが希有な上、適合するかどうかがとてもデリケートだ。血液型が合えばいいわけではない。 しかもマッケイレブは希有な血液型だった。
間違いなく、妹の心臓は貴方のよ、だから妹の無念を晴らす義務があるわ、と詰め寄るグラシエラ。
病院でいつも見かける、移植手術待ちの幼い男の子が頭をよぎる。 マッケイレブよりもずっと前からドナーを待っているのに、まだチャンスが訪れない。
たった2年で、この老体に再び生きるチャンスをもらったこと。 グラシエラの哀しく強い意志を秘めた瞳・・・。
マッケイレブは心臓に誓いきっと事件を解決すると決意する。
古巣のロス市警にドーナツを土産に足を運ぶが、引退し無資格の マッケイレブは刑事らに冷たくあしらわれる。 それでも粘り、殺人現場の防犯ビデオを見せてもらえた。
小さな食料品店。仕事の帰りに幼い息子にキャンディバーを お土産に買おうとする被害者グロリアとレジの店主。 そこへスキーマスクを被った男が現れ、何の躊躇もなく店主と グロリアを射殺、落ち着いたそぶりでしゃがんで薬莢を拾うと、防犯カメラにむかって何か呟いて逃走。
数秒後、死体にかけより手当しようとする“親切な男”が画面に映り、その男が救急車を呼び、そのまま姿を消している。
刑事たちはただの強盗殺人犯のセンで捜査中だが、進展ナシ。 グラシエラが毎日電話で捜査の進展を訊いてくるので鬱陶しい、と 刑事たちはげんなり顔だ。
だが、マッケイレブは長年の経験から、明らかに金銭目当ての強盗殺人ではないと感じる。
図書館でスキーマスク、強盗、のキーワードで検索すると、 似たような事件がもう1つ起こっているのがわかった。 グロリアの事件の少し前だ。
ロス市警はもうこれ以上相手にしてくれない。 マッケイレブは、かつて手柄を譲ってやり出世に貢献してやったことがある黒人の女性刑事ジェインをたより、州警察に。 いくら世話になったとはいえ、部外者に情報の提供は・・・と渋るものの、借りがあるジェインは断れない。
ジェインの協力で読唇技術者にテープの分析を依頼すると、 犯人は“ハッピー・バレンタイン!”と口走っているようだ。
何だ・・?そんな時期でもないし、誰に向かって犯人はメッセージを残してる・・・?
もう1人の被害者も調べなければ。 クルーザー生活仲間で、リッチな親のおかげでプー太郎の陽気な 青年、バディを運転手に雇い、捜査を始めるマッケイレブ。
次々に浮かび上がる可能性、犯人像。 薬莢を拾っていたのではないことにも気づく。 だが核心に迫ったかと思うと肩すかしを食らう・・・。
肉体的にも、精神的にも、マッケイレブは追いつめられてゆく。 主治医は、せっかく授かった命なのに、死ぬ気!?と激怒。 8度を超える熱、不安定な呼吸。 苦しみながらも、マッケイレブは必死に捜査を続ける。
そんな姿に、はじめは妹の心臓のおかげで生きていられるヤツ、と いう目で見ていたグラシエラの気持ちも揺らぐ。 次第に惹かれあってゆくマッケイレブとグラシエラ。 もういいから、と懇願するグラシエラに、この心臓にかけて必ず解決する、と決意を曲げないマッケイレブ・・・・。
2件の射殺事件の犯人の目的はいったい何なのか。 憔悴してゆくマッケイレブ、捜査を翻弄する犯人。
ロス市警とカルフォルニア州警察の管轄境界線に置かれた死体。 犯人は遊んでいる。 そして次の死体は、かつてコード・キラーを追ってマッケイレブが倒れたフェンスに置かれた。
決着をつけねば・・・・・。
原題のBLOOD WORK(ブラッド・ワーク)は随分調べたが、通常の 英和辞書にはない。 医療用語に狙いをつけ、心臓移植についてのサイトを調べたら対訳になっているページがあり、blood workの訳は血液検査、と なっていた。 映画中で2回、マッケイレブが血液検査を受けている。 感染症を起こしていないか主治医が心配するからだ。
後半、急速に見えてくる事件の糸口は血、血液だ。 これに関してあまり詳しく書くとネタバレに繋がるので、キーワードは「血液」とだけ。
でも、一言言わせて。 また日本の配給会社はアホ丸出しなキャッチコピーを! 「犯罪が移植される」 チョットマテ。 移植された心臓の持ち主は万引き1つしたことない頑張るシングルマザーでっせ。失礼な! まるで、極悪人の心臓を移植されてもらった人間が犯罪に走るかのようなイメージじゃないか???これじゃ。
「L.A.コンフィデンシャル」の脚本家の作品だけあって、 よく練れており、アクション、ロマンス、スリルのバランスが 絶妙。
本作はかなりヘビーな展開で死人も多く出る。 心臓と命、テーマも重い。 その重苦しさを救うのが、脚本のユーモアセンス。
ドーナツのシーンはかなり笑えた。 ピザかと思ったぞ、あの巨大な箱。 ゴツい男が3人で気まずい雰囲気の中もそもそドーナツ食ってるシーンは、今思い出してもかなり笑える。 イーストウッドはこういう軽さも持っている。
そして、どんどんヘビーになる展開のガス抜き役、怒りっぽいアランゴ刑事を演じるポール・ロドリゲスがナイス! 血圧高そうですな、かなり。
原作はどうも、マッケイレブは40代半ばらしく、病気のため早期退役という設定のようだが、72才のイーストウッドが特に若作りなしで(気持ちだけはかなり若い)、イメージ的には60代の初老の男の雰囲気で演じていた。一切年齢について言及するシーンがないのは意図的にだろ。
ただ釣りするだけの老人に未来があった妹の心臓が、と思えば 姉さんのやり場のない怒りもなおさらだし、 お迎えが来る前に、やり残したことを片づけよう、という固い決意もわかりやすい。
一見してかなりご高齢のイーストウッドがヨロヨロゼーハー走り回るのを見てると、映画の本来のストーリーとは違うトコロでものすんごいハラハラした。 『ハンテッド』のトミー・リー・ジョーンズの走りも別の意味で スリリングだったが、それ以上。
1本の映画にこれだけいろいろな要素を盛り込み、きっちり勧善懲悪でオトすあたり、イーストウッドらしく、安心して観ていられる。(いや、ヘンだな。安心して、スリルを楽しめるというか、気持ちよく終わってくれるだろうという安心感だな)
イーストウッド、今回も上半身脱ぎっと脱いでくれます。 親子くらい年齢差あるセクシーな女優さんとラブシーンありです。 そこはもうつっこんじゃいけません。 腹上死するのか!?とかハラハラしちゃいけませんw 彼が監督なんですから、しかたありません(何が
まぁ、あれです。 「ユージュアル・サスペクツ」できっとみんなが思った、 あれだけの俳優をそんな小さい役で出すわけないじゃんね、 やっぱりね、というツッコみは入れていいかも。
豪華キャストはイーストウッド作品の特徴だけに、逆に、 あまりにも無名な人を出してしまうとかえって疑わしくなるような気もするのだ。 キャスティングは難しいですな。
あと、字幕が親切すぎるような。 アレでわかってしまいました・・・。 いや、これ吹き替えどうしたんだろう、と。 英語の綴りがキーになっているものね。 でも、どうやって宿命の対決にもってゆくのかが楽しみになった ので、途中でカンづいてしまっても充分ラストまで楽しめます。
落ち着いたウェルメイドなサスペンスで、グロテスクなシーンも エロティックなシーンもないので(イーストウッドの枯れ木のような上半身は見られても、女優さんは乳ポロリすらありません チッ)、 家族揃って楽しめるサスペンスでしょう。
なんか、最近私、コメントの口調が一定しませんねぇ。 突然ですます調になったりもうぐちゃぐちゃですが、 作文の成績悪かったんですw てへ✿ฺ
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