2004年08月31日(火) |
「スナッチ」 10人を越す主要登場人物+犬1匹に脳みそかき回されながら♪ジェットコースター式群像クライムコメディのケッ作! |
スナッチ【SNATCH(かっぱらう)】2000年・米 監督・脚本:ガイ・リッチー 撮影:ティム・モーリス=ジョーンズ 音楽:ジョン・マーフィ 俳優: ★ダイヤ関係 デニス・ファリナ(NYの宝石商、アビー、英国大嫌い) ベニチオ・デル・トロ(アビーの配下、賭博狂のダイヤ泥棒、4本指のフランキー) ヴィニー・ジョーンズ(アビーが雇った不死身らしい弾丸歯のトニー) サム・ダグラス(アビーの手下、ローズバッド) マイク・リード(アビーの従弟、ユダヤ人のふりするロンドンの宝石商、ダグ・ザ・ヘッド) ニッキー・コリンズ(ダグの娘兼店員、アレックス) ティーナ・コリンズ(ダグの娘兼店員、スージー)
ラデ・シェルベッジヤ(密売屋で不死身っぽいロシア男、銃弾くぐりのボリス)
★マヌケ黒人3人組 レニー・ジャームズ(盗品専門の質屋、ソル) ロビー・ジー(ソルの相棒、犬の飼い主、ビニー) エイド(逃がし屋っていうかただの百貫デブ、タイロン) ★賭けボクシング関係 アラン・フォード(ノミ屋経営者、ブリック・トップ) ジェイソン・ステイサム(裏ボクシングプロモーター、ターキッシュ) スティーヴン・グレアム(ターキッシュの相棒でゲーセン経営者トミー、ボリスから銃を買う) アダム・フォガティ(ボクサー、ゴージャス・ジョージ) アンディ・ベックウィッチ(ブリックトップの手下、エロル)
★パイキー(流浪の民) ブラッド・ピット(めちゃケンカ強いミッキー) ソーシャ・キューザック(ミッキーのママ) ジェイソン・フレミング(ミッキーのマブダチ、ダレン)
アントワープ。 ユダヤ人に変装した(※モミアゲとヒゲで)集団が、86カラットなんちゅー、子供のこぶし大のダイヤを強奪。
逃走中の車の中。 この強盗団のリーダー、“4本指のフランキー”が、仲間からある 男の居場所を教えられる。ロンドン在住のボリスという密売屋だ。奴から銃を買えという。飛行機に乗るため、いったん銃を処分せねばならない。ハジキは現地で買い直せ、ってわけだ。
ロンドン。 ボスのアビー(NYにいる。イギリス大嫌いで本人はNYを離れない)に電話でダイヤの件を報告するフランキー。 アビーはご機嫌で、従弟の宝石商ダグ・ザ・ヘッドの店で、小粒ダイヤをさばいたら、すぐにNYに大粒ダイヤと帰ってこい、と命じる。 厳重に、カジノには寄るなよ、と忠告して・・・。
さて、仲間のススメに従ってボリスの元を訪れたフランキー。 だが、仲間もボリスもはなっからフランキーをハメてダイヤを頂くつもりだ。 そうとは知らないフランキー、銃を買おうとすると、ボリスは代金は要らんという。 かわりに、賭けボクシングに賭けちゃもらえないか、ときた!
賭け、賭博、博打、ギャンブル。しかも今回は八百長情報つきで儲け確実w もうフランキーの脳みそは溶けた。4本指のフランキー、指で負け金支払ったオトコ。 アビーの忠告なんぞ忘れていそいそとノミ屋へ・・・・・。
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さて、この物語の語り部、裏ボクシングプロモーターのターキッシュ。 オフィス兼自宅のトレーラーがボロボロだ。ドアが外れた。 相棒のトミーに1万ポンド持たせ、パイキー(キャンプ場でトレーラー暮らしをするアイルランド系の流れ者たち)から新品買ってこい、とおつかいに出した。
しか〜し、交渉にかけては天才的というより、詐欺のプロなパイキーたち。ブっ壊れたトレーラーを売りつけ、金は返さないときた。 アタマにきたトミーは、用心棒に連れてきた裏ボクサーのゴージャス・ジョージを、パイキーのリーダーの青年、ミッキーと喧嘩させるが、あっさりボコにされてしまう。
さて。困ったことになった。 ゴージャス・ジョージは病院おくり、明日の試合に出られない!! それは何を意味するか。 ターキッシュ&トミーのボス、違法賭博の仕掛け人、凶悪なブリック・トップにバラバラにされて、愛豚らのエサにされて骨までこの世から消えるってことだ。
勿論怒り狂うブリック・トップだが、アホ2人を処分することより、明日の試合のことを考えないと。 その強いパイキーを連れてこい、と命令されたターキッシュたち、 苦労してミッキーをリングにあげるが、約束の八百長なんぞ聞いちゃいない。ゴングとともに相手を秒殺してしまったぁ!!
ガラガラと崩れ落ちるブリック・トップの信用。 もはやこれまでか、と絶望するターキッシュ&トミーだが・・・。
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のこのこと賭けボクシングにやってきたフランキー。 なにしろ86カラットのダイヤ。手錠で手首とブリーフケースを 繋ぎ、厳重に持ち歩いている。
そのフランキーを狙うボリス、スミス街で盗品専門の質屋を営む 黒人ソルに仕事を依頼する。 今日は賭けがあるからノミ屋に大金がある、強奪して、ついでに 4本指の男が持ってるブリーフケースをかっぱらってこい、って わけだ。
額の大きさに、一抹の不安を感じつつも、つい引き受けてしまったソル。犬を拾ってきた相棒のビニーと、自称逃がし屋、要するに運転係の巨漢、タイロンと3人+1匹でノミ屋を目指す。
タイロンの悪夢のようなヘタな駐車でどうにかノミ屋の前に車をつけたが、待てと暮らせど、4本指でブリーフケースを持った男なんて来ない・・・・。 だってフランキーは、タイロンが追突した車の中でノビているわけで・・・。
タイロンは車で待機、ソルとビニーがとりあえずショットガン持ってノミ屋を襲撃! が、妙に冷静な受付のお姉さん曰く・・・・・・・・。
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ブリック・トップはもう怒り心頭。 今度こそ、ミッキーに4ラウンドで倒れるよう言い聞かせろ、と ターキッシュらに命令。 だが、試合に出るならママにでっかいトレーラー買って、ときた。 完全にブチ切れたブリック・トップは、 あまりにも非人道的な惨い仕打ちをパイキーたちにするのだった・・・・・。 これが後々、自分の首を絞めることになろうとは思ってもみない ブリック・トップ。
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結局、もののはずみでフランキーは、ボリスに殺されダイヤを盗られてしまう。 ノミ屋を襲撃した黒人3人組も、ブリック・トップに見つかり、腐り始めたフランキーと一緒にもうじき豚の餌になりそうな予感。
フランキーから連絡が途絶えたので、アビーは気がきじゃない。 フランキーが持ち逃げしたか!?と大慌て。 しかたなく、大嫌いな英国に飛んで、腕利き殺し屋トニーを雇い、 フランキーを探させる。
現時点でのダイヤの持ち主、ボリス。
KGBくずれの不死身のボリスと、金歯で弾丸を受け止める不死身の殺し屋トニーの対決、勝つのはドッチ?
最後にダイヤを手にするのはいったい誰でしょ〜????? いやむしろ、最後に笑うのは誰でしょ〜??????????
以前レビューしたときはイマイチ把握しきれてなかったので、 再度トライ。やっとモヤモヤがクリアに。
群像ものはアタマの体操になるのでボケ防止に定期的に観たい(冗談)。 数ある群像映画の中でも、最もややこしく登場人物も多い本作。 でも、やっぱりガイ・リッチー監督のジョークやユーモアのセンスは面白くてたまらない。
クライム・コメディの群像劇、パズルのように連鎖する一見無関係そうな連中、というスタイルは、タランティーノの最高傑作(現時点ではそう思う)『パルプフィクション』と雰囲気が似ているので、あれが面白かった方には是非おすすめしたい。
カッコイイワルたちのクールな一攫千金ゲットが観たい→『オーシャンズ11』『トウェンティマン・ブラザーズ』『ミニミニ大作戦』などなど
いや、ダメ人間が一攫千金夢見て奮闘するネタで笑わせてほしい→『ウェルカム・トゥ・コリンウッド』『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ(これもガイ・リッチー監督)』 などなど
あまりに展開がスピーディで咀嚼する余裕を与えてくれないので、 目がテンになるのが難点でもあり、他の作品にはない斬新な点でもある。
それでも、語り部(ターキッシュ)を据えて、あくまでも彼の喋りというか心の語りで進めていくし、時間軸をいじくらないので 何が何だかサッパリ、というほどではないだろう。
何が可笑しいといって、これだけ登場人物がいて、1シーン1シーンがもの凄く短いのに、1人1人が雑に扱われていない。 俳優陣の力量は当然のことだが、脚本がきっちりしているからだ。
金儲けが得意そうだからユダヤ人に憧れてユダヤ人だと自称しているが、ちっともユダヤ系に見えない容姿のダグ・ザ・ヘッド。
アブナい(多方面な意味で)男を演じさせたらピカイチのベニチオ・デル・トロ演じる4本指のフランキー、出演時間よりも、 顔が見えている時間のほうが少ないという珍妙な状況になる。 他の作品では見せたことのない、ヘロンとした妙〜な喋り方が可愛い。
ブラピ演じるパイキーの強烈さは圧倒的に可笑しい。 そもそも、自分の言葉は標準語だと思ってる連中がノース・ロンドンのしかもヤクザ用語連発で、アメリカ人のアビーに「英語を話せ」と呆れられる有様。 パイキーたちのアイリッシュ訛りに???なターキッシュたちは、 いうなれば沖縄弁に???になっている名古屋人のようなものか・・。
冒頭の、ソーセージを焼くシーンから笑いっぱなし。 タランティーノと違って残忍な血みどろシーンもないので、 ソッチが苦手な方でも大丈夫。
まさにDVD鑑賞向き。 映画のチラシには、“二度観ようと思うな、一度で理解しろ” なぁ〜んて書いてあったが、当然、何度か観てねw というお誘い文句。 記憶力強化にこの1本(笑)
2004年08月30日(月) |
『LOVERS』 イーモウ監督の十八番である恋の狂気、破滅の情念、滅びの美学。コテコテではあるが。 |
LOVERS【十面埋伏/LOVERS HOUSE OF FLYING DAGGERS(飛刀門)】2004年・中国 監督:チャン・イーモウ アクション監督:チン・シウトン 脚本:チャン・イーモウ/リー・フェン/ワン・ビン 撮影:チャオ・シャオティン 衣装デザイン:ワダエミ 音楽:梅林茂 俳優:金城武(捕吏、金(ジン) チャン・ツィイー(飛刀門、小妹(シャオメイ) アンディ・ラウ(捕吏、劉(リウ) ソン・タンタン(遊郭牡丹坊の女将)
9世紀なかば、唐。栄華を極めた王朝も衰退の一路を辿り、悪政に民は苦しんでいた。
そんな中、“飛刀門”と呼ばれる短刀使いの一派が王朝に牙をむき、官軍とのこぜりあいが続く。 つい先日、3ヶ月もかけてようやく敵の頭目を倒した王朝であったが、民衆の支持に士気の衰えをみせない飛刀門は、新頭目をたて、 たちむかってくるのだった。
官軍の詰め所。捕吏の劉は、飛刀門の新頭目を即刻倒せとのお上の厳命だ、と同僚の金に伝えるが、金は昼間から酒をあおり、やる気がまるでない。
劉は、金が乗り気になりそうな話を1つ掴んでいた。 近頃できた遊郭、牡丹坊の一番の売れっ子がきなくさいという情報だ。 女遊びと酒には目がない金のこと、それならば、と身分を偽り早速牡丹坊へ。
やり手の女将にチップをはずみ、一番の売れっ子を呼ぶ金。 出てきたのは盲目の美女、小妹。 からかう金に、見事な踊りと歌を魅せる小妹だが、金はろくに 踊りには目もくれず、てごめにしようと押し倒す。
そこへ示し合わせた通り、劉が捕吏として登場。 風紀を乱したかどで、金と小妹を逮捕しようとする。
必死に女将がくいさがると、劉は踊りが見事なら釈放しようともちかける。 見事な舞いの最中、劉に剣を向け、王朝の犬は斬る、と吠える小妹。 劉と一戦交え、武術の達人ぶりをみせる小妹だが、あえなく逮捕されてしまう・・・・。
噂では、前頭目の盲目の娘が行方不明になっており、門をあげて 探しているらしい。 拷問具の音を聞かせ、一門の隠れ家を吐けと脅す劉だが、小妹の 口は堅い。 一晩猶予をやろうと牢を閉ざした。
さて、娘を王朝につきだして褒美を、と機嫌のよい金に、劉は さらなる謀を持ちかける。 もっと大きな手柄を得るには・・・・。
やがて、何も知らない門番らを蹴散らし飛び込んできたのは、金。 小妹をさらうと用意してあった馬に乗せ、脱獄したのだ。
小妹には、王朝に愛想がつきたと言い、さらに小妹の美しさに 心奪われたと口説き、一門の隠れ家に案内させようとする。
半信半疑ながらに、必ずや父の仇を討とうと単独行動だったと金に 告白する小妹であった・・・。 その父の仇が自分であることを思うと胸が痛まないでもない金・・・。
影のように2人の後を追い様子をうかがう劉。 なんとしても隠れ家を突き止めねば、手柄どころか・・・。 色香に惑わされ任務を忘れるな、と執拗に忠告するのであった・・・。
根っからの風流人を気取る金のこと、女をたぶらかすのはお手の物のつもりだ。
だが、状況が一変。捕らぬ狸の皮算用で笑っていられなくなる。 王朝の派遣した兵が、金と劉の謀を知らず、牢を破り小妹を逃がした罪で、逆賊として2人を刃もて追ってきたのだ!
たおせどたおせど、問答無用で斬り殺しにくるかつての部下たち。 自分の手の届かない状況に陥ってしまったと苦悶する劉・・・。 無事を祈る、と苦渋の面持ちで矢筒を渡すが、金は怒り狂って受け取らない・・・。
絶望の淵に沈む金。 突然、態度が豹変した金を残し、1人、小妹は馬にまたがった。
謀はかくして崩れ、金はたき火の炎を力なく見つめる。
だが、この先、幾重にも複雑に絡み合った謀と宿命がかれらを呪縛し苦しめ、破滅へ導くことになろうとは・・・・・・・。
“伝説・伝奇”として描いたファンタジー『HERO』よりも、格段に衣装のセンスが上品で禍々しくなく、アクションも曲芸度が相変わらず強いものの、緊張感と力業を優先させたタフな仕上がりになっている。
衣装に黄色や赤を使わなかった作品は、私が知るかぎりイーモウ作品の中では今回が初めてではないだろうか。 青と緑が支配する幽玄な色彩イメージが美しい。
こういう大作は、マンガチックだ、滑稽だ、と斬り捨ててしまってはもったいない。 また、重厚な史劇を期待するむきには、あくまでも歴史劇、という シチュエーションを借りた濃厚な嫉妬と恋の狂気と情念の炎に焼き尽くされる男女の物語なので、おすすめはしない。
イーモウ監督の十八番、ドロドロとしつこい男女の情念を期待するむきには、おなかいっぱいになれる作品だろう。
俳優陣が豪華なのがやはり見所なのだが、なにしろ芸達者で 圧倒的な演技力をもつアンディ・ラウの前に、能面(心を読ませない演技なのでそれは効果的ではあるのだが)で童顔で幼すぎるチャン・ツィイーと、実に精悍で美しい青年だが微妙な心のひだを演じきれていない金城武が惜しい。
アンディ・ラウの演じる愛は嫉妬と憎悪の激しい愛。 ラストシーン近くの(中盤のではなく)竹林のシーンに、 愛に盲目になり大義すら見失う狂気を見、圧倒的である。
チャン・ツィイーと年齢が離れすぎているというより、彼女がまだ、「女」を演じるには若すぎるという違和感が残る。 まだ「娘」なのだ。肉欲の味を知らない清潔感が、物語のコテコテの泥沼感とズレている。
ただ、そこが監督の狙いなのだろうとも考えられる。 主題歌にも出てくる、“蝶”のイメージ・・・儚く、1つの花にとどまれないさだめの蝶。 それは熟した女では無理だ。
惜しみなく与える金の愛。 惜しみなく奪う劉の愛。
冬が訪れ、蝶が命尽きれば、花もまた散ろうというもの。
大陸の幽玄な大地と人智の及ばぬあの空の色、実に美しい。
正直いえば、もうこのへんでいいでしょう、イーモウ監督、という 気が古くからのファンとしてはある。 箱をもっと小さくして、そのぶんもっと濃いものをまた創ってほしい。独特のユーモアのセンス、人間とはなんと残酷で、それでいて可愛らしい生き物か、と思わせてくれる作風が懐かしくもある・・・。
2004年08月26日(木) |
「サスペリア」 イタリア製オカルトホラーの傑作。手堅い古典的な創りなのに一抹の古くささも感じさせない。 |
サスペリア 【SUSPIRIA】1977年・イタリア 監督:ダリオ・アルジェント 脚本:ダリオ・アルジェント/ダリア・ニコロディ 撮影:ルチアーノ・トヴォリ 音楽:ゴブリン 出演:ジェシカ・ハーパー(新入生、スージー) ステファニア・カッシーニ(スージーの隣室、サラ) アリダ・ヴァリ(ターナー先生) ジョーン・ベネット(副校長) ウド・キア(精神科医) フラビオ・ブッチ(盲目のピアノ弾き、ダニエル) ミゲル・ボゼ(マーク) レナート・スカルーパ(ヴェルデガスト医師) スザンヌ・ジャブコリー(パット)
ドイツの空港、夜10時すぎ。ひどい雷雨でなかなかタクシーも つかまらない。 NY出身のバレリーナの卵、美しい少女スージーは、名門バレエ学校への入学を許され、単身異国の地を踏んだのである。
豪雨の中どうにか学校の門に辿り着くが、挙動不審な少女がずぶぬれで玄関で何か必死に誰かに話している。
秘密・・・アイリスが3つ・・・青いのを・・・ ひどい雨音でよく聞き取れない。
スージーがインターフォンで到着を告げるが、焦った様子の若い女性の声でむげに追い返される。諦めて翌日出直すことにし、再びタクシーに乗り込んだ。
林の中を必死で走るさきほどの少女を、車窓から不思議そうに見つめるスージー・・・。
少女パットは命からがら、という様子で街の友人の家に逃げ込む。 事情を聞き出そうとする友人を拒み、1人バスルームに籠もったパットは、高層マンションだというのに窓から飛び込んだ何者かによって惨殺され、友人も巻き添えにあい、事件の真相は闇に・・・・。
翌朝、改めて学校を訪れたスージーは、副校長、主任教授のターナー先生、副校長の溺愛する甥、ルーマニア語しか喋らないという醜い下男、盲目のピアノ伴奏者ダニエルらに紹介される。
校長先生は旅行中だという・・・・。
初めてのレッスンの日、副校長の甥の少年と老いたメイドと目の合ったスージーは、突然ひどい疲労感と目眩に襲われ倒れてしまう。
街の下宿から校内の寮に強制的に移されたスージーは、病人食とワインを毎食与えられ、当分の間、自室に軟禁状態に・・・・。
そんなスージーの隣室は、サラという少女。 惨殺されたパットの親友だったのだという。
パットは、校長先生が旅行だというのはきっと嘘で、どこかにいる、他の先生たちも街の自宅には戻っておらず、足音が校内に消える、と必死でスージーに訴えるが、どうしたことか、スージーの 意識はひどく朦朧とし、前日の記憶があやふやになってしまうのだ・・・。
サラは魔女伝説に取り憑かれているようだった。
やがてスージーは、サラの主治医だった精神科医に紹介された教授から、この学校の伝説を聞くことになる・・・。
この学校の“伝説”とは。 校長先生の行方は。 そして、身の毛もよだつ真実を知ってしまったサラとスージーの運命や如何に・・・・!
DVDはリマスター版が発売されているものの、売り切れ。
テクニカラー時代の断末魔か思うほどの絢爛豪華に禍々しく毒々しくも、息をのむほど美しい真紅、緑、青! そこへホラー映画を数多くてがけるゴブリンのプログレッシブな 音楽が神経を逆撫でするように華々しく響き渡る。
劇場公開当時はサーカム・サウンド(立体音響方式)で360度、 あの音楽がぐーるぐる劇場を包んだとうから、背筋が凍る。
明らかに『エクソシスト』のメインテーマにして永遠の名曲、マイク・オールドフィールドの“チューブラベルズ”に影響を受けてはいるが、不思議と二番煎じな印象は受けない。 恐怖よりも切なさと儚さを感じさせる繊細な“チューブラーベルズ”とは違い、ゴブリンの本作のテーマ曲は、とにかく刺々しく 禍々しく、実に官能的なのだ。
監督のパートナー、ダリア・ニコロディの祖母が白魔女だったそうで、子供の頃繰り返しきいた祖母のうら若き頃の体験や、世界各地の魔女伝説やお伽話をミックスして原案としたようだ。
経緯としては、邦題『サスペリア2』(※こちらが先であり、邦題は嘘、独立した物語)がイタリア国内で大ヒットを記録、勢いに乗って製作したのが本作『サスペリア』ということになる。 こちらは国内どころか、全世界のホラー愛好家だけでなく、映画を愛する人々に語り継がれる名作となった。
夜の闇、豪雨、鮮血のように淫らに紅くうかびあがる建物、照明。 雪のように白い少女の肢体から吹き出し流れ落ちる鮮血。 洗面台に糊のようにこびりつく謎の赤ワイン・・・。
これだけ、一切の自然光を排した人工的な照明が続くと、 後半、数分ある、開放的な屋外での普通の会話が、息抜きになるどころかかえって落ち着かず恐怖心をあおる。
残忍であればあるほど美しいが、邪悪な存在を賛美など決してしない正当派の手法がよい。 悪魔は祓えても排除できないが、魔女は特殊能力を授かった形あるもの。対決は可能だ。
信奉は全くしていないが、魔女や悪魔の存在を疑わない私には非常に興味深く面白い展開だった。
日本公開時のキャッチコピー、「決して1人では観ないでください」はそう大袈裟でもない・・かも・・・・。 演出でカタルシスを感じてしまうほどの大仰な悲鳴をいっぱい 聞かせてくれることだし、ものすごく痛そうな殺され方が続くので、真夜中に1人きりで観るのはやめたほうが・・・・。
あまり関係のないエピソードが散らばっていたり、やってることは美少女虐待なやや変態チックな行為でありながら、その映像・音響美ゆえに高級な美術品を鑑賞し終わった後のような充足感が堪能できる。 是非、オススメの1本。
2004年08月24日(火) |
「閉ざされた森」 どんでんがえし好きな方にオススメw 羅生門チックな演出、セリフに頼りすぎではあるが破綻のない伏線がよい。 |
閉ざされた森【BASIC(本能/根本的な)】2003年・米 監督:ジョン・マクティアナン 脚本:ジェームズ・ヴァンダービルト 撮影:スティーヴ・メイソン 編集:ジョージ・フォルシー・Jr 音楽:クラウス・バデルト 俳優:ジョン・トラヴォルタ(元レンジャー、麻薬捜査官、ハーディ) コニー・ニールセン(オズボーン大尉) サミュエル・L・ジャクソン(鬼軍曹、ネイサン・ウエスト) ティム・デイリー(ハーディの旧友、オズボーンの上官、スタイルズ大佐) ハリー・コニック・Jr(病院長、ヴィルマー)
★6名のレンジャー隊員はネタバレになる可能性があるので役名は伏せる
ジョヴァンニ・リビシ ブライアン・ヴァン・ホルト テイ・ディグス クリスチャン・デ・ラ・フエンテ ダッシュ・ミホク ロゼリン・サンチェス
パナマ米軍基地。 ハリケーンが近づく豪雨の中、鬼軍曹ネイサン・ウエスト以下 レンジャー部隊7名が、悪天候を想定した地獄の特訓に突入。
奥深い森・・・。定期連絡が途絶え、捜索隊が17時間後にやっと上空から3名の姿を発見する。 1人が重傷者を背負い、追ってきた仲間を撃ち合い、射殺。 救出できたのは2人だけだった。 いったい何があったというのか・・・。 ハリケーンに包まれた密林は、捜索隊の足を拒み、数時間以内に 物証を押さえられる見込みは薄い。
重傷のケンドールは病院へ運ばれ、からくも一命を取り留める。 彼は高官の息子で、この事件を担当するスタイルズ大佐は肝を冷やしている。事件の真相を究明せねば、自分の首があやうい。
さて、ケンドールを救出したレイ・ダンバーという男、貝のように 押し黙り黙秘を続けている。 本件の担当はオズボーン大尉だが、その美しい容姿にそぐわず荒っぽく怒鳴りつけるばかりで進展の見込みがない。 ダンバーは、紙の端に「8」と走り書きをするが意味不明。
本国送還まであと数時間しかない。 なんとしても、ここパナマ基地で真実を聞き出さねば。
焦ったスタイルズは、旧友のハーディを呼び出す。 ハーディは元レンジャー隊員ではあるが、現在は麻薬捜査官、 しかも収賄の疑惑がかかっており、自宅謹慎中という身。 部外者を関わらせ軍の機密を漏洩するなど言語道断。 オズボーンは激怒するが、ハーディは取り調べの達人であり、 今まで口を割らなかった容疑者はいないのだ。
最後の砦、頼みの綱のハーディ。 旧友のたっての頼みとあってはむげに断るわけにもゆかず、 カーニバルに沸く街の喧騒を背に、陰鬱な雨の中、基地の門をくぐるのだった・・・・。
CIAかFBIがらみかい?と陽気にやってきたハーディに、 スタイルズは実はもっとやっかいなある組織がこの基地内には・・・・・と耳打ちする。
どれほど強面の男が登場するのかと苦虫をかみつぶしたような顔でハーディと対面した、ダンバー取り調べの任を解かれ怒り心頭のオズボーンは拍子抜けする。
精悍なマッチョだが、にこやかで人なつこい笑顔、軍人の目から見たら苛立たしいまでのくだけた口調に振る舞い・・・。
さて、あと6時間しかない。 さすがの話術で、とりあえずダンバーの口を開かせることに成功するハーディ。
他の者は皆、死んだのだという。
鬼軍曹ネイサンの常軌を逸したしごきが事件の背景にあるらしいことはわかってきた。 だがハーディ自身も、過去にネイサンの指導を受けており、今ひとつ合点がゆかないようだ。
ダンバーは、ネイサン殺しは自分ではないと言い張る。
一命を取り留めたケンドールを病室に訪ね話をきくが、ダンバーの供述と全く一致しないのだ。
ダンバー本国送還の時間が迫る。
時間との闘いの中で、それでも着実に糸をほどくように真相に近づいてゆくハーディとオズボーン。
やがて、再び浮かび上がる「8」の文字。 浮かび上がる麻薬ルート。
事件の真相は何処に。
誰が真実を語っているのか不明なまま闇の中の真相を探るクロサワの「羅生門」はすでにバイブル的存在なのだろう。
入れ子式に開けても開けても次の本当のような嘘のような話が飛びだしてくるあたりはイーモウ監督の大作『HERO』にも通じる 部分がある。
激しい雨と夜の闇がうみだす閉塞感と不気味さ、根底からひっくり返されるタイプのどんでんがえしは、『“アイデンティティー”』 と似た楽しさがある。丁寧な伏線に裏付けられたサスペンス、スリラーとしては『“アイデンティティー”』のほうがはるかに上の出来映えだが・・・。『シックス・センス』も伏線が巧かった。
それでも、『ゲーム』や『ファム・ファタール』のように、さんざんハラハラさせておいて、一切の伏線なしに“実ははじめっからこうなんだよ〜ん”とか“なんちゃってね、夢デシタ”というナメた展開ではない。
ただ、伏線の98%がセリフにあり、映像でミスリードを強引に誘う手法なので、キモチよく騙されたと思う方よりも、ふざけるな!と暴れる方のほうが多いのではないだろうか。
私はどうだったかといえば、ある程度の数のこの手の謎解きを鑑賞してきて、伏線を読む力が多少鍛えられてしまっているので、予想がピッタシカンカン当たってしまい、やっぱり・・・・と苦笑。 この感覚、実は『ユージュアル・サスペクツ』で味わったものと 似ている。 あれも「取り調べ」が物語の語り部になっていた。
原題のBasicは、セリフに繰り返し繰り返し登場する、 「殺人は人間の本能さ(マーダーイズベイシック)」からとったものだろう。 “根本的に”根っこっからダマしているあたり、まさにこのタイトルはお見事。邦題も悪くないように思う。
今回、日本語の字幕もかなり巧かったように思うが、耳で原語を 聞いていると、より、意味深長なセリフが耳につく。
映画の演出として、見事だったのは、オズボーンの描き方。 最後の最後まで、観客と同じ目線なのはオズボーンのみである。 彼女が知っている情報(目、耳を通し)は、観客も知っている。 彼女が疑問に思うことを、観客も疑問に思う。 彼女が知りたいと思うことを、観客も知りたくなる。 彼女が驚愕する事実に、観客も驚愕する、という仕組みだ。
豪雨と限られた時間という、憔悴と閉塞感を誘うシチュエーション、閉ざされているのは森だけではなく、通常の思考回路。 思いこみ、という森に、観客は閉じこめられるのだ。
思いこみ、取り調べで回想する“真実?”というセンで他にも 面白い作品がある。『フレイルティー/妄執』、これもオススメ。
2004年08月23日(月) |
『マッハ!!!!!!!!』 CG、ワイヤーなしスタントなしの純度200%ムキムキアクション!血湧き肉躍る〜♪ |
マッハ!!!!!!!!【ONG-BAK(オンバク、仏像の名前)】2003年・タイ 監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ 脚本:スパチャイ・シティアンポーンパン 撮影:ナタウット・キティクン
俳優:トニー・ジャー(ティン) ペットターイ・ウォンカムラオ(ティンの旧友ハム・レイ“ジョージ”) プマワーリー・ヨートガモン(ジョージの相棒、ムエ) スチャオ・ポンウィライ(密売団のボス、コム・タン) ルンラウィー・バリジンダークン(ムエの姉、ンゲク) ワンナキット・シリブット(密売団のチンピラ、ドン)
敬虔な仏教徒たちがつつましやかに暮らすのどかな田舎の村、ノンプラドゥは、祝賀ムードに沸いている。 村の大切なご本尊、オンバク像が造られてから今年で24年なのだ。村長は7日間祝い続けると決め、村人たちの表情も明るい。
今年いちばん屈強な青年を決める、突き落としアリの木登り大会の優勝者は、孤児のティン。 オンバク像の出来た年に、赤ん坊のティンが像の傍に捨てられ、ムエタイの達人にして高僧のプラ・クルに育てられたティンは、敬虔な仏教徒であり、ムエタイの奥義を究めた屈強な戦士であり、素朴な青年で村の人々に慕われていた。
バンコクから村に、価値のある骨董品を求めてやってきたドンだが、期待していたものが手にはいらず、腹立ち紛れに村の宝、 オンバク像の首を切り取り持ち去ってしまう!
翌朝、村人は首のないオンバク像をみて絶望の淵に沈む。 ティンは、村のために、崇拝するオンバク像を奪還すると誓い、 村を後にした。
バンコク。 かつての幼なじみ、ハム・レイを訪ね、彼の父からの手紙を渡す。 ハム・レイは顔に似合わず“ジョージ”と名乗り、まだ小娘のムエを相棒にしょうもない詐欺をしてはギリギリ食いつないでいた。
故郷を棄てたハム・レイはオンバク像には何の思い入れもなく、 そっけない。 ドンの居場所を尋ねるティンに愛想よく振る舞うハム・レイだったが・・・・?
都会の闇と仏像密売団の影がティンに忍び寄る! 師に、人を殺める恐ろしい技ゆえに封じられていたムエタイの技だが、今、悪を葬るために解き放つ!! 果たしてティンは無事にオンバク像を奪還し、村に持ち帰ることができるのだろうか。
何年かぶりに映画館に行った。 せっかく映画館で観るならやっぱりド派手なアクションだろうと、 大好きなタイ映画を選んで大正解w
CGなし、ワイヤーなし、スタントマンなし。 タイの秘宝、ムエタイの技が炸裂しまくっている。 痛快。
泣かせどころ、笑わせどころ、ベッタベタなのだが、ゲロっと爽やか勧善懲悪、ここまで正当派で暴走する新幹線なみに純粋真っ直ぐだと、キモチいい。
ハム・レイ役のペットターイ・ウォンカムラオが、ウド鈴木に似てると思ったのは私だけでしょうか?
タイ映画はこってりしつつも、インド映画ほどドロっと濃くなく時間も短い。本作も大変美味しゅうございましたw
とことん、主人公の青年がハンサムなのに朴訥で、お色気やロマンスが一切からまないのも好きなところ。 こういう、寄り道なしのストーリーってキモチいいな。
2004年08月18日(水) |
「太陽の帝国」 設定の珍妙さには目をつぶる。反戦映画というカテゴリにおさまらない娯楽性が見事。 |
太陽の帝国【EMPIRE OF THE SUN】1987年・米 監督:スティーヴン・スピルバーグ 原作:J・G・バラード 脚本:トム・ストッパード 撮影:アレン・ダヴィオー 音楽:ジョン・ウィリアムズ 俳優:クリスチャン・ベール(ジェレミー、ジム) ジョン・マルコヴィッチ(アメリカ人、ベイシー) ミランダ・リチャードソン(収容所の隣人、ビクター夫人) ナイジェル・ヘイヴァース(ドクター) ジョー・パントリアーノ(アメリカ人、フランク) 伊武雅刀(ナガタ軍曹) 片岡孝太郎(日本人の少年兵)
1941年、中国、上海の英国人街。 織物業で成功したジェレミーの父は豪奢な屋敷を構え、美しい妻と 才気に溢れた8才の1人息子と幸福な日々を送っていた。 ジェレミーはここでうまれ育ち、本国イギリスの地を踏んだことはない。
ジェレミーは戦闘機マニアで、日本の零戦に憧れている。勇敢な 日本兵を尊敬し、いつか零戦のパイロットになる、といって両親を苦笑させる無邪気な子だった。
だが・・・いよいよ日本の上海侵攻が始まり大混乱に陥った街で、 ジェレミーは両親と生き別れになってしまう。 命からがら屋敷に戻っても、かつてこきつかっていた中国人の使用人には殴られる、金目のものは略奪される、食料はない・・・。
空腹に耐えきれず危険を承知で街に飛び出すと、アメリカ人の青年ベイシーとフランクに助けられる。 2人の青年は隠れ家にすまい、盗品の売買をしながら食いつないでいるのだった。 ベイシーに“ジム”とアメリカ風の名前をつけられ、中国人に売られそうになるが、貧弱な少年など誰も買わない。 棄てようとする2人に、ジムは必死で、英国人の居住区にはシャンデリアもピアノも酒もある、と案内しようとするが、灯りのついていた豪邸から出てきたのは日本兵。
3人はあえなく捕まり、捕虜収容所に送られてしまう・・・。
疫病のはびこる劣悪な収容所。タフなベイシーに、生水は飲まない、死人の靴や食料は奪う、など、生きのびる智恵を教わるジム。 次第に逞しくなってゆくジムは、環境のよい蘇州の収容所に移ることに成功する。
蘇州の収容所で4年がすぎ、1945年。ジムは12才になっていた。 イギリス人捕虜として労働しながら医師にラテン語を教わり、アメリカ人捕虜のリーダーであり、逃亡計画を練るベイシーのパシリをし、日本兵の機嫌もとり、タフに生き抜いてゆくジム。
終戦が近づき、日本軍は憔悴し、物資、食料は不足し、状況は 悪化の一路を辿る・・・・。
ジムはもう、両親の顔を思い出せなかった。母の髪が栗毛色だった ことくらいしか・・・・。
ジムには、言葉をかわしたことはないけれど、日本の少年兵の友達がいた。いつも模型飛行機を持って基地内を走り回る彼と、国籍も立場も超えて絆がうまれていたが・・・・・・。
米軍の爆撃で収容所は壊滅。だが解放には結びつかず、移動を余儀なくされた弱り切った捕虜たちを疲弊させ死人を増やしただけだった。 生き延びねば。ジムは虚ろな瞳で食料を漁る。
ジムに未来はあるのだろうか・・・・。
クリスチャン・ベールの子役時代と、微妙に今よりフサフサで精悍なジョン・マルコビッチが観たくて、スピルバーグのシリアス路線は当たりはずれでかいんだよな、しかも日本軍が出てくるのか、と一抹の不安を感じながらも鑑賞。
特攻隊の基地でなんで少年兵が軍服も着ずに1人だけオモチャで 遊んでるのかとか、そもそもそんなとこに特攻隊はないだろうとか、日本刀で果物切るなとか、そんなことはもうどうでもいいや。 「ラスト サムライ」のときは大真面目に創っていただけに、 根本的なありえなさに苛立って感情移入できなかったのだが、 本作はテーマが非常に普遍的で、細部を無視してもよいと 思えてしまう強引さがあった。
もともと、J・G・バラードの自伝が元になっており、10才未満の頃の記憶、体験はリアルな思い出でも、視覚の記憶はかなり アバウトなはずであり、そこに映画という創作性が介入すれば、 映像的にあやしい部分がたくさんあっても不思議ではない。
上流階級の御曹司だった主人公が、タフになり、次第に荒みながらも、ギリギリの人間らしさと動物的本能の間をスレスレにかすめて 成長してゆく過程がなかなか巧みな演出で語られていく。
ある時代を追った作品はどうしても、エピソードの積み上げに なる。 ヘタすると脈絡なくなってしまうのだが、靴、模型飛行機、石鹸、 トランク、などの視覚的なキーワードをうまくつなげて、やや長めの150分強という物語を一定の緊張感を保ったまま進めることに成功しているように思う。
とにもかくにも、クリスチャン・ベールの圧倒的な演技力があってのこの映画。強烈なジョン・マルコビッチをも喰う凄まじさ。 育ちの良さ、無邪気さ、天真爛漫さ、ズル賢さ、逞しさ、そして狂気。 極限状態で揺れ動く思春期への入り口の時期を過ごした少年を 見事に演じきっている。
上海にまで届いた長崎の原爆の閃光。神が写真を撮ったフラッシュのようだと形容する。無神論者だというジムが生死の境で見た光。 戦争を終わらせてくれた原子爆弾。アメリカ人はいまだにそう思っている。
ジムや収容所で原爆のラジオを聞いた民間人は、当然「原子爆弾」は終戦を告げた有り難いものでしかないだろう。
被害の甚大さを“加害者側も戦慄する威力”と訥々と告げるラジオの放送が日本人にはしらじらしく空しく聞こえる・・・・。
親日家で知られるスピルバーグ監督が、かなり気を遣って描いたのはわかるのだが、やっぱり原爆への理解は浅い。
それでも、この映画のいわんとする、戦争はどんな大義があろうが 友達になれるはずの存在を憎みあい殺し合わねばならない存在に してしまう哀しく愚かなものであり、人々から未来も、未来のことを考える希望すらも奪う憎むべき存在である、というごくごくシンプルな主張は、手をかえ品をかえ、やはり語り継いでゆかねばならない題材であろう。
2004年08月13日(金) |
「アンダーワールド」面白ぉい♪謀略、スリル、悲恋、アクション満載のゴシックホラブルダークファンタジーを満喫。 |
アンダーワールド【UNDERWORLD】2003年・米
監督:レン・ワイズマン 原案:レン・ワイズマン/ケヴィン・グレイヴォー ダニー・マクブライド 脚本:ダニー・マクブライド 撮影:トニー・ピアース=ロバーツ 音楽:ポール・ハスリンジャー
俳優:ケイト・ベッキンセイル(吸血鬼、処刑人セリーン) スコット・スピードマン(狼男族に追われる人間、マイケル) シェーン・ブローリー(吸血鬼アジトのリーダー、クレイヴン) ビル・ナイ(吸血鬼族元老院の1人、ビクター) ソフィア・マイルズ(吸血鬼、クレイヴンの側近、エリカ) ロビー・ギー(吸血鬼戦闘隊長、カーン) マイケル・シーン(狼男族長、ルシアン) アーウィン・レダー(狼男族科学者、ジンゲ) ケヴィン・グレイヴォー(狼男族戦闘隊長、レイズ)
はるか古より、吸血鬼族(ヴァンパイア)と狼男族(ライカン)の激しい抗争は続いていた。 だが、数百年前にライカン最強の男、ルシアンが討たれ、現在の形勢は明らかにヴァンパイアが有利な状況。
通常は人間と同じ姿の彼らは、それぞれのアジトで息を潜めている。
ヴァンパイアたちは、数日後に華々しい祝典を控え屋敷内は祝賀ムード。3人いる元老院の長老の交替のセレモニーがある。 3人の長老は、およそ2世紀ごとに蘇り、交替で仲間を治めている。
この屋敷にはマーカス長老とビクター長老が眠っており、 もうじき、甦ったアメリア長老が欧州から訪れ、全世界のヴァンパイアの総本山であるこの屋敷を治めることになっているのだ。 ビクターが眠りについてから、アメリアが醒めるまで長老不在のこの数百年は、ビクターが後任に指名したクレイヴンが一族を束ねている。 このクレイヴンという男こそが、宿敵ルシアンを討ち取り、腕の皮を剥いで持ち帰った英雄であり、その実力ゆえに後継者に指名されたという噂だ。そしてクレイヴンはビクターが娘同然に育て愛でた美しいセリーンを娶ることを望んでいる・・・・。
ライカン処刑人であるセリーンは、じきにライカンが完全に 滅び、戦闘員である自らのアイデンティティーを失うことをおそれはじめてもいた・・・。敬愛するビクター長老の屋敷で尊大に振る舞うクレイヴンの妻になるつもりは毛頭ない。
今夜は霧雨。数人のライカンを地下鉄入り口付近で発見したセリーンは黒猫のようにあとをつけ殺害のチャンスを伺うが、ライカンの勇猛な戦闘隊長レイズに気配を悟られ、地下鉄構内は戦場と化す。
1人の人間の青年が巻き込まれてしまった。セリーンは咄嗟にその 青年マイケルを護り保護する。 ライカンが補食の目的以外で人間をつけねらうなど、あり得ないからだ。
クレイヴンに、地下鉄の坑道奥に恐らく大規模なライカンのアジトがあること、特定の人間を執拗に追う理由が気になることを 報告するが、クレイヴンはまったく相手にせず、セリーンに戦闘から外れるよう命じるのだった。
セリーンは一族の危機を感じ、禁を冒し、先代長老ビクターを一世紀以上も早く甦らせ、クレイヴンの裏切りを報告しようとする。長老以外のヴァンパイアの越権行為であり、重罪だと知りつつ。
その頃・・・・。 ライカンたちのアジトでは、秘密裏にある実験が科学者ジンゲにより進められていた。ある特定の姓の人間の男を次々に捕獲しては 血液を採取している。
そして、ヴァンパイアたちはまだ知らない。クレイヴンを除いて。 あの最強の狼男、ルシアンが実は生き延びていたことを。
ルシアンはついに、ある確信を持ってマイケルに噛みつき少量の血液を採取してきた・・・・。
互いに敵であるはずのルシアンとクレイヴンの「密約」とは? ライカンの狙いは何処にあるのか。
この長きにわたる抗争の、真の原因は何処に?
マイケルの「血」の意味するものは。 セリーンが真に倒すべき仇とは。 そして数世紀前の哀しい過去が明かされる・・・・・・。
悲恋とゴシックな雰囲気はやや『ブレイド2』に近いところがある のだが、娯楽作品としては本作のほうがあらゆる要素がてんこもりでかなりオナカイッパイになれる。
もともと美術畑のレン・ワイズマンの初監督作品。 全編真っ暗だが単調にならず、ゴシックとハイテクの絶妙なミクスチャーが美しい。
CGで片づけず、俳優たちがスタントをかなり頑張っているのも 薄っぺらくなっていない勝因だろう。 DVDで鑑賞すると、特典に技術面の解説がかなり詳細に含まれているので、オススメだ。
細かいことを言い出すとアレ?という部分はあるにはあるのだが、 『サラマンダー』ほど破綻していない(※管理人は『サラマンダー』好き)。というより、頑張ったなぁ、と感心するほどよく詰めてあると思う。
でも、1つだけ、いい? 狼男族、女性が1人もいないけど、細胞分裂で増えてるんじゃないんだから(ちゃんと恋して結婚している)、1人くらい見せてほしかったなぁ。狼女に変身するライカンの女戦士たち。 なにしろ狼オトコ族だもんな・・・・。 いや、つっこむのやめよう。 勝手な解釈その1。ライカンは人間の女性に子供を産ませ、男子だった場合はライカンになり、女子だった場合、人間になる。したがってライカンのアジトには女コドモはいない。 その2。戦闘員は野郎どもだけ。妻子はアジトの奥でおとなしく隠れている。 その3。“あの事件”がおこってから泥沼の抗争になったので、 ライカンだが変身して戦闘する能力がない女子供はヴァンパイアにすでに滅ぼされつくした。 なにしろ長寿な方々ゆえ、子孫残さなくても何世紀でも大丈夫。 これがイチバンまともか。 もうじき全滅しそうって前フリがあったことだし。 種族を根絶やしにするには、まず婦女子を絶やすもんな。
・・・・・ま、いいや。ファンタジーにツっこみを入れるのは、ストーリーが破綻しそうなときだけでいいや。ね。(ね、ってねぇ)
登場人物の誰に肩入れして観るか、基本的には主人公のセリーンがヴァンパイアなので、異物感を感じながらも観客はしかたなくヴァンパイアに肩入れしながら観ることになるのだが、ライカン側の事情を知って非常に複雑な感覚を味わう。 どっちにも「正義」はないからだ。 残忍な手口で罪なき者を巻き込みながらの憎悪にまみれたライカンの復讐劇。 それでも、ルシアンはあまりに哀しく、ヴァンパイアに憤りを感じてしまうようになる。 中途半端な小悪党のクレイヴンの描き方がうまい。
グレーゾーンを存在させることで、バッサリと善悪白黒明白な二元論に収まらず、いい意味で気持ちの悪さを残してくれる演出が面白い。 続編は創ろうと思えば非常に創りやすいエンディングだが、 異なる種族の抗争というのは、不幸にも永劫に続く、という 完結でもよいような気がする。
2004年08月06日(金) |
「死ぬまでにしたい10のこと」 優しさに包まれた物語。命を続けるだけで精一杯だった女性が、死に向かって生き始める。 |
font style="filter: dropshadow(color=cccccc); width: 100%" size="5">死ぬまでにしたい10のこと【MY LIFE WITHOUT ME】2003年・カナダ=スペイン 監督・脚本:イザベル・コヘット 製作総指揮:アグスティン・アルモドバル/ペドロ・アルモドバル オグデン・ギャヴァンスキー 撮影:ジャン=クロード・ラリュー 俳優:サラ・ポーリー(アン) スコット・スピードマン(夫、ドン) デボラ・ハリー(アンの母) マーク・ラファロ(アンの愛人、リー) レオノール・ワトリング(隣人、アン) アマンダ・プラマー(アンの同僚、ローリー) ジュリアン・リッチングス(トンプソン先生) マリア・デ・メディロス(ドレッドヘアの美容師) アルフレッド・モリナ(アンの父)
カナダ、冬。 アンは23才。17才でファーストキスの相手ドンと結婚し長女を出産、19才で次女を出産。 夫は現在失業中。アンは夜中に大学の清掃をし一家の家計をどうにか支えている。 独り暮らしの母の家の庭に置いたトレーラーハウスで夫と幼い娘2人とつつましく暮らしていた・・・。 父は、物心ついたときから刑務所におり、母もホテルで夜勤をして 必死で生活している。
でもアンは満ち足りていた。優しく、家族を深く愛してくれる夫。 愛くるしい幼い娘たち・・・。貧しくても、笑い声が響く暮らし。
ドンがやっと、少なくともここ1年は解雇されそうもない仕事を見つけてきた。豪華プールの建設だ。 一安心するアン。
だが、夜勤明け、娘たちを夫に学校に送っていってもらった朝、 アンは強烈な腹痛に見舞われ倒れてしまう・・・。 見つけた母が病院に運ぶが、とにかく検査が長い。 半日以上・・・・。 アンは自分の体のことよりも、娘たちのお迎えのほうが心配でならない。極寒の日暮れどき、校門でしゃがみ込んで涙目で待っているのでは・・・。 ナースに伝え母に子供を頼むと、気丈に1人、病院で医師の説明を待つ。
家族を呼ぶことを拒み、医師に余命の宣告を受けるアン・・・。 医師のほうが、とてもじゃないがアンの顔を見られなかった・・・。
あと2ヶ月。 アンは、ギリギリまで1日でも長く、普通に暮らし家族の笑顔を 壊すまいと決意し、鎮痛剤の処方以外の治療を拒む。
過労による貧血だと笑顔で言い訳するアンを、誰も疑わなかった。 日に日に痩せてゆくアンを、ダイエット中毒の過食症の同僚はうらやましがる・・・。
夜更けのカフェで、アンは「死ぬまでにしておきたいこと」 を書き出してみる。
娘たちに毎日、愛してると言う。娘たちが大人になるまで、誕生日のメッセージを用意しておく。家族旅行がしたい。 そして、娘たちに新しいママを探す・・・・・。 そんな、妻として、母親としての願い。
美容院で綺麗になって誰かを夢中にさせてみたい。夫以外の男性と恋をしてセックスもしてみたい。 そんな、ただの1人の女としての憧れ。
お酒もタバコもおもいっきり楽しむ。言いたいことは言う。 そんな、1人の人間としての意志。
刑務所にいるパパに逢いたい。 そんな、娘としての切望・・・。
時は無情だ。 叶う願い、叶わないこと、叶えなくてもよくなったこと、 いつか叶うであろう願い・・・・。
アンは1つ1つ、チャレンジしてゆく。 家族を食べさせ凍死させないために、ただひたすらに必死だった ときには見えなかったもの、出逢えなかった人々・・・。
アンは消えゆく命の光と引き替えに、魂の輝きを増してゆく・・・。
巨匠P・アルモドバルがプロデュースした作品、そして『スウィート・ヒア・アフター』で鮮烈で透明感のある演技でカンヌを驚かせたあのサラ・ポーリーが主演、ということでとても期待していた。
MY LIFE WITHOUT ME この原題にすべてが凝縮されていて、もう他に言葉が要らないと 思うほど。「死ぬまでにしたい10のこと」という邦題、とても どんな映画かわかりやすいが、妙に安っぽくないか?
10のことは、だって、ストーリーで触れたように、幾つかに分けられるのだ。10へのこだわりは必要ない。
彼女はまだ、世間でいうなら“お嬢さん”な年齢だ。 あんな細腕で立派に一家の大黒柱を支え続けてきたけれど、 ただそれは、言葉通りに「必死」だったからだ。
若い結婚を後悔してはいない。「後悔」なんてしているヒマは、 1分もない暮らしだった。
働いて稼ぎ、夫と愛し合い、娘たちを育て、食べ、眠って、洗濯をして食事をつくってまた稼ぎに行く。
だから、夫も当面の仕事を見つけ、物理的に「明日を生きのびるためだけに生きる」必要がなくなった今、彼女は、自分がいなくなった後の、愛する家族のために準備をし、自分が世界から消えても、 家族ではない誰かのココロの中に、それが爪痕であってものこしてゆきたかった。1人の女性として・・・。
まさにマイ・ライフ・ウィザウト・ミー。 この思慮深さと、邦題のお涙頂戴的なイメージは釣り合わない。
したいことを、恋も仕事も趣味もあらかたし終えて飽きたし、親も心配するしサミシイし、ラクしたいし結婚でもするか、という人生を送ってきた人にはアンの気持ちはわかるまい。 お伽話のようにリアリティなく感じてしまうだろう。
2ヶ月間(でも、実質的に体を動かせるのは一ヶ月程度だろう) で、母として、妻として、娘として、若い女として、人間として、 生きようとしたアンの決意は、悲壮さがなく、1日を、1時間を、 1分を味わいつくして生きようとする光に満ちている。
ガラスののれんに光が乱反射してキラキラ綺麗。 ぼんやりとのれんごしに眺める“わたしのいないせかい”。 アンは微笑んでいた。
家族に死の病を隠して頑張る『海辺の家』でも最後は空のベッドが示されるだけだが、本作はもっとうまい。
アンがこの世から去るシーンはない。 泣き崩れる家族も映されない。 人は逞しい生き物。 アンが逞しかったから、遺されたひとたちも、その気持ちを無駄に しなかった。
きっとやがて叶うのだろう、とぼんやりとアンが夢見た最大の願いが叶っているのを・・・きっと数ヶ月後かもしれない・・・ みせてもらえるのだ。
やりきれなさはそこにない。 誰かが生きた証は、そのひとが必死に生きたのなら、きっとこの世に美しい形で残るのだと、監督のメッセージが伝わってくるから。
ドイツ映画の「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」の男2人は独身なせいもあってコメディタッチで“死ぬまでにしたい10のこと”をリストアップする。でも、時間なくて1つに絞る。 1人は、ママにピンクのキャデラックを買ってあげたい。 1人は、同時に2人の女とヤりたい(3Pしたい)。 2人の夢は、海を見たい。
メキシコ映画の秀作「天国の口、終りの楽園。」でも、やはり もう守るべきものを失った女性が、誰にも告げず死を前に海を目指す。
家族の笑顔と幸せを守りたいアンの選んだ“普通の日々+ちょっとだけ、私1人のための、一度経験してみたかったシアワセ”は、 やっぱり泣かせる。
2004年08月02日(月) |
「フル・フロンタル」 ソダーバーグ会心の出来、原点回帰か。週末のロス、かなりストレス溜まってる8人の男女の群像劇。 |
フル・フロンタル【FULL FRONTAL】2003年・米 監督:スティーヴン・ソダーバーグ 脚本:コールマン・ハフ 撮影:ピーター・アンドリュース(=S・ソダーバーグ) 編集:サラ・フラック 音楽:ジャック・ダヴィドヴィッチ 出演:★キャサリン・キーナー(人事部長、リー、カールの妻) ★デヴィッド・ハイド・ピアース(脚本家兼雑誌ライター、リーの夫、カール) ★メアリー・マコーマック(自称“アン”、リーの妹のマッサージ師リンダ) □ジュリア・ロバーツ(女優フランチェスカ(役名キャサリン) □ブレア・アンダーウッド(黒人TVスター、カルヴィン(役名ニコラス) □ブラッド・ピット(本人役) ◆ニッキー・カット(ヒトラー役の舞台俳優) ◆エンリコ・コラントーニ(出逢い系サイトにハマってる演出家アーサー) ◎デヴィッド・ドゥカヴニー(大物プロデューサー、ガス)
ロス、金曜日。 明日の夜、ショウビズ界の大物、プロデューサーのガスの40才の誕生パーティがホテルで開催される。 物語に登場する面々は、パーティに招待されていたりいなかったり、まぁ、イロイロ。
★大会社の人事部長、リーは、かなりキてる。 来る日も来る日も、リストラする社員の面接ばかり。 妙ちくりんな質問をし、地球儀模様のビーチボールで遊び、 首を切られる社員たちをひどく当惑させている。
今朝、夫のカールに離婚の意思を綴った手紙を書き、新聞の下に置いて出勤した。
さて、夫のカールは脚本家兼雑誌ライター。容姿も才能も、かなり冴えない。妻が黒人と浮気してることも知らないし、例の手紙にも気づかない、かなりボサっとした中年男。ボサっとしていないのはサミシイ髪くらいのもの。
明日のガスの誕生祝いにケーキを焼いておけと妻に命令され、 ハシシ入りのチョコレートブラウニーを焼いたが・・・・。
リーの妹は、ネットにハマっている。HNはアンだ。 マッサージ師としても、アンで通している。 出逢い系でエドという若い男(※正体はハゲの演出家アーサーだが知るよしもない)と意気投合し、逢う約束をした。
明日の土曜はリーの誕生日でもある。 今年もトンでもないプレゼントをアンがくれるのじゃないかと リーは憂鬱だ。 昨年はオトナのオモチャだった・・・・・・・・。
□ 空港で、黒人TVスターのニコラスと、ジャーナリストのキャサリンが待ち合わせ。これから、撮影でロスに向かう道中、密着取材をすることになっているのだ。 映画の仕事はこれが初めてで、ブラピと競演!というBigな仕事を前に、ニコラスは胸中を語る。 飛行機の中で、キャサリンが席を外しているときに、真っ赤な封筒に熱烈なラブレターが。 キャサリンからだと思いこむニコラス。つっぱねるキャサリン。
これは映画「ランデブー」の撮影中の二大映画スター、カルヴィンとフランチェスカなのであった。ちなみにカールとアーサーの共同脚本だそうな。
ラブストーリー「ランデブー」と、ショウビズ界の2人の素顔とが 交錯して描かれてゆく。
◆ヒットラーを描く舞台を明日に控えた小劇場。 演出家のアーサーは、演出しながらノーパソをヒザから下ろさない。出逢い系サイトで“エド”として活躍中。 この週末、出逢い系でひっかけた女と逢うことになっている。
やる気ないクセに口うるさい演出家に、主役がキレる。 ヒロインは唐突に降板してしまうし、あ〜あ。
さて、いろいろあったが、時間は刻々と過ぎ、いよいよ土曜の夜。 ホテルには様々な人々がぞろぞろと・・・。
だが、なかなか主役のガスが来ない??????
キャメラも自分で持ち、俳優たちには、この映画に出たきゃ、車の運転もヘアメークも衣装も自分でやれといい、18日間でイッキに撮り終えたという、すでに巨匠の域にあるにもかかわらず、あいかわらず意欲的というか、チャレンジ精神豊かというか・・・・。 ソダーバーグ監督のそういうトコロが好きだ。
衝撃のデビュー作、『セックスと嘘とビデオテープ』のテーマ<一言でいうならココロヲハダカニ>を現代に再び描き直したようにもとれる本作、監督にとっては原点回帰だろう。 タイトルは“フル・フロンタル=すっぽんぽん”(真正面のヌード)。
どよ〜んとしたモノを描きながら、ものすごく映画がフレッシュ。 息吹の伝わってくるいい映画だ。
自然色35mmで「ランデブー」周辺を撮り、リー&カール夫妻、リー&アン姉妹のくだりはデジタルカメラ、色調はオレンジ。 小劇場のくだりはデジタルカメラ、色調はややブルー。かな? こういう小技は、『トラフィック』の応用か。 今、誰を中心に語っているかがとてもわかりやすくて8人、3つのエピソードが独立せずに絡み合う群像劇でも混乱しない。
しかし相変わらず鋭いというかアブナい本音をバリバリ映像に 乗せる。 黒人俳優は拳銃持って走ってるしかスターになる道はなく、 ロマンス映画の主役にはなりえない、というくだりには吹き出した。アメリカの白人男性がブチ切れるからだろ。 ナニの立派(という俗説の)な黒人に白人女性を寝取られたら、 ふにゃち○で有名な(勿論こっちも俗説)白人男性のプライドが!
だからこその、リーとカルヴィンのベッドシーンのあの撮り方なのだろう。爆笑モノである。 ハリウッド内幕暴露ものは数あれど、暴露とは角度の違う、サラリとオシャレに鋭く入れたツっこみ、というカンジである。
入れ子状態のストーリー展開も小気味よく、ニヤニヤ、クスクス 実に楽しい。 ジュリア・ロバーツは、典型的なエラソーなセレブを素なのか? と苦笑してしまう自然さで好演。 カメオ出演のブラピやテレンス、フィンチャー監督も楽しそうだった。ついでに、リー&カールの愛犬役のわんちゃんの演技にも拍手。
しかしなんといっても、キャサリン・キーナー! 「マルコヴィッチの穴」でも「デス・トゥ・スムーチー」でも 「シモーヌ」でもバリバリのキャリアウーマン役だったが、ハマってるハマってる。 ストレスが溜まって限界突破寸前の状態を、キーキー叫ばず 表現できるのはかなりの演技力を要する。 怖かった・・・・・・。
気負わず観られ、ストレートでない変形ひねりハッピーエンドが 面白い。
8人、それぞれの“イロイロな意味での”フル・フロンタル。 ガスのフル・フロンタルは思いっきりそのまんまで、気の毒だけど爆笑。
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