お茶の間 de 映画
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よろしかったら母屋に50音順リストやBBSもありますので、遊びにいらしてくださいな♪

2004年07月27日(火) 「10億分の1の男」運を奪え!スペイン映画界の新星が放つミステリアスドラマ。

10億分の1の男【INTACTO】2001年・スペイン
★第16回ゴヤ賞 最優秀新人監督賞 最優秀新人男優賞
監督:フアン・カルロス・フレスナディージョ 
脚本:フアン・カルロス・フレスナディージョ/アンドレス・M・コッペル 
撮影:シャヴィ・ヒメネス 
編集:ナチョ・ルイス・カピラス 
音楽:ルシオ・ゴドイ 
 
俳優:レオナルド・スバラグリア(飛行機事故の唯一の生き残り、トマス)
  マックス・フォン・シドー(世界一強運な男、ユダヤ人のサミュエル老人)
  ユウセビオ・ポンセラ(サミュエル老人の愛弟子だった男、フェデリコ)
  モニカ・ロペス(強運だが悲運の女刑事、サラ)
  アントニオ・デチェント(世界最強運王の座を狙う元闘牛士、アレハンドロ)

ストーリー用ライン


荒涼たる砂漠のド真ん中、ひっそりと妖しげにカジノのネオンが光る。
経営者はユダヤ人のサミュエル老人。地下2階の特別室に籠もり、
愛弟子のフェデリコ以外にはいつも覆面で接し、顔を見せたことはない。

フェデリコはまだ幼かった頃、大地震でたった1人生き残り、生き埋めになっていたところを、サミュエルに偶然見いだされ、我が子同然に育てられ、中年になった今も独身で、彼に仕えている。
なぜなら、フェデリコには、サミュエルと同じ“才能”があるゆえに、カジノ経営のためになくてはならない存在だからだ。

・・・もちろん、実の息子のように思うサミュエルは、じき引退し、すべての財産をフェデリコに譲るつもりであったが。

今夜もサミュエルの命令で、勝ち続けるカジノの客の手に触れ、運を吸い取ったフェデリコ。

フェデリコは、サミュエルのもとから逃げだしもっと広い世界で
運を試してみたかった。このまま地下で人の運を奪うだけの日々は・・・。

決意をサミュエルに告げると、サミュエルは、恩を忘れて去るフェデリコを固く抱擁し、運を吸い尽くし、砂漠に棄てた・・・・。

それから7年後。
フェデリコは、強運な男を捜して保険会社を隠れ蓑に暗躍していた。

飛行機事故。トマスはたった1人の生存者。さしたる重傷もなく。237名の中で。
強盗して逃亡中だった彼は、警察の監視下、入院生活をおくる。
許された所持品は、恋人と写った写真1枚。

そこへ、保険がおりるとフェデリコがやってくる。
逃がしてやるからゲームに乗れ、と誘うフェデリコ。

怪しげな秘密クラブでの賭博。
参加資格は、「強運であることを証明するもの」
賭けるものは、現金以外のもの、そしてその写真。

トマスに脱走された担当刑事のサラは、捜査、逮捕のために
自らもその危険な賭けに参加することを決意する。
彼女にも「資格」があった。
胸元に痛々しく残る大きな傷口。夫と幼い子供とドライブ中に事故に遭い、自分だけ生き残ってしまったのだ。
保険金受理の書類を証拠に、保険金で買った絵画を賭けて参加するが、そこでは信じがたい光景が・・・!

貧しい人々が、わずかな謝礼と引き替えに、身売りのように運を売っている・・!

強運王を目指す彼らの最終決戦地は、サミュエル老人のカジノ。
だが、賭けるのは金では、もちろん、ない。

最強運を持つにいたったサミュエル老人の過去とは。
悲運の女刑事、サラの運命は。
フェデリコはサミュエルに復讐を果たせるのか。
駒としてフェデリコに選ばれてしまったトマスは、愛のために命を賭けるが・・・。


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コメント用ライン


「運」という目に見えない「高確率で欲しいものを得るという能力」を、視覚的に見せて安っぽくしてしまわずに結果だけでその存在を示す、というのがいい。

『悪魔を憐れむ歌』でも悪霊がCGなんぞで表現するような大人をナメたことをしないところがよかったが、本作もしかり。

ハリウッドがリメイク権を買ったそうだが、「運」をビジュアルで表現するのだけはカンベンしてほしいものだ。

スペイン映画の美意識の高さにはまったく恐れ入る。
確かに荒削りで舌足らずな部分はあるものの、考えようによっては、観客の想像力を最大限に利用した凄い作品ともとれる。
なんでもかんでも丁寧に説明すりゃいいってもんじゃないだろう。

原題の意味は「無傷」。この邦題はなかなかだと思うが、10億分の1の大きさのミクロ人間のSFだと思った人もいるかも。

ビジュアル面で監督のセンスがいいのは、円と長方形の用い方。
0(ゼロ)が多くつくほど運がよい。それは保険金の額であったり、生き残る確率であったり。ルーレット。闘牛場。銃口。
ホテル(HOSTEL)のOだけ消えている。
完全なるものが崩れ行く兆し・・・。

運を崩し死に誘うのはすべて長方形のもの。
高額なチップ。トランプ。札束。保険証書。マジックミラー。窓ガラス。テーブル。虫の入った箱。プール。カーペット。ビニールシート。
そして、ポラロイド写真。

強運、幸運というのは目に見えないだけに、人によって感想も
意見もかなりわかれるストーリーかもしれない。
オススメの本に【『Good Luck グッドラック』
アレックス・ロビラ、フェルナンド・トリアス・デ・ベス(田中志文 訳)ポプラ社】というのがある。
運は世界中の人間に均等に配布されているが、幸運は努力した者だけが掴める、という寓話だ。

この映画は運は強奪する運びなので、比較すると面白いかもしれない。

この映画のミソは、“実はいっちばん強運なのは誰なのか”という
ところ。
監督がこの映画を撮ろうと思ったのはある女性の実体験を聞いてのことらしい。その女性のモデルは、映画に出てくる。
ご覧になった方はおわかりだろう。
映画では気の毒な目にあってしまうが、不幸中の幸い、で済み生き残る人である。



怒濤の展開があるわけではないが、じわじわと神経を圧迫する
スリルは、なかなかのもの。
風変わりなアイディアで、なおかつ芸術的すぎずきちんとオチのある物語をご所望の方に、是非オススメの映画だ。



2004年07月25日(日) 「ピーピー兄弟」放送禁止用語90%の漫才でTVデビューした兄弟だが・・・。

ピーピー兄弟/THE BLEEP BROTHERS2000年・日本(R−15指定)
監督・脚本:藤田芳康
撮影:清家正信
音楽:ZABADAK/大井秀紀/藤田芳康/吉良知彦

俳優:剣太郎セガール(吉田タツオ、イケメンの弟)
  ぜんじろう(吉田イクオ、チビの兄)
  みれいゆ(文江)
  香川照之(天才視聴率ゲッター、有沢ディレクター)
  田中裕子(吉田兄弟の母)
  岸部一徳(吉田兄弟の父)
  小林麻子(有沢つきのAD)
  北川さおり(ストリッパー、絹子)

ストーリー用ライン


大阪、真夏、クソ暑い。
吉田兄弟、のっぽでイケメン&デカマラの弟タツオと、チビでブサイク&短小の兄イクオは、今日も実家の手伝いで汗水たらして遺体運び。

やつらの実家は吉田葬儀店。両親が経営しており、死体が苦手で家出した兄弟は、家賃が滞納すると、実家でバイトしとる。

今日のホトケさんは、吉田家と親しかった母子家庭の、まだ若かった母親だ。喪主の年頃の1人娘、文江は幼い頃に三輪車で転んで以来、片足が不自由だ。母親の借金が彼女に残り、天涯孤独になった
文江は、吉田家の母、豊子のはからいで、住み込みで葬儀社で働くことになった。

さて、吉田兄弟は、日本一の漫才師目指して頑張っているようないないような。場末のストリップ劇場の幕間にスズメの涙のギャラで
出演させてもらってる。

兄イクオは必死だ。ネタ帳を肌身離さず持ち歩き、女のハダカを拝みにきた客のえげつないヤジにもメゲない。
ストリップ劇場に相応しく、チ○ポネタを連発しシモネタギャグばかりで頑張る。
だが弟タツオは、今ひとつやる気が感じられない。
ある日、タツオは苛々が爆発、狂ったようにお○こお○こと唄いだし、でかち○ぽ見せろ、とバカにした客の前に、イチモツをご披露!

あまりの巨根に絶句し、拍手喝采を浴びたのだった・・・。

ストリッパーの絹子は見たこともないようなデカマラにわくわくw
舌なめずりしてヤろうよ〜と迫るが、
何故かひどく嫌がり逃げ出してしまうタツオであった。

さて。こいつらのステージを見てたTVディレクターがいた。
名前は有沢。東京では、視聴率ゲッターとして名を馳せた男だったが、ヤラセがばれて地方に左遷されちまったのだ。
もー、すっかりやる気な〜〜し。
東洋TVの駐車場に止めたバンに住み着いている変人。

有沢は確信する。マンネリの漫才番組で数字を稼ぐには、これくらいの起爆剤をブチこまないと、というわけだ。
形だけのオーディションで合格させられ、いよいよ番組に!

だが、言うまでもなく放送禁止用語が90%を占める兄弟の漫才は、TVという媒体ではほとんどに「ピー音」が入る。
視聴者が目にするのは、2人の動作だけで、声はほとんどがピープピーピーピーピー・・・・・・・・・・・・・。

兄弟の両親も、本人たちも絶句。
TV局に殴り込みをかけ追い払われる2人だったが、実はあのピーピーが視聴者にバカウケ!!有沢の狙いは当たったわけだ。

ピーが多ければ多いほど、視聴率が上がる。
かくして、スターダムにのしあがった兄弟だった。
そろそろ新ネタを、と要求され、女に困らないタツオにナンパさせ、ヤってる一部始終を漫才にしよう、と思いつく兄であった。

兄イクオは、その前向きな生き方と純情さに惚れられ、子供の頃からの憧れだった文江といい仲になり、童貞とサヨナラしたのだった。

一方タツオだが、ついに兄に長年の悩みをうち明ける。
スケベなシモネタなら幾らでも思いつくクセに、ただの耳年増だったのだ。つまり、コッチも童貞クン。20代も半ばにして、ハンサムで、すんごいイチモツも持ってて、ナゼニ????

原因はそのBigすぎるイチモツだという。少年時代の初体験時に、相手の少女に痛いと泣き喚かれ、結局挿れられずに終わった。
それ以来、それがトラウマになっているのだ・・・。

兄は、タツオに気があるストリッパーの絹子なら、どんだけデカくても怪我させる心配はないと入れ知恵。
早速絹子とコトに及ぶタツオを、窓の外から覗き見し、様子をことこまかにメモするイクオ。

自分のナニで女がヨガることはあっても、傷つける心配は無用だとわかったタツオは、オナニー覚え立ての中学生状態。
サカリがついた馬の如く、毎晩女を漁り、ヤリまくる。
イクオはそれをメモしまくる・・・・。

この新ネタは大受け!!フェラのために総入れ歯にしたヤクザの女だとか、SM女王さまだとか、あれやらこれやら・・・。
ピーを入れる回数は減り、普通の漫才に近くなってきた2人。
だが、内容が面白くなってピー音が減ると、視聴率も下がってきてしまった・・・・。なんと皮肉な。

しかも、酔った勢いでタツオは、これらの嘘のようなホントの話がすべてナンパによる実録ポルノだ、とTVでバラしてしまう!
ショックを受けた女性にボコボコにされ半死半生の重症をおうタツオ・・・。

これに傷ついたのは、兄弟の両親や、兄の恋人文江も同じだった。

もう、どうか実録ポルノはやめてくれ、と懇願する文江。
笑わせるのが夢だったのに、今はただ嗤われているだけよ、と
悲しむ。

これで最後だから、あと1人だけひっかけてヤってくれ、と弟に土下座した嵐の夜のことだった。
女を部屋に連れ込んだことを知らせる携帯が鳴った!
暴風雨の中、いつものようにのぞき込むと、弟が抱いていたのは・・・・・・・・・!!!

弟は行方をくらました。
兄は実家の仕事を黙々と手伝う。

が、天寿を全うし亡くなったある中小企業の社長さんの葬儀の席で、突然マイクを握ったイクオは、唖然とする喪服姿の社員たちを前に、ナイスな演説をぶつのだった。
拍手喝采・・・。

その様子を覗いていた文江は、ある決意をする。


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コメント用ライン


TVでは、絶対に、たとえどんな深夜でも放送される可能性はゼロ。映画かビデオ、DVDでしか観られない。

寄付金でどうにかこうにか撮影できたという本作、天才CMメーカー、藤田芳康がサンダンスに持ち込み新人賞を受賞した脚本である。ゆえにこれが初監督作品。

タイトルや予告編を見たときは、安っぽい下品なシモネタコメディかね、と興味対象外だったのだが、ネットサーフィン中に、これが初めて泣いた映画だ、という日記を発見し、え??と思ったのだ。

実は、同じきっかけでビンゴ!だったのが敬愛するD・クローネンバーグ監督の「ザ・フライ」。ただのぐちゃぐちゃ系ホラーだという先入観を持っていたので、敬遠していたのだが、「一番泣ける映画」がこれだという書き込みを見て、チャレンジしたら・・・。

他の方の「つまらなかった 金かえせ」的なコメントは、一切真に受けない主義。そういう映画が面白かった経験が多いからだ。

でも、自分が興味対象外だった映画を、ベタ褒めしているのをみると、(※しかも世間一般の評価は低い、のがミソ)、ムズムズして
たまらんのだ。

で、チャレンジと相成った。
邦画苦手、青春映画苦手。でもチャレンジした。
吉田兄弟、青春っていうトシじゃないが、夢を追ってる人は、何十才でも青春時代なのだ。

こ〜れ〜は〜〜、トンでもない掘り出し物!!

若者を描くときに、「大人」がどれだけいい演技をしているかが
駄作か成功作かの大きな分かれ道になるのだが、とにかく、田中裕子がいい!実に素晴らしい。岸部一徳も、強気な母ちゃんに一歩譲ってアクの強さを意図的にトーンダウンしており、ベストバランス。

生活感タップリ、肝っ玉母ちゃん。ただでさえ、末っ子は可愛いもんだ。しかも男のコで美形、ときたら、もう母親は可愛くてしょうがないのだ。
でも、上の息子だって、「カワイク」ないけど、愛おしい。当然だ。
そのあたりの心境が、ぢつにリアルなんだな。

辛かったことを笑いトバセる人間の強さ。女のタフさ、男の可愛さ。
なんか、とてもいいっすよ・・・・。
オススメです。




2004年07月22日(木) 「炎のランナー」 パリ・オリンピック。ユダヤ人の青年は民族の誇りのために、宣教師は神への忠誠と感謝のために走ろうとした。

炎のランナー【CHARIOTS OF FIRE】1981年・英
★1981年 アカデミー賞 作品賞 脚本賞 作曲賞 衣装デザイン賞
★1981年 カンヌ国際映画祭 助演男優賞 アメリカ批評家賞
★1981年 NY批評家協会賞 撮影賞
★1981年 ゴールデングローブ 外国映画賞
★1981年 英国アカデミー賞 作品賞 助演男優賞 衣装デザイン賞
監督:ヒュー・ハドソン 
原作・脚本:コリン・ウェランド 
撮影:デヴィッド・ワトキン
音楽:ヴァンゲリス 
 
俳優:ベン・クロス(短距離走者、ユダヤ人、ハロルド・エイブラハムズ)
  イアン・チャールソン(短距離走者、宣教師、エリック・リデル)
  イアン・ホルム(エイブラハムズのコーチ、サム・ムサビーニ)
  ニコラス・ファレル(中距離走者、オーブリー・モンタギュー)
  ナイジェル・ヘイヴァース(障害物競走、アンドリュー・リンゼイ卿)
  ダニエル・ジェロール(中距離走者、ヘンリー・ストラード)
  シェリル・キャンベル(エリックの妹、ジェニー)
  アリス・クリージャ(エイブラハムズの恋人、歌手シビル)
  デニス・クリストファー(米国選手、パドック)
  ブラッド・デイヴィス(米国選手、ショルツ)
  ジョン・ギールグッド(トリニティの学寮長)
  リンゼイ・アンダーソン(キースの学寮長)
  ナイジェル・ダヴェンポート(選手団長、バーケンヘッド卿)
  デイヴィッド・イエランド(英国皇太子殿下)
  ピーター・イーガン(オリンピック協会長、サザーランド公爵)
  ナイジェル・ダヴェンポート(英国選手団委員長)


炎のランナー ◆20%OFF!<DVD> [FXBA-1118]


ストーリー用ライン


70年代後半、英国。天寿を全うした老人の葬儀が粛々と執り行われている。老いた友人たちが懐かしそうな表情を浮かべている・・・・。

時代はさかのぼり、1919年。第一次大戦が終戦したばかりの英国。この戦争で英国はあまりにも多くのものと命を失った。

名門ケンブリッジ大学に、ハロルド・エイブラハムズが入学してくる。キース寮で入寮の手続きをしようとすると、誰が聞いてもすぐにユダヤ人だとわかる彼の姓を、受付の門衛が嗤う。

ハロルドは亡命ユダヤ人の二世で、父親はロンドンで金融業を営み、兄は医者、裕福なエリート一家で育ち、門衛ごときに鼻でわらわれる覚えなどない。

ユダヤ民族の誇りを、誰にも汚させてなるものか。有形無形の差別
と好奇の目に耐えながら、陸上部に入部したエイブラハムズは、天賦の俊足を活かし、世界にユダヤ人の実力を知らしめようと心に誓うのだった。

ケンブリッジで、障害物競走のアンドリュー・リンゼイ卿、
400m中距離走者のヘンリー、オーブリーらと友情を育み、
エイブラハムズは英国選手団、ケンブリッジ4人組として、
1924年にパリで開催されるオリンピックに向けて練習に励む日々・・・・。

日々、その俊足が英国にもたらす勝利へ高まる期待と、ユダヤ人が誇り高き英国の代表だということへの世間の複雑な感情・・・。

エイブラハムズは、風当たりが強ければ強いほど、意志も鋼のごとく強くしていった。恋人とも距離を置き、ひたすらに走る。


そのころ、スコットランドでも、オリンピックへ向けて着々と準備が進められていた。
スコットランド陸上の期待の星は、エリック・リデル。
リデルはスコットランド正教会の宣教師の息子で、伝道先の中国でうまれた。
父の跡を継ぎ、中国で伝道すべく、現在は故郷で妹とともに父と教会の手伝いをしている。

神が与えたもうた俊足を活かし、リデルはラグビー選手としても活躍していたが、宣教の道へすすむため、プロにはならなかったのだ。
だが、このオリンピックは、神のために走る、自分に俊足を与えたもうた神への感謝を示すため、世に神を知らしめるため、走ると
決意したのだ。

妹は、宣教そっちのけで野山を走り回り競技に出る兄エリックに
苦言を呈すが、彼の固い決意と信仰はわずかも揺るがず、ついに妹も説得を諦める。

オリンピックを翌年に控えた1923年。
ロンドンでの陸上競技会で、リデルとエイブラハムズは初対戦となった。
僅差で、リデルに敗北するエイブラハムズ・・・・。

絶望のどん底のエイブラハムズは、プロのコーチ、サムを雇い、
起死回生をはかる。サムオリジナルの特訓法で日に日に力をつけてゆくエイブラハムズ。
ここへきて、彼の目標はオリンピックで世界一になることと同時に、リデルに勝つことに固執するようになっていった・・・。

ところが、ケンブリッジ大学側は、この件を快く思わない。
アマチュア精神を第一とするスポーツが紳士を育てる英国で、
金で雇ったプロのコーチ(しかもアラブ系イタリア人!)につくなど、よろしくない、というわけだ。
金で勝つくらいなら、紳士として負けろという。
エイブラハムズは、爆発しそうな怒りを抑え、肉体と精神の限界に挑戦することこそ、スポーツマンの使命だと言い返すのだった。

さて、いよいよ各国選手団がパリに集まり始めた。
ところが、リデルが愕然とする事実が・・・!!
船出する間際の彼に新聞記者が質問した。
「100m予選は日曜日ですが、出場するんですか?」

リデルは苦悩する。
神のために走るつもりで頑張ってきたが、安息日に走るのは、神のご意志に背く。ならば、諦めるほかあるまい・・・・。

英国と開催国フランスは犬猿の仲。
まさか、スコットランド正教の信念のために予選日をずらしてくれないかとは頼めるはずもない。
選手団長も困惑し、英国皇太子から、リデルに英国のために走ってはくれぬかと説得していただく席を設けるのだが・・・・・。


リデルの下した決断は。
そして、エイブラハムズの野望は叶うのか・・・・・。


コメント用ライン


またしても妙な邦題に困惑。
スポ根ものでも青春ドラマでもない。
原題【CHARIOTS OF FIRE】が示す通り、英国の至宝、W・ブレイクの作詞による英国国教会の賛美歌“エルサレム”の詩の一部だ。

後半の、Bring me・・・の繰り返しの部分、
“我に矢を、我に弓を、我に槍を、
雲を裂くのだ、
いざ我に燃ゆる戦車を!
この魂の闘いから一歩も退かぬ、
イングランドの緑豊かな地に聖地エルサレムを築き上げるまで”

いい加減な意訳で申し訳ないが、敬虔な英国人にとってブレイクのこの詩をタイトルに持つ本作が、どれほど敬愛されたか想像に難くない。
(CHARIOTSはピッタリの日本語が今ひとつ・・・・。
鉄のいわゆる戦車ではなく、古代ローマ人が「ベン・ハー」で乗っていたような、立ち乗りする二輪のあれを想像していただけると、
たぶん正しい。


スコットランド正教会、英国正教会、ユダヤ教。
直接的な信仰の対立も対決も描かれないが、主人公の2人は、
英国正教会とカトリック教圏を舞台に、己の信念のために走ろうとするスコットランド正教会宣教師と、己に流れるユダヤの血の強健さと美しさを誇示するために走ろうとするユダヤ教徒。
かなり複雑な背景を持っているのだ。

だが、異なる文化圏の観客も、ヴァンゲリスのあまりにも壮大であまりにも爽やかで眩しいほどに美しいテーマ曲をバックに無心に
砂浜を駆ける青年たちの輝きにみとれ、それぞれの信念に魂を焦がす若き2人と、彼らを見守る友人や家族の愛に心打たれ、素直に
感動できる、非常に懐の深い名作ではないだろうか。


硬い表情で空気の壁を意志で叩き割ってゆくかのような鋭さで走る
エイブラハムズ。走りは試練。
軽やかに飛ぶ鳥のように陽気に満面の笑みで舞うように駆け抜ける
リデル。走りは歓び。

そして、なぜかその華麗さに印象に残る、英国貴族アンドリューの、シャンパンを端の乗せたハードルを鹿のようにあざやかに
飛び越す(しかも自邸の庭で)姿。
最後の1つが・・・・。

隅々にまで英国的美意識とブラックさ(恋人との食事で豚肉が出てきて「あらどうしましょう」など)、英国人気質である頑固さが
滲み出ていて、実に愛すべき作品に仕上がっている。

「WATARIDORI」を観たときに、なぜこうも、帰巣本能の命ずるままに飛び続けるだけの渡り鳥を観ているだけで涙腺が緩むのかと思ったが、この映画でもデジャヴ。
人が無心に、ゴールだけを目指し走っている姿は、なぜこうまで
胸を打つのだろう・・・・。

もうじき、アテネオリンピックが開催される。
誰かのために、何かのために、出場し勝利を掴もうとする時代では
なくなった。
自分のために、愛するものに勝利を捧げるために、挑む。
だが、ナショナエリズムを危険なものとして表面上、あれほど普段否定しながら、オリンピックとなると過熱する、「国にいくつメダルを持ち帰れるか」報道合戦。

この映画の時代は、オリンピックは堂々と国と国との権威争い。
出場者も、国のため、君主のため、神のため、民族のため、
大義のために、と明言して走るが、その実、逆に「どうしても、そうしなければ気がすまないからそうする」という、実に個人の欲望、野望に忠実なのである。

オリンピックが近い今、この名作を今一度、ご覧になってはいかがだろう。



2004年07月21日(水) 「息子のまなざし」 カメラも感情表現に用いる手法、主張は理解できるがかなり酔う。互いに空白の5年を持つ男と少年の過去と未来は。

息子のまなざし【LE FILS】2002年・ベルギー=仏
★2003年カンヌ国際映画祭 主演男優賞
監督・脚本:ジャン=ピエール・ダルデンヌ/リュック・ダルデンヌ 
撮影:アラン・マルクーン
 
俳優:オリヴィエ・グルメ(木工クラスの教師、オリヴィエ)
  モルガン・マリンヌ(新入りの生徒、フランシス)
  イザベラ・スパール(オリヴィエの元妻、マガリ)
  ナッシム・ハッサイーニ(弟子、オマール)
  クヴァン・ルロワ(弟子、ラウル)
  レミー・ルノー(弟子、フィリポ)
  アネット・クロッセ(職業訓練所所長)
  ファビアン・マルネット(溶接クラスの教師、リノ)
  ジミー・ドゥルーフ(弟子、ダニー)
  アンヌ・ジェラール(ダニーの母)

ストーリー用ライン


オリヴィエは職業訓練所の木工クラスの担当教師だ。
現在、生徒は定員の4人。みな10代の若者。
新しく入所を希望する子が来たらしい。

所長によるとその子は木工クラスを希望しているらしい。
少年の書類に目を落とし、凍り付くオリヴィエ。
もう定員だから無理だ、溶接クラスにまわせ、と一度は言うものの、オリヴィエは挙動不審になり、仕事も手につかない様子で、落ち着きなく、所内中、こっそり少年を覗き見、つけまわす・・・。

帰宅すると、別れた妻マガリが前触れもなくやってきた。
再婚すること、すでに赤ん坊を宿していることを前夫に報告に
来たのだった。
オリヴィエは、異様なまでにしつこくマガリに、“何故、今日来た?”と訪ねる。執拗さに戸惑いながらも、勤め先の定休日だからだと答え、マガリは去った。

重い材木を持つこの仕事は背中や腰を痛める。
オリヴィエは、帰宅すると皮の頑丈なコルセットを外し、
腹筋を6回×2セットする。それが日課だ。

翌日、ためらいがちにオリヴィエは、所長に例の新入りを木工で預かる、と言う。溶接に向かないらしく、許可をもらったオリヴィエは、溶接のリノから、少年フランシスを預かりうけるのだった・・・。

ふてているのか眠いのか、ロッカールームで眠りこける少年をしばし観察すると起こし、作業着を与え、基礎の基礎、折り畳み定規の
扱い方から教え始めるオリヴィエ。
その日、帰宅するフランシスをつけ、自宅のアパートを確かめるのだった。

オリヴィエは少年の名を呼ばない。他の4人とは違い、ぶっきらぼうに“お前”で誤魔化す。
だがフランシスから目は離さない。

翌朝。生徒の1人、ダニーが無断欠勤した。アル中の母親がダニーに店を手伝わせようと引き留めるのだ。いつものことだが、
手に職をつけようと頑張ってきたダニーを見捨てたくない。

説得に向かうために教室を出ると、まだ錠前を買っていないフランシスのロッカーから自宅の鍵を盗み、ダニーに逢ったあと、
こっそりフランシスの部屋に忍び込むオリヴィエ・・・・。

がらんとした殺風景な部屋。簡易ベッドのそばにラジカセとタバコ。ベッドに横たわってみるオリヴィエ・・・・。

いったい何を考え、なぜフランシスに執着するのか。

その夜、ホットドッグを買い外で立ち食いしていると、フランシスがやってきて並んで食べ始めた。
ビクつくオリヴィエ。
初めて逢った瞬間に、身長を(作業着のサイズを確認するため)
ピタリと言い当てたのは何故か、と訊いてくる。
仕事柄だ、とぶっきらぼうに答える。

少年は折り畳み定規で、自分の立っているところからオリヴィエの
靴の先までの距離を当ててみてとせがむ。
1センチの差もなく言い当てたオリヴィエに尊敬の眼差しを注ぐ
フランシス・・・・。

こうして、次第にオリヴィエになついてくるフランシス。
だが、オリヴィエは複雑な様子で表情は硬い。

なぜか。

実はこのフランシスという少年は、
(ネタバレですので読みたい方だけ反転してください)↓

オリヴィエとマガリの、まだ幼かった1人息子を殺し、5年間、
少年院にいたのだった。
更正のために保護司の監察下、出所し職業訓練所に入所したのだった。無論、オリヴィエもマガリも、少年の名前は知っていても、
顔は知らなかった。フランシスもまた、オリヴィエのことを知らない・・・・。

冒頭で、フランシスの経歴書を見て愕然としたのはそのためだった。
マガリには嘘をついた。
出所したらしいが、うちのクラスには入れないから、と。
殺気立つマガリ・・・。




オリヴィエは、週末にすることがないというフランシスに、
弟の経営する製材所へ材木をとりにゆき、木材の種類の勉強をしなかと誘う・・・・・。


息子のまなざし ◆20%OFF!<DVD> [TBD-1094]


コメント用ライン


どうしてこう、解釈を入れた邦題をつけてしまうのか。
原題は「息子(ル フィス)」。「息子のまなざし」は、邦題決定者の解釈の押しつけだ。

予め明記しておくが、手持ちカメラによる撮影、しかも意図的に
激しくカメラを揺する。
『ブレアウィッチ』やドグマ95の作品群、『アレックス』あたりで酔った方は、絶対におすすめしない。
揺れ幅と圧迫感は、はるかにブレアウィッチを超える。

また、ダルデンヌ兄弟の映画の特徴として、凄い傑作だと思うが『ロゼッタ』でも『イゴールの約束』でもそうであったように、エンドクレジットまで含め、一切BGMが入らず、長まわしを多用するので、娯楽性に乏しく、いわゆる“楽しめる、面白い”類の作品ではない。

すでにカンヌノミネートの常連となり巨匠の呼び声も高いダルデンヌ兄弟だが、突然の幕切れ、無音のクレジットなど、ハネケ監督の『ピアニスト』(これもカンヌでパルムドール)のときに味わった、放り出された感覚が、今までの作品より本作はさらに強い。

だが、ダルデンヌ兄弟のとことんストイックな姿勢、映画という媒体でなければ表現不可能な結末は、映画史上に残るだろう。

明らかに、そこで誰かがカメラを構えている、と意識させるカメラワークには当然意図がある。カメラマンの息づかいが聞こえそうな距離だ。
面白い。
オリヴィエの目線よりもやや後ろか真横から、常にオリヴィエの
後頭部や肩、横顔をドアップで写す。
真正面からオリヴィエを捉えても、決してオリヴィエは“カメラを見ない”。

これは、まるでとことん主観を排し、第三者がドキュメンタリー風にオリヴィエの“言動”のみを舐めるように追いかけ回した客観的な作りのようでありながら、違う。
カメラがオリヴィエの感情を実にエモーショナルに表現しているのだ。
オリヴィエは、怒鳴りも泣きもしない。終始こわばった表情で無口だ。カメラがオリヴィエの心の揺れを、そのまま表現する、という
凝った表現方法になっている。

その「視点」を、「息子のもの」だとし、「息子のまなざし」と解釈するのも当然、1つの見方だ。だが、タイトルにしてしまうのはいかんだろう。

映画が始まると、やたらと挙動不審な中年男がそわそわビクビク、誰かを覗き見し走り回っていることに観客は困惑するだろう。
そして、いつ、その“息子”が登場するのかと待ち続けることになる。

映画の中盤にきて、やっとオリヴィエの混乱の理由と、息子が何処にいるのかを、観客は知らされる。
今回、やられた、と思ったのは、最も重要な一言が2回あるのだが、2回とも、前触れなく、唐突に人物の口からこぼれ落ちる。

「実はだな・・・・」だの「だって、だって・・・」のような
、前置きをくれない。沈黙の1秒後には壮絶な事実と一言。

演劇性の排除。ダルデンヌ兄弟はいつもそうだが、今まで以上に、
「観客に状況をお知らせする」姿勢がゼロ。
そこが好きなんだが。

ところで、主演男優賞を受賞したのも頷けるオリヴィエ・グルメ、
とても好きな俳優だ。ダルデンヌ兄弟の作品の常連で、『イゴールの約束』『ロゼッタ』と出演している。
他にも、障害者の性欲について描いた注目作、『ナショナル7』でも気炎万丈だったし、最近では、正当派フィルム・ノワールの『リード・マイ・リップス』でもふてぶてしい小悪党を好演している。

5年間の空白は、オリヴィエにもフランシスにも埋められない。
オリヴィエは人生の“意味”を喪失し、フランシスは10代の半分の“時間”を失った。

もう、憎悪の言葉でも、謝罪の言葉でも、それは埋まらない。
そして、もっと辛いことに、傷つけあう行動でも、それは埋まらない。埋まればどんなにかラクだろう。

やや近い苦悩を抱えた人物を描いた『イン・ザ・ベッドルーム』の老夫婦は、未来がもう残されていない故に、長年生きてきて、その行為によって喪失したものが取り戻せるわけではないことは100も承知でも、そうせざるを得なかった。

だが、睡眠薬がなければ眠れない16才の少年も、誰にも必要とされず誰も必要としなくなってしまった中年男も、喪失の埋め合わせだけに生きるには、若すぎる・・・・。

赦し?許容?愛??いや、恐らくそんなハッピーな甘ったるいものじゃない。
当然、身代わりでもない。

1つの事件を通じて違うものを喪失した2人の人間が、手を握りあうことはないまま、目をそらさず、互いを見つめながら生きてゆくのだ。



2004年07月19日(月) 「悪魔を憐れむ歌」 悪霊が次々に憑依しながら善人な警部を弄び追いつめてゆく。薄気味の悪さと救いのなさは満点のオカルトホラー。

悪魔を憐れむ歌【FALLEN(堕天使)】1997年・米
監督:グレゴリー・ホブリット 
脚本:ニコラス・カザン 
撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
音楽:タン・ドゥン 
主題歌:「Sympathy for the Devil」
挿入歌:「Time Is On My Side」
タイトルデザイン:カイル・クーパー 
 
俳優:デンゼル・ワシントン(ホブス警部)
  ジョン・グッドマン(ホブスの相棒、ジョーンジー)
  ドナルド・サザーランド(警部補)
  エンベス・デイヴィッツ(神学者、グレタ・ミラノ)
  ジェームズ・ガンドルフィーニ(ホブスの同僚、ルー)
  イライアス・コティーズ(死刑囚、リース)
  ガブリエル・カソーズ(ホブズの弟、アート)
  マイケル・J・ペイガン(アートの息子、サム)

ストーリー用ライン


雪に埋もれた古びた山荘の近くを、ホブス警部が息も絶え絶えに
のたうちまわっている・・・・・・。

時は少し前に戻る。
今日は凶悪犯リースの処刑の日だ。リースの要求に従い、彼を逮捕したホブス警部が呼ばれた。
“Time is on my side”を歌い、握手を要求するリース。執拗にホブスの手を握るが、何か思惑が外れたようだ。リースは妖しげな呪文を唱え、「また逢おう」と不敵に笑い処刑された・・・。

リースから“何か”が抜け出る。姿形はない。
彷徨い、まず死刑執行の看守に憑依。看守が接触する人々に次々と“何か”が順番に憑依してゆく。そしてサンドイッチ売りの青年チャーリーを宿主と決めたもよう・・・。

チャーリーはリースとまったく同じ手口で赤の他人を殺害。
毒殺され、遺体の胸には18と書かれていた・・・。

この事件に、模倣犯か、はたまたリースに共犯がいたのか、と
警察は騒然となる。
犠牲者のアパートの壁に、リースが言い残したなぞなぞが書いてあった・・・!! 

だが、捜査が進まぬうちに、またしても同様の手口の殺人事件。
今度の犠牲者は、チャーリーだった。見知らぬ男に毒殺され、
胸に2、と書かれていた。

やがて、リースの遺したなぞなぞの答がわかる。
敏腕警部だったが、殺人事件の容疑者にされ山奥で不可解な死を遂げたミラノ警部のことを意味するようだ。

ホブスは警部補にミラノ警部のことを尋ねるが、頑なに口を閉ざす。ミラノ警部の1人娘で神学者のグレタを尋ねるが、彼女もまた、頑なに口を閉ざす・・・・・。

ホブスは1人でミラノ警部の亡くなった山荘を訪ねる。
地下室の壁に、AZAZEL と書かれ、塗りつぶしてあった・・・。

グレタにアザゼルとは何かと問うと、堕天使のなれの果てで、接触することで憑依し続けてゆく荒野の悪霊のことだという。

信心深くもなく、目に見える証拠を集めて捜査する警官という職業のホブスは、悪霊なぞ、にわかにはとても信じがたい。

だが、悪霊の存在を信じざるを得ない出来事に遭遇する。
悪霊はホブスを執拗に弄び、破滅させるつもりだ・・・!

手で触れても憑依できないほどに善良なホブスに憑依し陥れるべく、アザゼルはホブスの苦悩を悦しみながら距離を縮めてゆく・・・。

アザゼルは、ミラノ警部のときのようにホブスを凶悪犯に仕立て上げ、彼の家族に魔の手を伸ばしてきた。

アザゼルの唯一の弱点をグレタの協力のもと黙示録で調べ、
決戦の覚悟を決めるホブス。

自分に憑依されたら、自殺も叶わず、逮捕されるまで殺人をし続けるだろう。そしてリースのように、死刑になり死体から抜けたアザゼルがまた誰かに憑依して・・・!
なんとしてもアザゼルのもくろみを阻止せねばならない。

殺人犯として警察に追われながら、ホブスはアザゼルを誘き出そうと作戦を練るが・・・・・・。

悪魔を憐れむ歌 (DVD)

コメント用ライン


悪霊に実体を与えない手法が恐怖心をあおる。
想像力のある人ほど、後から考えれば考えるほど怖くなるタイプの
ホラー。
視覚的な恐怖が描かれないぶん、澱のようにドロリと底にたまる
不気味さがいい。

バトンリレーのように(増殖ではなく)、数秒ずつ悪霊が憑依しながら移動するシーンはかなりゾっとする。

アザゼルの目的は1つ。
物語中盤で、“善良さをかくせ。善良な行いは悪魔を呼び寄せる”
と聖書にあるのをホブスは読みながらも、「警官は選ばれし善なる存在」と信念を持つ彼は、浮浪者に小銭を恵む。
妻に出てゆかれても、病気がちで仕事に就けない弟親子を居候させてやり、手厚く面倒をみる。
決して賄賂を受け取らない。

その善良さはかつてミラノ警部の持っていたそれと同じで、
悪魔の征服欲をかき立て燃え立たせるのだ。

憑依の意図があれば、服に触れただけでものりうつれるほど、
市井の人々は“弱い”。真面目な高校教師であっても。
ホブスは汗でベトつきそうなまでに手を握っても憑依できなかった。
アザゼルは堕とされたこの地上で、人間の善を滅ぼすべく、美を醜に変えるべく姑息に活動している。
人間全体をターゲットとするルシファーとはレベルが違うアザゼルを選び、目をつけた1人の人間に固執して破滅させようとするあたり、脚本のアイディア勝ちか。

悪魔VS人類、とまで風呂敷を広げてしまうと他人事になりがちなのだが、執拗な悪霊VS少なくとも愛する者だけは守り抜きたい善良な1人の男、となると、輪郭がボヤけない。

作品の規模が小さくなるデメリットとひきかえに、濃厚なエキスを注ぎ込むことに成功している。
小粒でウマいってことだ。


そして、俳優の演技に相当依存するこの脚本を支えるのは、
手堅い演出と、俳優陣の絶妙な演技力。

濃厚なキャラがひしめく中、デンゼル・ワシントンはいつになく
肩の力の抜けた演技が印象的。ガンバって善人ぶってるのではなく、根っからの善人(なおさらアザレルが興奮しそうな要素)なので、この演技は正解である。

そして、濃厚な面々。
ドナルド・サザーランド、このヒトはほんっとに読めない。
登場からいきなり一番キナくさいんだが・・・。
だが、怪優ドナルドの名前を忘れてただ普通に見れば、非常に常識的な、よくいる警部補。保身に走るズルさと、部下を思うよい上官の面があってこそ、生き馬の目を抜く犯罪大国で警部補やってられるんだろう、というリアリティがある。

ジョン・グッドマン、大好きな俳優だ。
ホブスから、善良さを一割と、有能さと精悍さを引いたような
“仲間思いで仕事熱心で、とてもいいひと”ジョーンジー。
彼も、特にコーエン兄弟の映画でアブない役をこなしてきているので、最後までハラハラさせてくれた。
あのシーンを見て、コーエン兄弟の怪作『バートン・フィンク』を
思い出した人は私だけではあるまい。

エンドロールで流れるストーンズの“悪魔を憐れむ歌”は、
凹んでいてあまり耳に入らず(※悪魔ものは救いがあってはつまらないので、これでいいのだが、やはり凹む)、アザゼルのテーマ曲、“Time Is On My Side”が耳にこびりつく。

救いのない悪魔との対決を描いた傑作の例
『ディアボロス〜悪魔の扉〜』
『ダークネス』

二元論の西欧文化(キリスト教)。
悪魔が“滅んで”しまうと、自動的に神の存在もあやうくなる。
悪魔がいて、神がいる。
神がいて、悪魔がいる。

日本の幽霊退治や悪霊祓いの感覚だと、納得ゆかないかもしれないが、多元論の日本文化とは根本的に違うことを念頭において、
精一杯の抵抗を、せめて自分の愛するものだけでも守りたい、と
すべてを賭して挑む人間たちのドラマは、結末に救いがないと
予想がついても、観ずにはいられない・・・。



2004年07月17日(土) 「ケン パーク」 ラリー・クラーク監督、ついにここまでヤったか。その度胸と不屈の挑戦魂に拍手。日本以外ほとんど上映禁止。

KEN PARK ケン パーク【KEN PARK】2002年アメリカ=オランダ=フランス《18禁》
監督:ラリー・クラーク/エド・ラックマン
脚本:ハーモニー・コリン 
撮影:エド・ラックマン/ラリー・クラーク 
 
俳優:ジェームズ・ランソン(テート)
  ティファニー・リモス(ピーチーズ)
  スティーヴン・ジャッソ(クロード)
  ジェームズ・ビュラード(ショーン)
 アダム・チューバック(ケン・パーク)
  ウェイド・アンドリュー・ウィルアムズ(クロードの父)
  アマンダ・プラマー(クロードの母)
  ハリソン・ヤング(テートの祖父)
  パトリシア・プレイス(テートの祖母)
  メーヴ・クインラン(ショーンのGFのママ、ロンダ)
  ジュリオ・オスカー・メチョソ(ピーチーズの父)
  マイク・アパレテグイ(ピーチーズの彼氏、カーティス)

ストーリー用ライン


カリフォルニア州ロサンジェルス郊外、ヴァイセリア。

スケボーで軽快に滑りながらも精気のない表情の少年、小さな子たちが遊ぶ児童公園の滑り台のてっぺんで、拳銃で自殺した。
彼の名はケン・パーク・・・・・・。

ショーンは今日もガッコさぼってGFの家へ。もち彼女は今学校だ。家には幼い末っ子がすっぽんぽんにしたお人形で遊び、この家の主婦、ロンダは洗濯物をたたんでいる。
ナニしに来たかというと、ナニしにきたのだ。
ロンダに丁寧にクンニしながらショーンは思う。
味もニオイも母娘で一緒だな、と。

テートはヒッキー。
めったに自室から出ない。パソコンとTVと車型のコドモっぽいベッドでいっぱいの部屋に三本足の飼い犬と籠もり、あれこれ世話をやいてくれる祖父母をなじり、殺意すら。
TVに映る、試合中のテニスプレイヤーを眺めながら、気絶寸前まで首を絞めつつマスターベーションする・・・・。


クロードもブラブラしてる。
マッチョマンの父親は失業中でひねもす筋トレをし、ビールをあおっている。だらしなくパンツ見せスタイルでスケボーなんぞしてる華奢な息子をみるとムカつく。
ブチ切れてスケボーを踏み割ってしまった。
ゴツい夫と違い自分に似ているクロードを溺愛する母親は臨月だ。夫にも息子にも何も言わず無関心。
まさかこのマッチョな父が、息子におぞましい欲望をおぼえムラムラしていたとは・・・・。


ピーチーズは年のわりに色っぽいユダヤ人の少女だ。
褐色の肌に黒い髪がエキゾチックでそそる。
亡くなった母に年々似てくる。
病的に信仰心の強い父親の前では、かりてきた猫のように
可憐で清楚な娘を演じているが、ボーイフレンドと自室でナニしてるかというと、彼をベッドに縛り、フェラに夢中。

パパに見つかっちゃった!怒り、なじり・・・そこまではどの親も
当然するだろう。

激しい折檻のあと、ピーチーズの父がとった行動は!?
亡き妻の婚礼衣装を引っ張り出してくると・・・・・。

ケン・パーク?そばかすだらけの気弱そうな子だよ。
そんな強烈な人生おくってる仲間内じゃ、いちばんフツーの少年。
誰かさんみたいにパパにフェラされたりもしてないしね。
ガールフレンドのことなんて、悩みのうちに入らないのかもしれないけど、ケン・パークは死にたくなっちゃったのさ・・・。


ケン・パーク スペシャル・エディション ◆20%OFF!<DVD> [BBBF-3905]


コメント用ライン


ラリー×ハーモニー、またヤっちゃいました。
けっこうな高齢なのに相変わらずイキがいい。
イっちゃってます。

アメリカ映画独特のジャンル、“郊外モノ”(『アメリカン・ビューティー』『アイス・ストーム』『ヴァージン・スーサイズ』
『ストーカー』etc)の典型でありながら、とことんまで極めてしまっている。

オソロシイのは、これらのエピソード、監督の知人、友人の実話も含め、アメリカで実際にあった崩壊家族のエピソードがベースになっているという。
病んでいるとかそんなカワイイ表現じゃ足りんわい。

音もリアルなフェラ、クンニ、手マン、3P、フェチ、オナニー、近親相姦未遂、親子どんぶり・・・・・・・。でも官能は、はっきりいって、ない。
コドモが暇つぶしや気を紛らわすためにする砂いじりレヴェルの
イタズラに見えるんだな。
少年たちが“する”場合のセックスはね。

されちゃうほうは、ちと身の毛がよだつんだが。

日本でしか公開されなかった理由(その後、フランスでは公開されたもよう)は、明快。
日本じゃあり得ないからさ。
欧米じゃ、“あり得そうなリアルさ”がヤバすぎて公開できないに違いない。

性根腐ったコドモは悪い親と社会の犠牲者にして同時に加害者。
メビウスの輪のようにこの連鎖は続き、鶏か卵か・・・・。

コドモとオトナの違いは何なのさ、っていったら、社会的に生産的な活動を行っているかどうかってのも1つの基準だけど、
失業して職探しもせずダンベルで遊んでる男は、ガッコさぼってピストン運動してるコドモとどう違うのか。

特殊な町の特殊な人々のヘンテコな日常を面白オカシク描いた
だけじゃない。
これが、ありえねーからポルノっぽい青春映画として上映できてしまう日本は平和すぎて危機感に欠けるのか、あるいはその危機に気づかないほど、もう中産階級のぬるま湯の落とし穴に国全体がズボっとはまってしまっているのか・・・・・。

食うのに精一杯じゃなくなった人間が次にナニするかっつったら、
退屈を埋めるためにナニしちゃって、ナニしすぎちゃうとどうなるか。
衣食住足りて礼節を知る、ということわざがあるが、
そうありたいね。

衣食住足りて、孤独を知る現代人へ・・・・。



2004年07月16日(金) 「ほえる犬は噛まない」 愛犬家は見ちゃだめ。自国マンセー韓国がついに自虐ネタで笑わせる映画を!ブラックでシュール。

ほえる犬は噛まない【ハングルは出力できず、意味は“フランダースの犬”英題はBARKING DOGS NEVER BITE】2000年・韓国
監督:ポン・ジュノ 
脚本:ポン・ジュノ/ソン・テウン/ソン・ジホ
撮影:チョ・ヨンギュ
音楽:チョ・ソンウ
 
俳優:ぺ・ドゥナ(団地の経理事務員、さぼり魔ヒョンナム)
  イ・ソンジェ(大学非常勤講師、女房のヒモ、ユンジュ)
  コ・スヒ(売店の店番、ヒョンナムの悪友チェンミ)
  キム・ホジョン(ユンジュの姉さん女房、ウンシル)
  キム・ジング(吠える犬の飼い主、唾吐き婆ァ)
  ピョン・ヒボン(警備員のおっさん)
キム・ルェハ(浮浪者)

ストーリー用ライン


大学非常勤講師というと聞こえがいいが、要するに限りなく無職に近いヒジョーにヒマな三十路男、ユンジュ。
時間は有り余ってるが、金銭的にも精神的にもイッパイイッパイで余裕がない。

世渡り上手な同期の連中はどんどん出世して教授になってるというのに、世渡り下手で女房にすらアタマが上がらない気弱なユンジュにはどうすることもできない。
今も、電話で先輩に叱咤激励されているところ。

宝くじにでも当たらにゃ到底無理な大金を学部長に差し入れねば
教授には絶対なれない。可能性は0%だそうな。

ユンジュの苛々を募らせるのは、ペット禁止の団地内に朝となく夜となく響き渡る、小型犬のキャンキャンやかましい鳴き声。

僅かに開いていたドアの隙間から外に出ようとしていたマルチーズにバッタリ出くわしたユンジュは、あれこれと殺害を試みるが、
イマイチふんぎりがつかず、とりあえず地下の粗大ゴミ置き場にあったタンスに監禁してしまい、そのまま忘れてしまうのだった・・・。

団地の事務所。経理兼雑用のヒョンナムが雨の中うんざりした顔で
出勤。やる気ナッシングの彼女は仕事はダラダラ、しょっちゅう事務所を抜けだしては、売店でゴロゴロしている悪友のチェンミとだべりんぐ。
そんな彼女にも夢はある。悪いやつにパンチを食らわせとっつかまえ、表彰してもらってTVに出るのだ!かっちょいい自分を
イメージしてニタつくヒョンナムちゃんであった・・・。

黄色い雨合羽を着た小学一年生の少女が、可愛がっていたマルチーズがいなくなったと尋ね犬の張り紙を懸命にどしゃぶりの中、団地じゅうに貼っている。
ヒョンナムは掲示物許可のハンコをポンポン押してやりながら、
少女の哀しみに胸を痛める。
ポスターの一番下には、特徴:「声帯手術をしているので吠えません」とあった。

さて、このポスターを見てビビったのがユンジュ。
吠えない=犬違い!!!
まだ生きてるか!?もう二日は経ってる。焦ってつっかえ棒をはずしタンスを開けたが、マルチーズがいない。

そこへ警備員のおっさん登場。ネギと鍋もってご機嫌だ。
咄嗟に隠れるユンジュが見たのは、マルチーズの遺体をわくわくしながらまな板にのっけて包丁を研ぐおっさんの姿だった!

せっかく隠れているのに、身重の女房から携帯に電話が!
すこぶる機嫌の悪い女房はとっとと帰ってこい、と電話の向こうで
声を荒げている。
音に驚き、血まみれの包丁を手におっさんが近づいてきた。

さて、この物語、どこへどう転がるか???

相変わらずどこぞの小犬は吠え続け、女房はウニより刺々しく、金の工面はできない、ブチ切れたユンジュはついにやっちゃいかんことをやってしまう。

さて、後ろめたくはあるが、うるさいのが消えたぜ、
と思う間もなく、なんと、女房がプードルを買ってきた〜〜!!!

また犬かよ il||li _| ̄|○ il||l

どうせ仕事もないですから、妻の命令で昼間っからプードルの“スンジャ”ちゃんをお散歩させていると、足元にスピードくじが。
淡い期待を胸に削っていると、
女房の愛犬が消えた〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!

こ・・殺されるっ!必死に探すも夜になっても見つからない。
当然嫁さん、怒髪天を突く勢いで怒る。

だが、嫁さんの苛々の原因は?(妊娠後期のしんどさと、バカで役立たずの亭主以外で)

女房の真意を知ったユンジュは、シッポを巻いて徹夜でどしゃぶりの中チラシを貼りまくる。
ヒョンナムも、三匹も団地内で小犬失踪(殺害)事件が続けば、もう持ち前の正義感が煮えたぎって、デスクでちまちま計算なんかしてる場合じゃないっ!

ぜったい、あたしが見つけてあげる、悪党から守ってあげる!
その悪党が誰かなんてヒョンナムは知りっこない・・・。
必死でチラシを貼るユンジュにいたく同情し、手伝うヒョンナムであった。

さてさて、女房の愛犬の安否や如何に? もう警備員のおっさんに
美味しくいただかれちゃったか????
もしそうだったら絶対に教授にはなれないのだ。
女房の愛犬≒賄賂≒教授の椅子だから〜!

そして、ヒョンナムは、悪党をやっつけて正義のヒロインとして
TVに出られるのかな???

ところが事態は予想もしなかった方向へ・・・・・・・!


ほえる犬は噛まない ◆20%OFF!<DVD> [THD-12671]


コメント用ライン


大丈夫。映画の冒頭にテロップが流れ、あのワンちゃんたちが
現在も無事に生存していることをご丁寧に説明してくれている。
ってか、予めテロップ流した、ああ、犬が惨殺されるのね、と
覚悟を決めさせる意味もあるのか?
普通は最後に流れる類のテロップだが。

韓国も中国も、犬を食う伝統文化がある。
日本人が鯨を美味しく頂いてきたのと同じで、とやかく言う資格は、その件についてはない。

が、高価な、しかも愛玩犬を盗んであれしたりこれしたりしてはいけませんな。

韓国は昔っから自国を果てしなく賛美するお国柄である。
謙虚を通り越して自国を卑下しすぎの日本人もとても問題だが、責任転嫁としつこさと大袈裟さは韓国人のお家芸。

そ〜んな韓国が、なんとここまで自国民のダメな部分を誇張して
笑いトバした元気のいい映画を作ったってとこがまずすごい。
新人監督ならではのイキのよさ。

ルールを守らないのが韓国人だと役者に言わせ、欧米人が嫌悪するのを承知で愛玩犬を惨殺。社会保障がなってない故の物乞いの姿、
収賄贈賄がまかり通るエリート社会をイヤらしく描写してみせ、
唾をどこでも吐き、やたらと舌打ちをする人物を登場させる。
団地の通路は皆が我が者顔にモノを置くから通れない・・・。
一ヶ月も経たないうちに新しい犬を買ってもらう少女は急速な
大量消費社会への仲間入りを皮肉るかのよう。欠陥住宅の量産もね。

それにしても、笑いのセンスが絶妙。
予想を大きくではなく、3.5cmくらい裏切るんだな。

最高だったのは、やっぱり婆さんの「遺言」だろう。
1日経ってもまだ思い出し笑いができる。
ちゃんと伏線があるからお見事。

黄色は善、赤は邪悪さ。パキっとした色遣いが気持ちいい。
音楽も、あろうことか、“フランダースの犬”のさまざまなアレンジバージョンが軽快に流れるのには爆笑した。

かなり毒々しい連中ばっかり出てくる中、ぺ・ドゥナはふくれっつらすら可愛らしく、映画のトーンを明るく彩っている。
仕事はデキないし不真面目でしょうのない小娘だが、ヒョンナムは根が優しくていい子だ。
親友の巨漢のチェンミも、悪態をつきつつも友達想いのトコを
ちらっとのぞかせて、いい味出してる。

夫婦喧嘩は犬も食わないというが、ほんとに食えなさそうな
くっだらない喧嘩、なかなか面白かった。
この映画を観て以来、夫に“珈琲いれてくださる?”とお願いすると、“クルミ100個割らなくていーい?”とジョークをトバす・・・。

ところで、“ボイラー・キムさん”の怪談のところ、ジム・ジャームッシュ監督の『ダウン・バイ・ロー』でロベルト・ベニーニが
ウサギを料理しながらお母さんのことをベラベラ延々と独り言するシーンに似ていて、ニヤニヤ・・・・♪
イーン。エーン。妙に好きなシーンだったりする。

ボイラー回ってるイーン。





2004年07月15日(木) 「人生は、時々晴れ」 とことん丹念で緻密な人間描写に唸る。人生って、完成しないクロスワードを解いてゆくようなものかも。

人生は、時々晴れ【ALL OR NOTHING】2002年英=仏
★2003年ロンドン批評家協会賞 主演女優賞 作品賞
監督・脚本:マイク・リー 
撮影:ディック・ポープ 
編集:レスリー・ウォーカー
音楽:アンドリュー・ディクソン
 
俳優:ティモシー・スポール(タクシー運転手、フィル)
  レスリー・マンヴィル(スーパー店員、フィルの内縁の妻、ペニー)
  アリソン・ガーランド(フィルの娘、老人ホーム清掃員、レイチェル)
  ジェームズ・コーデン(フィルの息子、無職、ローリー)
  ルース・シーン(ペニーの同僚、シングルマザー、モーリーン)
  ヘレン・コーカー(モーリーンの娘、カフェ店員、ドナ)
  ポール・ジェッソン(フィルの同僚、ロン)
  マリオン・ベイリー(ロンの妻、アル中のキャロル)
  サリー・ホーキンス(ロンの娘、無職、サマンサ)
  ダニエル・メイズ(ドナの彼氏、ジェイソン)
  ベン・クロンプトン(サマンサをストーキングする青年、クレイグ)
  キャサリン・ハンター(フランス人の女性客)

ストーリー用ライン



サウス・ロンドン。中流家庭の集合住宅に住む、互いに親しい3つの家族の物語・・・・。

物語の核になるのは、タクシー運転手のフィルの家庭だ。
籍を入れていないが“妻”のペニーは働き者。
スーパーで朝から夕方まで働き、家事を丁寧にこなすが、
精気のない表情。困った亭主と息子にうんざりしている。

娘のレイチェルはややふくよかすぎる容姿にコンプレックスがあるのか、無口で笑顔も見せないが、老人ホームで誠実に清掃の仕事を
こなす、母親似の働き者。同僚の初老の清掃員がしつこくて、少々
滅入っている。
家でも家族に心を閉ざし、自室で読書にふける・・・。

息子(レイチェルの弟)のローリーは、母親の料理をマズいとけなしながらガツガツ食い、1日中、あの巨体で家でゴロゴロしているプー太郎。両親に悪態をつき、手に負えないが、家族の誰も
叱れない・・・。

一家の大黒柱のフィルはというと、勤勉からはほど遠い・・・。
ギャンブルにも女にも無縁で酒もたしなむ程度で出費もないが、
朝は寝たいだけ寝てのんびり出勤し、夕飯時には戻ってくるので、1日の稼ぎも当然微々たるもので、無線のレンタル代も妻や娘に借りる始末。ガソリン代を払うと稼ぎとどっちが多いやら・・・。


フィルの同僚、ロンもしょっちゅう車をぶつけ、年がら年中ブツクサ。妻はアル中でひねもす酒をあおり家で寝転がっている。
娘のサマンサはそんな両親に呆れているが、かといって反面教師にするでもなく、職もなくブラブラ敷地内の手すりにもたれて男の物色・・・・。最近、夜になると彼女を待ち伏せする妙な青年がいる。からかってやろうと思うが、相手が真剣すぎて怖い・・・。

ペニーと一緒にスーパーで働くシングルマザーのモーリーンも働き者だ。スーパーのレジ係とアイロンがけの内職で、女手ひとつで娘を年頃にまで育てあげたというのに、娘のドナは反抗的。
暴力をふるうボーイフレンドに溺れているドナを母は心配するが・・・。

狭い家の中、どんよりと漂う閉塞感・・・。
冷え切った家族が奏でる不協和音・・・・・・・。

そんなある日。
フィルはフランス人の上品なマダムを遠距離で乗せた。
長い道中、ぽつりぽつりと家族のことを話し、マダムを劇場で下ろすと、フィルは無線も携帯電話も電源を切ってしまい、ある場所を
目指した・・・。
まさか、音信不通になっている間に、家族に大変なことが起きているとも知らずに・・・!!



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人生を撮る監督、巨匠マイク・リー。
今回は惜しくもカンヌはノミネートにとどまったが、代表作「秘密と嘘」よりもさらに家族、人生の意味に踏み込んだ本作、かなり
見応えのある作品に仕上がっている。

いつもの如く、脚本あれど台本はなし。
半年の期間をかけ、俳優たちの即興を撮り重ね、編集する方法だ。

本作も、二時間を超える長さで、アクションも刺激的な官能シーンも衝撃的な大事件もなく、淡々と丹念に粒立てて人間を描いてゆくので、ドキドキする展開をお好みの方にはオススメできない。

締めくくりの美意識も、英国映画らしさとフランス資本らしさ(≒ハリウッド的白黒バッチリハッピーエンドではない)が滲み出ている。

人はみな孤独だ。
明日死んでしまうかもしれないし、何もないかもしれない。
だが、孤独なのは事実でも、それを否定して家族愛や友愛に生きるか、孤独だと思い自らをよりいっそう深く暗い孤独の淵へと
追いやって寂しく生きるかは、選べる。

ペニーがクロスワードを薄暗がりで1人で解いている。
レイチェルも1人で本を読んでいる。

家族は、結末のわからない物語を毎日皆で綴ってゆく長大な本のようだし、人生は、謎だらけで役に立たないヒントに困り果てる、完成も正解も用意されていないクロスワードパズルのようかもしれない。
でも、対話を重ねて一文字ずつ埋めてゆけば、ぴったりはまり、
気持ちよくクロスする瞬間を幾たびも味わえるのじゃないだろうか・・・。


フィルはぽつりぽつりと、初対面の客に話す。
こんなに、家族にも最近話してない・・・。
否、家族には言えないから・・・。

“愛はまるで蛇口から漏れる水の雫だ
バケツに雫がたまっても
独りでは愛のバケツは満たせない
もし心が離れたら・・・・”


フィルのバケツには、今、愛は入っていない。
不安と渇望と不満が底のほうでよどんでいる。

海にそれを流しにいく。

きれいになったバケツは、まだ穴だらけ。
これじゃ愛も入らない。
家族というのは、互いのバケツの穴をふさぎあって、
愛を溢れるほど注ぎあえたらいい。

フィルの家庭も、モーリーンの家庭も、穴をふさぎはじめたところで、まだまだ、これから大変だし時間がかかる。
新しい穴だって開くかもしれない。
時間はかかるだろう。
でも、諦めたらザルのように穴だらけの心を抱えて生きねばならない。
きっと彼らは諦めない。
そう思う。

ロンの家庭はもっと深刻だ。
マイク・リー監督は甘くない。
タイトルの「ALL OR NOTHING」はそれも意味しているのだろう。

フィルがぶらさげてくる、鮮やかに黄色い、バナナの房。
太いの、小さいの、少しいたんでるの。
根本で繋がっているバナナが、病室で朝の光をうけて微笑んでいる。





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