う〜む.引き受けたのはよかったが,テキストが使いにくいと思うぞ.
忘れかけてはいたんだけど,今年度最後の授業がありました.いやいや. David da la Croix,and Matthias Doepke [2001] "Inequality and Growth: Why Differential Fertility Matters " UCLA Working Paper #803 が題材でした.子育てに固定費用がかかるようにすると,賃金率の高い(=人的資本の多い=親も金持ち)な家計は子供の数を減らして,その子供に教育投資をどーんとやる,逆なら逆,ということになり,それがひいては経済成長を阻害する,とかいう論文.シンプルな(じゅうぶん複雑だけど,まあ,操作可能だということで)わりにいろんなインプリケーションが得られる論文だそうだ.GMM推定のほうは,まあ,いいや.カリブレーションも…いまひとつぴんとこない.数値シミュレーションといってくれればピンとくるけど.現実のデータにあてはめてほれほれそっくり!と主張するのがカリブレーションだと思っていたけど,そう思って読むとちょと違う.人的資本の形成には,平均的な人的資本量と,親の人的資本の量が関係するのだが,平均的な人的資本の影響のほうが大きければ,あたりまえのことだが,人的資本の不平等の拡大の仕方は小さい.この論文のキーポイントが子育ての固定費用にあるとすれば,これの大きさで比較をしてくれるとおもしろいかもしれないなあとおもう.保育園の供給拡大なんかに非常な政策的インプリケーションを持つし.
とはいえやっぱし,経済のなかでの不平等の拡大を世代重複モデルでいじる,ということになると,結婚の問題はもちっと明示的に書かれてもいいと思う.むかし読んだ論文で,結婚がランダムだと,不平等の拡大の仕方はきわめて小さくなる,というのがあったとおもうし.社会的にも裕福な人間は裕福な人間と結婚する,とか,高学歴同士のカップルが多い,というのはもちろんそうなんだろうけども.ううむ.
というわけで,やっぱりなにもすすまない.
2002年02月26日(火) |
Happy Birthday! |
MCPFといえば,内閣府から政策効果分析レポートというのが出てて,そのなかに,「1990年代における所得税制改正の効果について」というのがある.タイトルどおりの中身なのだが,そのなかで,1995年の減税政策が超過負担をどれほど減らしたか,という推計をしている.結果は,オドロクなかれ,5.4兆円の減税をして超過負担が1200億円あまり減った,というものだった.逆に考えれば,1兆円増税しても超過負担は240億円くらいしか増えないわけだ.Feldstein, Martin [1999] "Tax avoidance and the deadweight loss of the income tax", Review of Economics and Statistics, 81(4), 674-680 はアメリカについては1ドルの税金を集めるのに2ドル以上の超過負担が発生する,と推計しているから,えらい違いである.ほとんどまったく同じ方法で行っている(ひとはこれをパクリと呼ぶかもしれないが,ぼくもパクリしかできない)のだから,こりゃいったいなんなんだてなもんである.もらえるものに関わらず,日本人というのは働く量がかわらないのだろうか?絶対的に超過負担の量がどうだ,ということはさしあたり言えない(こともないが)が,アメリカよりかなり低い,ということは確かのようだ.さしあたりいえないにしても,税が増えても超過負担があまり発生しないとすれば,「高齢化が進んで税負担が増えると経済活力が失われる」なあんてことはほとんどその実証的根拠を持たなくなるわけだ.林正義先生+赤井伸郎先生の分析でも超過負担はたいして大きく出なかったところを見ると,ほんとに日本では所得税による超過負担というのは小さいものなのかもしれない.それを勤勉とみるか,「お上のやることは…」という諦めの現われとみるかはよくわからないところではあるのだが.とはいうものの,Asano, Seki [1997] "Joint allocation of leisure and consumption commodities: A Japanese extended consumer demand system 1979-1990", Japanese Economic Review, 48(1), 65-80 では,余暇需要の価格弾力性,つまり手取りの賃金の変動に対する労働時間の変化の大きさはかなり高めに推定されているのであるよなあ.ううむ. というわけで,piece-wise regressionというものに詳しい方,ぜひご一報ください. 27歳になりました.
大学は入試をしている.でも,いつもどおりの通学路で来たら,学生証の提示もなく入れてしまった.いいんだろうか?まあ,マイナーな通路だしいいか.やりたいこと,というか,やらなきゃいけないこと,というか,頼まれていること,というか,が山積しているので,ここはガンバラナクッチャ寸暇も惜しんで,となれば美しいし,そうなるはずだったのだが(←はず,ってなんだ?),どれもこれも中途半端に壁に当たっていて,どれから手をつけても面倒そうだ,と思うにつけても悲しくなってしまい,始めてはみるもののすぐに疲れてしまいはあまいったなこりゃ,と思うばかりで結局何も進まない.あうー.たまにはこんなこともあるさと思わないこともないが,こんなにしょっちゅう「たまには」があってたまるか.鬱病かしらん.
静嘉堂文庫に行って,茶入と棗展を見た.ひさしぶりに東急田園都市線に乗ったら,会社にいたときの知り合いを見かけた.獺祭を購入して独りで飲んだ.なにやってんだか.
明治学院に行って打ち合わせもどきをして,湯島の「みつばち」のハニー焼きを食べた.テレビ番組の影響は半減期1日くらいで減少しているらしく,焼く時間だけ待った.おいしかった.
MCPFの論文を読む予定だったのだが,年度末も近いということで予算消化でうろうろしたり,頼まれていた原稿を書いたり,データ加工をしたりしていたら,一気に疲れてしまった.はあ(←K谷先生の真似ではないぞ).なんかしらんけど,統計局のサイトにつながらないぞ.なんなんだ.とおもってうろうろしていたら,こんなのや,BERKELEY MORTALITY DATABASEを発見.すごいぞこりゃ.データがずーっと縦に並んでいるので,Matlabで整形してみました.ほしいひとは言ってね☆ そういえば,きのう,エクセルシオールカフェに寄って,サーモスタンブラーを購入しました.1300円なり.たしかになかなか保温機能はある.しかし魔法瓶みたいではないなあ.ううむ. しかし,予算消化って,ほんとに1円まで使い切るのね.税金なんだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど.知りませんでした.はあ(←だから神Y先生の真似じゃないって)
同級生の記述と完全にかぶってしまうのだが,予算の単年度主義のせいか,補正予算のせいか,文教予算拡大のせいか,そこらへんの事情はよく知らないが,わが(←僕のものではないが)経済学部棟を大改築するらしい.これを称して「平成の大修復」というかどうかは知らないが,それでお引越し計画がまた大きく変化するようだ.院生の意見を取りまとめている自治委員長にはほんとーにエライ,とおもう.市川雷蔵の映画でもみてリラックスしてほしい(←なんでいきなりこうなってしまうかといえば,昨日の話をひきずっているだけなんだけど). しかし,いまの自治委員長はたいへんよくできた人物で,おせっかいなおばちゃんとかが「まあお人柄ねえSくんは.いい娘いないかしら」なあんて口走ってしまいかねないようなひとだからよかったようなものの,考えようによっては,大学の自治というのはその理念からしてかなりアヤシイのではないかしらん,とおもう.それはまるで,「財投機関に市場原理をいれます!」というくらい,不条理なのではないだろうか(ということはそれほど不条理でもない,となるかどうかは知らない).なぜって,だいたいが大学にいる学者なる人種には,「サラリーマンじゃ生きていけないよね」っぽいひとが多いと思うし,そういう人間は,交渉とか事務手続きとかが,得意ではないにしても嫌いな人たちなんだろうと思うし,ひるがえって自治というのにはそういうのがつきものなわけなんだから(アヤシイ推論が続いているから結論の妥当性はかなり疑わしい),自治が苦手な人間が自治をする,ということになりかねないんではないだろうか.いまの自治委員長みたいな人間に自治委員長をやらせるのは比較優位の原則に反していると思う.だから誰ならいいんだ!といわれると困るけど.
大改修にともなって,院生スペースにも注文をつければ叶うかもしれないよ,ということになったそうだ.というわけで,自主ゼミのとりまとめをやります.近代経済学グループの人で,4階のレイアウトなんかに希望のある人は僕にメールしてね☆
ふたたび同級生の記述と完全にかぶってしまうのだが,そういうと,すかさず注文を多く出す人間がいるわけで,やれ服を脱げだの,やれ塩を振れだの…(←それは『注文の多い料理店』だってば).たしかに,そういう行動はカッコ付きの「経済合理性」には適っているかもしれないが,理論の仮定に自分を合わせることは本末転倒で,自分や周りの人間の「経済合理的でないように見える」行動を,とくに周りの人間との関係のなかで説明するというのがケイザイガクのあり方ではないだろうかうんうんと思わず強く語ったりしてる場合じゃないのだけど.
どっちにしても,「国があなたに何をしてくれるかより,あなたが国に何をすることができるかを考えようじゃないか」といった大統領がいたように思うんだけど,そーゆー考え方ってやっぱり大事じゃないかな〜っておもうわけやっぱり(←なんなんだ)
とかいいつつ,M1の女性が作ってるサイトを見てる場合じゃないな.
えっ.もう20日なの.どうしましょ.ええ,ぜんぜん気がつきませんでしたわ.それなのにわたしったら一日中家に閉じこもって,データに名前をつけるとかバイトの準備をするとかそんなことに時間を費やしてしまって.まあもったいない.やだわあ.もう.
昨日,先生に会って,途中経過を報告したら気が抜けたなんて恥ずかしくて書けない.ほかにもいろいろあるのに.
というわけで,魔法瓶みたいなマグカップを探しております.これは高すぎるとおもうので.いや,ここまで調べてほしいというわけじゃないんですけどね.土曜日の日経の別冊に載ってたんですよね,サーモスマグ.ほしいなあ.
マイクロ計量な一日でやんした.終日,駒場でデータいじり+講義.講義のレジュメは以前から入手していたんだけど,やっぱ,実際に話を聞くというのは理解が進むものぢゃ.しかし,Median回帰とKernel回帰(?)の違いにいまいちぴんと来なかった.そういや,Rolling回帰というのもあったなあ.しかしいまだに,censored と truncated を混乱する.いや,意味じゃなくて名前を.
わからないと思ってるマクロ専攻のきみ,知っときなさい>自分(^^;
というわけで,夜は横浜国立のE先生(他人のページから借用.断定したも同然)を囲んで打ち上げ.映画の話で盛り上がるとは予想外の展開.どちらかというと,Kくんの「先生のあとには討ち死にした男性が死屍累累だそうで…」 という質問の答えのほうが気になるけど.
2002年02月18日(月) |
うれしいもんなんだろうか? |
東京大学名誉博士号というのが創設されるそうで,アマルティア・セン氏がその第一号として授与されるという儀式が火曜日にあるらしい.見てみたいものだ.が.いけないけど.それはそれとして,なんだってそんなものを作ることになったんだろう? ううむ.
確定申告の季節になったようだ.これにも行かねば.日本の税制は欠陥だらけだ,などということを言う人は多いようだが,そんなに言うならどうしたらいいのかはっきり言ってみんかいこりゃ!どうなんだN経新聞!とおもう.財政赤字も多いし政府の債務残高も多いし,だから税はとらなきゃならんのだけども,税制による歪みというのは大きいかもしれない(かもしれない.きわめて実証的な課題である.興味ある人はMCPFの議論を参照せよ.MCPFがなにか分からんようなやつはごちゃごちゃいうな>自分).そりゃね,株式譲渡損の繰越ができにくいとかね,消費税の益税問題とかね,納税者番号制がないとかね,欠点はいろいろあるにせよ,おおまかにいってかなりよくできた制度じゃないかと思う.いまのままでいいということはないけど.効率と公平と,徴税実行可能性と,政治的実行可能性と,ぜーんぶ満たすようなものがあったら見てみたい.
とはいえ,そろそろ,課税単位を世帯から個人に変えたほうがいいような気がしないでもないが.
というわけなんで,OC大会には行きませんでした.雨も降りそうでしたし.
寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所薮ら柑子のぶら柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助
って,ぜんぜんめでたかねーよ.昨日おとといの結果もよくよく考えるとたいしておもしろくないし.あーあ(泣)
2002年02月15日(金) |
これって結果というのか? |
Garcia, Rene, Annamaria Lusardi, Serena Ng [1997] "Excess sensitivity and asymmetries in consumption: An empirical investigation" Journal of Money, Credit, and Banking, 29(2), 154-176 を基にした推定をやるぞっ(ただし日本のデータではないのが泣けるところだ.どうにかしろって誰に言えばいいんだまったくもう).とかなり固く誓って寝たはずなのだが,朝起きれないうえに,予算の関係で書類を作らなくちゃいけなかったりしてどうにもこうにもすすみゃしないぜ.あたまがぼーっとするし. という言い訳をしつつ,プログラムをごぞごぞと組み,まわした.そろそろ失敗も少なくなってきた.プログラム言語というほど大げさなものじゃないんだから,さっさとマスターしたいところだ.結果はおおむね良好(陽当たりではない,とかいうと歳がばれちゃうわ♪きゃ)なのだと信じたいところだ.エラーではないんだけど警告が出ていて,調べてみたら「結果は疑ってみたほうがいい」と書いてあってううむむ.望ましくない結果が出たときには「計算過程のせいだ」といい,都合がいいときは「まあいいでしょう」というのはいかにもダブルスタンダードなのよね.まあとりあえず報告だけしないと.うすすす.
やっぱし,Tobit 2-stage methodsを理解せんといかんようだ.縄田先生なんか御専門であらせられるのよな.あんまり面識ないけど.あうう.Heckmanの2段階推定というちょ〜有名な手法の応用(っつうかそのまんま)ではないかとおもうのだけどな.
ショッキングな事件.なんちゅうか,まったくもって誰にも悪意がないのに,こういうことになっちゃうというのは,なんちゅうかもう,悲しくなってしまう.孤独死,というのも十分に痛ましいものであるけれども,痴呆の妻が夫の死に気がつかないというのも,痛ましい.ひょっとすると,これからこの手の事件が増えるのかもしれない.Face-to-faceの重要性は,こういうところで急激に高まっているのかもしれない.ITもナノテクもいいけど,日本語が使える労働力が必要とされる分野はいくらでもありそうだ.中途半端に表計算ソフトとワープロソフトの使い方を教えてオシマイ,というのは,ほんとうに雇用のミスマッチの解決になるのだろうか?
…というか,そういう話に落とし込むべき事件なのかどうかも悩ましいところだ….
2002年02月14日(木) |
やったー,結果が出たあ. |
ついつい,ぼけーっとラージヒルなんぞ見ていたために,午前中から霞ヶ関に出かけるのに非常に眠くて困った.ふう.生きていくためにはいろいろと裏業があるものですなあ(なんのことだ). 神戸商科のA先生(←断定したも同然)から,M1のナントカくんを知ってるかい?と聞かれたので,大学に戻ってから挨拶に伺った.コイツではなかろうか,と目星をつけていた彼であった.よかったよかった(←いいのか?).そういえばそろそろ修論の指導教官を決める時期であることよ.
なんとなくぼけーっとしたり,同室の人間と話をしたりしているうちに夕方になってしまったので(おいおい),やや慌ててStataと格闘した.やりかけの流動性制約の話はちょっと置いといて(明日やるじょ), Carroll, Christopher D., Karen E. Dynan, and Spencer S. Krane [1999] "Unemployment Risk and Precautionary Wealth: Evidence from Households' Balance Sheets", Finance and Economics Discussion Series Number 1999-15, Federal Reserve Board のモデルを使った最尤推定をしてみた.例によって例のごとく,最初はプログラムのバグが多くて多くてこまってしまうまであったんだけど,なぁんと,求めていた結果が出ましたあ.ぱちぱちぱち.まあそうはいっても,思っていたほどのものではないのであるが.しょうがないね.
いやしかし,「求めていた結果」なんていうと,結論先にありき,みたいな響きがしてよろしくないなあ.まあ,理論的直観的には十分ありえることを実証する結果を求めていたんだから結論が先にあったといえばあったんだろうなあ.ううむ.
そういえば,「直観的」っちゅうのはなにか,というのが一部で話題になっていたようだけど,私淑するOくん(千葉県在住)が薦めていた(?) David Gries and Fred B. Schneider(難波完爾・土居範久監訳)『コンピュータのための数学―論理的アプローチ』日本評論社 を寝る前に読んでいて(かっこうの睡眠薬になることもある)思ったのは,統語論と意味論の話ではないかしらん,ということだ.論文の証明の手続き(?)は機械的に行われるけど,その手続きには当然意味があって,直観っちゅうのは意味のほう,証明っちゅうのは統語のほうを指しているんではないかしらん,と思う.数学的論理の背後にある経済学的論理という言い方もできるかもしれない.ま,そういう言い方をすると,経済学的論理は「論理」ではないのか?という話になっちゃうので,ややこしくなりそうなのでやっぱりやめた.でもまあ,経済のことを考える以上,「やっぱし,こうやっちゃうよなあ」とか「こういう仕組みなんだろうなあ」という漠然としたアイデアほど重要なものはないんであろうなあ.
そういや,バレンタインデーだそうだ.
2002年02月13日(水) |
ディスカッション,とかわざわざ言うなって. |
きのう発見しておいた Lee et.al [1980] は手に負えそうにないということがはっきりしたので,Maddala, G.S. [1986] "Limited-dependent and qualitative variables in econometrics" Cambridge University Press の7章を読んでみた.尤度に慣れていないためか,よくわからんところが多発.ひええ.やろうとしていることは,Tobit typeの同時方程式か,あるいはそれの2段階推定だと思うんだけど,とりあえず尤度の作り方が….Amemiya [1974b] をみてもよくわからん.うぅむ. それと,以前から読むはずだった Garcia, Rene, Annamaria Lusardi, Serena Ng [1997] "Excess sensitivity and asymmetries in consumption: An empirical investigation" Journal of Money, Credit, and Banking, 29(2), 154-176 を眺めた.流動性制約にある家計とない家計では,ラグランジュ乗数が入るかどうかでオイラー方程式が異なるから,switching regressionを使ってそれを分けて推定しちゃいましょう,という話がひとつ.これは僕がやろうとしていることに近いんだけど,こうすると,ラグランジュ乗数以外の係数も違っていいよ,ということになってしまうので,なんとなく都合が悪い気がする.ま,対数尤度を書き下して推定するんだから,そこで制約をかけてしまえばいいんだけど.この論文では,流動性制約があるかないかについての誤差とオイラー方程式の予測誤差には相関が存在しないはずなので,外生的スイッチング回帰のほうがよい,としている.そんなもんかなあ.それから,この論文の面白いところは,流動性制約が非対称的に働き,所得が下がると思われるために消費を減らす分には流動性制約は関係なくなるといったような条件から,純粋な恒常所得仮説(Hallのランダムウォーク)を成り立たせなくしている原因を特定しようとしている点にある.結果,流動性制約と,時間不可分な効用関数がその原因ではなかろうか,と述べている.棄却した仮説は,近視眼的行動やrule-of-thumb,非対称な効用関数である.うぅむ.こりゃおもろい.
ディナーのときに,同級生と医療保険改革についてディスカッションした.と書くとかなりかっこいいように思える.うんうん.学食で話をしながら夕食にした,というだけなんだけど.3割自己負担で医療費は削減できるか?というのはかなりアヤシイのではないか,と思われた.自己負担が増えると,おそらくは,(1)軽い病気なら病院に行かない人が増える,(2)自己負担を嫌って予防行動が起こる,という効果が望めるのかもしれないが,だいたい,軽い病気による医療費なんてたいしたことがないだろうから,医療費自体が減る効果は少ないんじゃないだろうか?予防行動については効果があるかもしれないが.どっちにしても,自己負担がどれくらいになるのか,病院にいくまで分からん,というのは困る,というのには激しく同意した.初診料がよくわからんけど高い,というのにも賛成.そういう価格ってどこかで公表されてるのかしらん.
そーゆーわけで,同級生の投稿した論文が,Economics Lettersに掲載が決まったらしい.ぱちぱちぱち.ぼくもガンバラナクッチャ.
>医療制度改革のページ
いまつかっているプリンタくんは複数ページ印刷ができるのでエライ,とおもっていたのだが,OSを変えたところがドライバを変えねばならず,その結果,複数ページ印刷ができなくなってしまった.ショックだ.メーカーのページで使用を確認したら,複数ページ印刷はできないことになってるし.なんでだ〜.このまえまでできたんだぞ〜.ついでに,Acrobatも使えなくなってしまった.しょうがないのでReaderだけ入れてるけど.まあいいや,Acrobat5を買うか.なんか悔しいところではあるが.XPにちゃんと対応してるんだろうなあ…(ちょと不安).
というわけで,保険の観点から言えば,自己負担率の上昇は,リスクシェアの程度を下げるので普通は(期待)効用を下げるとおもうのだが,医療保険制度改革の議論でそういう話をしているひとはあんまりいない.なんでだろう? 保険に加入している以上,病気になったら病院に医療サービスを受けることは被保険者の権利であって,それを自己負担でコントロールしてもいいのか?「なぜ被保険者の権利を行使しない人がいるか」のほうがよほど重要な観点だと思うし,保険のモラルハザードを考えれば,疾病予防を制度にいかに組み込むか,をもっと考えてもいいと思う.…というようなことを言ってる人はいませんかね?
というわけで,きょうは,Lee, Lung-Fei, G.S. Maddala, R. P. Trost [1980] "Asymptotic Covariance Matrices of Two-stage Probit and Two-stage Tobit Methods for Simultaneous Equations Models with Selectivity", Econometrica, 48(2), 491-504 っちゅうのを発見した.しかしそれしか成果がない.2月は逃げるというのに.嗚呼.
こんなに落語って行われているなんて知らなかった.もっと見に行かなきゃ.
1月は往ぬ,2月は逃げる,3月は去る,なぁんてことを申しますが,はたと気がつけばはや2月も上旬は過ぎ,中旬に入ってきておるわけであります(なぜか落語の枕みたい).ソルトレークシティオリンピックも始まり,空を飛んだり雪の上で跳ねたりするおにーちゃんやおねーちゃんの姿を見つつ,おおっ,やせねば,と思うわけでありますな. しかし,前から思っていたんだけど,ノルディック複合はなんでジャンプとクロカンの組み合わせなんだろうか?どういう由来なんでしょうねえ. まあそういうわけで,3連休だけに休みまくり.
3連休なのでやることもなく(やるべきことはたくさんあるような気もするが…),とりあえず昨日の成果をまとめてみた.こんなかんじ.これだけ作ったらなんとなくしんどくなってしまったので,オリンピックをたらたらと見ながら寝てしまった.しかしモーグルってすごいなあ.クロスカントリースキーもすごいけど.
というわけで,うじうじと取り組んでいたHayashi-Prescottの追試に成功.Matlabファイルも公開しちゃうぞ.資本課税が入っているので,social plannerの立場から問題を解いてはいかん,ということに気がつかなかったのはオロカであった.しかし,効用関数がやや特殊な形をしているので,前回のshooting algorithmでは解けない,というあたりがややめんどかった.まあ終わったら何でもいえるな.わははは.しかし,追試ができたからなんだ,という話でもあるので…これがペーパーになるわけでもないしなあ.はあ. まあそれはそれとして,昼間はIPSS(国立社会保障人口問題研究所のこと.名前が長いぞ)に,借りていた将来推計人口の資料を返しに行った.よくよく考えてみれば,コピーを取って返すだけなんだから,わざわざ2回行く必要はあまりなく,その場でコピーさせてもらえばよかったのだった.千代田線のなかでそれに気がついたので,図書館のひとに(昨日いた人のよさそうなおばちゃんではなく,おっかなそうなおねえちゃんだった.だからどうしたということもないのだが),「ここでコピー取れますか?」と聞いてみたら「あいにくコピーサービスはいたしておりません」と慇懃に断られてしまった.しかし,いまどきの図書室や,いわんやIPSSにコピー機がないとも思えない(ほんとになかったらゴメンナサイ)のだから,図書室の資料くらいその場でコピーさせてあげればいいのに,と強くおもった.待てよ,IPSSが引っ越す前,旧厚生省の建物の中にあったときに行ったときには,資料をコピーさせてもらったような気がするぞ.1枚30円とかだったけど.なんなんだ. いやしかし,さらに考えてみれば(というほどのことではないが),内幸町なんだからコンビニやコピーサービス屋は近くにたくさんあるはずなのだ.だから,IPSSでコピーできない,とか怒っている暇があったら,そそくさとそういうところに駆け込めばよかっただけの話ではないか.なぁんだ.がっかり.はあ. ということは,べつに昨日,「明日までに返してくださいね」といわれて,なにーそりゃたいへんだ〜,などと思う必要もなかったことになり,まったくもってウカツであった. IPSSの図書室のコピー機を外部の利用者にも開放することが構造改革だとはとてもおもわないけど,行政サービスの質がうんぬんされる昨今にあって,やっぱりそういうのって,モンダイじゃないかなあ,とおもわないこともないのであるなあ,と霞ヶ関に沈む夕日を見ながら静かに思ったのでありました.
Hayashi, Fumio and Edward C. Prescott [2001] "The 1990s in Japan: A Lost Decade", forthcoming in Review of Economic Dynamics の追試をしてみてはいかがでしょうか,という課題がoptionalで出ていたので,ごぞごぞと取り組んでみた.Indivisible laborのモデルを使っているんだけど,どれをどう解いていいものかよく分からない.効用関数と予算制約は与えられているんだから,FOCをだしてごりごりごり,で解けるはずなのではあるんだけど….うぅむ.おおっ.こんなのがあるぞ.明日見てみよう. 内幸町に出かけたり,水道橋に出かけたりしていたら疲れてしまった.はあ.水道橋で若者がやたらとうろうろしているのでなにかとおもったら日大かどこかの入試が行われているようであった.そういうシーズンであることよ.
Maddalaの質的反応についての本を読んでいたのだが,適当に9章から読み始めたら読み難いし分からないしの連続で,ついでに4限のはじまるときに ひっじょーにいやな気分になったのとで,もうやだ.あーもー.ゼミ(?)で, Kocherlakota, Narayana [2001] "Money: What's the Question and Why we care about the answer"
という論文の発表があった.Moneyが交換手段としての役割を果たすときには,自給自足よりもパレート改善する,また,主体間に消費意欲の差が発生するときには,非流動的な(illiquidな)債券を導入することにより,中央銀行が市中の貨幣を吸収することで消費意欲の差に応じた消費を行わせ,パレート改善な配分をもたらす,といった内容の論文(らしい).貨幣が意味を持つのは,契約の限定された強制性(limited enforcement)と,限定された記憶(limited recordkeeping)の前提が必要だ,というのは,"Money is memory"(JET, 1998)やなんかの流れらしい.この論文では,さらに流動性のない債券が共存するときにはパレート改善であることを示している,というのが新しいようだ.話はここから最適な金融政策へと続いていくのだけども,流動性のない債券が存在するときに消費水準に差をつけさせることができるのは,債券への貯蓄を促すこと(中央銀行へ貨幣を吸収すること)によるから,いまの日本に照らし合わせるとオドロクベキ結論が得られる.
一時的にデフレが起きたほうがいいのだ.
ここでのモデルでは価格の硬直性がないので,基本的には貨幣の中立性が成立している(とおもう).さて,中央銀行が消費意欲に見合った消費(の配分)を「今日」行わせるためにできることは,債券を発行して貨幣を市中から吸収し,「今日の」購買力を移転することしかない.とすれば,このときには市中から貨幣の量が少なくなるので,物価水準は当然下落する.もちろん,「明日」になれば債券の償還が行われるから,多少なりとも物価水準は上がる(ことが多いはず).さらに,貨幣を市中から吸収するために,中央銀行は,これまたオドロクベキ政策を取る必要がある.
金利を引き上げなければならないのだ.
要するに,(相対的に)それほど消費意欲がないのに消費をするひとがいるなら,金利を上げることで彼らの貨幣を吸収し,物価を下落させ,(相対的に)消費意欲が高い人が「今日の」消費を多くすることができるようにしてしまおう,というはなし.いまの日本の不況が,信用の連鎖の破綻(小林慶一郎さんなんかが主張している)に多く起因しているなら,こういうのもまた処方箋として考えられるかもしれない(かもしれない).どっちにしても,不況なら金利を下げる,貨幣を供給する,インフレを起こす,というのが,理論的に当然の政策提言になるというわけではない,ということだ.ふぅむ.
まあなんにしても,純粋な(?)貨幣の,理論の論文で,政策までひっぱってこれるってかなりカッコイイ論文ではないかとおもう.
あ,このひと,物価の財政理論についても論文書いてる.すげえ.
下松くんと島崎さんの発表を聞きに,マイクロワークショップへ出かけた.島崎さんの発表のときに,M2の人たちがわれこそと教室の前へ移動するのを見て可笑しがってしまった.下松くんは政治経済学っぽいのを扱っているし,島崎さんは医療を扱っていたので出かけてみたのだが…というだけ.不勉強のせいで,扱っているモデルが想定している状況があんまりアタマに浮かばなかったので,うーんうーんと思っているうちに発表が終わってしまい,しまった,とおもうばかりだった.う〜む. SNAでの直接税とか間接税,というのは,財政関係のデータをどう組み合わせたらでてくるのであろうか,というのがたぶん問題になりそうな気がしたので,財政金融月報や地方財政統計のデータをうじうじといじった.地方税の総税収と,SNAの直接税と間接税の和は,差がだいたい10%くらいにおさまるらしいということがわかった(それでもかなり大きいけど).これをつかって,SNAのなかみを分解してカリブレーションに使ってもいいのだろうか?ちなみに,消費税の税収は,SNAの民間最終消費の3%程度で,消費税率が3%だった時代だと2%程度になってしまう.帰属家賃には消費税がかからなかったりするし,益税の問題も残っているだろうし,違うのは当たり前としても,こんなに違ってしまうものなのであるなあ.
国立社会保障人口問題研究所の発表する将来人口推定は,ウェブ上では10年ごとにしかとれない.中位推計だけなら,出かけていけば見せてもらえるらしい.きっと年次で推定してるんだろうから,そういわずに毎年のぶんを公表してくれればいいのになあ.
ひょっとすると気がついていない人がいるのかもしれないけど,この「エンピツ」の日記でも,あっちこっちにリンクが張ってある.ところどころ文字の色が違うのはただの強調じゃなくてリンクなのですよん.
2002年02月04日(月) |
むずかしいところだ.すべてが. |
世の中にはリアルタイム財政赤字カウンタみたいなのを作っちゃう人がいて,まあこれはこれでおもろいんじゃないかなあ.とおもったりする.しかしなんちゅうか,財政赤字がどれくらいならまずいのか,とかそういうはなしについては,まだまだ理解されにくいところであるし,また理解しにくいところなのであるなあ,とこういうところを見るとおもう.財務官僚(というほどエラくないとおもわれる)のなかにも,30兆円枠がほんとに守られたとおもってる人間もいるようだし,だいたい,「世代会計」の推定があっちこっちで行われるようになったのも,財政赤字なる概念がいかに扱いにくいかというのが問題意識のひとつにあったわけだし,やっぱりわかりにくいのはわかりにくいんでしょうなあ.「財政の破綻」をどう定義するか,がよくわからんのと同様に.まあ,くだんの財務官僚が,日本経済学会で財務省の考え方を代表していた,というオドロクべき事実−−風評に過ぎないことを強く願うが−−もあることだし,いやいやなんとも,なのではあるけど. あ,そういえば,宣伝するのをすっかり忘れていたが,
井伊雅子+大日康史『医療サービス需要の経済分析』日本経済新聞社
が出版されております.扉のところに著者紹介があるんだけど,片方だけ生年が書いてあるのはなぜだろうか,とふと疑問におもったりしております.いやいやにやにや.
本といえば,ドリトル先生シリーズの翻訳が問題になっているようだ.最近,手塚治虫(おさむ,で変換すると,治虫が候補に上がるぞ.えらいっ)の「BLACK JACK」を買い集めているんだけど,これも注釈がついていて,当時の差別的表現をそのままにすることの意味がどうしたこうした,と書いてある.まあ,うかつに修正してなにがなんだかわけわからなくなるよりは,そのままにしておいて,ことほどさように差別というのは根深いものだし,文学作品は時代性と不可分であるのよのお,ということを認めなければならないんだろうなあ,とおもう.だから,そのまま読ませっぱなしではいかんのだろうなあ,こういう作品群は.
2002年02月03日(日) |
だれか教えてくださいな. |
当初の…といっても,いつが当初だかよく分からないのだが,さしあたって当初の…予定によれば,きょうはH2Aロケット試験機2号機の打ち上げが行われるはずだったのだが,強風のため明日に延期になったらしい.ところで,このロケットの打ち上げ時刻というのはどうやって決まるのだろうか? だいたいの予定は,種子島近辺の漁協との兼ね合いだかなんだかで決まるらしいのだけども,ぼくがここで不思議に思っているのは「時刻」なのです.はい.たとえば,プレスリリースを見ると,打ち上げ時間帯は,午前11時32分から午後12時48分の間,とちゃんと書いてあるんだけど,この細かさはいったいなんだ?というのがぼくの疑問です.細かく指定してあるというのはよろしいとおもうんだけど,午後11時半から午後1時の間,と書いてはなぜいかんのだ?ほかの資料をぱらぱらと見ると,打ち上げ時刻を基準に何秒前とか,何分後とかの表現は多いのだが,絶対的な(?)時刻についての言及はあんまりない.こどもたちのページで,年齢を偽って聞いてみようかしらん.しかしこのKidsのページからリンクしてあるFAQのページは,「こんな質問をする子供が本当にいるのか?」という疑問が満載.ま,「宇宙服を着ないで宇宙に出たら,人間の体はどうなりますか?」とか,素朴でいいなあ.そういや,新聞を見てたら,日本未来科学館で常勤職員を募集してた.人間にも電気を支給したりするのだろうか.まさか.
金曜日の夜に,池袋で秋田料理を食べつつ,某女子大の動向について大いに検討を重ねた結果,今日は朝から夕方までずーっと気分が悪かった.あう.まいっちゃうよなあ.今日中にやりたいことがいくつかあったのだが,月曜日に回さざるを得ない.あ〜あ.
というわけで2月だったりする.うぅむ.オイラー方程式の推定くらい終わらせておきたかったところであるよ(詠嘆).資産のほうの関数じゃなくて.ふう.
WindowsXPはさしあたりちゃんと動いているが,ときどきノロくなるのは,ウィルス対策ソフトのせいではないかという気がしている.まあべつにいいんだけどさ…….
というわけで,2001年度の授業も今日でおおむねおしまい.やりかけの論文をばりばりやんなきゃ(予定).同室の同僚(←会社じゃないんだから同僚はないか.先輩だな.後輩なんだけど)は,JERだかJJIEだかに投稿するだのしないだの,と言っている.やるなあ.いつのまに.
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