娘もこの春6年生。同級生のうち、知り得る限りほとんどが、中学受験をするらしい。
同じバレエ教室に通う子達も、みんな塾通いのためにレッスンを1年お休みする、とかで、稽古場は閑散としている。
我が家は受験など全く考えていないが、一応、2人とも通信添削を受けている。あくまでも本人達の希望であって、続きそうにないし、月々の受講料もバカにならないので、やめて欲しいとあたしは思っているくらいだ。
だらだらと勉強してるんだかしてないんだか、毎月の添削課題の提出期限のころになると慌てて問題を解き始める、と言うパターンに、いい加減うんざりなのだが。
そんな様子を見てか、おばばが余計なことを娘に吹き込む。
「何か目標があった方がいいし、隣の駅前にある中学受験してみたら?」
単純な娘はまんざらでもない様子である。
「あんたねえ、受験なんてそう簡単なもんじゃないんだよ?受験する子はみんな4年生くらいから塾に通って、そのために勉強してきてるんだからね?」
そんなあたしの言葉にも現状を全く把握していない娘と、受験なんて興味がなかった自分自身のために、本屋へ行き、中学受験ガイドやら過去問を眺め、勢いで、その学校の過去問まで買ってしまった。
自身の進学の際にも、全く受験に興味がなかったため、偏差値?なにそれ?な状況で大人になってしまったあたしは、各学校の合格難易度、であるとか、そう言ったものには全く疎く、そう言った類のものは就職試験の時に買ったくらいだったので、家に帰るとワクワクとして、問題を解いてみることにした。
小学校6年生レベルの問題でしょう?こんなもん、ちょちょいのちょ・・・。
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なんだこれ?問題文の意味も分からないし。(T◇T)
方程式、なんていう便利なものは使わずに数値を求める、と言うのは意外と難しかったり。
深く考えすぎて実は単純な問題だったり。
1問解くごとに凹みまくりだ。(本当は解けてない)
この際、算数は置いておくとして、国語はどうよ?あたしは国語だけは得意なんだから。
と、問題を見ると(算数で怖気づいたため、今回は解く気力すでにナシ)、なあんだ、やっぱ国語はたいしたことないや、問題文が結構読み応えがあるけど、よく読めば答えられなくないじゃん、と最後の問題を見てあたしはフリーズした。
「次の写真に題名をつけ、写真について考えたことや想像したことなどを条件に合わせて書きなさい。」
体育館の床にバスケットボールが転がっている、と言うただそれだけの写真を見て、文章を考える、と言うだけでも大変だと言うのに、さらに字数(160字以上220字以内)であるとか、段落数(3段落)、各段落の文章数(2文以上)などと言う条件までついているとは。
気絶しそうになりました。
帰宅した娘に早速問題を見せ、いくつか解かせてみたが、ちんぷんかんぷんで、ベソをかく始末。
「どうするの?受験するの?」
と言うあたしの問いに、娘は
「やっぱやめようかな・・・(^^;)」
たはは。。。
まあ、願書出すまではまだ時間があるので、じっくり考えてくれていいと思う。
その学校の教育自体はそれなりに魅力あるものだし。(これも賛否両論分かれるところである学校なのだけどね)
それにしても各学校の特色、であるとか、さらっと見て感じたのだけど、中学で受験させて、その先大学まで続いていく、と言う、いわゆる将来へのレールを敷く、と言うのが受験の目的であるのならば、学校選びと言うのはものすごく重いものだ。ヘタしたらそれで子供の将来が決まってしまうんだから。
さらにいえば、それは子供の可能性を狭めてしまうことにもつながりかねない、と言うことにもなる。
いわゆる「いい学校」と言うのが必ずしもその子にとっての最適な環境とは言えないのじゃないか。
だから、個人的には中学受験にはあまり意味を見出せない、と言うのがあたしの考えだ。
幼稚園選びから始まって、子供の進路を決めるのは本当に難しいですね。
ちなみに我が子たちが利用している通信添削は最近テレビCMが盛んに流れている某Z会なのだが、「東大合格2人に1人」と言うキャッチフレーズを見て、お互いに
「じゃあ、あーちゃんだ」
「イヤ、ゆうでしょう」
と譲り合っている。
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あたしは父が嫌いだ。
どうしても許すことができない。
仕事で腰を痛めて、そのことでの苛立ちからか、酒に溺れ、そのためにまた、身体を壊し、と言った悪循環で、我が子に話しても信じてもらえないような貧しい暮らしを余儀なくされた幼少時代の記憶は、消そうにも消せず、酔っ払って怒鳴る父と、それを非難しこそすれ、そこからあたしの存在を理由に逃げることもなく、延々と愚痴をこぼし続けた母の姿ばかりが思い出され、ホームドラマみたいな家族なんて、絵空事にしか思えなかった。
それでも、今になって思えば、休まずに仕事に行き、疲れ果てて帰宅する、その心情は分からなくもない。
怒鳴り散らしていたのも、うまく自分の気持ちを伝えられない不器用さだったのかもしれない。外面が良かったから、家に帰るとその反動で不機嫌になったのかもしれない。
多分、かわいそうな人だったのだ。
ふとカレンダーを見ると、うっかりしていた。父の誕生日だった。
その昔の田舎のことで、戸籍の記載が間違っていた、とかで、実際生まれた年と1年違うとのことで、本当は去年の誕生日が77歳だったような気もするが、戸籍にのっとって今年を77歳と言うことにしてもらおう。
母の誕生日の時はジャンパーを贈ったが、父には何を贈ったらよいだろう。
そういえば、あたしが高校生の時に初めて棒針を使って編んだ鹿の子編みのベストを愛用してくれているが、あまりよい糸は使ってないし、ベストなら何枚あっても家でも外でも着られるし、3シーズンは着られる、と思い、カシミアのベストを贈ることにした。
出勤前に急いで買い、配送の手続きをした。
翌日、母から届いた、と電話があった。
「お父さんもありがとうって」
自分でかけてくりゃあいいのに、とも思ったが、それはそれで居心地悪いことになりそうだ、と思ったあたしの耳に、
「ありがとう!」
聞き慣れた、ぶっきらぼうな怒鳴り声が聞こえてきた。
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