いつものように定食を食べ、後半がんばろう、と売り場に戻ったものの、どうにも気持ち悪い。生あくびばかり出る状況。
「なんか眠くてだるい」
とレジに突っ伏したい衝動に駆られる。
「花粉ですかねぇ〜・・・。」
と思いつつも、その眠さ、気持ちの悪さは半端ではない。
事務所でデータ見る振りして椅子に座りしばし休憩。
いつまでもそうしているわけにも行かないので、しぶしぶ売り場に戻ったものの、こみ上げてくるものが。
「ゴメン、ちょっとヤバイ」
とI君に言い残し、トイレに駆け込む。
こみ上げてくるものの、一向に出てくる気配がないので、指を突っ込んでみる強硬手段に出るがダメ。
仕方なく、もう一度売り場に戻るが、どうにもこうにも仕事にならない。
「じっとしてるとダメっぽいからちょっとうろうろしてくる」
と言い残し、事務所に向かう途中、今度は完璧にこみ上げてくるものがあり、トイレに駆け込む。
今度は完全に戻し、涙目になり、とりあえずすっきりしたものの、もうどうにもならないだるさに襲われる。
その時点で終業10分前。とりあえず胃薬をもらい飲んだが、それがまた吐き気を誘引し、ばたばたと片づけをし、帰ろうと思ったのだが、ものすごい吐き気とだるさでとても歩く気になれない。
家に電話して、少し休んでから帰るから遅くなる、と伝え、念のため、まだ帰宅していない夫に電話してみる。
「まだ仕事?」
「そろそろ帰る所」
「悪いけど迎えに来てくれない?気持ち悪くて動けない」
結局夫がそのまま迎えに来てくれることになり、40分余りベンチに腰掛け待つことに。
その間、3回ほどトイレに駆け込み、ぼろぼろになって待っていた。
夫に迎えに来てもらい、何とか家に帰り着くと即効で着替え、娘が敷いてくれた布団にもぐりこむ。
そうは言っても明日の朝、息子の弁当を作らねばならない。お米をセットしておかなければ、と娘に頼む。
「お米いれてタイマーは・・・」
「知ってるよ、大丈夫」
そのままぐっすりと朝まで寝た。
起きたものの、やはり何となくだるい。吐き気はおさまったものの、調子にのって食べてまた戻しても嫌なので、プリンと小さなおにぎりを食べた。
娘がセットしておいてくれたので、ご飯はきちんと炊けており、一安心。
持つべきものはやはり家族、と痛感した。
で、原因はいったいなんなのでありましょう?
熱もなく、突然の吐き気、これといって思い当たるものと言えば、社食でご飯食べたことくらい。
以前も豚肉のしょうが焼き定食を食べた後、居たたまれない吐き気に襲われ、えらい目にあったことがあるのですが。
さて、今日の昼。いったい何を食べよう。
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2004年02月21日(土) |
はじめてのおるすばん。 |
親戚で不幸があり、おばばが急きょお葬式に行くことになった。しかもちょっとそこまでではなく、静岡のほうまで行かなければならないのだ。
ところが、である。そんな今日に限って、夫もあたしも仕事で、家には子ども達二人が残されることになった。
おばばは早朝から出かけ、夫も朝早く出かけ、あたしも10時過ぎには出かけ、早くても7時を過ぎなければ大人は誰も帰ってこない。
9時間も10歳と6歳の子ども二人を置いて出かけるなんて、意外にも親バカで過保護のあたしにはもう耐えられないくらい心配で心配で。
仕事中も大丈夫かなあ、なんかおかしなことやらかしてないかなあ、、、とそればかり考えているような始末。
とは言っても、出掛けに
「洗濯物は3時を過ぎたらしまってね」
であるとか、
「お風呂掃除をしておいてね」
であるとか、
「お米は3合だから炊いておいてね」
と言うような、初めてのお留守番には似つかわしくない指令を与えていったのだが。
出かける前に昼ご飯を用意していこうか、と言うと
「自分で作るからいい」
と言う。
ご飯があるからおにぎりを作るし、ラーメンくらい作れるよ、と。
火の始末だけは気をつけて、カギも閉めて絶対どこかに出かけたりしないでね、と言い残し出かけた。
何はともあれ、休憩時間に携帯を見るとなにやらメールが来ている。
「ご飯てどうやって炊くの?」
・・・待て。
とりあえず、家に電話をし、お米をセットしたらあとは炊飯のスイッチを押すだけだよ、と教えると
「なあんだ、それだけ?」
それだけだよ。(-_-メ)
洗濯物はしまったか、と聞くと
「あんまり乾いてなかったからまだ干してある」
もう少ししたらしまっておいてね、じゃあ、お願いよ、と電話を切り、とりあえず、一安心する。
そんなこんなで仕事をし、終業時刻になり、大急ぎで着替え、家に電話すると、
「ご飯炊けたよ。あと、卵焼き焼いといた」
娘の唯一できる得意料理だ。
じゃあ、急いで買い物して帰ってご飯の支度するから待っててね、とこれまた大急ぎで買い物を済ませ、帰ってから支度するのだから簡単に済ませようとあれこれ考えて帰宅するとのんきに
「お帰り〜」
って夫がすでに帰ってるし。
「今から急いでご飯の支度するから」
というあたしに、
「もう食べたよ」
え?
「昨日のサケの残りがあったし、みそ汁も残ってたし、あーちゃんが作った卵焼きもあったし」
急いで帰って来たあたしの立場まるでなし。
あたしも娘の作った卵焼きと残り物でご飯を済ませ、くつろいだ。
「今日はいろいろありがとう。やればできるんじゃん?」
娘に言うと娘はにやにやしながら
「もういろいろ頼まないでね。疲れちゃった」
お母さんたちは毎日そゆことやってるんだよ。(笑)
何はともあれお疲れ様。
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あたしはA型である。誰がなんと言おうとA型である。
「血液型って途中で変わることもあるんですよ」
であるとか、
「限りなくO型に近いAでしょう?」
であるとか、
「マジで?ウソでしょ?」
というようなコメントを頂くのは心中複雑であり、なんとかしてあたしに対する間違ったイメージを払拭するべく日々努力をしているのですが、なかなか認めてもらえず、世の中の厳しさを痛感しているのですが。
卒園式、入学式と言う大きなイベントを控え、いい加減髪の毛をなんとかしたいなあと思っていたあたしは、美容院に行くことにした。
どんな風にしようかなあ、と待っている間に雑誌をペラペラとめくり、大体の感じを美容師さんに伝え、あとはお任せするのがいつものパターン。
今日も大体の雰囲気を伝え、久しぶりの美容院、手当たり次第に雑誌をめくる。
古くなった芸能ネタにへえ〜・・・そんなことがあったんだ〜・・・とテレビもろくに見ない世間知らずのあたしは感心することしきり。
久しぶりにパーマをかけたもので、待つ時間がえらくあり、とうとう残すところあと1冊、と言うところで、部屋の片付けについての特集記事に目が止まった。
あたしがA型ではないと思われる原因の一つに「片付けベタ」と言うのがある。
昔っから整理整頓であるとか、部屋の片付けであるとか、掃除の類がほんっとうに苦手で、と言うか大嫌いなんである。
自分でもその辺のところがダメなんだよな、と思いつつも腰が重く、なかなか片付ける気にならない。
そんなあたしは、よくそう言った雑誌の特集を目にし、なるほど、これなら片付くなあ、と思ったりもするのだが、
「めんどくさい」
のひとことでことごとく却下されるのだ。
先日も、物置状態と化していたクイーンサイズのベッドの上にある衣類を、しびれを切らした夫が片付け始め、一緒に作業をはじめたものの、5分後には音をあげるというだらしなさ。
このだらしない性格はどうにもならんね、と記事に目をやると、性格診断テストがのっていた。
設問に答え、得点数でタイプが分かれるというもの。
ふむふむ、とやってみると、「豆粒の上に寝たお姫様タイプ」と言う結果が。
アンデルセン童話で、何枚も重ねた布団の下のたった一粒のえんどう豆が気になって眠れなかったお姫様ということなのですが、つまりは完璧主義。
やり始めたら完璧に仕上なくては気にいらない、だからいったん片付け始めると、きちんと終わらなくては気が済まず、そのための労力を考えるとうんざりとし、やらないほうがマシ、今日はやめよう、明日にしよう、と永遠に来ない明日に誓うタイプなのだそうだ。
まさにそのとおりだよ!
やりたくないわけではないのだ。やりだしたら、完璧に仕上なくては気が済まないからなのだよ。
だからね、片付けベタって言うのは実は完璧主義の裏返しだったりするんですよ、うん。
そこ、ただのめんどくさがり、って言わないように。
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嫌な季節がやってまいりましたね。
花粉ですよ、奥さん!
ここ数日、目が痛くてあけられんのですよ。コンタクトをしているせいもあるのですが、ゴロゴロ異物感がして、(ちなみにソフトレンズ使用なので通常異物感はないのが正常です)外に出ればまぶしいし。
鼻の奥のほうにつーんと来る痛みもあるし、頭は眉間から頭頂部にかけてなんとな〜く痛み。
何かの拍子でくしゃみが出始めると止まらないし。
ここ連日、新年度を迎えるに当たり、一部の担当商品が他部門に移管することになり、それに伴う売り場替えなどもして、ほこりにまみれることが多かったせいもあるのでしょう。
しかも連日肉体労働が続いたせいか、夜、入浴中についウトウトとし、反面、お風呂から出た後は目がらんらんとさえまくり、眠れないと言う夜が続いています。
昼は眠いし、完璧に生活のリズムが狂ってます。
そこへ加えて、最近ランチやら飲み会やらのお誘いが多く、それがまたあたしが参加不可能な日程ばかりときやがるから余計にストレスとなっています。
せっかく教えてくれたのに、いけなくてゴメンね。
いや、しかし、マジでつらいです。
ここらでそろそろゆっくりしたいんだけどな。
思考能力ゼロです。ちょっくら寝てきます。
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毎日が理不尽なことばかりで、イライラが続いている。
本部からえらい人たちが来て、売り場をああしろ、こうしろと言うだけ言い残し、帰っていく。他にどんな作業があっても最優先でやれと言うのだから、迷惑以外の何ものでもない。
「前々からそのやり方はダメだと言ってあるだろう?俺をバカにしてるのか?」
って言われても誰もそんな話聞いてないって。
昨日までは白かったものが今日からは黒くなる。結果を出すためだから、と言われてもどう考えてもおかしいと思われる指示に黙って従わなければならない組織と言うところは本当にはたから見ると愚かしいし、バカバカしい。
人間は単純だ。努力が認められれば嬉しいと思い、次もがんばろうと思える。
だけど、ダメだしばかりで、例え指示どおりにがんばったとしてもよくやった、と言われることもなく、指示どおりでも結果が出なければ、努力が足りないと言われる。
どこの会社もそうですか?
バブリーな時代にのんびりと働いていたあたしには世の中の厳しさが分からないのかもしれません。
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もう、死んでしまいたいと思い、手にカミソリを持ち、ぼんやりとその鈍い光を見つめていた。
電話が鳴った。
あの人からだった。
あたしは泣き崩れ、手にしていたカミソリを落とした。
次の日、憂鬱な気持ちを抱えたまま仕事に向かうとそこにはあの人がいた。
あたしは夕べ死のうと思っていたことは話していなかった。だけど、電話で様子がおかしかったから、と心配して様子を見にきてくれたのだ。
あたしは救われた、と思った。
この人は命の恩人だと思った。
藁をもすがる思いでしがみついた。
それから10年が過ぎた。
しがみついた藁はやはり藁だ、と思い知らされることも多々あった。
そんな話をしたら、
「すがられて踏ん張ったんだから頼もしいじゃないですか」
と言われた。
あまり認めたくないし、公言することでもないが、あたしは精神的にとても不安定だ。
負の感情に支配されると、頭を壁に打ち付けたり、自分で自分を噛んだり、病んでいる、と言ってもいいくらいの状態に陥ることがある。
そんな風に、ただひたすら頭を打ち付ける様を見ても怖がらずに逃げずに、うろたえながらもそばにいてくれた。
つまづいたらもう一度最初に戻ってみればいい。
時が過ぎれば環境も変わり、人も変わる。
大切なのは変化を恐れずに受け入れていくことなのだろう。
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自分がしてもらえないことは相手にもしない。
自分がされていやなことは相手にもする。
一瞬耳を疑った。
そんなことを言われ、あたしはどうしたらよいのだろう。
自分が至らないのは充分にわかっている。
そのことで周りに不快な思いをさせてしまうことも良くわかっている。
自分がしてほしいことはまず自分からする。
自分がされていやなことはしてはいけない。
バカなあたしでもそれだけは守ろうとしている。
快・不快の感情の基準は人により異なる。だからこそ、気がつかないうちに傷付けてしまった場合はきちんと謝罪して改めるようにしている。
それでも足りない。
人間関係は鏡のようなものだ。
自分が相手を快く思っていなければ相手も自分を快く思っていない。
お互いに感じる欠点は実は自分の中の嫌な部分だったりする。
もう、傷付けあうのは嫌なんです。
何もかもあきらめて逃げ出したくなるんです。
逃げ出すにはあまりにも脆弱なおのれ自身に、ただ無力感に打ちひしがれる。
現状に甘んじるしかない無力さに打ちのめされる。
いっそのこと何もかも傷付け、壊すことができたら、どんなに楽だろう。
奥歯を食いしばり、言葉を飲み込み。
そんなときのあたしの仕事での笑顔はどうして絶品なのだろう。
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暦の上ではもう春です。
横浜に生まれ育ったから、と言うわけでもありませんが、春節があたしの中での1年の始まりと言う感じがあります。(中国では旧暦で新年を迎えます。中華街では春節になるとにぎやかに新年を祝います)
あの細木数子の占いによれば、あたしは今年はよい年であるらしい。
去年までは芳しくなかったのも運気のせいだ、と思えばいささか気も晴れようと言うもの。それも節分を境に運気が変わるのであれば、待ちに待った春節なのです。
昨日は仕事で遅かったため、子ども達に豆まきをするように言いつけ、太巻きを買って帰りました。
今までやったことがなかったのですが、恵方を向いて黙って太巻きを食べてみました。
「そんなに大きいのひとりで食べきれるわけない」
という夫の言葉を無視して、ひたすら無言で黙々と食い尽くしてやりました。
マメも年の数だけ食べたことだし、これで今年は大丈夫だろう。
このところ、言葉の重さみたいなことについて考えています。
自分の気持ちを言葉にして相手に伝える、と言うのは実に難しいものです。
同じ言葉でも使う人によってはその意味ですら全く異なっている場合もあるからです。
分かりやすい例をあげれば、
「あなたが好きです」
と言う言葉に、この人は自分に対する恋愛感情があるのだ、と受け取る場合と、もっと単純な友情的な意味合いで好きと言ってくれているのだ、と受け取る場合もあるということです。
まあ、前者が、そう感じる何らかの根拠がそこにはあったとしても、そもそも相手の視点が後者的なものであったとしたら、それは、ああ、勘違い的な状況を生み出してしまうわけです。
そんなのは受け取る側の勝手でしょ、と言う風に開き直るのもありだとは思いますが、相手側に自分の意図とは全く異なる解釈をされてしまうのにはやはり、言葉を発する側にもそれなりの責任があると思うのですよね。
もちろん言葉を重ね、慎重に慎重を期した上での発言でもうまく真意が伝わらないと言う場合もあるとは思いますが、自分が相手に言ったことが相手に対してどんな意味を持つのか、考えて話すことができない限り、軽薄であるとも言えるのではないでしょうか。
伝えるからにはきちんと自分の想いを曲解せずに受け取って欲しい、そう思うことが自然口数を多くしたり、逆に言葉に慎重になるあまり無口になってしまったりします。
クルマの運転ではないけれど、無意識に操作を行なってもかまわない場面と、注意を要する場面と言うのが日常会話においてもあるのだと思います。
ことさら意識することなく使えてしまうのが言葉であるのならば、お互いが快適に過ごせるように、うまくコミュニケーションを取ることが自然にできるようになりたいと思います。
今年の密かな目標です。
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