日々雑感
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2004年05月31日(月) タランテラ

古楽祭が開催されている。いくつかの演奏会へ足を運んでみたけれども、今日は大当たりだった。

午前中は、14世紀に建てられた川岸の古い教会にてイタリア南部の舞曲「タランテラ」の演奏会を聞く。カスタネットやタンバリンを鳴らしながら8分の3拍子か6拍子のリズムに乗せて、バリエーションを加えつつ、ひとつのフレーズが繰り返されてゆく。「タランテラ」の起源として、毒蜘蛛であるタランチュラに刺された際に、その毒を汗として身体の外へ出すために、このタランテラを踊ったのだという説があるらしい。力ある音楽とは、ふだんは視界に入らない別の世界を垣間見せてくれるものだと思うけれども、タランテラも軽快なようでありながら、どこか濃い影が落ちている。それは死の世界といってもよいのかもしれない。

演奏者もすばらしかった。久々に鳥肌が立った。演奏会によっては客の反応もそれほどよくなく、皆正直だと思っていたのだが、今回は終わったあと、観客も足を踏み鳴らしながらブラボーの嵐。両親に連れて来られたらしい小さな男の子二人も一生懸命拍手している。終演後、CDを買う。曲目と解説を読みながら、自分はつくづく「作者不詳」ものが好きなのだと再確認した。それにしても、最近、意識せずしてイタリアのCDばかり手元に集まってくるのはどういうことか。

夜、音楽祭を締め括る演奏会へ。今度は合唱と古楽器をも加えたアンサンブルによる教会音楽である。桟敷席からは舞台も客席もよく見えた。終演後、客は立ち上がり、名残惜しそうに拍手を止めない。心おきなく音楽に浸っていられた時間がもうすぐ終わってしまう。これもまた祭りのあとの寂しさ。





2004年05月26日(水) 五里霧中

夜の十時近くなっても外が明るいとは、どういうことだ。

以前贈り物としてもらったシャンパンが一本あったのだが、思い切って開ける。美味しい。飲みながら『ニシノユキヒコの恋と冒険』川上弘美(新潮社)再読。泣けて泣けて困る。アルコールのせいか何のせいか。シャンパンのボトルは二時間ほどで空いた。一生懸命、ゆっくり飲んだので。

飲み終わる頃に、CLの結果知る。強い思い入れこそなかったものの、モナコを応援していたので残念。リーグ戦、CLと、サッカーもひととおり終わったけれども、今年はまだユーロがあるので嬉しい。そういえばW杯から、もう二年か。ほんとに数ヶ月あれば、人はどう変わるか分からない。例えば夏には何を思っていることやら。


2004年05月25日(火) 春眠暁を

読みたい本も読むべき本もたくさんあるのに、手につかず外ばかり歩いている。この落ち着きのなさはどうしたものか。それでも何とか図書館にこもるが、夕方頃になって眠気に負け退散。パン屋でブレッツェルとゼンメルを二個ずつ買い、「手につかない」と言いつつ本屋に寄り道し、帰宅。食事。本を手にしたまま居眠り。電話にて起こされる。一日一日が過ぎてゆくのが惜しいと思いつつも、意識と身体と行動とが一致せずに気ばかり焦る日々。

夜は静かだ。昼間あんなによく響く声で鳴いていた鳥たちはどうしているだろう。


2004年05月23日(日) 静けさ

日曜日に外を歩いていると、どこからかオルガンの音が聞こえてくることが多い。今日も、大聖堂の裏にある小さな教会からオルガンの音がする。入ってみると小さな展示会が開かれており、中世から現代までの様々なキリスト像、マリア像、聖人の像などがひっそりと並んでいた。やや色あせた、両側を天使に支えられた木製のマリア像の前、高い窓から差し込んだ日の光がその姿を照らす。オルガンの音が響く。聖堂いっぱいに満ちる。音は確かに聞こえているのに、ひどく静かな瞬間というものがある。


2004年05月21日(金) その人の気配

母帰る。小雨降る中、中央駅発のエアポートバスに乗り込み、空港まで。いつもはひっきりなしに喋っている母が、窓の外の景色を眺めたまま口を開かない。何かやさしい言葉でもかけられたらよいものの、こちらも思わず無口になる。

チェックインを済ませ、お茶を飲み、搭乗口にて見送ったあと、電車にて帰宅する。ひとりで戻った部屋には、あちこちに母が滞在していた名残りがある。忘れていった水色のスリッパ、歯磨き粉、お土産にと持ってきた緑茶にうどん、きれいに畳まれたタオル類。それに何よりも、さっきまでそこにいたという気配だ。いつか誰かと二度と会えなくなったとき、いちばん辛いのは、その人の気配を感じた瞬間かもしれないと思う。確かにそこにいたという痕跡はあるのに、本人はもういないと思い知らされたとき。

夕食、母が荷物として持ち込めなかったソーセージをひとり部屋にて焼く。美味しい。食べさせてあげたかった。


2004年05月17日(月) プラハ

週末、プラハへ。いつかきっと行ってみたいと、ずっと思い続けていた場所がふたつあった。ひとつがペルー、もうひとつがプラハ。ホテルの部屋にて電気を消した瞬間に、そのことを思い出した。

この街には教会が多い。日曜日、地図を見ても迷うような狭い路地を歩きながら、オルガンの音が聞こえてくるたびに、その教会へと入ってみた。ここに住む人たちや通りがかりの人たちが次々とやって来ては、祭壇に向けて十字を切り、ひざまづき、司祭の祈りの声に唱和する。ろうそくの灯りが揺れる。

そんなふうにして、ある教会のミサを入り口のすぐそばの隅で聞いていた。オルガンに合わせて賛美歌をうたったあと、白い僧服をまとった司祭さまが、ひとりひとりに何か声をかけながら握手をしてゆく。その光景を遠くから眺めていたところ、司祭さまがこちらへ向かって歩いてきた。そして、手を差し出し、握手をし、目を見つめて静かに微笑んでくださったのだ。

自分が受け入れられていると感じる、あの手の温かさこそが、あらゆる宗教の根っこにあるものではないのか。私たちが欲しいものではないのか。

夜の九時を過ぎて、ようやく暗くなってきたカレル橋の上を歩いた。昼間は街頭演奏をしたり、絵を売ったりする人びとや、何より観光客でぎっしりだった橋の上も、この時間帯となると喧騒が消える。暗がりに浮かび上がるプラハ城の上に一番星を見つけた。


2004年05月13日(木) 母来る

ライラック。藤の花。薔薇はまだ蕾。夕方、通り沿いの庭先をのぞきながら歩いていると、熱心に庭仕事をする人びとをよく見かける。風に混じるのは草の匂いか、花の香りか。

先週から母親が滞在中だ。外国に来るのは初めて、言葉も分からずということで、やはり不安らしい。小さな子どものようにこちらの後ろにくっついて、何をするにも、どうすればよいのか、これでよいのかと尋ねてくる。数日前など、少し散歩をしてくるからと外に出たまま、二時間たっても戻ってこなかった。探しに出るべきか、いざというときは警察に届けるべきかといよいよ心配になってきた頃、心細そうな表情をして帰宅。迷子になって、通りがかりの人に送ってもらったらしい。こんな調子で一週間、やや疲れ気味、けれども少々切ない。

夜はまだ冷える。朝には霧が立つ。


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