日々雑感
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2004年04月30日(金) 国境越え

夜行バスで国境を越えた。ドイツからスイスを越えてイタリアまで。

午前0時発のバスに乗るべく遅い時間にターミナルへ向かうと、川のほうで花火の音がする。見ると、緑や赤の大きな花火が打ちあがっては消えてゆく。そういえば今日はワルプルギスの夜か。

ターミナルに並んで待っている人たちも、乗り込んだバスの運転手も、もうすでにイタリア語だ。おじさんは鼻歌をうたっている。トイレ休憩とみると「3分?5分?」などと口々に言いながら皆大急ぎで降りてゆく。この、ざわざわとした感じがなつかしい。ひっきりなしに喋る人たち。

うとうととして、ふと目が覚めると、バスは湖のそばを走っている。月夜だ。湖面に月明かりの影が浮かぶ。低いバスのエンジン音が響く。途中、国境検査員が乗り込んできてパスポートチェック(今回も日本のパスポートの威力を実感)。書類の不備なのか、五人ほどが荷物と共に降ろされ、彼らを置いたままバスは再び発車する。

次に目が覚めたときは山の中だった。急カーブがつづく道をバスはゆっくりと進む。夜の山は怖い。月に照らされてそびえ立つ高い峰の姿にくらべて、その懐をおずおずと進む自分たちの何という頼りなさ。深い谷間の底に、小さな村の灯りが固まっている。夢の中の風景のように、その灯りを眺めていた。それとも、あれはほんとうに夢だったか。


2004年04月28日(水) 流れの中

午前授業、午後図書館へ。ひととおり作業して帰る頃にも、まだ外は明るい。開けられたバスの窓から風が入る。乗客の半分以上は半袖だ。

昨日、川べりを歩いたときに、ものすごい速さで流されてゆく鴨を見かけた。まっすぐに前を見て悠々と、そう考えると、あれは「流されていた」のではなく、うまくつかまえた「流れに乗っていた」のかもしれない。流されることと、流れに乗ることの違いは何か。意志が介在するか否かだけの問題か。あの鴨は、よい流れを見つけたという風情だったけれども。


2004年04月27日(火) 恒例行事

学校帰りに散歩。川の中州にシートを敷いて座り込み、ビールを飲んでいるグループがたくさんいる。バス停でばったり会った友人も、自転車に乗ってこれから中州に行くのだと言っていたが、どうやら「中洲でビール」は、この街の人びとにとって新緑の頃から夏にかけての恒例行事らしい。日本ならば花見というところだけれども、緑と、川の流れと、夜も七時を過ぎてようやく夕方の気配を漂わせる空とを眺めつつ飲むお酒も、きっと美味い。夏の宵には、ぜひここに来よう。

スーパーのレジでは、前の人も、前の前の人も、ビールをケース買い。寮に戻ると入り口前に簡易ビアホールのテントが出来ており、この地方の民族音楽など流しつつ、中では皆ビールを飲んでいる。どこもかしこもビール。いい季節だ。


2004年04月24日(土) 旬の味

土曜日は広場に市が立つ。ハムやチーズ、果物、野菜、春の花などの屋台に混じり、今日は白アスパラガスを売る屋台が大量に出現。並べられた白アスパラガスはつやつやとひかり、色からして食欲をそそる。広場では、白アスパラガスを袋にどっさりと詰めた人びとが行ったり来たり。家族そろって食事することが多い週末、今日はきっと食卓に山盛りの白アスパラガスがのぼるのだろう。まさに旬の味。日本における秋のサンマのようなものか。

バッハのマタイ受難曲ばかり聞いている。朝も昼も晩も。


2004年04月21日(水) 緑の季節

学期が始まったばかりのせいか、構内の人口密度が高い。通学用のバスも満員で、乗り込めない人も出てくる始末。朝からの晴天もあって、歩いて帰ることにする。

大学から街の中心部までは緩やかな坂道を下る。途中、ポプラ並木を通り過ぎる。たんぽぽが一面に咲いた原っぱがある。花の色よりも木々の緑の鮮やかさが目にしみる。道沿いにあるビアガーデンでは、夕方というにも早い時間帯だというのに、もう大勢の人がグラスを前に喋ったり、笑ったりしていた。皆が心待ちにしていた季節がいよいよ近づいてきたらしい。

ベビーカーに乗った小さな男の子とすれ違う。食べかけのブレッツェルを手にしながら、太陽のほうを向いて目を細めている。まぶしいか。暖かいか。彼にとっては、まだほんの数度目の春である。



2004年04月20日(火) 二人暮し

先週は二軒友人のところを訪ねた。どちらもパートナーとの二人暮しである。

一軒のほうは、もともとはそれぞれの蔵書であったという本が、本棚にぎっしりと詰まっていた。小説や歴史書から始まって、建築や金銀細工の写真集まで、いろいろなジャンルの本が並びながら、それでもバラバラという印象はない。

もう一軒のほうは、どちらも元美術専攻の学生ということで、家中に各自の作品が置かれている。片や写実的な鉛筆画、片や色とりどりの台所素材を使ったオブジェや大版の油絵と、作風はまったく違うのに、こちらも不思議にしっくりと共存している。

互いの持っていたものを無くすわけでなく、それらが調和し、「その家」ならではの新しい空気が生まれている。そして、どちらの家も居心地がよい。うまく調和するような要素を持ったふたりが自然と寄り添うのか、暮らしてゆく過程でだんだんと馴染んでゆくのか。

それにしても、本棚が倍になるというのは魅力的と思う。そういえば、友人の家の大きな本棚の上では、五歳になるという黒猫が長い尻尾を丸めたまま、いかにも気持ちよさそうに昼寝していた。


2004年04月19日(月) 皆に幸あれ

土曜日に行われた友人の結婚式の写真が届く。新郎も出席者の面々も10年来の付き合いである。それにしても皆大きくなったなあと、しみじみ思う。いい年の大人をつかまえて何だが、「変わった」というよりも「大きくなった」という印象が強い。実際にその場にいたわけでなく、距離をもって眺めたせいか。ちょうど、祖父母が孫を見るときの視線に似ているのかもしれない。

仕事を持ったり、結婚したり、子どもが生まれたり。必ずしもよいことばかりでもなかったはずだけれども、それぞれに時間を過ごして、今そこにみんないる。それだけでよいのだ。

終日うすぐもり。ときおり小雨。低気圧のせいか、眠気が抜けず。春だ。そういえば、昨日の晩は遠くで雷が鳴っていた。


2004年04月18日(日) 眠り込む

言葉に関しては、依然として問題が多い。語学力不足やら何やらで思っていることを伝えられず、あるいは向こうの言葉を理解できず、相手に怪訝そうな顔をされるときの悲しさやら、情けなさやら、もどかしさといったらない。同時に、言葉が通じたときの嬉しさも、いまだに薄れない。意思疎通に常に全力を傾けて集中しなければならないのが、毎日ぐったりと疲れる理由か。一週間外に出ていたあと、久しぶりに人と会う予定のなかった日曜日、ベッドから起き上がれず。ひたすら眠る。珍しく色のない夢を見る。


2004年04月13日(火) ボルツァーノ

南チロルはボルツァーノへ。ドイツ語名はボーツェン。インスブルックに住む友人を訪ねていたのだが、そこから電車で2時間ほどだというので遠征することに。乗り込んだ電車の名前は「ミケランジェロ号」、終着駅はローマである。

ブレンナー峠を越えたところで、車掌がオーストリアの人からイタリアの人へと代わる。南チロルはドイツ系とイタリア系が混ざり合いながら暮らしている場所ということもあり、車内アナウンスも駅名標示もすべてイタリア語とドイツ語の両方で行われている。街の中も然り。お昼を食べた食堂の人はドイツ語。屋外でコーヒーを飲みつつ大きな声で何かを喋りあっているおじさん三人組はイタリア語。そしてどちらも、自分たちの言葉が分からないと見ると、こちらに合わせて、すぐもう一方に切り換える。

言葉も人びとも混じり合う場所。混血のバランス故か、南チロルは美男美女が多く、特に「黒髪に緑の瞳」という特別な美形が現れることで有名らしい。一方で、必要に迫られて二つの言葉を使いながらも、イタリア系とドイツ系の間では依然として、ほんとうに親しくは交わらないような壁が存在するという。

通りがかりの者には見えにくい、ある燻るものを抱えつつ、背の高い柱廊に縁取られたイタリア風の広場や、淡い黄色や緑色の家々が整然と並ぶドイツ語圏風の路地とが並び合って、街並はあくまで美しい。それに、街をぐるりと囲む山々。アルプスから流れてくるのであろう、澄んでいかにも冷たそうな川の流れ。桜咲く中をぶらぶらと歩き、広場に面したカフェにてカプチーノを飲んだ。

帰りの電車、再びの峠越えのあと、国境検査の警官が乗り込んでくる。パスポートを取り出し、表紙を見せたところで「ヤーパン、オーケー」。中を開きもしなかった。日本のパスポートの威力を今回も思い知る。さながら水戸黄門の印籠。


2004年04月10日(土) ぬくもり

夕方、川を見渡せる高台の公園にて散歩。公園は石造りの低い壁にてぐるりと囲まれている。そこの上に座っていると、小さな女の子が端のほうから歩いてきた。もう一方の端まで行きたいらしいが、彼女にとっての「道」であるところの壁上の幅は狭く、障害物として見知らぬ大きな人がそこにいる。果たしてどうするだろうと動かないでいたところ、こちらの目を見て、いかにも嬉しそうに笑ってから、ためらう様子もなく、そのまま突進してきた。抱き上げて向こう側へと渡してやると、振り返り振り返り、それでも先へと進んでゆく。日暮れどき。壁の向こうに、その影が長く伸びる。なつかしいような、かなしいような気分になる。

誰かに安心しきって頼りにされる、それ以上に力がわいてくることがあるだろうかと思う。


2004年04月07日(水) 完敗

チャンピオンズ・リーグ準々決勝、ミランがデポルティーボに4対0で敗れる。これで、ミランは今回のCLから撤退。

前回、ホームにて4対1で勝ったときは、ほぼ間違いなくベスト4に進出と思った。前日、レアル・マドリッドやアーセナルが「まさか」の敗退劇を演じたときも、これを反面教師として、選手たちも気をひきしめてくるだろうと信じた。実際、3対0で負けない限りは、先へ進めるという状態だったのだし、ミランの守備陣は今シーズン2点以上とられたことはなかったのだ。

けれども、結果は見ての通り。最近のリーグ戦での不調に嫌な予感こそしていたけれども、まさかこうなるとは。「絶対」とかいう言葉はあり得ないのだと痛感。何が起こるかわからない。ほんとうにわからない。逆に言えば、何でも起こり得る。

それにしても、まいった。トーナメント式の場合「終わり」がはっきりとした形で目の前に突きつけられるのがきつい。一晩たって、ふと、そういえばもう終わってしまったと気づくのだ。CLはもちろん来年もあるし、リーグ戦も代表での試合もつづく。けれども、ある瞬間は確実に過ぎ去ってしまった。それはもう決して取り戻せないものだ。

ベスト4は、モナコ、チェルシー、デポルティーボ、ポルト。あとは純粋に楽しんで試合を観られる。それはよいけれども、さびしい。ミランが決勝進出したときにはスタジアムへ行ってしまおうかとも思っていたが、それも夢と消える。


2004年04月06日(火) ラジオより

日曜日は友人と飲みすぎ、月曜日は微妙に二日酔い、明けて今日、久々にすっきりと目が覚めたと思ったら雨だった。窓の外を傘をさした人びとがゆく。

いつも同じラジオ局にチャンネルを合わせている。一時間ごとの短いニュースを除いては、常に音楽。主にクラシック、それに映画サントラ。ちなみに、この局自身のコマーシャルで使われているのはスメタナの「モルダウ」と「ロード・オブ・ザ・リング」の組み合わせだ。特に映画音楽のほうは、思い入れのあるものだったりした場合、つい作業の手を止めて聞き入ってしまう。

今日は「サイダーハウス・ルール」流れる。あれはほんとうによかった。新宿の映画館、映画を見終わって外へ出たときも、今日と同じような小雨が降っていた。


2004年04月03日(土) 湖にて

車で三時間。国境近くにある湖へ。

湖の上には小さな島がいくつか浮かぶ。船に乗り、その島々をめぐった。船着場で降り、葦のしげみを過ぎ、湖岸沿いをぶらぶらと歩く。陸に上げられた木製のボート、手入れすべく広げられた網、水辺の匂いのする村々だ。いちばん小さな島には修道院があり、そのすぐそばの食堂にて昼食。戸外にてビールを飲んでいると、鴨の番いがそばに寄ってきて何かくれとせがむ。

船には休日を過ごすために他の街からやってきた人の他に、買い物袋やビールのケースを抱えた地元の人も。隣りの席になった、三歳くらいの男の子を連れた老夫婦は、今日は孫と食事するためにあそこから下りてきたのだといって、湖面の向こうの山のほうを指差した。

帰りの車の中、だんだんと日が暮れて、丘の向こうに夕映えが広がる。一番星が出る。月がのぼる。薄青い春の夕景。助手席にてぼんやりとして、家まで送ってもらって、友人におおいに甘えさせてもらった一日。誰かといっしょにいる安心感を久しぶりに思い出した。


2004年04月02日(金) 夢の覚めぎわ

薄い上着でも大丈夫なくらいの気候になったが、部屋の中にいるとまだ寒い。弱めに暖房をつけていたところ、午後になっていきなり止まる。機械的な問題か。もう春なんだから必要ないだろうということか。仕方なくベッドの上で足だけ布団に入れて本読みのつづき。直に寝入ってしまう。

目が覚めると19時。ついつい昼寝してしまったあとの、あの「やってしまった」という何ともいえない感じも、まだ外が明るいのに少し薄らぐ。錯覚とはいえ。

夢から覚める夢を見た。夢の中で、そういうときは決まって安堵している。


2004年04月01日(木) 犬と散歩

外を歩いていると、犬の散歩中の人とよくすれ違うが、紐をつけずに放しっぱなしにしている場合がほんとうに多い。大きさには関係なし。小さな子どもならば背中に乗っても問題なさそうなシベリアン・ハスキーが、のっそりと向こうからやって来たり、その十分の一もなさそうな黒いチワワが早足で駆けて来たりする。やがてしばらくしてから、紐らしきものを一応手にした人間。「犬の散歩」というよりは「犬と散歩」だ。ドイツでは暮らしにくいタイプとして「ビールと犬が嫌いな人」を誰かがあげていたのを聞いたことがあるけれども、ビールはともかく犬のほうは納得。


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