日々雑感
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2003年08月27日(水) 最後の線香花火

夜、友人たちと花火。蚊取り線香を傍らに置きつつ、夏のはじめにやり残していた山のような線香花火に次々と火をつける。南東の空には最接近中の火星。今夜は星がずいぶんよく見える。

花火の山、いつまでも終わらないような気がしていたけれども、それでも残りわずかとなる。友人は、来年まで取っておくからと言って選りすぐりの数本を仕舞いこんだ。それぞれ手にした最後の線香花火が、ゆっくりとしぼんで消えてゆく。あとには虫の声ばかり。


2003年08月26日(火) 消え残るもの

夕方。人も建物も深く澄んだ夕日の色の中に沈んで、影となったニセアカシアが揺れる。漁を終えて帰ってくる漁船の音がする。ときどき不意に訪れる、嘘のように鮮やかな夕焼けの日。こんなものを見せられると、この場所を離れがたくなって困る。残照。残響。消えてゆく直前のものは、どこか悲しく、ひどくきれいだ。


2003年08月22日(金) 野菜天国

知り合いの畑にて取り入れの手伝い。だだちゃ豆を根っこごと地面から引き抜き、そこから房をひとつひとつ採ってゆく。他にナス、レタス、オクラにゴーヤ。まだ青いトマトの匂いもなつかしい。自分の手を使った作業というのはいい。土の手ざわり、豆の房の細かな毛。

夜の献立。採れたての野菜にて、肉よりも野菜のほうが多い、いちおう「焼肉」。


2003年08月21日(木) 夜更け

東の空、影となった林の上に火星。南の空にさそり座。足元の草は露に濡れている。何層にも重なって虫の声がする。


2003年08月19日(火) その一年

駅に大きな荷物を抱えた家族連れ。お盆の里帰りから、少し遅れてのUターンか。

小さな男の子が、見送りに来たおじいさんに手を振っている。「また、来年ね」。来年。一年はあっという間に経つかもしれないが、その間に何が起こるかなど誰にもわからない。「一年」という時間の重みを目の前に突き出されたような思いになる。

線路の向こう、汽車は小さくなってゆく。やがて見えなくなるまで、おじいさんはずっとそこにいる。


2003年08月18日(月) 萩にススキに

暑い時期がなかったせいか、新しい季節を迎えるふんぎりがつかない。実はまだ梅雨が明けたばかりで、これからようやく夏が始まるのではないかと思ってしまう。けれども、外では既に萩の花咲く。傍らにススキ。冷凍庫には手つかずのアイスクリームが残っている。


2003年08月16日(土) 制服マジック

送り盆を見がてら叔母の家へ。この春から看護学校に入った従姉妹が、買ったばかりのナース服を着てみせてくれる。薄いグレーのストライプ地のナース服に真っ白なエプロン、それにナース帽。ほんとによく似合う。思わずため息。世の人びとが制服姿にくらりとくる気持ちがわかったような気がする。叔母など、せがんで自分でも着てみたらしい。曰く、鬼婦長のごとし。

初々しい従姉妹のナース姿に、うちの父親は目をうるませている。並んで撮った写真では満面の笑み。帰ってからも、「ナース服姿、めんけごと(ナース服姿、かわいいなあ)」。遠い目をしている。


2003年08月15日(金) 異文化交流

父親の古い友人がお盆で里帰り中。夕飯に呼ばれる。

結婚した相手も息子も、大阪生まれの大阪育ちで、今も大阪在住。場が秋田弁になると話の半分も分からないらしい。耳慣れない単語が出る度に「これはどういう意味か」と通訳。特に、生粋の秋田弁を話す祖母と関西弁の孫とのやりとりは、異文化交流の現場を見ているような思いになる。

畳の部屋に線香の匂い。寒い寒いと言いながら、皆してスイカを食べる。


2003年08月14日(木) 晩夏

地元の花火大会。何日も前から、皆、花火の話ばかりしている。

母親と弟と三人して浜へ。ここからならば、対岸の港から打ち上げられる花火がよく見えるだろうと誰もが考えるらしく、大盛況である。近所から歩いてきた家族連れ、ワゴン車の屋根にのぼった若者たち、ひとりスクーターに腰掛けて腕組みをしたおじさん。そろって、海の上に浮かんでは消える花火を眺めている。

光も色もよく見えるけれども、花火の音は届かず。かわりに、波の音、虫の声、それに秋風。今年の夏も行ってしまった。夜の浜に大勢集まって、さながら、夏を見送る儀式のごとし。

夜更け、雨となる。厚めの布団がほしい。


2003年08月12日(火) チヨコマン

近所のおばあさんに頼まれ、スーパーへ。買い物リストを見ると、スイカ、豆腐、小菊などと並んで「チヨコマン」の文字。これはチョコレート饅頭のことかと尋ねると「違う。あの、火をつけるやつ」と言う。チャッカマンか。

スーパーはものすごい人出で、皆、食料やらお酒やらを山のように買い込んでゆく。お盆はやはり大イベントなのだ。

窓から大きなニセアカシアが見える。葉ずれの音が聞こえる。透けて見える空だけは、すでに秋の色をしている。


2003年08月11日(月) きめなくてはならない

八月の最中に『ムーミン谷の十一月』トーベ・ヤンソン(講談社文庫)読む。ある朝、目がさめると急にあたりに満ちていた秋の気配に、スナフキンは、今年もまた旅に出る季節がやってきたと知る。「秋になると、旅に出るものと、のこるものとにわかれます。いつだって、そうでした。めいめいの、すきずきでいいのです」。「でも、ぐずぐずしていて、とりかえしのつかなくならないうちに、どちらにするのか、きめなくてはなりません」。

北東北、今年は梅雨明け宣言なし。今日も雨。肌寒い。「すでに季節は秋に向かっている」。テレビからアナウンサーの声が聞こえる。


2003年08月10日(日) あなたの中のわたし

畑の野菜をわけてもらうべく、母親の運転する車で知人の家へ。ナス、ピーマン、人参にインゲン。借りたゴム長靴に履き替えて茂みの奥にもぐりこみ、バケツ一杯の茗荷も採る。

アイスコーヒーにて一服。ふとしたことから自分が小さい頃の話になる。ピアノの練習中、楽譜の裏に本やマンガを隠してこっそり読んでいたとか、人見知りで引っ込み思案のくせに、遊戯会などの舞台となると人が変わったように堂々と踊っていたとか、自分ではすっかり忘れているようなことを、母親は次々と話す。

自分もまた、いろんな人の、もしかしたら当人は覚えていないかもしれない記憶を抱えている。人の一生というのは、たぶん自分ひとりだけのものではないのだ。「自分」は他の誰かの中にもある。そんなふうにして、つながっている。つづいてゆく。

帰り道、ポプラ並木の上に大きな月、道路沿いに月見草。


2003年08月09日(土) 愛、燃える

ラジオから台風情報。やや速度を上げながら北上しているという。外に出している鉢やらバケツやら丸太やらを、風で飛ばされないように建物の中へと運び込む。傘など差している間もなく、雨ガッパをしっかりと着込んで作業。

夜、従姉妹とふたりして宝塚のビデオを観る。彼女ご贔屓の雪組公演「愛、燃える」、主演は轟悠。舞台は中国春秋時代、越の国から差し向けられた絶世の美女西施と吾王の「愛の物語」。宝塚というと、ベルばらなどの洋物しか知らなかったけれども、とにかく華やか。きらびやか。そして、スーパーで流れるコマーシャルソングのごとく頭から離れないテーマソングのリフレイン。

お菓子など食べながら夢中で見入るが、途中、ふたりして眠気に負けて、いちばんよい場面は明日にとっておくことにする。台風はいつの間にか通り過ぎたらしい。雨の音ももう聞こえず。


2003年08月08日(金) ベッカムはまだ5歳

隣りの家には、中学生を筆頭に女の子ばかり4人いる。晴れた日などは、外にて駆け回っている声が遅くまで聞こえる。

その四姉妹、まだ幼稚園の末っ子が「ベッカムに似ている」と、うちの母親がしきりに言う。ちょっとはにかんだときの表情がそっくりらしい。ベッカムに似た5歳の日本の女の子。10年後くらいに会うのが楽しみ。

午後、今年短大に入ったばかりの従姉妹が泊まりに来る。だらだらしていた家の中が急に明るくなる。若いというのは、それだけでピカピカしたオーラを発するものなのだ。特に父親がご機嫌。


2003年08月07日(木) 草刈り日和

草刈り。首にタオルを巻き、日焼け防止の長袖シャツ、それに麦わら帽子という出で立ちで、朝早くから外に出る。

刈っても刈っても、雨が降るたびに草はぐんぐん伸びる。まだら模様にならないよう電動の草刈り機を動かしていく作業は、伸びた髪の毛を丁寧にバリカンで刈ってゆくようなものか(父親には家の周りを「虎刈り」状態にした前科あり)。草の陰の土からときどきミミズが顔を出し、ちょん切ってしまったかと一瞬どきりとする。

バラバラと音をたてながらヘリコプターが行く。日差しが強い。橋向こうの林の上には、ゆっくりと回る風力発電が見える。

一仕事終えたあと、外に出した椅子に座ってアイス。冷たくて、しみる。


2003年08月05日(火) 灯りと響き

夕方から急に晴れる。青みがかった景色となる。

お祭りを見るべく汽車に乗って市内へ向かう。鉄橋の上、海へとつづく水路は凪いで、遠くのほうまでひたすらに青い。浮き島に大きな白い鳥が一羽、すっくと立っている。鷺だ。空に広がる薄い雲よりも深い白。首をあげて水平線の向こうを眺めている。がらがらの車内に汽笛が響く。

夜、竿燈見物。街中を大型の観光バスが何台も走り、団体客の列が行く。会場となる大通りから一本裏道に入れば、出番を待つ半被姿の若衆や子どもたちが集まって、笛を吹いたり、何か大きな声で笑ったりしている。人込み。お囃子。やがて、ゆらりと宙に浮かぶ竿燈の灯り。

祭りというのは、灯りと響きなのだ。真っ暗な夜の闇の中、自分たちがここにいるということを確認しあうかのように、音をたて、灯りをともす。

夜風が冷たい。帰り道、お囃子とともに自分たちの町内へと戻って行く竿燈と何度もすれ違う。


2003年08月04日(月) すべての毛穴で

とある外国の町のパンフレットを読む。現地にて日本語に訳したものらしく、これでもかという直訳調。「あなたは橋の向こう側に牧歌を発見するでしょう」とか「この広場に座って楽しむということ、それはもう甘い生活です」とか、原語を想像すると言いたいことの見当はつくのだが、微妙なずれに思わず笑ってしまう。きわめつけは「すべての毛穴でもって、この町を体験してください」(たぶん「鳥肌」のことを言いたいのだろう)。笑いつつ、しかし、自分の外国語も同じレベルなのだろうと少し神妙になる。

夜、食卓の上にはナス、つる菜、オクラにいんげん、トマト、きゅうり、モロヘイヤ。すべて近所の人からのおすそわけ。夏野菜三昧。


2003年08月03日(日) 団らんのような

東京から持ち帰ったマンガに母親が読み耽っている。毎日、夜の9時を過ぎると居眠りを始めるのに、その気配もなし。ものすごい集中力。一日でダンボール一箱分をほとんど読み尽くしたが、諏訪緑の『時の地平線』が特に面白かったらしい。

テレビにてレアル・マドリード来日のニュース。父親は、テレビでベッカムが扱われる度に「こいつ、そんなにいい男か」と必ず口にする(一言いわずにはいられないらしい)。今日も大騒ぎの成田空港の映像を見ながら「ベッカムって、どこがそんなにいいんだ」。

こんな両親。ふたりとも松井のことは大好きらしく「今日の松井」コーナーになると、手を止めて見入る。活躍した日は、しみじみと満足そうな顔をする。


2003年08月01日(金) モグラ

久しぶりに晴れた。午前中から外にて作業。今年はじめての朝顔が咲く。濃い紫色のものが一輪。

「やられた」という母親の声が聞こえる。百合の花の球根がモグラに食べられたらしい。いかにも美味しそうだったからね、と言いながら、すぐ横に空いた小さなモグラ穴を覗いている。小さい頃、穴から顔を出したモグラを捕まえようと大奮闘したことがあるけれども、あのすばしこさといったらなかった。しばらく姿は見かけていないけれども、相変わらず元気に地中を動き回っているのだろう。

夕方、急に草の匂いが濃くなる。草っぱらの上をごろごろ転げ回りたい。遠くから時刻を告げるサイレンの音。


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