日々雑感
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2003年07月31日(木) 夜の海岸線

夜、友人の車にて海沿いの道を走る。空と海との境い目もわからないような暗い広がりの中に、漁火。夏の星。遠く海岸線にそって固まった街の灯りは、海面に影を落として、水平線の上に浮かぶ水上都市のようにも見える。助手席に座って、ぽつぽつと散らばる灯りをぼんやり眺めているのが好きだ。少し空けた窓からは、潮の匂いが混じった風が入る。


2003年07月29日(火) 残影

東京最後の日。引越し荷物を載せた車の窓の外、もう何年も住んだ街が遠ざかってゆく。

地元を離れるとき、どこを見ても、かつての自分や、自分が過ごしてきた時間の残影がちらつくのに弱ったものだけれども、まったく同じことが今回も起こった。こんなふうに「記憶」を介しながら、人と場所とはつながってゆくのか。ある特定の街に固く縛られるのは怖いと思っていたはずなのに、離れるのがさびしい。

秋からは、大きな川のほとりの街で暮らす。街の真ん中には古い古い橋があるという。


2003年07月26日(土) 目的地

銀座線に乗る。浴衣姿の人が目につくと思ったら、今日は隅田川の花火大会だった。紺地、白地、朱色にからし色。手にはうちわ。ざわざわとする車内にて、ドアの前、ひとり「地球の歩き方」に読み耽る人あり。見るとポルトガル版である。リスボン、ナザレ、ロカ岬。渋谷から浅草へと向かう車両の中、皆それぞれの目的地を心に抱く。


2003年07月25日(金) 茗荷

朝、玄関前の草むらに大家さんがしゃがみこんでいる。足元に置かれたボウルには、まだ土のついた茗荷が山盛り。少し湿った茂みの奥に茗荷が生えるのは知っていたけれども、まさかこんなに近くにあったとは。もう少し早くわかっていれば、少しばかり失敬して、あの昼の素麺とか、あの夜の冷しうどんとか、いろいろ使えていただろうに、と無念。薬味の中では茗荷がいちばん好きだ。採るのも楽しいし、食べても美味い。先端だけうっすらと紫になる、色合いもまたよし。


2003年07月24日(木) ねじ

道端にノウゼンカズラ。夏の花はどんどん咲くが、気温はいまだ上がらず。

友人から工具セットを借りて、家具などの解体作業。これが楽しい。そういえば小さい頃もドライバーでねじを回すのが好きで、目につくあらゆるものを分解しては、また組み立てて、ということを繰り返していた。時計、鉛筆削り、かき氷製造機。きつく閉まっていたねじが緩み、ほどけていく、あの感じを久々に思い出す。

ひととおり作業が終わったあとも物足りず、何かないかと見回すが適当なものが見当たらない。部屋の中をうろうろする。


2003年07月23日(水) まいった

ゼミの後、送別会。

皆して、飲んで、喋って、元気でと言い合いながら別れたあと、電車でひとりになったとたんに泣けてきて驚いた。「メールくださいね」と言って手を握った子がいた。先生たちは「頑張れよ」と言ってくれた。ほんとうに、離れることになって初めて、自分がここの人びとに愛着を持っていることに気づいたのだ。もう二度とここに戻ってこないというわけではないのに、それでも、地下鉄の中、泣けて泣けて仕方ない。顔が見えないように鞄で隠す。

外に出ると雨。傘がないとびっしょり濡れてしまうような雨。


2003年07月21日(月) 月夜に散歩

駅からの帰り、犬と散歩する人を見る。犬のほうは、ぶんぶんと尻尾を振りながら、飼い主であろう男の人の後をついてゆく。ときおり顔を見上げ、目が合うと安心したようにまた歩き出す。そんなに嬉しいか、おまえ。一人と一匹の後ろ姿。夜道。ビルの横にかすむ月。


2003年07月20日(日) A型最強

引越し準備を続けている。いつの間にこんなに荷物が増えたのかと呆れるほど、いろんな場所から物が出てきて、作業はなかなか進まず。途方に暮れそうになる。

そんな中、隣りに住む友人が助っ人に来てくれる。職場からダンボール箱を運んでくれたり、荷物の詰め方を指導されたり、済ませるべき手続きのリストを挙げてみせたり、とにかくよく気がつく。「A型だからね」と友人が笑う。何とかなるだろうと思って、きまって最後に焦るO型は、助けられっぱなし。


2003年07月18日(金) 消えた

夢の中でガラス玉をもらった。ちょうど片手に収まるくらいの、うす青いガラス玉だ。うれしくて、なくしてしまわないよう大事に大事に持っていたのに、目が覚めたら消えた。当たり前だけれども、もうどこにもなかった。

何を落ち込んでいるのだ、自分は。


2003年07月17日(木) 夏を待つ

梅雨寒つづく。7月も半ばとは思えない。くもり空の下で、道端の夾竹桃だけ紅い。地面に落ちた花びらも紅い。


2003年07月16日(水) 酔っ払い

ゼミ打ち上げ。酔っ払って帰宅。

お酒を飲んで眠ると、変な夢ばかりたくさん見る。その中のひとつ、母親がお中元を買っているのだが、恥ずかしがって宛名を見せようとしないのだ。あとでこっそり覗くと、黒字でしっかりと「村上春樹様」。きれいな夢も見る。月に照らされた夜の海に泳ぐ無数のイルカの群れ。イルカが水面上に顔を見せるときの、かすかな波の音だけ聞こえていた。

浅い眠りのまま、明け方目が覚める。コンビニの袋に入ったサッカー雑誌があって驚く。買った記憶なし。酔っ払いは怖い。


2003年07月15日(火) 働くひと

夜勤中の友人の職場にダンボール箱をもらいに行く。正面玄関は閉まり、中の灯りも消えて真っ暗。うろうろしていると、裏口から名前を呼ばれる。友人がそれぞれの職場で実際に働いている姿を目にすることは少ない。制服を着て手際よく作業する姿は、何だか知らない人のようで、小さい子がはじめて「働くお父さん」を見たときのような気持ちになる。

ダンボールの束を抱えて夜道を帰宅。猫とすれ違うが、立ち止まることもできず。


2003年07月14日(月) 変わった

大掃除。知らないうちにずいぶん荷物が増えている。押入れや本棚の奥から、自分でも忘れていたようなものがいろいろと出てきて、さながら発掘作業のごとし。何年も前の写真を見ると、皆の顔が若い。何というのか、あどけない。古いノートに書かれている自分の字も今と全然違う。変化したことを知るためには、どうしても距離が必要なのだ。

一日雨。気持ちよく降る。


2003年07月12日(土) 最後の音

看護師をしている友人と、ほぼ1年ぶりに会う。表情も言うことも、以前とはまるで違っていて驚いた。仕事を始めて1年目の昨年は「いっぱいいっぱいだった」と自分で笑う姿は、すっかり大人びて貫禄まで感じさせる。この頼もしさは、きっと「プロ意識」から生まれてるんだろう。

入院病棟にいるため患者さんの最期を看取ることも多いという、その彼女のはなし。人が亡くなってゆくとき、最後まで残る機能は「耳」なのだと言う。身体が動かなくなり、目が見えなくなり、それでも、聴覚だけは反応し続けるらしい。

いつか自分がこの世からいなくなるそのとき、聞こえてくるのはいったい何か。すべての人が還ってゆくのも、ひょっとしたら音だけの世界かもしれない。だとしたら、そこで響いているのはいったい何だろう。


2003年07月11日(金) 鼻歌

はじめて会う人と日本酒を飲む。はじめてであるのに、そんな気がまるでせず、ものすごく楽しく話して、飲んで、気持ちよく酔っ払った。駅前で別れ、ひとり夜道を歩きながら幸せ。鼻歌も出る。


2003年07月10日(木) おとなり

いつも行く喫茶店への道沿いに、うどん屋と中華料理屋が並んでいる。どちらも同じくらいに小さな店。門構えも似ている。その二軒、中華料理屋のほうはほとんど満員なのだが、うどん屋はいつもガラガラ。調理場では、おじさんが腕組みをして手持ち無沙汰の様子。前を通るたびに、今日はどうかと気になって覗き込んでしまう。ひとりでもお客がいると安心する。


2003年07月09日(水) スポットライト

久しぶりに寄り道した古本屋にて『パタゴニア』B.チャトウィン(めるくまーる)見つける。ずっと読みたかった本。古本屋で探している本が見つかるときというのは、ぎっしりと埋まった棚の中で、その背表紙だけスポットライトが当たっているように見えるのが不思議だ。

夜、友人とベトナム料理屋へ。満員で驚く。どうしたのかと思ったら、水曜日はコース料理が割引になっているらしい。心惹かれるけれども、ふたりしておとなしく単品を注文。それでも、焼ビーフンも空心菜の炒め物もイカ団子も美味だった。


2003年07月07日(月) 踏み切り前

踏み切りの横に、小さな女の子とそのおじいさんが立っていた。赤い長靴を履いたおさげ髪の女の子は、ホームに止まった電車をじっと見ている。その後ろで、ふたり分の傘を手にしたおじいさんも同じ方向をじっと見ている。言葉こそ交わさないけれども、互いの存在をしっかりと感じている、その安心感。

あと少しすれば、踏み切りの音が鳴り、遮断機が降りて、ゆっくりと電車は動き出すだろう。やがて電車の姿が見えなくなったら、ふたりしてどこへと帰ってゆくだろうか。


2003年07月06日(日) 有楽町にて

帰京。新幹線で始発駅から終着駅まで、その間、隣りの席の人は3回変わった。荷物をたくさん抱えたおばあさんに登山帰りのお姉さん、最後はちょうど母親と同じくらいの年の人。車窓にはだんだんと建物が増えてゆく。空には雲が湧いてくる。

夜は有楽町にて用事あり。駅から直行。街中に灯りが溢れて、人が行く。喧騒。ときには呑み込まれそうにもなる、東京の雑然としたところが好きだ。


2003年07月05日(土) どんどこやま

お祭り近づく。地元ではお祭りのお囃子を「どんどこやま」と呼ぶ。

お祭りには学校も半日で終わりだ。商店街は飾り付けられ、家ではご馳走が準備され、遠くに住む親戚もやってきたりして、町に祭りの空気が満ちてゆく。小さい頃は、きまって祖父母のところへ行き、縁側に座りながら走り回る家の人びとの姿を見ていた。庭にはタチアオイが咲いていた。

この時期に地元にいることはもう何年もなかったので、ぜひとも祭りを見ていきたかったのだが、用あって当日を前に東京に帰らねばならず。無念。何より宵宮に行きたかった。橋向こうにある神社の境内いっぱいに並ぶ夜店の灯り。お化け屋敷や見世物小屋はまだあるだろうか。綿飴は。金魚すくいは。


2003年07月04日(金) 忠実

久々に雨。

実家にいると、朝が早い。目覚ましなしですっきり目が覚め、5時頃に起き出して動き始めることもある。ただし、雨の日は別だ。今朝も、気づくと7時をまわっていて驚いた。気圧の影響に忠実な生活。

雨の中、青梅の実をとる。梅の実はすべすべとして、雨粒をはじく。昨年は籠いっぱいに5つもとれたらしいが、今年は不作なのか籠ひとつ分だけ。梅干しになるか、梅酒になるか。


2003年07月03日(木) 今夜は最高

友人と花火。海辺にある児童公園に行く。

安売り店で買った花火セットの名前は「今夜は最高」。ライターにて手持ち花火に次々と点火。公園いっぱいに火花の音と光と煙。最後に取っておいた線香花火は一本ずつ手に持ち、「今夜は線香」など言いながら、こちらはゆっくりと火をつける。小さなオレンジ色の玉は、膨らみ、ひとしきり火花を放ち、やがて静かに消えてゆく。

公園裏の公民館から、合唱サークルの伴奏をするピアノが聞こえる。木が揺れる。波の音がする。遠くには鉄橋を渡る汽車の灯りの連なり。まだ風は肌寒い。


2003年07月02日(水) ニセアカシア

家の前に大きなニセアカシアの木があったのだが、今回帰省すると、あまりにも日当たりが悪いということで切られていた。木が切られるのを見ると、なぜかいつも痛いと感じる。切り株の色もまだ瑞々しい。

けれども、よく見ると、その周りに小さなアカシアの芽がたくさん出ている。「抜いても抜いても、どんどん出てくるから困る」と母親がこぼす。こちら側の勝手な感傷など何処吹く風と伸びてゆく、ニセアカシアのたくましさ。この木があっという間に林になるのがよくわかった。

夕方、また祭りの太鼓の練習が聞こえてくる。今日は音だけでなく、姿も見えた。太鼓を担いだ子どもたちの行列が、ゆっくりと道の向こうに消えて行った。


2003年07月01日(火) 夕暮れ

夕方、じょうろで水遣り。草の上をサンダルで歩くと、足がちくちくする。ホタルブクロ、まだつぼみもない朝顔の葉、その他名前を知らないたくさんの花。時刻を告げるサイレンの音と重なりながら、まだ覚束ないリズムのお囃子の太鼓が聞こえてくる。今週末はお祭りだ。何度も何度も繰り返し、どこからか響いてくる。


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