日々雑感
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2003年03月31日(月) 桜の回廊

桜並木だけ残して更地となっていた場所に桜の花咲く。がらんと開けた空間に白く霞んだ古い大木が並んでいる様子は、さながらかつて栄えた神殿の遺跡のごとし。その下を歩きながら、魂を抜かれるとはこういう感じかと思う。

明日から四月。街行く人が、皆、新入生や新入社員に見える。


2003年03月30日(日) たまには

桜咲く。読売新聞日曜版の漫画「あたしンち」もお花見ネタ。その中に、桜を見ると「脳内快楽物質がブシューと出るのよね!」という台詞があって、「確かに!」とうんうん頷いてしまう。他の花にはない、桜ならではの魔力。

夜、NHKで「ちゅらさん」総集編。何度見てもやっぱりいい。明日からのパート2も楽しみ。暖かいし、外は桜だし、「ちゅらさん」にはまた会えるしで、しみじみとよい気分の春の夜である。たまには、こんな日があってもいい。


2003年03月29日(土) オフ会

「オフ会」と称し、三人して飲む。小学校時代からの友人と、大学で知り合った友人と、自分以外の二人は今日が初対面。どちらもはじめは緊張していたらしいが、ビールで乾杯したあたりから調子が出てきて、話もお酒もどんどん進む。楽しいお酒は悪酔いしないというのは、ほんとうだ。気持ちよく盛大に酔っ払う。

帰り道。三分咲きの夜桜。少し寒い。


2003年03月28日(金) サッカーは楽しい

夕方、今晩のサッカー、日本代表対ウルグアイ代表戦を観に行くと言っていた友人から、仕事が長引いて行けなくなりそうなので、チケット要らないかと電話。受話器を置くなり、上着と鞄をひっつかんで駅へと走る。

国立競技場は満員。時間ぎりぎりだったこともあり、ゴール裏バックスタンドの最上段にて立ち見。風にはためく日本とウルグアイの国旗の向こうに新宿の灯りも見える。

日本代表を応援しつつも、ウルグアイ、レコバのFKやCKにはどよめきや歓声が上がる無節操さが親善試合らしくてよい。ピッチの上に役者たちがいて、ひとつのボールを使いながら90分の物語を織り成してくれる。それをどう楽しむかはきっと人それぞれで、隣りに陣取っていたお兄さんたちは「サッカーの試合はビールには最高のつまみだよ」と言っていたし、解釈して批評することが好きな人も、感情移入しすぎて平常心を失う人もいるだろう。

結果は2対2の引き分けだったが、とにかく生観戦できたことに興奮。帰りがけに友人と寄った「王将」で、つい餃子など注文しすぎる。何しろサッカーは楽しい。


2003年03月27日(木) 「スペインを極める。」

「Number PLUS」最新号、「スペインを極める。」が面白い。サッカーの欧州リーグを扱った「極める」シリーズは、イタリア、イギリスと続いてきたけれど、今回のスペイン編がいちばん読み応えあり。

マドリード、カタルーニャ、バスク、ガリシア、それぞれの地域がはっきりと自らの色を持ち、混じり合わずに並び立っているからか。クラブの紹介や選手のインタビューをはじめとして記事は盛り沢山だけれども、スペイン紀行としても、またよし。それにしても、レアル・マドリードのフィーゴとフラメンコ・ダンサーであるホアキン・コルテスの対談はすごい。ラテン男が並んだ迫力に「まいりました」という感じ。

夜、髪を切りに行く。短くなってさっぱり。


2003年03月26日(水) 特別な日

スーツや袴姿の集団とすれ違う。近くの大学の卒業式らしい。

仲間同士の固まりがあちこちに出来ていて、上気した表情をしながら、笑ったり、早口で話したりしている。まさに卒業式日和の晴天と暖かさもあいまって、その華やかさに圧倒される。特に、明るい色の着物をまとって、女の子は一人残らず皆きれいだ。「きれい」というのは滲み出るオーラの問題なのだということを改めて思う。特別な日ならではの晴れやかなオーラ。

その傍らを通り過ぎて、こちらはいつものように本屋に寄り道。サッカー雑誌など買って帰る。


2003年03月25日(火) 水の音

雨の日。建物の中から聞く音も、外にいて傘に当たる音も、強すぎず弱すぎず、ちょうどよし。草木がぐんぐんと伸びてゆく、そんな時期の雨だ。湿った土の匂いがする。

『ヴェネツィア』陣内秀信(講談社現代新書)読む。オリエントやアラブの影響を濃く残した、迷宮都市、そして何より水の都。建築、歴史、文化人類学、「街を読む」方法はいろいろあるけれども、専門である建築史をベースとしつつも、様々な分野が交錯したところからヴェネツィアを眺めようとする陣内氏の眼差しがよい。

夜になっても雨の音がする。海のそば、あるいは川のほとり。常に水の音を聞きながら暮らすのは、どんな思いがするものだろうと思う。


2003年03月24日(月) 開花予想

バイトも課題もはかどらず。時間ばかり過ぎる。過ぎてゆく間に梅は散り、桜のつぼみがふくらんでいる。桜が咲く頃までには、何とか抱えている課題を全部済ませようと思いながら、その木の下を歩く。東京の桜開花予想日は3月29日。


2003年03月23日(日) いちめんのみどり

さぞかし解釈しやすいだろうと思うような夢ばかり見る。対岸がぼんやりと霞む大きな川沿いの道を歩きながら、曲がるべきところで曲がらなかったことに気づき、あわてて戻ろうとする。あるいは誰もいない枯れ野。足元の草にいきなり火がついたかと思うと、あっという間に燃え広がってしまう。なぜかどちらも冬のはじめの風景。

けれども、めらめらとした炎のあとから新しく草がはえてきて、見る見るうちに一面の緑となった。目が覚めたあともはっきりとおぼえているくらいに、鮮やかな緑色だった。

夜、録画してもらったACミラン対ユベントス戦を観る。結果や試合経過は知っているのに緊張までして、画面から目を離せず。スポーツの試合を見るのは、本を読むことにも似ていると思う。あらすじを知らずに、どきどきしながら読み進めるのが初読の醍醐味であるならば、細かい部分に目を向けたり、好きな場面を繰り返し味わったり、再読の楽しみというのも確かにある。


2003年03月22日(土) 「ノイズ&ファンク」

赤坂ACTシアターにて、ミュージカル「ノイズ&ファンク」観る。

奴隷船でアフリカからアメリカへと連れてこられたアフリカン・アメリカンの「これまで」、そして「現在」が、タップダンスや歌、ラップ、とにかく全身を使って「語られて」ゆく。

アメリカの監視員によってドラムを禁じられた人びとは、やがて自分の身体を使ってビートを刻み始める。心臓の鼓動がそのまま自分の生命のリズムであるように、自ら刻むビートは、自分がどんなふうにしてここに「在り」、生きてゆくのかを表現するものとなる。

ステージの上で繰り出されるビートに、客席に座る自分もだんだんと巻き込まれてゆく。相手の鼓動にシンクロするのだ。何かを伝える手段は言葉だけではないのだということを改めて思う。そしてまた、ものすごく大雑把に言うならば、旋律は情緒に、ビートは身体に響くものなのかもしれない。

最後は客席もスタンディング・オベーション、掛け声もとぶ。とにかく素晴らしかった。鳥肌が立った。

「ノイズ&ファンク」


2003年03月21日(金) おでん屋のセンセイ

友人とおでん屋。時間が早いせいもあって、お客はカウンター席に座るおじいさん一人きりである。

その隣り、大鍋の真ん前の席に着く。とりあえず瓶ビール。今月いっぱいで終わりだという大根や焼豆腐、玉子、練り物などひとしきり食べ、熱燗に移る頃には、外は暗く、店内は満員。

熱燗専用の銅鍋を見ながら「うちに欲しい」と話していると、「これ使うと味が全然違うんだよね」と、隣りのおじいさん。その後、美味い燗のつけ方やおすすめの地酒など教えてくれたのだが、しずかな声で訥々と話しつつ、どこか可笑しみもあるその語り口がいい。「徳川時代」(「江戸時代」ではなく、そう言った)からこのあたりに住んでいる家の出で生粋の江戸っ子だといい、背筋はぴんと伸びている。

ときどき、一人でふらりとこの店にやってきては、いくつかのおでん種を肴にぬる燗をちびちびやるのだという。お酌までしてもらいながら、川上弘美の『センセイの鞄』の「センセイ」がもうちょっと年をとると、こんな感じかもしれないと考える。

帰りがけ、先に席を立ったこちら二人に軽く手をふり、おじいさんはまた一人に戻る。店内の薄明かりの中に溶け込んで、湯気の向こう、おちょこを手にする姿が見えた。


2003年03月20日(木) 花咲く季節

川べりの土手に桃の花咲く。風にのって橋の上まで匂いがのぼってくる。

紅梅。れんぎょう。裏道には白木蓮の大木(遠くからだと、真っ白な鳥の群れが集まって羽を休めているようにも見える)。街の中に急に「色」が溢れ出してきた。花の色は生命力そのものという感じがする。ひとつひとつに、つい足を止めてしまう。

久しぶりの夕焼け。遠くの木々は影となる。


2003年03月19日(水) 「戦場のピアニスト」

渋谷にて映画「戦場のピアニスト」。ナチス時代のホロコーストを扱った映画は観ていて辛くなる。ずっと迷っていたのだが、上映が今週いっぱいと聞き、思い切って映画館へ。

ナチス占領下のワルシャワを生き抜いた、ユダヤ人ピアニストの物語。実話に基づいているからかもしれないが、街の空気がだんだんと変わっていく感じや、ユダヤの人びとが理不尽に虐げられてゆく様が、まるでドキュメンタリーフィルムのように淡々と映し出される。

車椅子の老人はナチス兵によって窓から放り投げられる。何かのはけ口のように、殴られ、銃で撃たれる。大事なものも住み慣れた家も、何かもかもから離され、追い立てられてゆく。寄り添っていた家族は収容所へと向かう貨物列車の中ではぐれてしまい、必死に名前を呼んでも、もう届かない。

身動きもできないような思いになる。けれども、それは「どうしてナチス兵はこんなことができるのか」という憤りではなく、「人間はこんなふうに残酷になり得るのだ」という恐ろしさである。ある特殊な状況に置かれたとして、自分が誰かに対して残酷な態度をとらないとどうして言えるだろう。ナチス兵、ユダヤの人びと、その中にあってあるいはナチスに抵抗し、あるいは強いほうに従ったポーランドの人々、どの立場にも自分はなり得る。きっと、その差はほんのわずかだ。時代とか、何か大きな力とか、そういった狂気に巻き込まれずに「ふみとどまる」ために必要なものはいったい何か。

廃墟に響くショパンがあまりにもきれいで、たまらなくなる。

「戦場のピアニスト」公式ページ


2003年03月18日(火) うたたね

夕方、帰宅。ポストから持ってきた夕刊も開かずに、座ったまま寝入ってしまう。目が覚めると真っ暗。ぼうっとしながら時計に目をやると11時をまわったところ(5時間も寝ていたらしい)。ずいぶんいろんな夢を見ていた。知らないはずなのに、なぜだかなつかしい気のする町や人が現れては消えていった。


2003年03月17日(月) 街の灯り

雨の日は暗くなるのも早い。信号にネオン、通り沿いに並ぶ店、それにビルのずっと上の階の窓まで、街の中が灯りで満ちる。

建物も舗装道路も、何もかもが消えたらどんな感じなのだろうと、歩きながらよく考える。だだっ広い平野か。ずっと遠くまで見渡せるのだろうか。人が集まって、住む場所を作って、自分たちだけしかいないような顔をして歩き回っている。その中にいると、自分たちを取り囲む明るさが、例えば空高くから見下ろせば心細いくらいに小さいものなのだということを忘れてしまいそうになる。

夜空にしずかに月が出る。明日は満月だという。


2003年03月16日(日) スイカ風呂

夜、銭湯へ。いつも行く銭湯には、大きな湯船の他に「電気風呂」「水風呂」そして「薬湯」がある。「薬湯」は、5月には菖蒲湯であったり、冬至には柚子湯となったりするのだが、普段は市販の入浴剤を使っている。

その薬湯、今日のお湯は濃い赤である。初めて見る色。つかってみると、まぎれもなく「スイカ」の匂いがする。それも、果肉の部分は食べてしまったあとの少し水っぽいスイカの匂いだ。スイカに何か薬効成分はあるのかなどと思いつつ長湯。ややカブトムシの気分。しかし、湯上りに確認すると「本日は紅茶湯」との貼り紙。自分は嗅覚オンチだったらしい。

一晩中、雨降りつづく。よい音のする雨。


2003年03月15日(土) アンコミュニカビリティ

小雨。傘をさして近所のパン屋へ。パンの上にまぶした「けしつぶ」に惹かれて、久々にあんパンなど買う。他にサンドイッチ。サービスデーということで青い縁取りのある白い小皿がおまけに付く。

『ベラルーシの林檎』岸惠子(朝日文庫)読む。イスラエルとパレスチナの紛争、湾岸戦争の爪痕、旧ソ連解体後のバルト三国。テレビ番組のレポーターとしてそうした地を実際に歩きつつ、そこで岸さんの眼差しがすくいとるのは、一貫して、異なるもの同士に生じる摩擦、わかりあうことの難しさ。本文では「アンコミュニカビリティ」(意志不疎通性)という言葉が使われているが、この本が書かれてから10年たった今でも、依然として世界には「アンコミュニカビリティ」が満ち満ちている。暗澹とした気分になるけれども、絶望している場合ではないとも思う。

夜、おぼろに霞んだ月が出る。雨の匂いの名残りあり。



2003年03月14日(金) そこに落ち込んではいけない

深夜3時から放映のレアル・マドリード対ACミランをテレビ観戦。とことんレアル寄りの解説にむかつきながらも、本気モードのレアル陣の攻撃には悔しいが惚れ惚れ。

放映が終わったのは早朝5時前。一眠りしようとするが、目が冴えて寝つけず。窓の外はうっすらと明るい。いつの間にか、夜明けがずいぶん早くなっているのだ。まだしんとした薄明かりの中、何をするでもなくぼんやりと座っていると、なぜだかひどく情緒不安定になる。いろんなことが頭に浮かび、そのうえ、そのすべてが上手くいかないような気がしてくるのだ。太陽がのぼる直前に、一瞬ぽっかりと開く隙間のようなものか。

やがて陽の光。物音が聞こえてくる。ちゃんと朝が来る。


2003年03月13日(木) いっしょに歩こう

散歩日和。友人とチワワのナーちゃんといっしょに緑道沿いを歩く。

寒桜や桃が咲く道。沈丁花の前で立ち止まるナーちゃんに、友人が「沈丁花だよ。いい匂いでしょ」と話し掛ける。小さい子はこうやって物の名前を覚えていくのかと、すっかり母親役が板についた友人を見ながらしみじみ思う。

ひとりだと、ぼうっとしながら、あるいは何か考えながら黙々と歩いていることが多いけれども、誰かといっしょに歩くと目線が変わる。外を歩いて大喜びのナーちゃんを追いつつ、桃の木に止まる二羽のウグイスを見つけたり、同じく散歩中の犬と挨拶しあったり、「建物フェチ」の友人から要注目物件を教えられたり。よく通る道なのに、まるではじめて歩いたかのように発見がたくさん。

ベンチに座ってお茶。陽射しがあたたかい。ナーちゃんを見たどこかのおじさん、「かわいいね。目がいいんだよね」と、アイフルのCMのお父さんとそっくりの表情をしながら通り過ぎる。


2003年03月12日(水) あるべきところへ

高校の頃の同窓生がテレビドラマに出ているのを観たと友人からメール。あわてて調べたところ、確かにキャストのところに名前がある。実際に放映を見ると間違いなく本人。どうやらモデルから俳優へというコースをたどったらしいが、全然知らなかった。

話したことは一度もないけれど、目立っていたので姿だけはよくおぼえている(何しろ、卒業アルバムに「学校一の美少年」と紹介されるような人だった)。とらえどころのない、さらりとした感じの人だったけれども、画面に映る姿も変わっていない。これから「あく」だとか「味」だとかが出てきて、印象的な俳優になってゆくだろうか。ぐるぐる回り道したり、足踏みしたりしながらも、皆「あるべきところ」へとゆっくり向かっているのかもしれない。

夕方、久々に古本屋へ。100円コーナーにて探していた本を発見、喜んでレジに持っていったら「1000円です」と言われる。よく見ると、うっすらとした「0」がもうひとつ。100円コーナーに置いてあったと訴えるが聞き届けられず、所持金足りずに買うのも断念。ショック。



2003年03月11日(火) 夢の中では

新聞に、上野で寒桜が盛りとの記事。大家さんの庭では水仙が咲いている。

高校入学のときに買って以来、ずっと使っていたCDラジカセがついに動かなくなる。どうしようかと思っていたところ、父親が友人のステレオを譲ってもらうことになったという。そんなわけで、実家で使われていたCDラジカセがはるばると東京へやって来ることになった。

部屋の中を見回すと、冷蔵庫もコタツもテレビも、誰かから譲ってもらったものばかり。食器もそうだし、服もそうだ。今さらながら、ありがたいやら、いろんな人の好意にちゃっかりと乗っかっているようで情けないやら。

夜、知らぬ間に寝入ってしまう。ちょうどその時間帯に欧州で行われているはずのサッカーの試合のスコアを夢に見る。最近よく見る夢。大抵は願望(そして外れる)。


2003年03月10日(月) この部屋

帰京。この部屋にはもう何年も住んでいるのに、長く留守をしてから戻ってくると、いまだに引っ越したばかりの頃の匂いがする。

東京もまだ寒い。風が冷たい。夜、友人と蕎麦。蕎麦湯で温まる。


2003年03月09日(日) みんなで映画

地面のあちこちで、ぼこぼこと土が盛り上がっている。土の下ではモグラが動き始めたらしい。

隣町の文化会館で映画を上映するということで出かける。市内には映画館がないので、ときどきこうして上映会が開かれるのだ。今日の作品は「ハリー・ポッター」ということで、パイプ椅子が並べられた会場のほとんどは小さな子ども。その中で、おじいさんが孫に挟まれて座っていたり、近所の小さい子どもたちを引き連れてきたらしいお母さんが混っていたりする。

上映中も大騒ぎ。笑いあり、拍手あり、不死鳥が涙を流す場面では「どうして鳥なのに泣いてるの」という女の子の声が会場中に響きわたり、不思議な一体感。小学校の頃、年に何回か体育館で開かれた映画の上映会を思い出す。後ろのほうから、カラカラという映写機の音が聞こえてくるのも同じだ。

早い時間の上映を観たので、映画が終わって外に出てもまだ昼下がり。遠く海辺には海草をとっている人たちの影がある。



2003年03月08日(土) 怖かったものは

夜、友人たちと居酒屋にて飲む。外が寒かったせいもあって、「とりあえずビール」もなしに、いきなり焼酎のお湯割り梅干し入りから始める。

とりとめもなく、いろんな話。そんな中で、以前は「変わる」ことを、ものすごく嫌がっていたよねと指摘される。たしかにそうだった。いろんなものがどうしようもなく変わってゆく様が怖かった。久しぶりに会った中学校の先生。地元の風景。自分の周りにいる人びと。「変わる」ということに対して、どうしてあんなに過敏に反応していたのか。

友人たちを前に、窓の外の雪景色を見ながら思った。怖かったのは「変わる」ことではなく、「終わってゆく」ことだったのだ。時間の流れと共に、大好きなものが消えていってしまうような気がして、怖くて、とても悲しかった。変わるというのは、決してかつてのものが「なくなる」ことではないと、今ならばわかるのに。

帰り道、雪の降る中を歩く。友人たちと歩く。雪は、細かい粒子となって光りながら落ちてくる。半ば凍った道を、ざくざくと砕きながら進む。


2003年03月07日(金) それでも

朝から雨。雪を溶かす雨だ。

ひそかに応援中のサッカー選手が、怪我のため長期離脱の可能性ありとのニュースを知る。5月の終幕に向けて、一試合も落とせない大事な時期である。本人の焦りや悔しさとか、チームのこととか、いろいろ考えて落ち込んでしまう。クラブ事情に振り回されての移籍やその度に生じる言葉の問題、不調、怪我、年齢による衰え、そういったサッカー選手のあれこれを見ていると、この世のどうにもならなさと、それでも立ち向かって行こうとする精神力とを思う。

夜になっても、まだ雨。信号や工事ランプの赤や黄色や青の光が、夜道に花火のようににじむ。


2003年03月06日(木) 『わが家の人びと』

外でとんびが鳴いている。潮の匂いのする日。

今日の海は静かだ。波頭だけ鈍く光りながら、とろとろと寄せてくる。水平線の向こうには、ぼんやりと浮かぶ山影。その頂はまだ雪で白い。

『わが家の人びと』セルゲイ・ドヴラートフ(成文社)読む。「ドヴラートフ家年代記」というサブタイトルがついているように、作者であるドヴラートフが、自分の家族や親族について(虚実とりまぜつつ)書き記したもの。

父方はユダヤ系、母方はグルジアに暮らすアルメニア系で、作者本人はロシア生まれ。家族全員にとって20世紀ロシアは生きやすい環境ではなかったはずであるが、決して悲壮になることなく、ドヴラートフは飄々と語る。見栄っ張り、大食漢、健康マニア、犯罪的頑固者。描き出される家族の肖像は、どうしようもなく、しかし憎めず、本を閉じたあとに、しんとした気持ちになるような人ばかり。

夕方、西の空に三日月。


2003年03月05日(水) ひとめぐり

用事があって卒業した高校へ行く。ほとんど卒業以来はじめてといってよいくらいである。

校舎へとつづく坂道は雪に埋もれている。春休みで校舎には生徒の姿もまばらだ。用事を済ませるべく事務室へ行くと、ちょっと待つようにと職員さんが言う。どうしたのかと思ったら、廊下の向こうからパタパタとスリッパで走ってくる音。2年のとき担任だった先生だ。かつて自分も制服を着て歩いていたその場所で、あの頃と同じように名前を呼ばれる。

職員室にてコーヒーを入れてもらう。生徒も出入りしているが、眺めながら10代の若さってこんな感じだったなあとしみじみ思う(青くて冷たいガラスに似ている)。そして、先生はいつになっても「先生」だ。近況など聞きつつも、最後は必ずアドバイスになるのだ。何でもないときにも声をかけてくれるような、あったかい先生だったけれども、そのまんまである。

変わったものと、変わらないものが混在する空間。だからこそ、そのどちらもがはっきりと見えるような気がする。

帰りがけ、先生はサンダルのまま雪道に出て、正門のところまで見送りに来てくれた。そして、じゃあな、と言って、そのまま校舎の中へと戻っていった。ひとり歩きながら、今まで自分が関わってきた無数の人びとのことを思う。そうした交錯の中に自分がいて、皆がいる。

何かが一巡りしたような思いになる。もう一度校舎を後ろにして、今はまだ雪が残る道を歩く。


2003年03月04日(火) 油断大敵

朝から雪。気温も氷点下。やはりこの時期はまだ油断ならない。

床下から猫の鳴き声がする。どうやら辺りをうろついている野良猫らしいが、雨宿りならぬ雪宿りか。少しでも暖かい場所を探しているのか、鳴き声は足元を移動してあるく。

『葡萄と郷愁』宮本輝(光文社文庫)読む。つづけて『城・ある告別』辻邦生(講談社文芸文庫)も読む。緑茶を何杯も飲みながら読む。特別な予定のない雪の日は、本を読むにはもってこいだと思う。

夜、星空となる。今晩はぎらぎらした冬の星の光りかたをしている。


2003年03月03日(月) 少しずつ、ゆっくり

朝から雨。溶け残った雪も消える。

まだまだ、冷え込んだり、雪が降ったりはするだろうけれど、それでも一雨ごとに春に近づいてゆくのがわかる。枯れ草の間には福寿草の固い蕾。

夜、ふきのとうの天ぷらを食べる。知り合いが届けてくれたのだ。どこかでひっそりと、ふきのとうも顔を出している。


2003年03月02日(日) おかしくて、かなしい

昨日は市内の合唱サークルの演奏会にお手伝いとして参加。50代から70代の女性ばかりが集まった市民サークルなのだが、10周年ということで大きなホールを借りて演奏会をすることになったのだ。

とにかくいろんなことが起こって、舞台裏を描いたコメディ映画が1本とれそうな勢い。団員を尻目に、舞台中央にてソロで歌いまくる指揮者(衣装替えの回数数えきれず)。好き勝手に動き回り、話を聞かない女の集団にぐったりした表情の舞台監督。助っ人としてやってきた別の町の合唱団は楽屋に弁当やらお菓子やらを大量に持ち込み、誰かやってくると「ほら、食べなさい」「これも食べなさい」といって、赤飯やらみかんやら漬け物やらを山と積む。

「かしましい」などというものではなかったが、本番前の舞台袖では皆表情が変わる。会場は大入り。裸足で現れてあわてて靴を取りに走る人など、幕の裏は相変わらず大騒ぎなのだが、皆の気持ちがだんだんと高揚して、ひとつにまとまってゆくのがわかる。音楽を演奏するときに訪れる至福の瞬間。

フィナーレ近く、宝塚風の衣装をまとった団員たちが(ちゃんと男役までいる)、皆して「すみれの花咲くころ」を歌う。スポットライトに照らされたその背中を舞台袖から眺めつつ、なぜだか涙が出そうになった。それぞれ、今の生活やこれまでの日々を抱えながら、このステージの上、真剣に、それでも抑えようもなく嬉しさをにじませながら皆歌っている。演奏会後、どんな思いでこの瞬間を思い出すだろう。おかしくて、かなしい、そんな劇の一幕を見ているような思いになる。

あとから聞いたところによると、終了後の打ち上げは大盛況だったらしい。家族や友人から贈られた花束を抱えて、「まるでスターになったみたい」と頬を上気させていたという。指揮者の先生は挨拶をしながら泣いた。最後は皆で声を合わせて、好きな歌を歌った。


2003年03月01日(土) 真夜中のドライブ

真夜中にドライブ。小雨の中、岬へと向かう。夜の海は暗闇に溶け込んで、訳もわからずひたすら怖い。ふと気をゆるめると呑み込まれそうな気がする。

それでも、運転席と助手席に乗った友人たちの後ろで、暖かさにうとうとしてきて眠ってしまう。名前を呼ばれるたびにはっとして返事をするのだが、またすぐに意識遠のく。浅い夢まで見る。ガードレールだけが光る真っ暗な道。路肩に溶け残る泥まじりの雪。岬にて、ぐるぐる回る灯台の明かり。そんなものの断片的な映像が夢の中の光景と混じり合って、自分がどこにいるのかよくわからない。

気がつくと自宅前。夢と現の狭間にたゆたって、ぼうっとしたまま帰宅する。運転してくれた友人には、申し訳なくて言葉もなし。


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