日記帳

2005年04月28日(木) 復調

きいきいは体調不良の賜物だったのか。火曜日には憑き物が落ちたようにけろりと治まった。まだ風邪が全快したわけではないけど、機嫌は戻ってきた。そうよ、いつもの娘はこんな感じ。普通に会話が出来てうれしいよ。

朝も「うかはなかないよ」と小さい声でつぶやき、園服のボタンを小さな指でひとつひとつ時間をかけて留め、リュックを背負おうとむぐむぐもがいている。武士に二言はなく(サムライなのか>娘)、泣かずに登園。

そうそう、体調不良を言い訳に、今まで徒歩で通っていた通園を自転車に切り替えた。体力温存策。その分、園ではじけていただきたい。

そしてカーサンは昨日、初の役員会。いやー緊張した。分相応と思われる役割をゲット、いささか胸をなでおろす。

あまりに緊張して、娘と帰宅してもカーサンしばらく放心状態。寝かせてもらえるなら眠りたいくらいだ。

そしてふと思う。初めて登園した日の娘は、こんな感じだったのかなあと。「いやだなあ」と思うくらい緊張して、帰宅して緩んで、くたびれたーがやってきて。よくがんばりました>娘ともども自画自賛。

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お友達Kくんのママと、他のお母さんの顔と名前がどれくらいわかるか、一致するかというような話をしていたときのこと。

隣りのクラスのあるお母さんを言い表そうとしたカーサンとKくんママとの会話。

「ほら、綾戸智絵みたいな」
「?」
「えーっと、ルパン三世のマモーって知ってる?」
「ん?」
「うーん・・・チャッキーっていうかさー・・・」
「・・わかった!」

ひどい?ひどすぎますかね?

明らかに毒吐き系の要素をお持ちの方とお友達になりやすい傾向が>カーサン。類友ってやつなのか。

夫が「いくらなんでもチャッキーは無いやろ、江戸っ子さんとお呼びしなさい」って。ああ、ちゃきちゃきの。



2005年04月25日(月) くたびれるダウナー母子

今朝の娘は強気だった。朝ごはんを食べているときから「ようちえんいかない」「ようちえんきらい」「おかーちゃんもいかない」「うかもいかない」「きょうはようちえんじゃない」と断言しまくり。

おとーさんも会社行ったでしょ。おとーさん会社、うかは幼稚園。言い聞かせても娘のへその位置は戻らない。そのあまりの迷いの無さに、こちらが揺さぶられる。休ませちゃ・・うわけにいかないよなあ。確かに風邪引きだけど、休むほどではなかろう?そんなカーサンの迷いが、娘に見透かされてるのかもしれないんだぞ。

娘が大好きなミッキーマウスのぬいぐるみを使った腹話術(いや、口をモロに動かしてる、ちっとも腹話術ではないな・・「うかちゃんボタン自分で出来るの?わーミッキーびっくりー」みたいな、馬鹿馬鹿しくも情けなくも娘コントロールに必須の技)で園服を着せ、どうにか幼稚園に行くことにはなったものの、門の手前でストライキ。カーサンの手をひっぱって、そりゃもう全身の力で、14キロ強の全体重をかけてひっぱって、「かえるーかえるー」と険しい目つきで主張する。

「うかはようちえんきらいだもん!」「じゃあ先生と相談してみよっか」などとお茶を濁しつつ、引きずるようにして教室の前まで連れていく。実際先生を目の前にしても「ようちえんきらい!」はますますエスカレート。他のお母さん方が「あらあら」と目を丸くしている。

レインコートを剥ぐように脱がせ(持ち帰ることになっている)、すがる娘の手をほどく。すかさず先生慣れた手つきで娘を膝に乗せ、「大丈夫ですよ」とカーサンに目配せ。よろしくお願いします。娘号泣。

ああ、土日挟んで気が抜けたのかなあ。風邪が治りきってないから、娘なりにしんどいのかなあ。先週先々週と調子よかったのに、3週目の月曜日は低調な滑り出しとなった。

しかし感情の起伏が激しいなあ>娘。カーサン自身があまりにぼーっとした子どもだったからか、あの激しさに共感できなくて申し訳ないような気持ちになる。娘の反応に距離を感じている自分を自覚してしまう。我ながら冷たいよなあ。

門を出て、カーサン役員のクラス代表を決めるじゃんけんで見事に負けて奇声を発したりしているうちに、娘は泣き止んで自分で上履きに履き替え、いつものおしたくに取り掛かっているのが見えた。

せっかく登園したんだ、楽しんでくれるといいんだけど>おとなの論理。

そう、今朝だけじゃないのだ。ここ数日、娘はいらついている。きいきいとなにやら主張する、それが正しくカーサンに伝わらない、更にきいきいと感情的になる。何言ってるのかもはやさっぱりわからない。翻訳の範囲を超えている。

カーサンの話もどこまで彼女に通じているのやら。言い聞かせるような言い方をすると「ハイ!」とヒステリックに投げやりな返事が返ってくる。なにかが暴れている、彼女の中で。3才でそんな目をするのか、とカーサン突き放した気分になることもある。

何が原因なんだろう。最近のカーサンのダウナー加減が娘に伝播したのか、それとも風邪で本調子じゃないからなのか、3週目にして園で外面を保つのに疲弊したのか。

・・・そっか、くたびれているのかね>気付くのが遅い。カーサンと一緒でダウナーなのか?それにしても激しいくたびれ方だねキミ。

あまりのきいきいぶりに「うっさいなー、返事もしたくなくなるわ」と正直うんざりでも、今はそれを娘にぶつけちゃいかん時期なのかな。こうして自分のダウナーぶりに任せて、ただ娘の嵐が過ぎるのを待っているけど、本当にそれでいいのかな。でも何言っても聞いちゃいないからな>娘。

なんていろいろ彼女が寝た後に考えても、実際は「ソウきいきい言いなさんな!」とつい声を荒げてしまっているんだけど。3才の娘のきいきいをうつされてどうするよ・・・35にもなってさ。

「うかもー、はやくー、さんじゅうごちゃいになりたーい」とかなんとか娘が言ってたが、そんないいもんじゃないぞ。大差ないんだから。



2005年04月24日(日) 下手の考え休むに似たり

ここ数日、どうあがいても悲嘆に暮れてしまう悪循環に沈み込んだ。風邪が治らないまま生理がきて、さらに娘が風邪を引いて大層ヤクザ化、夫が土曜日出勤というおいしい状況のおかげもあるが、よくよく考えてみれば幼稚園に通い始めて二週間が経ち、娘が園生活に慣れてきたのに比例して、カーサン人付き合いに多少気疲れしていたんだろう。あれやこれや重なった。

日曜日に復活できてよかった。カーサンの場合、時間がかかるけど、底まで落ちればあとは勝手に浮上してくる。渦中にいるときは、どこが底なのかわからない、今どのくらいの深さなのか判断できない、というのがネックだが、浮上してしまえば「喉元過ぎれば」ってやつだ。そんな手探り感も「思い出せ」と意識しなければ忘れてしまっている。

そうか、忘れてしまうから学習しないのか>ようやく気付く。上がり調子のときには記憶の揮発性が高く、下がってくると沈殿していた落ち葉までいちまいいちまい拾い上げ、表も裏もためつすがめつしているような気もするが。

そんな日もあるさ、なあ。



2005年04月19日(火) ハイチュウとかコーラグミとか

幼稚園のお迎えの光景というものは、どこもこうなんだろうか。カーサン自分のときはもっとおおざっぱだったと思う。娘の園の場合、教室の前に迎えにきたおかーさま方が一列に並び、順番に1人ずつ園児の名前を呼び、その日一日の様子を先生が教えてくれる、その間に園児は靴を履き替え、という感じ。園の指導というか、方針でそうなっている。

並んでいるとき、列の前後のおかーさま方と自然と言葉を交わす。その中で1人、妙に波長の合いそうな人が。Aさん。お子さんはKくん、ナイーブなタイプとお見受けした。Aさん初対面だったのに、よそよそしくもなく馴れ馴れしくもなく、言葉を交わしやすい感じがした。

通園のルートが重なっているので一緒に帰ったりもする。昨日は突然、お宅にお邪魔してお昼をご馳走になってしまった。突発的な事態に動揺していたのはカーサンの方だ。時間通りにご飯を食べさせなくては、と思っていたし、午後には家庭訪問もあるし。

が、フタを開けてみたら約3時間、お互いの家庭事情やらなんやら、ずいぶんプライベートなことまでぶっちゃけあってあっというま。娘は「ひとりであそぶもん」とクールなKくんの手を引っ張って、お気に入りの二段ベッドの子ども部屋に連行したり、ブロックを貸してもらったり。楽しかったようだ>Aくんもまんざらでも?

娘はお昼ごはんの前後に、初ハイチュウ、初コーラグミを体験し、むぐむぐと神妙な顔で味わっていた。さぞかし新鮮だっただろうなあ。こういうお菓子、今まであまり与えたことがない。おやつの時間に、プリンとかビスケットとか、娘の基本は「固め食い」だからねえ>インスリンとの兼ね合い。

でも、これからこんなシチュエーションが山ほどやってくる。お友達がお菓子を食べていたら、娘も食べたかろう。少しずつ、娘にではなく主にカーサンに免疫つけておかなくちゃ。まだまだこれからぜよ。

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話が尽きなさそうなAさんのお宅をやっとこ失礼して、家に飛んで帰ったその五分後、ぴんぽんと先生ふたりが家庭訪問にやってきた。

保育時間中結んでいた髪をほどき、エプロンを外した私服の彼女たちはきれいで若くて、カーサンどきどきしちゃうわ>間違っている。

カーサン事前の予想としては、持病関連のことで先生から質問があるかな、と思っていたんだが、それはほとんど無かった。今のところ保育時間中に具合が悪くなったこともないし、これまで園にお知らせした情報量で足りているようだ。

逆に先生から教えてもらった、園での娘の生態が面白かった。

「ちっとも人見知りしないんですよ」
「いつも誰かしら先生の手を握っていて」
「すでに園中の先生と顔見知りに」
「トイレで「まっててね」と(娘に)いわれたけど、途中教室が気になってちょっとその場を離れようとしたら、お尻丸出しで追いかけてきてくれて」
「それでもだだ漏れではなかったです」

総じて「とてもがんばっています」とのことだった。実はカーサンもそう感じている(親馬鹿)。今後ともどうぞ娘をよろしくお願いします>美人先生方。



2005年04月18日(月) 洗い出す(長文失礼)

土日ともてんこもりな予定のはずだったが、ひとつは転院するなら無効だろうという理由で、もうひとつのお楽しみの約束はカーサンの風邪を理由にドタキャンしてしまった。何も無い週末。

かといって「ワイフよ風邪なのかい?治したまえ」と寝かせてくれるような夫でもない。彼は自分が体調不良でも、けして外出を厭わない荒療治派の家に生まれた男。安静第一お布団はトモダチ派のカーサンとは対極にいるといっても過言ではない。なんて大袈裟な。

土曜日は買い物に、日曜日は公園に行った。ずっと家に居ても娘と煮えたぎるばかりだし。

まあどこにいっても、夫との話題は転院についてだった。

不思議なもので、転院を決意したら、現病院(「←→新病院」カーサン捏造対義語ね)への不満がいよいよはっきりとわかってしまった。

新病院のいいところ、と見込んでいる点は、
1.建物が新しい
2.こころのケアに積極的
3.データの集め方が効率的
4.患者に裁量を認める
と言ったところだろうか。

1.建物が新しい、に関しては、なにをそんな表面的な、と感じるかもしれないが、商業的に潤っているということは、サービス業として成功している、ということ。満足のいくサービスを受けられる可能性が高いのかも、と期待でき・・・ませんか?だめ?

夫は商業的、営業的ということをだいぶ懸念していたようだ。知人が新病院にかかり、難しいケースだがうまくいった、そしてお礼をと差し出すと医師が受け取った、というのを身近に知っていたからだ。
※でも転院を決めてから、それを話してくれた。夫なりの気遣いだと思っている。

医師に要求されたわけではない、でも礼を受け取る医師がいる、というのが多分に引っ掛かっているようだ>夫。まあ新病院は大学病院という大きな施設であって、数百名単位の医師が在籍しているであろう、それにそこの全ての医師がというわけでもなかろうし、万が一にも袖の下を要求なんてされたら、それこそ机ひっくり返してドア蹴飛ばして出てくるだけだし。

ということで落ち着いた。

確かに持病界(そんな言葉また捏造・・)では、大層露出度の高い病院かつ医師ではある。製薬会社のPR冊子やHPにもたびたび登場するし、出版している本も多い。

しかしそれも悪いことではないと思うのだ。新主治医執筆の本を一冊、病院の売店で買って帰ったが、今までカーサンが知りたくてもなかなか手に入らなかった情報が、それこそネットをさまよってようやく断片的に集めてつなぎ合わせていた情報が、その一冊にみっしり詰め込まれていた>実は軽くショックを受けたカーサン。

現病院で、熟考黙考していた医師の頭の中で、こんな風に分析や対策が立てられていたのかな、と野暮な推論してしまうくらい、具体的で実践的な情報がてんこもり。

出し惜しみしない感じがするのだ>新病院。
※しかし夫は逆に、新病院が患者を囲い込んでいるのでは、と危惧している。持病界全体で、新病院の持つであろう有効なノウハウを共有することは出来ないのだろうか、と残念な様子。しかし、まだ娘に実際有効かどうかもわかんないし、万人に有効な手段なんてありえないだろうし、本人が納得してればそれが有効なわけだし。もう何書いてるのかわからない。医師のポリシーとかも関わってくるわけだし。

2.こころのケアに積極的、についてはその露出しているあちこちで、新病院がそれを標榜しているのを見かけることと、実際に診察室に入ったときの応対から。

心理的な負担というが、持病界ではパターン化すらしているように感じる。現病院はカーサンのそこに触れるふりはするが、実際に負担を減らすことはない、とわかった。逆に増やされそうになっているのだから。

3.データの集め方が効率的
血糖値の数字がずらっと並んだメモだけを見て、「高すぎる」とため息をつかれるのが嫌だった。高いその数字の前を見てくれ。たいていとてつもなく低いあと、振り幅大きく、それはもう高く高く振れるのだ。

と現医師に食い付けなかったカーサンが弱いのかもしれない。

新病院では「原因と結果」を重視したデータの集め方をする。記録の取り方は今までよりむしろ煩雑かもしれない。でも、納得がいくのはこっちのやり方だったりする。

4.患者に裁量を認める
3で書いたようなため息を聞くたび、「先生の指示通りにしましたけど」と喧嘩を売りたくなった。日々の経験から、自然と働くカーサンなりの予測がある。でもそれは認めてもらえなかった。

「低くなったら補食して」と簡単に言うが、低くなるとわかっているのに、指示通りに注射の目盛りを合わせるカーサンの身にもなってほしい。第一娘の身になってくれ、低いのは瞬間的だとしても、やはりしんどいのだ。回避できたかもしれないのに、という後悔はストレスだった。

欲しいのは正確なデータであって、素人のさじ加減は不要という現病院。

新病院は、患者の自立を目標とする。

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などと長々と書いてしまいました。

まだ一回しか行ってないというのに>新病院。
そして現病院にも、木曜日には行かねばならぬというのに>ちょっと事情がありまして。

でもこうして、自分の不満や希望がはっきりとわかったのは、新病院に行ったからだと思うのだ。

あとは新病院のお手並み拝見。徐々にわかってくる何かが、善悪問わず、またきっとあるにちがいない。でも今はカーサンの気持ちが明るい。それだけで、ちょっと嬉しい>本当は娘が当事者なんだぞ・・・自戒を込めて。



2005年04月14日(木) 決めた

二週間ほど前に予約を入れていた、TJ医大に初受診。娘はせっかく慣れてきた幼稚園を休ませてしまったし、夫も巻き込んで会社を休んでもらった。それだけの値打ちのある受診だったと思う。

初診受付〜予診〜本診という流れで、全部で4時間以上かかった。大学病院てのは待つ、ひたすら待つものなのらしい。

今の主治医に「セカンドオピニオンを」と申し出たわけではないので、カルテなどの資料は一切なし、あるのは発症からつけてきたカーサンのノートと、血糖値測定記録、そしてカーサンたちの記憶だけ、という状態。「それで?」と新しい先生に云われたらきついなあ、ま、そしたらまた別の先生をあたるまでだが、と思っていた。

本診の診察室に入ってすぐ、「どれどれ」と血糖値測定の記録を見ると、「こんなに(回数多く)測ってるの?!」と先生。カーサンその一言を聞いた瞬間、どばーっと涙が出てきてしまった。患者の負担という視点がなければ、絶対に出てこない発言だと思った。
※この日カーサン風邪っぴきで少々発熱。熱があると涙もろくなる体質ではある。

発症から現在までのいきさつを話した。現在の主治医のやり方以外にもっといい方法はないのか知りたい、と。そして相性が悪いとははっきり言えなかったが、話の流れでその辺りも察してくれたようだった。

頭の良い人は、明るい。この先生を見て思った。

最小限の負担で最大限の効果を、というこの先生の方針、それこそがカーサンたちが求めてやまないものだ。口では患者サイドな耳当たりの良いことを言いながら、実際の指示は病院サイドオンリーだった現主治医とは違う。まずコミュニケーションの取りやすさが段違い平行棒だし。「コピーしてくれる?」というスタッフへの依頼も常識的に丁寧だったし。人として好ましい>これが最大かもしれない。

ひとまず転院を決めた。

カーサンとしては「いける」予感で嬉しくてたまらないのだが、夫は「結果が全て」と一歩引いている。それでいいと思う。

まだうまく頭の中が整理しきれてない。また機会を改めて、もう少しすっきり書けたらなあと思っています。



2005年04月13日(水) 昨日と今日

昨日、二日目の登園時も娘は泣いた。ばいばいして門の外から見ていたら、先生の膝に乗りコアラのようにしがみついて、先生の首に回した娘の腕がちょいと切なかった。

カーサンの視線に先生が気付いて、「にこっ」と笑ってくれた。あの笑顔は「大丈夫ですよ」でもあり、先生がやりたくでも絶対出来ない「しっしっ(手で追い払う仕草)」でもあったような。いやあの、カーサン不快だったわけではなく、「あ、失礼しました」という気分。「お願いします」と預けたんだからね、もちろん信頼申し上げておりますよ。

迎えに行くと、先生が読んでくれる絵本に最前列かぶりつきで夢中で見入っていた娘、カーサンを見つけてはにかんだ。何照れてんだ。絵本が相当面白かったのか、名前を呼ばれても反応せず「ほらほら」と手招きされてようやくカーサンの元へ。楽しかったんだね。よかったよ。

帰宅してからは少々不穏。どうやら外面を良好に保った娘、こりゃ内弁慶ってやつだな。カーサンのお尻にひっついて離れない。

夕飯を食べ終わろうというときに、何の脈絡もなく突然泣き顔になり「バイバイってちないで」「ちないでよーー」と涙をぽろぽろ落とす。

娘なりにがんばったのだな。

今朝は今朝で「ようちえんいかない」「おかーちゃんもいかない」とパンを食べながら言い切っていたが、へえへえと流して支度させると逆らわない。園までもちゃんと歩く。むう。さてはカーサンを試したな、おぬし。

園に着くと「きょうはなかないもん!」と先生とカーサンに啖呵を切り、本当に泣かずに「イッテキマス」と手を振った。

一日一日、園は楽しく先生は優しく、カーサンも約束どおり迎えにくると信じられつつあるようだ。経験で学ぶ娘、信頼という上書きを重ねつつあると見た。

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さて昨日の降園時、娘が「ダッコダッコ」「もう歩かないー」とごねる。「低い?」と訊くと「ひくいー」としかめっ面。そこらへんに座って測ろうと思ったが、あいにくの雨でどこもかしこも濡れていて、しかたない、園に一度戻ることにした。

「あのう、ちょっと低いようで、測らせてください」と門のところであいさつをしていた副園長に頼むと、「どうぞどうぞこちらへ」といそいそ職員室に案内された。ひえー。玄関先でちょいと測ろうと思ってたのに。

「そういうお話もしなくてはと思っておりまして」「どういう処置をなさるのか実際拝見する機会ですから」と盛り上がってくれて、こちらがとまどうくらい。

測って、やはり低くて、ジュースを飲ませてマリーをかじらす。その間、園長が興味深そうに見守ってくれ、かつ「入院もしたの?」とか、もう今までに何回もそう言ったろうが、という事柄を確認してきて、逆に「ああ、何度でもしつこく説明していいんだな」と安心した。
※面接のときも面接資料にも入園時資料にもしつこく持病についてよろしくとやってしまって、いささかやりすぎたかと危惧していたので。

園長の話によると、全職員に持病のある子が入園、と喚起し、主治医との面談の話も以前より具体的に考えてくれているようだった。有難い。

もっとゆっくり休んでいけば、と言ってもらったが、実はジュースは一時しのぎでしかなく、お昼ご飯を食べなきゃしょうがない、という状況だったので、15分ほどで失礼した。結局おんぶして帰った>甘えも相当ある娘。

あんまり温かくされて、カーサンびっくりした。そして温かさに、園側の不安も感じた。なるべく早く主治医と面談の場を設けて、不安を解消してもらわなくては。

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日記長くてすみません。

でもって今日は第一回保護者会だった。

クラス内での自己紹介のとき、迷いに迷ったけど、娘に持病があることを話した。こういうとき「糖尿病」ってのはどうも言いにくい病名だ>誤解を恐れてしまう小心者。

「ちょっとした病気を持ってまして」と切り出した途端、おかーさま方の視線がぶわっと集まったのがわかった。い、痛い。

ただでさえ人前の発言ではあがりまくるカーサン、「感染するものではない」「指先から血液を取って体の状態を見ることがある、驚かれるかもしれないけどよろしく」としどろもどろ。

もういっこ、肝心の「補食」という行為について説明し忘れた。まあいい。いずれまた機会があるだろう。

そして漠然と「やってもいいけどー」程度の気持ちで役員決めのじゃんけんに参加したらあなた、見事勝ち取ってしまいました。その強運をスガ方面に活かしたいのだが。

勝ち取ってから、そういや娘の病院通いもあるし無茶したかな、と思ったりしたものの、まあやってみなきゃわからないし、園とは密接に関わっておこうと思っているので、ええと、ばんがります。



2005年04月12日(火) 神社でテイクアウト

日曜日、夫が散髪に行った。というか行かせた。

何度か行った床屋とは相性が悪いらしく、どこかないかなとPCに向かって検索している夫に「たまには美容室とかどう?」と無責任に提案してみたのだが、却下された。

そして彼が選んだ床屋、名前が「男爵」。これを選んだ夫、ある意味勇気がある。どんなスタイルになってくるやら、結構時間が長くかかって待ちきれない娘と、その床屋のそばまで迎えに行ってみることにした。場所はカーサンも知ってたんだ。

近くの公園でふらふらとし、そばのお寺の駐車場で桜吹雪と戯れる娘。やがてカットを終えた夫と合流し、そこから歩いていけるファミレスに行った。

このファミレス、以前からちょくちょく利用していて、ホールの人員の入れ替えの激しさとか、人手が足りてない様子とか、店長に同情したくなるような助言したくなるような、「まあファミレスだし」という「ぎりぎり許容範囲のサービス業」風情を醸し出していた。

どうしてなの、今日は注文してからなかなか料理が出てこない。出てきたと思ったらカーサンのスパゲッティ、4〜5本束になってくっついている固まりがひとつやふたつじゃない、なんだこりゃ。自分ちで作ったって、なかなかこんなにくっつかないぞ。

さすがのカーサンも食べる気が失せ、店長さんに声を掛けた。お皿の中を見た彼は「失礼いたしました、五分で新しいのを茹で直してお持ちします」とお皿を下げた。

待ったよ。20分。そして「あいすみません、実はパスタソースを切らしまして」と深々と頭を下げられても。いっそ「五分」とか言わなきゃいいのに。結構です、とお店を出ちゃった。

お腹空いてるからさー、不機嫌に拍車がかかる状況なわけよ、これ。夫も娘も食べ終わってて。

「ぎりぎり」を見事、超越してくれたファミレス。もう二度と行かないと思うけど、おかげで帰り道に美味しそうな地元のレストランを発見、テイクアウトでドライカレーを買って帰った。

たまたまお祭りだった神社に寄って、強風の中カーサンはドライカレー弁当、娘と夫はソフトクリームを食べましたとさ。

ちなみに、夫はなかなかよい感じのヘアスタイルになった。強風の中、しみじみ眺めてしまった。やるな「男爵」。



2005年04月11日(月) 一日目

昨夜お風呂で、明日から幼稚園だね、と娘に話した。おかーさんは一緒に行くけど、一度バイバイして、またすぐお迎えにいくからねとシミュレーションを聞かせると、「バイバイちないでよー」と懇願されてしまった。そう言われてもねえ。先生もお友達もいっぱいいて、きっと楽しいよ。盛り上げようとしても、「おかーちゃんバイバイちないでよ」としつこい。うーん。

そして本日初登園。
雨の中、早めに着くように家を出る。小雨でよかった。

上履きに履き替えるところで案の定ぐずぐず言い出した娘。あとがつかえております。すると「はいはーい」と先生が抱っこして教室へ連れて行ってくれた。娘「おかおかおかーちゃーん」とへの字眉で手を伸ばしてくるが、先生が「お預かりしまーす」とにこっと笑ってくれたしここが引き際だ。門を出る。

年少さんの教室は園の中で一番道路際なので、門の外フェンス越しに覗き込むことが出来る。まだ泣いてるかな、泣き止んだかな、とこっそり様子を伺うと、泣き止んだ娘が先生に手を引かれとことこ歩き、自分のロッカーにリュックを押し込んでいる。先生が粘土板をロッカーから出して、お友達の隣りの席での粘土遊びへ導いてくれたようだ。よしよし。

あっさり泣き止んだなあ。こっちが拍子抜けするくらいに。カーサン正露丸飲まなきゃいけないくらい緊張したっていうのに(軟弱)。

そんな娘の姿を見ていたら、ちょっとだけ涙が出た(軟弱軟弱)。

さて家に戻っても落ち着かない。なんとなくうろうろしているうちに、あっというまに1時間半経ってお迎えの時間。あさってまでは11時降園。ほんとにあっちゅうまだが、ちょうどいいとも思う。

なにしろ気が急いて早めに着く。これ幸いとまたフェンス越しに覗き込む(ストーカーっぽい)。ちょうどこちらを向く位置で娘がちょこなんと椅子に座っている。熱心に爪を噛んでいるようだが、泣いてはいない。笑ってもいないが。よくがんばったなあ(親馬鹿)。

お迎えの人がずらっと並ぶと、ひとりずつ順番に呼ばれて、一日の(といっても正味1時間半だけど)子どもの様子を先生が話してくれる。カーサンの顔を確認した途端、娘は破顔一笑してカーサン向かって駆け出し、先生に止められた。どうどう。順番を待つのだ娘。先生の話によると、娘は案外活発に動き回り、年中さんのクラスにお邪魔したりしたそうだ。へえ。

そして帰り道、「おかーちゃんがいなくて、ちゃびちくてちょっとないちゃった」とか言う。「でももう、なみだとまったよ」「おわりんとき、おうたうたった」「ぬりえはちなかった」「ねんどでー、にゃんにゃんとかー、わんわんとかー、ぺたってちた」ほほう、そうかいそうかい。カーサンの知らない娘の時間を、彼女の言葉で聴くのは大層わくわくすることだと知る。

心配していたパンツも大丈夫、無事幼稚園一日目を過ごすことが出来た。よかったね、娘。そしてカーサンも心底ほっ。



2005年04月09日(土) 入園式

おかげさまで、無事入園式が済みました。

所在無いかんじでたたずむ娘。


保育室にわんさか集ったお友達や保護者の中で、カーサンを見失うたびに「おかおかおかーちゃーん」とパニック寸前。落ち着こう>娘。無理か。

ま、おいおい慣れてくれたまえ。

この晩はくしゃみをするような勢い・瞬発的な夜泣きを繰り返した。カンの虫がぴりぴりしているようだ。短く見積もっても、4月いっぱいはきっとこれが続くんだろうなあ。

そして保護者の中で、保護者用のスリッパを持参し忘れていたのは我々だけであった。さ、寒くなかったもんね(強がり)。みっともなかっただけで・・・。



2005年04月08日(金) 入園式前日に思う

ろばと花車にうれしいコメントをたくさん頂いてちょっとびっくりした。もちろんとても嬉しいです。ありがとう。

以前にも書いたことがあったかと思うけど、カーサンのピアノお稽古バッグが実家ばば手製のコレだったのだ。お手本はベージュ地なんだけど、真っ赤な木綿に刺してあったところも同じ。裏地の細かい花柄っていうのもほぼ同じ。

なんというか、幼い頃の佳き記憶を辿れる最強アイテムだったのだ>ろばと花車。娘に輪廻させてしまうくらい。娘が気に入ってくれたらいいけど。

そして明日の入園式に、なんと実家じじばばが参戦するという。孫娘かわいさも極まれりってかんじだな。ま、親孝行になれば幸い。

赤いバッグのろばと花車を見て、ばばは何か言うだろうか。カーサンの予想では・・・・「あんた暇ねー」。たぶん正解。

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さて、入園式を明日に控え、本日娘との平常運転最終日である。

暑いくらいの陽気のなか、自転車に娘を積んでちょっと遠出の買い物に出た。どこもかしこも桜は満開。そろそろ花びらが強風に舞い始めている。

「明日は入園式だよ」「来週から幼稚園だよ」「幼稚園行ったらオムツじゃなくてパンツだよ」と後席の娘に三段攻撃をかますカーサン。

「うん、あちたはぱんちゅにちる!」しかしどうして今日はオムツなのよ。ぶっつけ本番で臨むつもりらしい。どこからその度胸がくるのか>娘。

お寒い入園式にならないよう祈るばかりである。着替えは持参しとく。

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昨日は月イチ(最近はもっぱら月2だが)の定期検診だった。主治医には混雑・遅延を詫びられたり、娘のおしり(注射する部位)がきれいだとほめられたりで、特に嫌な思いはしなかった>現金。

待合室で1時間以上待ったんだが、その間にふとしたきっかけで前の椅子で待っていた母子と会話が生まれた。

娘と同じ1型の坊ちゃんで、娘よりひとつ年上。大変明るく人懐こく、長い待ち時間、暑いほどの待合室ですっかり出来上がっていた娘にとっては(いや「カーサンにとって」が正しい)、このうえなく有難い遊び相手になってくれた。ちなみにママは微妙にヤンキー風味ではあったが、とても気さくな方だった。

今年になってから1型と診断された、言ってみれば私より経験の浅いママなわけだが、彼女と病気絡みのあれこれを話していて強く感じたことがひとつ。

カーサンも、彼女と同じ「嘆きのオーラ」みたなものを身にまとっているのだろう、ということ。今まで自分がどう人の目に映るか、うっすら感じてはいたけれど、昨日あのママと話したことで、それがはっきりと客観的にわかったような気がする。

その善悪はともかく、それを自覚しておこうと思う。実はそのオーラは活用することもできる便利モノではあるのだが、無闇に発散しないように>自戒をこめて。

ここや別館は、カーサンにとっていわば箱庭のような場所でもあると思っているので、ここではあたりかまわずぶちまけてしまうかもしれないけど(それも考え物だが)、実生活では意識していこうと思う。

ついつい病気が身近すぎて、微妙な線引きが見えなくなることがあるような気がしている。



2005年04月07日(木) もうすぐ幼稚園

写真連発失礼します。手を付けるのが遅くて今週火を噴いた、入園準備用品たちでございます。こうしてアップでもしなきゃやってられない気分なんです。

やっと出来ましたがな。ろばさん花車。ろばと車はフェルトのアップリケ。それ以外は全部刺しゅう。大小合わせて花が23輪、葉っぱが17枚。死ぬ。二度としない。

裏側はいかにも力尽きた感じ。うさぎと名前のみ。

フリーハンドのうさぎはつらい。娘は表のろばより、裏のこのうさぎの方が好きだそうだ。泣けてくる。

うわばき入れ。もう形にしただけ。別布くっつけてお茶を濁す。

コップ入れ。以前娘のポシェットを作った残り布。バンビちゃんと星の模様。

上着の替え襟。サテンステッチしてるとアドレナリンが出るようになりました。

上着替え襟ピンクバージョン。ドーパミンすら分泌。


上着の背中。チョキじゃないよ、うさぎだよ。しつこいほどにうさぎ。何故ならカーサンが好きだから。一番カタチにしやすいんだよ、耳長いしさ。

園内服スモックのポケットにまたうさぎ。最初左胸にきっちり縫い付けたら、そこは名前を書いた白布を付けねばいけない位置であった。泣く泣くほどいた。ポケットって縫いつけにくい。


まだあんのか、と最後に登場した防災頭巾カバー伏兵。もう刺しゅうは無理なので、フリーハンドアップリケで強引に乗り切る。「にゃんにゃんがいい!」って言うから猫にしたら「次はわんわん!」二匹?二匹必要なの?・・・無視。

本当はあとお弁当箱入れが必要なんだけど、お弁当始まるの夏休みのあとだから先延ばし。また8月の最終週に、火を噴くのにちがいない。

お手本通りに仕上がらなくて、最初のうちは「これじゃいかん」とほどいたりしていたが、徐々におのれの限界を痛感、「充分充分」「遠目で見りゃきれい」と現実を直視できるようになった。進歩だ。



2005年04月06日(水) 笑い声

ラジオをつけっぱなしにしていたら、マイラジのジングルが聴こえてきた。ナビが変わった時点で、ジングルも変えてくれないかなあ。どうにもこうにも切ないのである。

なんて思っていたら、昨日は電気グルーブとスチャダラパーのひとたち(あまりよく存じ上げない)二人がナビだった。4月いっぱいなのかな。たぶん彼等の作品がJ−WAVEの今のキャンペーンソングだから、そういう線の人選なんだろう。

ちゃんと台本通り読み上げて、なんだかイメージとの落差がある。初々しいくらいだぞ。そしてあの台本て、曜日に関わらず、ナビに関わらず、大筋ほぼ同じなんだな。そういうものなのか。ふーん、という感じで聴いていたのだが、「あ、ダメ」(←別に恥らっているわけではない)がこみ上げてくる瞬間が。

笑い声だ。二人のうちどっちだかわからないけど、こ、この笑い方はダメー。気にしなきゃいいのに、耳につく。あ、また笑った。また笑った。くう、ダメだ。気になって仕方ない。
※お昼の新番組の男性DJさんも、笑い声がクル。

そういえばスガさんの笑い方もかつて苦手だった。今は平気だけど。いやむしろ愛して止まないけど。

思い返すと、男性の「笑い声・笑い方」に対する好き嫌い感知器の性能が、やけに激しいのかもしれない>自分。女性には思わないのにな。

大学のとき同じゼミだった先輩で、「いいかもいいかも」と思った爽やかな青年がいたのだが、初めて彼が笑う所を見た瞬間、歯茎全開(失礼)にすーっと気持ちが冷めたりした。

そういや夫も、最初は笑う顔に「う」と思ったっけ。なんというか、ええと・・・、くしゃおじさん系?(失礼連発)これは慣れた。慣れだ、慣れ。

なんちゃって、かくいう私も歯茎全開笑い。強風の日には、くちびるの内側が歯茎に張り付いてしまうという弱点有り。



2005年04月05日(火) 新居訪問

元ご近所さんYさんの新居に、同じく元ご近所さんのHさんと遊びに行ってきた。娘より半年年下のRちゃんと、五歳のお姉さんMちゃんと、お嬢さん方三人揃って楽しそう。娘は同い年くらいのお友達より、お姉さんの後ろにくっついて遊ぶのが好きらしい。なんとなく納得。

母たち三人はよもやま話。Yさんとは退院後初顔合わせ。ちょっと持病の説明をしたりしていると、カーサンどういうわけか若干声が震えてきてしまう。なんなんだろう。緊張する。

YさんHさんには申し訳ないが、何をどこまでどういう風に伝えるか、という心積もりを作るための、カーサンの経験値を増やすには大変良い機会であった。

ここを知っている人と会うのは気安い。事情をいくらかわかっていただいている、とう安心感があるからだ。危うくそこにあぐらをかきそうになる、そこは気をつけなくちゃと思う。

そして逆に、全く事情を知らない人と会う場合。まだまだわたしたちにそういう経験が足りないと感じる。測定や注射という行為がどうしても日常的についてまわるけど、それを初めて目にする人の反応にびくびくしているカーサンがいる。たいしたことじゃない、と日頃思っているにもかかわらず。はー。

あとの瑣末なことたちは、カーサンの気の持ちようだ。子ども達が喜ぶ、お菓子やジュースやアイス。娘も一緒に喜べれば、それでいいと今は思っている>自分に確認。結局は「いいよ、どうぞ」とするくせに、そのたびに迷って、それももうじき慣れるんだろうなあ。

いよいよ今度の土曜日は入園式、来週からは幼稚園生活が始まる。うー、どきどきするなあ。

そしてYさん宅に携帯を忘れて帰宅し、「ついでの用事があったから」と晩遅くにYさんが家まで届けてくださった。ああ、忘れんぼカーサンやっちまった。もしや待ち受け画面のスガさん見られたか(恥)。

マナーモードに入っていて命拾い。「奏」が「おさえきれ〜ない〜♪」と朗々と流れてしまうところであった。いや、布教のタイミングだったのか、惜しかったのか、もしかして。



2005年04月04日(月) マイラジ最終回

さてそんな木曜日の夜、スガさんが七年半ナビを勤めたJ−WAVEの「OH!MY RADIO」(以下マイラジ)が終わった。

カーサン刺しても刺してもちっとも進まない刺しゅう(娘の入園準備品)をちくちくやりながら、録音はしつつリアルタイムで全部聴けた。ビバ、娘の深い眠り。ビバ三月最終日。ビバ夫の飲み会(鬼妻)。

オープニングに、七年前の第一回目のオンエアがちょっと流れたりして、いかにも最終回ムード。ああ声が若い。そしてこのジングル。「アクロスザビュー」の頃だ。何回か聴いたっけ。そしてスガさんの笑い声に引いた記憶が・・・。まさか何年かあとに、こんなに熱心なファンになるなんてねえ。あの笑い声さえも聴きたいと思うようになるなんてねえ。

スガさん淡々と、リスナーからのメッセージを読み上げていく。感傷的なコメントにしないところが彼らしい。そこをさらに「ほんとはさあ」なんて探るのがファンの醍醐味。ええ、ファンなんてそういうもんです。

カーサンが聴いたのは、ここ1年欠けるくらいの短い期間だったけれど、うん、面白かったよ。お馬鹿なエロトークの冴えも好きだったし、作品の裏話を知ることができるのも嬉しかった。何より「声」。コンスタントに「声」が聴けるということが、こんなに有難いことだったとは。失って、ことさら輝きを増すラジオというメディアの威力。

が、覚悟していたような壊れるような感情もさして湧かず、穏やかに最後まで放送を聴くことが出来た。自分でも意外だった。

たぶん先週のスタジオライブで、カーサンの感情はうまいこと着地してしまったらしい。案外そんなものなのかも。

スガさんのラジオ、またいつか聴けるかなあ。待てば待っただけ、喜びも大きいよ、きっと。ラジオのこっち側で、楽しみに待ってるよ。



2005年04月03日(日) 木曜日の公園でキレるの巻

木曜日、それはそれは気分の悪いことがあった。また公園でやっちまったよ。「また」なのよ。前にもやってるのよ。ううう。

晴れた午後、いつもの公園にたくさんの子どもたち。春休みだと気付く。

この公園に来ると、カーサン娘を見つつ、小学生たちが遊ぶ様子を眺めているのが好きだ。「一人狙いなし」「タッチは二回ね」「外の道路は無し」とどんどん都合のよいルールが増えていく鬼ごっこ。誰かがボールを蹴り始めると、なんとはなしに出来上がるサッカーの輪。

特に男の子は、年齢を超えて大きい子も小さい子も体をぶつけるようにしてよく遊ぶ。いいねえ、などと眺めているんだけれど。

しょっちゅう公園で見かける、今度新一年生になるH君。コミュニケーションの垣根がかなり低い彼、いつでも誰にでも話しかける。カーサンも突然話しかけられてしばしとまどったことがある。人懐こいというのか、なんというのか。

そのH君と遊んでいるのが3年生くらいの男子。あれとって来い、これ持ってこい、ああしろこうしろとH君に指示を出すと、男子の友人が持っているゲーム触りたさからか(どうもそういう条件を提示しているらしい)、年上の子の笑いを取れる面白さからか、H君まるで弟分のように忠実に従う。

それが段々エスカレートしてきた、と感じたのは、男子が滑り台の上、H君の靴を片方投げる。それを口でくわえて持ってこい、という遊びを始めた頃からだ。まさに忠犬の如く指示に従うH君。

H君は笑っているが、カーサン見ていて気分が悪い。ついついじーっと注視してしまう。

そして今度は、その靴の裏をH君に舐めさせる男子。「うえー」「きったねー」と大笑いしながら、もっとやれという男子。H君笑ってもらえるのが嬉しいのか、こんなこと簡単に出来るよとにこにこ自慢げだ。うーん。「これやったらゲーム触らしてやる」やっぱりそうか。取引があるんだな。

公園にいる大人はカーサン1人。もう彼らに注視しまくり。男子もカーサンの視線に気付き始めた。後ろめたいという気持ちはあるらしい。ちらりちらりこちらを伺っているのがわかる。だったらもう止めてくれないかなあ。

しかし男子、ジャングルジムに登って、ひそひそ声でH君に新たな指示を出す。「ズボンとパンツ脱げよ」聞こえないと思ったら大間違いよ。段々カーサンの目が据わってくる。「いやだよ、恥ずかしいもん」とH君。そうそう、嫌なことは嫌って言ってよ。オバサン心のお願い。

その後、H君を鬼にしたかくれんぼが始まった。笑いをかみ殺しながら身を隠す男子。散々きょろきょろしても男子を見つけられないH君、こともあろうにカーサンに聞きにきた。「どこ行ったかなあ?」あー、あっち行ったみたいよ。カンニングとは言わないだろう、これは。

そのうち見つかったの見つからないのどさくさに紛れて、力づくでH君を組み伏せ、ズボンに手を伸ばす男子。「やめてよー」とH君の声。カーサン何かがぷちっと切れた。ずかずか大股で男子に近づく。

さっきから君たちのことをずっと見ていた。年下の子にそんな意地悪ばっかりして、何が面白いの。いい加減にしなさい。

男子反射的に「はい」「はい」と返事が出る。カーサンの目を見ることも出来る。
※以前、実家近くの公園でキレときには、注意されてもへらへら笑ってる子だったっけ。

多分意味なんてわかっちゃいないのだ。やっていいこと悪いことの区別も。一見の知らないオバサンに凄まれて、少々びびっている様子の男子。でも、わかっていたでしょう?ずっと見られているなあって。まずいなあって思っていたんでしょう?

やたら低い声で男子に凄んだあと、カーサン体ががくがく震えて止まらなかった。小学生相手に何をびびっているのかしら。

カーサンだっていろんな意地悪したことがある。あの子のこと言える立場だろうか。とか、彼が小学生だから強く出られたけど、中学生だったらどうしただろう。とか、ぐるぐる考えて、自分のしたことを後悔したりもして。

夜遅く、夫に一部始終を話すと「あんたそりゃ、怒って震えたんだろ」と言う。もしそうだとしたら、カーサン35年の人生で、初めての経験だよ。

怒るという感情は、後味の悪さではダントツではないだろうか。涙や切なさに昇華させることも出来ず、いつまでもざらざらと嫌な手触りが残る。

カーサン怖いオバサンで結構だ。抑止力になれるなんて思わないけど、もうあんなのは見たくないから。彼らのためじゃない、カーサン自分のために、そんな風に思った。えらいくたびれた。


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