日記帳

2005年03月30日(水) 服を着てくれ

娘の持病のことで、主治医以外のお医者さんに話を聴いてみたい、という希望がむくむくとそれはもう健やか〜に育ってしまっている。問題は誰に聴くか、だったんだけど、ようやく1人お目当てのお医者さんに辿り着いた・・・というか発掘したというか。あとは実際お目にかかってみるのみ。

その予約を入れる電話を、朝から病院にかけていたのだが、これがなかなか繋がらない。自動音声の「かけ直したら?」という有難い忠告を無視して待つ。

やっと予約のお姉さんと電話が通じ、病院のサイト上の情報と、実際のそれとの誤差をお互い埋めつつ、無事予約が取れそ・・・というタイミングで部屋のインターホンが鳴る。宅急便の集配のおじさんだよ。何も今でなくても。そしてどうして今、娘はオムツいっちょなの。上になにか着なさい早く。

あれもこれも同時進行なんて、シングルタスクのカーサンには過負荷なんですけど。あうあう言いながら事なきを得る。大事なことを聞き漏らした気がしてならない。ああもう、たったこれしきのことで肩で息をしてしまうカーサンなのであった。



2005年03月29日(火) 寝かせてあげる

昨夜から漂っていた頭痛の気配が、今朝起きたら決定的に濃厚に確実な痛さになっていた。こうなると何飲んでもだめなのね>薬。いくらなんでも飲み合わせってものもあるんじゃないかと思うってくらい試してみたんだけど。無茶苦茶するよカーサン。なんとしても回避したいという熱い思いが空回り。

朝ごはんのあとも、どうにも起きていられない。座布団とクッションを並べ、フリースのひざ掛けを腰に巻いて寝る体制ばっちり。すまんが娘、ビデオでも見ていてくれ。

ほどなくうとうと(気絶)、ビデオを最後まで見た娘に起こされる。目を開けるとカーサンの寝ていた周りに、積み木の箱やら絵本やらブロックの缶やらがバリケードの如く並べられている。「こりはー、おかあちゃんがあちょぶかなーとおもってー」と娘の解説。えーと、ある意味お供えですか。

「おかあちゃんずっとまってた」えらいえらい。ありがとう。と言いながら、今度は甲子園中継をBGMにまた眠ってしまった。許せ、娘。

おかげさまで午後には治ってきたよ。ひとりで塗り絵なんてしちゃって、カーサンにやけてしまう(親馬鹿全開)。彼女の手の届くところにあらゆるおもちゃがあって命拾いした気がする。たいがいのところに手が届くくらい、背が高くなったんだなあ。



2005年03月28日(月) 雨のおかいもん

ここのところ、雨の日の外出を楽しみにすらしている娘。赤い傘を差して、赤い長靴を履いて、おかいもんにいくのがうれしくてしかたないらしい。

アカンボ時代「雨=缶詰め」だった頃には考えられなかったよ・・・。そぼ降る雨を見上げてため息をついたもんだが。

前回の雨の日、駅より向こう側の大きいスーパー(サ○ット)にはたどり着けず、手前のちょいしょぼめの中堅スーパー(○イダ)で手を打った記憶が、歩き始めてすぐに娘たちまち甦ったらしい。

「きょうはいいだまちいくの?」先日のお墓参りで乗り換えた「飯田橋」がソラミミでいいだまち。混同甚だしいが、まあいい。今日はスーパーじゃなくて、コンビニでいいんだよ。景品でもらったプリペイドカードを使ってパンを買うんだよ。

「こんみみ?こんみみいくんだの?」ぱちゃぱちゃ水溜りを見つけては小走り。晴れた日よりも足取りが軽い娘。

いつも汗ばむほどにつなぐ手も、「いいのよ」と傘を持つことに専念。手をつながずに歩くことに不慣れなのは、むしろカーサンの方だ。どきどき。道の端を歩くのよ。前見てちゃんとついてくるのよ。振り返り振り返り、小さな赤い傘がちょこまかついてくる。

細かい雨プラス風プラス娘の徒歩スピードのおかげで、傘を差していたのに上着がびちょびちょ。もちろん娘のズボンの裾は色が濃く変わっている。

雨が降って、日が射して、こうして繰り返すうちに桜が咲くんだねえ。



2005年03月27日(日) 過敏ちゃん

娘には「堂々」とか「おっとり」とかよりも、「敏感」とか「怖がり」みたいな形容詞の方がしっくりくる、とつねづね母として感じている。

もっと小さい頃には強い光や大きな音が苦手だった。夜間の対向車のライトも苦手だったし、単なる西日すらまぶしがりドライブも楽じゃない時期もあった。

以前に比べれば、最近はそういう「環境の刺激」には強くなっってきた。しかし彼女が最も敏感に反応するものが依然として存在する。誰あろう、このカーサンである。

娘に限らず、どんなお子さんにとっても、「母」という存在はある意味絶対的なもので、幼児期だけじゃなく大人になってからだって、その呪縛みたいな影響力は存在し続け、おおざっぱに言ってしまえば、それこそ誰にでもまとわりついて離れないものなんだろう、とは思う。良きにつけ悪しきにつけ。カーサン自身にだってずいぶんくっついているぞ。

それにしても、と思うのだ。娘のカーサンに対する注意力というか、ちょっとした変化を感じ取るアンテナの性能のよさというか、ここのところ激しすぎやしないだろうか。

顔色の変化、声色の変化、感じ取るたびに眉をへの字にして「おかあちゃんげんきだの?」続いて「ごめんなちゃいだのーーーー」と毎回泣かれた日にゃあーた。「眉を曇らす」とはまさにああいう表情のことを言うんじゃないの。
※謝るべき理由もない状況のときには、謝らなくていいんだよ、と諭すと「はーい」とやはりへの字のまま従う。その従い方がなんていうかこう従順というか盲目的というか・・・。カーサンもんのすごい権力を手に入れた気分になる。気分じゃなくて、実際ふるっているんだろうけど。

昨日だって、大きい公園で楽しくおとーさんと滑り台していた。調子に乗ったおとーさんが後ろのお子さんの通行の邪魔になっていたので、カーサン大きめの声でそれを知らせた。途端に娘にこにこが一変、「うわーーーーーー」と泣きながら駆け寄ってきてカーサンの膝にしがみつく。ちちちちがうよ、おとーさんがさ。

寝る間際「きょうはたのちかった」と微笑ましいコメントをつぶやいたと思ったら、「でもおかあちゃんがおこったとおもってないちゃった」と続く。はいはい。すみませんでした。・・・謝ってるじゃないですか(北村弁護士風に)。

カーサン自身もそういうとこのある子どもだったらしいけど、ここまで娘の反応が徹底的だとなんだか不安になってくる。そんなにいつも怒っているかしら。そんなに厳しくしているかしら。いつもおかあさんは怖い顔をしている?足りないのは何、過剰なのは何。

よせばいいのに、夜泣きのついでかなんかのときに「そんなにおかあさんのこと怖い?」と訊いたら「おかあちゃんこわいんだのーー」と泣かれてしまった。言葉にすると決定的になるなあ。ほんと馬鹿だ>自分。「お母さんは娘が大好きだよ」と言葉でも態度でも説明してくっついて寝たけど、娘からの愛情の量には敵わない・・・。愛情表現が少なすぎるのかしら。

確かに嫌がろうがなんだろうが、測定と注射に関しては有無を言わせない。調べたいことがあるとPCに向かってしまって娘の相手がおろそかになる。

そういうカーサン自身常日頃感じている罪悪感みたいなところを、娘の態度でダイレクトに刺激されて不快なのもある。思い当たるフシはある、でも、という状態。例えば娘が活動する半日以上の時間、100%彼女の満足いく相手は出来ないんだよ。カーサンも人間だもの。

深刻に悩む、とまではいかないものの、なんだかなあという気持ちを抱えている今日この頃。幼稚園に行ったりすると、また変化するのだろうか。ついつい4月からの新生活に期待がこもる。

ま、カーサンが発揮してしまう力の塩梅とタイミングについて、ちょっと注意しながらやってみるよ。PCに向かうことについてもね。



2005年03月25日(金) 探し物はナンですか

ここ数日でいろいろ思うところがあるんだけど、まだうまく整理しきれてない部分も多いので、ちょっとだけ覚書として。

インターネットというツールがあってほんとによかった。カーサンせっかちの待ったなしなので、知りたい調べたいことがあると、我慢がきかない。娘と二人きりで部屋にいるというのに、ついPCに向かってしまうこらえ性の無さよ。すまんなあ、娘。週末はちゃんと遊ぼう。

持病関連のサイトを片っ端からあたり、今まで敢えて通り過ぎてきたサイト(イタイのも中にはある)にも足を止め、とにかくヒントでもキーワードでもいい、なにか拾いたい。

1型糖尿病の小児の患者を診察している、感じのよさそうな医者はどこにいる。なんて曖昧なんだ>特に後半。でも後半も大事なんだ。

特定の医療機関の実名を挙げて評価しているサイトなんてほとんどない、あっても・・・ということは、ネットをさまよううちに段々わかってきた。それでも匂いだけでも、としつこい私。くんくんくん。匂いにもいろいろある。それもわかってくる。結構面白い。

本当は患者の会とか患者の親の会、みたいな組織に所属するべきなのかもしれない。でも、まだそれはいい、とどこか頑なな自分がいる。まだいい。まだ必要ない。

発症したときも、そういう組織に加入すべきかどうか、とても迷った。でもそのときの気持ちは「他の人がどう感じたかなんて興味ない」正直言ってそういう偏屈な孤立主義でいっぱいいっぱい。

今は少しだけわかる。自分と同じ経験をして混乱の渦中にいる人の助けになるなら、と思う先人たちの存在を、その気持ちを。

でもまだいい。自分で出来ることは、まだあるみたいだから。必要と感じたら、そのときに頭を下げようと思っている。

ネットの力って、本当にすごいと思う。医療という分野で、ネットにはまだ発揮しきれていない可能性がいくらでもありそうだよ。カーサンとしては、使い方次第という点に充分気をつけていこうと思います。



2005年03月24日(木) 単独検診

前回からの間隔が二週間と短めの定期検診。但し娘抜きで可とのことで、娘を実家に預けてカーサンひとりで病院に行く。なんであれ、単独行動はちょっと嬉しい。

午後の診察は初めてだったが、案外空いていた。午前中より待ち時間が短いくらいだ。

カーサンこの日の心積もりとしては、納得できないことがあったらその場でそれを伝えること、出来れば質問して答えをもらうこと(レベルが低い?)、と鼻息荒い。嵐のように荒い。カーサンの前を横切ると吹き飛ぶぜ。

しかしいざ診察室に入ると、前回からの間にメールで主治医とやりとりなどしたせいか、お互い特に話すべきこともない。「先日はありがとうございました」「はい、で、どうですか」「ええ、まあ」なんて。

あっさり診察が終わりそうになり、カーサンからふんばる。突っつく。何しにきたんだ思い出せ。前回の血液検査の結果と、栄養指導が音沙汰無いことについて尋ねると、「ああそうでした」と改めて結果をプリントアウトしたり、栄養科に連絡をとったりの主治医。カーサンとしてはどこか「ザマミロ」な気分を味わう。嵐のように荒い鼻息のおかげだ。

やはり彼とは人間関係として、どうしても「ザマミロ」的レベルから脱しきれない。なんだかなーもー。

待合室で待つ間、いつもは娘の相手で手一杯だが今日はひとり。ゆっくりとノート(入院中から覚え書きしているもの)を読み返したり、待合室の本棚から持病関連の本を借りたりして、頭の中を整理する作業に没頭できた。これはとても、有難かった。

======================

さて、スガさんのマイラジも残すところあと2回。3月は木曜日が5回あってほんとによかった。

今夜はファミシュガがほぼスタジオに集結してスタジオライブ。ゆるいアコースティックだけど、ぶっつけ本番リハ無し。コードミスもど忘れもご愛嬌。奴らの底力を見せてもらったぜ。

7年続いたものが終わるっていうお題目ありきでこれが実現したんだと考えると、番組終了ってのも悪いことばっかりじゃないなと思う。終了と決まってから、番組中のスガさんのテンションこころなし高目キープのようだし。

「ここまで」っていう区切りが見えて初めて発揮される威力を、電波から感じる毎週木曜日。

いよいよ来週は最終回だなあ。・・・やっぱりさびしいよ。



2005年03月23日(水) 連休

日曜日は春秋恒例のお墓参り。ベビーカーなしで移動できるようになって、ほんとに身軽。滅多に乗らない地上電車(JRだ)に娘大喜び。普段通院や実家参りには、地下鉄しか使わないからねえ。一瞬しか地上に出ないからねえ。

気が向いてスイカを買ってみた。お、便利。通になった気がする。定期を持たなくなって何年だ。ふと考える。

例年のことだが、お墓参りがメインなんだか、その後のそば屋がメインなんだかわからない盛り上がり。お酒飲み卓と飲まない卓に分かれ、実家じじは飲み卓中央ではしゃいでいる。嬉しそうな赤ら顔を見ていると、面倒がらずに年二度のお勤めを果たそうと思えてくる。

娘はおはぎと草もちにご執心。あんことうるち米、糖分と炭水化物。血糖値はハイジャンプ。低血糖のときにはおはぎだな。

翌土曜日、夫は休出。天気もいいし、家にいるのがもったいない。

以前から連絡を取ろうと思い続けていた中高時代の旧友に電話、急遽お邪魔することにした。

二日連続で地上電車に乗って娘はうはうは。「でんちゃだいちゅきー」とよく歩く。久しぶりに新宿なんかで乗り換えて、カーサンの方がどきどき。中央線は罠が多いから苦手なんだよ。どうにか予定時間通りに旧友と落ち合うことができた。奇跡だよ、ミラクルだよ。

旧友の彼女は携帯もPCも持たない。もっぱら電話で連絡を取るのだが、今は忙しくないかしら、ご飯準備かしら、お迎えかしらと思案した挙句、留守電応答になっていたりすることももちろんある。メールのなかった頃、そうして連絡を取るのが普通だったのに、それを不便と感じるなんてなあ。便利には慣れやすい。
※電話口親父ファイアウォールも、イマドキの若者にはありえないんでしょうね。

4月から小学校という坊ちゃんが、終始娘にジェントルマンに接してくれてもう感激。そんな坊ちゃん四つんばいにして馬乗りの娘・・・。いいのかそれで・・・。

8ヶ月になる妹ちゃんとは初対面。ようやっとお座りできるお年頃。あーもーかーわいいねー。手のえくぼも、小さな靴下も。本当に娘にこんな時代があったんだっけか。どうも娘に対しては、最新情報で記憶がいっぱいいっぱいで、写真でも見ないことには赤ちゃん時代が実感できない。

休出を終えた夫を旧友宅まで呼び出し、眠ってしまった娘の運搬を任せた鬼妻は私です。ああ楽しかった。



2005年03月18日(金) 続きましてー(ウシくんカエルくん風に)

遅くに帰宅した夫に、主治医から電話があったことを伝えた。内容もさることながら、カーサンがどんな印象を持ったか、の方につい力が入る。

そんなカーサンのしつこさが功を奏したか、夫も一度妻の気の済むようにしなくてはと考えたらしい、来週中にTJ医大に一緒に行こうかと提案された。

実際行くとなると、はて、私はTJ医大の医師に、何を話し、何を聞きたいのかはたと考え込んでしまった。

夫の知人がTJ医大小児科を受診しているのだが、ことさらよい評判を聞くでもないし、あまり期待しないほうがいいよと夫が追い討ちをかけてくる。

結局私は、主治医に対する愚痴を誰かに聞いてほしいだけなんじゃないのか。技量的には問題無い主治医の、愛想がないとかヴィジュアルがいまいちとか(言いたい放題)、そういう枝葉末節的な部分への不満を、同業者の医師にぶつけても何ひとつ前進しないんじゃないのか。

今の主治医だって、第一印象は今ほど悪くなかったのだ。9ヶ月つきあってみて、徐々に印象が坂道を転げ落ちてコロコロコロ。他の病院の門を叩いたところで、たった一度の受診ではどうにもならない気がしてきた。

「もし転院したとして、1年通ってみてやっぱりN大はよかったなあってことになりかねないよね」とカーサンが得意の先走りをかますと、「そしたらすんませんただいまーって戻ってくれば?それもありじゃないの」と夫。

営業もさ、浮気した客が戻ってきて、またよそにとられて、そんなのよくあることだよ、となにやら酒臭い夫は絶好調であった。うーん、ほんとに一緒なのかそれと。

TJ医大に限らず、どこかよさげな病院はないかとネットで検索したけど、やはり実際かかってみないとわからないという結論に。一日かかっちゃったなあ、また。

で、どうするんだよ>自分。週末、夫と相談してみよう。文殊の知恵とまではいかなくても、なんか知恵の汁が一滴くらいぽたりと絞りだせるかもしれない。優柔不断が今日も炸裂。



2005年03月17日(木) 先入観に振り回され続ける

定期検診のたびに感じる不快感を、もはやカーサン自分ではどうしようもない。検診日の晩には、夫相手に全てぶちまけ、カーサンの言い分を認めてもらわないことには気が済まないような、ヒステリックな心境になる困ったちゃんだ。

夫は定期検診の現場に居合わせていないので、カーサンからの情報と、かつて彼が直接会ったときの主治医の印象から判断するしかないという、なんというか片手落ちな状況を夫に強いてしまう。夫としては、妻の不平不満に共感を示して家庭内平和を保つ選択肢しかありえない状態。

いかん、少し冷静にならなくては>カーサン。

そもそも、今かかっているところとは別の、ある病院への憧れが強いのだ。仮にTJ医大としよう。全然仮になってないけど。

毎月主治医に渡される糖尿病情報誌みたいな冊子に、その病院の名が頻繁に出てくる。主に「ここでよかった」的なコメントと共に。思春期の患者さんからこうも信頼されているというのは、カーサンとしてはポイントがかなり高い。

もし娘が発症したとき、その病院を選んでいたら、とつい考えてしまうのだ。一番近くのN大に緊急入院したから、そこから流れで系列のN大S病院にかかっているけれど、もっと時間的に猶予があって、情報を選別するだけの余裕があったなら、と。

そしてカーサン「ほめられたい」気持ちが強いのだ。数値がよくなったとき、主治医は特にそういった表現をしなかった。その代わり、数値が悪化したときにはそれをとても強調する。「患者側の責任をちゃんと果たしてくださいよ」としつこく念を押されるようで嫌なのだ。カーサンの考えすぎ、被害妄想的感覚の賜物なんだろうけど。
※と夫にこぼしたら、主治医の指示通りにして数値が悪化したんだから、「スケールが合わないんじゃないですか」って反論すればいいのに、と夫。それが出来れば苦労はない。ケーサツ要らん。

でも患者と医師という立場で、患者はなかなか強くなれない。そこを汲み取ってくれる医師を求めるのは贅沢なんだろうか。技術的には必要充分な指示を与えてくれる、でもそれだけでは不十分と感じるのはわがままなんだろうか。

件の情報誌に「数値だけでなく、精神的負担も同時に解決していくのが本当の糖尿病治療」というような文がある。これを書いた医師はN大でもTJ医大でもないのだが、大きくうなずいてしまうカーサン。

よくよく読み進めると、続いて「医師にかかる10カ条」なるものが挙げられており、その中に「よりよい関係づくりはあなたにも責任があります」。

がーん。そうだ。その通りだ。カーサン痛いトコロを突かれて思わずよろめく。私はその努力をしてきただろうか。否否否。主治医に思いをぶつけたことがあるだろうか。否否否。

こちらがどう感じているのか、言いにくいことだとしても、主治医に伝える努力をしなくては。自分より上位と感じる人物に不満をぶつける。カーサン最も苦手なジャンルだけど、そんなこと言ってる場合じゃない。

というわけで昨晩、勢いにまかせて主治医にメールを送った。不満ではなく、単なる質問だったけど。

そして今日の夕方、返事が電話で来た。あたたかみを感じられたかと問われればやはり否だが、充分的確な指示ではあった。

いつまでこのギャップがつきまとうのだろうか。どうしてもカーサンは主治医に素直に感謝の気持ちを抱けないのだろうか。

先入観って、ほんとにしつこい。



2005年03月15日(火) 4泊5日の修行

夫の父母が大阪から来宅し、4泊して今朝旅立っていった。

4月から幼稚園が始まると、今までのように曜日を気にせずに孫娘と会うこともままならなくなる。彼らは大阪の甥兄弟で経験した、そういう教訓を生かして滑り込み3月に上京しようと思ったのだろう、とカーサン勝手に思っていた。

だいたいその通りではあったが、改まって入園祝いを頂いたりすると「あ、節目なんだ」とも感じた。東京の息子一家への配慮や心配というのをひしと感じる。有難いなあと思う。

ま、それとこれとは別だ。って好き嫌いの感情とか、合う合わないの相性の話。

あれは6月、娘の入院初日に何度も聞かされた「これもいい経験だ」という義父の台詞を、未だに受け入れる気になれない。今頃娘が病院でどうしているか、と胸がつぶれる思いでいっぱいだったカーサンにとって、あの言葉はどうしてもダメだ>しつこい。

今回の発見は「感謝しなくちゃいけないのに、嫌いが先立つなんて」と自分を責めることがなくなった、ということ。嫌いなものを好きにならなくては、という優等生根性がすっかり影を潜め、代わりにひっそり(いや堂々?)つぶやきで発散するというネット依存症が炸裂。いいんだか悪いんだか。

それにしても「根はいい人」とか「悪気はない」とかって、周囲はそれぞれ何かをなだめるのに四苦八苦している人に限って、本人の自覚がゼロだったりする。あ、ゼロだからか。真逆か。

もちろんカーサン自身は高い棚に上がっております。エベレストより高い。



2005年03月11日(金) 310な木曜日

昨日は定期検診。いつもは実家ばばと待合室で合流するんだけど、この時期ばばも仕事を抜けられないし、病院後に実家参りするのも無茶だし。もうベビーカーを使うこともないし、ふたりで通院するようにした方がいいのかもしれないなあ。

えらい待たされるわ、主治医にクソミソに言われるわでくたびれきって帰宅。良くも悪くもカーサンの解釈ひとつなのは自覚しているんだけど、基本的に苦手というベースが変えられらない。「やっぱりここも嫌い」「あれも嫌い」と積み重ねてしまう。好意があれば、「あれも好き」「これも好き」ってなるくせに。

ぐるぐる考えて過ごしている間は「そんなにひどい人ではない」「でも苦手」「思い過ごしかも」「私が悪意に取りすぎ」「でも苦手」と行ったり来たりしていたが、夫が帰宅して報告しだすと止まらない。やっぱり根本的にあの先生が苦手。二人していろいろ話すうち、一度他の病院に行ってみるのも悪くないという結論に達した次第。

あとは夜10時までなんとなくそわそわと過ごす。今夜をいれてあと4回>スガさんのラジオ。

番組のジングルが聞こえて、スガさんの声が聞こえて、ポータブルのラジカセ(死語か?)の前にしゃがみこんで耳を傾ける。お雛様を飾るために、キッチンに移動させてそのままになってるラジカセ。ここの方が電波が良好という不思議。

マイラジ終了について、ネット上でもさまざまな反応があるようだ。感傷的に惜しむファンもいれば、確かにマンネリだったよと冷静に分析するファンもいる。ま、おおざっぱな印象としては、今現在熱を上げている現役ファンが感傷班、古くからのファンがどちらかというと冷静班、といったところか。かつてファンだったけど今は離れている前世ファンはまちがいなく冷静班。

カーサンとしては、終了をスガさんが望んだことなのか、それを知りたかった。番組中の彼のコメントを聴く限り、スガさんの意向ではなかったようだ。何故かほっとする。

先週の番組終了のお知らせが余りに淡々としていたので、なんとなく探るようなかんじで軽薄なメールを番組宛に送ったんだけど、「まだ先々あれもこれもやってみたかった」なんていうコメントを聴いているうちにそれが悔やまれるやら恥ずかしいやら。正直に残念、さびしい、悲しいと書けばよかった。あほやー。

ネット上をさまよううちに、閉じてしまったファンサイトもたくさん見つけた。どうやら4枚目5枚目のアルバム辺りら「音楽性が変わった、もうついていけない」となったらしい。今回の「TIME」を聴いたら、さらにダメ出しするんだろうな。「ビジュアルの変化と共に才能の枯渇を感じる」とまでレビューしちゃってる人もいた。

確かにビジュアルの変化は著しい(絶句)けど、いいのいいの、スガさん自身がネタにしてるくらいだ。胃腸薬かけてご飯食べてたデビュー当時と、プラズマテレビで「24」DVD観てる現在と、そりゃもう変化があって当然だと思う。

ま、いろんな人がいる。それでいいと思う。今のところ、カーサンの偏向っぷりは直りそうもないし。あと3回の放送、大事に聴きます。



2005年03月08日(火) 確定申告、済み

3月といえば確定申告、というくらい、身近なイベント(なのか?)なつもりできたけど、今年は苦戦した。揃えるべき書類が部数足りなかったり、要らないものまで請求してしまったり。

実家がその辺を本業としているのだから、よろしくと頼んでしまえば話は早いのだが、ただでさえ火を噴いているところに身内モノを持ち込むのも気が引け、かつこれくらい自分ひとりで出来るはずという妙な自負もあり。

ま、なんとかやりおおせた。間違っていれば戻ってくるだろうし、今はこの受領印のついた控が大事なのだ。

4月から児童福祉法が改正になって、娘の小児慢性特定疾患医療券(長い名前だ)を申請し直さなければならない。それに確定申告の控が必須なのだ。

これでまたひとつ用事が前に進められるよ。やらなくちゃ、でもまだっていう状態が長く続くと、重要なことに限ってポカをしでかすような気がして嫌なのだ。

あとはなんだ、日本脳炎の予防接種か。今月末に大阪義父母が来襲すると予告があったから、その辺と兼ね合いつけて、幼稚園始まる前には済ませておきたいなあ。

=================

税務署に申告書提出のあと、いつもの公園に寄った。暖かいからわらわらと親子連れが湧いてくる湧いてくる。

その中の一組にあいさつをしたら、「N幼稚園なんですってねー、さっき他の人に聞いて」と声を掛けられた。ええ、じゃあなたも。

「なに組になりました?」と尋ねられてカーサン詰まる。えーっと・・・さくらだっけももだっけ。本気で思い出せない。本気で返答に困っているカーサンの第一印象や如何に。かなり期待できそう(凹)。

もうすっかり頭の中から抜け落ちてしまっているんだな>幼稚園関係。決まったことだし、あとは用品準備と、あ、主治医との席を設けなくちゃいかんのだった。ほらまたポカしそう。4月になったらにしましょう、と園長に言われていたから、先送り事項に分類してた。あっというまに4月になってしまうんだろうな。

カーサンの頭の引き出しから、いい加減スガさん関係を整頓しないといかんな(あくまで整頓、捨てないのがミソ)。無理やり閉めた押入れのふすまのように、開けるとだだだっと雪崩れてくる。



2005年03月06日(日) 三昧

妻の誕生日直後の週末、申し訳ないけどと言いながらやはり嬉しそうに夫は出掛けていった。旧友の結婚式出席で土日は名古屋である。

娘の入院以降、夫が週末の単独行動を控えるようになった。とても有難いことなんだけど、ちょっと気の毒とも思っていた。先日のスガ様ナイトで友人と会うことの素晴らしさが身に沁みた妻としては、気持ちよく彼を送り出した・・・つもり。いや嫌味のひとつも言ったとか言わなかったとか。どっちなんだ。

そしてカーサンはカーサンで旧友に連絡を取ると、何かと多忙な彼女がたまたまこの週末は予定が空いているという。遊びにきてきて。

彼女も嫌いなほうじゃないということもあって(そそそうだよね?)、スガさん三昧。DVDやらCDやらMDやら、無茶苦茶おつきあいいただく。いやー、カーサンもこんなにどっぷり浸ったのは初めて。たーのしーい。一年分くらいまとめて鑑賞した気分。

彼女は彼女でヅカファンでもあるので、そちら方面の布教をしてくれた。なかなか興味深い文化だ>ヅカファン。意外なことに(失礼)カーサンヅカDVD楽しかった。非日常の極みだよね、これも。

彼女と顔を合わしたのは娘の入院以来、9ヶ月ぶり。たぶん間が空こうが空くまいが関係ないのかも、話は尽きない。笑った笑った。挙句カーサン愚痴も聞いてもらってすっきり。

楽しくて仕方なくて、惜しくて惜しくて引き留めて泊まっていただいた。カーサンのみならず、娘も非常に盛り上がってうはうは。

母子共にお世話になりっぱなし。おかげさまでほんとに楽しい週末でした。夫の外出のおかげでカーサンにもこのうえないお楽しみがやってきた>一粒で二度美味しいとはこのこと。

予定より早く帰宅した夫に、内心舌打ちしちゃったというのはもちろん秘密で(鬼妻)。



2005年03月04日(金) 苦手

3日間続いた頭痛は、もしかしたら雪雲のせいだったのか。朝起きたら駐車場や畑はきれいに真っ白、頭痛はしばらくして消滅。ほっ。家に缶詰めかつ頭痛不機嫌で終日娘の相手ってのは避けたい。

お昼ごはんを食べてしばらくしたら、猛烈に眠くなってきた。「おきてーおきてー」と娘に乗っかられたり引っ張られたりしても全然ダメ。ああカーサン睡魔に完全包囲、あわや陥落・・・というところで電話が鳴った。

飛び起きて受話器をとると、実家ばばだった。開口一番「おたんじょうびおめでとう」んまー、それで雪?へそまがりはばば譲り。

カーサン実家ばばとそういう電話したことが殆どない。用事があって初めて会話が成立するというか、「なんとなく」では間が持たないのだ。彼女からの電話はいつでも「あ、あたし、あのことだけど・・・」と間髪居れず用件スタートダッシュ。カーサンも同様。・・・誕生日を祝うってのは充分用事足りうるのか。

カーサン生まれたその日も雪で、早朝に生まれたのに祖母と兄が病院に来たのは夕方だったとか、じじは風邪で寝込んでいて来なかったとか、叔父が全て退院の手配をしたから、叔父が父親だと病院関係者には思われていたとか、そんな思い出話をばばが少し話した。前にも聞いたことある、そしてこれからまた何度か聞かされるであろう類の話だ。

なんとなくうまくそういうばばの波にノレず仕舞いで電話を切った。

どうも両親とのハートウォーミングな電話ってのが出来ない。苦手だ。そんなカーサン、また一段大人の階段を否応無しに上りました。時間は着々とカーサンの足を運ぶ。次の階段まで、あと一年(宇宙戦艦ヤマト風)。



2005年03月03日(木) 天国と地獄

間が空いた挙句、大袈裟なタイトルのスガシカオネタにて失礼。

木曜日の夜は、スガさんの声が聴ける。カーサンそりゃもう毎週とても楽しみにしていて、録音してイヤホンで聴くのが無上の喜び。

昨日なんてカーサン、番組中のテーマ宛てにメールを3つくらい送って、そのうちのひとつがオンエアで読んでもらえたもんだからもう大変。手の平に変な汗をかいて、胸がどきどきして血行がよくなるのを感じたくらいだ。

本当にメールひとつひとつに目を通してくれているんだなあ。間接でも直接でもどっちでもいい、スガさんと自分が一瞬つながったような感触がたまらなく嬉しかった。まるで深夜ラジオにハガキをせっせと送る中学生のようだ>自分。

その後夫が帰宅したのでMDに録音を任せてボリュームを絞る。おあとのお楽しみ。へっへっへ。

ところがよ。番組が終わる時間になってMDを停め、ちょいと番組のブログをチェックしたところ、今月いっぱいで番組終了というお知らせが。衝撃の一撃の撃沈。撃撃撃(しつこい)。

かれこれ七年も続いていて、ラジオは彼のライフワークみたいのもの、ラジオ収録が無いと曜日の感覚が狂うとまで言っていたのに、そうか、終わるときが来るんだなあ。

番組のBBSも、オフィシャルサイトのBBSも、ファンサイトのBBSも、動揺したファンの書き込みが連なっている。わかるよ。私も寂しいし悲しいし、実はちょっと涙も出た(恥)。

でも一ヶ月という猶予を残して告知してくれたことに、変わらぬ彼の誠実さを感じるし、どういう形であれ、そのうちスガさんの言葉で説明があると勝手に確信している。こういうときゃ待つに限る。イメージを裏切る意外な誠実(あら失礼?)、それにやられたクチなんだから>カーサン。

しかし、一夜のうちにここまで極端な感情を二種類味わうことができて、やはりカーサンとしては「ありがとう」しか浮かばない。負け惜しみじゃないよ。ほんとだよ。


 <<  index  >>


さば [TOP]