大学教員の日記

2002年03月31日(日)  NHK会議

 平成13年度、最後の日。渋谷でNHK会議。NHKに行くのは今回で5回目。今年度は、このNHKが新しい実践を創造する場となった。親御さんが「本当にいろいろな体験をさせてもらいました」と何度も話されていたが、これは自分自身も全く同じ。本当に貴重な(というか二度とできない)体験であった。

会議自体は3時間。中身の濃いものである。プロジェクト校8校の先生方のお話、そして番組企画委員の先生方(日本でトップランナー)のお話を拝聴できたことは何にも変えがたい。

 幸い新任校で情報教育担当になった。情報教育=パソコン教育のみではないのであるから、学校放送番組の活用促進を図っていきたいものだ。



2002年03月30日(土)  原稿に集中

 時間がない中での原稿。今日が締め切り。「向山型社会の授業」の本の原稿を仕上げ、「ネットワーク」誌6月号の原稿に取り組む。明日NHK行きだが夜遅くかかっても仕上げるつもり。

 注文していた児童向け図書「インターネットで調べよう」5巻、届く。立派な本である。装丁も中身も。全国の学校に広がってほしい図書である。



2002年03月29日(金)  宮古を去る

 宮古を去る日。朝近所にご挨拶。大家さんにも4年間のお礼。学校に行き必要な書類を取り、最後のご挨拶。職員の皆様に玄関で見送ってもらう。とうとうこの日が来たという思いである。希望したこととは言え、本当に名残り惜しい。

 そんな日に「コマーシャル制作に挑戦」が再放送。これも縁である。反響あり。



2002年03月28日(木)  新天地でがんばることができる!

 午前中、原稿を少ししたあと、新しい勤務校の水沢小学校にご挨拶。すぐに宮古へ。PTA送別会。
 
 一生忘れられない送別会。これから新天地に向かう自分に大きな励ましを与えてくれた送別会。本当にありがたかった。
 次々と来られる親御さん。
「本当に貴重な体験をさせてもらいました」
「先生の学級通信が本当に楽しみでした」
「先生からいただいた本、本当にありがたかったです」
 お別れの際の言葉だから・・・ということもあるかもしれない。でも親御さんの一つ一つの言葉は、自分にとってまさに宝物だ。心の中でボロボロに泣いた。本当に高浜に赴任してよかった。皆さんに巡り合ってよかった。
 担任した子供たちからは色紙、写真、そして数多くの花束・・・。この心をしっかりと受け止めた。

 圧巻は、高浜で最初に赴任した時に受け持った中3の子供たちの登場だ。逞しくなった子供たち。まだ出会わぬ子供たちに、「高浜小史上最高の6年生になろう」と学級開き前に板書をしたものであった。なかなか授業がうまくいかずに、檄を飛ばしたことも何度もあった。
 そんな子供たちももう高校生。会場でその姿を見た親御さんも、思わず「オー」と圧倒されていた。2006年にタイムボックスを開く約束の話をすると、親御さんが「私も行きます!」。嬉しいその心!
 
 宴は続き、気付いたら11時を回っていた。(最後は3時まで)本当に自分にとってはありがたい会であった。
 岩小最後のPTA送別会を思い出した。あの時の送別会が、違う土地宮古の4年間を支えていたところもあった。

 そして、今、こう言える。高浜小の送別会は最高であった。多くの人々の思いを胸にしまい、新天地に向かう。皆さんの思いがあるから、新天地でもがんばれると。

 高浜小のPTAの皆さん、本当にありがとうございました。 



2002年03月27日(水)  「国際理解」授業づくり研修会

 朝、港の見える丘公園、外人墓地を散策。いいものだ。外国人の中にも日本のために尽くした人がこんなにいたのだ。

 横浜市国際交流協会のお招きで「国際理解」授業づくり研修会で事例発表をさせてもらう。例の宮古の自慢CMである。会場は目が飛び出るような立派な施設。国際会議も開かれる、4ヶ国語の通訳も可能というもの。通常の教師の研修会とは違う。

 事例発表は30分ぴったり。テレビ番組をフル活用。興味深く聞いてくださった。研修会終了後、何人かの方々が次々と挨拶。国際交流を進めている団体の方、大学院生、宮古に知り合いのいる横浜の先生等。いい経験であった。すぐに帰る。



2002年03月26日(火)  離任式&横浜へ

 離任式。とうとうこの日がきたかという感じ。壇上からみた子供たちが本当に可愛かった。今担任の5年生の子供たちの中でも涙を浮かべている子も。本当にお別れなのだ。地域の挨拶のあと、すぐに横浜へ。

 気持ちの切り替え。9時すぎに到着。中華街を通り、山下公園前のホテルへ。部屋に入ると目の前に海。そしてライトアップされた氷川丸。遠くにはベイブリッジ、みなとみらいのビル群。まさに豪華な眺め!テラスもあり思わず見とれてしまった。夜景に向かって乾杯。これも考えてみたら今日お別れした子供たちのおかげなんだなあ。



2002年03月25日(月)  職員送別会

 午前中に学期末の仕事を片付け、午後はアパートの片付け。ほぼ終わる。

 夜、職員の送別会。職員の皆様には本当にお世話になった。高浜小だからできたこと、認めてもらったことがたくさんだった。その意味ではまさに「大人の集団」であった。感謝以外の何物もない。



2002年03月24日(日)  休みを必要としている?

 諸帳簿を終え、横浜用のビデオ編集、向山型社会の原稿構想をする。

 今日も午後、昼寝。体が休息を必要としているのか?明日から大移動の一週間だ。いい休息だ。



2002年03月23日(土)  すべきことをしなくては

 転任前にすべきことを急ぐ。朝、NHKの報告書を送る。午後からは諸帳簿の残りに取り組む。体調不良で日中はゴロゴロ。



2002年03月22日(金)  転勤発表

 3月22日、転勤が発表になりました。
 宮古市立高浜小学校から、水沢市立水沢小学校に転勤となりました。

 初任校の江刺市立愛宕小学校、二校目の江刺市立岩谷堂小学校。大好きな学校でした。子供たちとも、親御さんとも、教職員の皆様とお別れするのが名残惜しかったです。

 今回の高浜小学校の子供たち、親御さん、教職員の皆様とのお別れはまた格別です。4年間は短すぎました。
 小規模校、そして実践の自由度が高いという点が自分にとっては幸いでした。その年、その年で思い出に残る充実した実践ができました。市指定の学校公開に責任者として携わったこと、県家庭科教育研究会の授業者、NHK教育のテレビ放送、数多くの原稿。本当にありがたいことでした。

 子供たちとは本当に楽しい日々を過ごしました。その素直さに何度も心が洗われる思いでした。親御さん、教職員の皆様は本当にいい方ばかりでした。宮古の地はよき思い出ばかりです。改めて感謝したいと思います。

 そんな居心地のよい学校でも、最後の年の単身赴任はこたえました。日曜日の夜、「もう行っちゃうの!」と子供たちに言われた時には、「水沢の隣に宮古があったらいいのに・・・」と本当に思いました。家庭で父親の代わりはいません。

 転勤先の水沢小学校は、我が家からすぐの学校です。上の娘が小5、下の娘が小1と、偶然ながら同じ学校となりました。児童数は高浜小学校の10倍の大規模校です。

 新しい環境で自分にできることに挑戦していくつもりです。そして、このホームページでよき報告ができるように努力したいと思っております。



2002年03月21日(木)  横浜研修会

 27日の横浜研修会のためにレポートを帳合。聞くところによれば、定員をオーバーし会場を変更するとか。しかも多くが関東以外で、岩手からも参加者数名ということであった。これは、メールマガジンも一役買っていたかな。夜、NHK「体験!メディアのABC」のレポート作成に取り掛かる。



2002年03月20日(水)  巣立ち

 4年、5年と連続で受け持った子供たちの巣立ちの日である。皆、美しい顔をしていた。しっとりとした卒業式。言うことなし。現担任と二人で、卒業を祝う会に参加。親御さんと話していると、いろいろなエピソードが思い出される。子供の数の分だけドラマがあるのだ。

 合間を見て、横浜の研修会のレポートを印刷。



2002年03月19日(火)  修了式

 修了式。5年生担任としての一年が終わった。今年ほど印象に残る実践を行った年は今までなかった。しかもそれらが、テレビ番組、児童用図書、共著、雑誌原稿等で形に残るのであるから、ありがたい一年であった。神様と子供たちに感謝するのみ。明日の卒業式は、2年間担任した子供たち。

 この子たちも公開や県家研等、多くの思い出深い実践をさせてもらった。いい天気で送ってあげたいなあ。



2002年03月18日(月)  共著「5分間でできる学級遊び90」

 共著「5分間でできる学級遊び90」(家本芳郎編著・たんぽぽ出版)が送られてきた。昨年の夏休みに執筆したものである。私の担当は7つ。ふだん教室で行っているものである。それにしても遊びの本らしく、とても見やすい。私が書いた下手なイラストもプロの手にかかり見やすくなっている。

 これは家本先生の呼びかけに立候補したものであった。我が父と同じ年生まれの家本先生がHPを作られ、メールマガジンも発行されている。そのパワーには敬服する。



2002年03月17日(日)  定期発行

 午前中、総合メールマガジンの編集。これが今年度最終号。臨時増刊号を除けば月2回ずつ定期発行ができた。新年度からどんなスタイルにするか、発行しながら考えていくことにしよう。



2002年03月16日(土)  質問がメインのゲストティーチャー

 早起きして、メールマガジンの原稿を一気に仕上げる。質問がメインのゲストティーチャーというテーマで執筆。原稿を仕上げたあとの出勤は気持ちがよい。頭がフル回転しているからだ。

 午後、各種雑誌を斜め読み。4月号だけに、新学期のスタートが多い。



2002年03月15日(金)  カウンター

 自分のHPのカウンターが1万件を超えて、ちょうど今日で3ヶ月。この間のカウンターが2670。一日平均30件弱というところ。ありがたいことだ。

 4月号の雑誌が届く。「ネットワーク」誌に社会科学習ゲーム掲載。メールマガジンの連載原稿の構想を練る。この連載、先月で終わりの予定だったが編集長のご好意により2年目も継続させてもらえることになった。これもありがたいことだ。



2002年03月14日(木)  脱稿

 「社会科教育」の原稿を仕上げる。締め切り日が明日。ぎりぎりだ。今回も間に合い、ホッとする。



2002年03月13日(水)  伸びている

 「社会科教育」原稿のために、子供たちに統計資料の読み取りをさせてみる。子供たちの読み取り技能が伸びているのを実感。今日、明日で原稿完成予定。

 文集70ページ、一気に印刷。子供たちは待ち遠しいようで、「先生、刷りましたか。」と何度も聞いてくる。



2002年03月12日(火)  一気に文集

 昨日から文集作りに取り掛かる。子供たちの原稿は3日間で仕上げ、印刷は一気に・・・と考えている。70ページほどのものになりそうである。

 昨日に続き、通信表作成。あとははんこだけ。夜、「社会科教育」の文献を読む。



2002年03月11日(月)  思い出ウィーク

 今週は思い出ウィーク。子供たちに何をしたいか聞いたら、「20才の自分への手紙」「感謝状作り」「思い出集会」等のアイデアが出てくる。いよいよこの時期だ。

 通信表、3分の2を清書。明日には完成。「学級経営」誌の原稿、仕上げる。



2002年03月10日(日)  引き続き

 昨日に引き続きHPの作成。教師のすべき部分の修正であるが、けっこう時間がかかる。それでもまずはアップできた。

 夜、「学級経営」誌、原稿執筆。通信表清書をはじめ、年度末の仕事は明日から。



2002年03月09日(土)  ボランティア・ネット探偵団HP

 ボランティア・ネット探偵団HP作りをする。これは子供向けの本「インターネットで調べよう」(全5巻・あかね書房・ハードカバー)のためだ。7月〜9月に集中的に授業実践・執筆に取り組んでようやく形になって表れる。校正段階で内容は見ているが、改めて手にとると別だろうなあ。子供たちも楽しみにしている。



2002年03月08日(金)  通信表下書き完成

 NHK授業が終わってから、通知表の下書きをダッシュで行う。来年度の学校運営計画の研究部原稿と同時進行。5時間ぐらい集中して行って完成。連休は別の仕事に取り掛かることができる。



2002年03月07日(木)  NHK授業お礼の手紙

 Kディレクターさん、今はまだ新幹線の中と思います。今日は19回「構成」の授業をご覧くださり、ありがとうございました。遠路でしかも「突然の雪」の出迎え。大変な中を来校してくださり、感謝、感謝です。

 授業は私にとっては実に楽しいものでした。「15分の音楽放送番組の構成を考える」というのが単元のテーマなのですが、昨秋の「コマーシャル制作に挑戦」の番組で経験をしている学びを、子供たちは生かしていたなあと思いました。

 一回目の番組構成で友達やプロのKディレクターさんの批評を受けて、二回目の内容はどのチームもよりよいものに変わりました。しかも、練習を重ねるごとにどんどんノリがよくなって、今日の3時間目は笑ってばかりでした。

 もちろん、役割分担の甘さや技術の未熟さはあります。でも、今回の番組を構成し、実際に校内放送をすることによって、来年度の放送委員会が変わるような気がします。

 明日の発表会が終わったら、さっそくHPのレポートに取り組みます。詳しい報告はその時に。

 取り急ぎお礼まで。



2002年03月06日(水)  明日、NHK授業

 明日のNHK授業の前時をする。音楽番組の台本作りである。楽しいアイデアが続々と出てくる。やはりメディアの授業はおもしろい。



2002年03月05日(火)  評定の時期ではあるが

 今週で通知表完成なのであるが、別の仕事もある。7日に総合のまとめ・校内研での来年度の提案。16枚の文書を一気刷り。

 同じく7日がNHKディレクターさん来校のメディアリテラシーの授業。番組で終わりではない。年3回のノルマのうちの一つである。まあ、細かな指導案を書くわけではないが、ある程度の構想をする。



2002年03月04日(月)  一気に

 通知表の所見に取り掛かる。集中してほぼ終わらせる。もっともこれは15人という人数だからできること。小規模校のメリット?だ。総合は残っているがとにかくダッシュ。

 夜、「子育てしゃべり場」というメールマガジンからメール取材。メディアリテラシーである。この取材方法、総合のメールマガジンでも可能である。何回か続く予定。



2002年03月03日(日)  エトセトラ

 「ネットワーク」5月号原稿執筆、メールマガジンの編集、そして学校運営計画のための「来年度の研究計画」の原稿(A4・5枚)を執筆。通信表まで手が回らず。
 娘のインフルエンザ、快方に。ホッとする。



2002年03月02日(土)  6送会&手紙

 6送会。会の途中から進行役の5年生2人が目を真っ赤に。感動的な6送会となった。片付けのあと、子供たちをねぎらう。この一週間猛烈な取り組みを子供たちは行った。そのパワーに感服。

 余韻に浸っていると、同じ学区の中学校の先生が手紙を届けに来られた。3年前に担任した子供たちのうち3名が、私あてに手紙を書いたとのこと。小学校の時とは変わった文字。でも、小学校の時の思い出が切々と綴られていた。担任としての年月を重ねているからこそのつながり。さっそく返事を書こう。



2002年03月01日(金)  総合アンケート

 3年以上の子供たちに総合のアンケートを実施していた。その結果を集計。やはり、総合に対してはプラスの評価が圧倒的。子供にぐいぐいと食い込んでいることがわかる。副読本の手引書校正。こちらはこれで本当に終わりとなりそうだ。


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