Opportunity knocks
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2005年01月31日(月) |
きょうもいろいろあった |
きりんさんに教えていただいた雑誌を買いに、近くの本屋に行ったのだけど完璧に確実に置いてないとのこと。ザンネン。 家に帰って検索してみたのだけど、結構大きな本屋にいかないと手に入れることができなさそう。アマゾンで買おうと検索かけてもみたのだけど、なぜかでてこない。 仕方ない。今度の木曜日に街に出る用事があるのでそのとき買いに行こうとおもう。
立志式から帰ってきたコドモ、帰ってきてすぐ、「なんかあたまいたい・・」とひとこと。なんかやーな予感、と思って熱を測ったら38度半ば。やれやれ。 だから下にセーター着てけっていったでしょうマフラーもしていきなさいっていったのに面倒だからっていうこときかないし(えんえんとつづく) 今回の立志式は学校から車で40分程度かかる公共宿泊施設で行われたのだけど、生徒たちは往きの行程が徒歩(4時間くらいかかったらしい)だったので、そのときどうも体を冷やしてしまったらしい。まったく。 夕方かかりつけの医院につれていく。ひどければ注射をしてもらおうと思っていたのだけど、全然ひどくないとコドモが言い張るので注射はなしに。 インフルエンザの検査もしてもらったのだけど結果は(−) 胃腸風邪みたいだから、そういう薬だしておくね、と先生。
とりあえず注射はなしになって安心顔のコドモだったが、夜になって症状がかなりひどくなってきた。嘔吐は止まらないし熱は高い。だから注射してもらっとけっていったでしょう・・とまたぶつぶつ。 とりあえずアイスノンで頭部を冷やし頓服薬をのまして様子をみる。
あーこどもっていうのはこうやって親に心配をかけることが仕事であるかのように生きているイキモノなのかも。
明日は熱がさがっていますように。
2005年01月30日(日) |
きょうはいろいろあった |
まず朝。 この地方には厄歳を迎えた男達が行う大切な行事がある。
「禊」
(身に罪または穢れのある時や重大な神事などに従う前に、川や海で身を洗い清めること。広辞苑より)
その行事が今朝行われた。 しかも今年いちばんの寒気がおりてきた日に。
ひそかに心臓麻痺でも起こすのではないかと危惧していたが、 それは杞憂に終わった。 なぜなら、行事が終わって帰ってきた連れ合いは なんだかまえよりかなり健康そうだったからだ。
やっぱり神の儀式というものはすごい。
連れ合いの儀式が終わったあと、もうひとつ。 今日はコドモの立志式の日だった。 立志式というのは、昔の男女が元服や裳着などを行ったのにちなんで、将来に向けての決意表明などをする学校行事のひとつ。 学校から離れた宿泊施設で行われるのだけど、その式に生徒の親が招かれるのが慣習になっているので、夜連れ合いと一緒にでかけた。
会場はかなり広めのホール。真っ暗な中、キャンドルを持った子ども達がひとりひとり壇上にあがり、自分のこれからに向けての決意をスピーチしていく。 コドモの順番になって、なにを言うのかと思っていたら、 いついかなるときも冷静で落ちつきのある人になりたい・・云々。 ん?どこかできいたことあるぞとおもったら自分が年のはじめに書いたことだった。親子して落ちつきのない性格を克服したいらしい。
まあそれにしても、大きくなったことだなあとしみじみおもう。 最後、親に向けて書いたという手紙をひとりひとりが渡して、式は無事に終わった。
帰り道、滅多にないことだからとふたりで食事し、某Barに寄って一杯ずつ飲んで帰る。 いろいろあったけど、節目というのを感じた一日だった。
ひとつのことに集中することが年々困難になっているような気がする。 読書にしても勉強にしても仕事にしても人付き合いにしてもその他いろんなことについても、集中力がまったくない。
むかし、といってもそんなむかしじゃないけど、そーだな10年くらい前はそうじゃなかった気がする。本を読むときはそれだけに集中したし、何かをやるときはその対象だけに集中してたとおもう。もともと不器用だからほかのことに目を向けるようなことができなかったからなんだけど、今そういう自分を思い返してみると、あーあいっしょうけんめいだったんだな自分って感じでしみじみしてしまったりする。なぜかわってきてしまったんだろうかとおもうとやっぱり今は利己的になってあれもこれもって感じで自分の腕に抱えきれないくらいいろんなことを持ちすぎてしまってるのかもしれない。 そういうのはだめだななんて考えたりするほんとうに。二兎を追う者は一兎も得ずっていうし。でも、あーでもなんだよなあ・・・。 自分のしたいことやりたいこと掘り下げていきたいことがあっても、何もかもうまくやりたい自分がそういう思いを分散させてしまっている。なにもかもうまくやれる自分かっていうとまったくそうじゃないのはわかりきっているのに。
2005年01月28日(金) |
夕飯にから揚げを作っていたら |
むかしつきあっていた男の子のことを唐突に思い出した。
その子のうちにはじめて遊びにいったとき、お母さんが夕ご飯を御馳走してくれたのだけど、 そこででてきたのがとりのから揚げだった。
見た目にもあまりおいしそうなから揚げじゃなかった。 まず色がへんだった。灰色だった。 ひとくちかじってみると中がほとんどレアだった。 火が通ってないので、表面が水っぽくてぶにぶにしていた。 おなかが痛くなるだろうなあと思いつついっきにたべた。
お母さんはけっして意地悪で不味い唐揚げをだしたわけではなく、 ほんとうにただ純粋に料理が下手なだけだった。
なんとか食べ終わって帰り際、男の子がひとこと、 うちの母親料理が下手なんだ、あんなのたべさせてごめん。 とあやまった。
わたしは、気を悪くなんてしてないし全然平気だからと男の子に言った。 ほんとうに気を悪くしたわけじゃなかった。 ただ、料理の下手なお母さんがいる、ということ自体がかなり衝撃だった。
男の子の顔もお母さんの顔ももうおぼえていないけれど、 不細工なから揚げと男の子がわたしに対してすまなそうにしていたのだけは なぜかよくおぼえている。
から揚げをつくりながら、ずっとそんなむかしのことをおもいだしていた。
ジョージ・ソウンダース「パストラリア」
不思議な読後感の小説。 設定自体はすごく変っている。だって、死者がよみがえってどうしようもない家族たちに訓示をたれにくるとか、誰も来ないテーマパークで男女が原始人の真似事をして毎日檻の中で暮らすとか、そんなの普通に考えてありえないもの。 寓話っぽいといえばそうなのかも。何らかの思想なり思考を小説という形で反映させようとする場合、なんとなくこういう形になってしまうということなのかな。
社会の底辺で生きている人間の悲哀や不条理さ、人はなぜそこから抜けられないのか、なぜそういう人間が存在し続けるのかということをそれぞれの短編の中で問いかけていて、普通に読むとそういうくらーい雰囲気が心を重くさせるのだけど、 人間関係の連鎖というか人との結びつきや関係の濃さ(騒動を起こす家族に頭を悩ませながらも結果的にそれを助長させることしかできないというような構図)がそういう世界を作り上げているんだなというのを感じて、ちょっと面白いなと思った。
話題になっている作家らしくて確かに上手いなあと思うのだけど、 個人的にいうと、こういうタイプの文体ならイーサン・ケイニンの方がずっと好き。 それにレイモンド・カーヴァーも同じようにブルーカラーの人たちのことを書いているけれど、レイモンド・カーヴァーが愛情を持ってそういう人達を書いているのに対して、この作家はたぶんそうじゃない、という気がする。あくまで個人的な好みなのだけど。
それでもやっぱり面白いし、いろいろ勉強になる本だとは思う。 6篇の中では「シーオーク」がいちばん印象に残った。
筋肉痛の体を引きずりつつ仕事。 動作も頭も緩慢でまるきり動かなくって困った。 はやく頭の中きりかえなきゃ。
夜は連れ合いの兄の新築祝い。 野沢温泉で買ってきた地酒(水尾)を持って出かける。
大きな家を建てているとは知っていたけど、あらためてみるとかなり溜息ものの家。本物の暖炉とかあったり、オフロが総檜だったり、延べ床面積だけでも70坪以上はありそう。 掃除とか、冷暖房費とかたいへんそうだなあ、なんてどうしても小市民的なことを考えてしまう。
義兄は不動産の会社を経営しているのだけど、この不況の中きちんと利益をだして結構繁盛しているらしい。連れ合いの家系は商売人が多く商才にたけた人が多いので、たぶん義兄はその才能を受け継いでいるのかもしれない。(ちなみに連れ合いの商才は全部義兄の方にまわってしまったのでたぶんゼロに近い、とおもう)
コ「あー、○○○おじさんのこどもに生れればよかった・・(ためいき)」
N「あー、○○○はやめて、おにいさんと結婚すればよかった・・・(ためいき)」
母子してためいき。 というのは(半ば)冗談だけど、連れ合いと義兄は同じ兄弟でもかなりタイプが違っていて家に対しての考え方もそれを反映しているので、見ていてとても興味深かった。
いつかは自分の使い勝手、住み勝手のよい家をたてて、満足度の高い生活を送りたいなあと、そんなことを思ったり。
昨日は一日スノーボードをやってあちこち打ち身だらけになったので、今日は大人しく温泉街めぐり。
店先にとうもろこしとか温泉卵とかが売られていてとてもおいしそうだった。
麻釜(おがまと読むそう)というところ。源泉(熱湯)がわきでてて、地元の人が菜っぱやら卵やらを茹でにくる。湯気がもうもうとたちこめて、とても良い風情。
とても良いところだった。 また来年もこれたら、と思う。
一面の雪、雪、雪。 痛いくらい冷えた空気を吸い込んだら、 いつもぼんやりしていた頭のどこかが 音をたてて動き出したような気がした。
2005年01月20日(木) |
一年でいちばん寒い日 |
休日。 朝から洗濯機を回しながら(まともな時間に洗濯機を回すのは久しぶりだ)ぼんやりテレビをみる。 チャンネルをまわしていると、例のNHKの番組への政治的介入のことが報道されていた。あっちがでっちあげただのそっちが捏造しただの見ていてうんざりするような内容。こういうのってほんとうに不毛だなとおもう。そして結局どっちがうそつきかということにのみ関心がいってしまい、肝心なことはなにひとつ伝えられない。
NHKの番組を比較的よく見るだけに(去年は一年、大河ドラマみさせてもらったし)なんか残念だなあと思う。一部のトップの不祥事のために、良心的なものを作ろうとしている人達の努力が水泡に帰してしまうなんて。受信料不払いとかますますひどくなっていくんだろうなあ(うちはいまのところ払っているけども)
そんなことを考えながら午前中は家事全般。 午後は図書館へ行ったり、モスバーガーできんぴらライスバーガー食べたり、 本屋へ行ったり(2月号のユリイカを買った)などなど。
夜は明日からいく小旅行の準備(野沢温泉にいくのです) 格安の旅館をネットで探したのはいいのだけどそのぶんアメニティ(歯ブラシ、タオル、浴衣など)とかが一切ないということでそういうものを全部持っていかないといけないし、スキー関係も持っていかなきゃいけないしで、荷物が雪だるまのように膨らんでいる。しかも週末の天気、荒れに荒れそうな気配。だいじょうぶなんだろうか。とにかく行って来ます。無事に帰ってこれますように。。。
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2002年から続いていたBBSを今日閉鎖しました。 過去ログをひとつひとつ読み返して、ああいろんな人といろんな言葉をかわしてきたんだなと、なんだかとても感慨深かったです。今まで書きこみありがとうございました。 しばらくはBBSは作らないので、なにか一言いってやりたい、と思われた方はぜひメールを下さい。ではこれからもよろしくおねがいいたします。
バーゲンの季節、ということでついつい買い物。 昨日は白いニットの帽子を買い、今日は黒っぽいグレーの細かい縦ラインが入ったパンツと肩ボタンがついたボーダー(茶黒)のセーターを衝動買いした。
えっと、今月ピンチだったのでは?
でもまあ気に入った物が買えたので良いことにする。
宮部みゆきの「理由」読了。 かなりの数の登場人物がでてくるのだけど、その一人一人がきちんと書き分けられているというか、その人が持つ背景や行動などに非常にリアリティがあって、あらためてすごいなあと思った。いろんな人物、いろんな要素を目の前に全部ひろげてみせて、その繋がりを時間をかけて検証していく、そんな雰囲気が宮部みゆきの小説にはあるとおもう。ちょっと勉強になった。 この先もいろいろ読んでみようと思う。
ううむ。毎日更新とか年頭に誓っておきながら2日もあいてしまった….
今日は一日掃除に没頭。 新年がはじまったばかりなのになんで一日中掃除なんだ?と自分でも思うのだけど、まあ一日やったおかげでだいぶ綺麗にはなった。 綺麗になるとやっぱり気持ちが良い。 そんな日曜日。
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旅行日記、2日目書きました。去年の24日の日記をクリックしたらでてきます。 良かったら読んでみてください。
「約30の嘘」 うーん、いまいち。 終始列車内という密室の中での寸劇という設定は良いし、 詐欺師同士が疑心暗鬼に陥るというのも(人を騙すのが商売なだけに)面白いのだけど、なぜか釈然としない。 なにが良くなかったんだろう・・・と考えたのだけど、たぶんなにか甘ったるい感じがしていやだったんじゃないかと、考えた挙句そうおもった。詐欺師が青春ごっこって、ちょっとはたからみたらキモチワルイんじゃないかとおもった次第。 三谷幸喜氏が脚本を書いたらもっと面白いものになったんじゃないかと思う。
映画館をでたあとしばらくぶらぶら。 そういえば今日は芥川賞と直木賞の発表の日だっけ、ということで某T島屋の中の書店にいく。候補者関連の本がいっぱい平積みされていて目をひいた。 そのほかも桐野夏生さんの新刊や、某Aさんのおすすめの福井晴敏氏の小説もチェック。ああ本の虫がさわぐ・・・といっても今月はいろいろ事情があって家計が火の車なので、指をくわえながらただみるだけに終わったのだけど(悲
それにしても本屋ってやっぱり良いなあと思う。いつか自分の手で作れたらなぁなんてことを考えてみたり。
このところ随分と寒い。 余りに寒いのでダウンジャケットを買った。 茶色っぽいカーキ色。かなりあたたかい。 ちょっと小確幸。
昨日2時間もかけて書いた旅行日記が一瞬にして消えた。(突然フリーズして強制終了)ああなんでコピペくらいしておかなかったんだろう。こういうのって虚脱感以外の何者でもない。まあ仕事で書いているものではないから実害はないのだけど、それでも・・・。
消えた文章をいっしょうけんめい思い出そうとしているのだけど、あまりよく思い出せない。大筋では覚えているのだけど、どんな言葉を使ってどんな風な伝え方をしたかったのか、そういうところが全部抜け落ちている。せつない。 また最初から書きなおし。ああ脱力。
旅行日記書いてみました。 しかしこれがはたして第三者が読んでおもしろいものか疑問。 なかば自分のメモ的な文章なのでたぶん面白くないです。 それでもよいという方はぜひお読みください。
年末から正月にかけてずっと和風オンリーの食生活だったので、急に洋食がたべたくなった。 ブロッコリと浅蜊を使ったペンネ。 パスタの中ではペンネがいちばん好きかも。普通のスパゲティも好きだけど。 料理の方はいいかげんに作ったわりにはおいしくできた。ブロッコリをオリーブオイルで痛めて、じゃなくて炒めて浅蜊を入れ、日本酒と白ワインと水を入れて、乾燥したままのペンネを入れてアルデンテになるまで煮るだけ。 ただーし!浅蜊がおいしくないとたぶんおいしくならない、と思う。今の季節にしては美味しい浅蜊だったのでラッキーだった。 おいしかった。ごちそうさま。
ひさびさの運動で筋肉痛。でも運動したせいで少しすっきりしたような気がする。 やっぱり定期的に体を動かさないとだめみたいだ。
夜は映画。 「クロス・クリーク」 都会でゴシック小説(中世の古城などを舞台に恐怖、怪奇などを主題として書かれた小説、18世紀半ばから19世紀初頭のイギリスで流行したらしい)を書いていた女性が、南部に移り住み新しい環境や様々な人間関係の中で新しい境地で執筆を始めるというような内容。 モデルとなった女性は実在の人物で「仔鹿物語」を書いたM・ローリングス。作家がインスピレーションを得て文章を興していく過程や、それに付随する葛藤など、触発されるものが多くあった。小説というものはやっぱり突拍子のないところから生れるものではなくて、人が見たり感じたりしたものの積み重ねから派生的に生れるものなんだなとおもう。
M・ローリングスを演じた女優はメアリー・スティンバーゲンという人で、「ギルバート・グレイプ」や「JFK」とかにもでている女優なのだけど、この人の声が昔からとても好き。艶っぽいのだけど、同時に酷薄さも感じるというか、これぞ女の声という感じがする。 昔からそうだけど、男の人より女の人の声が好き。好きなボーカリストも圧倒的に女性の方が多いし。男性の声って単純というかあまり多くを語らないけれど、女性の声は深みがあると思う。女性がいろんな顔を持っているのと同じように。 かくいうわたしはそういった深みのない単純な性格と声音の持ち主なのだけど。だからこそ引かれるのかもしれないと思ってみたり。
ねむい・・・。 なぜか最近11時くらいになると眠気が襲って来る。 やること、やりたいことはいっぱいあるんだけどなあ。
・・・と書いているうちに、眠ってしまいそうなのでもう寝ます。 オヤスミナサイ。
ヨン様のことについてなぜか考えた。
わたしのまわりにはヨン様がすきですきでたまらないと言う人と、ヨン様?あんなののいったいどこがいいの、と言う人が存在する。二極化していると言ってもいい。 好きで好きでたまらない人はひとまず置いておいて、あんなののいったいどこがいいのと言う人たちには共通点が実はある。どういう共通点かというと、夫や姑や日々の日常などにしばられることなく自分の好きなように生きているということ。言いかえれば孤独なのだけど、それさえも気楽だと言い張れるくらいの強さを持って生活している。そういう人はなぜかヨン様には目もくれない。そう考えると逆に、ヨン様のことがすきですきでたまらないという人はきちんと家庭に入って、不満はあるにせよ安定した生活を送っている人が多いような気がする。
思うにヨン様はなにかの(優しさ?安寧?)象徴なのかもしれない。それを求める人はヨン様を求めるが、それを求めない人はヨン様のことはどうでもいい。
あるいはヨン様はなにかの代替なのかもしれない。代替で満足できる人とできない人。安定を手放すことができない人とできる人。と、これはちと深読みか。
そんなようなことを友達にいってみたところ、じゃNはどっちなの?ときかれた。 わたしは・・・。 さあどっちなんだろう?
餅のたべすぎで顔がまるくなった。 おそるおそる体重計に乗って驚愕。+3k…。 たった一週間でそんなに増えるもんですか、体重って。
とりあえず禁餅。 +3kをなんとかするべくがんばろうと思う。
弟らが帰って一気に静かになる。 思いきりこたつにねそべって本読み。 あーしあわせ。
弟らがきて賑やかな年末・年越し・年始だった。 連れ合いは厄年の奉仕作業で31日のお昼から今日1日の午前まで働き通し。かなりハードな年越しだったとおもう。
31日の夜は、弟ら&コドモと一緒に、紅白→行く年くる年→初詣。 初詣は相変わらず人が多くて真冬なのに汗をかいた。 すれ違う友人知人にあわただしく新年のご挨拶。旧年中はお世話になりました、本年もどうぞよろしく。
帰ってからコドモはベッドに直行。残りはビールなどのみながら、小さい頃はどうだったとか、あのときはああだったこうだったなど昔話にはながさいた。身内と迎える年末ってやっぱりいいなとおもう。
えー、そんなこんなで無事新年を迎えたところで今年の目標。
一、どんなときも冷静に考えられるだけの余裕を持てるようにすること。 一、人を悪く言わないこと。思わないこと。 一、いろんな本を読むようにすること。(図書館の貸し出し期日を守ること) 一、日記は毎日更新すること。(あくまで目標目標…) 一、自分で自分に厳しくすること。
こんなところだろうか。 完璧にやりとげるのは無理だと思うけど、あくまで目標ということで基本的にはそういう自分になれるよう精進しようと思う。
いつも読みにきてくださる方々へ。
目標にも書きましたが、今年は(たとえ一文でも)毎日更新を(一応)目標にしてます。面白いことが書けるわけでもないし退屈な文章ですが、これからもよかったまた読みにきてください。
ではでは、本年も宜しくお願い致します。
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