Opportunity knocks
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新聞を読んでいたら「トニー滝谷」のことが書かれてあった。
「エドワード・ホッパーの絵画のように、風景の中に小さく人物がいて、黙っていても希望、絶望、夢、現実、さまざまなことを能弁に語っている、そんな映画にしたい。・・・」 と、これは市川準監督の言葉。 いろいろ想像してみる。原作がどのように映像化されているか、どんな雰囲気になっているか。 3月12日からシネマテークで公開されるとのこと。非常にたのしみ。
最近テレビを見ていると局のどこかはフジテレビとライブドアのことを報道していて、まあまったく興味がないというわけではないけれど、いささか食傷気味。 ライブドアがフジをどうこうしたとして、別に世の中が良い方に変るとも思えないし、権力志向の人間がただ大きな入れ物をほしがっているだけのように思えるし。
テレビを見ていたら、団塊の世代がほかの世代にくらべて圧倒的に堀江氏を支持していることがアンケートの結果わかった、とアナウンサーがいっていた。小さな個人が大きな体制に向かって反旗を翻すということに共感を覚える、ということらしい。そんなものかな?とおもう。それよりはもっとどろどろした俗物的な欲みたいなものを感じるけどなあ。 そういう欲に対する執着心というか実行力みたいなものはすごいなあと思うけど、それを英雄視しちゃうとか何かとっても良い事のように吹聴するのはどうかとおもう。 たとえ小さな個人(ライブドアが小さな個人とは思えないけど)が大きな体制に反抗して勝利を勝ち取ったとしても、それがなんなの?と思う。問題は勝ち取ることではなくて、なんの為に勝ち取るかっていうことじゃないのかなあ。 それが純粋に自分のためなのか、何か大きなもののためなのか、それが大事なんじゃないかとおもうのだけど。
昨日飲みにいったせいか今日はすこぶる調子が悪い。 ぼんやりするし、悪寒はするし、食欲もない。 飲みにいった自分が悪いのだけど、悪いのだけど、悪いのだけど(しつこい) 週末は大人しく休養しよう。
「ニッポニアニッポン」阿部和重
うーん、どうなんでしょう。わたし的な位置付けとしては吉田修一と同じ感じの雰囲気。攻撃的な文章と救いのなさが全編にみちていて、それはそれですごいなあとおもうのだけど、一方方向にすぎるというか読んでいて少々気が滅入ってしまった。まあこれはほとんど個人的嗜好によるものではあるのだけど。 それでも、作家としての才能はある人なのだなあというのは何となくわかったので、他の小説にも少しずつ手をだしてみたいとおもう。
病み上がりなのに飲み会。 帰り道、寒くて寒くて凍えそうになった。
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「九龍塘の恋」ポール・セロー
返還前後の香港の話。香港で生まれ育ったイギリス人が主人公なのだけど、その主人公がなんとも優柔不断というか、主観を持たないというか意気地のない男。普通に読むと、ただたんに主体性のない男が香港の中国返還という転換期に翻弄されて、という面白みのない話なのだけど、じっくり読むとその当時の香港における白人社会がどんな位置付けにあったのかとか、香港で生まれ育っていながらもイギリス人であることを捨てきれない、つまり故郷というものを心的に持てない人間の悲哀みたいなものが感じられて、結構深い話なんだなあと思った。
後書きからの抜粋。 「自分の人生すら自分で決められない主人公や、時代の変化を読み取れず中国人をさげすんで「チンキーチョンク」と読んで憚らない時代錯誤の植民地主義者らを、痛烈な批判と揶揄そして憐憫と哀愁をこめて描きながら、本国から離れて生きる欧米系の異邦人感覚、その場所に対する違和感、浮遊感を浮かび上がらせている。」
異邦人感覚、違和感、浮遊感、という言葉にすごく納得する。 どの場所にもなじめない異邦人の焦燥や悲しさ、そういうものを読んでいてすごく感じた。
ポール・マクギガン「Ray」 良かったです、すごく。 良いもの観たなあ、良いものを聴いたなあという感じ。
レイ・チャールズを初めて聴いたのは二十歳くらいの頃。 (実をいうと)「ダンス・ダンス・ダンス」に書かれていた曲(Born to lose)が気になってレコードを買ったのが最初。それ以来好きでよく聴くようになった。 そういえば連れ合いにはじめてプレゼントしたのもレイ・チャールズのレコードだったっけ。逃げろジャックとかファッド・アイ・セイとかジョージア・オン・マイ・マインドとかそんなのが入ってた。
わたしにとってレイ・チャールズの曲は完璧というか圧倒的なものだったのだけど、今日彼の自伝映画をみて、ああ彼の音楽は彼の人生の歴史なんだなあということをしみじみ感じた。人生の中の喜び、悲哀、苦しみ、寂しさ、孤独、すべてのものをつぎこんで、彼は歌っていたんだなと。そういう人間臭さをすごく感じた。
音楽の余韻がまだ残っている。体のどこかで音楽がきこえるような気がする。 とても良い映画だった。
いまいちいつものペースに戻れない。 気がつくとほけーっとした顔してぼんやりしている。 動作も遅い。食事するのに普段の倍くらいかかる。 まだ本調子ではないのだとおもう。 一日ずっと布団にくるまって眠っていたい、今日この頃。
車を手放した。わたしが前から乗っていた車。 排気ガス規制で、わたしの住んでいる市では登録ができなくなったため手放さざるを得なくなった。 6年くらい乗ったのかな。燃費は悪いし、3ナンバーで税金は高いし無駄に大きいし、あまり自慢できるような車じゃなかったけど、それでもわたし個人としてはとても気に入って乗っていた。法律が変らなかったらたぶんずっと、動かなくなるまで乗っていただろうと思う。
ずっと自分のそばにあったものが、ある瞬間から離れていってしまうのってとてもせつない。当たり前のようにそばにあったのに、今はもうなくなっている。姿形もない。せつない。 永遠になくならないものなんてこの世には存在しないのだ、たぶん。
15回目の結婚記念日。 病み上がりでやらないといけないこともいろいろあって、特別なことは何もしないまま一日が終わった。ちょっと落ちついたらふたりでどこか食事にでもいくつもり。
それとは別に、このまえ保留にしていたロング・コート、・・・買ってしまったよ。はあ・・・。 まあいいよね。自分にごくろうさま、ということで。 カシミアが混紡されてて、とても良い手触り。小確幸小確幸。
ここ1週間くらい、まともに化粧もしてない。着るものも寒さ対策重視で同じようなものばかり着てるし。 たまにはきちんと化粧して綺麗な洋服を着てお出かけしたいなあ、と思う今日この頃。はやくあたたかくなってくれー。
2005年02月20日(日) |
インフルエンザファミリー |
とうとう家族3人でインフルエンザ。 かなりヒドイ1週間だった。何度医者へいったことか。
最初の感染者である連れ合いはだいぶ回復した様子。 そして最後の感染者であるコドモはまだ苦しそう。 わたしはというとやっと熱が下がったと思ったら、薬(たぶんタミフル)の影響で発疹が全身にできて気持ち悪いやらカユイやら。
インフルエンザだといっても治るまで寝ているわけにもいかず、当然ご飯作ったり洗濯したり掃除したりゴミ出ししたり看病したりしなきゃいけないわけで、シュフはかなしいなとおもった。そして来年はゼッタイ予防接種をしよう、と固く心に誓ったのでした。
二人して(連れ合いとわたし)インフルエンザ。 コドモは学期末テスト真っ只中。 最悪の状況。
咳が最初にきたからインフルエンザではないとたかをくくっていたのが大きな間違いだった。
昨日の夜は40度3分も熱が上がって死にそうになった。
注射とタミフルのおかげで今は小康状態。 でも薬に抑えられている向こう側で痛みやら熱やら吐き気やらの症状が蠢いているのがわかる。
熱がでているときというのは、妙に頭の芯が冷めているということを今回知った。 体と頭が切り離されて、別の感覚で動いている感じ。頭の痛みや熱などを感じているところとは別の場所でわたしの意識の核はひっそりと息を潜めながら体の回復を待っている。
休めるのは明日まで。早く治さなきゃ。
2005年02月14日(月) |
風邪ひき、ロングコート、VDの葛藤 |
どうも風邪をひいたらしい。 尋常でない咳が出る。 困った。
咳がでるのに買い物。 うろうろみてまわっていたら、前からいいなあと思っていたウールのロングコート(黒)が半額以下になっていた。 咳がでるのに数十分無駄に悩む。 悩む理由としては肩パットがかなりしっかりしていて、もともといかっているわたしの肩がいっそう強調されてしまうこと。そして、しっかりした素材でそこそこ良いデザインなのになぜかこの時期まで売れ残っているということ。
悩む・・・。
悩んだ挙句、お店の人に頼んで一週間取り置きしてもらうことにした。 1週間たって連絡がなければふたたび店頭にだすとのこと。 「一週間だけですからね」と念をおされる。 一週間考えよう。
よくいくケーキ屋さんでVDのチョコレートを買う。 いろとりどりのチョコレートがいっぱいでまたまた迷う。 自分がたべるわけでもないのになぜか自分が食べたいものに目がいっている。 それでもずらりと並んだチョコレートを選ぶのはなんともたのしい。
悩んだあげくトリュフの詰め合わせと生チョコをひとつずつ買った。 よろこんでくれるといいな。
裁判員制度をドキュメントした番組をみた。 あなたは人を裁けるか、というサブタイトル。 実際に模擬裁判を行って、裁判員がどのように裁判に関わっていくか、その過程をわかりやすく説明していた。
あと4年後には裁判員として一般市民が裁判に参加するようになるわけだけど、 世論調査では約6割の人が裁判員として裁判に参加するのは抵抗があると回答しているらしい。 そして2割強の人が求められば応じる、1割の人がぜひ参加したいとおもう、と回答している。 ふーん、そんなものかな、とちょっと意外におもった。 抵抗があると答えた人の理由の中でいちばん多かったのが、人を裁くこと自体できない、というもの。 サブタイトルにも「あなたは人を裁けるか」とあったけど、たしかにこんなことを言われたら、そんなことできませんっていってしまうかもしれない。 人が人を裁くなんて、突き詰めて考えると誰にもできないような気がするし。 でもこの裁判員制度というのは、なにもそこまで考えなくてもいいもののような気がする。あくまで参加して自分の意見を提供し、裁判の実情を垣間見る事によって自分自身が良い体験をすればいいことであって、そこまで難しくかんがえることはないようにおもう。模擬裁判を体験した方の中で、人を裁くというように考えるのではなくて、その人の行為を裁く、というように考えたらどうか、という意見を述べた方がいて、なるほどなあとおもった。
ニュースで犯罪とか裁判とかそういうものが報道されても、大抵の人はどうしても表層的なものしか捉えられないような気がする。前にも書いたけれど、加害者の心理や状況、どうしてそういう犯罪が起きたのか考えることは大切なことなのに、そういうことを踏みこんで考える機会がないせいでそのような犯罪と自分との接点を見つけられず、所詮他人事という感覚ができてしまう。 その点、裁判員として出廷するということが義務となれば、半強制的にであるにせよそういうことを考える機会を与えられるわけだから、それはとても有意義なことなんじゃないかと思う。
ただ、そういう制度を定着させるということはかなり大変なことなのだということは番組をみていて感じた。 制度に対する理解を深めてもらうというのも大切だし、実際に一般市民が裁判に参加した際に生じる問題に対処していくというのもかなり大変だと思う。 でもまあ、どんなことも良い面と悪い面があるのは仕方ないわけで、いろんな努力で良い面が悪い面を上回っていければと思う。
一日ずっと外出せず。 なにをしていたかというと朝からずっとNHKの「夢の美術館」をみていた。 ゴシックからルネッサンス、印象派などなどかなりの作品が列挙されてて見飽きない。 絵画はもちろんだけど、ギリシャ彫刻やオリエントの出土品などひかれるものがたくさんあった。 そしていちばんすきなフェルメール。 ああ直に見れたらなんと素敵なことか。
じっとみていたら連れ合いがそばにきて、あーあれはねなんたらかんたらと説明しはじめた。 はじめはふんふんと聞いていたのだけどだんだん聞き手を無視して自分の言いたい事を力説しはじめたので、振りだけして聞き流すことにした。 (と書くと非情な妻に思われるかもしれないけれど、これは我が家ではかなり基本形)
そんな感じで夕方までNHKを見つつ、時々本を読みつつ、お八つをたべつつ、連れ合いと仲良く漫才の掛け合い的会話をしつつ、過ごした。 なんて小市民的な休日。でも小確幸。
今日覚えた言葉。 「忖度」 読み方がわからないので漢字辞書をひらいて調べてみた。
意味は「他人の心中をおしはかること」
まだまだ知らない日本語がいっぱいあるなあとためいき。 ひとつひとつ勉強勉強。
朝、起きたらあたたかくてほっとした。
近所の庭先に沈丁花が咲いていた。
買い物にいきがてら着物屋をのぞいた。小紋はどうかとすすめられた。
ひさしぶりにある人と話をした。話し方とか変ってなくてなつかしかった。
サッカー、観た。良い試合だった。
オフロからあがってひさしぶりに体重を測ってみた。悲鳴をあげそうになった。
「アラビアのロレンス」をほんのちょっと観た。相変わらずよくわからない。
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現在。 「華麗なるギャッツビー」を観ようかビデオ録画しようか迷い中。 連れ合いが買ってきたおやつをたべようかがまんしようか迷い中。
とっても素敵な葉書をいただいた。
淡くて白くにごった街並みがスケッチされていた。 じっとみていたら、葉書を通してその風景がほんのつかのま目に浮かんだような気がした。 それくらい素敵な葉書だった。
一日中ぼんやり過ごす。 外は青天で、からから音をたてそうなくらい乾いた北風がふいていて、みるからに寒そうだった。 そんな風景を眺めながら温かい部屋でぼんやりするのは幸せなことだなあとつくづくおもったり。
本はウィリアム・スタイロンの「タイドウォーターの朝」 短編連作で、いくぶん自伝的な雰囲気の小説。読み始めたばかりだけどかなり良い。 この人の文章は容赦がないとおもう。触れられたくない部分、普通は触れることのできない部分を躊躇なく引きだそうとする。 そしてその中に光明みたいなものを見つけようとする。 「ソフィーの選択」しか読んだことがなかったけど、これからまた何冊か手をだしてみようとおもう。
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安城市の刺殺事件がニュースで流れているのをみた。 痛ましい事件。コドモがひとこと。 「どうしてこの人はこんなことをしたんだろうね」
そういうことを大きな枠組みの中で考えていかないと、これから先こういう事件がなくなることはないとおもう。加害者の心理、状況。 非道な奴、人間の屑、そういうことをいうのは簡単だ。 もとはまっさらな赤ん坊だったのが今こういう人間になってしまった、そういう事実をもっと考えないといけないんじゃないかな。
こたつの中に入ると必ず人の足のうえに足をのせる輩がいるのだがどうしたものだろうか。 その都度どかせるのだけど10分くらいたつとまた足の甲にかかとなんかが乗っていたりする。
これはいったいどういう意図でもってなされる行為なのだろうか、とこのまえからずっと頭の片隅で考えていたのだけど、もしかしたらこれはよく猫やいぬなんかが人の読む新聞や雑誌の上に乗ってしまうのと同じ感覚かもしれない、と思い当たった。
人のいやがることをしてやりたいかまってほしいもうやめなさいとか言ってほしいおこられたくないでもやりたいこまった顔をみたいその人のある一部分を占有したいその人の領域を侵したいそのひとの一部を奪いたい全然うばったことにならないけど一時的にそういう気分をあじわいたい・・・など。
そういう思いがうずまいているがゆえに人は人の足に自分のかかとをのっけたり、猫やいぬは人が読んでいる雑誌の上で平気でうたた寝したりするのだろう、きっと。
でもそれじゃうちの輩は猫や犬と同レベルじゃ
こういうくだらないことばかり考えてます、たいてい。
昨夜は2時間おきくらいにコドモがゲロゲロするのであまり眠れず。 いやがるのを無理やりひきずって今朝、再度かかりつけの医院へ行った。
Dr「あー、やっぱりおなかにきたね」 N「注射か点滴お願いします(きっぱり)」 コ「・・・・・・・・・・。」
針を刺すとき、おおげさに目をつぶるので看護士さんに笑われる。 およそ1時間たって点滴終了。 仕事を一時抜け出してきたのだけど、電話を入れたらもう今日は帰っていいよーといってもらえたので、ありがたく帰ることにする。
スーパーマーケットに寄って食料を買いだめ。 何がたべたい?ときくと「こんにゃくゼリーがたべたい」とコドモ。 さぬきうどんとおでんの材料と桃味の蒟蒻ゼリーと果物とミネラルウォーターを何本か買う。
うちに帰って着替えさせ、薬を飲ませて横にさせる。 それから3時間程度、点滴が効いたのか一度も嘔吐することなくぐっすり眠った様子。少しほっとする。
コドモが寝ている間、掃除したり夕食の下ごしらえしたり。 一段落した後、お茶を飲んだり本を読んだり手紙を書いたりした。
夜はなんとか食事ができたのだけど、ほんの少しだけ。 いつもはご飯を軽く3膳はたべるので、ああほんとに体が弱ってるんだなとおもう。 食べるという行為にも多大なエネルギーが必要なのだ。
夜の分の薬を飲んだあとは嘔吐もせず、10時くらいからずっと寝ている。 今夜は吐き気で起きることなくぐっすり寝てくれるといいのだけど。
と書いていたら自分も眠くなったのでそろそろ就寝。
みなさまも風邪に気をつけて。
おやすみなさい。。。。。
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