水野の図書室
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皆さま体調に気を付けて今日も良い一日でありますように。
あぅ・・レトロですね〜情婦、って。初出は、'82年の「小説現代」で、作者は'85年に 51歳で急逝・・若くして亡くなったんですね・・。初めて出会った作家が、すでに亡く なっていると知ったときの空虚な想いは、初めて読んだ小説に感じるものが大きい ほど、ゆっくり大きく広がっていきます。
『情婦』 ─ その世界の親分(←これも、レトロぉ)と、彼が気に入ったストリッパー (うーん、哀愁漂いますぅ〜)との短くはかない交流が描かれています。
ものすごく感動するとか、感激するとかとは、少し違います。泣きもしないし、笑い もありません。読む前と後で、目の前の景色に感傷的になることもありません。 ただ、全然ムダがなくて、すっきりした潔さみたいなものが、いい感じですよ。 ストリッパーが無口を通すときの「──」が巧みですね〜。 そして、無口な理由はラストで納得☆
こ、濃すぎ!!ぅぐぅぐ・・く、苦しーーぃぃ。。 DV、ドメスティック・バイオレンスの取材をするフリーライターが、ある被害者の 取材をしていくうちに陥ったとんでもない罠とは──。
取材する側、される側が1対1だからでしょうか、緊張感の逃げ場がなくて、自分 も何だか追い込まれていきそうに。苦しいんですよ〜。でも、途中で止める訳に はいきません。最後を確かめないと、と、妙な責任感も感じちゃって・・。
このフリーライターはDVとは無縁の家族環境だったものの、小学生だった頃に 母親から虐待を受けていた同級生に暖かく接してあげられなかったという思いを ずっと持ち続けていたのです。そんな後悔が、DV取材のきっかけに留まらず、被 害者との距離をどんどん縮めていくのは、わかるような気がします。そこに、この タイトルの意味も複雑な形で練りこまれています。
家族を殴るなんて、許せませんっ! 家族じゃなくても、人を傷つけてはいけないのです。そして、自分を傷つけるなん て、悲しすぎますー! 苦しくて苦しくて、、怖くもあり、腹がたつような、泣きたいような気持ちです。
2003年05月29日(木) |
永井するみ『洗足の家』 |
ヒェ〜〜、こ、こんなラストが待っていたとは!幸せそうに見える人にもいろいろ 事情がある・・そんなこと考えました。
交通事故で亡くなった母に代わり、自分を育ててくれた伯母を、火事になった家か ら助け出した女性。伯母の証言から、足の悪い伯母の世話に疲れた伯父が家に火 を放ち、心中を図ったものと思われたのですが──。
近所の人からは、仲睦まじい理想の夫婦のように見られていた伯母夫婦の実像が 徐々に見えてくる度に、ひんやり感も少しずつ上昇していきました。 んー、この感覚・・!そうそう、、作者『瑠璃光寺』のひんやり感です。 『瑠璃光寺』は、'95年創元推理短編賞の最終候補作品で、ひんやり、ぞくっときます。 何より、あの書き出し、印象的でした。(2002.03.09記)『洗足の家』の淡々とし た書き出しの中に、何か隠れている感じもいいですね〜。1ページ目に「何故」とい う活字を見ると、頭と心はミステリ対応の体制になるんです。
ひんやり、ぞくっとひんぞくの家、じゃなくて『洗足の家』、濃くて良かったです☆
東欧旅行中のある団体に、ストーカーとおぼしき女が入っていて──。
現実でも、殺人につながったストーカー事件がありました・・怖いですよ〜。
ツアーはチェコのプラハから始まり、ベルリン、マイセン、ドレスデン、ウィーン、 ブタペストなどを周ります。各地の名所旧跡が登場するものの、ストーカーが気 になり集中できません。いえ、集中してるから、旅行はうわの空状態なのかも。。
そして、ストーカーの正体がわかって、びっくり!意外、でも、そーかな、なんてね。 もう一度ゆっくり読むと、東欧について知らないことばかりで楽しいですよ。 「世界ふしぎ発見」と「火曜サスペンス劇場」を一緒に見たような感じ。
森福都は、薬学科を卒業後、製薬会社勤務を経て、デビューしたそうで、専門の クスリもの(なんて、ジャンルがあるなら)を読んでみたい気がします。
2003年05月27日(火) |
島村洋子『ハム列島』 |
先週末から「らせん階段 女流ミステリー傑作選・結城信孝編」(ハルキ文庫)を 読んでおります。恩田陸の怖い話、加納朋子のせつない話、のあとにきたのが、 島村洋子の笑える話、『ハム列島』。キャハ!タイトルからして、笑えるえるえる。 ハム列島──『ハムレット』のパロディ?ん? で、はい、そうでした。
舞台は大阪。ある家で起きた惨劇をリポートすることになった新米リポーターが 事件の核心に迫っていきます。
大阪弁が何とも言えない“だし“を効かせていて、惨劇なのに明るいんですよー。 「むっちゃおかしいんちゃうん」とか、「いい人やねんけど」とか、会話が弾んで、 小説もリズミカル。『ハムレット』がベースな暗く重いお話が、パッと見、ぜんぜん 違って見えます。
ええ、もちろん、面白かったです。 こういう気楽に読めるミステリもいいですね。
2003年05月26日(月) |
加納朋子『紫の雲路』 |
先週、恩田陸の『往復書簡』を読み、加納朋子の『ななつのこ』を懐かしんでいた ところで、こんなふうに会えるのは嬉しいです。そして、読んだあと、優しい気持ち になっている・・加納朋子の小説って、不思議に心を静めてくれます。鎮静作用が あるんです。本多孝好もそうかな・・。せつない話が好きな人とは相性がいいよう な気がします。
『紫の雲路』 ─ 姉の結婚式で、その場に違和感のある不審な男性と知り合った 妹が、その男性に興味を持ち──。
途中からシリアスな展開になるものの、加納流は、あくまで温かいですね〜。 赤と青の混沌の結果としての紫のイメージとは少し違うもので彩られ、読む時間 を楽しませてくれています。惨劇とか怨念とかいったオドロオドロしさは微塵もない 加納朋子のさわやかミステリをお試しあれ☆
「日常に潜む小さな謎」を物語にしてくれる加納朋子さま〜、大好きでっすぅ〜♪
「ミステリ」と「ミステリー」、「イスラム」と「イスラーム」、「短編」と「短篇」・・これらは 一体どっちが正確なのか、未だにわからない水野です。(^^)ゞ しばらく「ミステリ」を使ってて、今日本屋さんで見つけたのは「ミステリー傑作選」。 どちらかに統一してほしい!それとも、「ミステリ」と「ミステリー」は用途が違うの でしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたら、お教え願います。
なんて、“お願い”から書き出した今日の日記。5月24日です。暑いですぅ〜。 もー夏みたいに暑いと・・ツルンとしたコーヒーゼリーが食べたくなります。 枝豆に焼き鳥、なんてのもいいですねー。ビールは飲めないので(年齢的には可) ジンジャーエールとかいいなぁ〜。 暑いと、なぜか燃えてきます(プラス思考なので、暑さでぐったりにはならない・笑)。 このところ、読書ペースが減速傾向にあるので、加速していきますっ♪
で、「象と耳鳴り」のあとに読み始めたのが、女流作家のミステリーアンソロジーで、 結城信孝セレクトの9編が収録された「らせん階段」、ハルキ文庫。 !最初が恩田陸、とは奇遇な!「象と耳鳴り」の余韻が残ってたので嬉しい再会、 って感じです。『国境の南』は、学生時代に通った喫茶店での事件を回想するお話 なのですが、事件そのものの描写じゃなく回想という形を取ったことが、成功してる と思います。(うきゃん、えらそーにすみません)じわじわ怖く怖くなっていきます。
喫茶店を舞台にしたもので思い出すのは乃南アサの『指定席』(「悪魔の羽根」 幻冬舎文庫、2001.12.24記)。フツーのお客に潜んでいた狂気に怖くなりました。 『国境の南』では、フツーのウエイトレスの犯罪にゾクゾク。目的不明の殺意ゆえ 不安は一層かき立てられます。喫茶店に行くのが、怖くなるような・・。
関根は、かつての後輩検事だった貝谷を訪ねて、ある地方都市に行きます。政令指 定都市をめざし合併を模索しているこの土地に、最近、奇妙な噂があると聞いた関 根は、その噂の真相を推理していくのですが──。
関根の推理は、相変わらず冴えています。推論に無理がなく、説得力があるからな のか、町の噂が都市伝説に昇華していくのが面白いですねー!そして、それぞれ違 う顔をもつ都市伝説が、実は根底ではつながりあっているのです。関根が言うよう に、この世のものは全てがつながり、存在する限り、影響を与え合っているのかも しれないですね。
このタイトル、『魔術師』って、抜群(←古っ)!作品をより魅力的にしています。 ラスト6行も抜群(笑)、もぉ、ゾクゾクきました。ちょっと最近、眠っていたある 部分にピンを刺されたように、チリッときました。穏やかだけど刺激的な文章で、 クセになりそう。^^
と、ようやく「象と耳鳴り」(祥伝社文庫)を読み終えました。『曜変天目の夜』 から読み始め、な、な、なんと、1ヶ月近くかかってしまいました。12編の中で一 番良かったのは・・『象と耳鳴り』『廃園』『魔術師』です。本格推理に挑戦した 意欲的な作品が12編。 幻想的で不思議な恩田陸の世界をたっぷりと堪能させてもらいました。
多佳雄は、姪で新米新聞記者の孝子から届いた手紙にあった放火事件に関心を持ち、 手紙の内容から、事件の真相に迫ります。
んー、、なぜか、物足りないんです。。犯人はピンときましたよ。わたしにも。。。 孝子、全然気づかなかったのでしょうか。。新聞記者なのにぃ〜。 それより、新聞記者がこんな手紙を書くのって、不自然じゃありませんか? どこかすっきりしないのです。孝子、どうして、手紙という方法を選んだのでしょう。
孝子と多佳雄が一度も話をしたことがない、というなら、往復書簡が意味あるものになり ますが、叔父・姪の間柄でのやりとりがなんだか、、なんだか、、・・です。 孝子の赴任先が北国とかじゃなくて、もっと遠い、、外国とかなら、また違ったものに見え たのかもしれません。
事件が放火、っていうのも、なんだか・・窮屈。
往復書簡で構成された小説で好きなのは、加納朋子の『ななつのこ』と、それに続く 『魔法飛行』(どちらも創元推理文庫、2002.2月記)です。 きっかけがファンレターってのが、なさそうでありそうで、印象的でした。
2003年05月17日(土) |
恩田陸『机上の論理』 |
これも面白かったです☆ 関根多佳雄の息子、春と娘、夏の推理対決!推理を持ちかけたのは、多佳雄の甥で、 病理学者である関根隆一です。隆一はふたりに、ある部屋の写真を見せ、この部屋の 住人がどんな人間か推理させたのですが……。
自信満々で自説を披露するふたりは、兄妹であり、検事と弁護士。対抗意識をメラメラ 燃やしていく様子がストレートに伝わってきます。同じ写真を見ても、違う人間像を描く のは興味深いですねー!春も夏も、細かいところにもよく気づき、頼もしいです。
ん?それで、その写真は、誰の部屋だったかって? それは、、、、読・ん・で・み・てのお楽しみ♪
2003年05月15日(木) |
恩田陸『待合室の冒険』 |
おお!また、関根と息子の春が二人揃って登場です。『海にゐるのは人魚ではない』の 続きを知りたいと思ってたので、嬉しい書き出し。あ、でも、『海にゐるのは人魚ではな い』とは、全く関係ありません。駅の待合室で、列車事故のため足留めされた関根親子 は、退屈しのぎに推理ゲームを始めます。
「駅に人が来るのは何のためだと思う?」──春が関根に話し掛けます。駅に人が来る のは、、と、関根が推理した後、「駅の待合室に来るのは?」と更なる質問が。 そして、待合室で思いがけない場面に遭遇することに……。
作者は、ハリイ・ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」を紹介したかったようですね。 なにげない言葉から推論を積み重ねて、犯罪の真相に迫るというもので、作中でも、 関根多佳雄の手元には、しっかり、文庫本の「九マイルは遠すぎる」が!
ラストがすっきりして、楽しく読めました♪ それにしても、親子で本の話ができるなんて・・憧れます☆ 誰でも、親子共通の本はあると思いますが、古典ミステリを話題にするって、照れません?
恩田陸お得意(と、わたしは思う)の、“ああ、あれはこうだったのか”ものです。 何年も昔のことを思い出すうちに、その時は気づかなかったことが見えてきて、霧が はれるように全体が見えてくる。しかし、真実に近づくほど、つらく哀しい想いは増幅し、 思い出したことが良かったのか、謎は謎のままにしておいた方が良かったのか…… 後悔する新しい気持ちが生まれてくるのです。
関根のいとこ、結子が薔薇の香りに包まれた庭で死んでから30年以上たった夏、結子 の娘、結花に呼ばれて、その庭を訪ねた関根は……。
幻想的な世界です。愛しさは憎しみにも似て、女心は複雑なのですよ。ふむふむむ。 はふぅ・・死ぬときに会いたい人が一番愛してた人というはよくわかります。。
いとこ、という微妙な関係で思い出すのは、本多孝好の『瑠璃』(「MISSING」双葉文庫、 2003.02.08記)。そう、僕とルコの物語。あのせつなさがよみがえりました。
2003年05月13日(火) |
恩田陸『誰かに聞いた話』 |
「象と耳鳴り」(祥伝社文庫)の第七話です。先週読んだ『海にゐるのは人魚ではない』 では、関根多佳雄と息子、春(しゅん)との、素敵な親子関係を垣間見た気がしましたが、 ここでは、妻、桃代との仲睦まじい夫婦の会話にほのぼのと入っていきました。 引退した元判事という関根ですから、世に言う“熟年夫婦”なんですね〜。
「お寺の銀杏の木の根元に、銀行から盗まれた現金が埋まっている」と聞いたのは、 誰からだっただろう──関根は、そんな誰かに聞いた話のことを桃代に話します。 誰かって、誰だったんだろう・・と、ひとつずつ詰めていくと──。
手堅くまとまったのは、おっとりしながら、意外に鋭い洞察力を持っている桃代のおかげ でしょうか。「どうかなさいましたか」って、さりげなく使う言葉に愛情を感じます。 「どうしたの」とは少し違う、相手を敬い思いやりのある素敵な言葉ですね。 しみじみ→じーーん。なんだか、、作者の意図するところと別のところで感動・・。
いいなぁ〜こんな熟年夫婦。。桃代をうかべると、、八千草薫さん・・かな。笑
2003年05月11日(日) |
恩田陸『ニューメキシコの月』 |
昨日の『海にゐるのは人魚ではない』では、中原中也の詩から作者が紡ぎ出した 世界に浸りましたが、今日は、アンセル・アダムスの写真 >ニューメキシコの月 から始まるお話です。 写真って、どんどんイメージを広げますね。この「ニューメキシコの月」を見た時、 思わず胸がドクンとしました。幻想的で神々しくて、大勢でわいわい見るんじゃなくて ひとり静かに向き合いたい、そんな写真です。 もし、この写真の絵葉書が届いたら・・うーん、どうですか?どんなメッセージがある と思います?
恩田陸「象と耳鳴り」(祥伝社文庫)の第六話で、関根はちょっとしたケガで入院する ことに。お見舞いに訪れた友人の検事が持ってきたのが、「ニューメキシコの月」の 絵葉書というわけで、それは死刑の執行を待つ犯罪者から検事に毎年送られてくる ものだったのです。死刑囚は元医者で、評判は良く、海外の紛争地域にもすすんで 行っていて、人望がありながら、九人の人を殺し自宅のまわりに埋めていた── 快楽殺人を告白した医者に弁護の余地はなく、裁判は異例の速さで結審。 しかし、真相は……。
短い割りに(短編集です)、すっごい読み応えがあります。 殺人に同情の余地はないと確認しながら読み進みうち、なんとも言えない哀しさが 行間から立ち昇り、せつなくはがゆいやりきれなさを、どんどん拾っていきました。
月の写真はいろいろ見たことがありますが、この写真は特別です。 読後感の重さにも特別なものがあります。
ANSEL ADAMS http://masters-of-photography.com/A/adams/adams.html
2003年05月10日(土) |
恩田陸『海にゐるのは人魚ではない』 |
息子の春と共に友人宅を訪ねようとしていた関根は、海を見ながら交わされる 子どもたちの会話から、ある完全犯罪を想像していくのですが……。
海にゐるのは、あれは人魚ではないのです──中原中也の詩、「北の海」の 一節です。この詩が好きで、好きでたまらない、という作者の想いが伝わって くるような作品です。息子と父が、あうんの呼吸で推理の底に同じ詩を浮かべる なんて、・・いいですよね〜。こういう親子関係、素敵ですぅ〜♪
引退した判事と現役検事の親子の会話って、面白いですね〜。丁寧なことに、 二人揃ってミステリ・ファン!見るもの聞くもの、すべてが推理を呼びます。 なぜ?・たぶん・しかし・なるほど・だとすると・そうか・それだ・しかし・・と推理は 海のように広がり、読む方としては、置いてかれないよう、二人に歩調を合わせ 必死についていくのです。
そして、ラストは・・読んでみて下さい。 ミステリの海はつめたくあたたかく、浅いようで深く・・。
2003年05月07日(水) |
恩田陸『象と耳鳴り』 |
あっという間にゴールデンウィークも終わり、立夏も過ぎ・・まだ、文庫一冊読み 終わらないのもどうかと思います。ハイ。今月は、も少しきちんと更新したいと思 っております。最近、「本多孝好」の検索からおいでくださる方が急増で、戸惑い つつも正直言って、嬉しいです♪ありがとうございます。
四話目で「象と耳鳴り」(祥伝社文庫)の表題作。これも不思議な世界です。 元判事の関根は、ある喫茶店で、見知らぬ上品な老婦人から子どもの頃に起きた 奇怪な事件の話を聞きます。それは、イギリスで象が人を殺すのを見たというもの でした。そのせいで、老婦人は象を見ると耳鳴りがすると言うのですが、関根はそ の話に隠されているものを知り……。
この作品は、2000年版本格ミステリ・ベスト10で第5位だったそうですが、本格 に、長さは問題じゃないって、よくわかります。 すっごく短いんです。わずか10ページ! で、ミステリですよ〜。笑 それも奥が深くて、遠くは霞んで見えないような・・。
象が意味するものを考えると、時間が許す限り自分の記憶を辿りたくなります。 自分に都合のいいようにねじれた記憶もあるかと思うと、怖いですね。 記憶を書き足したり、書き換えたりしながら、精神のバランスをとっているのかも しれないです。時には、無意識に削除した記憶もあるのかな・・。
風薫る五月、爽やかな季節ですね〜。今日もいいお天気でした。 このところスローリードで、更新ものんびりです。 先月末から、恩田陸の「象と耳鳴り」(祥伝社文庫)を読んでいるんですが、 恩田陸は、雰囲気を活字にするのが巧いなぁと思います。 今日は三番目のお話、『給水塔』。
関根は、散歩仲間の時枝満から『人喰い給水塔』と噂される給水塔に案内 されます。妖気漂うような古い給水塔の周辺では、不可解な事故や事件が 起きているというのです。時枝の話から、関根は、給水塔に何か犯罪が隠 されていると推理するのですが……。
給水塔の不気味さがじわじわ立ち昇って、もぉ〜ゾクゾクしてきます。 『曜変天目の夜』『新・ D坂の殺人事件』同様、ラストが曖昧ですっきりしま せん。んー、モワモワしたまま・・はっきりした答えが欲しい! でも、犯人の告白みたいなのがないからこそ、この雰囲気が楽しめるんで すよね〜。
わたしにとって、「塔」には誰かが幽閉されている図が浮かびます。 子どもの頃読んだ童話にあったんです。塔に閉じ込められた姫のお話。 その時、塔=怖い、と刷り込まれたのかもしれません。
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