ふつうっぽい日記
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2015年11月02日(月) 「はい!今。」

「はい!今。」

「もう、「今」として「今」ではなくなっていますね、
それが過去なんです。それが歴史なんです。」

こう言ったのかは分からない。
けれど、小学校の高学年の時に「歴史」とは何かをおそらくは教師は伝えたかったのであろう。
なんだか眠たいような授業で、そのひとときはよく覚えていて、年に1回くらいは思い出される光景のような感じだ。


ーー

「今」を知っているのは、自分だけだ。
でも、それでも知っているつもりにしかなれない。
嘘だってつけてしまう。
アリバイとかそういう形式張ったものではなくても、
「ぇえ?ああ……。うん、家にいたよ」的に言えてしまうことが。
本当は5分くらい一服しがてら何度か外に出たのが事実であっても。

ーー
本当に伝えたい「今」はあるのだろうか。
と、ふと考えた。
伝えたいというか共有すること、それが儀式である。
冠婚葬祭。
でも、だからといって、唯一の「今」を共有しているというわけではない。
それぞれの現実に切り込まれた事情の中の時間的な共有に過ぎないかもしれない。
それぞれが何を考えつつの「今」なのかは、その本人であっても、「過去」となれば分からないものだ。

真剣に何を考えるのか、やるのか。
失敗を恐れて、周りとの足並み、空気を乱さないようにただただ、「ある」(在る)ことに集中するしかないということもありうる。


KAZU |MAIL