ふつうっぽい日記
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予報では明日は、台風が通過するらしい。 今、玄関の方で大きな鳥の声がした。 台風が来るよ!気をつけてね!と言っている気がした。
前回の更新から一ヶ月以上が経った。 義父の初盆やら、あれやこれやと日々は流れた。 無意識の方は、落ち着きの世界にすでに行っているみたいだが、意識的なもんは、まだ疲労の途上にある。
さて、つながりとは何だろう。 学生時代からつきあいのある友人がこの度、関東と九州とでの二重生活を始めた。 厳密にはいまはその準備途上らしいが。 それに際して、ひとまず郵便等でのやりとりは控えたいという。 この希望を聞いた当初、何か違和感のようなものが巡った。 しかし、携帯番号やメールは変わらないらしく連絡が途絶えるということはないのだ。
ーーー 「今回は手紙にしてみました」とは、これまた学生時代からのつきあいのある別の友人だ。 10年ほどになる化粧品の小売りの顧客でもある。 だいたいがメールでの注文だが、ごくまれにハガキや手紙で注文が入ることもあるのだ。 内容は注文と他愛のないような世間話であった。 それでもたしかに彼女の筆跡でありどこかホッとするところがあった。 その後のメールのやりとりで 「手紙っていいよね」というとりあえずの落ちがついたのだった。
そういったところへの別の友人からの希望であり、混乱が生じたのだろうと、今となっては自分自身が腑に落ちたという感じだ。 その過程ではこういうことを私はやっていた。 腑に落ちないことを 「手紙っていいよね」と共通理解に至った友人あてに手紙を起こしたのだ。 文章の始めと終わりとでは明らかに気持ちの変化がみられた。 その作業によって、腑に落ちるという状態になれたのだ。 落ち着いたとも言い換えられる。
結果、その手紙は投函していない。
日記とは違う、誰かを設定して文章に起こすことで、意識がうまく安定した無意識にのっかることが出来るようなのだ。
ーーーー 二重生活となる友人へは、2、3日経ってから、メールをしたが、実にギコチナイ。 言い訳にまみれている。 「手紙に書きたいことがあるんだけど(メールではちょっと。。。)保留します」だとか入力し、 「また、会える日を楽しみにしています」で結んだ。 私のなかでは、すでに彼女は遠い地にいるという設定になってしまっている!
メールというのは、削除しなければ送信履歴に残るので読み直しが出来てしまう。 手紙では複写やコピーして残すということをしなければ書き捨てだ。 そこがいい。 やっかいなこともあるけれど、適度な「時差」が適度な時間を紡いでいくのだ。
実際、二重生活の友人はまだ地元にいて、 「話したいこともあるようだから、会おうよ」とメールで誘ってきた。 さらに、たまたまであるが、学生時代から付き合いのある先輩が所属されている劇団のお芝居も週末予定されているではないか!(彼女からのメールで知った) 先輩の劇団の作品は、「笑い」がふんだんにちりばめてあるのが特徴であり、 (「笑いあり。涙なし。」的なキャッチフレーズ)
いろいろとあれやこれやと巡ったが、今となれば二重生活の友人に手紙で書きたいと思っていた内容もどうでもよくなってきてしまった。
そう、手紙というのは勢いで書き進められるものであり、話として即座に話題にできるという次元のものではないのであろう。 いつか、彼女宛にまた手紙をかける機会ができれば、また別の話題が巡ることだろう。
今、玄関の方では何かの工事の音が若干うるさく聞こえている。
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