ふつうっぽい日記
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2014年01月25日(土) 言葉について巡らせる

今年に入ってもう3週間も過ぎたのに、今月は書いていなかったのか。
一日の長さが短かったり長かったりということが1月は結構起こっている。
こういう感覚はありうることらしい。

言葉での意思疎通ができない生活ももう3年以上となる義父。
先日は、生死を決めるかもしれないと脅されての手術を受けた。
生死を決めるとかいう「最悪」の言葉は、電話で伝えられるものではない。
親子とか親戚とかそういう間ではなく、医者と患者の家族という関係性においてだ。
そんなことを電話で伝える医者がいるということに驚いた。
電話に出た義母はさぞ恐怖であったことだろう。
もっとも、その日のうちに謝罪的な連絡が入ったらしいが。
医者が患者とコミュニケーションを取るというのは当たり前になされているようでいて、結構まだ新しい領域であるらしい。
医学的な情報を伝えることは本来のコミュニケーションではない。
情報を伝えるための「間」のことである。

昨日、友人から労いのメッセージをメールで受け取り、いくつか返信をした。
言葉は本来、足りないものである。
それは前提だ。
なぜなら語り尽くせるということ、言葉が足りるということはありえないからだ。
だから、言葉が足りないという理由で「誤解」に対して謝罪する必要なんかないとわたしは考える。
語り尽くせることはない、言葉は足らないものであるということは、つまりは「誤解」は付いて回るということだ。その「誤解」に状況によって敏感になれば鈍感になることもある。
相手が「誤解」しないように細心の気配りをしながらコミュニケーションをする必要は親しい関係においてはない。
よって、相手が「誤解」しようとしまいが、親しい関係においてはただやりとりを続ければ「足りる」のである。

「誤解させてごめんなさい」という謝罪的な言葉は、相手に「誤解」させることを許さない。
呪いみたいな言葉だ。
だから、「誤解をさせてごめんなさい」と言わせた相手は、自分自身に呪いをかけないといけなくなる。
「呪い」というのは少々偏った言葉だったかもしれない。
そうこんな感じで、やりとりを続けながら我に気づいて言い換えていけばいいのだ。

つまりは、わたしにとっての友人への距離感と友人からわたしへの距離感の相違がそうさせたに過ぎない。
だいたい、距離感なんて同じであることはありえないし、そうである必要なんかない。

ここで義父の言葉環境に話題を移す。
脳梗塞で言語障害となりつつも、
「いや!」といった拒絶の言葉、叫びみたいな声は発することができる。
術後の今もそうできる。
だからこそ、片足の血流が滞って壊疽が進行するという理由で切断をするなんていう説明はできなかったのだ。

義父は気づいたら、足が痛くて、気づいたら片足が無くなっているということを受容していかねばならない。
かつての同室の患者に、足に鉄板が落ちて切断をせねばならなくなった男性がいた。
彼の意識ははっきりしているし、自己決定ができる機能もあったので、例えば
「これが幻肢痛というやつでこれは傷口を触ってもらったら落ち着くのだ」ということも自己理解できた。
この切断経験先輩のオッサンは、すでに退院していて、内科の病院に透析に通っているらしい。
義父の術後すぐになんと、かつて同室であった縁だけなのに、お見舞いにきてくださったのだ。
まさかその日が手術日であり、しかも直後に駆けつけたということはこのオッサンも驚きなのであり。
そして、ナースステーションで大きめの声で
「○○さんは?どこや?」と尋ねていたそのオッサンがまさか義父の病室の訪問者であるとは思わなかった。
義母が信心深い人なので、もしかしたら「その筋」の方なのか?という想像も巡った。
当事者の声は説得力があった。
「もう少ししたら、幻肢痛というのがきて、これは傷口を触ってやったら落ち着くで」
というアドバイスを受けた。
そして
「これからは厚かましく生きていかなあかん。
今の時代、義足もいいもができてるし、車いすも進化してる。どこにだって出かけられる。どこにだって行ける。電車に取る時でも駅員がちゃんと助けてくれる。希望を持たなあかん」
という言葉。

その言葉がなければ義母や義理妹が
「お父ちゃん、旅行行こうな。温泉行こうな。お父ちゃん(手術)頑張ったな」と言って、やさしく頭をなでるという行動は引き出されなかったかもしれない。

わたしはそういう場で気の利いたことができなかった。
一つ、義父がこちらを向いた時に3、4回頷くくらいだった。
頷きながら、「大丈夫大丈夫」と念じていた。
義父への言葉かけでもあり自分自身への言葉でもあった。
義父はわたしの上下の頭の動きに連動するように、真似して優しく目を閉じながら、何度か頷く動きをしたのだった。
これは息子である我が夫にも見守られた時間だった。

「ウンウンってしたら、オヤジもウンウンってやってたな」

そこには
「お父ちゃん、旅行行こうな。温泉行こうな。お父ちゃん(手術)頑張ったな」的な言葉はたしかになかった。
でも、何かを受け取っての動きはたしかにあった。

近しいひとほど、音声的な言葉をたくさん放出してしまうのだろう。
これは親子関係、学童期の子どもと養育者との関係においてもいえるのかもしれない。
言葉のやりとりが基本になっているから、言葉がなくなると切なくなるのだ。
つらくなるのだ。
無視されているとか嫌われたのではないかと不安になるのだ。

ここでもう一度
「誤解させてごめんなさい」を巡らせる。
言葉少ないこの言葉が伝えられた時の切なさ、つらさ。
自分自身を責めたくなる気持ち。
パニックになりそうになることへの不安。

言葉なんかなくても伝わるものがあるのだ、と括ってしまえば、最小限の言葉のやりとりしか選択肢はなくなる。言語障害ではない関係であるにもかかわらず。
障害があってもなくても同じコミュニケーションの方法でいいんだよ、というのがユニバーサルデザインではないはずだ。
あの手この手でコミュニケーションというのは取れるものだのだよ、という考え方がユニバーサルデザインなのだ。

大切にしたいと思う人には、わたしは伝え続ける、繋がり続けるのだ。
たとえ、言葉を発することができない関係になったとしても。


KAZU |MAIL