ふつうっぽい日記
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昨日、受診した。 今回は節目ということで、項目の豊富な人間ドック。 医療施設によって、機械も違うし、雰囲気も違う。
当たり前といえばそうである。
昨年まで受診していた検査施設にも感動していたが、今回の施設は上を行った。 規模的には小さめだったけれど、新しく出来たクリニックとあってか設備的にも最新なのかしら、と凡人なわたしは思ったのだった。
同じ胃透視、婦人科検診という項目であっても、機械や技師や医者が変われば新鮮。 「これがこのクリニックでは標準なのか!」と思うと、10年前にここへ来たかったとも思ったりした。まぁ、10年前と比較するのもあれだけれど。
婦人科検診では、小さなものから大きめの子宮筋腫が視覚的に確認された。 「もしかして、初めて(見た)?」と医師から言われ、正直戸惑った。 小規模ながら1回程度だけれど不妊治療の門を叩いたことのある身。 このような検査設備が当たり前のように当時あれば……。
たまたま今回、項目の多い人間ドックが受診できる施設が前回通常健康診断を受診した施設が対象ではなかったという理由で選ばれたクリニック。 来年からの通常健康診断の受診も今回の会場で予約したいと思った。 ちょっとしたことだけど、こういう積み重ねを思えば、「転勤族」に連動して移動する「妻」の立場はちょっぴり切ない。 特別な医療が必要でない限り、たぶん、医療情報は共有されないんじゃないかなんてことも思うと。 まぁ、そう思えば、「経過観察」という微妙そうな判断はポジティブに考えられるきっかけになるのか。
今回あらたに子宮筋腫の存在が確認されたことで(去年同じ検査方法であれば同じであったかもしれないけれど)要経過観察項目となった。 そして、肝機能が実は去年二次検査が必要だという指示がありながらも二次検査を受診しなかったのだ。去年の健康診断は3,4日前に下痢を伴う風邪を引いて、市販薬を飲んでいたのだ。その副作用だと自己判断(納得)して見送ったのだ。 肝機能的な数値を比較すると去年よりも低い。 3年前の数値と類似していて、判定は問題なしであった。 2年前の数値が一番良好であり、意識して飲酒しなかった半年の成果が反映されていた。 用心のために厳しい基準なのだと思われた。 しかし、今回は専門的に見守っていただきながら現実と向き合いたいと思う。
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ある闘病記(ネットで公開されてあるもの)を一気読みした。 20代で発症(病名がつくまで様々な経過がある)してある若者の文章であった。 余命を迎えた後、その父親が命日に更新されてあったブログ。 具体的な検査や気持ちについて、文章に残しながら生きることにこだわったその時間が、迫ってくるようだった。
健康診断的な疲労にへこたれそうだったわたしにエネルギーが充填されたような感覚を持った。
その若者は末期癌だった。 「心」の弱さや強さが最終的には人生を主導していくような気がする的な言葉があったように記憶している。
「気の持ち様」なんて書くと、なんだか安易だけれど、簡単そうに思えることほど現実に行動するのはなかなか難しいのだ。 「気」とか「心」とか、「自分」と「他人」とでは比べようもないこと。 それでも比べてしまうのが、人間だ。
もし、自分が60歳とか70歳なら迷わずホスピスを選んだと思う的な言葉もあった。 「もし」に続く希望観測的な年齢が「若い」か「老いている」かも、人によってそれぞれだ。
同じ年数、同じ日々、同じ時間が経過している人間であっても、別人格。 いろいろ考えさせられる年末前だ。
2013年12月07日(土) |
運ばれてくる言葉に罪はない |
忘れた頃に、やってくるあるダイレクトメール。 クーポンマガジンを見て去年2回ほど行った美容室だ。 3ヶ月おきくらいに美容室には行っている。 去年のその2回は、急に思い立ったのと近所で適当なところがあればという限定的なものであった。 それ以外は、別のとある美容室1カ所にずっと通っているのだ。
たった2回の来店であったにも関わらず、営業用の葉書や封書を使って、自筆でその美容師はちょっとしたメッセージを送ってくるのだ。 たしかに初回の来店で、住所を書いてしまったのはわたしであり、こういう案内的メッセージが来てもおかしくない。
美容室に行きたいと急に思い立つというのはこの2回だけではなかった。 曖昧な記憶をたどれば、うち1回は「ぎっくり腰」的な状態の後であり、美容師との語らいで腰痛の話をしたのだ。 たまに届くメッセージには 「その後、腰は大丈夫ですか」と必ず書いてあるのだ。 「この客が来ないのは、腰を痛めたからであろう」という推測が大きいのか。 いや、そう書いて、折り合いをつけているのであろう。 この美容師は頻度はどうであれお客一人一人を大切にする人なのであろう。 わたしの2回ほどの来店で、その美容師さんは「父」になったのだ。 正確にはこれから「父になる」(なった、という過去形ではない)。 彼にとっては、人生の転機の時期であったといえるであろう。 同じようにわたしにとっては、揺れていた時期でもあった。
わたしの揺れは、腰痛も一つではあったが。今となれば、腰痛の期間はたった3日間だ。 腰痛らしい腰痛を意識的に経験したのが去年の8月だった。 結果として3日間であったが、1日目はこの痛みが一生続くのではないかという不安にみっちりと支配されていた。 その間にその美容室へ1度行ったに過ぎない。 一方では、その間にかれこれ結成20年の友人との再会もあった。 その友人とは今年、計画的に集まり食事をした。
おそらく便りをよこしてくれている美容室へは今後も行かないであろう。 それでもわたしはもしかしたら今後も届けられるかもしれないメッセージを受け取ることは受けて入れていくのだ。 「浮気」なんて書けば問題的であるが、サービスを受ける店の選択という次元において、「浮気」を実行するのは罪ではないはずだ。 行きつけの店ではない他の店を「浮気的」に利用してみることによって、さらに行きつけの店の良さが浮き出るともいえる。
そろそろ、前髪が伸びてうっとうしくなってきた。
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