ふつうっぽい日記
もくじ|過去|未来
2013年09月22日(日) |
駅ホームの待合室内で耳に入ってきた話から |
駅ホームの待合室内でそのエピソードは思いがけず耳に入る。
20代前半の若者男女。 高校時代の同級生らしい。 「久しぶり、元気にしとう?」 「俺、この4ヶ月で痩せた。それもストレスで」 「マジで?」 「そして、この俺が今の仕事、3ヶ月続いているし」 「ワタシもそんな感じ。」
「俺」は語る。
話があるからという「彼女」のところへ行った時のこと。 「やっぱいい」と言う彼女。 「やっぱいいって何だ?!人に話があるって呼び出しておいて」と言って、 「俺」は暴言を吐きながらアザが残るくらいに「彼女」を押し倒した。 「もう少しで殴りかけた」 「妊娠したとか言う」 「意味分からん」
聴く同級生女子は、 「女子を殴るのはいかんよ。 それはいかん。 そっか。 妊娠させちゃったんだー。 男としては、意味分からんことはないっしょ。 それは、やっぱ」
そして、「俺」はさらに語る。 「親が金を払うとか言っている。 意味分からん」
女子は 「そりゃぁ、男の親はやっぱりそういう風に考えるでしょうよ。 やっぱり。 それはやっぱり、そうなるよ」
「俺」は語る。 「それなのに、彼女、夜10時とかに帰って来たし。 なんか、同じくらいの時に妊娠した友達がおって、ニシマツヤに行ったとかって」
女子は 「え?なに。 一緒に住んでるんだ」
ーーーーーー
その場に通行人のようにただいた、わたしはいろいろと想像した。 4ヶ月くらい前に妊娠が発覚したわけだ。 そして、一緒に住み始めたわけだ。 そして、わりとまともに仕事が続いているわけだ。 たまたま遭遇した同級生女子に自分の置かれている状況を思わず語ることになった。 殴りかけた時のエネルギーを支えていたのは、「不安」だったのだろう。 思いがけず、同級生に語るという時間で、おそらくは「俺」である彼の気持ちの整理が幾分なされたのかもしれない。 ニシマツヤとは乳幼児関連の店であり、「俺」もおそらくは「父になる」という立場として、「母になる」彼女と一緒に行きたかったのであろう。
不安も不満も「怒り」のエネルギーに転じやすい。
彼氏彼女の関係から、思いがけずに「父になる」という状況が迫ってきた時。 相当な不安だろうと察する。 まさか自分に限って……的な。 「俺」なりに、「父になる」という自覚が働き、継続して仕事をすることに意識が向けられているのだろう。
同じ年齢でも同じ仕事でも、働く目的は人それぞれ、様々だ。
今年も4ヶ月を切った。 前回、日記的文章を書いてちょうど2ヶ月だ。
月日が流れるのは早い、とはよく言うけれど、相当に流れていった。 朝の活動前に、最低1分は時間を取って、視野の広い位置から言葉にされた文章を読む習慣はもうすぐ3年になるだろうか。それでも、 「続いている習慣は何ですか?」と、尋ねられてもそれは多分言わないと思う。
淡々と日々をやり過ごして、 「あっという間」 「月日が流れるのは早い」と言えてしまう状況では、 「なんだか今年は災害のニュースが多かった」的に括られてしまいそうだ。 自然の変容ぶりは、リアルタイムで映像化された情報がお茶の間に届けられる。 一方で人々の変容については、リアルタイムで伝えられるものではない。 多くは事後報告であり、分析途上の言葉だ。 そして、変容の目立たない状況から目立った状況が直線的に繋げられる。
今に始まったことではない。 始まりはいつかについて検証をするのは、その始まりの時期には出来ない。 「問題」として意識される、自覚されるきっかけがあって初めて過去をふり返ることになるのだ。
感覚的に、「秋」は変化の要素が多いにも関わらず、順応しやすいような気がする。 化粧品を新しいブランドとかシリーズに変えるのも秋がいいと聞く。 秋という季節は、肌への負担が減るのだそうだ。 肌。 動物的、生物的表面。 内部では、季節の変化でおそらくは多様にうごめいているのであろう。 敏感であってもおかしくはなさそうだ。 しかし、こう考えるとしっくりくる。 とにもかくにも変化は回避できない状況、不安定であることを認めないことには先に進めない状況。
秋というのは潔いのかもしれない。 いちいち変化に対して、騒いでいても先へ進めない。
変化に対して、不安定になることに対して、適応的なのかもしれない。
不安定の原因を限定するには、あまりに多様な原因がありすぎて出来ない。
どさくさに紛れるという感じか。
なるほど、そうこうしている内に、寒い冬が来て、年末を迎え年始を迎えて、去年のことは当たり前のようにざっくりと「過去」として境界線が引かれる。
秋はなかなか世渡り上手である。
不安定な時にはこの潔い世渡り上手な「秋」を巡らせよう。
|