ふつうっぽい日記
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「すごいよね」 「スゴイよね」 「凄いよね」
ふと、こみ上げてきた怒りのような感情に向き合ってみようと思う。 なにか具体的な出来事が起こったばかりでその気持ちをどうにか収めようと試行錯誤する、というのとは違う。 曖昧な、もやもやとした気持ちの代表が「すごい」から繋がる「怒り」なのだ。 具体的ではない曖昧な気持ちは果たして厄介なのだろうか。 具体的ではない原因が不透明な曖昧な気持ちに支配されてしまうことは、日常的であるといえそうであり、この気持ちから繋がる感情との一つの向き合い方の試行錯誤を試みようと思う。
インターネットが普及したのは今に始まったことではないけれど、いわゆる「ホームページソフト」を個人が準備して、FTPソフトも確保して、ホームページの領域も確保してということ無しに、各個人が無料で匿名でなんやかんやと思いや気持ちを公開することは、珍しいことではなくなった。 ホームページを立ち上げた時は、その内容はさておいてもただそれだけでも何かスゴイことをやっているのだという気持ちを簡単に周りに抱かせたものだった。わたし自身もそうだった。 内容ではなくて、器、外側、飾り、仕組みを操作しているそのことが尊敬だった。
今年2月、3月に誕生日だった友人等にミニ冊子(1枚の紙を使って本のようになっている)をバースデーカードの代わりとして添えた。わたしとしては、その内容に気持ちをこめたつもりだった。 しかし、受け取り手に委ねられる現実を知った。 内容ではなく、仕組み、仕様、冊子化されてある、わたしとしては単なる飾り的などうでもいいことに彼らは賞賛的な気持ちを持ち、そのことを伝えてきたのだった。 わたしはショックだった。 内面を見てくれていないような寂しい気持ちになった。 「そこかよ!」と、ツッコミを入れたかった。
しかし、思えば 「可愛いね。その服(バッグ、靴、時計……)」といった反応に、わたしは敏感ではなかった。 であるからこそ、わたしは他者に対して 「可愛いね。その服(バッグ、靴、時計……)」といった反応を言葉にして伝えることはしてこなかった。 妙に意識すると、そういった反応を言葉にして伝えて来られた時、 「ああ、この人は外側を褒めることで精一杯なんだ……」 「内面(中身」は満足するものではなかったんだ……」と読み取ってしまうのだった。
贈り物というのは難しいものだ。 ゆえにその行い自体を消滅させていく、習慣を衰退させていこうという気持ちが起こるのも自然なのかもしれない。 相手が喜びそうなモノを選ぶことを優先させるのか、相手が喜んだり驚いたりするイメージを優先させるのか、自分が好きなものを共有してもらう気持ちを伝えることを形にするのか、実際にはいろいろであり、毎年同じ気持ちとは限らない。
究極の気持ちは、モノに執着しないのかもしれない。
「内容ではなく、仕組み、仕様、わたしとしては単なる飾り的などうでもいいこと」 の始まりは、「どうでもいいこと」ではなかった。 「ホームページを立ち上げた時は、その内容はさておいてもただそれだけでも何かスゴイことをやっているのだという気持ち」が盛り上がっていた。 その盛り上がりに同行した、驚きとともに巻き込まれた観客的な存在、見守る立場としては、 「これからのさらなる可能性」のようなことに期待を抱いてしまうのも自然なことなのだろう。
「すごいよね」 「スゴイよね」 「凄いよね」
活字にするといろいろな表現の仕方がある。 絵文字や顔文字を伴うこともできる。 公開型コメントの他にも各個人のケータイメールであってもその表現は「活字」をもって、気楽に発信される。その「活字」書体の種類は機種依存だ。
書体に個性が出せるのは自筆である。 パソコンのソフトで何文字か自筆データをスキャナで読み取らせて、自筆フォントを作るというものがあった。これはなかなか面白いなと思ったが、「引き」で見ると少し切なくなる。 それは手書きのない年賀状に似ている。 本人が作成していなくても本人が作成しているように思えるし、本人が作成しているのに本人が作成していないように思えるからである。
ここで我が家の年賀状作成を考える。 わたしはわたし自身がそういったレイアウト作業が好きであるという理由から、夫の分まで作成し、一言自筆メッセージを書けば完了というところまで準備している。 夫に関しては「メッセージが思い浮かばない」という理由でそのまま投函されることも珍しくない。 誰に年賀状を送るかのリストは、毎年あらかじめ提示していて更新はしているのだけれど、メッセージは書かないが事務的に出すか的な人もいるのだ。 これはちょっと改善したいところだ。 つまりは、わたしが夫の分まで作るという仕組みを改善するという点において。
「すごいよね」 「スゴイよね」 「凄いよね」
活字にするといろいろな表現の仕方がある。 音声にすると一様である。
わたしは好みとして「スゴイ」「ムリ」とかいうカタカナ表現を好まない。 好まないけれど、そのことを浮き出すために使うことはある。 人間の好みとして好みの人が、わたしの好まない表現をしてきた時。 心身が偏りのある状態にあると、ただそれだけで不快な感情が噴出することも珍しくない。 表現の送り手にはなんの悪気もない。よかれと思ってという意識すらない。
ある種の「こだわり」の傾向度合いによって、デジタル処理された書体から受ける影響が身体的に、精神的に「痛み」を伴うことがあるというのを何かの本で読んだ。よって、そういう場合は「痛み」を伴わない書体に変換する作業をすることによってコントロールするのだそうだ。 自分自身への支援である。 自分自身をコントロールするための試行錯誤である。
「文字は残るけれど言葉は消える」 というのは、以前勤務していた職場の管理職が言っていた言葉である。 当時のわたしは文字として記録を残すことにこだわっていた。 文字はいつでも読み返しができ、解釈も変容していく。 紙資源の節約という点でも言葉による報告を誘導されたような状況もあった。 音声言葉は録音、録画されない限り残らない。 音声言葉による報告が奨励されながらも、その時間を確保することは厳しかった。 音声言葉を機能させるためには受け手の時間を独占する、拘束する必要がある。ただでさえ、多様な作業に時間を取られてしまうのに、さらにまた時間を取られるのは厳しい状況である。
具体的ではない原因が不透明な曖昧な気持ちに支配されてしまうことは、日常的であるといえそうであり、この気持ちから繋がる感情との一つの向き合い方の試行錯誤。 具体的ではない曖昧な気持ちは果たして厄介なのだろうか。 文頭に掲げた問いである。 試行錯誤することそれ自体が厄介であるのならば、厄介なままである。 厄介なままでは収まりがつかないのならば、試行錯誤することは一つの向き合い方、収め方といえるだろう。 何をどうやって試行錯誤するのか、そのものも試行錯誤なのだから、決まった方法なんてないのだ。
ひとまず、オチが付けられないというオチがついたようなところで収めることにしよう。
2012年07月25日(水) |
ある渦に関する自己分析 |
「また、みんなで旅行に行きたいよね」 と、友人Aが言っていた言葉。 「ほんとう、行きたいよね」 と、友人Bが言っていた言葉。
その狭間で、「行きたい」という気持ちが引き出されなかったわたし。
見た目的な理由としては、 「ご主人が厳しいの?」なんてことがあるのかもしれない。 また、 「専業主婦だから、自由なお金がないのよね?」 とか。 これは、わたしの被害妄想である。 たんなる思い込みのシチュエーション。
友人A、友人B、そして友人C。 彼らとわたしを含んでは、一つの括り的なグループがあるような感じだ。 しかしながら、友人A~Cの3人とわたしの間には隔たりがある。 引きでみれば、それぞれに隔たりは存在するものだと思う。
たとえば独身期間のズレ。 結婚時期の違い。
既婚者は独身者からすると、何かと「誘う」という行為はためらわれる。 それまで一人のスケジュールのすりあわせでよかったところが、生活を共にする、実家家族とは違う夫婦という括りの存在によって何かしら膜を作ってしまう。 その膜は、たしかにこちらがわ、つまり既婚者側も納得していることではある。
独身者は「つるんで」出かける頻度が高い。 しかし、その独身者も減っていく。 一括りでは同じ既婚者となった環境で、 「また、みんなで旅行に行きたいよね」という提案。
たとえばこう想像したりもする。 同時期に既婚者となり、同時期に子どもを持つ。 これは、想像するだけでも何やら楽しげに映る。
婚姻の時期が違っても、一括りの共通事項では子どもがいないという環境は、行動を起こしやすいとも考えられそうではあるが、実のところ、非常に微妙なのである。 と、わたしは思ってしまうのである。
たとえばこう想像したりもする。 60代とか70代のグループ。 これは、想像するだけでもとにもかくにも行動しておきたくもなりそうな気もする。
わたしは一括りのグループの中で最初に既婚者となった。 以降、間が空いた。 その間に、当時独身者たちで既婚者を排除しての旅行は何度か実施されている。 一括りのグループであるということに関しては排除はされておらず、たとえばお土産を送ってくれたりなんていう心遣いはあった。 子宝祈願的な御利益アイテム的な土産も時として送られてきた。 今となれば、ありがたいアイテムだったのだなと受け入れられるが、当時は実のところ複雑な心情を掻き出されたものである。
見た目、子どものいないという共通項。 一括りでは共通項であるけれども、それぞれに流れる心情はとても複雑なのだ。 リアルタイムに表には出さないまでも、何年かの時を経て、「実は流産したの」といったことが語られることもありうる。
「また、みんなで旅行に行きたいよね」 と、友人Aが言っていた言葉。 「ほんとう、行きたいよね」 と、友人Bが言っていた言葉。
その狭間で、「行きたい」という気持ちが引き出されなかったわたし。
友人A~Cの中に「旅仲間」的な精神が基礎付いているのだろう。 旅的想い出は、わたしは共通する一括りのグループに存在しつつも、共有できないのである。 おそらく、そのグループでの集いで、わたし以外での想い出が語られることを、わたしは避けたいと願っているのだ。
「あなた、いなかったっけ?いたような気がするけど〜」 という言葉をなんだか前向きに楽しく面白く私は受け止めて 「いないのにまるでいたかのような感じがするでしょう」 「ほんとう」 「ほんとう」 「ほんとうだね」 「あはははは……」
といったやりとりがかつてあった。 一度ではなく、何度か。 その時の私には受け止めてこれた。 その時の私は、そういう私でもって、「わたし」を支えていたのだ。
「あはははは……」の語尾は実はとても切ない世界に繋がっていくのだ。
切ない世界とは、棚上げされる空間だ。 抑圧の世界だ。
その「棚」自体は、なくすことはできないし、ないと「わたし」を統合できない。
「棚」からあれやこれやが落ちてきた2年前。 落ちてきたものを再び「棚」に戻すことは苦しい作業であり、無駄な時間を過ごすことになる。
棚上げされていた時の「わたし」を支えていた、「私」が優位だった時代。 「私」と関わっていた人たちとの再会。 その関わっていた人たちにも「私」や「わたし」があることを忘れてしまう。 忘れている状態が「仮の実在」といえるだろうか。
「わたし」だって、他の誰かにとっては「私と関わっていた人たち」の一人なのだ。
括られることや偏見に、わたしは敏感になったといえる。 その敏感さが支えになり、力になり、「仕事」をしている。 するようになった。 括られることや偏見を反射させるわたしの勇気が、共通する一括りのグループという場の設定において、試されているのだろう。
「大丈夫?」だと聞かれたら 「あはははは……大丈夫じゃないねぇ」と、「わたし」ならいいそうだ。 「あなた、いなかったっけ?いたような気がするけど〜」と聞かれたら 「あはははは……それは気のせいだねぇ〜わたしはそこにはいなかったよ」と言うだろうか。
まぁ、聞かれても聞かれたことに敏感に反応するかどうかも分からない。 自分にとって都合の悪いことは、都合の悪いのだという空気を自分の中から、自然に存在感で引き出せると楽なのだろう。 まぁ、意識して楽になろうと頑張らなくてもおそらくいいのだろう。
一般的な傾向は平均に過ぎない。 しかも平均をやっているだけの存在なんていうものはないのだ。 無難に生きることは一般的な傾向に流されることでもないだろう。
まぁ、ここまで巡らせて、一括り的なグループ的な「つるみ」行動は、今のわたしはどうも好まないらしいということが浮き出てきたような気がする。
いくつかの「渦」が、時々巡っているからだろう。 空虚感のようなものを感じる。
こういう日もあるんだよ、という事例なのだろうと自分に言い聞かせてみる。
年を重ねるというのは、なんとも切なく、なんとも頼もしい。 切なさの後に必ず来る冷静で穏やかで頼もしい気持ちの波。
心が疲れているのだろう。 無意識の世界への退行、過去へのとらわれ、執着。 仮の実在への妄想的な予感。
かつて、わたしも「妄想族」なんて楽しげに自分のことを堂々と表に出していた。 「妄想」が遊べるのは、自分自身が正しい位置にいることがコントロールできているか、「コントロール」を意識しないでもいいレベルにおいてだろうと思う。 似たような感じとして、「バカか!」とこきおろすことを正当化できるとき、その表現に正しい怒りをこめることができるとか。
バカも妄想もわたしは好まない。 であるけれども、一面的にであっても関心を持った存在がそういった言葉で遊ぶことはありうることなのだろう。その面があるからこそ、関心を持たねばならないとか回避すべきだとかそういう決まりなんてない。
「渦」 それは、いろいろな意味での自分自身の埋没さのようなものが共通項のように思えた。 旅行中の不幸。 不幸の儀式では、社会性が育まれる。 そうそう、不幸の儀式に立ち会えるものではない。 もし、この不幸の儀式に対して、前向きであったならば、その後の儀式にも前向きでいられただろう。しかし、その当時は旅行の流れに流されることを平気で優先させることができる自分自身がたしかにいたのだ。 そして、自家用車の中での埋没。 密室が守られる空間。 その空間でわたしは自分自身の近くに存在していたモノとの別れについて打診された。 いや、正確には事後報告だったかもしれなかった。 モノは、所詮モノである。 想い出がこもっていたとしても、人間の命、存在には変えられない。 打診した主も「被害者」なのかもしれなかった。 機嫌をとるように操作されていたに過ぎないのかもしれなかった。 いや、機嫌をとるようにというのも思い込みであり、打診した主こそが真に倒れるべき存在だったのかもしれない。
心理療法的な本に、たとえば家族、たとえば夫婦とか母子で「面接」に行くが、「この人(子)が変なんです」と言っている側がなんだかの不安定さ、課題を抱えていた、というのはよく見る。
「病識のなさ」イコール云々という図式は強引過ぎるのだろうけれど、「症候群」であると理解できれば、別の種類の「症候群」であっても、連続したような仕組みにあるのならば、短時間でもそこにカテゴリーされることは後に理解できることなのかもしれない。 その「症候群」についての理解が乏しいために、偏ったイメージが強いために、ステレオタイプであるために、ばっさりとわざと慈しみのようなまなざしを向けられる空気。それすらも、「被害妄想」だとか「人間不信」だと括られると理解してしまう世界観にあって、後に繋がるあれやこれやの物語の披露もまたばっさりとわざと慈しみのようなまなざしを向けられる空気を引き寄せてしまうのではないかという脱力感。
その内部から出てきたわたしの感覚は、その内部を「ふつう」とする側からすると、やはり「ふつう」であり続けるのだ。その内部から出てきた、その内部を巡ったわたしの追体験したような感覚が、その内部を「ふつう」とする側にも連動して、もしかすると一緒に「こちら側」へ出てくるのではないか、という期待。それでも、その内部を「ふつう」とする側からすると、やはり「ふつう」であり続けるのだ。 この違和感を埋めようとするならば、この違和感を感じるわたしであってもそれを「ふつう」とするか、あの内部を「ふつう」とする側と同じく、ただたんに課題を抱えているに過ぎないとするかの選択に迫られている気がしてしまうのだ。
こういう自覚的な揺らぎにありながらも、たとえば心理療法的な堅苦しそうな偏っていそうな理論みたいな文章がするっと吸収されていくような感覚があるのが不思議だったりする。 なるほど、「揺らぎ」は、執着やら仮の実在やら妄想みたいなもののように、好まないものではないのかもしれない。 もっと、引いて見てみよう。 「揺らぎ」が執着やら仮の実在やら妄想みたいなものから生み出されるものだとすると、「揺らぎ」が柔軟な学びを支えているのだとすると、「執着やら仮の実在やら妄想みたいなもの」の存在あってこそ、ということになる。
つまりは、バカも妄想も「揺らぎ」に変容できるということだ。 好まないものの存在感や正当性を強調するというわけではなく、自分自身を変容させていく、学ばせていくためのエネルギーに変化するということ。
どう、自分自身を変容させたいのか。 発達させたいのか。 その方向性が見えない状況の言い訳に、執着やら仮の実在やら妄想みたいなものを好まないと言っているに過ぎないのだ。
未来なんて言えば、将来みたいな感じで、希望をこめたこれからについて前向きでいないといけないような気持ちになる。 これから3分後だって、いつかの未来なのだ。
1年後や3年後や10年後のビジョンをなんだか語りたくなって、表現したくなることだってあるように、なんだか語りたくもなければ表現したくもないということもあるのだ。
たぶん、3分後の未来くらいは予測できるのではないだろうか。 今、意識されている渦は、3分後には忘れ去られていることもある。 何十年か前から形取られている渦であるにもかかわらず、いまだに気づかれていないということもありうる。
今日は、揺らぎからでも学べるのだということを学ばせてもらったとしたい。
2012年07月12日(木) |
言葉を置き換える作業 |
なんだか頭に残りつつも、時々浮上しては棚に上げられるということはよくある。 腑に落ちないこと。 いちいち引っかかったいろいろなことを腑に落ちるように持って行くことに集中するのは厳しい。 でも、それはある時、ふとつらつらと繋がっていくものなのだろう。
教育現場への教員以外の人材介入。 双方での探り合いは避けて通れない。 探り合いの途上に、悶々とした気持ちが膨れあがり、一人でそれを抱えていくのも悶々とするような時、その悶々とする思いを言葉として表出し、かつ、第三者に受け止めてもらえる「場」というのは意味があると思う。その第三者が、介入する現場は違っても同じ目的の人材であればさらに親近感を抱く。
どの仕事であっても、「初めて」という段階の人がいる。 すべての仕事が経験者のみしか募集しないなんてことはありえない。 人材が不足でありながら、離職率が高いとか知名度が低いとか職種としての試みが未熟な場合、経験が問われずに幅広く人材が募集される。
人によって、たとえば3年の経験を「まだ3年しか経験がない」と言うか「4年目にあたる」と言うかは違う。また、毎年、初心でもって、時の流れを経験として括ることを表に出さないということもありうる。 きっかけも、内面に突き動かされたものであるとか、周りから言われて仕方なくとか、「まぁ、〜でも」やってみるかとか、たまたま求人広告が目に入ったからとか様々だ。
同じ日本語を使う人間同士でありながら、伝わらない悶々とした気持ち。 一方で、以心伝心的に言ってもないのに伝わることの都合の良さなんてものもある。 今まさに電話をしようと思っていたとかメールをしようと思っていた時に、相手から同じアプローチが来る、なんてことはありえないようでありえる。 逆に「どうしていつもこのタイミングで」ということもある。 「間が悪い」というやつだ。 それでもそれがなんだか続くとありえないようでありえる、ということになる。
「こんなに話が伝わらない人がいるなんて」という悶々の気持ちの暴露。 その「人」が例えば公的な立場の人間だったりすると、なぜだか、憤っていく。 本能的なものだろうか。 「お役所〜」とか言うときに「ああ(たしかに)」と、はっきりしたものではないのに共感できるような感じ。
自分自身の気持ちや言葉もいろいろと変動、変容していくのだから、同じような変容システムを持つ他者に何かを伝える作業というのはそう簡単なことじゃない。 近しい「家族」であっても、近いがゆえに難しい。 「ああ(たしかに)」が他者向けだとすると、「ああ(またかよ)」は家族向けだ。 同じ「ああ」でも、(カッコ)内は対象とのかかわり具合でいろいろと変わる。 f(x):エフエックスの「(x)」のように。1とか2とかはある意味割り切れるが、めまぐるしく変動する言葉は割り切れないのが前提だ。
伝わらない人にどうにか伝えようと試行錯誤できるかできないか。 その時間を尊いものとできるかできないか。 できないなら、どうしてできてないのか。 男だからか女だからか。 公的だからか私的だからか。 古いからか新しいからか。 こういった「どうして」を考える時間を一時的に「停止する」ことは、時として自分自身を保つため、コントロールするために有意味ではある。 しかし、ある人が「停止する」期間、相手も同じく停止しているわけではない。
「これが原因(推定)で、こうなってしまった(悲劇的な結果)」というのが、悲劇的な情報として「お茶の間」に流れこんでくる。「悲劇的な結果」に近しい人たちと、「お茶の間」の人たちの関係は対(つい)ではない。「お茶の間」というのは人類全体である。大きな括りである。同じ括りの枠の中に、たまたま「悲劇的な結果」に近しい人たちという枠が出来たということだ。ここでいう「たまたま」とはある環境、状況によってはその結果が起きなかったであろう可能性があると想像されるからだ。別の言葉では、ある環境、状況にあったからこそ、その結果が起きてしまった。
しかしながら、日々、いや一日でもあちらこちらで大なり小なり、「結果」は流れ込んでくるものだ。にもかかわらず、ある特定の、その中で大々的に取り扱われてしまうことになった一つの「結果」が、「その時(←過去)どうして、そう(←今となって意識されたこと)しなかったのか」という視点から切り込まれることになる。
「いい人」「いい子」だって、他者への羨望や憎悪の感情を内包している。 「悪い人」「悪い子」だって、他者への感謝の気持ちを内包している。
「いい」「悪い」「伝わる」「伝わらない」「分かる」「分からない」 こういう「枠」があるのも、他者の存在があるからこそだ。 自分自身が関わるすべてに対して、言葉を置き換える作業に心を砕くことなんてできない。 ただ、たまたまであれ気になったあることに対して、そのことを自分の言葉で置き換える作業は意味がある。
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「頑張ろう!」は、ある方針のもと、内面で繋がった人から熱く込み上げてくる時に言語化されるフレーズに過ぎない。 「ナントカにやさしい」は、「ナントカ」が人の括り(例えば「女性」とか「子ども」とか)の場合、「ナントカ」側に抱いて欲しい、理想的な気持ち「やさしい」の潔い押しつけに思えることがある。 「頑張ろう!」とか「ナントカにやさしい」を発信しているのは誰なのか、何なのか。 受け止めたのは誰なのか、何なのか。 受け入れられないのは、どうしてなのか。
とはいえ、「頑張ろう!」とか「ナントカにやさしい」、それ自体は親しみのある言葉になっている。
なんだか頭に残りつつも、時々浮上しては棚に上げられるということはよくある。 腑に落ちないこと。腑に落ちないことも、ある「枠」の中にいくつも入っている。 そのいくつかの重みで、うっかり落ちてきて、なんだか収まっていく。 そしてかつての「枠」は、いつの間にか消えている。
ああそうか。 わたしは、いつの間にか、気付いたら消えているような「枠」の役割をやってきたのかもしれない。やってこれた、と言った方がいいかもしれない。 そして、その役割が意外と好きなのかもしれない。
2012年07月10日(火) |
子ども時代の家事手伝い |
子ども時代に家事手伝いを率先してやっていたかというと、していないと自信をもって言える。
そして、にもかかわらず、いや、ではあるが、「よそのお宅」例えば祖父母の家では進んでやっていた。これには理由があった。
「いい子に思われたいから」 「褒められたいから」 であった。 よその家のお宅の人に褒められたいというよりは、両親、とくに母親に褒められたかった。
「やっぱり女の子だねぇ。お手伝い偉いわね」とよその家のお宅の人が我が母にかけていうセリフに対して、母親の優越感のような満足感のような表情から逆算して(想像して)認められているという証拠の切れっ端をコレクションすることで「愛」を補っていた。 100個集めてようやく直接的な「愛」1個分くらいな、それくらいな感覚。
我が子が自分の家、「実家」とされる場でなんだかの作業、「公共の仕事」をするのは「当たり前」だったのだろうと察する。 外部から派遣されてくる、お手伝いさんや「ヘルパー」とは違う。 そこには 「ありがとう」というねぎらいはほとんどなかった。
「アナタが使った後のキッチンは汚いから使わないでね」 もしも今、このセリフを当時の私が言われたとしたら、 「キッチンのお手入れの仕方を教えていただきたいのですが」くらい、言い返せるだろう。 いや、もしかしたら、私の方が 「まったく、アナタが使った後のキッチンは汚いんだから……。掃除しておいたわ」 なんて、言えてしまうかもしれない。 さらに、 「これ、お口に合うかどうかは分からないけれど、よかったらいかが?」 なんてことを言えちゃうのかもしれない。
キッチン。 それは「主婦」の聖域であって、キッチンに冷蔵庫があれば、勝手に他者がその扉を開けることはいただけない。という感覚が「ふつうに」私の中にも存在していた。
今その感覚は、結構いい加減だ。
そして、今思う。 「アナタが使った後のキッチンは汚いから使わないでね」 は、娘が(例えば「エロス」(性)的な領域において)汚されないように守るための「姥皮」(うばかわ)的セリフだったのではないか。
少女がキッチンに立つ。 例えばバレンタインのチョコレートを自作するとか、手作りのクッキーを異性に渡したいとかそういうことがきっかけになることが、想像される。 その姿は頼もしい反面、保護する立場としては見守るのが厳しい現実なのではないだろうか。 そこで、母親の気持ちを察して、 「アナタの料理は最高だわ。ワタシにも教えていただけないかしら。」なんて、へつらって言えたら賢いのかもしれない。けれど、なんだか、日本っぽくない。洋画の吹き替えみたいなセリフである。
ここで、「料理の味」について思い出されたこと。 頻繁に外食をする環境にない場合、「料理」といえばそれは母による。 作った側は「美味しいと言って欲しい」という願望があるが、そう簡単に言えるものではない。 しかし、「美味しくない(食べたくない)」という拒絶の言葉は簡単に言えるものである。 自分が食べたいものを作っていただけたときに「美味しい」と言うのか、食べたくないもの以外の作成物に対して「美味しい」と言うのか。 思いがけず、突然、いきなり「美味しい」と言われた時は、その言葉を期待していない場合、少々驚いてみたり、何か魂胆があるんじゃないかと疑いたくもなるかもしれない。 初めて挑戦した料理で自分はイケルと思ったけれど、他者はどうかと少々気になる時に「美味しい」と言われると素直に受け止められるのかもしれない。
「アナタが使った後のキッチンは汚いから使わないでね」 に、再び戻る。 私は、それならば仕方がないと知恵をしぼり、クッキー的生地材料を自室に持ち込み、自室でハラハラしながら調合し、母が出かけた気配を確信して、オーブンでその生地を焼いてみたということがある。出来上がったモノは、クッキーというよりケーキだった。ハラハラしながらそのケーキ的完成品を容器に入れて、再び自室に運び入れた。その、ハラハラ実験的調理の完成品はとくに誰かに渡す目的なんかはなかった。自室でひそかに食べる自作完成品は、意外と美味しく感じられた。結局、秘密として抱えることができなくなった私は、その一部を「こっそり作った」と言って、母に渡したのだった。「クッキーのつもりがケーキになった。でも、結構美味しい」とか言った記憶。 母から雷が落ちることはなかった。 「こそこそ作らないで、台所で作ればよかったのに」と言われたような気もする。
「こそこそしない」というのは、思えば以降の「男女交際」的な視点が「オープン」であったことと繋がる。 しかしながら、この「オープン」によって、私の癖のある嫉妬が発動されていくとは、そうされていっていたことが意識されたのは、解放できたのは、降ろしてもいい「心」の荷物として受容できたのは、ここ最近だともいえそうだ。
オープンな男女交際は、健全そうに映るが、母親を一人の女性として見る視点が開かれていくという局面と対峙することになる。 「娘の彼」とはいえ「異性」である。 娘にとって、母親が父親以外に「異性」として、親しげに関わってみえるその姿は、衝撃なのである。
「心配かけずに、こそこそする」のが賢い様に思う。 上手に実家のキッチンの手入れまで含めた使い方を学び、心配かけずによそのお宅(気になる異性の居住する場)で、その腕を披露する姿はなんだか頼もしい。
子ども時代の家事手伝いは、自尊心や自己肯定感を向上させるらしい。 そういう時は、役立つ作業をする存在に対して、子どもであれ大人であれ、「ありがとう」的な感謝の交流があるのだと察する。 上手にそれをするとか、汚さずにそれができるかとかそういう評価的なものは脇に置いて、その小さな存在を認める交流的やりとりが親側には試されるのだと思う。
迷いもせず、他者の家の冷蔵庫を開く人たち、わたしがかつて偏見を持って見ていたこともあるこういった人たちは、おそらく、無意識に愛情溢れた環境にあって自己肯定感が育まれたのだと思う。
「隣の芝生は青い」などと括る時に使うことわざは、どちらかというとわたしはキライだ。 自分自身の中に「嫉妬」「妬み」「羨望」の存在を受容し、自分自身のかつてのとらわれに向き合い、物語ることには自分自身の成長には大きな意味があると確信している。
2012年07月03日(火) |
それは、広がっていたからこそ |
いい感じに「広がっていた」こころ。 だからこそ、些細なことでイラッとしてしまった。
ほどよく、少々「つっかえ」があったならば、その「つっかえ」が「些細なこと」の衝撃を緩和してくれていたかもしれない。
まったく都合のいい考え方だ。
いやいや。 「つっかえ」は、ちゃんと存在しているのだ。 ただ、それを気にしないように都合良く棚に上げているだけだ。
防衛や抑圧を全て取り除くことはできないし、その機能のおかげで「不安」から回避、一呼吸おけているのだ。
分かってはいるけれど。 この湿度の高めな季節が、わたしの中で引き出された不安定さを「頼もしく支えて」いるのだろう。
季節、自然は、無条件に「頼もしく支える」「ただそうある」ことをやるのだ。 そこには同情なんてものはない。
イラッとした感情に支配されているような今だからこそ、言葉にしてしまうこと。
「自然の恵み」 自然的資源の私有。
太陽は人間の干す洗濯物を乾かすために存在しているのではない。 法則性でもって移動する、しかも、暖かな光線を放つ性質であるからこそ、そういった立ち位置でそのことをやれているのだ。
暑い夏の、梅雨空が消えたワクワクするような夏の訪れを、わたしたちは確信している。 季節は移っていくものだということも確信している。 灰色がかったような一日だって、ピンク色のドキドキするような一日だって、同じ一日の長さであることは知っている。
やがて、いつかは死んでしまうことだって、わたしたちは知っている。
けれども、「閉塞感」とか「多様性」なんていう言葉を突きつけられると、「知っていますとも!」とワクワクとポジティブな気持ちを確信することをためらう。 「ためらう」という思いを持ちながらも、それを前面に出さない。 出せないのか。
「……多様性が叫ばれている……」 とは、よく耳にする、目にする表現だ。
「多様」であることを「多様」と括るという「見た目」での有り様をAとするなら、多人数のAという有り様を支持するという1つの現象に過ぎないとも思えてくる。 これは、近視眼的思考なのか、それとも俯瞰した視点から「引き」での視点ゆえか。 例えば1億人の全国民が「多様性が叫ばれている」と口を揃えて言うならば「多様性が叫ばれている」という1つの思考があるに過ぎない。
ある時、美容室で 「政治(家)がこうだからねぇ……(国に期待できない)」 とかいう言葉が放たれた。 その時はわたしもそのつぶやきに賛同していた気がする。
上から降りてくる方式や仕組みは、「ここ」にいるわたしたちが満足した方式、仕組みとは限らないということは「知っている」はずなのだ。
選挙に参加して(投票して)「政治(家)」を選ぶわたしたち。 その行方を、その後の現実になかなか結びつけて関心を向け続けることをやらなくなってしまいそうになるのも正直なところだ。
例えば、野球のチーム。勝った負けたというそれだけでも、一喜一憂する(できる)。 しかも、個人的に、あるいは集団的に、1選手を応援することは珍しいことではない。 チームの勝敗の一喜一憂。 「負けたけど、あの選手のあのプレーは素晴らしかった!」と追える様子、追い具合は、共有されにくくなったのかなと思う。共有するコミュニケーション自体が意識されないというか。 優勝した時は、「優勝セール」として企業が活気づくような感じ。 とはいっても、その土地柄で優勝じゃなくても町が熱くなるというか「それがこの土地の個性」と素直に前面に出すことをためらわず、他の土地からその土地にただ寄ったそれだけでその「土地の個性」を自然に共有したくなることはありうる。
といって、政治的関心に対して、一喜一憂がまったくないわけではない。 それは「問題」として例えばマスコミから発信される内容へ関心が向く。 マスコミは統計的なデータも伝える。 例えば、100人に対して行ったアンケート結果を円グラフにして伝える。
「使える」「使えない」 「支持する」「支持しない」 「あり」「なし」
簡単に一喜一憂をかき立てられる。
一喜一憂これ自体は、どうってことないよくある気持ちの作用だ。 特別なものではない。
「政策」となると、身近な生活に関わってくるはずなのに「問題」となった時くらいしか注意が向きにくい。(気がする)
ああ、そうか。 「注意が向きにくい」のは、「わたし」だ。 注意を向ける努力をするのは、誰か? 分からないときは、どうするのか?
分からない時に、分かろうとするための手段を「わたし」は知っている。 そして、その先にたくさんの「分からない」を解決する「答え」が存在することも知っている。 「わたし」一個人が「答え」を存在させることに繋げられる手段についても知っている。
のに。
焦らず行こう。
そう、30年前のことが今になって意味が分かることだってあるのだから。 「その時」、その時の流れについていけなくてもいい。 ちゃんと、せっかちな人がいて、「その時の流れ」についていってくれているはずだ。 「その時」、あの時の流れが分かればいい。 ちゃんと、忘れっぽい人がいて、「あの時の流れ」について耳を傾けてくれるはずだ。 時々、「その時」っぽさに、ついていくというのでもいい。 多くの人の「無関心」に、場違いなくらいにこだわるのもいい。 多くの人の「関心」に、疑うのも賛同するのもいい。 ころころと自分自身の考えを変えてみる練習をするのも、きっといい。
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