ふつうっぽい日記
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「先生が笑った」 と、A君が言った。
今、分かるA君の気持ち。
わたしはその言葉を聞いて、 「突然、何かが飛んできて、驚いたんだもん」 などと、その時の状況を理由の説明をした。
A君にとっては、別にそういう理由はどうでもいい。
「先生が笑った」と言った時、A君はそういえば嬉しそうだった。
A君との関わりのきっかけの記憶を想起。 わたしはA君のことをよく知らないのに、何かの指示を出して、行動に移さないA君を少し怒りの表情で見つめていた。
知らないくせに関わった、わたしよ。 関わられて、A君は驚いたよね。
謝りたくなった。 責めたくなった。 でも、そうしなくてもいいということに気付かされた。
A君はわたしの笑顔を試すアプローチをしてきた。 こちら側(わたし)が何も考えられなかったのにも関わらず。
おそらくは、A君はわたしの姿を見ると、「あの先生に怒られた」という記憶が呼び起こされたことだろう。 「あの先生は他のお友達にはあんなに優しいのに。笑顔なのに。ボクには笑ってくれないのかなぁ」
チャンス到来。 A君はわたしに何かを投げてみた。 それは小さな小さな鉛筆のキャップみたいなものだった。 状況によっては、 「何を投げたんですか?!驚くでしょう!?目に入ったら危ないでしょう?!」なんて質問形式で怒られたかもしれなかった。
その時のわたしは、なんと、驚いたのにも関わらず、どういうわけが「笑って」いたのだ。 そして、A君は「先生が笑った」とつぶやけたのだ。
わたしはその言葉を聞いて、「ボクの行動を笑った嫌な先生」という感情を持ったのではないか?と、少々不安になった。 またしても、「笑っちゃってゴメンね。」と謝りたくなったし、責めたい気持ちが湧き上がった。
しかし、数分であるが、A君の行動や表情を見る限り、なんだか嬉しそうだったのだ。 もしも、怒りや憤りに支配されたのだとしたら、別の手段で攻撃を試みたであろう。 わたしにはA君がなんだか楽しそうに嬉しそうに廊下や教室を走り回っているように映ったのだ。 そして、関心深く、目線を合わせることを楽しんでいるようにも映ったのだ。
A君は特別に支援を必要とする対象としての、任務としての関わりは指示されてはいないが、何やかんやとザワザワとする体制でありながらも、こういう小さな人間関係において、点と点で結ぶことができたことが、わたしの中では、少し広いところに出てこられた気持ちにさせてくれた気がする。
任期あと残すところ2週間。 出来ることは限られている。 小さな人間関係を見つめながら、エネルギー配分していきたい。
2012年05月23日(水) |
とある日の状況を整理するために。 |
学年主任Aが対象児童(支援学級在籍)Pについていた。 背面にマークするように。 体育会の全体練習。
そこへ支援学級担任Bからの指摘。 学年主任Aは、全体を見ないといけないのであり、 Pに張り付いていると全体が見られないので「遠慮せず」介助員がPの背後につくようにと指示される。 その時の動きとしては、学年主任Aから担任B,そして介助員と変わっていった。 わたしはP児を列の後方で見守りつつ、学年主任Aが後方の指導にあたるためにP児から離れた時に、入れ替わるようにしてP児の背後につく、ということをした。P児は動揺し、間もなく学年主任Aが戻ってきてP児の背後につき、その直後に支援学級担任が来たのだった。 支援学級担任にしてみれば、介助員ではなく、学年主任AをP児の背後での支援に関わらせていると映ったと思われた。
対象児童Pにとって学年主任Aは、交流学級の担任でもある。
支援学級担任Bは、学年主任Aに迷惑をかけてはいけないという思いがあり、多動が誘発される科目、つまり活動に移動が伴う学習、例えば「体育」「音楽」「生活」は支援学級内で預かり個別指導をしたいという方針がある。 当初は、出来る限り交流学級へ送り込みたいという思いがあったのだけれど、問題行動が重なり、そのように方針を変えていったのだ。
以前、図工、給食の交流にあたり、支援学級担任の指示により、学年主任Aの学級に入り込んだことがあった。 その時は、担任(学年主任A)から介助員に対して、椅子を準備してくださったり、具体的にどういう関わり方をすればいいのかについて、例えば「ハサミで必要な部分を切り抜いてやってください」という指示をくださった。また、P児が書いた作文をわたしが賞賛をし、そのことを担任Aに伝えたことで担任AとP児の信頼関係が深まった、ということがあった。P児にとっても交流学級担任Aとの関係は大切にしたい、という思いは伝わって来る。わたしが見てもP児と学年主任Aとの相性はわたしとの関わりよりもプラスの要素を感じ、安心感がある。学年主任AがP児に賞賛の言葉を与えた時、わたしも賞賛の言葉を自然にかけることができる。
ーーーー
P児の指導に関しては、ほとんどの職員が厳しい目を持っており、叱ることが多い。 大人をためすようなところがあり、怒りのコントロールが出来にくいところがあり、自分にとって気に入らないところがあると蹴ったり叩いたりする。
校長からなめられないように、と忠告を受けた。 わたしからすると、目下「お試し期間」だという認識がある。 暴言を吐く、暴力を振るうが、内容的、質的には幼いところがあり、外からみると大層強い力で蹴られているように見えるが、砂埃がただただ舞い上がり張り付き、壮大な傷跡のような効果を出しているだけで、本気でやっているのではないということは分かっている。 こういった時、生徒指導的な「教師」は、集団であろうと目立つ場所に引きずり出して、自尊心への配慮をしつつも指導方針のもと叱責を与えるのだろうと思われる。
しかし、自称弱小介助員、心に寄り添う介助員としては、引きずり出し型の指導というのは「遠慮せず」と言われても、スキルやセンスがすぐに引き出せないジレンマに簡単に支配されてしまう。
正直、こういう状況下での、こういう指導を求められる関わりはしんどい。 周りの指導者もそのようにするのだから、同じような精神で関われということだろうか。
支援学級担任の揺れも分かる。 何かと問題行動が絶えない日常も分かる。 支援学級在籍児童の担任としての責任、意識も分かる。
昼休みも、黙々と支援学級担任は教室で学級環境作りをやっている。 その雰囲気たるや濃厚な感じであり…… 1年生の支援学級在籍児童(指導者はBではない)が、無邪気に教室に入ってきても穏やかに対応するゆとりはない。 このわたしも、時間があるからといって、この教室に入るのは正直しんどい。 支援学級担任Bとの語らいのひとときではあるけれども、状況によっては、自分自身の精神衛生を守るのを優先したくなる。 別の支援学級の教室は開放的で、セラピー的な雰囲気が漂っている。 時々、わたしもその教室に紛れて、子どもと関わりながら癒しをいただいている。 別の支援学級担任が、どう見ているのかは気になるところだけれども、何かあれば指示してくださると信じて自分自身をその場に委ねている。また、どこからともなく、「外に遊びに行こう」と誘われれば応じる。
多くの指導者がP児は「特別(に手がかかる児童)だ」という思いがある。 しかしながら、「こう関わるのがいい」という具体的アドバイスを介助員に助言できる指導者はいない。 立場が遠い指導者ほど、 「大変ですね」 「遠慮せずに指導してもらっていいですよ」 「本当にふざけているなと思った時はバシッと表に出して言っていいですよ」 と言ってくる。
P児は女児。 同性ゆえの「こちら側」の感情コントロールが試される日々である。
残り、2週間と2日。
「形として何か残せるように」とか 「何か気がかりな行動を変えることができたら」とかいう思いで押しつぶされないようにエネルギー配分していきたい。 ただ、見捨てず、そこに居続ける、ただそれだけでも意味があるのだと信じて。 そういうわたしの存在が求められる業務に支障を与えているのだとしたら、力量不足なのだとしたら、振り払われても構わないとわたしは思っている。 子どもと向き合うことからは逃げない。 しかし、この場所での組織的な方針にわたしの動きがずれているというのならば、わたしは他の場所でわたしを試すことを畏れない。
名前も分からない子達が、無邪気に笑顔でしゃべりかけてくれる。 その子達の何気ない意志なのだろうけれど、何か大きな存在の計画で、わたしというちっぽけな大人に励ましを届けてくれているような気持ちにもなる。
ーーー
今、「愛着障害」に関する文献を少し読んでいる。
理屈的に脳を動かすことで、理屈では話になりにくいようなリアルな現実からのストレスが中和されるような気がするからである。 あえて難しい本を読もうじゃないか。 きっと、そこから何だかの扉が開くメッセージが放たれると信じて。
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少し状況を整理ができて見えてきたことを書いてみる。
他の場所で自分自身を試すことを畏れないのならば、今の場所で自分自身を試すことに畏れたってどうってことない。 素直に畏れていいんだって考えよう。 だって、そうでしょう。 多くの人たちが「手を焼いている」対象なのだから、ヘロヘロになっても一歩引いても「ふつう」だよ。 Qさんが言っていたじゃないか。 「わたしなんていつも抱きついてきて、手を握ってくる」 Qさんの様なとんでもなく離れた「引き」の場所で俯瞰する立場の人間も必要。 近くで敏感な部分に関っているからこそ、引き出される、衝突する内面的な思い。 よくある、同じような反応を返すことで、「ハイハイ」と一線をただ引かれ、近づけば淡々と相手にされなくなるようになれば、「楽」ではあるのかもしれない。
微妙なお試し期間にあればこそ、純粋な気持ちに思いがけず気づけるかもしれない。 まぁ、だけれども、これまでにいろんな大人が入れ代わり立ち替わり育ちに関わっている実態。 だからこその積み上げられた邪悪な「慣れ」もあるのだろうと思う。
雨の月曜日なのに、子どもたちの集中力には磨きがかかっていた。
いったい、どうしたんだい?
でもだからといって、誰かに威圧されて「病的」に抑えつけられているような空気はなかった。
こういう日もある、ということだろうか。 たとえば、今日が金環日食であった、というみたいに。
「わたし、今、集中しているから」といったA子は本当に集中していたし、そのセリフにかぶせて邪魔をするB子はいなかった。
時々振り返り、わたしを見つめるB子だったが、黙々と課題を一人進められている。
「先生、来て来て」と、甘えるB子は今日に限ってはほとんど見られなかった。
いわゆる「お試し」の中休みだろうか。 新しい誰かが来たとき、同じような「お試し」プログラムが発動されるのだろうか。
何かの本だったか、講演会だったかで、子どもの相談任務をされている方が、 「子どもが治っていく」 「子どもが落ち着いていく」 という時、こちら側(大人側、相談を受け止める側、抱える側)はちょっと寂しさが残るとかいうのを聞いたことを思い出した。
1年くらい前のC君もそういえば行動が落ち着いたある時につぶやいてきた。
「もう、僕、大丈夫だから。」と。
何か大丈夫なのかと問いかける価値もあったが、C君の中で「たしかに大丈夫ではないボクがいた」という確信にたどりつけて、振り返った「その時」の言葉がそうだったのかもしれない。 自分自身の中のもう一人の自分にちゃんと出会えた、というか。
「いつも怒られるボク」「見捨てられてしまうと怒ってしまうボク」 「ボクを見つめる僕」
まだまだ子どもなA子は時々、大人に「あなた」と呼ぶことがある。 わたしはまだそう呼ばれたことはない。
「あなたがそう言ったじゃないの」
と
「先生がそう言ったよね?」
とでは空気が違う。
ここでC君のことを思い出す。 時々、C君の中に、C君の作り上げた父親の像のようなものが見える時があった。 がに股でケータイで仕事先の誰かに電話をしながら、偶然すれ違うらしい「お前」が、「わたし」であったことが何度かあった。 もっともケータイというのはオモチャなのだけれど。 「おお。お前か。(久しぶりだなぁ。前にもたしか会ったよなぁ)」的な空気をわたしは勝手に読み取っていた。 C君の中にいる(内在化している)父親像的なものと対峙しようか(できるのではないか)とも考えてみたことがあった。しかし、他の誰かにそのことを伝えるのは難しかっただろう。 結果として、この対峙する作業はC君の中で行われた(と、わたしは解釈した) よって、「もう、僕、大丈夫だから。」というC君の言葉も自然にわたしの中で繋げることができた。 たしかに、それ以降、2週間ほどの短期間ではあったが、C君を見守るという任務の中でかつてと同様な見守りの型を流用する必要はなかった。愛有る距離を保ちながら、別の対象を見守ることができたのだ。つまり、C君はわたしが別の誰かを見守ることに関して穏やかな気持ちを持つことができるようになったのだ。
A子とB子が調子狂わせ的な落ち着いた行動を取った今日。 D君という子がわたしに急接近してきた。 そのD君は、前年度から共通理解されている気がかりな子だとそういえば言っていたっけな、と、D君の方から思いがけずわたしに接近してきたことで思い出された。 D君は給食を終えたわたしの背後をやさしく狙ってきて、 「誰かな?自己紹介してください」というわたしの尋問に丁寧にフルネームを言ってきてくれた。 そして、 「ザリガニ、見る?」という誘いをくれた。 ちょうど、ごちそうさまの挨拶の前だったので、 「今から、ご挨拶みたいだよ」と、空気の通訳をして、挨拶が終わってから、 ザリガニの水槽に少しだけ近づいた。 「君が捕まえたの?」という問いに ニコリと笑った。
わたしは思った。 D君からのお試しが始まるのだろうと。
B子がちょっと前に言っていた。 「D君って知ってる?めちゃくちゃ怖いよ。先生なら、ボコされるよ。たぶん」
上等だ。 笑顔の素敵な子に、悪い人間はいない。
「はい、見ましたよ。 忙しいから、別のところで遊んでください」
見せたその子の手には、ブロックで作った誇らしげな機関銃。
「せんせい、すごかろう?」
あどけないその子の表情は、一人前の戦士だった。 細い目の奥で悲しげに放つ気持ちの光。
男の子の気持ちには敏感なのに 女の子の気持ちにはどうして 素直に受け止められない
そうかなるほど わたしもおなじ女の子
その子は言った。 「おんぶして」 「だっこして」 「あっちのお部屋で一緒に遊ぼう」
そうだね、そうだね。 お母さんは忙しいらしい。
「はい、見ましたよ」のやりとりが1分間続けられるとそのお母さんでもちゃんとお母さんの役割の一部を刻めたんだろうね。
心の広いお父さん先生は言うのさ。 「大きな赤ちゃんがおるね。 幼稚園に戻らないけんねぇ」
それでもお父さん先生はそう言うだけで、 ちゃんとボクを怒らないでいてくれるんだ。
「せんせい、今日だけ、ここにいて、一緒に遊んでよ。 ボクがこれでバンって打ったら、倒れてね。 いくよ、バン」
おんぶして、だっこしたせんせいは、言うとおりに倒れてみました。 「わー。いたいよー」と平坦な声を上げました。 お父さん先生が 「それはいけないよ。せんせいがいいっていっても、先生は許さないよ」 と、低い声が降ってきました。 バンと打った子は、すぐにいけないことがいけないと分かりました。
子どもが好きな大人というのは、子どもには分かるらしい。 そんな子どもは、怒るから大人は嫌いなんて考えない。 ちゃんと怒ってくれて、ちゃんと遊んでくれるから、ちゃんと褒めてくれるから近寄ってくる。
さらに、子どもは無垢だな、と思う。
「はい、見ましたよ。 忙しいから、別のところで遊んでください」 の声の大人にも また、接近することをする。 今度は機関銃は持っていない。
思った。 子どもは「忙しいから」という理由で突っぱねてくる大人に何度も何度もアプローチをしているんだな、って。 大人が見ると思ってしまう。 たった一度の声でも思う。 「別のところに行こう。ここでは遊べないらしい」と判断する選択をする。
わたしも気持ちは忙しくて、翼があったらおそらくは傷ついているであろう翼を休めたいと思う。 癒やしたいと思う。
そうだったな。 「おんぶして」 「だっこして」の甘えん坊の子達との関わりそれ自体が癒やしのひとときで、わたしの傷を癒してもらっているような感覚で。
一人、翼を休めたい人だってたしかにいる。 わたしだって、そう思う時だってある。 一人静かに自分自身を見つめる時間があればこそ、関わりから癒やしみたいな目に見えないメッセージや励ましを受け取ることができるんだ。
必要とされる場所にわたしは駆けつけるよ。 ゆっくり近づいていくよ。 両手を腰にあてて ゆらりゆらりと散歩をしながら。
「はい、見ましたよ。 忙しいから、別のところで遊んでください」 の声の大人にも。
ブロックで作った機関銃が 「お母さんを返せ」と伝えていたみたいで
いや
「ボクはもうこんなに成長したんだ」と伝えていたのかもしれないな
開かれた扉には人が集まっていくものだ 吸い込まれていくものだ
とても自然な法則で
今日という日に感謝
2012年05月17日(木) |
カウンセリングマインド |
わたしなりのカウンセリングマインドで、指導者の言葉を抱えた。 聴きながら半分は、「引き」の視点で頭を休めたり心地よく回転させることの練習だと言い聞かせて、その場にい続ける、そのことを頑張った。
その時のわたし自身の中での揺らぎから、わたしはやはり全体の「仕組み」の中において板挟み的な立ち位置に立っていると考察。 その板挟み的な立ち位置は、わたしの業務の内容から照らすと大いにありえることである。だからこそ、の人材ともいえる。
かつてのあれやこれやを想起せずにいられなかった。
管理職への畏れと不信感。
畏れのあった少々若き時代。
畏れの感覚を取り込み、整えることに成功したかのように思えてしまっているわたしとしては、だからこその次なるステップともいえるのだろう。
不信感というのは、深く関わるまで、または具体的にその対象を知ろうとするまでついて回るものである。よって、具体的にその対象について知ろうとする行動を起こさず、他者にいろいろと何かを聴いたからといって不信感がなくなるということはないのである。 ただ、不信感を抱く対象Aについて知る手掛かりとして、共通のBという人間のことを同じような方針で知ろうと関わる過程で、Bという人間への信頼関係構築と同時にかつて不信感を抱いていた対象Aについて理解が深まっていく、ということはありえると思われる。
一生懸命やっていると、必ず見ている人がいるものである。 その見ている人というのは、かつては自分自身(わたし自身)について不信感を抱いていた立場であるということもありえ、その一生懸命な姿から認知を修正する、考え方を修正するに至る、あらたな考え方への扉を開くことに繋がる、ということもあるのかもしれない。
一生懸命やっている時。 やっている内容がなかなか希望を見出せないようなことであっても、なかなか協力を要請できないような立場であっても、いろいろな人たちをそれでも巻き込み続けながら、適度に傷ついては癒されていくその後ろ姿からオーラを発するがごとく、関わることをやめないこと、何も言葉が出なくてもただただ、その小さき手を支え続けることを努力したい。
君たちの手を支え続けられる時間も1か月を切った。 君たちの心の中の住人にしてほしいなどと厚かましいことは言わない。 どんなに凸凹であっても、そこにはたしかなコミュニケーションがあった。
小さな声がイライラする、と言っていた君。 そして君は周りの大きな声に驚くという体験を通じて、わたしがその場から去るとき、笑顔で小さな声であいさつをしてくれたっけ。 微妙なその時間差を、わたしは点と点を線で繋いで、素敵な笑顔の君の確信の一部にしているからね。
君の願いはかならず叶うから。 わたしの我慢が実を結ぶ、その日まで。 待っててね。
2012年05月14日(月) |
早く声が戻ってきますように…… |
小学校でパート勤務をしている、わたし。 朝7時半前に学校にFAXを一枚送信。 教頭先生宛。不在の場合は教務主任宛とした内容。
本来ならば、電話で伝えてもいい内容。 でも、電話は出来ない。
今日に関しては、欠勤させてほしいことと、 明日、声が出なくても登校するつもりであること。
ーーーーーー 【風邪の記録〜声が出るまで】 5/9(水) 帰宅後、喉がザラザラしていた。 この日は、職場で大きな声を出した心当たりが大いにあった。 検温すると、37度3分。 頭痛もあったので頭痛鎮痛剤を飲んだ。 この頭痛鎮痛剤は、解熱作用もあるタイプ。
5/10(木) 頭が重く、起き上がれない状態。 検温すると、37度3分。 欠勤の連絡を電話で入れた。 市販の風邪薬を飲み、眠る。 汗をかいて体調はかなりよくなった気がした。 洗濯や家事も出来た。 しかし、検温は微熱(37度前半) 就寝前、頭痛鎮痛剤を飲んでおいた。
5/11(金) 微熱ではあったが、マスクをして出勤する。 鼻声ながらも、声は出ていた。 帰宅後、検温すると36度1分だった。 しかし、瞬く間に(?)喉が激しく痛くなっていった。 首のあたりが熱くなっていっているような感覚。 そして、声が出にくくなっていった。
5/12(土) 朝9時、かかりつけの内科を受診。 ちなみに、この内科は3年前、風邪の延長で咳が止まらないという症状が出た時からお世話になっており、咳喘息だったか気管支喘息といったような診断名を言われた。 人生で初めて「吸入」というタイプの処方を受けることになり、衝撃だった。 しかし、この薬は効果抜群で咳からの解放は幸せだった。 時期はやはり5月で、世間では花粉症や黄砂でマスク姿は珍しくはなかった。
今、「お薬手帳」をふり返ってみた。 2年前の5月は転勤で他県にいたが、やはり5月ストレスに大いに関係ある事案で通院していた。 そして、1年前つまり去年の5月は他県から再びここへ「戻って」きていた訳だけれど、わたしはかかりつけの内科を受診していた。 喉がイガイガして、「あの時とちょっと似ている……もしかしたら」という不安があって通院していたのだった。 その時、「先手を打っておくのも大切です」みたいな言葉を言われたような気がする。
話を戻す。 この日は、声は出にくかったものの、多少は発声できてはいた状態。 病院での検温は、37度3分。 血液検査で白血球の数値が一般人の2倍。 細菌感染が確定。 抗生物質他、喉の炎症を抑える薬が5日分処方される。 発熱は炎症によるものなので、処方薬によって落ち着いてくるとのこと。
昼食後から処方薬を飲み始める。 微熱ながら、夕方まで買い物に出る。 夕方、帰宅後検温すると、37度8分の数値。 あっという間に38度7分まで上昇。 夕飯を食べ、薬を飲み就寝(午後8時くらい?) 身体が熱くなったり、冷えたりを何度か繰り返しながら、5,6回ほど 汗で着替える。その度に、水分摂取を心がけた。
5/13(日) 検温36度8分〜37度2分。 声が出ない状態となる。
「風邪」「声が出ない」でネット検索すると、 結構経験者の声、「どうしたらいいのでしょう」的な質問がヒットする。 わたしだけではないということを知り、多少安心するも、 職場への申し訳なさもぬぐえない。
夫とのコミュニケーションは「コソコソ声」で実施。 夫もなぜかコソコソ声になってしまう(笑い)
就寝前に夫に「口がへの字フェイス」を披露してしまう。 「ちゃんと、声が出るようになるのかな…… 明日も声が出なかったらどうしよう…… 学校に連絡したくても声が出なかったら、FAXでもいいかな……」
「声が出なかったら、休みなさい」と、夫。
5/14(月) 検温36度4分。 平熱。 声は出ない。 しかし、頻繁に痰が上がってくるようになり、つっかえているものが少しずつ排除されている感がある。 FAXで欠勤希望を知らせる。
ーーーーー
「声が出ない風邪」経験者の日記では、上司から体調管理に関して「イヤミ」を言われたとか、「よりによってこの忙しい時期に」とか共感できることが多かった。
それまで意識せずとも当たり前のように出来ていたことが、全く出来なくなる、という状態は当事者にとっても、すごいストレスで、罪悪感、絶望感のようなものに支配される。 わたしのような臨時的パートという立場であっても、申し訳なさに取り憑かれる。 いや、期間限定にの人材だからこそとも言いたくもなる。 でも、だからといって通年勤務であればそのあたりが気楽なのかというとそうではないだろう。だからこその……と、あれやこれやと言いたくなることもあるはずである。
体調管理。 手洗いうがいは、毎日していても、免疫力というのは目に見えないものであるし、細菌そのものに関しては、無菌生活ということはほとんどありえない環境なのであって、弱くなるからこそ得られる強さだってある。 突然、襲った喘息も、持病として生涯付き合っていくのか……と思ったものだけれど、ここ3年間はコントロールできている。
そして、病気はなりたくてなれるものではない。 「今、忙しい時期じゃないし、今からちょっと、細菌感染しちゃおうかな〜♪」なんて 時期を選んで操作できるものでもない。
たまたま、今、仕事としてやっている業務が声を使うことが求められるものであるだけで、これがもしも、もくもくとパソコンにデーター入力をするとか倉庫で荷物の整理をする作業だとかいう類であれば、さほど影響は低くて済むのだろう。 まぁ、でも、立場によって、置き換えられるわけで、データー入力をするための手先、指先を負傷したり、荷物を整理するための身体の部位が損傷するといくら声が出たとしても業務への支障は大きい。
まぁ、なんといっても、欠勤は2回。 内1回は年休扱いにしていただけている状態(出勤簿を見てその対応を知った)
なるようになる。 分かっちゃいるけど、トホホである。
家事をこなしつつ、無理ない範囲で自己研修をするつもりだ。 こういう思いがけない休みの時間があったからこそ手にして読まれる本だってあるはずだから。
ーーーー 昼食後、修正と加筆を行った。 3年喘息症状は出ていないと書いていたが、違っていたことに気付いたからである。
今回は「喉がザラザラする」 のをきっかけにして、風邪へと確信されていく過程で、「咳」ではなく、「喉の痛み」が強調されていった。 3年前と1年前の受診きっかけも「喉がイガイガする」から発している。
今日休みをもらって、あらためて意識化されたことは、5月は「喉がザラザラする」という不調のサインが出る傾向にあるということである。 今回は自己判断で市販薬を飲んだり、微熱や頭痛で鎮痛剤を飲むということをやっている。 そこを自己判断ではなく、1年前のように些細なサイン(なんだか「喉がザラザラする」)であっても素直に専門家に立ち会ってもらって、不安を俎上にあげるということをやっていれば、すなわち、予防的喘息発作対策が実施されていれば、発熱や声が出ないという症状には繋がらなかったかもしれない。
しかしながら、わたしは1年前に受診していたこと(処方を受けていたこと)をまったく忘れていたので仕方がないともいえる。
5月という時期は、五月病と言われるように何かと不調が表に出てくる時期としては「ふつう」といえるのかも知れない。4月からの新しい環境適応にあたり、無理をしていないつもりが無理をしていたことに気付いたり、ホッと気を緩ませたところで、予防しようと思ったら予防できる程度の風邪の菌が入り込んでしまうというのも、ありえることなのだろう。
このようにして、自分自身のサイクル、癖を知ることができた今日という日に感謝しよう。
明日は明日の風が吹く。
ーーー 5/15(火) 通常出勤する。 心配そうに様子を尋ねてこられた職員に正直に「大丈夫ではない」ことをジェスチャーでもって表出することに成功。
時期が時期であることもあり、「ストレスで……」という解釈もあった風な空気ではあった。
かつての「私」であったら、もしかするとイラッと来ていたかも知れない。 精神的な病的に見られている「私」というこちら側の思いこみにとらわれて。
わたしは、逆に嬉しかった。 スケールを大きくとらえてくださって、「フォローしていこう」という空気を素直に感じることができた。 子ども達だって、マスク姿のわたしに戸惑うのも当たり前であって、病気だからこその(マスク姿は病人空気を強める演出となる)優しさを垣間見るチャンスに恵まれる。 この日は、午後当たりからハスキーボイス的な発声が可能となってくる。
5/16(水)
今日もマスク姿で過ごす。 ようやく、風邪を引いている人の声となる。
多少の声がれは、勲章ともいえるだろう。
養護教諭の言葉が頼もしかった。 「たまには病気にもなってみるものですよ」
そして、帰り際に管理職に、声が全く出なくなった時はもうずっと出ないんじゃないかと思ったけれど出るようになって楽になったと伝える。 管理職はハハハと笑っていた。
明日は、往復の交通機関及び給食時間準備はマスク着用とし、それ以外はマスク無しで過ごせそうな感じだ。
2012年05月11日(金) |
近視眼的視界を広げるために |
A子とB子、二人の少女について、わたしの中で点と点を強引に繋ぐためのエピソードである。 よって、フィクションである。
どうして、このように文章として書いてみようと思ったかというと、わたし自身の中での意識されていない思いを知る手がかりにしたいからである。 つまりは、少々煮詰まりそうになっている、近視眼的になっているからである。
A子とB子は姉妹ではないが、同じ歳でありながら同じ屋根の下に暮らしている。 A子には姉妹がおり、この姉妹も同じ屋根の下に暮らしている。
A子とB子は注意を引く子である。つまり、目立つ子である。 B子は自己中心的な行動が多く、思い通りにならないとかんしゃくを起こすことがあり、A子がB子の「邪魔」をすることがあると、蹴ったり叩いたり、暴言をはくことが多々ある。 それでもB子は、注意が持続することもあり、いわゆる「いい子」の時もある。 例えば「わたしは今、集中したいの。だから、静かにして」と、学習課題に真剣にとりかかることなど。 A子が出しゃばって注意を引く行動をB子よりもすると、B子はだまっちゃいない。怒りの表情でA子を注意する。そんな時、A子は、B子に「ごめんなさい。ごめんなさい。」と謝るような言葉を発する。
A子は学級では授業を妨害する傾向にあるという。 わたしが観た時もたしかにそのような行動が多く感じられた。 指導者からは、「あなたには本当に迷惑しているの!」という叱り(怒り)の台詞しか聞いたことがないような気もする。そして、A子を強引に「別の指導者」のいる教室に連れて行くのである。 今日に関しては、A子は指導者に激しく抵抗していた。つまりは、蹴ったり、体当たりして不安定な気持ちをぶつけていたのだ。
わたしは「別の指導者」の指示のもと、他の教室で学ぶ場面で、指示が通ってない様であれば近くで指示を与える、という役目がある。
「別の教室」の指導者を含めた3名が戻ってきた。 そして「別の指導者」が「A子についておいてください」とわたしに念を押した。 指導者はわたしのための椅子をA子の席の隣に準備してくれたが、A子はまったく椅子に座ろうとせず、立ち歩き、触ってはいけない引き出しを開けようとし、それを注意すると「ごめんなさい。ごめんなさい。」と言って、一度は行動を止めるがまた同じことを繰り返す。 わたしは出来る限りA子の近くで張り付こうとするが、「ちゃんとするから、あっちへ行って」などと言われてしまう。
おそらく、B子が同じ教室にいたなら起こす行動も違うだろうと思われた。
A子が中庭で鉢植えの観察学習のため外に出ることになった。 後の流れで、「自分の水やり用ペットボトル」を持ってきて鉢植えに水をやるという活動があった。 わたしはA子の近くにいたが、A子は果たして「自分の水やり用ペットボトル」を持っているものなのか疑問に思って、指導者に確認した。指導者はA子に「あなた持ってないの?持ってないなら、仕方がないから学校のジョウロで水やりをしなさい」と指示を出した。
当然のごとく、水やり加減に不器用さが出た。 「やりすぎです!」
後で知ったことだが、「自分の水やり用ペットボトル」は「別の指導者」の運営する教室に存在していたのである。
つまりは、「見通し」が持てない環境が整っていた、ということである。
そして、鉢植えに水をやるという活動は、途中から学年合同になり、同じ学年であるB子も合流となった。B子がちゃんと注意が向いていれば、B子の威圧感でA子の行動もマイナスの行動が抑えられたともいえるが、B子がA子を巧みに操作して、二人してふざける行動をすることになった。
B子、A子。 この二人がマイナスの行動を激しくとると、「わたし」は、一度に行動を修正させるような指示を出すということに自信がない。 結局は、この二人の行動を目撃していた男性管理職からの「指導」で強制的に教室に連れ戻される運びとなった。
わたしに同様の「指導」を求められるのは、正直、厳しい。
また、ある時は、室内での学年合同の時間。 B子が別室で指導を受けており、A子は指導者が持っているマイクを奪って何かを喋ってみたり、CDプレーヤーを勝手に操作するなど、かなり目立つ行動に出ていた。 その時は、学年主任の指導者から、A子に張り付くようにわたしは指示される。
そして、わたしは助言されるにいたった。
「この学校では、遠慮せずに指導をしていただいて結構ですから」と。
わたしに生徒指導的な「指導」をしていないのは、遠慮をしているからだ、という視点である。 「指導者」でなくても、子どものいる手前、大人として「指導者」であることが求められているのである。
わたしのような「引き」で見る立場である大人からしても、活動の「見通し」が見えない状況で、「指導」と言われてもなかなか腑に落ちない。
そうか、「見通し」をわたしが立てるところからすればいいのか。 ついつい生徒指導的な「指導」の重圧みたいなものに、悶々としていたが、わたしが見通すための「見通し」を関係する指導者に求めることはお互いに重圧ではないし、プラスになる要素が多い。
「見通し」の一つのツールが「週案」(時間割)である。 そういえば、A子とB子に関わる指導者からは、もらっていない。 A子もB子も、わたしがどのような動きをするかが分かれば、わたしという介助者を彼女らから活かす道を照らしてくれるかもしれない。
ここで思いだす。 A子が 「わたし、消しゴムで文字を消すのが苦手なの。だから、消してくれる?」と言い、 わたしが消すと 「ありがとう」と言ってくれた。
B子が 「あなたがA子に優しくしているのを見た時、わたしがどれほどイラッとしたか分かる?」と言ってきた時のこと。
そして、問題的な行動を、複雑な養育環境のせいにしてはならないということは分かっている。 それでも、思えばイメージ的に「複雑な養育環境だ」という勝手な枠だけを作っているに過ぎない。個人情報の詳細ではなく、どういった心理的な精神的な配慮が必要なのかをA子とB子に関わる外部からの介助者としては知っておくことは必要なことのはずである。
どういう「指導」を求めているのかではなく、どういう「配慮」が必要か。 「配慮」が分かれば、ニーズも浮き出てくるはずである。 そして、「いいところ」「賞賛」の言葉をかけることに努力し、悪いところを注意するためだけの存在ではないことをアピールすることが、わたしの活動を支える土台になっていくのだろう。
指示や指導が通るためには、コミュニケーションが成立していること、信頼関係が構築されていることが基本。
本格的にA子とB子に寄り添ったのは1週間足らずである。 自信が無いと弱音を吐くには早すぎる。 厳しく指導することだけにとらわれずに、些細なことでも褒める感覚を研ぎ澄まそう。
2012年05月10日(木) |
1日休んで半年分の安心を |
かつて、無理が無理を呼び、救急車で搬送された挙げ句、半年間休養が必要となった経験がわたしにはある。
昨晩より心身がだるく、発熱を伴う、激しい喉の痛みを発症。 いわゆる風邪の初期症状という類ではあるが、この時期の風邪は免疫力低下によるものだと考察。 思い当たる要因がある。
仕事のストレスは全ストレスの3%くらいではないかと思っている。 よって、仕事による疲労感による心身の不調ではない。 90%は、日々の休養のための空間に漂う「気」が影響していると思われる。 とくに同居人はため息をつくことが多く、この状態は本人も自覚しており、「しばらく俺はため息をつくから」と「ため息宣言」をしているので、あとはわたしの受け取り方次第ともいえるだろう。 状況を理解する、受け止めるにあたっては、少々の痛みを通過させねばならない。 その痛みを気のせいだと抑え込むと、結果として、潔く「ため息宣言」をした人間の自尊心によろしくない影響を与える可能性が大きい。
その痛みが、たまたま「風邪」しかも定番ぽい症状でもって表出したのだとすると、ここは「ため息宣言」をした彼と同様、「風邪引き宣言」を潔く表明することが重要だと考えた。
風邪を引いたからといって、休まなければならない、という枠はないが、休養は本当に生きる希望みたいなものを創出するのであなどることはできない。 また、仕事を休むということは迷惑をかけるということではあるが、二日、三日くらいはどうにでもなるものであるし、自分一人くらい一時的に不在になってもどうにでもなるということを学ぶことで楽観的な考え方を得られる。また、いかに自分の置かれている立場、仕事上での役割が影響を与えているのかといった存在価値が周囲に伝わる一つの頼もしい証拠に繋がることもあるだろう。
こういうことは誰にだってありえる。
今日は午後2時半には、体調は本調子に近い状態になっていた。 それまで、3度大量の汗をかき、着替えをした。 おかげでスッキリというわけである。 喉の痛みものど飴効果もあってか、想定内に収まりつつある。 今、職場へ来て欲しいと指示があれば出向けるくらいである。
昨日付けの日記で「その日の内に、カツカツ、ギリギリ整えられれば上等」というような事を書いた。今日の場合は、カツカツ、ギリギリに達することができなかったともいえそうである。 整えられすぎて「ゆとり」がありすぎて、本来受け止めなくてもいいエネルギーを吸収すると疲れる、なんてことも書いたが、いやはや、「ゆとり」がありすぎても足りるということにはならないということを学んだ。 「ゆとり」があれば、少々の風邪を背負いながらも現場で立ち続けることは可能であったはずだ。
「ゆとり」を持ちすぎることを畏れなくていいのだ。
2012年05月09日(水) |
イライラのエネルギー |
子どものイライラのエネルギーというのは、ピュアでするどい気がする。
大人はイライラを整える、解消する手立てをいくつか持っていて、うまくいけばその日の内に整えることに成功する。 その日の内に整えることに手こずることもありうる(大いに)
わたしの考えだけれど、その日の内に、なんとかカツカツ(ギリギリ)整えられる状況であると翌日、ぼちぼちと過ごすことに成功する。 すごい「ゆとり」があって整えられた翌日は、その「ゆとり」が各種のピュアなエネルギーを激しく吸収する役目を担うことになり、まるで自分がそのエネルギーを主体的に放出しているかのような感覚になることもある。つまり、結構な疲労感に支配されてしまうのである。 よって、その日の内に、カツカツ、ギリギリ整えられれば上等なのである。
ーーー
ある支援の現場のエピソードである。
「Aちゃんがわたしに笑ってきたからむかついた」という理由で、Aちゃんの帽子を取り上げて、Aちゃんを泣かせたという事案があった。 Aちゃんは激しく泣いた。 泣かせた子は、Aちゃんが謝ってこないと許さないと引かない。 泣かせた子は、移動するべき場所があるにも関わらず行動を移そうとしない。 Aちゃんは指導者に伴って別室へ、泣かせた子はわたしが移動するべき場所へ促す指示が与えられるもスムーズに行動に移せなかった。 泣かせた子もAちゃんのことが気になる。 理屈では、「Aちゃんだって移動するべき場所に行ってない!わたしだけ行くのはずるい!」
支援者としての仕事は、 「障がい児へのサポート」 ある集団の中に、支援対象児童生徒がいて必要に応じてサポートをする声掛けをするのである。 そのサポートは指導者の指示に基づくものである。 ではあるが、上記のエピソードAちゃんと泣かせた子は、集団から離れた場で展開されたものである。 広い括りの中では、Aちゃんも泣かせた子も支援対象児童生徒ではある。
ある場所からある場所へ、ただ、移動を促す、それだけの流れにおいても、多様な感情がぶつかり合うのである。 2人の気がかりな対象児童がいて、2人の感情がぶつかりあっており、さらに、その感情を整え、正しい行動へ促すというアプローチは相当のエネルギーと覚悟が必要になる。 時に指導者ではない立場にありながら、声を荒げてしまうこともある。
ぼちぼち、今日が終えられたことに感謝しよう。
2012年05月07日(月) |
今日の反省「引き」の視点で冷静に |
連休明け。 ふわふわしていても不思議ではない週の始まりのはずだった。 分かっていたつもりだったが、勢いに任せて、自ら騒動に巻き込まれていった実感。
連休では、休めた感があった。 心身が整えられた感があった。 だからこそ、その調子でゆったりまったりとしてもよかったんだ、ということを学んだ。
ついつい、この休めた感、心身が整えられた感に甘えて、使わなくてもよかったエネルギーを発動させてしまった。
自分自身へのいたわりの言葉。 いいんだよ、整えられっぱなしで、ゆったりの連続で。 「はーい」 「ハイハイ」と、落ち着いて流されるようなプカプカした気持ちでも。
そういや、ある子が言っていたっけ。 「外に行くの?外に出たら戻って来るのが面倒くさいじゃん?疲れるし。だからここでこのままでいいじゃん。」 そして、わたしは確かにその子の言葉を素直に信じてゆったりとした気持ちで、ただただ話に耳を傾けて聴き続けることを楽しめていたのだから。
いろいろと落ち着いてくると、落ち着かない周りの様子のことが敏感に冷静に見えてくる。 でも、だからといって、わたしが表立って関わることを頑張らなくていいのだ。
時には起爆剤になることは必要かもしれない。 それでも結果としてそういう役割をしていたんだと後から点と点を繋げられれば十分。
具体的な指示がない時は、無条件に漂い続けることを楽しんでいいんだよ。 その壁の、その窓の向こう側で何かの気配が感じられたとしても、他の誰かのアンテナの感度がち高まるチャンスに繋がっているのだと考えよう。 より多くの人たちのアンテナの感度が開発されて、やがて淘汰されていくものだ、ということを「引き」の視点で冷静に期待すること、確信することは自分自身にゆとりを与えてくれるのだ。
多くのことに敏感に関わり過ぎると、ゆとりが感じられにくくなる。 具体的な指示を与えられるような「隙」を表出することをテーマにこの一ヶ月過ごしたい。
自分自身の近くのフレーム以外のあれやこれやを穏やかに見送る感覚(センス)が試された今日。 その試しの意味が分かっただけでも今日は充実した学びに繋がったのだと確信しよう。
朝触れた言葉にあった。 「深刻になりすぎないように」
深刻な表情や考え方を表出して、巡らせることは大切なこと。 意識しておけば「深刻になりすぎないように」できるものだ、というメッセージだったのだろう。 言葉の持つ素直さ、シンプルさに関しては深刻になりすぎてもいいのかもしれない。
ーーーー ある場で、 「勉強しないのなら教室から出て行きなさい」的な言葉が指導者より発せられたという。 ありがちといえばありがちである。 近くでそのやりとりを見ていた子は、わたしにこう伝えてきた。 「Aちゃんは、先生から怒られたから帰るって言っている」 その言葉より以前にAちゃんがランドセルをかるっている姿をわたしは見ていて、何か用事があって早退するのかとわたしは思い込んでいた。 時は給食準備時間。 指導者よりAちゃんの見守りを指示されるも、ランドセルを背負っているAちゃんがまさか指導者の「勉強しないのなら教室から出て行きなさい」という言葉を律儀に受けとって、その言葉通りに不本意ながら行動を起こそうとしているとは分からなかった。 Aちゃんはスタスタと教室を出て行く。 上靴を脱ぎ捨てて、下靴を履いて校庭へ出た。 わたしは指導者にそのことを伝えると、指導者は持っていた給食食器カゴをわたしに託して、Aちゃんの後を追った。 やがて、指導者とともにAちゃんが照れくさそうに教室に戻ってきた。 黒板にはAちゃんがこれまた律儀に不本意だったろうに黒板に「先生さようなら」と書いていたのだった。
「勉強しないのなら教室から出て行きなさい」という言葉は、「怒り」のような気持ちを伝えるための台詞であり、本当に教室から出て行くこと、帰宅することをするように促す言葉ではない。 ということは、「空気」が読める人は分かるという表現。
「Aちゃんをお願いします」という指示の表現を、具体的にどうすることが求められていたのかが曖昧なまま、わたしが抱えることになった状況は深刻になりすぎてもよかったのだろう。 とはいえ、指導者に「Aちゃん、ランドセル背負っているけれど、これから帰宅するんですか?」というお尋ねの台詞がすぐに出来たのかというと、出来ない状況だった。 そこにはわたしのAちゃんに対する無条件な信頼があった。 その日は、午前中、Aちゃんに少々偏って、わたしも眉間にシワを寄せつつ言い過ぎたひとときがあった。 だけれども、無事にランドセルを戻し、楽しく給食時間を過ごせたひとときに、Aちゃんはとても笑顔だった。 ふざけて、目を二重にするという注意を引きたがるAちゃんの行動にわたしが「可愛いわね」と言うと、嬉しそうに指導者に「この顔、可愛いって〜♪」と見せつけていた。 その後もわざと顔に牛乳のしぶきを浴びせて、給食袋で拭いながらとびきりの笑顔でわたしと目を合わせてきたことや、ご飯の茶碗をほっぺたにすりつけてたくさんのご飯粒を顔につけた状態を周りの子にアピールしてとてもステキな笑顔だったこと。
Aちゃんなりに自分自身をコントロールするため、バランスを取るための試行錯誤だったのだとわたしは繋げることができた。
明日はわたし自身が笑顔で関わることを頑張りたい。
2012年05月06日(日) |
「申し訳ない」→「ありがとう」 |
オチがついて「落ち着く」。 オチがつくから「落ち着く」。 これは夫と出逢っていなければ繋げることが先送りになっていたかもしれない。 言葉だけが通過していく人生だったかもしれない。
ところで「申し訳ない」という言葉がある。 「ごめんなさい」ではなくて「申し訳ない」。 どうも、わたしはこの言葉を通過させるとき、揺らいでしまう。 いや、これまで揺らいできた、というのが正しい。
「〜してもらって申し訳ない」 「〜した」人は、その人が良かれと思って、その人の都合がいいからそういう行動をしたに過ぎないということがなかなか伝わらないからだと思う。 そこには「〜された」人にとってみれば、「〜する」ことは面倒くさかったり、実行することを考えにくいからという視点があるのだと思う。
ある人の視点では、例えば自動車を運転することは面倒くさいかも知れない。 また別の人の視点では、生活の手段として当たり前のように定着しているものかもしれない。そこには「面倒くさいことを頑張ってやっているのだ」という感覚なんてほとんど無いのだと思う。 運転することが面倒くさい人からすると、自動車で誰かに送迎してもらうと 「わざわざ自動車で送迎していただいて申し訳ない」 という思いが通過してしまうのは「ふつう」っぽいように思える。
まぁ、ここは、「申し訳ない」という表現ではなくて、「ありがとう」に変換し直すことで堅苦しい感じが掻き出されずにすむのだ、と考えてみよう。 「わざわざ自動車で送迎していただいてありがとう」
なるほど、自然な感じでオチがつく。 落ち着く。
「ありがとう」は落ち着く言葉。 落ち着かせてくれる言葉。
今日、「ありがとう」を伝えてくれた友人に感謝。
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