ふつうっぽい日記
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2011年10月25日(火) |
最近参加した二つの研修から |
一つは、月刊冊子企画のシンポジウム(参加費無料) 一つは、支援員研修(参加は任意)
内容はさておき、前者では「質疑応答」後者では「グループ討議」に共通するようなことについて今思い出せる範囲でなるべく簡潔に書いてみることにする。
「困っていること」「現場での課題」が主たる括り。 訴状のようなものは、「具体的かつ詳細」なもの。 対象と関わる中で、どのような方法や方向性でもってこの先、関わることを続ければいいのか。
「本来の」仕組みが機能していてば、「連携」されていき、「改善」されていく事案も多いように思われた。
前者のシンポジウムは、一般市民から専門家まで幅広く参加者を募っていた。 会場からの質疑では、一般市民に近い立場の私からするとシンポジストと同レベルのような専門家といえそうな立場の方の例えば「セカンドオピニオン」のようなものを求めているように映った。
後者の支援員研修では、連携を取るにあたり、支援員は担任との共通理解が重要と言われながら分かってはいるものの、「担任も多忙であり、その中で支援員の勤務時間内に話をすることは難しい状況」であることがあがり、その一つの策として、別の現場で担任と支援員との連絡ノートのようなものを活用していることが繋げられた。
支援員研修の主催者のまとめとしてこういったような事が言われた。
「本来は……という流れで、校内支援委員会で具体的な手立てが話し合われ、支援員におりていくもの。支援員が考えなくてもいいことが課題として上がっているということは、連携がまだまだ出来ていないということ……。 今回、このように支援員の声を聴けたことによって事業を進めていく立場として見えてきたこともあって有意義だった。」
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担任と支援員の連絡ノート。 平成20年度支援員事業スタート間もなく、私はこの策を自発的に思いつき即行動したが、当時は、というか当時のその現場の支援方針を総括して進める立場の考えによって、「担任と支援員の連絡ノート」は1日でストップがかかった。 今となって、別の現場でその策が、「うまくいったこと」としてあがっていることから、私の学びは深まった。 その一つとして、私の「思いつき即行動」は当時としてはマイノリティーであり反感をかうような異色であっただけで、無駄ではなかったのだと。
「組織」で方針でもって機能していく「社会」や、そのリーダーの考え方のようなものも、変容していくことへの希望。
機能が果たせていないという仕組みに対して、憤りのようなものを感じることを越えて、自分自身もその仕組みを支え、機能を果たすように声をあげることができること。 憤りの声だけを届けることに必死だった頃もあったなぁ。
「専門家」という知識、経験豊富な方であっても、試行錯誤に悶々として「揺れていること」そのこと丸ごと、そして、「考え」や「思い」が共有するような「仕組み」がまだ構築途上であること、機能が果たせているとはいえない状況であることに、安心感というか「同じように揺れる、人間であること」のような親近感のようなものを感じることができて、この場に私自身が居合わせることができたこと、ただそれだけのことに本当に感謝したい。
このように「引き」で見ると、例えば「専門家」を目ざし、精神レベルを高めて行くこと、自分自身の可能性を信じてみることも意味があるんだと思えてきた。
ああ、「私をやっている」この感じ、成長していっているように思えてくるこの感じ。 多分、「この感じ」が、私自身の「今」を頼もしく支えているのだろう。
2011年10月17日(月) |
「虫を愛でる子どもたち」 |
子どもというのは、現代という科学が進歩した環境においても、「虫」のとりこになる時期というのが平等にあるような気がする。
「街」や「都会」であっても、「ダンゴムシ」「アリ」は珍しくはないだろうと私は勝手に思うのだが。
今日、人生で初めて「アケビ」を現場で食べる機会に恵まれたのである。 外側の皮は味噌煮にしたり、肉詰めにしたりすると美味しいとのことだが、現場では中の種の周りの甘い部分だけを食べた。
結構、初めて見る「アケビ」はグロテスクだった。 指先で触ってみると、なんとも微妙な避けたい感覚。 たまたま、「クヌギ」から移動してきた「ゾウリムシ」が皮の中に入り込んでいて、「ダンゴムシ」的でもあるその存在を認めてしまって、避けたい感覚に拍車がかかっていた人たち(子どもも大人も)の気持ちは分からないでもなかった。
指導者Aさんは「虫、ダメなんです〜」と本当に嫌そうだった。
さて、私はというと、「ダメと言えばダメ」なのであるが、ここ4〜5年の経験によって、「虫を愛でる子どもたち」を信頼していさえずれば、ただただ「虫」に関わる「子ども」が頼もしくみえるばかりで「虫使い」と呼びたくもあるくらいなのである。 「虫使い」を味方にすれば「虫がいる」というのは、べつにどうってことない現実であるどころか、なんと、さすが「虫使い」、「虫」に関する知識を披露してくださるのである。 ポケットにメモ帳と鉛筆があればと後悔したこと数知れず。 まぁ、私は「子ども」と近くで関わることが幸せなのであって、「虫を愛でる子どもたち」の場合の「虫」は残念ながら、友情出演とか名脇役的役割なのである。
「虫を愛でる子どもたち」は、こういった私の姿勢は、悪くはないようで、いや、むしろ、得意になれる場に居合わせる大人として心地よいのか、「虫」を投げつけて私を困らせるという行動をする子どもには会ったことがない気がする。
何度かこの日記にも登場させた記憶のある、A君はやはり「虫を愛でる子どもたち」の一人であり、記録鷂1であり、A君の出逢いによって「虫を愛でる子どもたちを信頼していさえずれば、ただただ「虫」に関わる「子ども」が頼もしくみえる」ということを私は学ばせてもらったといえる。
A君は言った。「ボクが勉強している間、先生この虫の様子を見ていてよ(ボクの代わりに)」 「この虫」は、実に私の近くにいた。 つまりA君によって、私の腕に載せられたのだ。 私はその時、一つの線を超えたという実感があった。 A君への信頼。 A君も私の不安そうな表情に「大丈夫、コイツはケガしているから飛べない。この手の先、見て。ほら、開いたり閉じたりしているやろ?手が疲れたら、この筆箱に入れておいていいよ。でも、時々開けてやらんと息苦しくなるから、気をつけといて。」のようなアドバイスをくれたのである。
私はA君の学習支援をすることが任務であったが、A君の「虫」を支援することによって、A君は一人で学習に集中することができたのである。
こういう場合の「支援」するような時、特別な資格が必要か?と、問うと、そんなのべつにどうってことないと思えるはずである。 こういう考えや思いをこのように私が表出できるのに4〜5年かかった。 そして、その「始まり」には「特別な資格が必要か?」という問いかけを自分にしていなかったと思うが、「研修の機会は設定されないのか!(知識が欲しい!)」「私の支援はどんなものなのか?期待される支援とは何か?」と憤ったり悶々としていたので、特別な知識みたいなものが必要だと「決めつけ」ていたといえる。
「決めつけ」からの解放。
例えば、こういうようなコトなんでしょうね、「先生」。 例えば、「自己成長」とかって。
人間は、当たり前だが「機械」でも「パソコン」でもない。 よって、「自分システム」なんていう表現はヘンテコだ。 まぁ、「自分」を構成している心身、それも、喜怒哀楽のように「気持ちを感じるもの」としての機能を含んでそう呼んでみることにする。 まぁ、(「まぁ」が多いな、自分。)『「気持ちを感じるもの」としての機能』なんて、さらりと書いたけれどもこれもまたヘンテコな表現である。 「機能」なんて書けば、何やら一貫性があるような統一されたような法則があるようなそんなイメージを持ちそうになる。
人間のシステムである「自分システム」。 「機械」にもあるように、「エラー」「不具合」「癖」もありうる。 もしかすると、「機械」(「パソコン」)の「エラー」「不具合」「癖」には、「法則性」みたいなものがあるのかもしれない。だからこそ、「修復」も出来るのだろう。 まぁ、「自分システム」には、「バックアップシステム」というのを起動することはおそらく出来ない。もしかしたら、「未来」にはそういうことが出来るようになってしまうのかもしれないけれども、それはある意味残酷だ。
アニメやドラマ的な仮想物語の中で「不死身」「永遠の命」みたいなものを求め探す旅みたいなものが展開されることがある。
人間が死ななくなる、ということが起こりえてしまうのだとしたら、やはり私には残酷としか考えられない。
「かけがえのない命」の説明ができなくなるということである。
限りある命であればこそ、「人生」なのだ。
時々、「延命」という言葉に、ふと立ち止まることがある。 定められていたかもしれない「命」の寿命のようなもの、自然の流れのようなものに、逆らうということなのだろうか、と。 人が人として、「人間の尊厳を守る」という視点に立てば、「不自然」に映ってしまう。 しかし、技術の進歩の恩恵を受けがたかった「昔」だったゆえに「定め」であっただけで、「今」では当たり前のように「昔」の「定め」を突破されたことは「延命」とも意識されずに「自然」なものとして受け入れられていることもあるのだろう。
何ごとにおいても、と、括ってしまうのは「広い」様でいて、「狭い」「小さい」考えなのかも知れないけれども、「境目」(「ボーダー」)というのは時代の流れのようなものとともに、「自然」に「ズレて」いくものなのかもしれない。
時々、私自身の「自分システム」が思い当たる周りの人たちの「システム」とは真逆のような感覚に陥りそうになる。 まぁ、それぞれが「自分システム」を起動させているのであるから、「周りの人たちのシステム」と括ることからして、「ズレて」いるのであるが。
それでも、やはり、信頼できるのは「自分システム」なのである。 「あ、そういうことやったんか!勘違いしてたわ〜」といった、「後から分かったこと」は、後からでも「自分システム」にのっけて修正訂正加筆していけばOKなのだ、ということに気付けば、「自分システムに不具合はないか?」と毎時、毎秒、「チェック」する必要はないのだ。 それでも、例えば、「それはめんどくさいことだ(今の私にとっては)」という一つの傾向を知るためには、実際にやってみるかシミュレーションをすることは必須だ。
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「めんどくさい」という感覚のエピソード。 母と娘のやりとりである。
数年前に結婚して実家を出た娘。 母が娘の名前(旧姓)で銀行で定期貯金をしており、満期が間近であることが分かった。 満期後の手続は、本人(娘)でないと出来ない。 そこで、母が娘に電話をした。
母は 「…銀行で聞いたら本人しか出来ないんだって。テレホンバンキングサービスで手続ができるそうだから、あなた、忙しそうだし、○日が満期だからその△日前までに銀行に電話してくれたらいいから。テレホンバンキングサービスの暗証番号ってあなた分かっているんでしょう?」
娘は 「電話じゃなくて、直接窓口に行ってはダメなの? 電話なんて、めんどくさいんだけど!」
母は 「忙しいだろうから、電話だったら楽かなって考えるでしょう」
娘は 「忙しいとかってそういう前提って何なの? 思いこみで言われるときついんだけど!」
母は 「銀行は3時前に行かないといけないし、仕事を休んで行ってもらうのは申し訳ないし……。」
娘は 「あのねぇ……。アタシだって、分かれば休めるし、なんとでもなるもんだよ。 一応、仕事してても、主婦だっていうのは分かってもらえているんだから、そういうことだってあるもんだよ。」
母は 「お母さんも一緒に窓口に行きたいって話なのよ」
娘は 「……。だったら、次の展開としてはその日をいつにするかというのを決めることになるね。 ○日はどうなの?ちょうど夕方から研修があるからこの日は仕事を休ませてもらおうって思っていたから(都合がいいし。)」
母は 「○日だったら、ゲートボールサークルがある日だけど休めばいい話。じゃ、○日だね。今使っている印鑑と通帳忘れないでね。えっと…時間は〜」
娘は 「○日ってまだ、1週間以上先だから近くになってから時間は決めたらいいでしょう?」
母は 「あれ?そうか。 もう、今日が17日くらいの気持ちでいたから、焦っていたよ」
【備考、考察】 娘は○日に、銀行に出るついでに母とランチでも出来たらいいなぁと思っているのである。 もしかすると、母は「また、娘を(癇癪持ちの)怒らせてしまった……」と自分を責めているかもしれないけれども、娘としては素直に自分の感情を伝え、「今、これから何を決めるのか」について冷静に状況を把握し、促すということをやっている。 そして、母が娘の方針を受容したような流れで「ゲートボールを休めばいいだけの話」と協調しているところが「共感」しているとも読み取れ、娘の「!」での強い語尾に強調される勢いをうまく収めているともいえそうである。 さらに、母が「焦っていた」ということがはっきりとした言葉として表出され、意識化することに成功している点が、たしかな「家族の機能」のようなものを浮き出しているようにも映る。 この母と娘は、今後も、おそらくは、多少ぶつかり合うこともあると思われるが、「憎しみや恨み」に繋げないように努力しようという素直な気持ちを娘が母に伝えたということを後から報告として聞いた限りでは、明るい希望のようなものも持てるのではないかと娘の「自分システム」である「私」としては、期待したいところである。
「私」とは何者か。 「自分システム」とは何者か。 「娘」とは何者か。
簡単である。 真っ正面から見た視点、内側を外側から見ようとした視点、外側から見た視点の各種の呼び名に過ぎないのである。
学生時代、心理学関係の演習と教育実習の現場で、幼稚園児を対象にした子どもの行動観察をしたことがある。
大変、興味深くやり甲斐のある演習だった。 「答え」というのはなく、観察をする者としての感性のようなものが問われた様である。 幼稚園の実習先の教諭からは、「洞察力を活かして……」とコメントがあった。 とはいえ、洞察力の有無やその度合いなんてものは、主観的なものであるはずである。 たしかに、当時の私もそのようにそう受け取め、「スルー」していた。
間違っても「なるほど!私って洞察力っていうものがあるのね!知らなかった〜教えてくれて、先生、ありがとう!」なんていう気持ちはなかった。
今の精神レベルというか自己理解レベルであったらば……と、あれやこれやと想像したくなる。 行動力があったならば、教員養成系の学科から心理学系の学部なりに転学していたかもしれない。
「なにごとにも遅すぎることはない」との言葉を思い出す。 学ぶことに遅い早いはないのだ、ということにも繋がるだろう。 そして、仮に、「なるほど!私って洞察力っていうものがあるのね!知らなかった〜教えてくれて、先生、ありがとう!」なんていう気持ちでもって、行動を起こしていたとしても、「今」とは異なる具体的な経験をしていたことだろう。
したがって、歩んできた道は結果として「回り道」のように見えても、私自身が選び進んできた積み重ねであり、「時間」は平等に流れているのである。
先月だっただろうか。 学生時代の友人と語らいで、私は「私は中学の理科の先生に本当はなりたかった」と言った。 ところが、周りのあれやこれやによって「小学校」に変更したのだということも語った。
「周りのあれやこれや」は、どうも特別な状況ではなかったことと、私は今は受け入れることができている。 校内暴力等の社会問題も珍しくなかったため、支え、見守る大人としてはリスクが少ない道をアドバイスしたくなったに過ぎない、というのも今は理解できている。 私としては同次元のような事案だととらえている、例えば「遠くの国立よりも近くの私立(への私進学が助かる)」というのも気持ちは分かる。 しかしながら、「お宅は国立でいいわね。うちなんか私立だし(お金がかかって)……」という大人同士の保護者間の世間話を実際に近くで確実に自分のこととして聞かされると、「国立ならば遠い地方であれば合格の確率は無いこともないと進路指導で先生が言っていたじゃないか!」と反撃したい気持ちも素直なところであり、「時、すでに遅し」というものであり、すでに私立へ入学し、将来職業的に目指す道も照らされた現実を思えば、たかだか大人同士の会話の言葉がそうだからといって、逆ギレして退学して国立に入学し直すエネルギーなんて発動する発想はなかった。
この手の大人同士、保護者同士の独特な会話を聞き流すことはあっても直接的に関わる機会が、今の私の立場ではないということは、ある意味においては恵まれているともいえるのかもしれない。 しかし、そういった独特な場で掻き出される複雑な気持ちを通過させること、折り合いをつけていくという貴重な学びの機会は与えられないともいえる。
まぁ、同じ経験をしたとしても、学ぶ内容は人それぞれである、ということに気付けばそこにこだわり続けて日々、悩ましく過ごすことほどもったいないことはないのかもしれない。 しかし、このことも、マイナス思考であるとは限らず、「ある一つのことにこだわり続ける」と自分自身にどういう影響を与えるのかについて考える機会に恵まれるのだから、結果として「ある一つのこと」について「専門性」を高めていける道になっていることもありうる。
例えば、ある信念を持ち続けることは、当初は「怒り」といった自分自身の中に浮上したネガティブな感情がきっかけだったとしても、自分自身が癒され、結果として人に何かいい影響を与えるような働きかけに繋がっていく、ということもありうる。
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今日は少々、自分自身の中での「いつものやる気」が低迷している自覚があった。 楽しいはずの作業への集中が続かず、無気力気味だった。
しかし、私は大切なことに気付かされた。 「前の私」であれば、「何かをしないと落ち着かない。何もしないでいるという状態も、自分は何もしないということをやっているのだ、という意識を持っているのだから大丈夫!」などと、確実な不安を認めながらそれを打ち消すような守りのような考えが表に出ていたと思われた。 何もする気が起きないことへの不安はほとんど感じなかった。 上出来である。 素晴らしいことである。 今日の自分自身への演習課題の一つの「成果」だと言える。
「これが一週間とか一ヶ月とか続いたらキツイやろうなぁ」ということは想像した。 しかし、実際は、現実は、明日のことなど、また、5分後、数秒後のことだって予測不可能なのだ。「よっしゃ!動くとするか!」という気のサインをキャッチして動く、そういう日だってあるはずなのである。
現にこうやって、私は自分でパソコンを立ち上げ、自分の中にめぐってきた考えや思いを言葉を周辺機器を操って、入力しているのだ。
これでいい。
2011年10月04日(火) |
優しい風がカーテンを膨らませる |
今日は秋晴れみたいな心地よい陽気だ。 昨日、少し気になる咳が出た。 昨日の夜の時点では、「明日、病院に行こう」と思っていた。
明日である今日。 時々、咳のようなものは出るが、心当たりの風邪の余韻であるので、何思い悩むことはない。 大丈夫だ。
まぁ、過去にストレスが影響していたかもしれないような咳の連続が気になることもあったけれど、それは確実に過ぎ去った「過去」のことだ。 「過去」をお手本に「今日」を生きる必要なんてないのだから、大丈夫だ。
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なんだろうか。 やはり、秋だからだろうか。
それとも、「よくある日常」、見通しの持てる日常だという錯覚や思いこみがそうさせるのか。
涙君と仲良しな30分のひとときであった。
喜びや楽しさ、そして、悲しみと苦しみは二つでセットなんていう歌詞があったっけ。
たしかに、昨日の私は喜びに満ちあふれていた。 今日だってすがすがしい朝を迎えられた。 そうか、そのバランスを取るための涙君のお出ましという訳か。
なるほど、納得してみたくなる。
涙君を単体で収めようとするから、しんどくなるんだな。 一生懸命にその涙の理由を探そうとするわけだな。 時に過去に遡って、「あの時の私がひとりぼっちにされたからだ」「あの時泣けなかった涙が今になって出ているんだな」とか。
厳密に分かるものか。 それは、「どうして風邪を引いたの?」という答えを考えてみれば分かる。 人混みの中で受け取ったウィルスなのだろうが、そこへ行かなければ受け取らなかったのならば、さて、そこへ行ったのは誰なのか、行く予定を実行したのは誰なのか。
他ならぬ、自分なのである。
なるほど、「自分自身の中に鍵はある」。 たしかに、である。
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さきほどの涙君。 なんと、その涙を癒したのは、偶然に開いた自分の文章だった。 聞き間違いの様子を表現しており、「よく分からないが、反省はしない」みたいな言葉で締めくくっていた。 自分の聞き間違いの責任を問われても知ったこっちゃない、というようなことを伝えたかったのだろう。 なるほど、私らしい。
自分で自分を癒す。 自分の言葉で自分を癒せるということは、「エコ」である。 昨日の自分の言葉に癒しを求めるのは、難しいのかもしれないが10年以上前、俗に言う「一昔前」なんていうのは、自分の思考の浅はかさ加減が心地よい余韻を与えてくれて、まるで「セルフ温故知新」ワールドである。
そうか、なるほど。 もしかすると、余計なお世話だったのかもしれない。 何の反省か。
先日の父への手紙に、「生きるヒントを持っているか」的な問いかけをしていた。 やはり、こういった文章を受け取るというのは、「こいつ、正気か?」と首を傾げたくなるのが「ふつう」なのかもしれない。
父は日記を書いているらしい。 おそらく、時々はそれをふり返っているのだろう。 そして、「アハハ……」と時に苦笑爆笑しながら明日への希望を持てているのかも知れない。
「煩悩」さん。 やはり、あなたは意識してもぬぐえないものですなぁ。 「悪者なのか?」「いや、悪者とはいえない」と、守りに入って、味方のように取り込んでも。あなたはマイペースのままなんですなぁ。 いやはや、失礼をお許し下さいませ。 あなたは、偉い。 いやいや、だから、持ち上げても、マイペースだって。
どんなに頭の毛の色を変えても、形を変えても、「可愛いあんよが出ているよ」的に、親というのは子の背伸び具合が実のところ、笑いたくて仕方がないのかもしれない。 「ほんまは、分かっているけど、あの子のことやから、騙されたふりしといたほうがよさそうやな」的な賢さが、親にあればいいのになぁ。 だいたい、これは無理な話なのである。 なぜならば、子どもの期待通りに親は行動したり言葉を発することなんて不可能だからである。 もし、そんなことが出来たりしたら、心や思いつきそのまま盗聴されていることになってしまう。 ああ、おそろしや。
私は、多分、自分が思う以上に「変わって」はないのかもしれない。 幻聴やら自分らしくなさそうなエネルギーのようなものを借りて、突っ走ったような文章を書きなぐった不調の去年と、例えば、先日、贈った父への手紙は、どんなに頭の毛の色を変えても、形を変えても、「可愛いあんよが出ているよ」的であって、その個性のようなものが広がったとか例え話が違う話題になったに過ぎず、「こうなってしまうんやねぇ……。もう、これは、しゃーないなぁ。ワシはワシの人生、楽しむことにするし、アンタもきばりや〜人の心配せんでよろし。ほな、また〜風邪には注意しぃや〜」みたいなことを風で伝えようとしているのかもしれない。
文字や音声でもない、自然現象からメッセージを勝手に読み取る。 「幻聴」とは違う、優しい心地よいメッセージ。
「あんた、まだ生きとったんかいなぁ〜あははははは」 「ちょっと、怖いこと、言わんといてくれるかぁ〜。あんまりやで〜あはははは」
こういう、世間話みたいな空気。 こういう空気の中にいると、例えばあるところで「障害」として括られていたとしても、括られない広さがあるのかもしれないと思った。
「障害とは何か。」 もっともっと、曖昧にさせて、いろんな「あははははは」を発して「あはははははは」を受けとる人生っていうのもなんだか楽しそうやね。
楽しくなってきました、「先生」。 楽しくやっていけそうです、「先生」。 「先生」、やっぱり、貴方は偉い! これからも、見捨てんといてくださいね。 ありがとう(※関西風に)
2011年10月03日(月) |
空気が馴染んできた喜びみたいなもの |
1日1日、自分が成長する練習みたいな有意義な姿勢で過ごせている。 ボランティアの活動現場も、空気が馴染んできた喜びみたいなものを実感できていて、のほほんと「空気」になれている感がある。 「気楽に動いているんだなぁ」と、周りにも伝わっているような気もしている。
こう思えている、思うことができている感覚は何の影響なのだろう?なんて、ほっこりと考えてみよう。つらつらと、自由連想的に綴っていくことにする。
先日、「煩悩」についてふと、辞書で調べた。 「仮の実在への執着」この濃い対象ともいえるのは、養育者(両親)なのかな、と思う。 このところ、ふと、実家家族との過去の場面が迫ってくる。
近しい身内の結婚に関する行事があったことも関係あるのかもしれない。 したがって、これは儀式的なもの、取り立てて珍しいことではないのかもしれない。
こういう風に、ただこれしきのことで、何やかんやと考えることは、「昔の人」は意識しないことだっただろうな、なんてことまでも考える。
時代の流れだ、と言ってしまえば、束ねて考えてしまうことが「ふつう」のように追い詰めないといけなくなる気がしてくる。
「何事にも二面性がある」というのは、ずいぶんと前にテレビで誰かが言っていて、とても短い表現だけれども「たしかに、そうだな」と腑に落ちた。 例えばエスカレーター。 人間の動きは「静止」しているが、エスカレーターという装置は「動いて」いるのだ。
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昨日、実父に手紙を書いた。 実父に手紙を書くのはどうなのだろう。 初めてだろうか。 それも便せん15枚ほどであるので、「大作」といえる。
実は先だって、ハガキを書こうと思って書いてみたのだ。 切手まで貼って、書き綴った文章は、読み返した時、皮肉混じりの怒りや憎しみ色が濃厚だったと我ながらセンスの無さのようなものを感じて投函しなかった。
昨日の手紙はどうだったのか。 15枚にも渡り、私は何をそんなに伝えたかったのか。
「手紙」というのは、手間暇がかかっている。 Eメールもまぁ、時間的な束縛が多少あるとはいえるが、直筆の文字と共通のデジタルな字体(フォント)とではまた「味」も違うだろう。
この父への手紙の内容については、今となっては、残念ながら、なんとなくしか私の記憶に残っていない。 ただ、「感謝」の気持ちが低層にあり、書きながら私は何回か涙を自然に流すことができた。 書きながら、抱えていた想いを解き放つことに成功したのかもしれない。 それも「怒り」でもなく「憎しみ」でもなく、「感謝」の形でまとめあげることができたことは私にとっては大きな意味を持たせることができたのだと思う。
もちろん、「念のため」にコピーを取るなんてことはしていない。
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昨日の私は、とても無理をしていないといえた。 理屈っぽいが、風邪を引いている最中だった。 ちなみに一昨日の私は、ある状況で我ながら「自閉的」な行動を取っていた。
「実行機能」に課題がある、ということを自閉症の特徴として解説していた本があった。 どのタイミングでそれをするのかについて、適切に行えないというのだ。
私自身の体験よりエピソードを書く。
「風邪引いているんだから、ゆっくりしなさい」と両親に言われた。
場としては、我が家に見舞いとして両親が訪問してきたのだ。 私の調子がよければ、私の方が実家に出向いて宿泊付きで夕食と翌日の朝食を呼ばれる予定だったのだ。しかし、思いがけない発熱。37,8度であった。
母が「せっかく、準備(夕食)していたのに…。今から、見舞いがてら、××ちゃん(私の妹)からの土産を持っていくから」と電話口で伝えてきた。
実家からは自動車で30分程度であるが、その到着までの時間、私はソワソワして待つことになった。気持ちは布団に横になりたかった。しかし、そうしてしまえば、熟睡する可能性もあり、そうなるとインターホンの音や電話の音さえも気付かないかも知れない。 そういった様々な可能性が次々に頭の中に浮かんできて、落ち着かない行動になるしかない状況だった。
さて、両親が到着するや、「AMラジオを聴きたい」というような動きを見せた。 「ラジオを聴きたい」と言ってくれれば、それも、1時間前くらいに言ってもらえば、視聴の準備が焦らずとも出来たのだ。 しかし、まぁ、「行けばどうにでもなるだろう」という思考は当たり前で、あらかじめ、そういったことを伝えなければならないなんていう発想はないのが「ふつう」である。 父は「えっと…」とぶつぶつと言いながら、リモコンで何かを操作しようとしており、その姿を通して、私は彼らがFMラジオではなくAMラジオ、それも特定の周波数に合わせたいということを知ることになった。 しかしながら、私にはその調整は分からなかった。 なぜなら、我が家はFMラジオ、それもある特定の周波数しか聴く習慣がないため、調整することを知らなくても困らないのである。
おそらく、両親はもたつく私の姿を見て、思ったことだろう。 呆れたことだろう。 「こんなこともできないのか!たいしたことないやつだ。使えない。」
私はあからさまに、混乱を表出した。 両親はこう思ったことだろう。 「こんなことくらいで、パニックになることないのに……。」
結局、私は非常用電灯搭載の携帯ラジオをつけて彼らに聴かせた。 彼らは「それでいい」と言って、ひとまずは落ち着いた。
このラジオを調整する、という場面も、私としては「自閉的」に思えたのだが……。
そして、ここで私は、彼らから「風邪引いているんだから、ゆっくりしなさい」と言われてしまうのだ。 ラジオの一件で、私は落ち着かない行動をしていることもあり、そう言いたくなるのも分からないことはなかった。
しかしである。 やはり、ここでも、待ちの30分と同じように、“気持ちは布団に横になりたかった。しかし、そうしてしまえば、熟睡する可能性もあり、そうなると……”という思考が巡っていた。 訪問者はどの程度、滞在するのかについての見通しが持てなかった。 「見舞いがてら」の妹からの土産を渡して帰宅するのだろうけど、どのくらい滞在するのか。 しかも、私は「ゆっくりする」ことを言われているのだ。 私が「ゆっくりする」ことを終えた時か???
私は素直に彼らに言った。 「何をしていいか、分からない。え?今、お茶って言った?お茶が飲みたいの?」などと言って、お茶をふるまう準備をするように指示されているのかとキッチンに立ってみた。 しかし、「お茶はいいから、ゆっくりしなさい」と言われる。 「何をしていいか、分からないって……(困ったもんだ)」という、つぶやきも拾うことになった。
私が選んだ行動は、彼らの姿が見える場所(私の自室である和室)でゴロンと横になるというものだった。 それ以上、彼らからは要求のようなものがなかったので、「これでいいのか」と私はひとまず安心したのだった。
横になって20分くらいして、だろうか。 熱のことが気になり、検温してみた。 なんと37度2分まで下がっていた。 そのことを告げると、「送迎するから、夕飯だけでも食べにおいで。」と提案された。 父は「熱があっても、うち(実家)に泊まればいいじゃないか」と言ってきた。
たしかに、実家に当たり前に暮らしていれば、または、例えば大阪に暮らしていて、帰省した時に風邪を引く可能性もあるわけで、そんな時は「ふつう」に意識せずともそうするだろう。
実家との距離はJRでも20分程度であって、近いということもあって、「ふつう」の範囲での遠慮だと私の中では思っている。 そして、両親も高齢であり、風邪を移しては申し訳ないということもあるし、やはり、落ち着いて眠れるのは安定した居場所である「我が家」なのである。
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今日あたり、実家に父宛の手紙が到着しているはずである。 父の思いと私の思いは、交差するのかもしれない。 伝わる部分はほんの小さな「点」かもしれない。 しかも、その「点」について共感しあい、語り合う機会は今後、ないかもしれない。 それでも、私はいいと思っている。 そして、二度と口をきいてもらえない、相手にされないかもしれないけれど、それでも、私はいいと思っている。
「感謝」の言葉を書いたのに、「私はいいと思っている」と表現しながら、どうして私は「共感しあい、語り合う機会は今後、ないかもしれない」とか「二度と口をきいてもらえない、相手にされないかもしれない」などという、ネガティブな思考を通過しているのか。
ここに、たしかな自分自身の「揺らぎ」を見つけた。 私の「弱さ」である。 「仮の実在への執着」というやつである。
手紙に書いたある言葉を思い出した。 「自分の弱さを知っている人だから強い」
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自分の弱さを知っている人は強い。
私はちゃんと弱いところがある。 そして、それを冷静に意識化できていて受容できている。 そして、「私はそれでいいんだ」と自分自身を誘導できているのだ。
ちゃんと、自分自身を信じられている。 大丈夫、大丈夫。 おそれることはない。
自分自身を信じられていれば、大丈夫。 ちゃんと、前を向いて歩いて行けるから、自信持ってOK。
明日は明日の風が吹く。
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今日のボランティア活動で、私は「本当、助かっています」と指導者から、はっきり言ってもらえたのである。 頭の中では、あれやこれやの「弱さ」もあっただろうが、不思議と「仮の実在への執着」は意識化されなかった。それどころか、「冷静に、それも笑顔で場に存在することができている」という実感を持つことができたのである。これは、喜びだった。
私は、思った。 人との関わりのあれやこれやが好きなんやなぁ、と。
両親だって「人」である。 近しい、距離が近い関係ゆえに、いろいろと知っているゆえに、何かとよけいな思考がめぐるのも「ふつう」であるはずである。 「他人」ゆえに、ばっさりとストレートに「仮の実在への執着」なんぞ意識せず関われるだけである。
最後に「仮の実在への執着」は、「悪者」なのか? 「仮の実在」設定率ナンバー1に輝く、「濃い」両親へも、自分なりに「感謝」という形でまとめあげることができたのであるから、素直に向き合えたのであるから、「悪者」にするのはなんだか失礼なことのような気がしてきた。
愛すべき、「仮の実在」に贈ろう。 「君と好きな人が100年続きますように」
自分自身を信じられていれば、大丈夫。 ちゃんと、前を向いて歩いて行けるから、自信持ってOK。
明日は明日の風が吹く。
追伸: 昨日、夫から「これで、君も立派な関西人だ。バッタモンやけどな。」と言われた。
そして、私の居場所は「家」でもなく、「夫」のいる場所なんやなって。
えっ。 のろけやったんか〜っ。
まぁまぁ、こんな感じでぼちぼち生きてまいります。
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