ふつうっぽい日記
もくじ過去未来


2011年09月26日(月) 「煩悩」を見つめて

「煩悩」
英語では「worldly desires」と訳される様である。

国語辞書の大辞林では、「肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。」と出ていた。

「仮の実在への執着」なるほど。
これは、想像しやすい。
他者が目の前にいるときは、「仮の実在」ではないわけである。
あれやこれや目の前にいない他者に対して怒りややるせなさ、ネガティブな思考などを抱くこと、「仮の実在への執着」。

今日は時折、この「煩悩」が払ってはまとわりついてその度に、言葉にすがっていた。

どうして肯定的に考えられないのか。
どうして「執着」してしまうのか。
「執着」すること自体は、強固な集中力や好奇心にも繋がっていそうで悪いことではないはずである。であれば、そうか、何に対して「執着」しているかが問題なのか。

「仮の実在」
そういえば、私自身が「そりゃ、あんまりだぜ〜」と泣き笑いしたくなるような「仮の実在」を据えられて、複雑な思いをしたっけ。

そのエピソードを書いておくことにする。

Aさんが「Bさんからのあなた宛のお土産、今日、持ってこなかったわ。だって、あなたが荷物になって重いって怒るかと思って」と言ってきたのである。
それに対しては「なんで、そういう風に考えるの〜?そういう風に考えないでぇ〜そんなこと言うわけないじゃないの〜」と返したのだった。


今日、度々、まとわりついてきた「煩悩」
なんとすごい、この日記を書いている最中に「仮の実在」ではない「実在」する人から、電話がかかってきて、「仮の実在」とのギャップを修正することができた。
電話ゆえに、表情まで読まれる心配はないが、内心、ドキッとした。
しかし、素直に動揺するところは動揺の声を素直に発して、お互いに話題を収めることができた。

穏やかに一件落着である。
なんともタイムリーな落着の仕方。
まるごと、覚えておこう。
いや、また、何かの時に思い出されるかもしれないかな、くらいにとどめておこう。

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今日は、軽度の風邪引きでボランティアを休ませていただいた。
行こうと思えば行けないこともなかったが、「ゆとり」の幅を広げられた日になった。
施設ゆえに、急な「給食」の取り消しは不可能だっただろうが、こういう状況もありえるはずである。


2011年09月20日(火) 季節の変わり目

季節の変わり目は、「ふつう」でもなんだか調子が不安定になるものである。
なぜなら、着るべき衣類に悩でしまうことがあるからである。

衣類を選ぶ、という行為は、「ふさわしさ」という視点で、時にじっくりと吟味されるべきものともいえるのであるが、「ただ季節が変わる」たったそれだけのことで立ち止まることが求められるところにいつもの調子が不安定になるようなものを感じてしまうのだ。

何色のシャツを着たらいいか、というレベルの迷いではなくて、例えばこんな感じである。
半袖では寒そうなので長袖を着ようとは思うが、薄手の長袖にするか、半袖のTシャツに長袖のものを羽織った方がいいか、というものである。まだ、微妙に暑さが想定されると脱ぎ着しやすいものや、袖まくりができるものがいいかな、とかそういう迷いである。

まぁ、なんだか暑かった季節から寒い季節へ、なんだか寒かった季節から暑い季節への「変わり目」というのは毎年のある一定の期間に過ぎず、これまでに「変わり目」はざっと60回以上経験しているのだから、畏れるには値しないのではあるが、「ああ……。」と感慨深く立ち止まることが歳を重ねている意識が高まるほどになんとも不安定さも意識されてしまうのである。
まぁ、そういった「意識」の層のようなものが、「老い」にキラキラとした輝きみたいなものを刻んでくれるものなのかもしれない。

ここ数日、「秋のせいだ」と季節の変わり目のせいにしているが、「うじうじしている」自分を意識化していて、疲れる自覚がある。「やる気」「やらない気」(?)の波も結構激しい。
この今日の日記も、数分前まで書くつもりはなかったのである。

なぜ、言葉を書いておこうと行動を起こせたかのか。

それは、新聞の読者投稿欄の文章を読んだからである。
日記を書くことを勧めており、特に「うじうじと」いろいろ「思い悩む」人にとっては、後から読み返すと「宝」のような存在になるのではないか、といったようなメッセージだった。
「私のように」という、投稿者を含んだ言葉も使われてあり、今のこの同じ時代に生きているのだ、ということが励みに感じたのだ。

「私」が思い悩んでいるとき、多くの「私のような」人たちもちゃんと思い悩んでいるのだ。
そして、「私」が幸せな気持ちに包まれているとき、やはり、多くの「私のような」人たちもちゃんと幸せな気持ちに包まれているのだ。


「若い頃のように」であるとか「昔のように」とか、「今」との違いを比べて、へこたれそうになる。しかし、「今」は「ただ、今であること」に過ぎないのである。
「今」だって、何年か前は確実な「未来」であり、何年か後は確実な「過去」になるのだ。

「今」を、一貫した「私」であることを続けよう。
考えの形、行動の形が変わっても、変わらない部分はちゃんとあるのだ。
考えの形や行動の形が変わることは、「私」を作っている何もかも全てが変わってしまうことにはならない。

失敗したあんなことやこんなこと、悲しかったあんなことやこんなことは、「時間」によって、ちゃんと色あせ、感慨深くふり返り「あはは」とか「やだー」とか頬を染めて思い返せる楽しい時間にだってなることもあるのだ。


2011年09月16日(金) 例えば「泣く」こと

情緒とか心とか精神とか、自分の「心身」に関する事でありながらも、収まりがつかない、という状況は誰にでもあると思う。

その状況の度合いが「強」「中」なんていうのも、曖昧だけれども、本人も一番身近な誰かも「しんどい」という度合いの時は、専門家の意見を参考にするのは重要だと考える。
それを行動に繋げる、つまり、相談機関、医療機関に実際に脚を運ぶというのは、簡単な様で、その一歩には相当のエネルギーを使うのだと思う。

しかし、本人、当事者、明らかにずれている者は、そういった相談機関に「誰か」によって、連れて行かれることで救われていくのだ。

当事者に寄り添う「誰か」においても、いろんなエゴみたいな思いこみみたいなものが出てくる。


おかれた状況によっては、相談機関に相談をするという選択が浮かばずに、「呪術」的みたいな手段を選択するしかないという思考に行き着く場合もあるだろう。
今でこそ、カウンセリングや心療内科、精神療法なんていうのは珍しくはない。


昨日、キッチンに立ちながら、いきなり泣いてしまった。
前日も泣いたのだけれど、それは歌の歌詞に感動して泣いた、という自覚があった。

「病気を通過させた」経験が記憶に新しい私としては、こんな気持ちに支配されかかった。
「されかかった」と、過ぎ去ったこととして表現できたことに、私は自分に感謝をした。
どんな気持ちが流れたかというと、たとえばこんな感じであった。
「あかん。また、病気になってきている。そうか、そうだったのか。
医者は病名を言わなかったのは、実は、私はなんだかの不治の病にかかっているからなんじゃないのか。それも精神という、どうしたらいいか分からない領域。こうやって、これから先も、定期的に病気の断片を受け入れて、病院通いをすることを余儀なくされ、薬から離れられない一生を送るのだろう……。」


思えば、空腹になったらイライラする、なんていうことは「あるある」と多くの人が共感するだろう。そういうことが、「病気を通過」中は、とても特別なことに思えた。
その時、頻繁にメールのやりとりをやっていた「メル友」さんから、「あはは。誰でも空腹になったらイライラするもんですよ〜」みたいな返事があって、ただそれだけで安心したものだ。
「病気」発症前は、そういうことはしょっちゅうあったし、思い悩むことなんてなかった。

そう考えると、「病気」で思いがけないことが「リセット」されているとも言えそうだ。

たとえば、そう、昨日の「涙」。
「わーっと泣いてすっきりする」というのは「ストレス解消」の方法にもなりうることを、実感させてくれた。そのこと自体や意味は「知って」いたし「分かって」いたつもりだが、「病気」時代のことと繋げてしまわずにおれない状況になってしまったために、「え?なんで?何、この涙?病気なの?病院行けってサイン?」という「思考」になり、プチ混乱。
でも、「なんか分からないけど、泣いたら、すっきりした。ま、いっか。」という自覚がすぐに降りてくることができたのだ。
「空腹になったらイライラする」という状況を「大丈夫さぁ」と理解することに似ている。
「なんだか勝手に涙が出てきて、泣いた後、なんだかすっきりしていた。涙君、感謝。」


「空腹になったらイライラする」は、「イライラ」が「空腹」を知らせてくれている、とも取れる。「空腹」とは「食欲」が満たされていない状況。
しかし、「イライラ」するからといって、必ずしも「空腹」だからということではない。
自分を知るための視野が狭くなると、「このイライラを収めるには、空腹を満たすしかないのだ!」と思い込んでしまうというのも分かる気がしてくる。
食べまくらざるをえない、という病気もある。


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ある場所でこういう言葉を拾った。
「好きなことをやっていれば、機嫌がいいのは当たり前」


「先生」。

「あなた」は、今、機嫌がいいですか?
「好きなこと」を「先生」としてやっていますか?
「先生」という仕事は「好きなこと」に含まれていますか?
「先生」の周りにいるのは「誰」ですか?

「先生」の周りにいる「誰か」が誰もいなくなったら、その仕事は成立しますか?
「先生」の周りにいる「誰か」は、「先生」を困らせるためにそこに存在している訳ではないのですよね。
「先生」は、周りにいる「誰か」を困らせるためにそこに存在している訳でもないのですよね。
「先生」の周りにいる「誰か」の人生にとって、「あなた」である「先生」との関わりの時間はとても短いのです。

誰もが可能ならば、機嫌よく日々を過ごしたいと願っているものです。

「機嫌がいい」と分かるのは「機嫌が悪い」という状況がちゃんとあるからこそなのです。






2011年09月15日(木) 繋がったこと

もう15年くらい前の出来事と、1年くらい前の出来事が繋がった。

15年くらい前の出来事では、「わたし」は「寄り添う側」だった。
1年くらい前の出来事では、「あたし」は「寄り添われる側」だった。

両方の体験をしたことで、繋がったこと。

こうなるとああなってしまうのか……。
ああなるとこうなってしまうのか……。


15年くらい前の話。
寄り添いが必要だった「その人」は、身近な存在だった。
その人は、「わたし」の預かり知れない状況にその時なってしまった。
「わたし」は「その人」の変わり果てたような姿に、思わず、「その人」を抱きしめて、悲しみの涙を流した。
「その人」は、なんと、預かり知れない状況にあったのにも関わらず、「わたし」に「泣かないでいいのよ」と、まるで理想の母親のように、神さまのように天使のように温かい言葉をかけて、「わたし」を抱きしめ返してくれたのだった……。


1年くらい前の話。
「あたし」が「その人」の立場になり、「夫」が「わたし」の立場になった。
「あたし」は覚えている。
かつて「わたし」が「その人」にしたように、「その人」が「わたし」にしてくれたようなことと同じことを、「夫」が「あたし」にして、「あたし」が「夫」にしたのだった。

癒され、癒し返したような構図。
そこには、意図的なものはない。
故意に「その人」が病を選び、故意に「あたし」が病を選んだつもりはない。

病に倒れた「あたし」の姿を目の当たりにして、悲しみの涙を流した「夫」を、「あたし」は「泣かないでいいのよ」と、まるで天使のように抱きしめた感覚を覚えている。
我に返った「あたし」は、「あれ?どうして、あたしがよしよししているんだろうね?不思議だねぇ。あれ?どうして、あなた(夫)は泣いているの?あはははは。」と、あどけない子どものように「夫」に尋ねて笑ったことも覚えている。



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「自分を愛せない」「自分は愛されていない」という思いや気持ちは、多少なりとも人は持っているのかも知れない。

その振れ幅が思いがけず、大きくなったとき、「自分」が抜け落ちてしまうような感覚になるのかもしれない。

愛情みたいなものを注いだつもりであっても、受け入れる側の「器」に穴が空いていたり、ヒビが入っていたら、漏れてしまう。
そして、本当に愛情みたいなものと勘違いしてしまうような偽もので、ホンモノの愛情ではなかったかもしれない。
そして、たしかに濃厚な愛情だったけれどもそれは1CCくらいで、注がれる「器」の容量が3000CCくらいで、ごく微量なものとして気付かれなかっただけかもしれない。
そして、注ぐための「ひしゃく」や「計量スプーン」みたいなものが、ひび割れていたかも知れないし、さびたり、まがっていたかもしれない。



ーーー

「両親から注がれる愛情で育つ」とかいう言葉を聞くことや見ることがある。
「注がれる」なんてあると、目に見えるみたいに思えてしまうけど、実際は違う。
そして、「ほんま、ちゃんと注いでくれたんか?」なんて疑いたくもなる。

今日の私はこう考えると、しっくりきた。

「両親から器を作ってもらった」

「両親から命の容れ物を作ってもらった」

その「器」や「容れ物」に、両親からの愛情が大量に注がれることもあれば、ちょっぴりなことだってある。注がれないかもしれないこともあるかもしれない。

「器」や「容れ物」に入れる「自由度が狭い(小さい)」ときに「たくさん満たされている」と感じることもあれば、「息苦しい」と感じることもある。

自分の「器」や「容れ物」は、自分で何かを詰めていくのかもしれないし、誰かに詰めてもらっているのかもしれない。

それが確認できないところが、うまく出来ている人間の仕組みだね。



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「ひとりでいっぱい悩んだら、
次はだれかと話してみよう。」

「心を救う、が、命を救う。」

新聞(広告)に書いてあった言葉。


2011年09月14日(水) 「たしかなこと」

小田和正さんの『たしかなこと』がラジオで流れた。

キッチンで作業をしていた私は久々に泣いた。

友人が言っていた言葉を思い出す。
「泣いてしまうのは、本当に仕方がないよね」

意味もなく、心当たりもなくとつぜん涙が出ることは、慎重に。

今日の涙は、歌詞の言葉が心に届いて、日常の場面が迫ってきて、感動した涙だった。



外に出れば、空がある。
かならずある。

昨日、雲がなかった青空。
「あなた」も見ましたか。

まるで「ほら、外に出て、空を見てごらん。
雲一つない空だよ」というセリフのために用意されたような空だった。


なんだろう。
「秋」だからか。
よく、「秋はセンチメンタルになる」なんて言うし。
その心の折癖、30年以上の効果かしら。
罪だねぇ。

なーんて。

でも、そういう「秋」だからこそ、「秋」のせいにして、どっぷりと、堂々とおセンチになれるっていう見方もありますかねぇ。

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「言って下さるから、動きやすい」

この言葉を数日前に、同じような任務の方に語って、共感を得た。

一方で、「言われないと、動かない」という見方もある。
それとか、「言ってもないのに、勝手なことをやってくれる」
「何も言ってくれないから、動けない」

「連携」をとって、物事を流していくとき。
相手にどのくらいの力量があるのか、どれくらいの指示が通るのかみたいなものが試される。

新しい現場に入る時は、自己アピールもしたくなる。
ストレスは避けては通れない。

ストレスは、たとえば、何気ない自然の存在の有り難さに気づけるかみたいな簡単な答えの問題に挑ませようとするのかなぁと思った。簡単な答えなのに配点がめちゃくちゃ大きい。
たぶん、ストレスの問題は、「問題です」なんて分かりやすい問いかけはないから、気付くのが早ければ、問題も1つでしかも配点がめちゃくちゃ大きいのかもしれない。


世の中の問題は、簡単な問題の配点が多分、小さくなってる。
簡単な問題をたくさんたくさん積み重ねてやっと、50点。
100点取るためには、応用問題もたくさんたくさん積み重ねないといけないのかな。

確実な失敗や、何か分からない理由で倒れた時。
それまでにせっかく獲得したものが、何もかもなくなったとか意味がなかったように感じる。
おそらく、それは、こんなことなのかもしれない。
応用問題を解くことに必死になって、頑張って、こんなに頑張っているのに解けない自分が情けなく思う。
そして、倒れて気付く。
その応用問題の基礎って、解いたことあったっけ?
応用問題は、部分点も取れるから、ただ、それに挑戦するだけで、なんだか、かっこいいような気分になってしまう。
「応用問題やっているんだねーすごいねー私はまだ基礎問題だよー」
なんて言われちゃって、ちょっぴり、調子に乗ったりなんかしちゃってね。


もう一回、応用問題に挑む道もあり。
基礎をやり直す道もあり。



少し、下の方に、ずれたような道をゆとりもって進むっていうのもいいもんだ。

私は多分、そのずれたような道を進むのがあっているんだと思う。
そして、その道は「進まねばならない」ものでもないんだよね。

「君、この仕事、向いてないよ」って言ってくれる人がいたらその人に感謝だ。


時々思う。
頼まれて、ひとまず、やってのけてしまう自分に、これでいいのかって。
でも、頼む人だって、同じように自問自答しているんだよね。
ただ、出逢いの初めの頃は、駆け引きに流れる感情曲線みたいなものが激しいんだよね。

たとえば、「若く見られる」ことが嬉しい人もいるし、そうじゃない人もいる。
冷静になればいろいろな受け取り方や考え方があることが分かるのに、「どっちのタイプか」なんて分析してその人柄の傾向さぐって、どうやって折り合いをつけていくのかに悶々と悩んだりしてね。

コミュニケーションのバランスが取れてしまえば、どうってことなくて、意識にも上らないんだけどね。


2011年09月13日(火) 不思議な体験

今日は不思議な体験をしました。

「ストレス」が身体の中を通過(消化)したのを意識化できたような複雑な状況であり、そして、「ストレス」がたしかに正しい方向へ前向きに浮上していたのが分かったみたいな感覚。

冷静になってふり返ってみました。
引っ越してきての学校活動。

5月6月でした。
派遣先は馴染みの場所。管理職の一部は変わっていましたが、「おかえり」と言って下さる方の存在に支えられ、リハビリ復職も順調でした。

そして、この9月10月。
ただ出身校である、それだけでのほほんと選んだ派遣先。

活動内容は「経験済み」であるゆえに、活動内容そのものに対しては、たいしたストレスとして意識に上がってきませんでした。
しかし、「環境の相違による」ストレスは正しく認識されていたんですね。
残念ながらその「ストレス」みたいなものは、なんとか意識に浮上させようと努力するものも(気にしない、気にしないという抵抗する気持ち)「抑制」によって、せめぎ合いのようなものが起こり、結果として「疲労困憊」状態になります。

多くの人が新しい現場では、そこそこのやる気をもって、適応しようと頑張るものです。そして、多少なりのストレスを認識して対処しながら、やがて環境に馴染んでいくようになります。
新しく人を受け入れる側も、同じようなストレスに対峙することになります。

私にとっては久しぶりの「ストレス」とのご対面でした。
正しく心身が反応しているということであり、自分でそのことに気づけたということは重要なんですね。
「ストレスとのご対面」の最中、(つまり「どん底」)というのは、なんだかやる気が出ないし、いろいろと不安のセンサーも敏感になります。

今朝、動悸のようなワサワサした気持ちが立ち上がった自覚がありました。

今日は、担任が途中で不在になり、「頼みますよ」と言われたプレッシャーを考えると倒れそうな想像をする自分がいました。想像では、「今日気分が悪いので休ませてもらおうかな……」という超ネガティブなモードでした。

そういえば、と。
「お守り」として処方していただいていたお薬を思いだし、一錠飲みました。

そして、夫から「外をごらんよ。雲一つない青空だよ」と言われ、ベランダに出ました。本当に雲一つない晴天で、自然によって私はかなり癒されました。

その時、ふっと、頑張りすぎていたことが自覚としてあがってきて、担任の先生に「先生がいなくて(子ども達、そして私)大丈夫かなぁ」と正直に言ってみようという気持ちがあがりました。

担任の先生は10時から不在になるので、その前に、私は担任に接触を試みました。
「先生がいなくて大丈夫でしょうか……」

すると、担任の先生は「この子等がちょっと怒られるくらいで、あとはまぁなんとかなるでしょう」という楽天的な感じであり、「先生は何歳なんですか?」と担任の先生が話題を変えてこられたのです。
コミュニケーションの雰囲気がいい感じに変わっていったのです。


朝のストレスの意識化は、正直、去年の通院生活を想起させ、どんより視野も狭くなるような気配に支配されて、きつかったのですが、考え方を変えて、行動に移した(ロールプレイングを実行した)ことで望ましい精神状態に発展させることができたのです。


給食時間では支援員さんと図書事務の方を一緒に給食を取り、「今、はりきってやってきて、ど〜んと疲れが来ている時期という感じです〜」と正直に気持ちを言葉にすることができました。
担任が不在になる事への不安も正直に話題にできて、支援員さんが動いてくださり、なんとか気を張った1日を安全に終わらせることができたのでした。

帰り際に職員室に教頭がおられて、「どうでしたか?」と声をかけてくださり、「動きはありましたが、まぁ、想定内でした。」と伝えて、「お疲れ様でした」と笑顔で送り出していただけました。


帰りの道では、見知らぬ幼稚園児くらいの子から、私が何も言ってないのに「こんにちわ」と挨拶をしてくれて、私も自然に、挨拶をしたいスイッチが入って、たまたま、のんびりと歩いていた年輩の女性に「暑いですね。」と会釈をしました。
年輩の女性は穏やかに微笑んでいました。


明日は、貴重な休みであるので、まぁ、まったりと過ごす予定です。


2011年09月12日(月) ありがとう、感謝。

二つのありがとうのメモ。
そして、困憊の心を消化させるために。

その子は、少々焦り気味で課題に取り組んでいた。
「焦らなくていいです」と言いながらも、焦っていたのは寄り添う私だった。
不安は伝わる、本当だった。
流れとして冷静になれば、分かった課題。

指導者に素直にお尋ねしてもよかった。
でも、そうなってしまった原因のようなものは心当たりがある。
でも、だからといって、他者を批判することに気を取られたのは私の狭さ。

それは何も特別なことじゃない。
これまでにも何人もそういう人はいたじゃないか。
一対一になると挨拶をしない人。

それでも、私は自分に素直に挨拶をすることをただ続ければそれでいいのだ。
いろんな環境、状況ではそうならないこともあるかもしれないけれど、だからといって、傷つく必要なんてないのだ。
「あっそう。だったら、アタシも。」なんていって、同調することはしなくていい。
自分らしさをただただ続ければいいのだ。


内容がそれた。
どんなに時間がかかっても、課題を達成したあの子の嬉しそうな顔を思いだそう。
課題をやっている最中は、焦ったり、何度もやり直したりして、楽しさなんてゆとりもなかった。
当たり前である。
焦って、何度もやり直している最中に楽しさを思いっきり表出する子なんていないはずだ。
思いっきり、苦戦することに集中できていたからである。
苦戦に負けて、課題を中断したり投げ出したりギブアップすることはしなかったじゃないか。
指導者だって、誹謗中傷の声掛けなんてしてなかったじゃないか。
私のゆったりとした寄り添いにいらついてもちっともおかしくなかったのに、見守ってくれたじゃないか。
課題をやりきったとき、「楽しかったぁ〜」と言っていたじゃないか。
時間がかかっても、苦戦して達成した後に「楽しさ」を表出できた子どもの姿、忘れてはならない。

そして二つ目。
教室では自発的に関わってこなかった子。
今日はとても多く、目を合わせてきたっけ。
そして、じゃれてきた。
私は感動した。

自閉の子だった。

かつて自閉の子と関わったとき、「人間」として相手にしてもらえるまで2年かかったっけ。
それぞれなのだから、比べてはいけないことは分かっている。
でも、出会って2週目にしてその子の方から関わってきてくれたことが私は嬉しかった。

これは自分に言い聞かせてきたことじゃないか。
子どもとの人間関係を優先して、その姿から大人には分かってもらえたらいいのだ、と。

そして、長く付き合わねばならない役割じゃないのだ。
逸脱してもちっとも構わないのだ。
自分らしさを優先にすれば。

逸脱することで、人間の「器」は広がっていくものだ。
「足らない」ことを意識するためには、「器」を広げることも必要だ。

謙虚に、謙虚に。

そして、過去のことをあまり話題にしないように意識せねば。


2011年09月11日(日) ある日常と、日常から繋がること

9時半頃、図書館に行った。
10時開館であることを学んだ。

図書館のある施設ですれ違った高校生集団。
その高校の主管するセミナーを受けたことは記憶に新しかった。
さらに、私はその高校の校長先生の人間性みたいなものが大好きなのである。
近所のクリーニング屋さんのおばちゃんと校長先生の素敵さを共有したばかりである。

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道の駅で何気にすれ違った高校生くらいの女子のつけまつげとアイラインがすごかった。
すごかったと思わせたのは、つけまつげがずれていたことによるものだ。


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重い「鯛の顔」を買った。
焼いたり煮たりして食べられる。
私たちが「鯛の顔」を買う決断をしているところを近くに立っていたおじちゃんがニコニコしながら驚きながら見ていた。

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100グラム2400円というフローラル系の珈琲を試飲させていただけた。
予約販売らしい。
100グラム200円台の豆を400グラム買った。

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両親に「上手に悩んで下さい」と言った。
たとえば、Windows98の本を図書館から借りてきて、Windows7について学ぼうとしていた。
Windows7の解説書を買ってみることをアドバイスした。


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久々にクリームパスタを食べた。
夫は明太子が入ったカルボナーラ。
二人で味見しながら食べた。


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地デジ対応のテレビは、来年買おうかということでひとまず落ち着いた。
ひげそりはまだ使えるからとりあえず買い替えしないことにした。



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喫茶店で読むための本を買って、喫茶店で150頁分くらい読んだ。
「とりあえずビール」は思考停止しているとか。
まぁ、人間っていうのは、楽な方に流されてしまうものだ、っていう。

時に流され、逆らって、学んで。

「なんでやねん?」というツッコミの大切さみたいなものを学んだ。
本に「なんでやねん?」と書いていたわけではないけれど。



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CD屋のポイント3倍セールにひかれて、夫婦で20000円分くらいCDを買った。久しぶりにCDを買った気がする。
私は3枚買った。2枚は視聴して決めて、1枚はテレビでチラッと気になったことを思いだしてなんとなく買ってみた。
ちなみにポイント3倍セールは夫が購読しているメルマガからの情報で知った。


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飾れる「てぬぐい」を2枚買った。
1枚は夫へプレゼント。
柄はワイン的な洋酒ボトルのものと、猫がモチーフのもの。



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2日前に予約していた焼き肉屋へ行った。
夫の誕生日企画第○弾。
夫が軽い気持ちで購読し続けてきたメルマガのポイントがたまっていて、キムチとテールスープと、誕生日プレゼントのハーフワインボトルと引き換えをした。
まだポイントは残っていて、次回は「サムゲタン」なるものに交換予定。



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今日は、図書館と近所のショッピングセンターに買い物に行く予定。
その後は、自由タイム。


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「自由タイム」で思い出した。

ある教育現場です。

「プリントが終わったから自由タイムしていいです」と指導者が言いました。
Aちゃんは教室で縄跳びをし始めました。
すると、指導者はこう言いました。

「縄跳びは休み時間に運動場か隣の教室でしてきてください。
隣の教室でする場合は、隣の教室の先生がいいよって言ったら、いいです。」

知的障害で括られている子には、難しすぎる指示だと思うのは私だけでしょうか。
通訳をする役目にある私は、この指導者の指示を子どもに通訳しませんでした。

でも、後から思いました。
指導者を信頼して、そのままを受け止めて、子どもと一緒に隣の教室に行って、「ここで縄跳びしていいですか」と聞いてみてもよかった、と。
おそらく、指導者は後日、また同じようなことを言うだろうと思いました。



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「こんなことくらいで泣かないの」という言葉も耳に入ってきました。


こんなことくらいで泣いてしまう、純粋な命の叫び、表現。
20歳では泣かないでしょう。
明日は泣かないでしょう。

あなたが、こんなことくらいで泣かないからといって……。



「こんなことくらいで泣いた」その子の近くに私はいました。
どうして泣いたかというと、オモチャの取り合いをしていて、泣いた子は「いいよ。」と譲ったのです。
悔しかったことでしょう。
苦しかったことでしょう。
自分も遊びたいところをぐっと我慢して。
世の中ではこういうことはよく起こります。

私は、「いいよって言うのはなかなか言えることじゃないからね。
偉かったよ。人を許すっていうのは、大切なことだけど、とても難しいことだからね。」とゆっくりその子に語りかけていました。

そこへ、「どうして泣いているの!最近、泣かないと思ったら!
ちょっと来なさい!」と、指導者に言われてしまうんですね。

その子はしゃくり上げながら、「Aちゃんがね…でね…だからね…」
と指導者に語るのです。
そして、「こんなことくらいで泣かないの。」と、言われちゃうんですね。


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「僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと止まりますように
君と好きな人が百年続きますように」
(一青窈さん 『ハナミズキ』の歌詞より)


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指導者先生の「波」がちゃんと止まりますように。
指導者先生と「好きな人」が百年続きますように。


2011年09月09日(金) 学校支援員

私は「教員」として採用されたわけではないが、「学校支援員」として教育現場に関わっている。
給料、賃金はゼロである。

2ヶ月の期間限定臨時的任用職員(これも「学校支援員」に準じた任務内容)の勤務開始が11月から可能という知らせを受けて、9月、10月の空きの期間に経験を活かすような場に自分を置ければ幸せだと考え、「ボランティア」に応募したのである。

ボランティアの希望は、長期派遣が多いような傾向を感じた。
週1でもいいから年度を通して関わって欲しいという思い。

支援が必要とされる児童生徒は、変化に敏感であることが多く、せっかく人間関係、信頼関係、お互いの存在理由が共有できたところで「お別れ」となるのは、なんだか切ないようなそんな気持ち。

「変化に敏感」というのは、何も障がい児に限ったことではない。
「ふつう」として生きる人たちにとっても、新しい職場に適応していくことや、新しい人材を受け入れることは「敏感」になるものだ。

私にコーディネートされた学校は、「短期でも長期でもどちらでもOK」という希望で、2ヶ月後に予定が決まっている私のような立場としてはかなり都合がよかった。

「ボランティア」ではあるが、派遣先の教育現場では「学校支援員」という名称で名札を作ってくださり、たった2ヶ月それも毎日活動するわけでもないのに、靴箱やロッカーまでも準備してくださり、さらに、テレビ校内放送や学校だよりのようなもので存在を周知してくださる歓迎ぶり。

めちゃくちゃ、幸せなのである。

私だけ、幸せに浸っていては申し訳ない。
「幸せ」という感覚を還元するための役割、それがボランティアなのかもしれませんねぇ、「先生」。


自閉性障害の子を見守ることがひとまずのニーズとして掲げられていた。
ここで、勘違いを起こしやすい。
外部からの支援者は、ニーズの対象の人を指導することが役割ではないのだ。

現場では教育や指導の専門家が日々研究されていて、実践を重ねておられるのだ。
といっても、対象児童生徒にマンツーマンというわけにはいかないのが現状。
副担任制なんていうものがあれば、ある特定の子とその他の子達とで同じ活動をしながらもそれぞれの支援方法でこだわって学級全体を導いていけるのかもしれない。

例えば「特別支援学級」の定員は8名。通常学級は40名を超えないという基準がある。
8名に担任1名だったら通常学級のことを考えれば手厚い教育が受けられるじゃないか!と考えそうになるが、学年も特性もそれぞれ確実に違うことが分かっている8名を一人で通常学級との交流もコーディネートしながら進めていくというのは本当に大変な任務だと察する。

人手は欲しいが、その人材が非常に恐縮するほどの立場であるとか、「なんか分からないけど応募したらOKだったんで〜」という自由度の高い立場であるかによっても、探り合いのような時期を通過することになる。

ただ単純に人を付ければいい、ということでは解決しない。

外部からの支援者は、専門家の方々の動きを戸惑わせるような、自尊心を低下させるような言動や行動には十分に配慮しなくてはならない。
そして、何よりも、せっかくそれまで築いてきた、児童生徒との人間関係や児童生徒が発達してきた財産のようなものを汚すようなことはしてはならない。

そのためには、お互いの存在を尊重すること、そして児童生徒をより善く育てていくという「環境としての大人」であることの共通認識が基本だと考える。


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私が「学校支援員」として関わっている現場には、「特別支援教育支援員」という役割の方がいらっしゃる。
任務内容としては共通するところがあるが、「引き」でみると、任務をつかさどる「人間性」のようなものによって、「支援」の内容は変動するような感じである。

児童生徒と関わりながらも、連携をとる専門家との信頼関係も相互に成立していくのだ。

「この人材はどこまでできるのか」という見極めのようなことも専門家としては気になるところだと思う。
ただ、そこにいるだけで圧迫感を感じるような存在、授業参観されているような緊張をずっと持っていないといけない環境は、子どもにとってもストレスとなる。


だいたいの1日の流れとしては、2時間目と給食の時間以外は、支援学級の子達のサポートにあたる。対象児童との関わりに関しては、基本、専門家と児童との関係を支えるために周りの環境を整えることに努力している。専門家からの支援の依頼も、周りの子につくことを求めてこられる。
課題プリントの励ましや、つまずいている課題への寄り添い。
国語の教科書の漢字の仮名振り、音楽の教科書の楽譜のドレミ振り。

支援の2回目から、「2時間目の4年生への算数支援」の要請を受けることになった。
授業をする教員がいる通常学級教室が現場であり、理解度別に特別編成された算数の時間のサポート。

かつて、別の現場で「緊急措置」として授業の成立に課題を抱える学級でのサポート経験が役だった。

「寄り」で見ると、「少人数指導担当教員」との区別はつきにくいのかもしれない。
それが定期的に継続されて、学年末を迎えるなら、児童生徒にとては「副担任」と認識されても仕方がないのかもしれない。

話を戻して、算数支援。
算数支援を2回目を経験した日。
たまたま廊下ですれ違った指導者に私の支援の「感じ」はどうなのかについて尋ねてみた。
いきなりの問いかけにもかかわらず、その指導者は穏やかに対応してくださった。
授業の終わりに書くことになっている、「今日の学習の感想」に「KAZU先生と勉強ができて楽しかった」といった反応があったそうなのである。
そのことを指導者は思い出して、私に伝えてくださったのだ。

「指導者」のように分かりやすい授業をやってみたい!授業方法について研究したい!という意欲は私の中ではないこともないが、順位は下である。

例えば黒板の文字を写すのに苦労している子の存在を認めて個別にアプローチする、という「個」への関わりについてなら、いろいろと経験を積みたいし、その背後に関連する発達的原理や心理といった領域についても学びとして深めたいという気持ちが大きい。
指導者の思いを児童生徒に通約のようにかみ砕いて伝える、ということも考えるだけでワクワクする。


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「英語しか通じない子ども」が転入してくるという知らせが耳に入った。
1年生だという。
保護者は大学関係者(研究者?)という情報で、おそらく、保護者としては日本語は通じるのかなと思われた。
海外から異動してこられたばかりでもあるらしい。

想像であるが、保護者のどちらかまたは両方が日本人で、今まで海外(英語圏)で暮らしてきたので家庭でも外(学校等)でも英語でコミュニケーションを取ってきたのではないか。

日本への赴任が一時的なものなのか、それとも末永く暮らし続ける土地として移住を決意したのかは分からないけれど。


事務職や専科教員等と共に過ごす給食時間に「英語が喋れるか」についての話題が、流れた。
その時、私は「なんとなく何を言っているのかは分かるけれど、それに対してどう返したらいいのかはちょっと微妙だ」といったような発言をした。「聞いて分かるだけでもすごい!」というツッコミもあった。「私なんて洋画の字幕を見ても分からないですよ」という反応も。

まぁ、だからといって、洋画を字幕無しで見ることに関心があるかというと、順位は下である。

私の中では、言葉の発達が途上である子と関わることに似ているという感覚だ。
日本語を喋っているのは分かるけど、器質的な機能の障がいによって音声でのコミュニケーションに工夫が必要という状況にも似ている。

その時、ジェスチャーを使ったり、言い換えたり、どうにかして意思疎通をはかろうと試行錯誤をする。それが、私の「英語」の関心を支えている基盤になっているともいえる。

他者を知ろうと歩み寄ると、自分自身の存在についても認めてもらえているような気がして、多分、そこからちゃっかり「喜び」「楽しさ」「満足感」みたいなものを自分の中に取り込んでいるのだと思う。


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「先生」、楽しくなってきましたよ。

「先生」とは誰か。
これについてはまたいつか。



2011年09月03日(土) こげんあるとですなぁ

福岡の70代くらいの、おじちゃんが言いそうなセリフ。

「そっか……。こうなっちゃうのね」という表現と同じような意味。

話題を2つばかり。


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9月1日返却期限の図書館の本。
5日だと思い込んですっかり忘れていた。
ネットで延長手続をこれまで3回してきた経験があり、今回も延長するか……。
と、ログインすると赤文字で返却日が表示。

しまった!
こんな経験は初めて。

以前の私なら、すごく焦った。
どうしようどうしようどうしよう。
何て言って返せばいいだろう。
どうしようどうしようどうしよう。
閉館してからポストに入れちゃう?
でも、でも、でも。

ちょっぴり、変わった私は冷静だった。
起こってしまった現実を謙虚に受け入れる。
開き直りとも違う。
潔く、素直になればヨシ。

窓口に本を差し出しながら「すみません!2日、遅くなりました!」と素直に告白。
司書さんは穏やかに私のことなんて責めず穏やかに「はい。全て返却いただきました。」と言って下さった。「次回からは……。」という注意の言葉もなくて、穏やかさが申し訳ないくらいだった。

そのことを別のところで話題にしたら、司書経験のある方が、数日遅れたくらいで「すみません!」と言う人は「なんていい人なの♪」と思うとのこと。
返却期日は一般常識だけど、結構多くの人は返却期日をまるで気にしてないかのようなのだそう。
本の表紙が読む時に気になるからという理由で勝手に外して、そのまま返却する人もいるそうだ。
紛失してしまったり汚してしまった場合は弁償することになっているが、理解していただくのに苦労する状況もあるらしい。一方では、許容範囲の汚れなのに、何度も何度も謝罪をして新しい本を持参してくるという方もいるらしい。

うっかりであっても、期日は期日。
次にその本を手にする人のことを思えば出逢いのチャンスをうばっている。

とはいえ、謙虚に冷静に対応できた経験は私にとってはプラス。
こういうことも日常生活ではありうる。



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福祉、教育関連のコミュニティ。
「当事者」と自己紹介してあった方。
経験したものでないと分からない!
一般的な家庭でぬくぬくと育った人たちに私たちの気持ちが分かるわけがない!
といった憤りを文字にされてあり、怒りが伝わってきた。
その方の怒りの先は「先生」。
「先生」と呼んでいるのは、学校教師だけではない。
その方は「先生っていったい何か」ということを投げかけつつ、「先生」を教育する役割になるために邁進していくことを宣言されてあった。

「先生たち」
「私たち」

一括りにしてしまいたくなる。
その気持ちは分かる。

「先生」というのは、「たち」を付けなくても、ある一個人を意味しないのだけれど。

「私、学校の先生なの」と言った時、共通するようなイメージがある。
現場では、栄養士の方であっても、事務職の方であっても、小中学校では「先生」と呼ばれて区別される。


「私たちは苦しみや悲しみからしか学べない」と、以前、私にメッセージを送ってくださった方がいる。

このメッセージを見た時、このメッセージを送ってくださった立場である「私」の仲間として、メッセージを受けた「私」も含まれていることが、とても嬉しかったことを覚えている。

メッセージを受けた「私」は、メッセージを送ってくださった「私」に対して、メッセージを受けた「私」の苦しかったり悲しかったりする気持ちなんか分かる訳がない!という思いがあった。

しかし、経験する具体的な内容というものが違っても「感情」は共有できるものだ。
その「感情」、例えば「苦しみ」がどういう経験で掻き出されるか、というのは、人それぞれ。
「親と生き別れになる」「戦争を体験する」「失業する」……。

「〜たち」を構成する最小単位の「私」は、それぞれに生きてきた、経験してきた背景があり、歴史がある。

誰かを傷つけた取り返しの付かない思いが日々濃くなって、人が変わったようになることもある。
いい方向に変わることもあれば、わるい方向に変わることもある。


別の例え。
「育児支援」というものがある。
関わる人に育児経験がないと支援できないのか。
育児経験していない人は排除されるのか。

たしかに育児をした者でないと想像しがたいような気持ちはあるのだと思う。
でも、共通の経験、同じ経験であっても、気持ちは一人一人違うものだ。
だからといって、「経験のない、あなたになんか私の気持ちは分かるものか!」と怒りを伝えることだけにエネルギーを注いではお互いが分からないままだ。

そうか、なるほど。
「経験のない、あなたになんか私の気持ちは分かるものか!」と怒りを表出できた関係が構築できたとも受け取れる。
ゼロだった関係がマイナスであっても動きがあったということだ。

明日、また、「経験のない、あなたになんか私の気持ちは分かるものか!」と怒りを表出してくるかもしれない。ありえることだ。

その5秒後、1時間後、24時間ずっと「経験のない、あなたになんか私の気持ちは分かるものか!」と怒りを表出してくることはない可能性が高い。

正しい怒りの表出の仕方、収め方。


「雨降って地固まる」という諺もある。
「止まない雨はない」という言葉もある。


「明日」も「昨日」も、「今日」があればこそ。
あなた、「今日」何していますか。これから何しますか。

とりあえず、今、「あなた」をしてください。
できれば、明日も「あなた」でいてください。


2011年09月02日(金) 学校で教えてほしいことについて

昨日、美容室に行った。

私は美容師に「今日はどうされますか?」と、髪型の希望を尋ねられた時に、うまく説明できない。
でも、だからといって、そのことに支配されて思い悩み寝ることや食べる事を忘れるなんてことはない。

チャンスは何度でもあると思うからだ。
思ったより短くなったら待てば伸びる。
パーマがかかりすぎたらストレートにすることだってできる。

ま、ごくごく低確率で全ての髪が抜け落ちて伸びる可能性もとざされてしまうという状況も考えられるわけだけど、無視してもどうってことないと思うことのほうが多い。

そして、「チャンスは何度でもある」と思える理由は、そんなに期待していない、こだわっていない、そのような状況にした人(例えばカットをした美容師)に対して特別な「怒り」のような気持ちを抱かずにいられるからかな、と思う。

自分の未来の髪型への希望、期待。
特定の美容師への希望、期待。
コミュニケーションの深まり、奥行き。


ある時から、私は同じ店に行き続けることを選ぶようになった。
人によれば、クーポン雑誌などを見て、毎回一期一会的なワクワクする出会いも楽しむということをすることもあると思う。
別の場所へ行けることへの希望。
初めてのコミュニケーション(初対面)をたくさん経験できる。


「お店の人」と「お店を利用する人」という関係にあっても、その繋がりが定期的で、継続されていくと、「自分とはこういう人」ということ、例えば「プライベート」のような側面を語らずにおれなくなる、または、相手からそのような側面を取り込んで繋げてしまいたくなる、ということがあるのではないかと思われる。

一期一会的な繋がりでは、「第一印象」で完結される。
いや、次があったからこそ、「第一印象」について語れるともいえる。
「初対面の印象を変えたい」といった自分への期待や願望があるのであれば、一期一会的な場を活用して、「自分らしくない自分」をあえてさらけ出すことによって、自分のものとして受容していくことも出来ていけるのかも知れない。


これまでは、題名「学校で教えてほしいことについて」の内容の前置き。

美容師が語ってきたエピソードが感慨深く、そのエピソードにはある投げかけがあり、その投げかけに対する自分の発言からいろいろと思うところがあったので、そのあたりのことをつらつらと書く。

ちなみに前回は、その美容師Aさんの語られる言葉から、私は、「国を愛すること」、「愛国心」といったキーワードを読み取った。内容は、アジアの歴史から日本の特定の政治家に対する熱い想いやマスコミに対する憤りのようなものまで非常に奥行きがあり、教育や教師に対する期待と失望のようなものまでも含んでいた(と、私は受け取った)

この内容に関わるような領域やキーワードは、しばらく私の頭の中をグルグル回っていて、例えば新聞記事、例えば図書館や本屋の本を「たまたま」のようなきっかけで手にしたり目にしたりした時に、私が求めているわけではないのに、活字として内容を訴えてきているような感覚になった。

中途半端な、またはほとんど知識としてない理解であることが「脳」にとってはなんとも居心地が悪いというか不安定で、それを「脳」としては、どうにかしたいと考えたから、その「脳」と繋がった「私」に行動を起こすことを促したような、受け身のようでいて私自身の関心のようでいて、そのあたりはちょっと分からないのだれど。


今回は、「神社でのお参りの仕方の本を読んでみたんですよ」という切り口から始まった。
鳥居をくぐるところから「カランカランと鳴らすところ」までの手順とその意味のようなことを実演を踏まえて語ってくださったのであった。

「今までいかに適当にやってきたことを思うと、こういうことを学校で教えてくれたらいいのにって思うんですけどね。宗教とか思想とか特別に考えすぎずに、神社とか日本にはたくさんあるのに。」

私は少し沈黙してからこう言った。
「学校で子どもが教えてと先生に言ってきたら教えるんじゃないですかね……。」

そして、今、こんなことを思った。
学校は子どもが成長していくなかで、疑問に思った時や知りたいと思った時にどう行動していけばいいのかについての基本的なスキルを授けるところなのかなぁ。

そして、こうも思った。
疑問や知りたいという気持ちや思いが発動されるのには個人差がある。
8歳かもしれないし、53歳かもしれない。
そして、こうも思った。
疑問を持つこと自体、それは許されることなのかとか「私だけだろうか」という揺らぎ。
そしてその揺らぎ自体を、他者に伝えてみることについての迷いとの葛藤。

そして、こういうことを想像した。
この美容師さんが学童期の子どもだったら、「夏休みの自由研究」として「神社のお参りのしかた」みたいなのを提出するのかなぁ。

「自由研究」というのは、内面から発動された疑問に対して、今、思いつく自分のスキルでもって少し「形」として表現してみることなんじゃないかなと。

ここで思い出す。
学習面で特別な支援が必要なA君が、3年生の時の自由研究で「魚について」レポートのようなものを書いて提出していた。
それを提出した後で、A君が言った。
「来年は、○○について研究しようかな!B君は、来年の研究、何にするの?」
B君は、特別な支援が必要である対象ではない。
B君は「そんなの、分からんし」と返したのだった。
こういう、やりとりを「引き」で見聞きしていると、果たして、どちらが支援が必要なのかと分からなくなりそうになる。

人生を送っていく上で、B君のように「そんなの、分からんし」と流していくことも必要な場合もあるだろう。

「来年はこれをしたいな」という、A君の自分自身への希望、期待に私はA君の中に確実な可能性を見た気がした。

子どもの可能性を感じ取れること、感じ取る視点、そのための参考とする物や事の組み合わせは未知数。


「今、学校で教えてほしいこと」って何だろう。

「学校で教えてほしかったこと」を「今、学校で教えてほしいこと」に重ねたくなるのが「大人」なんだろうな。




2011年09月01日(木) 8月メモの整理

8月7日あたりから、気になる新聞の切り抜きをノートに貼って、何か疑問や思いがこみ上げたら言葉を書いてみる、ということをやってみている。

まぁ、継続は力なりみたいな感じで気合いを入れている訳ではないのだけど、そこが自分に優しいのか、ガッツリ毎日ではないが何かしら記事を貼り、何かしら文字にしているので、自分自身を知るためにも読み返しながら、ここに書いてみようと思う。


・学校で自殺予防教育
文科省の方針でアメリカを参考に2013年度にもモデル校を選ぶという内容。

「学校で」になってしまうのか。
「家庭」ではないのか。
「命」や「私の命」を支える基盤、発祥ともいえる家庭の倫理みたいなものから繋がることも多いと思う。
「信じる」ことや「信頼関係」が試される領域だと思った。
「学校」と「家庭」の信頼関係を繋ぐ絆の一つの役割を果たしてくれるといいな。


・障害者差別禁止
障害を理由にして障害者を不利に扱うことを禁じる条例の誕生。
「障害者が差別を受けたと感じれば、まず県が委託する相談員が話を聴いて、差別をしたとされる関係者を含めて話し合う」
「九州の他県も注目している」

障害者の感性を育てること、発言する力、表現する力。
その力を使う具体的な場を見届ける、設定する。
話を聴いてくれる人がいることを知らせ、実際に関わる体験を持つ。
コミュニケーション、双方向の理解、信頼関係が試される。
差別の事例の理解が求められる。

誰だって不利に扱われるのは不当だと感じる。
そうか、「解決策」を見いだすために「話し合い」をすること、そのことそのものが狙いなのか。
なるほど、これは注目に値しそうだ。

「…他県も注目している」
具体的に見えない主体にもかかわらず、確信している。
この表現の構造。


・本離れ 保護者で進む
「読書離れは子どもより保護者の方で進んでいることが、…調査で明らかになった。」
データは「小2」「小5」「中2」「高2」「就学前」について「読書が好き」と答えた子どもと保護者の割合がグラフで示されている。
「市教委は「若い保護者に文章への苦手意識が増しているようだ」と分析をしている。」

例えば「小2の保護者」とは何歳なのだろう。
「若い保護者」の「若い」とは何歳なのだろう。
晩婚化や高齢出産も増えていると思われるのだが、そのたりの「保護者」の年齢層に特徴はないのだろうか。


・「入院費の助成18歳まで拡大」
「子育て世代の定住化図る」

制度の利用者を想定した上なのだろうが、具体像や歴史的背景が見えない。



・「担任体罰 県を提訴」
「うつ病発症し療養」

生徒とその母親の「怒り」が、周りに「苦しみ」「悲しみ」を共感させ、正しい方向に進んでいってほしいと願う。

賠償問題として解決させていく方法も一つの手段ではある。
「精神的損害」を訴えたことによって、訴えられたことによって、その消化過程で、新たな、またはさらに深くなるような精神的な課題に繋がらないような、希望のための配慮や仕組みは考えられているのだろうか。
再発しないこと、生徒の将来を見守り、大人への信頼を回復するチームとしての仕組み。

ある出来事、思いがけず起こってしまった事件や事故。
その消化過程で精神的な課題を思いがけず抱えてしまうことはありうるのかなと思う。
課題に向き合いながら寄り添いながら、誰かや何かの支えに頼りながら、生き続けることの意味が大きく迫ってくることもあると思う。
そのことによってこそ気づけた、「絆」。
「対話」や届けられる言葉。
お互いが「存在」することへの感謝。


ーーーーー

先日、学生時代の友人と久々にさしで語り合った。
語り合えた、という表現が近いかもしれない。

たくさんのメッセージを受け、たくさんのメッセージを放った。

「お疲れ様(乾杯〜)」から「お疲れ様(じゃ、またね)」でひとまず流れる時間。
共通の時間を過ごしながら、一つ一つ発する言葉を音声にする過程ではそれぞれで過去の記憶が掘り起こされる。音声化された言葉は、ほんの一部だ。

友人との共通点の一つとしては、身内の精神的な課題に身内ゆえに寄り添った経験である。
そして、私は自分自身がたしかな「精神的な課題」を通過した立場でもあった。

「あなたは、どうなの?」との友人の言葉から、私たちは深い対話のような時間が流れることになった。

「あなたは、どうなの?」
これも短い表現に置き換えられている。
「あなた(の病気)は、(今、)どうな(っている)の?」
「精神的な課題」に寄り添った経験があるゆえに、距離感を持ちながらの問いかけ、配慮をしてくれているのだ。

「私」は「精神的な課題」を経験した、乗りこえたことによって、視界が開けたような感覚があることを友人に伝えようとして、「センサーを得たみたいな感じ」と表現した。
この言葉はその時、考えながら生まれたものであって、前から温めていたものというわけではない。だからといって、今、私が、自分の放った言葉、表現した言葉「センサーを得たみたいな感じ」を思いだし、深く自分に刻み直しているようなひとときを、友人も同じようにもっているとは限らない。

話を聴く側は、それぞれの視点、構えによって都合のいい部分や気になった部分を器用に取り込んでいく。録音しておいて、帰宅してじっくり聞き直す、なんてことは日常的にはおそらくありえない。

自分以外の他者へ語る、という活動を通して、今まで気付かなかった自分を知ることはとても多い。それも、語っている最中に意識されることもある。

実際、私が友人に語っている言葉としてこういうものがあったことを思い出す。

「○○さんは私が倒れて弱くなっている時にこういうことを言ってきてさぁ……。弱くなっている時にだよ。あっ。いや……。弱くなっているからこそ、相手も歩み寄りやすくなって開いていくのかもしれんね……。」

相手が心や精神といった領域の専門家ではないのに、人間というのは、こういった言葉を発することができるのだ。
たまたまその「友人」であったのかもしれないし、その「友人」だったからこそ語れたのかもしれないけれど、その具合みたいなものは、「今」意識されたものなので、確認することは難しい。
自分の言葉として語り、自分自身を知ることになったことへの喜びに感謝することが重要なのだろう。


ーーーー

電話やインターネットを介したコミュニケーションは、お互いの「今」の共有が難しそうでいて、テレビ電話、ライブカメラチャットで、リアルな「今」をお互いに感じられる。

携帯メールで文字を入力する時間があれば電話をすればいいのに、と思った時期もあったが、メールは相手に「今」を求めていないともいえて、配慮されたツールなのかもしれない。
実際には、リアルに「今」受信を確認したとしても、「携帯を出先に持って行くのを忘れた」という状況もありうるわけであるので、焦らなくてもいいのだ。

関係によっては、メールアドレスしか知らないという状況もありうるが、それはお互いに了承しているのであって、電話をするかもしれないということを共通理解できれば電話番号も共有されるだろう。

私は何か緊急で伝えたいことがあったら電話をするもの、と考えている。
相手が出られなくても、着信を残し続ける、ということをすると思う。
まぁ、電源が入っていないという場合もあるのだけれど。


関わり続けることをやめない。
それが「生きている時間」そのもの。
まぁ、だからといって、「ストーカー」行為のように迷惑がかかることはしない方がいい。
賢く知的に、関わり続けることを楽しみたい。


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