ふつうっぽい日記
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MマジックからKマジックへ。
いろいろと「マジック」的なことを思い出す。
パン作りが趣味の友人に「私はクリームパンが好き」ということを熱く伝えた。 クリームはどういうものが好きかということについても語った。
「ぼてぼてしたダマっぽいクリームが好き」
友人は「シュークリームのとは違って、パン生地にクリームを入れるのは難しい」と言ってきた。 固くてつややかなクリームが比較的簡単なのだという。
「とろっとしたぼてぼてしたダマっぽいクリームなんて言ったら、さぞや難しいんだろうね」と、私は伝えた。
友人はこう言った。 「KAZUマジックです。クリームパンを作りたい気持ちがこみ上げてきた!」
これは、ネットでのやりとりだった。 私はこの友人の「KAZUマジック」というネーミングに感動して泣きそうになった。
そして、これをきっかけに、私には次から次に不思議なことが起こっていった。
《思い出すことを書いておく》 ・ちょっと嫌だな…と思っていた人の存在がそれほど気にならなくなった ・あるネットサービスのブログ的な空間にニュース記事を貼り付けて「本文はほとんど読んでいないが…」という書き出しにも関わらず、同時刻のアクセスが集中した。 かつてないほどのアクセス数 ・18万カウントとかいう大学職員の方のブログに昨日気ままに書き込みをしていたのだが、返事が書かれてありかつ私にとって必要な情報のヒントが書かれてあった。 ・「キッツイと思っていたらキッツイことは数珠繋ぎで起こり、オモロイと思っていたらオモロイことばっかり起こる」という哲学をゲット ・「やってみたい!と、やってみた!!!とではまったく違います」という哲学 ・「本を読んでいたら悩みなんかどうでもよくなる」という哲学 ・母に電話をしたら、話題が激しく移り変わり、その会話の進行そのものが面白いと感じられた。 ・母が「飼い犬だったゴン太も誰かの子どもだったかも知れない」という壮大なセリフを言った ・父母に「2人の間に人間の子どもとして生まれてきてよかった。犬でもよかったかもしれない。鳥だったら逃げていたかもしれないけどね。わはははは。」というユーモア付きのメールを送れたこと ・夫のお気に入りのマグカップを割ってしまった。でも、なんだか夫が気の利いたことを言ってくれそうでワクワクした。「京都の陶器市に行ってみるか」という提案も出たくらい。 そして、夜飯は飲み会のため不要となったわけだが、その知らせの電話のやりとりが光っていたこと ・小売りの仕事の予約注文金額が想像以上 ・憧れの着物生活。「難しく考えないでグルグル巻いていくだけ!と簡単に考えていればいい。そして、とにかく着物で外に出歩くこと!」というスピリッツを旅人的ブログ散策でゲット ・妹が誕生日で、『ふゆのさくら』の詩を言葉のプレゼントで贈って満足
たしかな2月を過ごしてきた。
でも、2月に更新することには繋がらなかった。
2月はいろいろと考えることがあった。
その結果、半端だったことが繋がった。
その結果、「見えてきた」こともある。
今年の正月は、喪中だったために、年賀状は出さなかった。 しかし、何枚かは届いていた。 手紙で近況を伝える人もいた。 それらの人に、この3月、手紙を書きたいと思っている。
ネットで繋がろうと思えば繋がれる。 メールで伝えようと思えばできないこともない。
インターネット。 ケータイ。
私がケータイを持ったのは24歳くらいの頃だと思う。 自分用のパソコン、メールアドレスを持ったのは27歳の頃だと思う。
ケータイやパソコンをプライベートで使うようになって15年も経っていない。 それまでは固定電話に電話をかけたり、手紙やハガキを書いたりしていた。
インターネットは便利ではある。 クリック操作で、必要な情報と繋がる。 辞書的な情報も検索窓に入力すればたくさんの情報と出会える。 レシピも無料で入手可能だ。 「ノウハウ」や「思想」的なもの、「自己啓発」的なものとも近くなる。 「出会い」や「再会」もインターネットを通して可能になった。 公的機関もホームページを持つ時代。 ちゃんとしたホームページを運営しているのかも信頼性に繋がってきているような時代。
インストラクターになるための講座を授業料を払って受けて、やがて今度は自分がインストラクターになって授業料をいただき、インストラクターを育てていく。
クリック一つで繋がっていく商売もある。 いかにクリックさせるように誘導していくかのノウハウそのものを商売にしたビジネスもある。 そういう本も多数出ている。 そういうノウハウをもとに、自分が発信している情報へのアクセスを向上させたい人にはそういうのもニーズなのだろう。
また、クリックするだけでポイントが貯まるというサービスもある。
クリックされた数でランキングされることもある。
伝わる人には伝わる、届く人には届く、ということがあった。 退職にあたってお世話になった方々への感謝のメッセージをパソコンで編集した。 それを一言メッセージを付けてお配りした。 パソコンで作った一言メッセージ入りの年賀状を手渡しで渡していった、感じである。 一言メッセージを入れる前の作業は単調だ。 メッセージも深く関わった人と、事務的にしか関わってなかった人と様々で気持の入れ具合は違ってくる。
メッセージを渡した時に、思いがけず相手が心を開いてきて「この人、こんなに喋る人だったんだ…。もっと、早くに話しかけておくんだった…」と思えた人。 メッセージを渡した翌日に、「読みました…」と感慨深く声をかけてくださった人。 メッセージを渡した翌日に、自分宛のメッセージと送別のプレゼントをさりげなく机上に置いてくださった人。 メッセージを渡した後に、思いがけず寄せ書きをいただき「いただいたメッセージ、大切にしていきます」と書かれてあって「私はなにをメッセージとしてこの人に書いたのだろう…」と思い出せなかったこと。
伝わる人には、伝わる。 それも思いがけず、伝わる。
自分にはほどよく伝える力がたしかにあること。 うまく伝えられなかった苦い経験も「たしかな自分」。
これでいい。 もう振り返ることから頑張って学ぼうとしなくていい。
前を向いて進んでいこう!
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