ふつうっぽい日記
もくじ過去未来


2008年09月26日(金) 「待つ」「待たされる」

昨日、「待つ」「待たされる」というキーワードを間近に触れる機会があった。

教室の前のほうで何かの作業をグループ単位で行う。
それはある教科の授業。
あらかじめ必要な情報が与えられていたら、サクッと終わるものかもしれなかった。
簡単そうな行動に思えても、子どもたちはいろいろと考え、判断することが求められる。

具体的に。
白地図が黒板に提示。(学校付近)
最近家族で買い物をしたレシートを手がかりにどこで買い物をしたのか、その場所の分布の様子から学習しようという総合学習。
子どもによって、店の種類が違っていて、その種類の数のシールをもらって、名前を書いて地図に貼る。

シールに名前を書くところから、質問をする子。
「細いペンで書いたほうがいいですか?…ねぇ…ねぇねぇ!ペンはどれを使えばいいですか?!」
その声をキャッチした私は、必要な声かけ。

1班から前に出て貼る作業をする、というものではないようで、姿勢がいい班から前に出るというのらしく、注意をし合って姿勢を正して待つのだが…
前方での作業を終えた班の子たちは、具体的な指示がなかったからなのか何をしていいのか分からない状態のように見えた。そして、姿勢を正して待つことを求められているらしい子たちも、次第にダレてくる…

後方の席で、離席しがちな子を落ち着かせようとコミュニケーションをはかるために、指相撲をしたり腕相撲をした。ちょっぴり授業中にも関わらず、「遊んだ」彼は「今、何をするの?」と聞いて来た。
「気付いたことをノートに書くんだって」
「何を書いていいのかわからないんだけど」
「教科書の…この部分を参考にできるんじゃない?」
「本当だ!ボクのもそんな感じだ!だったら、こう書こうっと」

支援する立場ではあるが、実際、1時間毎に移動する学級で具体的に何をすることが求められているのか、子どもの立場でもよく分からないと思われる時もある。
今、どういう「問題」が与えられて「何を」するのか、「どう」すればいいのかが分かった上での、ヒントを与える役、何が「問題」かは分かっているけどそれから先の行動が分からないので助言する役、とにかくその時の空気や流れを読みながら子どもに声かけをすることが求められている…

一斉に同じ作業をするのではなく、そこに「待つ」という時間があるとき、何をすればいいのか見通しを与えるのは、誰の役割だろう?

--

「待たされる」について。
週2であるが、ある学級に入って班を回りながら給食を取っている。
1班から公平に回るのだが、後半の7班、8班になるとなかなか待ちわびるものがあるらしく、期待は増大。
うらやましく、他の班を見る時間が長いから仕方がないのだけど。
さて、やっと回って来たゲスト。

「…ねえ!しゃべってよ!なんでしゃべらないの?!」
純粋である。
彼にとっては、なにかしらイメージで、ゲストがしゃべくりまくり同じ班の子たちが笑い合う面白いひとときだと思ったのだろう。
「○君のおしゃべりを聞きたかったのよ!おしゃべり上手なんだってね?!」
すると、一瞬固まり、「それほどでも〜」と照れていた。
デザートの量が多いものを強く主張した割に、他のおかずを食べての満腹感で、デザートがなかなか進まなかった彼。
慌てて口にかき込んで、一部を床に落としてしまった。
「コレを拾ったら死ぬ」と言ったので、「そうか…お葬式に行ってあげるよ」と切り返し。
「来なくていい!」と叫び、私が渡したティッシュで落ちたものをちゃんと拾った。
「オレ、死んだけん」というパフォーマンスも忘れない。

少年よ、トークが下手なゲストですまなかったね(^^;)


KAZU |MAIL