ふつうっぽい日記
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2007年05月30日(水) |
ふと思い出すこと、妄想、いろいろ。 |
なんでか、ふと、思いだすことがある。
小学校の遠足で、男子を田んぼに突き落としてしまったこととか(なに?!) 2年生くらい。田んぼに落とされた少年は、落ち着きがない感じの、よく先生から注意されているタイプだった。赤いジャンバーをきていた。 私は赤い雨傘を持っていた。 田んぼに落とされた少年は、特に怒ってくる訳ではなかった。 なんか、ふざけてしゃべっていて、私が「おばさん叩き」をしたとかでたまたま横の田んぼに落ちてしまったのだった。 先生は、ふざけた罰として、「危ないから手をつないで歩きなさい」と言った。周りからはヒューヒューという冷やかしの声。 さらに、雨が降ってきて、赤い傘を挿さねばならなかった。 少年は、男ばかりの兄弟の下から2番目くらいだったように思う。 私の記憶では、実際ありえないが、彼はパンチパーマだった。 パンチパーマが似合う仕事をしているんだろうか(笑)
いろんな「先生」のこと。
「あなたたちの頃は、初めてだったから、適当しよった。本当、悪かったなぁって思っとるとよ」 小学4年生の時の担任に20歳前後に再会した時に言われた言葉。 卒業したばっかりの「バリバリ」の先生。 後に、その先生の教え子を私が一ヶ月、教育実習で関わることになった。 その教え子から聞く先生は、また、別の先生から聞くその先生は、結構スゴかった。その道を極めるために、大学院に行ったとか。 その先生も、もう40歳をとっくに超えた。 3年くらい前から、年賀状も来なくなった。
「どうか、みんな、【憂鬱(ゆううつ)】という漢字を、先生が黒板にゆっくり大きく書くからノートに書いてほしい」 みんなは、難しいー!なんじゃこりゃー!と言いながらも、結構静かにその漢字を書いたっけ。中学2年か3年の頃だ。
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私は「妄想族」だと思う。 差しさわりのない範囲の自己完結型だ。 妄想に突き動かされて、妙な行動までにはいかない程度。
例えば最近。 エレベーターから出て、部屋に行こうとした時に隣の部屋の玄関から、仔犬が飛び出してきた。 その時。 私の妄想の中では、私の開けた玄関の隙間から、とっくにその犬が部屋に侵入している。飼い主が、「ちょっと!こら!待て!」と言いながら、私に構わずに犬を追いかけて、勝手に部屋に侵入する。やっと犬をつかまえた時、私は和室の前、つまり、洗濯物を部屋干ししていたりするあたりに立っていて、飼い主と目が合う。そして、事務的に飼い主は玄関から退出する… 実際は、犬は少し私の足元をうろついて、賢そうにエレベーターの前で尻尾を振りながら飼い主が追いつくのを待っていた。
また別の場面。 「明日、仕事の行きがけに渡しに行くから。10時半くらいかな」と言われ、その日。そろそろか?と思ってはいたが、和室には、洗濯物の山(取り込んでから畳まねばならない衣類)があったり、アイロン掛けをせねばならないものが積んであったりして不細工。まぁ、母親だから、いっか!と思いつつも、何か言われたら、こう言おうああ言おう、とか頭の中で回転。 携帯が鳴った。一度鳴ったらしいが、気付かなかった。二度目にして私は出て、「出掛けてたのかい?」と言われ、「ああ。トイレに行こうかどうしようか考えていた」と、妙な台詞を言った。「じゃ、ちゃんとトイレに行ってから、今、隣の店の駐車場にいるから、取りに来てちょうだい。」と。 あっさりと、用事は済んだ。
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ペットの飼えるマンションは多分、増えたのだと思う。 でも、ペットを飼うために住んでいる訳ではない人間も多くいるはずだ。 ウチもそうだ。 一戸建ての密集地で、どこかの犬とどこかの犬が吠え合っているのは、まぁ、自然だった。番犬的なデカイ犬でも、「そういうことか」と認識したし、「あそこの家の前を通る時は犬が吠える」とかいう常識みたいなマメ知識みたいに。また、外から見える犬小屋に犬の名前の札を付けていたら、見知らぬ小学生でもその犬の名を学校帰りに呼んだりして。
マンションで飼われている犬。 まさかベランダで番犬的に放し飼いというわけではないだろうけど、タイミングによって、洗濯物を干していると、吠えられる。 はっきり言って、ちょいうるさい。朝っぱらから。 一戸建ての庭で飼われているそれと同じように、単なる犬同士の吠えあいなのかもしれないが、普通、姿が分からないので、不思議な感じだ。 といって、マンションのロビー、エントランス付近に愛犬家がタムロしていると、うへぇーと思って足早に退散したくなる。 まだ、子連れのママの集団の方がいいかな。 実は、ウチのマンションは一階にロビーがあって、ソファーがあったりする。 商談に使うのか?エレベーターを待つためか? 必要なものかは微妙な備品だが、そこにそれぞれの愛犬を抱っこして、犬談義が執り行われていることもあるようで、エレベーターから一階へ降りたときは ちょいブルーになる。 悪いのかよー! そういうのではないんだよ。うん。
ロビーのソファー。(マンションの) 愛犬家ではなく、キッズ(ガキ)がテーブルに足を載せて、タムロっていたのも見たことがある。 小学校3年生くらいか。男子ばかり6名で、先着4名がソファーに座れる訳だが、残りは近くの床に座り込む(壁に寄りかかったりすると長時間滞在が可能)何をしているか? 宿題をしているとか、何かについて論議しているとかだったら、おばちゃん嬉しいね(*おばちゃん=ワタシ、ね) じゃじゃーん!ゲーム機のDSライトをみーんな手にしていた。 色はいろいろ。 「お前がどうしろああしろ」と一応ボス的なキッズが仲間を仕切っていた。 ゲーム機の画面を通して。 赤外線対決?(言葉を知らない) ちょっと、異様な光景だった。ちょっとじゃないな、ワタシにとっては。 まぁ、たしかに、面白いよ、ゲーム機。
子供だからこそ許されるというか、絵になる遊びというのをなかなか見なくなった。カラフルなゴムを繋いで遊ぶ、ゴム飛びとかってしてるのかしら。
--- 今日は、思いつくままに何やら入力。 ひそかに読んでくださっているという方から、「更新頑張ってくださいね」とメッセージをいただいた。 この場を借りまして、ご声援ありがとうございます!
私は、写真を撮るのが好きだ。 というか、画像処理が好きだ。 処理といっても、特殊なモノではない。トリミングとか編集とかそんなんではない。
何か。
レイアウトすること。それは、高品位専用紙だったり、ちょっと厚めの写真用紙だったり、アルバムにまとめたりできるものだったり。 根底に自己満足を抱きつつ、可能ならばそれを親しい人に見て欲しいとさえ願う。 差し障りのないモノだったら、ブログにも貼付ける。
連休に、博多どんたくがあって、どんたくらしい写真を撮れたらいいなぁ!と思って、カメラ付き携帯電話とは別にデジカメも持って出た。 結果、花自動車(花バスともいう。昔は花電車と言っていた)を2枚しか撮れなかった。
10年以上前に、社会科の課題で、私は博多どんたくを取り上げた。その時に、写真を撮った。「博多どんたくは、初日の先頭の練り歩きがポイントなんですよ」と先生に言われた。 今では、どこか企業や地方やクラブ活動のアピールみたいな色が濃いが、10年前に見にいったそれは、先頭の集団。 「祭りだ…」とじぃ〜んとした。
しかし、博多の街の雰囲気が私は好きだ。どんたくシーズンは、どこか熱い。 まぁ、山笠の時もそうだが。 実家に住んでいたころ、まだ、小さい頃に、どんたくシーズンにビアガーデンに行った。 どんたく隊をビルの上から見下ろす。 ツマミの豆をうっかり床に落としたら、ハトが集まって来た。 「あぁあ〜あ〜」と言われながらも、何かしら賑やかな音もして、その時の空気、雰囲気は忘れられない。 どんたく隊の何かが見たいとかそんなんじゃなくて。
今回の見物は、どんたく特設舞台を覗いたり、ショッピングビルの中に設置されたラジオの公開スタジオを見たりしたのが中心だった。 舞台には、芸能人が来たりする。 ラジオのパーソナリティというかDJもスター的な感じ。 ポケットに入れた携帯を出したくてうずうず。 しかし、それは厳禁。 警備は厳しい。
肖像権、著作権、他法に触れる。
何も知らないおじちゃんは悪気もなくそれをしてしまう。 マナーといっても、なかなかその線引きが難しい。
「あの店に知りあいの娘さんが働いているんだ。せっかくだから、写真を撮ろうじゃないか。めったにないことだし」 そう思っておじさんは、仕事場のスナップを撮って、仕事場の隅っこに彼女を呼び出して得意げに撮影。 そうそう、後から見たら、いろいろ思い出すから、楽しいのが写真。
後日。
「今日、売り場におじさんが見えましてね…写真を撮っていかれました…ちょっと、売り場の写真は…」 「?」
そう。お店屋さんには、商品やらモデルさんの写真やらがあるわけで。 お客さんもいたりする。
「肖像権っていうんですか、そういう問題もありますから。ホームページとかには絶対に載せないでください」 「大丈夫、ホームページの技術も知識もないし」 「でも、売り場の写真は…」
おじさんは、お叱りを受け、なくなくせっかく撮った写真を削除。
旅人は、心が大きくなる。
日常からかけ離れたテーマパークや海外に行ったりすると、そこに靴屋があるだけでも、何か絵になる感じで、写真を撮りたくなる。 いかにも、見てくれ、どうよ、かっこいいだろう、並んで一緒に写真撮りたくなるだろうー!と言っている感じがする。
本当はダメだけど、目をつぶってもらっていることも多くある。
「館内でも撮影が可能です」 と、某テーマパークの某館の入り口にいたガイドさんが言った。 これは撮らねば。 某館とはナントカ美術館だか博物館だか、そういう種類。 動物園とかではない。 モノが置いてある。 しかし、そのモノは、コピーというか、そのためにつくられたモノ。模造品というか。 そのモノの集まりは実にキレイで、たしかに写真に撮ってもいいかも!と思えた。 館内で、カメラを触りながらモゾモゾしていたら、「お撮りしますよ」とガイドさん。 お言葉に甘えて撮ってもらった。 画像を確認した直後にデジカメのバッテリーは切れた。
デジタルアルバムというのも、好きだ。 スライドショー仕立てにしたものをCDとかDVDに記録して保存。 しかし、待て。 老後、思い出を振り返る時、それらは再生できるものか… 長い目で見ると、ダルい紙ベースの写真の整理も、輝く。 省スペースとの闘い。 そう思うと、新聞記事のスクラップというのは、素晴らしい。 写真の質は別としても、紙が褪せても内容は褪せない。 むしろ、味わいが増す。 新聞の写真も活字もキレイになった。 家庭でもプライベートでも新聞を!(新聞愛好家?)
私がいた証。
写真は楽しい!
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