ふつうっぽい日記
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2007年06月29日(金) まもなく半分 〜ラジオについて〜

まもなく半分。
1年の。

日々は同じ時間なのに、早く感じたり遅く感じたりするが、月末になると、ふとひと月が早く感じたりまた、1年の中でどれくらい進んだのかを振り返ったりする。
6月は、春とも言えず、夏とも言えず、じめじめ過ごす事が多くて、充実していてあっという間に一日が過ぎたというよりか、不安定な天気のせいで、また、高い湿度のせいで、体調を壊しそうでなんともダルいひとときも多いようで。


2年くらい前から、つまり、単身生活で時々、福岡にいる時は、日中はラジオを聞いていることが多い。だいたいの、パーソナリティの特徴(声)などを覚えてきて、生活の一部のようになってきているようだ。
時たま、博多弁(福岡弁、なまり)を聞くと、「ああ。福岡にいるのだ」と実感する。
それでも、やはり、7年半ほど暮らした大阪の景色は、時々思い出す。
男2人で並んで歩いているのに、なぜ、歩くのが遅い…
関西では、早いぞ…
レジでお客さんが「すみません」と言っている…
「ありがとう」っていうのに慣れていたな…

話を戻して、ラジオ。
大阪でも車を運転する時などはエフエムを聞いていた。
自宅では、ラジオのアンテナの関係で、感度が悪くて、ほとんど聞かなかった。
当たり前だけど、雰囲気が違う。
テレビの関西弁だらけとはまた違う、上品なテンポの関西弁というか、一人ボケツッコミというか、それが自然だった。リスナーからのお便りとかそういうのも、自然というか、疑問を抱かないというか、流れを止めずに進んでいくというか。
まぁ、それは、リクエストやメッセージの受信のしくみが「ちゃんと」しているから、なのかもしれないけど、やっぱり、人情があるからか。

すごく遠回しな考察。
福岡のそれは、たしかに、パーソナリティの感じは良いのだけど、リスナーからの声というのが、時に、「なんじゃ、今の?!」と感じられる。
その切り返しっていうのが、また、当たり前だけど関西ではないので、淡々としているというか、動揺が声にそのまま出ているというか。
例えば、ある電話番号が公開されて、それに繋がった人間がリクエストやクイズに参加したり一言言ったりするという企画。
今は、携帯がかなり普及しているので、車を運転しながら(もちろん駐車して!)軽い気持ちで(気軽に)掛けたりできる。それがよいこともあれば悪いこともある。
「うわー!繋がった!」という声は、正直な驚きゆえなんだとは想像できる。
でも、「ゲー!マジ?!(ブチッ←通信切断)」とか「ワハハハハハッ(ブチッ←通信切断)」とか言うこともあったり、「今、何が食べたいですか?」という問いに卑猥な単語を発したり(深夜番組ではない時間帯に)
また、「では、答えをどうぞ!」という問いに「分かりませーん(ブチッ←通信切断)」であったり。もちろん、「ちゃんと」対応する人のほうが多いのだけど。

という私は、12、3年前に、某民放ラジオにFAXで投稿したことがある。
「聞いて下さい!」だったか「旅といえば」だか、そういうお題で、卒業旅行後に作成した文集のことを不器用なイラスト付きでメッセージを書いたのだった。
ドキドキしながら、番組が進行するのを待っていた。
その時、母も自宅にいて、昼寝をしていた。
私は近くにいながらも、自分のメッセージが読まれるか読まれないかというのでドキドキしていた。
ついに!
私のメッセージは読まれた。ドキドキ絶頂!
母は爆睡!といって、起こして、聞いてよ!という度胸も無し!
一人でニタニタ…
録音してたらよかった…と後から思った(が遅い)
自分の書いたメッセージで、話題が広がったりするのは、結構嬉しかったりする。


携帯が普及したと同じくらいに、インターネットも充実してきていて、ラジオ番組のホームページがあったり、ブログがあったりする。
そして、顔写真も載っていたりする。

それは、私にとってはちょっと微妙だ。
結構、「声」からどんな顔だろうとか想像するのが楽しいわけで、たしかに、ラジオ番組のパーソナリティは「声」はよい。
いや、顔が好みだ好みではないとかではなしに。
せめて、イラストにしようよ。(笑)
いわゆる芸能人がラジオ番組を担当する、というのもあるけど、ラジオ番組に出るのは週何度かだ、という方もいるだろうし、プライベートはどうなるの?(おせっかいなおババ的?)

というかね、ここ何ヶ月か、朝から夕方まで「声」を聞いていて、心地よくその人の像を想像していて、最近、ホームページをまじまじと見てしまって、想像とは違っていて、ショックが。
早めに見ていれば、そういうことネ、と簡単に受け入れられたのかもしれない。
「見た、アナタが悪いのサ」とも言われても仕方がない事ではあるのだけど。


耳から入った情報は、意外と後から、「反芻」(笑)されることも多いので、何気ない知識教養的な言葉を聞けたりすると、その時の「声」や雰囲気とともに再び思い出されてなんだかよろしい。

テレビ番組では、もう定番なのかもしれないけど、クイズに弱い芸能人の珍解答の様子。
お笑い芸人の類いだったりすると、それもセンスの一部、演出の一部にも感じられて人間性として評価もされるのかもしれないが…
珍解答しなければ、カッコいい、カワいい、素敵なままでいられたのに…残念…ということもある。

知識が満ちあふれていて、かつ、それを嫌味ではなく、自然に配信できるような媒体としての一人間の「声」でなくても、ある知らなかった知識を知った事の素朴さとともに、正確に、その知識について公開する、みたいなそんなのがいいな。


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今日は、昼あたりにスゴい雷雨でした(><)



KAZU |MAIL