ふつうっぽい日記
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2006年10月31日(火) |
10月にちょっと、ちょっと。 |
ふつうっぽい日記、だいたい月一回くらいだったよなぁとなにげにログを見たら、9月で終わっていた。あぶない、あぶない。明日から11月だ。
さて、この一ヶ月間は、いろいろあった。 思い出した順にメモしておこう。
記憶に新しいことから。 昨日の事。午後3時半前くらいに、車のクラクションが聞こえてきた。 とても長い。しかし、長い。ちょっと長過ぎる。かなり、長過ぎる。いや、明らかにおかしい。 30分くらい経過して、時々、周りの様子をマンションのベランダから観察する。 だいたいのエリアは判明。 自転車から降りて、立ち止まる人、警察官みたいな人。 なんだなんだ?事件か?! にしては、パトカーなんぞは集まってこない。 1時間くらい経ってから(鳴り続けていた中)同じマンションの奥さんにメールしてみた。 すると、「車の盗難防止装置が働いたらしいよ。持ち主が帰宅するまで鳴り続けるのかも」と返事だった。ちょっと、こりゃ、参ります。防犯といえども、ね。
そして、10月は、別居解消への準備スタート。 いろいろ考えて、持ち家は売却することになった。 とはいえ、肝心の売り主は、在宅してない状態で、私ができる限りの対応はすることとなった。 売却活動は、不動産屋にひとまず任せることにした。不動産屋や自分で「プロ」と言っていた。 その言葉忘れるなよ?! その不動産屋は、地元に詳しい人間とかで、物件的にも我らの部屋の立地をそれなりに評価している。「私のお客さんもこちらの物件に関心を寄せている方がいるので」というのを信じて。 まぁ、いろんな形で、数組見学に来た。 他業者とその客というパターンもあった。(なんだそりゃ?) 活動を進めてほしい私等としては、「今日、○時から1組見学に来られます」と連絡があれば、それなりの整頓をして、見学者を迎えるのだ。お茶を出したりはせず、物件の説明なんぞは「プロ」が勝手に進める。売り主の関係者としては、見学者に差し障りがない場所で、くつろぐことを求められる。といっても、正直どうすりゃいいの?の連続で、煎餅かじって、テレビを見るというわけにはいくまい?! 時々、「プロ」を通して物件の住居人(私)に質問もある。 例えば、「お隣はどういった方が住んでありますか?ちなみに上と下の方というのは?」みたいな感じ。そのあたりを「プロ」から説明をするのは、ちょっと嫌らしく見えるという理由で。 たしかに、そりゃそうだわね。
ある見学者が買い主に決定しそうな場面もあったのだが、結果、その同居人の1名の頑固な意見により決断されることは見送られた。ま、絶望的観測、悲観的観測に慣れている私にとっては、厳しいだろうな、というのは想定内だった。でも、分かってはいても、売り主(つまり夫)に「プロ」からの報告事項を伝える役目としては、つらいところがあり、その晩はとんでもないくらいに涙が出た。そして、「今の状況では私どもからのアプローチはできかねます」なんぞという台詞も聞かされ、早々に見捨てられたか?!と裏切られた気分にもなった。 が、その2日後くらいに、「プロ」は新たな見学者を準備してきた。 夫に言わせると、「冷やかしか?」と言っていた。まぁ、疑ったらキリがない。 見学者といって、「プロ」の友達夫婦がやってきている、とか。 信じるしかない。 そして、買い主になるであろう人間以外にも例えば、同じ住宅の住人だったりする人間などにとっても、私らの部屋の売却は大きな関心事だ。 私の仕事との取引先も近所にいて、告知はした。売却が進めば、夫の元へ行くということを。 「寂しくなりますね…。でも、売却が決まってから引っ越しなら、個人的には長引くのは大歓迎です」と声を揃えて言ってくれる。
はたして、私が同じように告白されたら、そのように温かい言葉をかけられるだろうか?
たしかに、微妙なひとときを一人過ごす時間に悶々とはするければ、ふとしたときに、そういう人間の温かさのようなものも感じる。
別のある人からの言葉。「次のアクションがちゃんと決まっているんだから、よかったよね。大変かもしれないけど、ちゃん進む方向が分かっているんだから。その決断はよかったと思うよ。ささやかだけど、引っ越しが決まったら送別会みたいなのをしたいと思っているから、早めに知らせてね」
売却の依頼手続きをした翌週末から私は1週間ほど留守にして、福岡に行った。 実母が眼科の手術と入院をしたためで、ほぼ毎日私は病院に通った。 実家からは少し遠いが、夫のアパートからは自転車で10分足らずの場所にあって、歩いても30分くらいだった。(自転車で行ったのは1度っきり!) 手術の前日の午後に病院に入り、「明日は朝9時には来てね」と言われたものの、私は道に迷い、結局父に車で途中まで迎えにきてもらった。 前日は、父の車で一緒に行ったので、なんとなくしか場所を把握してなかったのだ。 簡単に考えていた。 後から地図を見ると、とんでもなく、違う方向にえんえんと歩いていたのだった… 手術の日は9時15分くらいに着いただろうか。 すでに、病室には母はおらず、同室の方から「もう行かれましたよ。エレベーターを降りて右に出て家族待合室で待てばいいですよ」と言われ、父と私はダッシュ! 待合室には、母がリラックスチェアーに横になり、点滴を打たれていた。 もうそれでもヘナヘナだった。本人が一番、ヘナヘナなのに。 ややあって、看護士が「行きましょうね」と母を歩かせて連れて行った。 1時間くらいで終わると聞いていたので、私は本を読み始めた。同時に、待合室の電源で携帯電話の充電も始めた。 父は、落ち着きなくしていたが、「郵便局に行ってくる!」と退場した。1時間だから、それまでに帰ってきてよ!と伝えたが…
なんと手術は20分そこらで終わった。 待合室には私しかいない。 「無事に終わりましたので、一緒に病室までエレベーターで行きましょうか」と手術の助手のような人が声をかけてくれた。慌てて、本を閉じて、携帯も鞄に入れて、エレベータのあたりに行く。 と、母はなんとストレッチャーに載せられ点滴を打たれていた。 予想では、手術が終わって病室に行く時は車椅子に乗って移動だった。 ので、そりゃ、動揺したのなんのって。 酸素吸入器みたいなのをしていたらもう、かなりヘナヘナしたと思うが。 しかし、仮面ライダーのような鉄の眼帯は、たしかに手術をしたんだ…という証拠だった。 仮面ライダー姿(笑)は、前日の病室入りから、多数見かけていたので、私は慣れていたけど。 しかし、父よ、ちょっと再登場は遅かった。 ストレッチャーで運ばれて来た姿は見てないのだから。 術後は、30分ほど安静にということで、そのひとときに、父は帰って来た。 その日は、夜7時近くまで、病院にいた。 父は相変わらず、「ちょっと電話してくる」「ちょっとお客さんに会ってくる」といって、落ち着きがなかった。夕方、もう電気を付け始めてもいいだろう、という時間に父が病室に入って来て、同室の方が「電気付けてもいいですよ、あれだったら」と言ってきたので「いえいえ。お父さんがおるけん、いいね!」と言ってやった私だ。もちろん、父の頭を見ながら。周りがどっと笑ったのと、父が赤面しながら「うるせーっ!」と軽く言ったのはほぼ同時だった。
手術の次の日、母から「退院は伸びるかもしれない」とあった。 ヘナヘナである。 「手術がちょっとうまくいかなかったみたい。でも、今は様子を見るしかありません、って」と。 ドヨーンだ。 そして、2日後、父と私と母とで歓談しているところへ、看護士から「あ、もう先生がいつでも退院していいそうですよ。日にちが決まったら知らせてくださいね」と言われた。 ハ? それは当初の予定よりも1日は短い。 言われたのが金曜日で、いつでもって、じゃ、今から退院しまーす!ってあり?なんて私はふざけて言うと、土曜日は父がゴルフで、帰りが遅いし、迎えに行けないから、日曜日っていうのはアリか?という意見が出て、母の命令で、父はナースステーションに使いっ走り。 息を弾ませながら、父登場。「日曜日でもいいけど、明日、午前中に入院費を会計に支払うように、ってさ(ぜいぜい)」と。 支払いは患者という訳にはいかないので、私がその任務を言い渡された。 我が夫は一度も見舞いに行ってなかったので、土曜日、入院費を支払いに行く時に一緒に連れて行った。その日の夕方、妹とも合流し、再び病院へ。 そう、この日の晩に、たまたま隣のテーブルにいたご夫婦と意気投合し、中洲へ繰り出したのだった。
(以下、詳細:別ブログにも公開済み)
土曜日の夜、わたしと夫とあと一名で博多の某居酒屋へ。 座敷の席へ案内された。 中盤、隣のテーブルに熟年夫婦が着席。 ややあって、奥さん(おばちゃん)が「お姉ちゃんたち、おばちゃん、タバコ吸うけど、よかですか?主人は、タバコやめたんやけど、私は吸います」と言ってきた。 「主人も吸うんでOKですよ」といった。 しばし、別々に歓談後、「おじょうちゃんたち、肌のキレイやね」とおばちゃんが言ってきた。 酒もほどよく入っている私は「やっぱ、タバコ吸わんけんと思いますよ」と言ったらおじちゃんが「そうだそうだ」とばかりに拍手。 おばちゃんは「なんば言いようとね!そげんなとは、関係ないったい!」といい、タバコの話やお酒の話をお互いにして、おばちゃんは私に向かって「いい人と出会えるといいね」と言ってきた。 そこで我が夫がフォロー。 「コッチは嫁さんなんですわ。コッチは嫁さんの…」と説明。 「え〜〜?!そうなんですか!わーわーわーわー」 おばちゃんは、とても嬉しそうにテーブルを太鼓のようにして手で喜びの表現。 「理想のカップルやねって思っていたとばい。ほんなこつねーアンタいい人ば選んだねーアンタもこんな人おらんばい!離したらいかんよ! きゃーきゃーきゃー。ほんとねーなんか嬉しかー」 そして、なぜかおばちゃんは私に握手を求めてきた。 席の配置としては、私の向かいに我が夫で、夫の隣がおばちゃんおばちゃんの向かいにご主人、私のとなりにもうひとりの連れであった。
それからまたしゃべるしゃべる。 「うちの主人ねー今でこそサラリーマンやけど、これでもミュージシャンやったんよー今もね、中洲のパブでOBで出たりしようとよ。」と。 そんな話題があって、おばちゃん「今から時間ある?やったら一緒に中洲行かんね?!アンタ(だんなさんに向かって)今から準備しに行きーよ」と。 だんなさんは「今からや?そげんこと言うなよー俺も今日は飲んどるとばい?!飲んどるとに吹ける訳なかろうがー」「そげんこと言わんとはよう準備ばしに帰らんね!」「やけん、今日はダメって言いよるやろ?分かってよー」「いやだいやだいやだ。私の言うことの聞けんとね!」「お願いやけん、勘弁してよー」「お願い!」「…しょうがなかね…分かったたい…」 だんなさん退場。
それから私ら3名とおばちゃんとでタクシーに乗り込み中洲へ移動。 結構、おばちゃんは酔いが回っていて、出来上がっていた。 さて、お店へ。 スナックみたいな感じで薄暗い。 たしかにおじちゃんはいて、「本当に来たんやね…」と。 「あと少ししたら始まるけん」と言って、おばちゃんは飲み物やスナック類を手配してくれた。 おじちゃんの楽器はサックス。 聞くと、楽器を取りにわざわざ自宅へ帰ったらしい。 「飲んだとに吹けるかいな〜」と言いつつ、演奏開始。 すると、会場にいたおじちゃん、おばちゃん(おばあちゃん?)が踊りだした!びっくり! もちろん、おばちゃんも踊りに行った。 我が夫は強引におばちゃんから腕をつかまれ、踊らされていた。 4、5曲くらいしてひとまず落ち着き、客が入れ替わった。 そのときに、夫は「歌ってもいいですよ」とおじちゃんから言われ、いやぁ…といいながらもビートルズの歌詞カードを渡されまじめに選んでいた。「これ、結婚式で流したんすよ」といって、選曲。 すこしたってから演奏再開。 「さて、次は…」とドラムの人が曲紹介をして、我が夫が熱唱。 生バンドでの歌は気持ちよかったらしい。 その頃には、すっかりおばちゃんは眠っていた。
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