ふつうっぽい日記
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2006年06月30日(金) 最近をふりかえる

今日で6月も終わり。
今年も半年が経過した。早いような、もっと、速く日々進んでほしいような複雑な気分は変わらない。

思いつくままに、ちょこっと書くことにしよう。
まず、昨晩の虫騒動から。
今週の火曜日の夕方に福岡から戻ってきて、夜、入浴して、あがって、ふと壁(白い)を見ると、虫がとまっていた。ギョエ!である。髪を乾かす余裕もなく、とりあえず、パジャマを着て、その場を離れた。

実は、この日、新幹線の中でも虫に遭遇して、ハラハラの1時間半を過ごしてきたのであった。
新幹線の虫は、たしか、広島あたりから私の前に姿を現した。
私は、イヤホンを両耳にあてて、音楽を聴いていた。にもかかわらず、その存在に気づく私のセンスはスゴい(泣)それは、パチン!と飛び上がった。私の足下で。ギョエ!である。
私の席は、一番後ろだった。慌てて、私はデッキに避難した。どうか、戻ったらそれがいませんように…
5分くらいボケェとデッキで携帯を触りながら、席へ戻った。

さりげなく、足下を見た。いた。まだ、いた。
それは、後ろ向きにひっくり返って、足をもぞもぞさせていた。パチン!の勢いを充電しているようにも見えた。
「ごめんなさい」そう思いながら、私はティッシュを1枚、それの上にかぶせた。
そして、サンダルの片方を脱いで、その上に置いた。そして、少し移動させた。
サンダルをのけた。そして、ティッシュを見つめていた。
すると、それは、パチン!をした。ティッシュが少しずつ富士山みたいに膨らんできた。
やがて、空いた隙間から、それは、通路側へ移動した。
ホッとした。でも、油断ならなかった。

そう、それはパチン!と鳴らして、とんでもなく移動するのだ。
君は私のサンダルのダメージを受けて、落ち着いてしまうはずではなかったのか?!
通路に移動したそれは、パチン!と鳴らして、誰もいない座席に移った(ように私は思った)
これで、平和が訪れた。そう、思いたかった。しかし。
それは、つかの間の沈黙の後、再び、どういうルートを通ったのかは分からないが、私の足下に再びパチン!と音をさせながら、迫ってきたのだった。
イヤホンをしている耳のくせに、その気配はリアルだった。
ギョエ!それは、通路挟んで向こうの窓ガラスに私の表情をそのまま映しだしていた。その姿と私は目が合った。

幸いというべきか、それに気づくギャラリーはいなかった。
私は飛び退き、逆のデッキに向かって足早に逃げた。
再び席に戻った。やはり、それは私の足下にいた。さらに、通路で客とぶつかりそうになり、私は席に座ることしか選べなくなった。
パチン!は、通路側に進んだ。その後、車内販売の車が3回くらい通り、客も何回か通り、パチン!は聞こえなくなった。
もう…きっと…と、思い、そのことは忘れようと思った。その後30分ほどで、新大阪に到着。一応、それの姿を確認した。たしかに、センベイになっていた…

そういう、虫との出会いをした後での出来事であり、「今日は虫の日」と受け入れた。
しかし、である。

現実は厳しい。
やはり、どうにかしなければならなかった。私は、掃除機を手にして、壁のそれを吸い込んだ。
掃除機は、サイクロンのやつで、紙パックではないやつだ。
2日後の昨日の晩、今日の朝のゴミ出しの準備のため、掃除機のゴミをゴミ出し袋に移動しようとした。すると、ジョイント部に黒い何かがいた。そう、2日前に吸い取った白い壁にいた、あれだった。何度かパンパントントンと叩いて、袋の中に移動しようとした。でも。動かなかった。
でも、次の瞬間それは、動いた!ギョエ!
私はとっさに、掃除機のゴミキャッチ部分から手を離した。
それは、床を歩こうとしていた。

私は、「もう一台の別の掃除機(紙パックタイプ、サイクロンではないタイプ)」を取りに走った。
そして、吸い取った。
はずだった。数分後、捕獲現場から30センチほどのゴミ箱のふちに、黒いものが見えた。
吸い取ったと思ったのは幻覚だった。再び、掃除機作動!
今度は苦戦した。垂れ落ちる、汗、汗、汗。
「もう一台の別の掃除機(紙パックタイプ、サイクロンではないタイプ)」のヘッドを外して、筒の部分を問題の部分に押し当てた。
数分後、手応えがあった。急いで、ヘッドも付けた。今、捕獲に活躍した「もう一台の別の掃除機(紙パックタイプ、サイクロンではないタイプ)」は何もされないまま、和室に放置してある。しばらく、ゴミパックは触らないつもりだ。

******

福岡滞在中の出来事。
夫と、夫の同僚数名で博多駅近くの居酒屋に行った。
3階のお座敷の部屋。
私たちのグループの他にはしばらくその座敷の階には客はいなかった。
1時間半、2時間くらいして、少しずつ、入ってきたような気配を感じた。
仕切りがあるので、そのお客の詳しい情報はトイレに立つなどしなければ分からない。
さて、キャ〜と叫びながら、二人のちびっ子(女子)がやってきた。
小学4年生と、2歳児。

なぜ、分かったのか。
それは、オヤジ(複数扱い)が聞いたからだ。オヤジ(複数扱い)とは誰かというと、もちろん(笑)夫とその他の男性参加者のことだ。
3名からなり、1名は独身、1名はバツイチ(子持ち;男児;しかし、子供とは別居)、1名は子無しの既婚者である夫だ。
他の参加者としては、私をのぞき、独身の女性1名。
私はといえば、「だいたい、居酒屋に子供を連れてくるのはまぁいいこととしても、この放置状態はなんだ!親はどうしているのだ!」と怒っていた。
その後、ガキ等は本来の場所との往復を繰り返した。
3回目の襲撃の際には、さすがに、母親らしき女性が少し近づいてきて、「どうもすみません、コラ!こっちに戻ってきなさい」と言った。

でも、それ1回きりで、その後も襲撃は続いた。
そして、オヤジ等は、2歳児の子供の名前も聞き出し、しまいには、「オジちゃんの隣においで、一緒にアイス食べようよ」などと誘っていた。
そして、店員に「この子達に、好きなものをきいて。伝票はコッチで」などと言っていた。
我が夫は、私のブツクサに「そうだそうだ(親が悪い!)」と賛同しつつも、次の瞬間には「○○ちゃ〜ん!」と、ガキの名前を甘ったるい声で呼んでいた。
私はトイレにたち、このガキ等の親の様子を観察してみることにした。
彼女等はトイレの近くのお座敷にいて、女性2名だった。つまり、父親らしき姿はなかった。
それぞれの親かもしれない。たとえば、姉妹とかで、それぞれ子供を連れてきているとか。
もしくは、ある親1名の子供2名で、他の大人は友達とか、姉妹とか。

私がギョウギョウシく「すみませんね(お子さん達にオヤジたちがいろいろちょっかいかけて)」ガキの親に言うと、「こちらこそ、すみません。うるさくして」と。
それだけだった。

2歳児であれば、父親が近くにいれば、別の男性(オヤジ)に好き好んで近づいたりはしないだろう。2歳児は、バツイチのオヤジ(笑)のひざにとけ込んで本を読んでとせがんだりもしていた。
そして、2歳児は、オヤジたちに飴を配った。
2歳児は、オバちゃん達(笑)には、飴は配らなかった。
ちゃんと見分けているらしい。

オヤジたちよ、だまされるな!気をつけろ!
そして、ガキん子の母親よ!子供を野放しにしすぎるな!



2006年06月08日(木) 読書

友人からのお勧めの本を読み終えた。
少しずつ、寝る前に読んだりして、大きく5回くらいで読み終えただろうか。
今日は、締め切りの仕事などもなく、(一応は決めていた計画はあったが適当に流した)福岡行きの疲れも出て、家の中でどろどろすごした。天気も微妙な感じだったし。

中途半端な空模様ならば、いっそのこと、激しい雨のほうが潔いのに。
ま、それが梅雨なんだけど。

気づいたら3時を回っていて、ちょっと本でも読むか…とベッドにゴロンとなった。
約2時間くらいでその本は終わった。多分、集中して読めば2時間で読み終えることができるものだったりするのかもしれない。
その本は泣きが入った。クライマックスでとかいうそんなんじゃなくて、途中途中、「今日はここまでにしよう」と区切ったその時その時に。一人で眠る前のひとときに読む事が多かったから、いろんなものが妄想され想像されたのだと思う(客観的にすることで落ち着かそうとしている私だ)

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麻衣さんという方が「さくらが咲いたよ」という歌を3月頃にリリースした。
その歌は10年以上前に久石譲のアルバムで聴いた事があった。
久石さんといえば、サウンドトラックというイメージがあって、歌が入っていたのは印象的だった。あ、歌声は久石さんではない、誰か女性の声。多分、曲を作ったんだろう。
その歌っていうのが、のほほんと桜の時期に聴きたいとかいうそんなんじゃないのだ。
「…男は不安に荒れ狂う女があまりに美しすぎて…さくらが咲いたよ地獄獣路 命惜しかろと屍が嗤う…はらはらこぼれた血染めのかんざし…」
おどろおどろしいような歌詞なのだけど、私は好きだったりする。実は久石さんの曲だから、という単純な理由だからかもしれないけど。
ちゃんと調べてないが、麻衣さんというのは久石さんの娘さんで、ナウシカの声をやった人らしい。
麻衣さんの声は、ナウシカの声の人なんだ…と思って聴いてしまうからか、最初に聴いた「さくらが咲いたよ」に比べるとファンタジックな感じがした。

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その本の舞台は東京の他に、小倉やら筑豊やら九州は福岡。
正確には後に東京に移るといったほうがいいか。
「読み終わる頃、泣けます。母の愛情を感じるというか…」というのが友人からのメッセージだったが、読み終わる頃どころではなかった…
筆者の出身地(圏)と私が同じというあたりにも親近感があったのだと思う。
方言が出てくるが、おばあちゃんやおばちゃん、おじちゃんは確かにこんな感じだなぁなんて思ったりして。まぁ、自分も方言は話すが、おばちゃんには勝てない。
そして、しみじみと福岡行きで現地の人(福岡の人)のしゃべりの方言をきいている私がいた。
父や母や妹や。20年以上一緒に住んだこともありながら、彼らが方言を、それもなんだか温かそうに思える言葉を発していたんだなぁ…なんて思うのだった。



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「あっという間に70歳になりそうやけん、そうなったらもうどうなるか分からんたいね。お父さんには、ほら、跡取りがおらんやろ…」

「お母さんね、ハワイに行ってみたい。あんた、連れていってくれんね?グアムのほうが安い?…でもやっぱりハワイに行きたい…」

「あのとき、お母さんもお揃いので黒いのがあったやん?あれば買っとけばよかったね」

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この1年はたしかに、自分ら夫婦もどうなるか分からないところがあるけど、それはそれでなるようになる(はず)





KAZU |MAIL