ふつうっぽい日記
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2004年02月24日(火) |
観劇日記(観察日記-笑-) |
今日は,2ヶ月くらい前から楽しみにしていた、芝居の観劇に行った。 ヅカ。宝塚の芝居だ。 前に一度ヅカの芝居は観たことがある。その時誘ってくれた友人(M)と、またもや行ったのだ。ヅカのことになると、Mは熱くなる。今日も,“ご贔屓さん”を前に、リラックスしながらも凝視していた。
午後1時からの公演開始、11時に待ち合わせをして、ヅカ関係の展示コーナーに行った。(入場料400円) 長身のMの手には小さなカメラがちょこんとのせられていた。「今,ワタシのご贔屓さんの衣装の展示がしてあるの」と、少女のように私に行った。「ごめんね〜つき合わせて」と申し訳なさそうに言っていたが、私は私でしっかりとカメラマンの任務を誇らしげ(笑)に遂行した。 「私ばっかり悪いわ〜KAZUもどう?撮るわよ〜」と、2枚くらい撮ってもらった。何を背景に撮ったかというのは私の記憶からはもう消えているが。 Mは、一般開放されている小道具も、嬉しそうに手に取りしっかりとポーズをとっていた。「私のことアホって思うでしょ?」と何度も言っていたが、そんなことはまったく思わなかった。(免疫ついているからか?-笑-)
展示場を後にして、食事。 「洋食と和食があって…」と施設に詳しいMが説明していた時、私の背後でどこぞのオヤジが屁をこいた。彼女も、「ン?」と周りをさりげなく見ていたようだけど、私は気付かないふりをした。(Mよ、私はこんなだ…ってか、Mにはオヤジの音など聞こえてなかったかもしれないが)
私たちは洋食のランチを食べた。スープとサラダとメインディッシュにライス。来月Mは就職のため、東京に行く。ちょっとなつかしい話をしたり、近況を語ったりして、ちょうどいい感じに時間は流れた。
さて、1時前10分。お手洗いを済ませ、着席。 前回は2階席で、今回は1階席の21列目。なかなかのポジション。 2階席からはオーケストラピットがよく見えていたんだな、と、前回のことを振り返る。ステージの中に埋まっているような彼等(演奏者)なので、1階席からは指揮者の頭しか見えない。 Mが「たまにハゲ頭の指揮者がいて、光(ライト)の具合でピッカ〜ンってなる時があってさ。それとか、女性の指揮者もいるんだよ」と言っていたので,それらの観察は“ちゃんと”した。
第一部はストーリーのあるミュージカル芝居で、やはりヅカらしい「愛」がテーマだ。たまに笑いというかコントのようなツボがあり、素直に笑った。 前回はあまり気にしなかったが、思ったよりも男性客がいた。つきあいで来たような人もいれば、しっかりとプログラムを買い、観劇に集中している人もいていろいろ。ヨボヨボしたジイちゃんの姿もみかけた。 健全な男子3人組(スケボーとかスノボーとか好きそうな感じの)も見かけた。もしかしたら、昔つき合っていた彼女が役者として出るからとかかもしれない。実は貧乏な家の出身の女性が裕福な女性に憧れて素性をいつわり、実は裕福な家の出身の男性が地位とか名誉とかに束縛されないシンガーと素性をいつわる。この2人のハッピーエンドになるまでの話というのが大筋だろうか(大筋過ぎるかもしれない…許せ、M) 1789年以降のフランスはパリという設定で、聞いたことのある画家の名前が出てきた。衣装もスゴイ。もちろん、舞台セットも。
第二部はストーリーはあるが、ずっと歌(ショー)。ラテンの音楽に合わせて「絢爛」に踊り、歌いまくっていた。 Mにきくと、この公演に出た人数は60人くらいだろうということだったが、私にはもっともっといるように思えた。次から次からカラフルな衣装をまとった人間が出てきて、舞台の奥行きは、袖はどれくらいの大きさなのかとかそんなことを心配していた。 ダダダダダッと出てきて、軽快なリズムで踊ったと思うとタタタタタタッと退場し、舞台セットが変わったかと思うと階段の上の方からカッチョイイ男役が歌いながら降りてくる。それに気を取られてるのもつかの間,舞台のセットには扉が内蔵されていて、そこから、次から次へと頭と背中に羽をつけたレオタード姿のような踊り子集団が舞台を埋め尽くす。 同じような体型をよくぞここまで揃えたなぁと思いながら,一糸乱れぬ踊りっぷりをオヤジのように見つめていた私。 実は第一部でもそうだったか、ある一瞬、睡魔に負けた。 暗い場内と、次から次へと出てくる集団を見ていると、目が半開きに、、極端に船は漕いではなかったとは思うが、食後の午後2時〜3時くらいというのは普通でもそうなってしまうのだ。(許せ,M) 第二部のビッグウェーブ(睡魔との闘い)を頑張ってのりこえたら,迫力のラストとなった。ものすごい羽根をつけて、男女のトップスターが段上から降りてくるのだ。直径2メーターくらい(それ以上か?)ありそうなクジャクのような羽根が背中を覆いつくしている。この場面はやはり「これぞ宝塚!」という感じで一番迫力がある。 周りを取り囲んでいる控えめな白い羽根つき踊り集団は、客席まで降りてきた、残念ながら、私たちの座っている席までは来なかったけど,鳥肌がたつほどスゴかった。 Mは、「血が騒ぐわ〜!絶対,今日、私は踊るわ。」と言っていたのだけど、周りのテンションがそこまでなく、(彼女のイメージでは、ショーのタケナワにお客も興奮してスタンディング状態になって踊っている人もきっといるということだったのだが…)控えめな手拍子が精一杯の会場のペースに巻き込まれるしかなかった。 Mが踊るというので、私はそれを楽しみにしていたのだが、残念(許せ,M)
あっという間にヅカの観劇タイムは終わった。 それから私たちは喫茶店に行き、Mお勧めのケーキセットのひとときを満喫した。Mがヅカファンである限り、年に1回くらいは関西で会えそうだ。 細く長くMにはヅカファンでいてほしいと思った。 まだ、関西を後にするまでには間がある。3月の頭に、我が家にきてくれるという話もある。
お茶タイムを追え、「ほんと、最近日が長くなってきたよね」と、空をみつめ、「体調崩さないようにせなね」とMが言うので「気合いで飛ばさな!」と私が言うと「気合いで思い出した…プロレスラーの○○さんってオッチャン知らないかな〜気合いっていうと思い出すわ」とM。「知らないなぁ」との私の反応に「そのオッチャンが“気合い入れろ!”(←かなり感情こもったデカイ声で)って言うの」とMが言ったのだが、その時私の左側1メーター向こうに歩いていた猫背気味のオヤジがMの声にビビッて立ち止まった(振り返った)のを見逃さなかった。
帰りの電車は途中まで一緒で,Mの目は少し(血走って?)充血していた。“ご贔屓”さんを凝視し過ぎて疲れたらしい。
+++(私信) 今晩はゆっくり休んでね。 有意義な1日を過ごすことができました。 ありがとう。
2004年02月20日(金) |
大人の道徳教材(長文) |
ちょっと、固いようなアヤシイきょうなタイトルをつけた今日の日記。
小学校では道徳という時間があった。 道徳の教科書は、道徳の時間にだけ使うというか、配られた。他のクラスとの使い回しみたいな感じだった。 一応(笑)小学校の教員免許の取れる大学を出た私。 道徳の教材研究の時間はまだ記憶に新しいほうだ。 でも、10年くらい前だ。
道徳の教材には葛藤があるものが選ばれている。 「らくがき」を扱った教材を思い出す。 描いてはいけない壁へのらくがき。 面白そうに好奇心いっぱいでらくがきをする少年。 ダメだよ!と一度は注意したのにも関わらず、一緒になってらくがきをしてしまう別の少年。「○○君、いけないんだ〜!そんなことをしたら〜先生に怒られるよ〜」と言いながら、らくがきをする少年をただ見ている少女のグループ。 そして、小柄でおとなしい性格で「らくがき」はいけないことだから注意しなきゃ、でも、背の高い○○君に、もし、文句を言われたら怖いなぁ…ハラハラする正義感と闘う少年。 こう実際書くとなんか分かり辛く、本当は違ったかもしれない。 最後の展開としてはおとなしい性格の少年が勇気をふりしぼって注目されながらも「らくがきはいけないよ」と言い、○○君以外の人間も「そうだよそうだよ」と言った。
***
やっていいことと悪いこと、言っていいことと悪いこと。 なるべく小さい時に、できれば身近な社会で、しっかりそのことを失敗しながらつかんでいけたら最高。 ギリギリのところで迷って,選択した結果が思わぬ展開になることは結構ある。同じ言葉一つとっても、相手の感情のリズムによってタイミングによって角がたったりする。冷静さを失って逆の行動に出たり、無理してテンションをあげたりして訳分からなくなったりもする。
年を重ねると、また目線や立場も変わってきて、常識や普通や礼儀の違いに驚くこともある。
*** 祖母の法事。集まる兄弟(その家族含む)。 来れなかった末っ子の弟(その家族含む)。*四人兄弟。
「アイツ(末っ子)の嫁はオレのカミさんがわざわざ入れてやった珈琲の飲み終えた器を洗いもさげも洗いもしない。そんなこともできない。それに比べてお前(三男)のところの嫁は気が利いて…」60歳の長男が言う。 「悪いけど兄さん、そうさせないような雰囲気があるのよ。私もしようと思わないもの」と次男の嫁。 「…それは、時と場合によるんだ!」と長男。 普段、あまり主張しない次男の嫁。 しばらく、妙な空気が漂っていた。
*** 長男の家に集う。そこに、いろいろと集まってくる。 普段、開放的で、いい感じの雰囲気が漂っているお宅ならば、自然に「ネエさん手伝うわ」「いいのよ、アナタたちはゆっくりしていらして」とか「じゃ、私が洗うから拭いてくれる?」とか自然に会話は流れる。 上の“教材”では、長男の嫁の姿は書かれていない。 もしも、長男の嫁の離席中でのやりとりだったら、いらんお世話だ。長男さんが動けよ。多分,文句を言っていた妻の言葉を言ったんだろう。
キッチン。そこはその家その家の主婦(夫)の魂が濃い場所だと思う。(なんか変かな言葉の選び)思い入れみたいなもんがあるし、できれば勝手に触れてほしくない。
「気を遣わなくていいから」というのには、二つあると思う。 「気持ちだけの振る舞いでいいのよ。お構いなく、ね。」という心地よい素直な甘え(好意のちょうどいい受容)と、「自分が必要だったら自分で勝手にさせてもらうから」という落ち着くようにみせかけてさりげなく相手の好意を拒否するだけでなく相手の陣地に踏み込む図々しさと。 たしかに、これは時と場合によるし、相手との精神的距離が一番に関係する。気心知れた間柄なら、勝手知りたるではないけど、お互いのペースや行動のリズムを尊重できる方法として後者になるだろう。 思いがけず贈り物を受け取る場合などは一旦拒んで、しょうがなく受け取ったようなカタチにおさめるのが「美」であり「自然」な時もある。
自分の主張のタイミング。主張されたことで、うまく受け入れるような、我に返るような人間であれば大いにプラスであるが、そうはとても思えないならば、言いたいことは言わせておけばよく、それまでの人で、あえて遠い目をして無表情でいることが、警告ビームになったりする。 でも、自分がもしその場にいなかったら同じように言われるんだろうと思うと何か言いたくなるっていうのも分かる。 でも、(「でも」が多いけど)幸いなことにそういう悪口や陰口は当人がいないところでささやかれるもので、自分には聞こえてこない都合のいい声なのだ。
自分と関わる全ての人からいいように思われようとすると、返って逆に不信感を持たれたりする。好みはやっぱり、ある。苦手だなって第一印象で思うこともたしかにある。お互いに苦手だと思えば,自然に離れていくことができる。好きから嫌いになる速度や度合い。好きの度合い。 違うから不安になる。違うから、ドキドキする。違うから楽しい。
???苦手なのって“自分と違う”から???
人間って賢い。人間てスゴイ。ちゃんと、総合的に受容できるようになってる。自分と同じような感じの人間に近付くことが自然な時期がある、自分と違う人間を排除する時期がある。自分と違う人間を魅力的に思う時がある。自分と同じような人間だから合わないと思う時がある。
分かっちゃいるけど、やっぱり、その時の選択には自信がもてないこともある。それもその時は自然。 「後悔」するから。「反省」するから。
キカイ(機械)は後悔なんてしない。反省もしない。 どんなに便利に機械が動いても,やっぱ、それを操っているのは、人間だ。
離れようとしても繋がる。暴れても排除されない。間違っても責められない。変なことをしたら正してくれる。苦手なものに自信をつけてくれる。 甘えさせてくれる。一緒にふざけてくれる。 そんな欲望すべてを満たしてくれる社会。それが家族だ。
++++++++ 書き始めてから,ちょっとして、来客があったりして、編集画面は放置され、初めと終わりでは、テンションがかなり違った。 まぁ、いっか。 いつか自分が読み返した時に、どんな気持ち、顔か、想像するとおかしい(笑)
明日は、会議。 昨日と今日は基本的にオフだった。
すること、したいことは相変わらず山積みだ。 しなきゃならないことを済ませてしまうと、空白の時間が、自由な時間ができても上手に時間を使えないことが多い。
昨日と今日は午前中、ゴロゴロ気味ではあったが、読書をした。 話題作というか、芥川賞受賞作品を読んでみた。 あれこれと別のすでに読んだ人々の感想が目に付かない、耳に聞こえない内に読んでみたかった。深い理由はなかった。ただ、何やら若い女性の作品であり、記者会見かなんかの画像を見ても抵抗なかったし。
とは言うけど、2作品は、ハードカバーで買ってもいいかなぁと思っていたにも関わらずラッキーなことに(笑)2作が全文掲載された文芸雑誌(っていうのかしら)が出たという広告を(偶然)新聞で見てソレを買った。 他にもいろいろと文章が載っていたが、とりあえず、2作品を読んだ。 一気読みできそうな感じではあったけど、4回に分けて読み進めた(2作品を)苦手な文章だったりすると、とりあえずでも最後までたどりつくのに相当に時間がかかる。今回は,ぐんぐん読んだ。読めた。
高校生活や18歳や、私にとっては10年以上前の歳の若者が出てくるけど,不思議なことに、靴置き場や運動部の部室、そして、縁のないピアス屋も私の想像の世界ではちゃんと存在してた。 いかに、私の若い時代(高校生、18歳付近)が健全で純粋な環境だったかと彼等の描く環境とのギャップから思わずにはいられなかった。 でも、もし今,同じ時代に同じ感じで過ごしていたとしたら、ある一つの日常だと軽く流すんだろうか。「で?」って感じで、大きな期待外れを思うのだろうか。でも、“今の若い人間”の考えていることをコレを読んで“学習する”のはちょっと厳しい。
“普通こうあるもの”“これってノーマル?”なかなか微妙なところで、微妙な情報で、“実践”し“対面し”、ハードな現実、受け身。
通信販売のカタログの下着のページを、どれにするって?と、ちょっと嬉しそうに、ちょっと恥ずかしそうに大きな猫のぬいぐるみを軽く枕にしながら眺める申年の同居人(男子)のちょっぴり伸びた鼻の下をさりげなく確認して穏やかに過ごせてるなと、ふと思った私である。
一月は行く、二月は逃げる、三月は去る。 それほどに、暖かい季節はあっという間にやってくる。 本当にそうだ。
正確には、陽は照っているけど風は冷たく強い。洗濯日和とは少し無理があるような二月の中旬だ。
所得税の還付や、その他イレギュラーな手続きで緊張していた分、小さなことではそんなに悩まずに過ごせてきた。今,ちょっと落ち着いているので、小さなことで立ち止まることになるのかもしれない。 12月に出産した友達からの携帯メールにちょっと歯切れの悪いため息をついたから、“ちゃんと”立ち止まっている(笑) 結構、マメに私はそれが愚痴のようなものであれ、携帯メールにちょっとしたメッセージを送っていたので、彼女としては私からの音信が途絶えたことに心配してたようだった。でも、私としては、それなりに早く、それなりにゆったりと時間は流れていたから意識はしてなかった。 彼女は流産をきっかけに、いわゆる不妊治療を受けていて、治療こそは受けてないが毎月不本意に流れている“タマゴ”を見送るキモチみたいな微妙な心理を敏感に分かっている方だと私は思っている。 「やっぱりストレスがアカンらしいねん。子連れの主婦とか妊婦さんとは距離を置くようにって医者から言われたし」と彼女が言っていたのは忘れられない。 だから、おそらく、私がすでにその問題を乗り越えた彼女と“距離を置いている”と思われているとしても自然なのだろうが。
たしかにストレスというかイライラとかムカツキを悲しくも感じずにいれらない時期もあった。子どもを抱く、幸せな姿への嫉妬と、劣等感。 見下されているような、“こんな簡単なコトもできないの?”とか“あなた子ども好きって言ってなかったっけ?”“子どもを作らないならちゃんと働いたらいいのに。子持ちだと仕事見つけるのってタ〜イヘンッ”と悪の台詞の幻聴の妄想の連続。 よし!今ならいいよ!とやってきてくれるモノじゃない。 逆にそんなシステム(笑)だったら、一人では決断決意できないと思う。 明るい家族計画とかいうけど、実際には明るいものか?
中学の頃、ある友達が「昨日、変な夢を見た!赤ちゃんの缶詰。キモチ悪かろ?」って。強烈なイメージだったのでずっと覚えている。 彼女とは中学卒業間際にケンカをして、卒業してから(つまり高校入学してから)仲直りをして、二十歳の成人式で会ってから会っていない。年賀状の行き来もなくなったが、別の友人からの話では結婚して2人の子どもがいるとか聞いた。耳に障害のある彼女だったこともあって、その知らせは素直に微笑ましいと思った。彼女にもし会ったとして「無理せんで、頑張ればよかと」と言われたらおそらく私は号泣するだろう。素直に。
子どもが欲しいとか欲しくないとか、しっかりと意思を持てない。 なりゆきでそうなりたいっていうのは、無責任? だから、なりゆきで、結果,実を結ばなかったとしてもなんか理由をつけて受け入れようと頑張るのだと思う。 だから、なりゆきで、結果、実を結んだとしてもなんか理由をつけて、明るく生きようと頑張るのだと思う。 とはいえ、そんな“なりゆき願望”の私だけど、子を抱く母親の姿を見ると,「出産お疲れさま」「子育て楽しんでね」なんて言葉は言える。現実はハードで、楽しむ余裕なんてないのかもしれないけど、強引にでもそう言っておかないと、そういうものって思っておかないと「子育て楽しそうじゃないからヤーメタ!」って言うかもしれない。
小さい人間のちょっとしたしぐさや言葉から純粋さを感じる余裕を持てたら,オモシロイだろうなって思える自分がいるのは、あの時の自分がいたからだ。そう思うと,これからの不透明なリズムもオモシロイ。
14日のバレンタインデー。旦那様,チョコあげなくてゴメンなさい。 【ちょこっとメッセージ〜バレンタインに贈るメッセージにかえて〜】 砂ズリの焼き鳥旨かったね。 今度は肝の造りと、その他の串もたくさん食べようね! 美味しい焼き肉とレバ刺しも食べに行こうね! 呼子のイカもぼちぼちまた食べに行きたいね! お好みで食べる寿司屋にはいつ行けるかな?! さぬきうどんも捨て難いね〜
私は、例えば、役所に住民票の写しを取りに行くなどどこかに出向きあるいは問い合わせて手続きをするということに対してすごく緊張するほうだ。毎日することだったらいいが、そういうことはイレギュラーであり、すごく重要なことだ。専業主婦はいいわね〜気楽でと、独身またはたまに既婚で、そこそこ仕事も安定している、そこそこの人間関係の知人に気をぬくと言われる。
私にとって、家計を管理していることは、心地よい緊張で精神的に安定する(させてもらっている)任務だと認識している。 結婚当初は、給料の定額が家計費として夫により渡され、その中でやりくりをするというシステムだった。でも、今は,一定額を夫に(小遣いを)支給するというカタチをとっている。もちろん(笑)私にも小遣いは支給される(ありがたい!)
今,我が家は大きな二つのイベント(笑)を前にしている。 一つは確定申告で二つ目は車のナンバーの変更。正確には前者は去年マイホームを取得したことで所得税(だったよな)の控除を受けるため(還付だったっけ?)で後者は現在の福岡ナンバーを大阪ナンバーに変更するためだ。さらに踏み込んだ内容はそれら手続きが無事に成し遂げられてから機会があればきっと書くだろう。
それらの手続きには税務署や警察署、駐車場の管理組合(?)がからんでくる。そして、各種証明書の提出や添付が必要となる。
今日はその中の一つ、車庫証明を取る(?)という任務に挑んだ。 「管理人に言えば分かる」という2人の声(1人は夫だ)で、迷わずそうした。今日は英会話のレッスンであり、頭の中が素敵になっている時にマンションのエントランスで管理人Aに出会った。(交代制で2人いるのだ;管理人) “おもむろに”私は管理人Aに「あの〜!質問です!」と元気にしゃべりかけた。管理人Aは、ちょっとビビっていた。「車庫証明はコチラに言えばいいんですか?」と言うと、「直接会社に言って下さい。その方が対応、早いですから。コチラから会社に連絡することも可能ですけど、直接会社、それが確実で早いです、はい」と。私の頭の中は「会社ってナニ?夫の会社?ぬぬぬ?」だった。なのに管理人Aからの台詞を聞いて「はぁい、分かりました。どーもー」と物わかりのいい若者(?)を演じた、、、なぜか、管理人Aは、笑みを浮かべていた。その笑いの意味を知ったのはそれから30分後くらいだった。
入居の手引きという書類を見つけ,適切なページを見つけた。「車庫証明を取られる方は電話で連絡してください」と。 書いてある電話にかけると、移転しており、移転先の番号が流れていた。 危ない危ない。おそらく、変更の知らせ的な書類はちゃんと届いていて、それがコレと関わっているなんぞ、それが届けられた時は理解してなかった。おそらくっていうか、完璧に(泣) さて、その番号に電話。 40歳後半くらいの女性の声がした。 「車庫証明を」と言っただけで、話は通じた。 ちょっと混乱したのは「区画番号をどうぞ?」と言われ、「それ何ですか?」と私。「所在地です」と言われ、「え?」と再び固まる。 なんのことはないマンションの駐車場の番号だった。(容易くビビル私だよ)「急ぎですか?」と言われ、微妙だったが「できれば早く」と言ってみた。すると「今日発送しますので。用紙もコチラにあるので、大丈夫ですので」と。 これで車庫証明は手もとに届けられる。 なんて簡単。。。。。。 管理人Aの笑み納得。
今週は今日が英会話、そして火曜と金曜がサロンで事務。 そして、ちょっと離れた美顔のお客さんのお宅に車で訪問(木曜日)という緊張ウィークだ。 あ、サロンの仕事そのものが緊張ではなく、車の運転が伴うから。 今週の最大のドキドキはやっぱり木曜日!! もちろん車の運転に対する緊張だ。 昨日下見して正解だった。(*助手席だったけど、、、) 水曜日は早く寝なきゃ! 来月は免許証の切り替え。初の大阪での切り替え。緊張だーーーーー! 最寄りの警察に行くか?試験場に行くか?悩む、、、、 ドライブドライブ♪らんらんらん♪なんて日は果たして、私にはやってくるんだろうか????
ひとまず、今週。ひとまず、明日。力入れずに、頑張ろう。
実は,使っているあるアドレス宛に迷惑メールがしょっちゅう来る。でも、この2,3日は停滞しているが。掲示板を借りたり、年賀状に書いたりなど外部には結構出しているので多少はこんなこともあるだろうとあまり気にしてなかった。
変な内容のメールが来るというのじゃなかったからコワかった。
それは、メーリングサービスからの心当たりのない登録確認メールだった。 メーリングサービス。私は一度も利用したこともないし、どんなシステムなのかもまったく知らない。 それは、今、流行っている他人になりすまし、宛先も違うアドレスになっているというのでもなかった。
宛先はたしかに私のアドレスで、送信元はちゃんとしたサービスのようだ(多分)問い合わせのアドレスや関連HPも記載してあった。 ゲッ!と思ったので、全部はよく見ていないが、たしかに登録アドレスという欄には私のアドレスが書いてあり、タイトル(メールのタイトルではなくて確認内容という項目の中の“タイトル”。メーリングサービスに関わる事項?)のところに「Hi」と書いてあった。 メーリングサービスを知らない私でも、「もしかすると、Hiというタイトルで私のアドレスでたくさんの人々に何かが送信されるのでは!!?」という想像はできた。 よって、すぐにメールに記載してあったサービスのインフォメーションというか問い合わせメールアドレスに「心当たりのない登録です!削除してください!」とだけ書いて送信した。
丁寧にそのサポート係から返事がきて私のアドレスでは登録はされてないらしい。サポート係はどんなメールが来たのかを知りたいとのことで問題のメールを転送してほしいとあったけど、私はすでに削除していた。 その旨をまたサポート係に伝えると、サービスを利用している人のアドレス帳に私のアドレスがあり、その人のアドレス宛に送られていた本当の(ちゃんとした)サービス確認メールの内容が何者かによって、操られて書き換えられ私の元に届けられた可能性があるという。 サポート係は不愉快な思いをさせて申し訳ないと謝罪のメールも送ってきた。
誰が何のために…? 時間潰し?実験? まだまだネットの世界、パソコンの世界は知らないことが多い。 でも、便利だから使いたい。 いろいろ問題も巧妙に深刻になっていくのだろう。 ウィルスとウィルス対策ソフトじゃないが、いたちごっこかもしれない。 でも、それを阻むもの、不安定にさせるものにしっかり向きあって、安定していってほしい。
2004年02月04日(水) |
ええ感じの兄ちゃん来る! |
ええ感じの兄ちゃんというのは某ショッピングセンターの家電担当の人だ。 小さな電気屋さんではない。とはいえ、ショッピングセンターの一角にある家電コーナーの担当であるから、何人も担当というのはいないと思われるのだが、なんと受発注商品の配達に兄ちゃんはついてきた。使命であるかのように。
某家電製品が先週末土曜日の午後,ド〜ン!とやってきた。 作業員は2名。内、1名は“兄ちゃん”だ。もう1人は、メーカの人のようだった。オプションの組み立てから配線まで2人でやっていたようだ。 メーカの人は、小太りの四十代ぐらいのおじちゃん(風)だった。 オプションの組み立ては通常の業務ではなかった(つまり、メーカ品ではないモノ)ようで、2人で苦戦していたようだった。 「あれ?部品が合いませんね?微妙にカタチが違う」「せーの!あれ?うまくいきませんね」「ヨッ!なんとかハマリましたね」とかいうやりとりが聞こえた。私と主人は作業の邪魔にならないように、自室やキッチンや洗面所やコソコソと意味のない動きをしつつも、現場の様子が気になっていた。 この調子じゃ、メインの設置がいつになるやら…と不安だったのだが、苦戦したのはオプションの組み立てだったらしく、それをクリアするとトントンと設置作業は進んだようだった。
「お客さま!!ただいま、試運転してゴザイマス!!どうぞ、ご覧ください。コレはスゴイですよ〜!!(純粋な少年ぽく)」主人と私は待ってました!とばかりにバタバタと現場に駆け付けた。 「ウヲーうッヘ〜★スッげ〜」と妙な発声をしつつ、ニタニタした。 兄ちゃんもめちゃめちゃ嬉しそうに「売り場で見ていたのとやっぱり違いますね〜こうやってみると、ヤッパ、エエですね〜」と。 「取説は後でゆっくりご覧になってください。また、操作等で、不明な点がございましたら、言って下さいね」と、よくありがちな台詞を本当にココロをこめていっていた。分かりませ〜んと言えば,また、家に駆け付けますくらいな勢い(笑)設置や配線は、主人の得意とする分野なのであるが、「本来有料だけど、お待たせしたのでサービスでさせていただきます」という言葉に甘えた。よく我慢したよ、主人は。作業員の2人が単なる頼りない人々だったら、おそらく、「あとはコッチでやりますから、もうエエですよ」なんて言っていたかもしれない。 実は機械好き(かなりの)であることを隠し、任せるというのはカッチョいいじゃない?(ノロケ?*切り口なんか違うけど)
某ショッピングセンターの一店員が配達に立ち会う(設置にまで関わる)というのは、サービス向上の1つの試みなのかもしれない。 でも、もしかすると、純粋な好意による、自然なフォローだったのかもしれない。“普通”ではやらなくていいような。押しつけではない、お節介、思いやり。 某ショッピングセンターには週末行っているので、ちょっぴり照れくさいけど、物陰から、この“ええ感じの兄ちゃん”を応援したいと思った。
---- 昨日は節分だった。 夜ご飯を食べたのは深夜12時。 このところ、主人を待たずに遅くても10時には食事をしていたのだけど、昨日は節分。太巻き(巻き寿司)を食べる儀式は一緒がいいだろうとゆったりと家事をしたり、入浴したり、ちまっとした作業をしていたら、自然に待っていた。3日を超えて、4日となったが、儀式は無事に終了。 今回はエビとキュウリのサラダ巻きを5本作った。 昨晩2本食べ,今朝1本を2人で分けて、1.5本を今日の夫の弁当に詰めた。残りの0.5本は私の昼ご飯。
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