ふつうっぽい日記
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2004年01月27日(火) |
ええ感じのお兄ちゃん |
オバちゃんの話の次はお兄ちゃんかって?
いやいや、本当は“かなしいお知らせ〜”なのだ。
先日某ショッピングセンターで大きな買い物をして、その配達が週末なのだ。 偶然、目にした新聞にリコール(不具合)のことが載っていて、それも型式まで書いてあったから落ち着いてはいられない。製造月日と製造場所によるらしいのだけど、何も問い合わせをしないで待つっていうのも健康的じゃないと思い、コレを購入した店に問い合わせをした。 電話に出たのは、バイトのお姉ちゃんで、担当は接客中だと言ってきたので電話番号を伝え折り返し連絡を待った。
15分くらいして担当から電話があった。 名前を名乗ると、記憶に新しかったようで、声にさらに張りが伝わってきた。「あ、KAZUさん(本当は名字)!!○○です!(←自分の名前を名乗る)」と元気いっぱい。(でも、私は名前なんて覚えてない…購入控え書の担当欄を見て、名前を知ったくらいだ。接客の感じの詳細は…後ほど)
そんな元気いっぱいの声に、さすがに“かなしいお知らせ〜”なんておちゃらけてなんて言わず、端的に伝えた。すると担当のお兄ちゃんは、「自分も朝、新聞読んできてはいるんですが、恥ずかしながらその情報は初耳でして、本当にお恥ずかしい限りなのですが。もちろん、ちゃんとしたものをお届けするように手配いたしますので、その点はご心配されませんように。」と。電話機の前で頭を下げているような、頭をかいているような純粋な図が浮かんだ。ええ感じやん!
実は、この大きな買い物は某ショッピングセンターの広告を見て人目惚れ(?)したのだ。 現場で実物をいろんな角度から見て、楽しく迷った挙げ句、決断に至った。 その部門には3名ほど人がいて、発送受付コーナーのところでお仕事をしてる(通路に近かった)販売の男性にそのことを告げた。 やはり、その時も初めはちょっと疲れたような表情だったけど、我々が決断した品の場所に兄ちゃんを誘導すると、動きが軽快になった。 「お気にめせば、是非とも受け取っていただきたいものがあるんですっ!」と言ったかと思うとお兄ちゃんは、どこかへダッシュしていって、あるものを持ってきた。 それは、某家電製品のカバーだった。 「お気に召しませんか?」とちょっと兄ちゃんの眉毛がさがった。 でも、この兄ちゃんはとてもええ感じの接客だったので、主人は「本体持ってへんですが、使わせてもらいます」と笑顔で受け取った。
大きなモンが売れると、そりゃ販売員としては嬉しいはずだ。 でも、そんなよくある卑しい感じではなく、接客に向いているというか、安心感が持てるような対応だった。商品についてあれこれと質問をしたうえに、購入を決めたとか言うのではないから、接した時間としては少なかったが、ホンマにええ感じのお兄ちゃんだったのだ(主人も言っていた)
大きな買い物のソレはセット販売で,それぞれが取りよせでまとまってから配送ということになっている。しかし、その1つが人気だか何かですぐに揃わず発送が遅れるかもしれないとワタシから問い合わせた電話回線を使ってそのことを告げた。「ホンマついででお伝えするのも大変申し訳ない(なかった)のですが」と2回くらい謝っていた。 さらに、「ホンマ申し訳ないです」と3回くらい、ええ感じの兄ちゃんは言ってた。
オバちゃんも頑張るで!(認めたか?!)
2004年01月26日(月) |
オバちゃんに関する一考察 |
なんだか仰々しいタイトルの日記。
今年はオバちゃんから、いろいろ学ぼうというのが自分のテーマだ。 女は30歳を超えたらオバちゃんと言うらしい。 自分がオバちゃんと言われる言われないというのはさておき、自分よりも先に生まれ、オバちゃん道(そんなものはない)を堂々と歩いておられる先輩としての女性(女性としての先輩?)をしっかりと見つめ,明日の我が身をより輝いて生きていこう!みたいな前向きな…
今日は直接的に2人、間接的に1人のオバちゃんと会話をする機会があった。直接的な2人とは英会話の事務の方と相方さん(レッスンパートナー)である。
事務のオバちゃんとは、今日は事務的な会話しかしてない。 今日は,というのには理由があって、レッスンの本編(?)の前に15分のプチレッスン(ちょっとした会話のフレーズの暗記トレーニングみたいなの)が“普通は”実施されるのである。その時の担当が事務のオバちゃんなのである。このオバちゃんは、過去に何度かこの日記にも登場している。 たしか「おばあ」と書いていたような…
相方さんは、2年に一度海外旅行に行くような、年に数回気の合う仲間とハイキングに行くような活動的な女性だ。(*私と一緒にとかではない) 2月の中旬に姪の結婚式に呼ばれたとかで、今週末に我が家でお肌のお手入れをすることになった。ご両親もこの辺りの出身の方で、バリバリの地元っ子だ(オバちゃんだけどね)
オバちゃんというと、それも、関西の、大阪のオバちゃんというと、何やらパワフルなイメージがある。とくに、穏やかな(?)九州は福岡から嫁いできた私にとっては、凄いイメージを持っていた。 「チョットドイテヨ!アンタ!」みたいな。
でも、そうでもないということが実生活を通して分かって来た。 まぁ、中にはそういう方もいるようだけど。 1人と会話をしてみると、すごく純粋だったりして、クールな(これも偏見だ)関東人に対する守りの姿勢がそんなカタチになったりすることもあるようだ。
間接的に会話をしたオバちゃんは、出身は九州の方だ。そして、出身大学も同じだ。 博多弁で人なつっこくしゃべってくる声は懐かしさがある。
でも
今日,感じてしまった。 結構,歩み寄ると、キツイことが。 日常的に「チョットドイテヨ!アンタ!」的な会話がなされる。 たしかに、福岡時代を思い出すと,仕事勤め時代を思い出すと、女性男性問わず「アンタ!コレはどうなっとるとね?!こんなんじゃ、分からんやろうもん!」と。すごいそこには「自分」の主張、主観があるのだ。 そこにはいかに、自分の憤りを伝えるか、というのがある。 それに対して,大阪的オバちゃんはたしかに主張はするが、「コレ見ててんやんかーそしたらなぁ、○○○って書いてあってなぁー」と相手に対して、記憶を“やんわりと”思い出せるような配慮がある(めっちゃ、関西ビイキ?)ように私は思うのだ。だから、自分の非を認めやすい(ような気がする)
見知らぬ地で,同郷の人間と接するのはとても懐かしい。 でも、慣れて来た気質を横に置いてしまって、ふと、会話のやりとりをフィードバックすると何か違和感を感じる(気がする)
オバちゃんとの付き合いで,関西で(大阪で)福岡的な人間関係を(で)維持していこうと頑張るとキツイ言葉や態度に悲しいかな認識されてしまう時もあるらしい。
オバちゃんの勢いに、油断してはならない。 オバちゃんの勢いを感じたら、自分の主張がそのオバちゃんの勢いに巻きこまれないように頑張ろう!そして、素直に初心に戻って自分を磨こう。 オバちゃんは時にはキッツイことも言うが,同時にその時、言われてビビル自分がいかに純粋であるかに嫌でも気付く(と信じたい)
我が家では結露のことを「けっちゃん」と呼んでいる。
新築マンションでは湿気がこもり、「けっちゃん」問題は避けては通れない。ガスファンヒーターを作動、かつ、鍋なんぞすると、もう、窓ガラスは一面「けっちゃん」だらけになる。 そんな時は「けっちゃん」の処理をする。ペットボトルに特殊な結露吸い取りラバー口を装着し、水分を集める。それが、なんだか結構オモシロイ。それが終わった後は、乾いた布で仕上げをする。まぁ、また、すぐに結露は発生するのだけど。
外気と部屋の内側の温度差によって、たしか結露は発生する。 すごく寒い日なんかは、部屋の温度が8度であっても、外が0度だったりすると結露は現れる。さらに、人間の体温は環境に合わせて上がったり下がったりはしないもんだから、体感温度を上げるために暖房をいれる。すると、さらに外と内との温度差が発生して、ダラダラと「けっちゃん」が集まってくるのだ。
ただいまのリビングの室温は7.5度である(午後6時)。4時あたりは8度くらいあったのだが。
しかし、今日は本当に寒くて風が強い。 洗濯物は外に干せるような感じではない。洗濯は明日に見送った。 おそらく、明日も寒いのだろうけど。 ココが非常に風が強いということはいつかの日記にも書いたが、ホンマに強いのだ。とくに、北側に長〜いベランダがある我が家と同じタイプの部屋は。なので、気軽に外にモノは置けない。空き缶、空き瓶も相当に適度に重みがなければ勝手口の前のそれらを入れたプラケースは、寝室側のベランダ(つまり、一番はしっこ)まで面白いくらい転がってくれる。 寝室に設置しているエアコンの室外機のカバーも、それが飛ばないように紐でくくってあるが、バフバフと毎日、風の音がしまくっている。1日1ミリずつ外れようと“がんばって”るのかもしれない!
アカン、このままじゃ、風邪ひきそうだ。 ちょっと早いけど,ガスファンヒーター作動だ!
立て続けに、情けないことをやってしまうという時がある。
さっきがソレだ。 食器を食器棚にしまっていた。 箸を箸立てに立て、次に茶碗を収納し、そして、食器棚の開き戸で頭をぶつける。痛いっと思って、気を取り直して,洗ったあさり貝をざるに上げて下にすけるためのボールを置いたらそれに水が入っていて、ゲッと思った時には落下し、水分はキッチンマットと場外に飛び散り、雑巾で床を拭いて、頭を上げると、再び食器棚の開きで頭を打つ、、、
まだ、夕方(いや、夜だな)だから妥協できるが、朝からそんな調子じゃ、それからの1日の先が思いやられるのであるが。
その立て続けにやってしまった騒動の前に、偶然つけたテレビで乳ガンや脳梗塞の前兆についてどうとかっていうのがあっていた。よく身体をぶつけるとかコケやすいとか、字が下手になったとか風邪をひきやすくなったとか、太ったとか、頭痛と吐き気があるとか、とにかく眠いとか。私もアブナイカな…とか思っていた矢先のことで、もう動揺しまくり。
実はこの日記は家事をしながら合間に書いているのだけど、さらにやってしまった。今度はさすがに同じところで頭を打つなんてことはやってないけど、ざるで味噌をこして味噌汁を作るのだけど,その味噌がざるの場外に一塊落ち,続いて自分の足の上,しかも風呂掃除をした後なので素足にスリッパだったのだけど、スリッパ部分ではなく、足の指の上に…ヌタリと。
二回頭を打った衝撃か、少し頭が痛いような感じだ。 でも、風呂には入りたいので、今,お湯を張っている。
来週の木曜まで事務の仕事は休みになったので、この1週間はやるべきこと、やりたいことをしっかり見つめて、日々楽しみたいと思う。
♪ねこふんじゃった ねこふんじゃった〜 不器用な人でも割とスルスルと弾けちゃう名曲だ。
あれはたしか私が思春期で、景気もそこそこよかったような感じの時代。 バブルが弾ける前だろうか。 我が父は部下を家に招き、泊まり付きの宴会を企画したり、宿泊といかないまでも忘年会だかクリスマス会だか忘れたが、そんなふうな食事を伴うパーティが開催された。若い女子社員(その時まだ小さい私にはそう記憶されている)が上司の娘にと色違いのぬいぐるみ(ビーバー;オレンジと茶色)をプレゼントしてくれたりして私はそこそこなんだか楽しかった。 部下に慕われている父親の姿や、手料理をふるまう母親の姿もいい感じで私には映っていた。そして、小さい私も不器用なピアノ演奏で大げさな拍手や褒めの言葉を純粋に受け入れていて、得意げであった。
しかし。 思春期。
同じ調子で、某宴会タケナワとなり、酔いちくれたオヤジ達がピアノ演奏をせがんできた。 でも、私の中では同じ調子なんかじゃない。 酔いちくれたオヤジの前で弾かれるピアノの立場。 自分の姿。何やら猛烈に腹がたってきて、私は弾いた。 「ねこふんじゃった」を。
場はたしか静まった。 いや、すぐには静まってなかった。 私が雑にピアノの蓋を閉めて、その場を立ち去るまでは。 母が私を追いかけてくる。 どうしたんだろう?私は。 たしか「誰もちゃんと聞いてないのに、弾きたくない!酒のツマミじゃない!」とか言ったかもしれない。酒のツマミっていうのは、実際に言葉としては発してはいないかもしれないけど。 見たくない大人の姿を見せられた、知ってしまったという感じだった。 その後,妹がピアノを弾いたとかいうのは覚えていないが、私は多分退場して自室にこもったような気がする。もしかすると、なだめられて、「ちゃんと聞くから弾いて」と言われて素直に弾いたのかもしれないけど。 なんとなくその妙な空気と自分のイラダチは覚えている。 「ねこふんじゃった」とともに。 プライドとの闘いだったんだろう。
今日、夕方プロのシンガーでもあり、美顔の仕事に関わっている方が所用で我が家に来た。シンガーとしての彼女の姿はなかなか拝めてない今だけど、末永く音楽とは関わっていくような感じなので、もう少し私も落ち着いて“大人”なひとときを楽しめるようになってきたらさりげなく彼女のステージを見つめたいなと思っている。50歳くらいになって、健康に余裕があったらタバコなんかカッチョよく吹かしちゃったりなんかして(タバコはまぁカッチョいいイメージの象徴みたいな感じ)
プロのシンガーとして活動する前は,ちょっとしたイベント(文化教室の生け花&絵画発表会的集まりの合間)にカセットを持参して歌声を披露なんてこともしていたと聞く(その時私も近くにいたけどね) その時の彼女と今の彼女とでは、歌に対する姿勢はいい感じで変わっていると思う。投げ銭制にせよ、お金をいただき、自分の歌を聴いてもらうっていう。カラオケボックスで歌を歌う感覚ではない。
経験を重ねながら、場を踏みながら、年も重ねながら、関わるモノや事の見つめ方、自分の価値と向き合う。それが好きなことであればあるほど、関係が深いものであればあるほど、思い入れが強い物であるほど、いろんなところ(苦手なシチュエーションとか…)で自分の価値は試される(と思わずにはいられないはず;少なくとも私は)
今この時も誰かが「ねこふんじゃった」をきっと、弾いているはず。 いろんな思いを抱きながら。
2004年01月16日(金) |
学べよ、オバちゃんから |
今日は先日のタイトルの日記とは、まるで違う内容である。
一昨日、昨日と(今日もか?ー笑ー)続けて、オバちゃんと接した。 一昨日は,大学同窓会の関西支部の支部長さんという方が、我が家にやってきた。何をしにいらっしゃったかというと、美顔である。 去年の11月にあった同窓会でも、ちょっとお肌のお手入れに興味がありげな感じはしたけど、まさか、本当に我が家に来てくださるとは思ってもいなかった。社長とか会長とか所長とか部長とか先生とかそういう肩書きに簡単にビビってしまう私としては,もう大イベントだった。 母親の年くらい離れた“先輩”である。 前日に得意の(笑)チーズケーキを焼いておもてなし。 それでも、「チーズが嫌いだったらどうするか」「やたらコーヒーとかお茶とかに詳しくて、ツッコミを入れられたらどう対応するか」などという私らしい悲観的妄想は当たり前のように私の肩にのっていた。 美顔の約束の時間は、午後1時半。 お昼ご飯にかかっては、もう頭が禿げるくらい気を遣ってしまうのはどう考えても私にとっても、支部長さんにとってもよろしくないと強く思い,「お昼ご飯を食べてきていただいて、1時前くらいにこちらに向けて出発してください」なんて指示をした。
さて、1時半を過ぎ、2時になった。 支部長さんは携帯なんぞ持っておらず、ある駅に無事到着したら連絡するように言ってあった。 1時半の約束が2時…私は思った。予約は明日の間違いだったかもしれないと。そこで、支部長さんの自宅に電話をする。どうか電話に出て下さいなんて祈る。そして、出て来たら「明日のエステですが…」と、さも、明日の予約が当たり前のように確認の連絡をしようと思った。 しかし、電話は留守番電話だった。
うぬぬっ…支部長さんは今どこに…と、中途半端に心配になってきた。 すると、その3分後くらいに「ゴメンなさい〜出遅れてしまって〜今からそ電車に乗ります」とちゃんと連絡がきた。 某駅からは一駅なので、5分もあれば到着する。 私は速攻で徒歩1分の駅に向かった。 マンションのエレベーターを出て,200メーター歩くか歩かないかくらいから、ホームに電車が到着したのが確認された。「早いぞ〜!」とダッシュで改札前に… しかし、支部長さんは降りてこなかった。
え??
時刻表を見ると、10分くらい後に次のが到着となっていた。 そう、支部長さんは公衆電話から電話をかけている訳で、それも多分、思ったよりは改札から離れているような場所からであり、「今から乗ります」っていうのは、今から切符を買って、ホームにあがって、来た電車に乗るということであり、いくら近いからとはいえ、マンションを降りてすぐに見えた電車に乗っているというのはかなり無理があった。 時刻表をみて、1人で「だよなーやっぱりーんな、訳ないっちゅうの〜!」的な独り言を言いつつ、たしか私は笑った(キモイぞっ!)
たしかに支部長さんは、次の電車に乗っていて、改札を出る前からなんかしゃべりながら私に向かって走ってきた。 そして、なぜかコソコソ声で、「この駅、初めて降りたのよ〜わ、スゴイね〜これから開けてくる場所やね〜」と。 それから支部長さんは45分くらいしゃべり続けた(爆)
美顔スタートは3時を回っていた、、 4時半過ぎてから、ようやくドキドキのチーズケーキのおもてなしだ。 支部長さんはコーヒーもケーキもしっかりと飲んで食べて、美顔にも満足して帰っていった。
そして、昨日のオバちゃんは、隣の部屋の方である。 「コーヒー飲みに来てよ〜」と1週間前のゴミ出しで一緒になった時に言ってくださっていたので、アポ無しだったけど、残っていたチーズケーキを持って、もちろん(笑)不在覚悟で3時半にピンポンを鳴らした。 すると、オバちゃんはいた。ケーキを差し出すと,「コーヒー飲んでいき」と思った通り(本当か?)言ってくださり、「あ、鍵閉めてきます」と本当はちゃんと鍵を閉めて出て来たくせに一旦鍵を開けて、背後で「勝手に入ってきてイイからね〜」という声に返事をして、買い物バッグも一緒に(コーヒータイムが終わってからすぐ出かけられるように)お隣にお邪魔した。 お隣だけど、間取りは全く違う。 オバちゃんは私の驚きぶり(ワァ〜とかヘェ〜とかいう反応)から、「そんなに違うものなノォ?」と言った。 母娘の2人暮し(母:74、娘:40)と私ら夫婦と部屋のセンスなどを比べるのは無理があるのは分かっているのだけど、フローリングや建て具のカラーオーダーがまったく違うので私は新鮮だったのだ。 オバちゃんはコーヒーを入れてくれて「あ、納豆出してあげようね」となんかゴソゴソし始めた。ココロの中で「コーヒーに、な、納豆???!!」と驚きがあったが、すっかり私はコタツの中に足を突っ込んでくつろいでいた(爆) オバちゃんの納豆というのは、甘納豆のことだった。 みかんも出してくれて、なんだかほのぼのとした夕方を過ごした。
そうそう、このお隣のオバちゃん(というか、おばあちゃんって言ってもおかしくないけど)スキーの腕前が講師クラスなのだとか!!スゴッ! 娘さんも同じくらいのレベルらしく、サークルに入っていると言っていた。 我が夫が自称中級とか上級とか言っていたことを思い出し、そのことを言ったら「今度、サークルの案内が来たら見せてあげるわ。」と言ってくれた。 74歳ってこんなに元気なのか? スゴイのか? もう脱帽しまくりだ。 カッチョイイ74歳オバちゃん。
オバちゃんにも元気一杯で、元気を分けてもらえそうな人もいる。 どうやら、今年はオバちゃんから学ぶことがかなりありそうだ。
なんちゅうか… もう、なんていうか。 どうでもいいことだけど、ちょっと書いておく。
昨日、車で某ショッピングセンターに行った。 特別、買い物するモノはなかったけど、リサイクル品を持ち込むのが目的で。空き缶数個と食品トレー数個と卵パック1個などをリサイクルボックスに投入。用事は済ませたので、ちょろっと家電コーナーでも覗くかとエスカレータの方に向かおうとした。
すると
オバちゃんが「アレ、さっき、男の方が落としていかはった」と、私に声をかけてきた。“アレ”は、私から6メーター、オバちゃんから6メーター20センチくらいの場所にあった。 “アレ”は、黒い25センチ角くらいのモノだった。私は、それが何かなんとなく分かった。 私は、店員が通りがかったら、しかるべき処理をすると思ったので微妙なスマイルをしてその場を去ろうとした。 すると、オバちゃんは、私がソレがどこにあるのか分からないからその場を離れようとしたと思ったらしく「ほら、あのあそこにある黒いアレ。さっき、男性が…」と同じことを言った。その時、“アレ”は、私から7メーター、オバちゃんから6メーター20センチくらいの場所にあった。
私は少しウザいと思ったが、オバちゃんにそれがちょっとしたモノであることを見せつけるために、気付いたらそれは単にこうすればいいということを刻みつけるために、表情はムッとしつつも“アレ”に向かって近付いた。 “アレ”は、私の思った通りのモノだった。 主人は,私がムッとしつつもオバちゃんの言葉に動かされているの(相手にしているの)を呆れつつ、しかし、見守っていた(と思う)。
“アレ”は、黒い食品トレーだった。 オバちゃんの言う、男性はリサイクル品を持ち込んだ一般客かもしれないし、次の処理の準備をするための店員だったのかもしれない。 私が“ソレ”をしかるべき場所に置いて、戻った時、オバちゃんの姿は消えていた。私が“アレ”に向かって歩いている姿を認めてから去ったのかもしれないし、それを拾ってしかるべき処理をしたのを遠目で確認してから消えたのかもしれない。“アレ”が、大金が入った財布であったりしたら“ソレ”は、私が先に見つけたんだけどね、とオバちゃんは言ったのかもしれない。また、“ソレ”が、盗品とか怪しげなモノだったら、私は何も知りませんよ、とか言ったのかもしれない。(愚かな妄想〜)
“アレ”は、ゴミだった。
なんちゅうか、「なんだろう?アレは?」って思ったとして、なんで見知らぬ誰かを立ち止まらせることを言うのか?! ほんの、些細なコトだけど、明日の我が身ってなこともありえないこともない。
ゴミはゴミ箱へ。 気付いたゴミもゴミ箱へ。 あなたの後ろ姿は何人もの人が見ている。 気付かないふりした姿も、気付いている姿も。
私もちょっと大人げない感情を持ったので、ちょっとだけ反省だな。
女性は30歳を過ぎると、おばさん。 男性は40歳を過ぎると、おじさん。
これは、厳しい? どこかで結婚したら、女性はおばさんと呼ばれて当たり前と聞いた。 結婚して子どもができれば、その友達から「○○ちゃんのオバチャンだ!」と言われる。そのオバチャンが25歳であろうが、29歳であろうが。
20歳代の頃は、おふざけでもオバチャンと言われたりするとえらく腹が立ったりしてた。 不思議なことに、慣れてしまったのか,今は「ハイハイ」と軽く流している。ちょっとしたことにムッキ〜!と腹立っていた時期が“旬”だったのかしら。
-- エアコンの暖房VSガスファンヒーター。 あなたならどっち? こたつ?火鉢?石油ストーブ?
毎年、やはり、ある。 リスト以外の方からの年賀状の到着。 前の年、こちらから出して何の反応もなかったりすると、リストから削るということをする。それが、今年、相手から早々とやってきたりする。 そんな時のために、予備のハガキを10枚ほどスタンバイしている。 今日、3枚出した(主人のものもある)
今年の元旦は、福岡に帰省していたので元旦に年賀状は見ていない。よって、元旦に届けられた年賀状は2日の深夜に見た。思ったよりも少なかった。3日に届いた数のほうが多かったように思う。年末の激務に追われていた人、パソコンでの編集及びプリントに苦戦した人、大晦日にコメントを書くように決めている人、来た人に自分は後日送ることにしている人、イロイロな背景があるもんだ。
毎年、ふえていくもの。 家族写真入りの年賀状だ。 とくに、子どもの写真のみは圧倒的に多い。 子どもの成長の報告とともに、近況や新年の抱負を書く。自然な流れなのかもしれない。写真は、私も載せたりすることもある。 当然、私の顔写真だ。旅行に行った時のものや、自分で得意げに自分を撮影したものなど統一はない。 また、ごく親しい人には、夫婦でプリクラ撮影したものを貼っつけたりすることもある。 個人的には,写真付きならば、友達からの年賀状にはその友達の写真を載せていただきたい。家族集合写真というカタチが分かりやすいか。 幼い子を抱く母としての友達の姿というのは、ホッホォ〜☆見つめる。割合としては子どもよりも友達への注目度のほうが高いけどね。 今の、私の状態はそうなるのが自然。 でも、多分、将来、自分を母として写真を載せるという場合には、「ワタシじゃなくてコノコをミテネ!」的なビームを送るのであろうが。 ゆったりとした時間があって、腕があるならば、似顔絵もまた味があって良さげだ。
今年の自分が作った年賀状での後悔は、パソコン(ソフト)で宛名を印字したことだ。去年まで自筆だった。また、それが自分のポリシーみたいなもんだった。「10年ずっと続けていることは?」とインタビューされれば、「年賀状の宛名は、手書きしてます」と胸を張って答えられるほどに。 機械まかせにしてしまったので、「この人に出したか?」とか「住所変わったな」というのがピン★とこない。 ソフトを立ち上げ,記録欄を見てから確認したものもあった。 200枚、300枚書くというのなら別として100枚と少し程度だから、やっぱり、手書きだろう。書きやすい筆ペンを選ぶという時間も楽しい。 と言いつつ、次回も同じ反省だったりして。
---- 「今年こそ会いましょう」というメッセージを書いて下さったあなた。 本当に会おうね!コッチに来てね!
怒りの幕開け。 何かというと、あるところへ文句を言いたい気分なのだ。 穏やかに過ごすぞ!と決意をしたばかりなのだが。
何かというと,某固定電話サービスのことだ。 去年の9月末に引越をした。引越をすることは約1年ほど前から分かっていた。でも、電話番号まで変わることは引越の1週間前くらいまで知らなかった。それは、まぁ、仕方がない。誰に対しても文句は言わない。むしろ、新鮮な気持ちにさえなれた。もう少し早く分かっていれば、尚よかったが。
某電話サービスの変更キャンペーンが8月末くらいにあった。とくにこだわりがなかったのでキャンペーンの流れにのることにした。 商品券をプレゼントなどと言われるイベントに弱い(笑) 某電話サービスよりも、引越によって商品券がちゃんと発送され、コッチに届くかという心配のほうが大きかった。その時電話応対した女性も「引越されても新住所へ通知等は行きますのでその点はご安心ください。ただ、今登録されている電話会社へ有料サービスの解約、停止の連絡はお客さまの方で、忘れずに行っておいてください」と言っていた。 変更用紙が数日後に送られて来て、早急に投函した。 通常の流れでは、その用紙がちゃんと処理されると某電話サービスセンターから案内がくる。商品券は、その案内が来るよりも早く届いた。 そして、引越のゴタゴタとなった。 すっかり、某電話サービスのことなんて記憶からなくなっていた。
ところが。
サービス解約したはずの電話会社から請求がきた。 払い込み用紙もついていた。 旧番号の精算だろうとその時(2ヶ月くらい前)は思って、数百円だったがちゃんと払った。 そして、また、某電話サービスとその電話会社のことは忘れられた。
ところが。 2日前くらいにまた請求が来た。 てっきりその電話会社とは縁が切れたと思っていたのに、ここで改めて謎として認識された。 そして、公共料金請求書領収書がファイルされてある書類を見る。 某電話サービス…商品券…思い出してきた記憶。 引越をして電話番号が変わった場合某電話サービスは白紙になるのか?それとも早いもん勝ちなのか?それとも電話機がACR機能があるのか? 具体的に疑問が湧いて来た。 某電話サービスセンター(フリーダイヤル)に電話した。 すると、番号が変わっても前の番号でのサービスが継承されるという。 一旦、問い合わせ電話を切り、次に今のサービスはどんな風に登録されているのか聞いてみることにした。 すると、それは、変更キャンペーン申込用紙に書いた内容の前の状態であった。つまり、変更申込が反映されていない。 つまり、縁が切れたと思い込んでいた電話会社の請求はちゃんと合っている。そのよう登録されているのだから。 「別の電話会社のサービスにするので、解約します」と言った時から口座引き落としは消失しているから、払い込み用紙が来たのだ。
そこで、私が送った変更申込用紙がなんだかの事故で届いてない可能性があると考えた。また、どこかの流れで止まっている、と。 そこで変更キャンペーンをしていた電話会社(フリーダイヤル)にその事を伝えた。
すると、最初のオペレーターが「確認します」と言ってきた。 そして「お引越されたとのことですが、新住所への郵便物の転送手続きはされてますか?」と「当然です」と答えた。すると、「少々お待ち下さい」と待たされた。
すると
「担当に変わりました」と別の声。なんか、ちょっと強そうな感じの女性だ。「完了通知が来ないということですが、申込時にコチラではお客さまの新住所や新しい電話番号の情報がつかめてないために、処理が止まっている状態なんですよ。お手数ですが、新しい番号と住所を教えてください」と。 素直に私はそれを伝えた。
すると 「再度、申込書を郵送というカタチを取らせていただきますが、よろしいでしょうか。」というので、「手数料○○○円は発生しないんですよね?」と私(でも、よく考えたらこの手数料の代わりに商品券をもらっているから、処理の流れ上、発生するのは当然)
すると 「○○○円かかろうがかかるまいが、明細をご覧になれば分かると思いますが?」(少々イライラしてきた女性の声) 「そりゃそうでしょう」と私。
結局、申込を新番号新住所で再度行い処理を流すことになった。 最後に「お問い合わせいただいてありがとうございます」とキマリに乗っ取った台詞を言っていた。その台詞は、一番初めに言うことでは??!!
処理が止まった状態であるとかないとかってコッチは分かる訳ないし、おかしいことがあれば電話会社なんだから、電話してきなさい!と言いたかった。(言えよ!自分!)
おそらく、謎の付箋とか書きこみとかが私の書いた変更申込書にはしてあったのだろう。 もしかしたら、その処理の担当は辞めたのかもしれない。 別に問い合わせをせずとも、縁を切ったと思っていた電話会社との縁を復活(口座引き落としにする)というカタチでもよかったのかもしれない。
でも、やっぱり、少額でもある条件のもとに商品券を受け取ったのだから、気にしない訳にはいかない。 イベントを企画した会社にとっては、チッチャなことかもしれないけどサ!
---- さっきのさっき、地震が!! 3秒くらい揺れました。 フックに吊り下げていた鍵がしばらく揺れてました。 怖いよう〜
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