---□□草原で独り言□□---

2007年03月31日(土) マエストーゾ

もたれかかっては いけない
私は
私の夢のために
努力を重ねている

私の支えは
私でなければならない
努力する己を信じる
ほかならない私のために

言い訳を理由に努力を怠ってはいけない
助けをもらえるからこそ歩むことができている道に
そんな報いがあってよいものか

悩みだけ悩んだ
考えるだけ考えた
すべてを想像した
不安と理想と現実を

その果ての
己のこたえに
なんの後悔があろうか

おそるるにたりぬ
己の理想を追求せよ
ひたすら努力せよ

それが
あるべき姿である
己がもっとも美しい姿勢である



2007年03月18日(日) 疑っても

疑うことがある

不安なせいで
悲しいせいで
寂しいせいで

尋ねてみたい疑問がある

それは真実ですか
あなたは嘘をついてないですか
その言葉に心はありますか

嫌っていませんか私を
飽きていませんか私に
魅力ある人ですか私は

好いてくれていますか
愛してくれますか


けれど
それを口にして
尋ねたところで

安堵の言葉をもらったところで
それでもまた
疑ってしまうのでしょう

だから
疑うよりも
信じることにする
それがどうにもならない
疑問なら

一人で夜
こうして想って
美しい姿をさがす
そしてあなたに立ち向かう



2007年03月09日(金) ひとことも欠けず

もし素直にならなかった結果、
自分が泣くはめになったとしたら。

「どうして素直にならなかったの」
そう聞かれるだろう。
「素直になればよかったじゃん」
そう叱られるかもしれない。

素直になるって
だけどとても複雑だとおもう。

「大好きだよ」
「甘えたいと想うよ」
「甘えたくないと想うよ」

一人の人がこの三つの想いを心にかかえてたとして。
どれが一番素直な気持ち?
きっと「大好きだよ」が発端なんだろうけれど。
そして後ろの二つは矛盾している。
不思議ですよね、でもそういうことあるから
素直な気持ちってみえにくいんだとおもう。

もしもこの人の恋人が
「どうして君はぼくに頼ってくれない??」
そう悲しい顔をして問いかけたとき、
この人はどう答えるのが一番素直??

「大好きだよ」
そう答えたのなら
「好きなら僕にもっと近寄ってきてほしい。」
と言うかな。

「甘えたいと想うよ」
そう答えたのなら
「なのにどうして甘えてくれないんだ。」
と聞く。

「甘えたくないと想うよ」
そう答えたなら
「僕がたよりないからそう想うのか。」
と泣くかな。

私は自分の素直な気持ちを人に伝えたいとおもったとき、
短い言葉じゃ決していえないんです。
頭がわるいだけかも知れないし、
言い訳がましいだけなのかもしれない。

私だったらこの3つの想いをかかえたら、
こう言うことが私の素直です。
どれだけ時間をかけても。
どれだけ言葉をかさねても。

「大好きだよ。だから甘えたい。
触れたいし、わがままを言って一緒にいたい。
それでも甘えたくないと思うのは、あなたに負担をかけたくないから。
あなたの荷物になって嫌われるのが怖いから、大好きだから。」


初めて付き合った人と別れたときのことを思い出す。
たたみかけるように頭の中に光景が浮かんだ
それに応じて心につぎつぎと言葉がつむがれて、そのまま口にした。

どれだけ支離滅裂だったか知れない。
素直なつもりで、もしかしたら遠まわしだったのかも知れない。

それでも、あの時、ああ言えた私を信じてる。
ああ言えたからこそ、ああ伝えられたからこそ、
そしてそれを黙って、時々頷いて聞いてくれたあの人だったから、
いまこうやってあの時を思い出せる自分がいる。
思い出をかてに、明日をみつめられる。


…あれ?なんか最初と主旨ずれてる。
まぁいっか。

心のまんまにつむいでると、こういうこともある。



2007年03月08日(木) もしも口にしないなら

「想い」って
口にしなかったなら、とても不確かな存在だ。

もしもだれかに出会ったとして。
それを誰にも言わなかったとする。
そう、一切なにも言わなかったとする。

その人と仲良くなったことも。
そこから生まれた悩みも喜びも。

友達にも、誰にも、口にしなかったとする。
日記にもなにも書かなかったとする。

すべてを自分の胸のうちにしまいこんで、
普段は自分のいつもどおりの生活をする。
そうしたのなら、
それはまるで現実味がなくなるんじゃないか。


そうして、2年、3年たったのなら


きっとその時の「想い」は
まるで夢の中の不思議なあたたかい光景のように
やさしく語りかけてくれるんじゃないか。

もしくは一晩の夢のように、
醒めたら消えてしまうのではないか。
まるで浮遊していた心が、地に足をつけるように。
「あれは夢だったな」と現実の世界からきり離せるのではないか。

「想い」は本当に不確かだ。
「自分はあの時なにか想った」そのことを覚えていても、
それが現実だったのか、もしくは夢の中だったのか、
危うくなる。
私は私のなかの夢と現実を区別する術をもっていないのではないか。

現実にあったことを私が他人の話して、
それを誰かが覚えていてくれて、確かになったりするんじゃないか。
現実になにかヒントをのこしておかないと、
想いはリアルの世界に形をなしてくれないのではないか。

もしもなにも口にしなかったなら、
想いはいつのまにかすべて夢と同化してしまうのではないか。

残したい想いは口にしなければならないのかもしれない。
そして逆に、
いつか忘れたいと願うかも知れない想いなら
誰にも話さなければよいだけなのかも知れない。



2007年03月07日(水) はるはさみしい

泣いたってどうなるわけじゃない

いつかここを動かなきゃいけないことも
いつか隣をみたときに君がいないことも

泣いたからってどうしてほしいわけじゃない
もう決めてるんだ
いつかはここを動くことを
もう知ってるんだ
いつかは君もここから動くことを

泣いたってなにか変わるわけじゃない
ああ だけど
泣きたいんだ
君といっしょに泣きたいんだ


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