---□□草原で独り言□□---

2007年01月31日(水) 臆病な私の

「もしかして嫌われているのか」
そのように想像できる態度をとられたとき
一瞬胸をえぐるようにして、ショックを受ける。

それは多分「その人に嫌われたこと」に対するものじゃなくて、
「自分が攻撃の対象になっている」ということに対してだ。
自分が嫌われるような何かをしてしまった人間だということに…
平気で人を不快にさせてしまったのだということに…
醜さを感じる。嫌悪を感じる。
(自分が美しいものでありたいということを軸にしている時点で
私は本当に自分本位だとも痛感する。)

実際、私はその人を蔑んでいた。
そういう醜いことをしていた。
自信過剰ゆえの、おごりだったと思う。
けれど表向きは笑って過ごしていた。
それを悟られるような行動もまったくしなかったけれど、
知らず知らずのうちに伝わっていたのかもしれない。

「ああ、罰だな」と素直に思う。
人の気持ちを思いやることのできなかった過去の私は、
当時だれかを傷つけた。
そして、今それを私は恥じていて、
醜い自分を早くなかったことにしたいと都合よく思っている。
…けれど、
相手は容赦なく「おまえは嫌なやつだ」と無言でつきつけてくる。
あたりまえだ。
私は謝っていないし、許してほしいとも請うていない。
その人に対してのつぐないを、何一つしていない。

その人を蔑む気持ちを、口に出したり、態度に出したつもりはない。
だから、余計に謝ることもできない。
嫌われているかもしれない。
そう思っても、なんと言えばいいのかわからない。

「あの頃はお互いこどもだったなぁ」なんていう、
時の免罪符はその人と何十年か付き合って、
その後にもらえる慰めで。

いまの現実は、
私はあの人に嫌われている
ただ、その事実のみ。

けれど、もしかしたら原因は私ではないかもしれなくて。
ある誰かが変なことを吹き込んだのかもしれなくて。
これは自分への慰めでもなんでもなくて、
可能性としてあがっている推測の一つだ。
そう思ったとたん、怒りがふつふつ沸いてきた。
言いたいことがあるのだったら、私に直接言ってくればよいものを、
己を誇示したいがために仲間を増やそうとしている姑息なものがいる。
そんな気もしてくる。

でも、たとえそうだとしても。
やはり自分が嫌われて当然の人間であったことは事実だ。
その腹立たしさを自分に向ける前に、他人に向けるなんて、
まったくの馬鹿だ。何にも変わっちゃいない。
そんなもの、ただの都合いい自己防衛だと認めろ。

蔑むという酷いことをしたのは事実だ。
ショックを受けて怒ったところで、それは自己中だ。
可能性のひとつを真実としてとるのも、身勝手だ。
悲しくて、憎しんだところで、繰り返しだ。

謝るような期ではないし、
そんな潔さが私にはない。

臆病な私でもできることはただひとつ、
自分は今、罰を受けているのだと認めることだ。
そして「自分は変わったのだ」というのなら、
「反省している」と思うのならば
絶対に相手を攻撃しようとはしないはずだ。



2007年01月27日(土) ちがい

大きな熊が他愛なくじゃれている。
親として認識している人間に。

けれど、人は体に傷をおう。

どちらも悪くない。
傷は、ちがいから生じたものだけれど、
これは問題なのだろうか??

愛情を求めて、愛情を与えたくて
互いに近よって。

周りから見たなら、
それはダメなように思える。

だけど、
社会の都合とか、誰かの都合とか
それらを全部抜きにしたら
多分、問題ないのだと思う。

傷をおっても、近よりたくて
人は服を厚く着込む。

少しだけ効率が悪いだけで、
たぶん二人の間にはなんの問題もないのだと思う。



2007年01月22日(月) 感情を感じるということ

歌のレッスンのとき「無表情だ」と指摘されます。
苦しそうな顔してるといわれます。
それは実際に発声法や、リズムの取り方に間違いがあって
無理が生じていることも要因の一つなのでしょうが。

ピアノも「もっと自由に弾いていい」といわれます。
「機械的」だと言われます。
私はピアノが上手なほうではないので、
その言葉は「機械のように正確だ」という意味ではなく。
「無表情だ」ということです。
「人間味がない」ということでもある。

私はなんの感情も感じていないのだろうか。
(なんか頭痛が痛いみたいな表現な気が…まぁいいか)

たしかに私は音楽が好きです。
それは紛れもないことで、疑いようもない。
けれど、それが「何故だ?」と言われると答えに迷う。
今思う答えは、
音楽は、私の心を感じさせてくれるから。
私に「心が在る」ことを感じさせてくれるからという意です。
私はそれを感じた瞬間、言いようもなくおそれおののいて、
それに喜びを感じる。
それを手放したくないと願う。
だから音楽に浸り続けていたいと思う。

その瞬間は、
確かに私は「感情」を抱いている…と感じる。
ああ、「悲しみとはこういうものなのか」
ああ、「喜びとはこういうものなのか」
ああ、「狂乱とはこういうものなのか」
それは、心臓を突如わしずかみされたように
的確に純粋に明瞭に私に訪れて
あの感覚を感じた時の喜びが、私を捉えて離さない。
あの感覚に魅了されて、私は音楽から離れられないんだ。


けれど、あの瞬間は本当に時々、
神様が特別な贈り物をしてくれるかのようで、
いつも起こるわけではない。
そしてその確立が高いのは
「指揮者」を目の前に迎えて歌うとき。
指揮者が体当たりで、目の前に音楽を表現してくれるから、
自分一人では気づかない音楽の感情を教えてくれる。
おそらく私には、まだ、音楽を本当の意味で聴くための
能力がいくつか欠けている。
そのうちのひとつが「感情を感じる」ということだ。

私はもしかしたら、何もないところから、
「喜び」や、「楽しみ」や、「怒り」の感情の感覚を
自分の心から引き出すのは不得意かもしれないけれど。
けれど、悩むことの多い私は「悲しみ」に沈むことがよくある。
だから、悲しい歌では「悲しみ」を感じながら歌っているつもりだった。
なのに「無表情」と言われるのは何故だろう。

答えは簡単だったりする。
「顔に出ていない」ということだ。

今日試してみた。
ピアノを弾いているときに、
「悲しくて遠いところをみつめるような顔」をしてみたり
「苦悩しながら苦しくて苦しくてしょうがない顔」をしてみた。
なれたら、
フレーズを生み出そうと鍵盤を弾くための、指や腕、
躯体の動きも意識してみた。


そうしたら、本当に不思議だ。
あの感情を感じる感覚が訪れてきたから。
それは顔の表情を作ったときに…、顔の筋肉を動かしたときに、
自然に訪れてきた。泉がわいて、ひろがりくるように。


心と顔をつなげる。
それをおぼえたのなら、きっとわたしがかわる。



2007年01月15日(月) ほしい

ささいなことにまでいちいち感動するような
そういう心が欲しい
そうしたら
たくさん気付ける
たくさんの落とし物をみつけられる



2007年01月14日(日) 変な夢を見た

見渡すかぎりの
黄金砂漠
大地はさらさらした黄色の砂
嵐にまきあげられたせいで
空もそれだった
太陽もそれにさえぎられ
光も黄金だった
視界にうつるのは
すべて黄金の砂色だった

しかし
そこに一本のレール
後ろにも前にも
果てしなくのびて
汽笛をあげて
砂の世界をすすんでゆく
私のとなりを走ってゆく

私は歩いていた
レールのそばを
なにか愛しいものを担いでいた
ふと 列車の音
ふりかえればこちらに向う車輪のこだま
私は砂の土手に登り
過ぎ去るそれを眺めた
それは私の目指すほうに向っていった

私はまた歩きだした
なにか愛しいものを
もう一度しっかり担ぎなおし
レールをたどる
すると肩の上から
それが何かをつぶやいた
「―――――」
私は答える
「私は不様にでも不恰好にでも、
着くようになんとか最後までやるとするよ」
そうして なにか愛しいものに水を差し出した



2007年01月13日(土) 甘えるな

自分で決めたことなら
弱音を吐くな
甘えるな
言い訳するな
諦めるな
自分を甘やかすな
後悔をおそれて
後悔から逃げるな
省みて
ひとりで全力で泣いて
明日にはまえを向け



2007年01月08日(月) 事実、真実

アパートに一人でいたってとくに寂しくはない。たいていのことは一人でこなす。メールや電話も用件があるときしかしない。
それは事実だ。
どっからどうみたって、それらの事実が示すのはドライな人間。一人でいることを好む、人を拒むような冷たさか。
でも、私がアパートで寂しくないのは同じ階の住人が友達ばかりだし、両親のおかげ東京で楽しい生活をおくれているから。ひとりで何事もこなすのは「強さ」にこだわる私の性格もあるけれど、人に頼ることができなかったり、頼りたくても頼り方を知らなかったりするせいでもある。メールや電話も自分からはしないが、誰かから来たのならもちろん嬉しいし、たまにたわいもない話ができたのなら面白いだろうなぁと思う。私は自分から送る勇気がないし、なんと会話していいのかわからないんだ。



2007年01月06日(土) はなれない詞

あの時、なにげなくテレビをつけてました。そしておぼろげに眺めていただけでした。
その画面のなか、スマップと近藤まさひこがジョイントしてうたっていました。どちらのことも好きでも嫌いでもなく、ただテレビがついていて、暇をもてあましてただけでした。
ふと、聞き覚えのある曲がきこえた。あの頃の光景とともに、サビのメロディーが頭のなかに思い出される。あれは、小学生のころだったか、幼なじみと一緒にでかけた車の中で流れていた。
別に好きでも嫌いでもない曲。きっかけがあって「ああ」と思い出すだけの曲。
だったはずのもの。
けれど、このあいだ私にひとつの言葉をのこしていった。
『強そうに生きてゆくよりも
本当に強くなるために』
この詞が、私に刻まれてはなれない。
こんなところで、こんなに衝撃的な言葉に出会うとは正直思ってもみなかった。


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S.Soraka [MAIL]