人と真に友達になりたいと思ったとき、 いつも仮面をかぶっていると、いつか壁にぶちあたることになる。
仲良くなってきたところで、油断して 思わずその面をはずしてしまうんだ。 といっても、はずしたその人格が本来なのだろうけれど。 自分の性格の悪さを私は自覚している。 そのままでは醜いことも、人に嫌われるであろうことも知っている だから仮面をかぶっている。 なるたけ「否定的なことを言わない」を言わないようにしている。 ちょっと意見が食い違うときとか、 話を聞いていて納得できないときとか、 なんだかイ苛々してくるときとか、 私はよく「否定」をしたくなることが多い。 それも攻撃のように。 私の心の中にはいつもそういうのがうずまいているんだ。 きっと自分に自信がないからこその、虚栄なのだ。 「弱い犬ほどよくほえる」とはよく言ったものだと思う。 そんな自分を、バレたくない。 だからなるべく、何も考えていないように。 だからなるべく、どうでもいいよーというように。 だからなるべく、笑っているように。 そういう仮面をかぶってる。
でも、もう「仮面」とかわからなくなってきた。 「仮面をかぶること」が悪いことかも。 私は本来の自分の性格の捻くれさが嫌だと思って、 理想の顔をしているんだ。 仮面をかぶることは、理想に近づこうとしていることでもあるんじゃないのか。 それすらも、私の性格じゃないのか。 「黒い心を醜いと思って、変わりたいと思う」それも私の性格だ。 一時期、考えたことがある。 仮面が顔にはりついて、もう絶対はがれなくなって、 同化して、本来の顔を塗り替えてくれないかと。 でも、私の性格の黒さはまだまだしつこく心に巣くっている。 普段はかくしていても 「仲良くなった、きっと嫌われることはもうない」 そう思って油断して仮面がすこし緩んだとたん、 そいつはここぞと顔をのぞかせてくる。 そして、後にのこるのは自己嫌悪。 どうしてあのとき油断したのか、と。 どうしてあのときダメな自分を抑えられなかったのか、と。
また決意しなおして、仮面をつける。 でも、これはすごく、疲れる。 24時間続けると、顔がつかれる。 なんだか自分が何者なんだろうと思う。
本当は、「顔」からでなくて、 「心」から人格を変えるのが一番確かなんだ。 そうするにはどうしたらいい。 私は何を捨てたらいい。 私は何を得たらいい。 私は何を決意したらいい。
夜中の三時 灯りをおとした部屋のカーテン すこしひらいたすきまから まばゆい小さな光
われた鏡の破片が きらりきらりと輝くように
きみはだれ なぜそんなに瞬くの なにを伝えたいの
うらやましいよ きみは気がついてもらえる そのきらめきに
もしきみが少し親切なお星さまなら 教えておくれよ きみはどうやって輝いているのか
その人は話した 己の中にながれる音楽を だが みんな 聴こうとしなかった
その人は口を閉ざした すこしおそれた 己と他人との距離に 悲しさをおぼえた
だが その人は あきらめはしなかった
あるとき その人は 無防備に笑みをたたえた 己の身を守るための 疑心を捨てた
そして 伝えようと 己の腕を 足を 全身を 彼は 音に自らをたくしだした みんなの眼をみつめながら
ふと
とつじょ ティンパニの音
気高く ひとつの音が 空間にこだました まさしくそれは 一人の者が 伝えの声に応えたしるし
「すばらしい音だ ありがとう」 指揮者は 微笑んだ
それは 歯車をまわす きっかけとなった その響きの美しさに ひとり また ひとり と 彼の伝えたいとするこれに 耳をかたむけ 指揮者はそのたび ひとり ひとりに微笑んだ ああ その音のなんと美しく なんとおおらかに私らを満たすことか
ひとり ひとりと その響きにひきよせられてゆく
そして だれもが微笑み 呼吸をあわせ 彼の伝えたいたいものを 一心に聴いた そして 己のものとし ひとり ひとりと 鼓動をあわせた
抱きあえ 数百万の人々よ このキスを全世界へ ともに歓喜に声をあわせよう たったひとつの魂すら 愛すことができないものは 泣きながら去るがいい 兄弟たちよ ともに歓喜に声をあわせよう
2006年12月22日(金) |
気付ける人間になりたい |
見える現実 見えない現実 見えない現実は、きっと見える現実の影になっていて、そこに在ることに誰も気づかない。 たぶん見落としていることがたくさんある。 この瞬間にも。いま私が携帯をつかっている現実と表裏している、見えない現実。 いちいち気付いていたら大変だから、省いて生きているんだ。 だけど、私は省いていることが勿体ないような気がしてならない。 気が付けていたなら、宇宙がまるいものに思えるようになるような気がしてならない。
努力もしていないのに、ごたいそうな夢を語る 実力も伴わないのに、身のほど知らずな選択する わかってもいないだろうに、まるでわかったような顔をする
私はそういう人になるのが嫌みたいだ。そういう人だと見られるのが怖いみたいだ。
だから、自分自身が怠慢していると感じると、私は夢を語れない。 結果が見えないと、決断できない。 自分に自信がない私は、いつも「わかったと思っていても、上辺しかわかっていないのかも知れない」と不安になり、いつだって疑問にわかったという顔ができない。
昔は恥よりも、なによりも、「後悔」がこわかった。けれど今は「恥」をおそれているのか。醜さとか愚かさとか、失敗するのがいやなのか。人に嫌われるのがいやなのか。 「恐れていて」と表現したら、まるでそれだけで臆病者のようだけど…、けれど、後悔をおそれていたあの頃の私にはそれと表裏するように「勇気」があった。自分の理想を貫けずに後悔することを何よりも恐れて、その後悔をしないためならば、失敗や醜態をさらすこともおそれない、足を踏み出す勇気があった。
はやく目をさませ、わたし。時間はわずかしか残っていない。泣いても、這いつくばってでも、私には成し遂げなきゃならない理想がある。不様にでいい、目を醒ませ。
もうわからないんですよ。 ええ、私には。 何が正しいのか、どれが正しくないのかなんて。 正しいんだって判断する基準もくずれてきて、 変なのがあたりまえになって、 そうしたら基準はそれになって、もうわからないんですよ。 考えたって無駄なんだ。 でも、結局、「どうしてだよ、なんでだよ…」 電気の消えた真っ暗な部屋で、 ひとりずっとモーツァルトきいてる。
なんでだよ。
どうしてだよ。
なんでこんなに狂っちゃったんだよ…
私の体内時計。
いちおここまで前フリでございました。 まるでとても大変なことのように始まりつつ、 深刻な意味はまるでありません。
くそう。 もうだめだ。今午前5時だけど、眠くならない。
昨日起きたのは昼12時。 学校行って帰ってきて、17−19時までうたたね。 夕飯食べてから今に至るまで、すごい目さえてるんですが。 大体食事の摂取回数もおかしい。 世間一般の朝飯と昼飯はどこいった。 うたたね前と、夕食後に、間食はしましたが、 主食らしい炭水化物とったのは夕食だけ。 あとはザーサイとアイスとサバ缶。 脈絡無い組み合わせだな。 ちなみにおとといは間食がキムチ350グラムだった。 布団ははいっても結局眠れないため、 iPodに入ったモーツァルトを小1時間聞き続け、 それでも眠れないときは、なんかちゃぶ台ひっくり返したくなります。 ヒマつぶしに何か考えてみるものの、余計眠れんわ。
前は徹夜すると肌が目に見えて「元気ない」感じとなり、 夜寝ないことは間違いですよ、と、その度思い知らされました。 「肌の調子」それが基準でした。(女にとって結構切実) だけど最近は、朝6時に寝てもなんてことない。 これは不規則な生活リズムでも、案外健康に影響はないということなのか? 夜起きてても、昼間寝てる時間が増えたせいなのか?? 体が「もう夜じゃなくて昼間に肌再生しよ」って思ってるのかもしれない。 そういえば、時間は一般とずれていますが、 一日6時間以上は必ず睡眠しているので問題ないのかも知れません。 時には10時間眠りこけることもありますし。 なんていうか、体が不調を訴えないので、 今の生活が「悪」だと自分に厳しく叱らないのが原因ですか。 なかなか理想の生活リズムにもどせません。 でも月、水は朝早くから授業があるので、前日眠れないのはさすがに困る。
人間の体は夜行性ではないはずなのに、なかなかどうして順応しているため 何が正しいのかわからなくなりましたが とにかく理想は「朝起き、昼活動して、夜眠る」ことなので 今の変な生活リズムをなんとか、 一日三食とれる一般的なものに戻したいとおもいます。 人間は誕生した頃から、「太陽の光で朝起きるもの」だったはずなので。 あ、やっぱ部屋の遮光カーテンがいけないのか? でも取り外すわけにもいかず… 一人暮らしにはかかせないけど、けっこうくせものな便利アイテムだ。 まあ努力して体内時計戻そう。 三食取ってナイスバディ、お肌も体も健康でゴーゴーです。 …自分で言っといてなんですが、なんかすんごいセンスないキャッチコピーみたいですね。
自分の言いたいこと言う。自分の正直な感想言う。自分の希望を臆さず言う。 だけど、常識をわきまえてる。自分が他人にどう見えるかを常にわきまえている。自分を卑下も過大もせず、現実を見ている。 相手と自分とで対峙したとき、人の境遇を自分に置き換えて、その人の思考を想像し、両方の立場からイーブンに意見を見定める。 言うべきことは口にし、言うべきでないことは口にしない。 「あいつにくらべて、ソンした」とか、「もしああだったら、トクできたのに」とか、そういう風に考えたりしないのかもしれない。 自分のしたいことができればいい。自分のしたいことが邪魔されなければいい。 自分は美しくありたいから、他人に醜い姿は見せないようにする。 自分に少しでも得を、損は相手に…と考えないから、いつも常識的に物事を判断できる。
常識のなかで自由に生きてる人、器用で賢いと思う。きっと、自分になにか自信があるからこその余裕でもあると思う。
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