2006年11月24日(金) |
たくさん話をしたわけではないけど |
たまたま母にメールをしたら、 今日お葬式が行われたという話を聞いた。 小学生〜高校半ばまで習っていたピアノの先生のお母さんが、 ついこの間亡くなったというのだ。
そのピアノ教室は、木造の民家に、小学生や中学生が学校帰りに通う 小さなピアノ教室でした。 レッスン開始時刻も、レッスン時間も定められることなく、 来た人の順でよいしょよいしょと進められていくのでした。 滅多にない方式だと思います。 もうしばらく訪れていないので変わっているかもしれませんね。 午後から開講されるのですが、六時くらいまでは20人前後の小学生が、 それ以降は部活帰りの数人の中学生が通ってました。 早く終わらせたいときは学校が終わったらすぐさま行ったし、 幼馴染と一緒に放課後遊んでからぶらぶら行くこともあった。 自由な半面、混みあう時間は16畳くらいのそのレッスン室兼待合室に 10人くらいの子供が「まだかなー(TT)」って感じで座ってましたが(笑 本を読んでたり、おいてある漫画を読んでたり、 足の低い長テーブルで宿題してたり、 レッスンしているグランドピアノの下で寝てたり… ピアノの下はとくに人気がありましたね。小さい子がよくもぐりこんでました。 かくいう私も小学生の頃、幼馴染の子とそこにもぐりこみました。
中学になるとほとんど六時以降に通うようになって、 部屋には自分のほかに一人か二人、同じく中学生がいるだけ。 わいわいとした子供たちの空気は去って、一気に静かに落ち着くのでした。 すると、たまにふらりとお婆さんが顔を出します。 それがピアノの先生のお母さんです。 おばあさんは静かに座って、テーブルにひじを置き、 だまってレッスンの様子を聞いているのでした。 そして、時々、たまに中学生と短いおしゃべりもするのでした。
とりあえずここまで 続きはまたあとで。
----- 12/3 追記 -----
高校生になって、なにかに突き動かされるように 私は先生に頼み込んで、発表会で歌わせてもらえることになった。 そしてそれから少したって、音楽へ進学の道も決めて。 たくさんの人に支えてもらった。
いつだったろう。 でも、とても嬉しくって、涙が出そうだった言葉をもらった。 ピアノの先生のお母さんである、そのおばあさんに。 「わたしは本当に感動したもの。本当に泣きそうだったんだよ」 私が発表会で歌ったとき、心からそう感じたのだと、言ってくれた。 娘であるピアノの先生が伴奏していた画も、 感動に拍車をかけたのかもしれない。 でも、あの時、言ってくれた声は心からの声だった。 そして、その声でつむがれた言葉は真実の心で。 疑う余地もない、心の底からの声。 忘れられない。 私は本当に、本当に、嬉しかった。 今だって、涙が出そうになる。
たくさん話をしたわけではない。 「関係ない人」なのかもしれない。 けれど、あの言葉をもらって私は本当に励まされたから、 そんな言葉をくれたあの人がなくなってしまった と思うと かなしい。
悲しみは怒りに、憧憬は妬みに、いつしか変化してしまう。 最初は「怒り」とか「憎しみ」とかじゃないはずなんだ。 始まりはきっと黒い気持ちなんかじゃない。 なのにどうして。 なんかいつの間にかねじれている。 泣いていたはずなのに、 いつのまにか「それは誰のせいだ」と考えていて憎もうとしている。 きっと心の底でうらやましいと思っているのに、 「あれは悪だ」と自分を正義にしている。
テレビの中で、大人たちがヤジを飛ばし合いながら、口論している。 「だからふざんけんな!」 「そうだ!いいかげんにしろ!」 何のための言葉なのだろう。 相手を納得させるため? いいや、こんな言葉で納得させられるはずがない。 相手をねじふせるため? でも、大声で罵声で相手を萎縮させただけの優位なんて、一体何だというのだろう。そんなものは一時、相手を黙らせるだけに過ぎない。 自分の主張をとおしたいから? だったら訴えればいい。自分の考えを、願望を訴えればいい。 そうだ、最初はそこから始まっているはずなんだ。 それは誰しもが一緒。 けれど、誰でもそれぞれに願望を持っているからこそ、 誰しもがそれを通したくて、だから譲らない。 そうして自分の願いはそう簡単には通らない。 しょうがないのかもしれない。 自分の訴えが誰にも聞いてもらえなかったり、退けられたりしたのなら、 誰だって「腹立たしい」。 でもその前に、「かなしい、そして腹立たしい」とワンクッション置いたなら少し冷静になれるかな。なんとなく。 夢想論か。 だけど、私だけの話でいうなら、きっと少しは冷静になれる。 人に怒りをぶつけるまえに、自分を分析したほうが きっと間違いが少なくてすむ気がする。 どうしたら、人と人って話しながら理解しあえるのだろう。 でも誰でも納得する答えって無理なのかもしれない。 じゃあやっぱり、人が泣くことはなくならないのか。
ちなみに、 いつの間にか自分が偉くなったように勘違いしていて、 突然誰かから注意をうけたときカッとなって怒る人がいますが あれは許容する気にはなれません。 しばらく叱られていない大人は、注意されたことに恥を感じるのか、 人の話を真剣に聞こうとしないし受け入れる気もさらさらない。 聞かないどころか、相手を攻撃するばかり。 人の訴えを聞かない者は、自分の訴えも聞いてもらえない。
気づいたとき、私が最も心ひかれていたのは宇宙でした。 小学生のころは図書館といえば星座や、それにまつわるギリシャ神話の本ばかり読んでいた。他になにを読んでいたかはあまり記憶にない。 月を見るのが大好きだった。星を見るのが大好きだった。夜空を眺めるのが大好きだった。学校の理科準備室で天体暦付きのカレンダーを見つけて、先生に「あれがほしい」と言った。望遠鏡も買ってもらった。それでオリオン座の星雲や、彗星をみた。 中学生になっても、私はやはり宇宙にひかれていた。芸能人とか、オシャレとか、体型だとか、恋愛だとか、あまり興味がなかった。「私はくせ毛だな」とか「私は流行を全然知らないな」とか思うことはあったけど、別にたいして悩んでいるワケでもなく、事実として認識しているというだけで。ましてや、友達がいなくなるかもとかそんなことは考えもしなかったし、「べつにひとりでもいい」と思っていた。「愛」とか「優しさ」とか本当、そんなのどうでもよくて。「人間」の温度のぬくさがむしろ嫌いだったかもしれない。人間が「汚」に感じられた。私はあの頃なにか色々葛藤していて、そしてなんか色んなものが嫌だった。「美しい世界へ逃げたい」そんな感じだった。 悩みに満ちた私に、しかし、夜は毎日かならずおとずれてくれて、私は安らぐことができた。星を眺められる聖なる時間、夜は静かに満ちていた。 夜空をずっと黙って眺めていると、ふっと色んなことがわからなくなる瞬間がある。夜空のドームがどこまで広がっているのか…そうですね、漫画でいい言葉があったので引用します。宇宙と地球の境目がわからなくなるんです(引用:「宇宙と地球の境目」 『プラネテス』著 幸村誠) 地球を出て宇宙服を着なければ行けないあの星雲に、手がぐいーんとのびて触れられそうなきがする。懐中電灯でその星を照らせそうなきがする。そう今この手のなかの、懐中電灯の光がいまこの夜空をつきすすんで宇宙をかけているのなら、私も宇宙にふれたきがする。遠く冷たいものではないように感じてくるんです。でもじっさいは謎と不思議の宝庫で一人ベッドで考えたなら冷たさや虚無を感じるばかり。なのに夜空をずっと眺めていたなら、いつしか空気がとても優しく語りかけてくれるような穏やかが胸をつつむ。まるで大気と友達になって星を眺めているようだった。
…ただそんだけな話
呆れられたり、評価を下げられたら嫌だ、と隠していた疑問。 今までは何が起こるかわからなくて口をつぐんでいたけれど。 自分の中でぐるぐるぐるぐる同じところを旋回していた問題。 偶然なきっかけに背を押され、「あっ」とたずねてみた。友達に。 そうしたら、答えとまでは言わないけれど、ちょっと出口を探しあてた。
見栄を張って知ったかぶりしていた面とか、 思い切ってさらけ出していいのかもしれない。 一生の恥より、一時の恥だ。 だけどこれには勇気がいる。 弱い自分、ダメな自分を見せることはなんだか勇気がいる。 用心深い私は、その話をするきっかけをつかむのも一苦労だ。
でも自分が成長するためには、 おそれよりも、勇気を持とう。
2006年11月15日(水) |
友達と話せば話すほど |
友達と話すほどにわかることは、相手のことと同時に、それと比較した時の自分の黒さ加減だ。 ぶっちゃけた所、私は大嫌いなのだ。いつもへらりと笑っていて、うまく人に甘えることができ、失敗をしても「ドジだなあ」と愛敬で放免され、人に寄られそして人に呆れられることなく、自分に自信がないといい、人に向かってかんたんに誉め言葉を発し、だが実は心の奥底では裏と表をきちんと使い分けている、そんな人間がむちゃくちゃ得をしているようで腹が立つのだ。 しかし、私はその人に笑いながら話しかける。それはきっと私の性格の悪さを隠すためなのだ。それと、腹を立てて喧嘩をし別れたところで何らいいことはない。そんなことをしても、後悔するだけなのだ。自分の醜い姿に。それに、友達は少しでも多くて寂しいことはないと私は知っているから。気づいたから。 そう、その人に嫉妬をして、その黒い部分を周りに知られた時、困るのは自分だからときっと笑いかけていられるのだ。 だけど他の皆はどうだ。 本気で「可愛らしい」と思っているかのように話している。本気で「まったく、しょうがないなあ」と愛敬を感じているかのように寄っていく。本気で「素直な子だ」と疑いもしていないようにその子を見ている。 本気でそうなのだろうか。皆、私のように黒い部分がばれてしまわぬように自分を押さえているのではないのか。 だがしかし、私にはやはり皆は本気でそうなようにしか見えない。話をきいていてもそうとしか思えない。私はそれほど人とおしゃべりをする方ではないから、たまに友達と長話をしたりすると、自分と皆が同じだと思い込んでいたことが崩れることがよくある。 人間は誰でも腹黒いし自己中心なんだと、すべてを皮肉ってみていたのは、自分の黒さを普通なんだと、正当化したいだけの言い訳だったのか?と打ちひしがれる。
2006年11月10日(金) |
所変わればたくさん気付く |
情けないと痛感して、会わせる顔がない。その気持ちが身に染みてよくわかる。 声楽演奏会に母と祖父母がきた。私のうたを聴くのは一年ぶりになる。私の感覚からすると、去年にくらべればマシに演奏できたものの、やはり納得いくものではなかった。家族たちが終演してから先に帰っていて、私の帰りを待っていた。「会わせる顔がない。言い訳もハッタリもできない。何ていえばいいのかわからない」それが私の正直な気持ち…途方にくれながら、焦りながら家路についた。 やはり家族もなんというのが一番よいのかことばを選んでいる様子だった。 演奏と私の表情をみれば、「今回の出来が良くなかった」ことが嫌でもわかるハズだ。うちの家族は慰めは言わない、お世辞も言わないし、ひいき目もしない。だからと言って音楽に精通しているわけもなく、批判のことばはない。ようするに「ホメ言葉が出ない演奏」は、イコール「期待に添っていない演奏」ということなのだ。 「期待をもって聴かれる」という場面がこれからいくらでも生じてくるのだろう。そういうとき、期待を裏切らない仕事ができてこそプロの演奏家なんだろうな。
また、上記のこととは話がかわりますが、一泊二日で家族が来たということで色々たのしかったり、気付いたこともたくさんありました。 夜、ばあちゃんが布団をはねのけてたのでタオルをかけて「あー、こういう風に家族はいつも私を心配してたのかなー、私まだまだ二十歳すぎたばっかの若造だけど人の心配できるようになったのは大人になったってことかなー」とかボヤーっと思ったり、就職についての話題がでた時じいさんばあさんがあまり口をはさみたがらないこととか、料理店で私も遠慮なくお茶追加ーって言えるようになっちゃったなーとか、祖父母がおこづかいをくれるのはありがたいなーって思ったら「あぁそっか、私も小さい頃とはずいぶんほしいものが変わったんだなぁ。だからおこづかいなんだなぁ。」 とか、じいちゃんは孫の言ったちっさなセリフをよく覚えてるなーとか、時間の流れる速度の感覚が違う分そのセリフも私たち孫側からしたらずっと昔の恥ずかしいくらいアホで無邪気だった過去のものでも昨日のように感じるのかなとか。
苦労は若いうちに買ってでもしておけ、とは言いますが、叱られたり怒鳴られたりする経験も若いうちに慣れておく方がいいと最近切実にそうおもう…
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