今日はおもいっきし悪口です。気分を害されるおそれのある方は読まないでくださいませm(__)m☆
もう本当、ありえないくらい人のこと考えてなくて信じられないんですけど。とある人、昔はありえないくらい性格いいと思った友達です。でもザンネンながら甚だしい勘違いでした。私と同じく化けの皮がはがれるのに数年かかるタイプの人間だっただけで。 人と顔合わせてる時はいつもやたらと下手に出て「ごめん!ごめん!」とか言って「悪いと思ってます(>_<)」みたいな空気だしてイイ子ぶる性格のくせに、携帯メールの連絡をものすごくすっぽかすんですが。 私は連絡事項メールしか99パーセントしません。ようするに用事があってメールするわけです。それまで2、3回往復していたにも関わらず突然パタリた途絶えるわけです。話が終わってるなら構いませんよ、ええ、まったく。「〜?」っていう疑問系で終わってるのを止めんじゃないわよ!!連絡事項の質問応答が終わってないでしょうが!! 最初のうちは「寝ちゃったのかなぁ」と思って何も言いませんでした。言いませんでしたとも、そういう場合もありましょうとも。た・ま・に・は。それで咎めるのも心が狭いですし、気にしませんでしたが。何回か許すうちに、つけあがって「まぁいっかー」って適当にすんのいいかげんにしろよ。 「忘れっぽくて…本当ダメだよね(T_T)」って何回謝るんですか。あんたの場合は、本当は面倒臭いからテキトーに流してるだけでしょう。自分を馬鹿だからって自虐してすむんなら周りは迷惑しないんですよ、言い訳サン。 まぁそれでもテキト〜に世を渡っていくんでしょうね。お世辞とごまかし、イイ子ぶりっこの口調と、口先だけのゴメンはお得意な子ですから。
なにかにショックを受けたり、なにかに動揺したり、なにかに悲しみを覚えても、大人ぶってやりすごす。 いいや、それほどショックではない よくあることだ いいや、そんなに動揺したところでなんてことはない いいや、それほど悲しいことではない 明日があるさ 大人ぶって、冷静なふりして客観的なふりして自分を納得させようとする。動揺して心が、精神が、苦痛にひたるのを怖れて。自分の抱いた本当の感情を「真実らしい言い訳」で納得させて。 「くよくよしないなんて、前向きじゃないか」って一瞬思った。 でも、違う。こんなのは絶対違う。 すごくショックをうけて、すごく動揺して、すごく悲しくなったりして、苦しくなる。ものすごく苦しんで、悩んで(でも、それでもそれを理由に今自分がすべきことを怠っては駄目だ)、その心を本気で経過してから、それでも次を信じて向かおうと努力して、初めて「前向き」っていうんじゃないか。 苦脳はこわいけど、逃げちゃいけない。大人ぶってたってなんの意味もない。本気で自分の感情をうけとめなきゃ、きっと毎日は色褪せてしまう…なんだかそんな気がする。
全然はなし通じなさそうな人っているじゃないですか。電車でためらうこともなく座席に横になってる変なメイクの子とか、テレビに移ってるなんだかヤケにハイテンションな子とか。 あの類の人をみると何とも言えない嫌悪感を覚えるのですが。 だけど腹黒いんだろうとは思わない。普通の人は腹黒い可能性の方が高いと思うのですけど。悪く言えばただの馬鹿だし、良く言えば嘘をつけない人間。未来のことを計算できない、思い描けない、そんな感じなのかなと思う。計算とか思惑とかできなきゃいけないのに、腹黒になんかなれるわけない。 そして悩みをおとなしく考えていられない。その人たちが抱えてる悩みの大きさがすごく重いのかもしれない。 小さい子みたいだなぁと思う。何か欲しい、何か苦しい、何か嫌だ、でもその何かがわからない。お菓子を食べたら忘れる、おもちゃがあったら忘れる、遊んでれば忘れる。 心理学では、人格の形成には各年齢のあいだに会得しなきゃいけない課題があるのだそうです。それは親からの愛だったり、信頼だったり。 やっぱり大人に問題があるんでしょうか。離婚とか、子供が寂しい思いをするとか、そういうのがよくないのでしょうか。私の中学時代の友達の家庭で、両親が離婚した家を2件ありました。一方の家庭はとても立派な娘がそだちました、一方の家庭では少女が万引きをしました。 私は「□□ちゃん、親の離婚がすごくショックだったんだろうね、やっぱり離婚は子供によくないんだ」って思いました。 でも大人は「だけどあそこの○○ちゃんはあんなに立派に育っている。□□ちゃんはショックに耐えきれない弱い精神だったんだ。」 まるで悪いのは全て万引きをした少女ですか。弱い精神の子供が、甘えるのは親で、頼るのも親なのに。そんな時、両親が「もう二人でいられない」って自分たちの気持ちを押し通すことを第一にしているさなかに、子供は頼れるのでしょうか。子供が悩んでいるときに力になれない親が悪くなくて、親が大変な時に子供が我慢することを悪いというのでしょうか。
演奏会本番が終わって、友達二人と一緒に軽く夕飯と一杯を…の予定が居酒屋とは不思議なもので一度足を踏み入れたら、つぎつぎに食べて、ごくごく飲んで、ガッツリ話さないと満足せず。 居酒屋ってどうしてあんなに皆で暴露できちゃうんでしょうか。酒の力…なのかなぁ。でも酔ってるから言えるとかじゃなくて、なんかあの場にいくと一気に親近感が生まれるというか。 二十歳をすぎると、本当に愛を知っていそうな子がいて、大人なんだなぁと思う。中学や高校はあくまで恋っていうか、ただ好きっていう感情を抱いたことに舞い上がってるだけっていうか。 だけど、やっぱり友達の話をきいたら、男と女っていう付き合いよりも、なんだか人と人っていう温かさが感じられた。 一方的じゃない。与えてほしいし、与えたいし、安らぎたいし、安らぎさせてあげたいし、相手もそう思ってるっている絆がある。 私のしらないところで、みんなちゃんと大人になっているんだ。
私は心のもやもやが大嫌いです。 そのもやもやっていうのはたいてい人付き合いから生まれる。腹が立ってもニッコリしてる自分。自分は非がないのに何やら怒っている相手。 面倒は起こしたくないから黙って見過ごす。ケンカしたら仲直りするまで毎日気が重くなってしまうから、いやなんだ。晴れの日ですら快活さが心にしみてこない、そんなのはもったいなくて仕方ないから嫌なんだ。 なんだか誰かと気まずくなっても、自分が悪いんだって答えをだしてしまえばもやもやは消える。だけど、自分に非がないことだってたくさんある。それでも大人だったら「ごめんなさい」っていうんだ。私だっていう、言うけど…私は負けず嫌いだからやっぱり納得がいかなくてもやもやする。 じゃあ逆に心のままに文句を言ってみたところで、それが決して美しい行為ではないと私はちゃんと認識しているから、やっぱり後悔するんだろう。そしてまたもやもやするんだ。 心の広い人は、自分が害をこうむるのだったらきっぱり意見するし、自分の本音をおさえることで丸く収まるのだとしたら、黙ってるのかな。
あきらかに抑制している。私は自分を抑制しているんだと思う。 あまり人に本音を話そうと思わないし、なんだか自分の聖域というのがあって、誰にも明かしたくないという領域がある。そこは私が許した人のみしか知らない、私の精神。 でもそんなのは誰だって持ってる。 もっと違う、なにか。抑制力。自分にかけているリミッター。 「自身過剰にみえたくないから、謙虚そうにみせたい」 「性格悪そうに思われたら嫌だから、いい子発言しよう」 「嫌われたくないから、ちょっと頼りなげにしてみよう」 こんな嘘つきのリミッター。取り外して捨ててしまえ!捨ててしまえ!捨ててしまえ!おどおどするのなんてやめてしまえ!おどおどしゃべるのもやめてしまえ!やめてしまえ! 我慢なんて我慢なんてワガママになったっていいじゃないか!! 私には私のテンポがある、人にやさしく、自分に和やかに、私のテンポでいつだって歩いていればいいんだ!!
2006年07月12日(水) |
すてきな人になりたい |
話し方も声も 人に向ける笑顔も しぐさも 人柄にあふれでる広い心も 私は すてきな人になりたい
恋しいと心から求めてやまない誰かがいるのなら、それはとても苦しいけれど、その恋が実ったのなら、きっと何よりも幸せに違いない。 傍にいるだけで幸せなら、その人と共にいられるのなら安息。生きている世界が、突然にゆりかごのように心地よいのだろう。 なによりも大切な人ができたなら、迷うこともないだろうし、余計な欲はわき出でない。満たされた幸せなら、それがなによりの宝。 一日一日を…一生を共に生きられたなら。 恋しい人との安息を願って、いつしかそれは互いに愛になって、愛する人の幸せを願って。全信頼を感じて、お互いに肩を寄せあって。 どうかこの地球のどこかにいるその人に逢えますように。心から胸がねじれてしまいそうなくらい恋しい人に出逢って、愛しあえますように。
私はよく夢に溺れやすい。 ここでいう夢とは、根拠の無い空想のこと。ひとりよがりの無鉄砲な願望のこと。 気付いたら別のことを考えていたり、人の目を忘ていることが多い。 ロマンチストなのか、ただ集中力がないだけなのか。それともミーハーなだけなのか。 行動力がないことを悔やんで、一歩踏み出したいと思ってもいつも中途半端。 跳び箱を飛べない臆病者みたい。走りだして、踏み台から飛び出したというのに、一瞬ひるんで手で前に自分を押し出すことができない。もう飛び出したのなら、あとはやることは一つなのに。勢いで走りだしたのだとしても、勇気をだして腕をのばせば簡単に飛べるのに。もちろん最初から勇気をもって、ここぞという時にも勇気をふるいたたせて行ければ一番いいのだけれど。 夢におぼれてばかり、空想ヲ抱いて、願望ヲ抱いて、目の前の光景すらも自分に都合のよいフィルターをかけて見ている。身勝手なだけの現実を歪曲する、ぼやけたコンタクト。「夢」といっても、それは微妙な言葉のあや。努力と思考と決意のない夢は…願望は、ひとりよがりで幼稚で身勝手で。 私は後悔がすごく恐ろしい。挽回のきかない過ち、誤解のとけない過ち。
近づきたくて だけど 近づくのがこわい 話したくて だけど 話せるかふあんで あこがれだから そばにいきたくて だけど嫌われるのがこわい しっぱいをするのがこわい あこがれだから ふれたい だけどおなじくらい きらわれることをおそれる その声をきいて よろこび その声をきいて はや足で 逃げる
けれど 一歩まえに歩み出たなら あこがれに わずか近づいたなら 一時は夢のようにくりかえし さめない 幸福につつまれて
こないだの土日に、合唱の練習があったので友達二人とちょっと遠くまで行ってきました。 土も、日も夕飯が外食で、栄養ばっちり補給です。みんなで外食って本当に楽しいですね。こんなときばかりはお金ケチったりしないから、心おきなく美味しいものをがっつり食べられる。 なにが美味かったかというと、ハニートースト!こんなにッ!?ってくらい大きくてテーブルに運ばれてきた瞬間、甘い幸せに浸りましたよ(*´_`*)おいしかったなぁ…超幸せでした♪ 自分でも作れたら嬉しいですよね。どうやって作るんでしょうね?パンをまるごとレンジでチンして、ハチミツをばしばしかけて、アイスをのっけて…で合ってるんでしょうか? なんにしても美味しかったなぁ…また食べにいこう
私は自分の嫌なところしかわからないし、自分にいいところなんてあるのかわからない。だから私は、誰かに好かれる自分とか、誰かが心配してくれているとか、あんまり想像できなくて。 でも、私は自分のダメな所ばかりしか見えてないだけで、私は勝手に嘆いているだけで、本当は誰かが私を見ていてくれているのかも知れない。 私は気付いていないだけで、いろいろな優しさに感謝し損ねているのかもしれない。
6/30の日記の記事ですが「売ってる」は誤りで、「打ってる」が正しいので。今までもちょくちょく漢字変換を間違えたりありましたけど…あちゃー
どんなに上手くいかなくて いじけてすねたりしてみても どんなに苦しんで 投げだしたくなってみても 人の心から真にあふれた拍手が 私の喜びで いってんの嘘も 偽りもない
私の声がつむいだ歌を すてきだと すばらしいと 誰かが あなたが いってくれたなら おもってくれたなら それは私の真の喜び その喜びは 私に永遠に歌わせる どんなことがあっても 私はそこに還ってくる 私はそこから離れられない
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