---□□草原で独り言□□---

2006年03月31日(金) 優しくあれ

嫌われることに臆病にならず
いい人でいるために媚びをうらず

ただ心えるは
人を傷つけないようにするのみ
ただ心がけるは
優しくあろうとするのみ



2006年03月30日(木) こどもに教えるとき

私もたぶんいずれ親になるわけで。何回もこどもを叱らなくちゃならないんだろう。こどもを叱れないって親には私はなりたくない。そんなことをしたら、私のこどもは絶対いけない。小さい頃、母からお叱りと一緒に痛みまでしっかり学ばされた私ですらこんなに性格が悪いのだ。嘘はついちゃいけいって言わなきゃ嘘をつきまくるだろうし、電車やたくさんの人がいる場でのマナーとか教えてあげなくちゃいけない。そうしなくちゃ、嘘つきは信じてもらえないし、人前で醜い姿をしまったり、迷惑がられてしまう。誰からも愛してもらえなくて、寂しい人になってしまうかもしれない。
どうなんだろう、もちろん私はこどもなんか産んだことないし、予定は未定だから実際の「親」の気持ちなんてわからない。
だけど、自分が「なんで嘘はいけないのか」とか考えないとこどもに教えられない。そう思うと親はやっぱりしっかり者なんだなぁと思う。



2006年03月28日(火) もっとも怖れていることは

私はなにを怖れて臆病なのか
私はなにを守りたくて意地をはるのか
なんだというのだ
私がもっとも怖れていることは
それがみえたなら
変われる きっと



2006年03月27日(月) 留まりたい気持ち

私は春の気温がすきです。
冬は寒くて、ずっとコタツの中にいたいと思う。
でもそのうち暖かくなって、
気温が上がってくると外に出るのが楽しくなる。
ちょっとオシャレをしたくなるし、ショッピングにも行きたくなる。

だけどその反面で、
少し不安になってくる。
春は、いやがおうでも何か始まる時期だと。
昔から「卒業式」とか「入学式」とか、
たいていそれは「別れ」ばかり。
それに「始まり」ばかり。
やはり今年も「別れ」がやってきた。

私の高校の恩師が、ついに転勤する。
私には夏と春に先生のレッスンを受けることが
何よりの心の支えだったから、本当に不安でしかたない。
この間、学校に会いに行ってきました。
憎まれ口ばかり言ってしまってすみません、
本当は心の底から感謝と尊敬の念でいっぱいで。
この音楽室で先生と話すのはきっと最後で。
先生が遠くに行ってしまうことが悲しくて
何を言ったらいいのかわからなかった。
迷惑ばかりかけて、そのくせ感謝すら伝えられなくて
涙が出そうだ。
どうしたらこの感謝の気持ちを伝えられるだろうか…?、
浮かんでくる言葉はくさいセリフばかりで
ただでさえ恥ずかしがりな私にはとても言えなくて。
三月は心を素直に言葉に出せるようにって目標だったのに、
私って本当にダメばかりだ。

先生、先生、
誰よりも感謝しているし、尊敬しているし、信頼しています。
「いや、信頼されましても。君の面倒見続けるなんてイヤァよ」
って思うかもしれません。
だけど、私にとって信頼できる人ができたのは初めてのことだから、
どうかこれからも信頼させてください。
私は先生に迷惑ばかりかけるかもしれませんが
どうかこれからも心の支えとさせてください。

いつまでもあの音楽室に留まりたかった。
いつか先生が転勤してしまうことはわかっていたけれど、
それでもずっと、ずっと、あの場所があってほしかった。
今でもその気持ちは変わらないけれど、
胸が苦しいけれど、
この気持ちをどうしたら明日へのステップにできるか
考えなきゃならない時がきてしまったんですね。
もうあの学校の音楽室に先生はいない。
高校時代。
仲間と歌って、声を出して楽しんだあの音楽室。
先生と話して、友達と話して、ひとしきり泣いた隣の研究室。
泣いたけれど、先生が支えてくれた。
ともにうたった仲間がいた。

留まりたい気持ちはひたすらだけど、
それにすがってばかりでは私が成長しないというのなら、
私はその気持ちをどうしたら自分の糧とできるか
苦しいけど、悲しいけど、一生懸命考えるよ。









2006年03月22日(水) HPいったん閉じます

サーバー内のファイル整理ができていなかったり、FTPソフトが古くて使えなくなってしまったりと、久々にホムペを更新しようと思ったら障害だらけでした。ここ以外は一年半はほったらかしてましたからね(^^;
「草原の猫」はいったん閉じます。
仲良くしていただい方、仲良くしていただいている方、リンクをして下さった方、突如この場での報告となってしまって申し訳ありません。

在った場所がなくなるというのは寂しい感じがして(たとえそれが私だけでも)
最初はトップだけはそのままにしておこうかとも思ったのですが、いい機会なので整理整頓します。
展示したいもの・ことが生まれたり、自宅でネットができる環境になったりしたらかならずまた復活します。同じサイト名で。
ネットから消えるわけでもありません。この日記も続きますのであしからず…。



2006年03月21日(火) 謝らせてください

とつぜんですが昨日の「あしたにつづく」予告は
延期ということにさせていただきまして(おーい)

実家に帰省中です。(10日に帰ってきていました)
いつの間にやら、母がノートブックを購入しておりまして
久々に家からインターネットしています。(嬉
というかインターネット自体久しぶりになります。
二月、三月は妹が大学受験で二週間試験我が家に居座ったので
「大学にインターネットしに行ってきまぁ〜す♪(ウキウキ)」
なんて言えず(そりゃそうだ…)、
妹に三食と心遣いを提供しつつ半ヒッキー状態でした。
そして少し書きましたが「親知らず抜くぞ事件」、
学年末の最重要の試験、そして選抜試験。
選抜試験の合否が気になりつつ三月を向かえ、
残念ながら不合格。(来年がんばろ!)
そして、メールを数人の方に返信していない状態になっています、
音信不通でご心配おかけしました!(ご迷惑申し訳ないですT-T
今週中にご連絡いたします。

お気づきの方もおられると思いますが、
ここしばらくはすべて携帯電話から日記を書いていました。
しかも「今日」とか書きつつ、
夜、布団に入りながら深夜に書いているので
実は一日前の日記だったりもします。

ちょっと日記を読み直してみました。
なんか携帯で書いている文は暗いのが多い…っ
心なしか気分地底向きですね。
もう本当に、心の毒を吐き出しているだけというか…
嘘を書いているわけではありませんが、
もう文としてぜんぜんまとまってないですし。
ついでなので、この日記を始めたころから今まで
ちらっと読み通してみました。
何か私、結構一日の会話とか光景とか覚えて書いていますね。
それだけ毎日いろいろ考えてたなぁと、しみじみします。
一日一日、目に映る心や景色から何かを学ぼうとか
感じ取ろうとか頑張っていた。
見習わなきゃいけないね、今の私。
そして「よい人」になろうと自分を磨いていた。

だけど、時にはブラックになったりの日記もある。
先輩や、友達、他の方へ向けられた黒い言葉たち。
今読み直していて思う。
本当に恥ずかしいと。
まるで間違いないと思ってそのときは書いたはずなのに、
実際は黒い気持ちに眼がフィルターをかけられた状態の日記がある…
「うわぁ、私…ひねくれてる…何様だ…」と思う。
「本当に、これはただの嫉妬や言い訳だ」と日記を訂正したくなる。
いまこうやって書いているのも、
「私がばかでした」って謝りたいだけなのかも知れません。
たとえこの日記を話の中の人が見ていなくても。
見てしまって、傷ついてしまった人が今日のこのページを見ないのだとしても、
本当にごめんなさい、自己満足だと痛感しています。
だけど謝らせてください。
私が以前に吐いた黒い言葉たちを見て、
不快になったり、嫌な思いをされた方に、
今、本当に申し訳ありませんと謝りたいんです。
あなたは何も悪くはなくて、私が身勝手だっただけ。



2006年03月20日(月) 私に男友達ができなかった理由はなんだろう?

今日、中学の男、女友達で遊びに行って、すごく楽しくて、嬉しかった。初めてだ。一緒に遊びに行くほどの男友達なんて今までいなかった。
これまで、気があるわけでもない男人と遊んだことなんかなかった。(好きだぁ!と思える人に出会って頑張って行動した時期は一回ある)
理由は、今までただ単にずっと部活やクラスが女の子ばかりだったこととか、慣れていない人だと男女問わず私は緊張してしまうとか、性格のせいもある。女の子は普段話す機会も多く、自然と仲良くなれるけど、男の子となるとそうはいかない。
顔にコンプレックスがなかったり、もしくは自信などなくても気にしない心がなくちゃ、私は男人に心を開いて話せない。私は本当に男の人の顔を気にしない方だと思います、昔っから。というか、人の顔をあまり見てないだけな気もしますが。中身…と言えるのかわかりませんが、その人が持つ空気に惚れてしまいます(口ぶりや行動、仕草でずいぶん変わりますから)。
「人は中身で見るんだ」って誰でも教わるじゃないですか、私はその見方が当たり前なんだと,みんなそうなんだと思っていました。だって、私はいつもそう見ていましたから疑問にもつこともなかった。
中学までは楽しかった。保育園からみんな互いを知っていて、女も男も関係なくて恋とか顔とか何も気にしなくて、だから遠慮もなくて、みんな友達だったのに。
高校一年の終わりから、塾に通いはじめたら、先生はアルバイト大学生だった。その頃から、大学生と交流するようになって、二年の夏に好きな人ができた。自然と色々な大学生の話をきく機会も増えて、私は自信をなくしてく。鮮明に焼き付いたことばたち。

「○○さんって本当にいい人ですよねぇ、■■さんが付き合っているのわかるなぁ」
「あぁ〜、あいつはB線だからね」
「B線??」
「あ、そっか。A線とB線ってのがあってさ、Bはブサイクってこと」
「ええっ!」
「男のあいだじゃ、点数とかもつけたりするんだよ。美人とかブサイクとかさ〜あっ、俺はホント顔とか気にしないけどね」

顔が整った女の人が男の人に「かわいい」と噂になるのは知っていた。だけど、知らないところで「ブサイク」と言われる女の人がいる…笑われている人がいる??
そんなことは考えてみれば当たり前のこと。どうして今まで気付かなかったんだろう。

(あしたにつづく)



2006年03月16日(木) 美しい心になりたい

美しい心になりたい。愛した人に愛される、美しい心になりたい。
ワガママで。自信がないから偉そうに降るまって。長所がないから、頭がいいんだと思われるよう自分を誇示して。そのくせ負けず嫌いで、尊敬しつくしている相手以外の批判なんて絶対納得してやりたくなくて。適当にものごとを流すから人を傷つけることもあるくせに、優しいと思われている人が腹立たしくて。自分も大したことないのに、大したことない人だと見下して。自分の損得をいつも計算していて。いろんな価値観の人がいるのに、自分の価値を正しいと思っていて、ほかの価値観をバカにして。自己中で。自信なんかないくせに、わかったような顔して、偉そうに話して。理想は高いのに、余計な意地で、なかなか変われなくて。
美しいところなんかひとつもない。こんなんじゃ、頭のなかで自分を思い描けない。ロマンティックな夢も、人に愛される私も思い描きようがない。



2006年03月15日(水) ある方の音楽に

銀の鏡

ひっそり静まる世界のなかに
ひっそり冷たい月の昼
しぃんと広がる宇宙のなかに
しぃんと燃えてる淋しい太陽



私はある方の音楽に、中学生の頃から心をうごかされっぱなしで。尊敬と感謝でいっぱいに思っています。
私に聞こえてくる静の音楽は、その方の生む音楽と同じで、感動の連続…
私はその方の音楽でうたってみたいのですが、歌詞がなかなか出てきません。いくら考えても、言葉や音楽に静が溶けなさそうで。



2006年03月11日(土) あたりまえに暮らしてる

人は、あたりまえのような顔して暮らしてる。
高級美味なものを食べたり、ブランドバックのために惜しみなく何十万とつぎこんだり、となりで暮らす人と気が合わないと悩んだり、ミニカーや時計を部屋いっぱいにコレクションしたり、これらは本来の生物としての「生きる」ために必ずしも必要なことじゃない。心には必要なのかもしれないけれど。
人はもうあたりまえに生きてる。だけどそれは体が生きられているからで。
うーん、うまくまとめられない…ようするに健康は宝なりと!



2006年03月10日(金) 初めての不合格

私は今まで『不合格』を味わった記憶がなかった。それは結果が合格か不合格の二択で出される試験を受けた回数が少ないだけなのかも知れないし、私がただ単に忘れてしまっているだけなのかも知れない。何だかんだいって、『合格したい』と願った試験で、不合格をもらったことはなかった。それは、努力した上でのものだったり、時には『まさか合格できるなんて』と驚いたこともあった。
今回の試験は受かるとは思っていなかったが、希望して、挑戦した試験だった。今日、合格発表を見に行こうと大学に向かう途中も全く緊張も、期待もしていなかった。ただ、受けたからには合格も不合格も、結果と戒めとして自分の目に焼き付けておこうと思ったから、見に行ったのだ。
案の定、張り出された紙に自分の名前はなかった。「やはり」というのが正直な感想。けれど次の瞬間、言葉にならない焦燥感に襲われた。そこには何人か仲のよい友達の名前があったから。とても勉強家で努力家の友達。嫉妬でも羨望でもなく、私は焦りにかられた。『私は今まで何をしていたんだ 口だけ努力、努力を繰り返して 本当に頑張ってなんていなかった』。本当に頑張っていた人たちは、今、目の前に張り出された名前の人たちだ…。
今まで私は何をしていたんだ。



2006年03月08日(水) 私 OF ブラック

私が信じれないのは、口だけの人。口では相手に好感をもっているように発言して、何かあったとき自分の非を隠すために可愛子ぶったり、愛想をふりまく口の八方美人。それに、恥ずかくなるような口説き文句をいって、いくらでも相手を利用するし、いくらでも相手を騙す。逆に信頼するのは、絶対に嘘をつかない人。理由は言っても、言い訳はしない人。自分の力で立とうとしている人。

ちなみにムカつくのは、おっちょこちょいで愛されている人。責めてるんじゃありません、非があるとも思いませんが、まさに「ムカつく」とはこの感情。
何か失敗しても「う〜ん、あの子だからしょーがないか」とかが。一回や二回なら許せますけど、何度もつづくとムカ(;-_-+…と。なんかそういう時「ははーっ、私は失敗しないように頑張っておりますよ。あの子は頑張ってるようには見えませんがねー、それを『あの子だから』という理由だけで良とするんですかぁーふーん」
私の場合は生真面目な分、最初っから失敗しないように最大限の注意を払ってるので、そういう子に比べて失敗は少ないと思います。だから、もしかして私が失敗したときも許してくれるのかも知れないですけど、そういう経験はあまりない。(自意識過剰かもしれません。ですが、失敗しないようにとても神経を配ってるのは事実です)誰でも失敗するのは当り前だけど、そうならないように神経をつかう努力をしますよね、なのにその神経をあまり使わないでおいて許されている人に苛立つんです。まあ一言で文句いうとしたら「おまえばっかり得しやがって!」ですか。本当腹黒いですね、嫉妬とかだと思います。だけどこういう不満もっている人、結構いるんじゃないかな



2006年03月07日(火) 大掃除のススメ

実家への帰省に向けて、一斉大掃除してます。
風呂の排水溝とかはもう悲惨な状況。約三ヶ月ぶり…本当は月1くらいのペースでやるべきものなんでしょうが。こわいんですよ…あの排水溝のフタをめくる瞬間が!案の定「イヤーっ!!」っと。ぎょっとするとはまさにこのこと。(?)
こんな時のために、ゴム手袋を買ってきておいてよかった。準備は万全だったので、滞ることなくキッチリキレイにできました。
カビトリハ○ターはもちろんですけど、大掃除の必需品は何といってもハブラシ。鉄則ざます(誰)。100均で10本入り等で買ってくるんですが、汚れに手を触れずにこすれる&落とせる。
排水溝をほったらかしにしている方!カビ○リハイターとゴム手袋とハブラシさえあれば怖いものはありません。あとは風呂場にあるそのフタを裏返す勇気をもつだけ!さぁ奥さん!その勇気が今なら掃除道具をつけて、なななんとこのお値段ーッ
…           …そろそろ寝ることにします



2006年03月05日(日) 日陰のなか

太陽のひかりが
すべてのものに 声をかける
おきなさい おきなさい
まばゆい金色に
私は自然と 早起きになって
おきよう おきよう
そよかぜの道を 自転車で
背伸びを 朝露の匂いと
しかし
目をこする 目覚めたてのほうけ
日陰のなかには まだ眠り
そして 日陰のなかで悲しみ
ねぼけまなこな私が 虚しみ



2006年03月04日(土) 健気宣言

「けなげ」って、弱くてはかないイメージだったけど、「健気」って漢字なんですね。なんかいいですね、「上を向いて歩こう」的なすこやかさがある。
とにかく私は意地っ張りだし、見栄っぱりだ。「強くて頭のきれるカッコイイ女」と思われたいし、「負けず嫌い」だというところもある。そのくせ臆病で、人に嫌われることを恐れたり、空気が読めないことを嫌って慎重になり、びくびくと焦っている。
今は春休み。ちょっといい機会だから、「素直第一」をモットーにこの3月を過ごそうと決意。

計算とかせず素直に言う
人を勘ぐらない
失敗は成功のもと

とにかく自分の希望や思っていることを、そのまんま素直に口に出すこと。そして、それに対して返ってきた反応をそのまんま正直にきくこと。もしも、失敗してもよい経験をしたと思って次へ進むこと。
やってみよう、素直第一
健気宣言。



2006年03月03日(金) うれしいくせに

リリリリーン リリリリーン
「んー…もしもしぃー」
『あ おはよ〜(^O^)/朝からなんだけどさぁ ケーキ食べるー?』

朝九時頃、この電話に起こされた。彼氏ができた途端に、めっきり音沙汰の減った友達。

「ひな祭りケーキを買わされたんだよ〜!こんなちっさいのに1050円っ!」
友達は今日の朝のコンビニバイトを終えてきたところだった。「あちゃ〜確かにこれは1050にしてはちっさいねぇヾ(^_^; あ☆でもうまーい」
一緒ケーキを食べて、いつも通りしゃべって、ごろごろして、3時頃に友達はサークル活動にくりだしていった。

いつも通りの友達にちょっと唖然とした。あまりにフツーだからだ。音沙汰が減った分、一緒に遊びいこーとかそういう風には思ってくれなくなってしまったのかなぁと不安に思っていたのに、そういうワケではなさそうだ。
私は「きっと相手にされなくなって、怒ってるんだなぁ私」と思っていた。けれど、それだけじゃないかも知れない。「私はもうどうでもいい存在になってしまったのだろうか」という不安が、いつのまにか怒りに変わったんだ。
不安がる必要なんてなかった。ただ、その子にとって優先順位が変わったんだ。一番に彼氏が表れたというだけ。私は嫌われたわけじゃなかったんだ。
もしかしてケンカを起こすのが面倒で八方美人されてるだけだったりして? とか もしかして昨日漫喫泊りだって言ってたし本当はうちの風呂を借りようと来ただけだったりして? とか、不安性な私は勘繰り深くもある。どうやら意地っ張りの私は、嫌われることを恐れる臆病者のくせに、人にいいように利用されたり、騙されることが大嫌いなのだ。
もっと素直に喜べばいいのに。ホントつまらない意地ばかり張って。



2006年03月02日(木) すべてを楽しく思えたなら

臆病というのは本当に損だと思う。いつも何かを恐れていて、その場をなんとか失敗せずに過ごすためにいつも焦っている。せっかく誰かと一緒に飲んでいても、失言を心配してしゃべれなく、相手は私なんかと楽しんでくれているのかと顔色をうかがう。気楽に楽しむこともままならない。だから気を許すのに時間がかかる。そして「よかった。付き合いとかじゃなくて、この人は私を好いてくれている。気を許しても大丈夫だ」と思うまでに作る笑い顔は、頬や顎が引きつってしまって、とても顔が痛い。そして何となくかゆい。何故か痒くてしかたない。
だけど、今日は違った。アパートの隣部屋の子とセブンイレブンでお菓子や夕飯を買い込み、飲んだ。気を許して、ゆったりできた。全然疲れなかった。友達が一人できたようでうれしかった。
二人でコタツのテーブルにひじをつき、テレビを眺めていた時思った。『気を許して時をすごすと、世界がこんなにもはっきり見えて視界がまったくぼやけない。現在がくっきり感じられれるし、一瞬がスローに見える。地に足が着いているように、背筋がのびる」
久しぶりに落ち着いた精神になれた。ものの輪郭がくっきりと感じられるような、すっきりさ。心配も臆病もない迷いのない心で在る時。
こんなふうに、すべての人と気を楽にして付き合えたらいいのに。すべてを楽しめるようになれたら、どれだけかいいのに。



2006年03月01日(水) たとえば蜂の世界はニ色のように

たとえば蜂にとって世界はニ色のように(うろおぼえでニ色だったかは定かじゃないが、数色にしか捉えないは事実)。たとえばただの白黒マーブルの絵が、一瞬のひらめきによって、もう牛の絵にしか見えなくなるように。私たちが視覚だけで判断しているものに、人間共通の真実なんてものはないのだと思う。
真実は人の目と、その視界をどう処理するかで変わる。
視覚から入ってきた光景にその人がどう思ったか、それが真実。視界が真実なのではないと思う。
しかしその真実は、その人だけの真実であって、ほかの人の真実にはなれない。
だからテレビや広告で「美しい」とか「男前だ」とか言われているのは、その時代の世論、人々の感じ方の標準で判断されているのであって、真実ではない。真実は自分次第でいくらでも変わっていく。
自分が変われば世界が変わるというが、それは心が変わるだけでなくて、目から入ってくる視界をどう見るかも変わってくるからなんだろう。


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S.Soraka [MAIL]