もう何年ケンカしてないだろう。誰かに怒って、むこうも怒って口喧嘩。しないな。私がちょっとムッとして言ったら、ムッとして返されるという程度。いつからか、ケンカを起こすのはコドモっぽくて恥ずかしいことだと思うようになった。わざわざ面倒を起こすこともないと諦める…それが大人になるということなのかも知れない。 だから仲直りの仕方も忘れてしまった。もう何年も心から「ごめん」って面と向かって謝った覚えが無い。 喧嘩しようと思ったことがある、どうしようもなく腹がたったことがあった。友達だと思っていた子が、ある一期を境に、ただ私を見下した優越感で私に優しく仲良くしていたことがわかった時。私は本当に仲の良い仲間だと思っていた、なのに、違った。彼女は、私に彼子ができてからほどなく、私の彼氏と交際をしていた。私に隠れて。そして私が彼と別れた後、私が一人道を歩くのを眺めながら、彼とのスリルを楽しんでいた。見つかったらどうしようというスリル。彼女は友情じゃなく、優越感で私に接していたのだ。私が彼女に友情のことばをかけるたびに、彼女は何も知らない私への優越感でさぞ楽しかったことだろう。残念ながら「友達だから、言えなかったんだよ。ごめんね」と言われても、彼女の性格を知る者は誰もがその言葉が嘘だと思う。そういう子なのだ。男にだらしがなく、しかし計算高く女を魅力として、見栄をはる…それはわかっていた。 それでも私は同じ部活の仲間として、友達だと思っていた。なのに、友情だと思っていたものが、ただ優越感からの愛想だとわかった瞬間…とてつもない裏切りを感じた。それ以来、私は彼女を友だと思うことはない。部活の同窓は五人、その仲間内を壊さないために、彼女に対して「全部わかっているよ〜」というフリをし、仲の良い愛想をふりまくだけだ。 私は改めてこの言葉を投げ掛ける以外に、彼女を友だと思えることはない。 「あの時の友情だと思っていたのは、やっぱり優越感からだったんだ?」 ケンカ腰でいえば、ケンカになるだろう。仲直りもできないかもしれない。しかし、ケンカをするのは仲直りをしたいためだ。今のままなら、いつまでも終わらない裏切りの連続だ。
2006年01月29日(日) |
大切にしたい友情ほど |
今日は高校時代からの友達に会った。全然変わってなくて、普通にすごく楽しかった。高校の時には知らなかった本音とかも聞けたし、すごく自然に話せた。ネガティブな性格なのに、それでも好きなことをやめられなくて一生懸命な友達を見て、私も頑張らなきゃだめだなってつくづく思った。 私は大切にしたい友人ほど、久しぶりの再会でギクシャクするのが恐くて会えない人間だ。だけど今回は勇気を出して、会った。会いたい友達だから会う、話したいと思う友達だから話す。それでいい、たとえギクシャクしたりしても、私は絶対その子を嫌いにはならないってわかってる。だから、私から何度も連絡して会ったなら、きっとまた自然になれる。 そして私が嫌われないために努力しなきゃいけないのは、遠慮とか、遊ぶときには必要ないムダな謙虚とか、社会的な形式な心配とか言葉とか捨てて、自分の思うままの気持ちをそのまま言葉にして話すことだ。気を許せる友達なら、色々そのままの私を受け入れてくれる友達のまえなら、信頼して、もっとワガママになってもいいのかも知れない。 私だったら、友達が自分に遠慮してたり我慢してるんだとしたら、「なんだよ、気にしないで言ってくれればいいのに」って一線を引かれた気分で悲しい。 お互いに遠慮もなく、自然に信頼しあえた大切な友人ほど、嫌われたくなくて慎重になってしまう。だけどお互いがそう思うことでなかなか会えていないんだとしたら、心配はいらない。何があっても、友情はこわれることはないだろう。
自分の悩みについて考えてみたら、まぁ八割は解決策とか対処法があることだなぁと思った。 いえ、解決…にいたるまでは確かに難しいかも知れないけれど、打つ手が無いわけではないという感じ。 たとえば、最近ちょっとお腹のたるみが気になるなぁ(T-T)…と思ったら、嫌だけどご飯の量を減らすとか腹筋するとか。運動するのが嫌だってだけのことに、何を悩む必要がある?ダイエット食品に何万という大金をかけなきゃ痩せられないわけじゃない、むしろ間食を控えたなら無駄遣いが減るというものだ。 ピアノがヘタクソで本当に悲しいと思ったら、いつもつまらなくてついサボってしまう基礎の基礎から時間をつかってしっかり練習するとか。もともと勉強のために時間はたくさんある、努力をすることは体力のいることだけど失うものはなにもない。なくすべきものは、ラクしたいと怠ける心。未来に自分が後悔で悩まないために。 気にくわないと思う人がいても「嫌い」って決めつけたりしないで、自己中になろうとする自分を抑えて、普通にし続けていたなら、いつかわかる日がくるかもしれない。嫌味とか嫉妬とか言ってしまいたくなるかもしれない。無意識に態度に出てしまうかもしれない、だけどそれを言って何になる?言わないようにしたところで、何か自分の損になるだろうか?人に悪口で攻撃できないことがそんなに苦しいことだろうか? たいていが自分次第でどうにでもなる悩みばっかりだ。
なつかしいなぁ。小学校二年生の頃、国語の教科書朗読し合った子、私すごい熱血に読んだらすごいね〜って言ってくれてうれしかった。いつから友達だったんだっけ…気付いたら友達で、「みー」って呼んでた。いつも一緒とかそんなんじゃなくて、でも私がバスケ始めて、誘ってみーも入って、色々がんばったよね、意地の悪いこともしたよね。みーは頭もよくて才能もあって勇気もある子で性格もよくて、私にとって友達だけど一番の憧れだった。あ、そうだ!私絵の具がなくて買いに行かなきゃと思って、でも一人で行くのもつまらないから、みーに電話した。みーは来てくれて、そんで自転車で一緒に行ったよね、隣町の文房具屋。それからサティでジュースを買って、村の公園で飲んだ。そう、あれはちょうどプリント倶楽部が出た頃だったよ。一緒にとったシール、今でも実家を探したらあるかな?あって欲しい、あって欲しいよ。 あの時の光景の色が今でも胸に染みてるのに、なのに現実にだんだん確信が薄れていくよ、胸に染みたこの記憶が確信してるのに、それを証拠してくれる物がないよ。みー、中学卒業してから全然会ってないね、話してないね。私口下手だから、緊張屋だからうまく話せないかも知れない。みーもそうだよね、人前に出ることは苦手だった。中学の役員選挙、クラスの投票でみーは一番推薦されてた。みんながみーに一目置いてたんだよ。それでも表舞台に立つのが嫌いなみーは私に「候補になってもいいけど、じゃあ○○ちゃん推薦長やってくれる?」って私に言ったよね、覚えてないかも知れないけど、みーに憧れてた私は、すごくすごくうれしかったよ。もう覚えていないかもしれないけど、私には色んなことがあたたかい思い出なんだ。 ねぇ、みー。成人式も同窓会も来なかったね。世の中は完璧じゃないから、嘘のテンションとか、嘘の恋愛とか、そういうことを皆してるかもしれない。あるいは、真剣な恋で友達とギクシャクしたり。でもみーはきっと、そんな世の中には馴染めない人だよ、勝手なこと言ってごめんなさい、私の勘違いだったらごめんね。私もね、無理してるとこあるんだ、皆のテンションの基準に、ちょっとだけね。 それでもその輪に入る私をみて、みーは私を友達だとは思わなくなっちゃったかな?ねぇ、みー、だけど気付きそうなんだ私、何かに。皆に会いたいし、大好きだけどテンションが合わないとき、きっと気にしないで普通にしてればいいんだと思う。私も、これは慣れなんだろうなぁって。皆が皆に会いたがってるよ、懐かしくて温かくい記憶を支えにするために、なくさないように。一生会えなかったら寂しいよね、私たち。私は寂しいよ。だって保育園から中学三年まで一緒だったんだから。 みーがうまくしゃべれるか心配で同窓会にこないんだとしたら、心配しないで、私がずっと話し掛けるよ。私が覚えてるみーとの思い出話すから、みーは「あったねぇ、そんなこと」って言ってくれればいい。それだけで、私は嬉しくなるよ。 普段何にも思わなくても、ときどき開けるオルゴールみたいに、ふたを開けるとあふれてくる光景と心、私の根にいつもあるよ。
普段、彼氏が欲しいとか恋人が欲しいとかあんまり思わない。合コンしたいとか、男の子と遊びたいとか思わない。友達に彼氏ができて、そうしたら友達は彼氏第一。それだけ彼氏と一緒にいたいってことなんだろう。友達の彼氏との話も聞くけど、何だか全然うらやましいと思わない。「好き」って思える人がいることはうらやましいけど、「楽しい」とか「おもしろい」とかそんな話きいても、私にとってはそんなのどうでもよくて。 だけど、映画とか本とかアニメとか、そういうの見ていて、「こんなに思ってくれる人がいたなら幸せだろうなぁ」ってうらやましい。だめだなー私、夢見すぎかな。会うのなんて月1でもいいし、メールなんか無理してやりとりしなくていい、心のより所として受けとめてくれる人がいたらいいなと思う。っていうか夢見る(笑) 私は自分のヤな面をたくさん知ってる。今までにした意地の悪いことも、意地の悪い発言も、失敗した人前での人付き合いの方法も、すべてが私の汚点で。すべてが私の後悔になっていて、私がイメージする私をどんどん醜くしていく。そんな醜い人間が、誰かに愛されて、一緒に街を歩く姿とか想像できなくて。 本当に私性格ひねくれてるけど、それを知っても、「それでもキミがいい」って、言ってくれる人がいたなら、「ああ、こんな性格のひねくれた私でも、この人に恋していいんだ。恥じゃないんだ。」って安心して恋できる。何の不安もない、つながりが欲しい。理由もなく誰かを必要として、必要とされたい。
2006年01月25日(水) |
なにがなんだかわからない |
眠れない夜に、真っ暗な部屋で目を閉じて心を開いてみると、私は今 手が自分の物だということがわからなくなる。今 私が寝転がっている空間が得体のしれないものに思えてくる。布団の外は部屋、部屋の外は地球、地球のそとは太陽系、太陽系のそとは銀河系、銀河系のそとは宇宙、宇宙の外は…宇宙のそとは…???のなかに宇宙、宇宙のなかに銀河系、太陽系、地球、部屋、布団、私、それに皆、皆が???のなかにいる。何なのかわからないものの中に生きてる。宇宙は何から生まれたんだろう、宇宙が生まれた空間ってどんな空間なんだろう。だいたい時間って何なんだろう、老いていくのは何故なんだろう、感じ方を変えたなら、ともすると、今という一瞬が永遠につづくような気もするし、一日を一秒のように過ごすことも可能な気がしてくる。なんで地球に初めて生まれた生物は生きようとしたんだろう、心もないのにどうして?本能はいつなにから作られたの?ものは何で出来ているの、原子?じゃあ原子はなにでできているの?そのまた中に、そのまたまた中に、なにがあるというの?疑問も思考の旅もずっとつづく。こう思うまで。 「まぁいっか。わからんし。」
やばいです。私の現在の生活の時間帯。 昼の二時に起きます(本当) 夕飯を六時に食べて 深夜3時半に布団に入り、一時間くらい寝付けない。 すっごい夜行性な生活なのに、かならず二時に起きるようになってきたので、ある意味規則的(笑)しかも用がなければ外も行かない。日焼け止め塗るのがおっくう(T_T)掃除するか、洗濯するか。ご飯作るのも夕飯だけ。こ、このままではいけない!花の女子大生だろワタシ!とりあえず、朝九時…いやいやまず十時から(コラ)
人を信じるっていうのは難しい。ちょっと何故か気まずい空気になった時「決して私を嫌ってるわけじゃない」「きっとちょっとイライラしてるんだ」って信じこむことは、場合によっては自信過剰とか、ただの自己中になってしまう。それはただ恥ずかしいだけだよね。なんだかそう考えると、「人を信じる」って、「人の何をどう信じる」ことなんだろうってまた考えちゃうけど。 だけど、別に人を信じなくてもいいんだ。その前にしなくちゃならないことがある。 「素直になること」 たとえ気まずい空気になったって、私はあの子と仲良くなりたい。たとえ嫌われてるのだとしても、私はあの人と仲良くなりたいから、話し掛けたりするんだ。そして、本当に嫌われてたとしても、空気が読めなかったなんて風に、恥ずかしくなんかならない。「嫌われたのかなって思っても、私のあの人が好きだって気持ちは変わらなかったんだ」って素直に語ればいい。 自分の気持ちを信じればいい。もしそれが嘘の気持ちだったり、やましい気持ちがあるなら、きっと迷うはず。信じられないはず。 気まずい空気になったとしても、私の場合、それはお互いに気を遣いすぎてたり、緊張してたりってことがほとんど。別に気まずい言葉を吐かれたとかでもないんだし。話せば話すほど、わだかまりは溶けていくのだろう。
友達が通う専門学校のファッションショーを見に行ってきた。 高校からの友達だ。思考がネガティブなんだか明るいんだか少し変わった友達で、暗い話をたくさんするんだけど、根はイイ奴な空気を漂わせてる(笑)出会いのせいかもしれない。彼女は同じクラスで、私の前の机にいた。すさんだ空気を漂わせていて、声は少々かけにくかった。けれど、入学初日、つい今先生が説明したばっかりなのに「え、どこに書くの、サンダルの名前」って、いきなりタメ口でそんな間抜けな質問されたら、可笑しくって何か妙に親近感を覚えた。私は人見知りでその時、誰に対しても敬語しか使えなかったから羨ましかったな。 「人見知りをしないネガティブ」って感じ??よく話したし、「ホントヤダ」「死ね」とかそんな言葉をよく言うくせに、人とよくしゃべるし、大笑いもする、友達の良いところに沢山気付いてた。親を嫌ってたかな…。黒い言葉を吐いてたのは、今思えば自分の親に対してだけだった気がしてくる。よく一緒に電車で帰りながらしゃべった。 けれど、気付いたら彼女の空気が温かみを含むようになっていた。私は部活にのめり込んでて、いつから変わったのか分からないけど、でも、もしかして「服」かなと思う。「服を作りたい」ってよく言っていて、もしかしたら、やりたいことが見つかったのかなって。 今日ステージにおどり出た服は、彼女がデザインも製作もしたものだった。それはまぎれもなく服で、どこにも不満などないキレイなドレス、プロが作ったドレス。きっと店に飾ったなら気に入った誰かが買って、着るんだ。本当に服だ。彼女は高校を卒業して、この二年間で服を作れるようになったんだ。縫製のバイトもして。そして、その腕で縫い物の職をつかんだ。やりたいことを、本当にできるようになったんだ。
…私は何ができるようになったかな。
礼儀っていったい何なのだろう?話す時には人の目を見るのが礼儀とか、面接にはスーツが決まりとか、何か理由があるのだろうか?あるのかも知れない。けれど、あえて社会が口をすっぱくして強要する「礼儀」に反発して考えてみると、反抗して考えはじめるくせに、結局、「礼儀」を作ったのは私たち自身のかもしれないと思ってしまう。 「質問です。あなたは人と話す時、どこをみて話すのがいいと思いますか?」 ある人は「顔を直視されるとどこか落ち着かないので地を見ます」。ある人は「言葉をより正確に把握するために口の動きを見ます」。ある人は「まゆと目で表情を見ます」。どれもハズレの回答じゃないと思う。だけど、正解がわからない。正解は人によって対応しなきゃならない。けれどそれじゃあ、初対面の人の度考えなきゃならない。それにもし「目をみて話す人って何か嫌」と言われたとしても「それが人の礼儀だろ」って言えば、自分には非がないことを確立できる。 「質問です。面接には何を着ていけば良いのですか?」礼儀という世間一般の答えがなかったら、大変だ。だれもが印象の良い服とは何かを考えて、出ない正解に苦しむだろう。「スーツなんてかしこまった格好してこなくても良かったのに」って言われても、「面接はスーツが礼儀ですから」と言えば正解だ。 礼儀は、どれだけ考えてもなかなか答えが出ない問題のために、社会や人々が求めた正解なんだ。…そんな気がする。
たとえば、電車の座席の下に空き缶を置いていったり。たとえば、真夜中に道を大騒ぎで暴走してみたり。そんなことを出来てしまうのは、人とつながっていることを感じられないからだ。 私だってそう。普段ものすごく引っ込み思案な私が、お店のインフォメーションの人とかに全く遠慮なくものを尋ねるのは、その人が他人だから。一般的にはどうなのかわからないけど、たとえば電車の中でマスカラしたとして、私だったら100人の他人に見られるよりも、1人の知り合いに見られるほうが恥ずかしい。私は知り合いの前で恥なんか絶対にさらせない。100人の他人の前でだって絶対嫌だ。マスカラする時のあの自分の顔…あぁもうホント見られたら恥ずかしくてたまらない(T_T)他人なんだから見られたって何か支障があるわけじゃないのに、それでも恥ずかしいのは、やっぱり心の奥深くの根の部分で他人でも何かつながっているような気が無意識にあるのかなぁと思う。とは言え、他人であって知り合いではないけど。無関係ではないというか…。 電車の座席の下に空き缶を置いていったおじさん、もしその瞬間、あなたの前に娘がいたなら、あなたはそこに缶を置くことが出来るだろうか? 真夜中に大騒ぎで暴走しているお兄さん、もしその道添の家に、赤ちゃんがスヤスヤ眠ってるのを見たなら、あなたはバイクを止めるだろうか? それでも缶を置いてしまうなら、それでもバイクを止めれないのなら、とてもあなたはすさんでいるはずだ。つながっていないのは、淋しいはずで、嫌われたくないと思えるような知り合いも少ないはずだ。だから嫌われることや、恥ずかしいことを人の前でもできてしまうんだ。
久しぶりの友達に会うってすごく緊張する。すごく会いたいし、話したいのに、臆病な私は勇気が出ない。うまく話せなかったらどうしようとか、あんまり盛り上がらなかったらどうしようとか。仲が良かった友達で、会わなくなった今でもお互いに時々メールするとかなら尚更。だって、せっかく仲の良かった楽しい記憶で続いているのに、また会って、そして再会が昔のように自然に会話できない感じになったら、気まずいじゃないか。だけど、やっぱり話したい。みんなが、やっぱり緊張してるんだと思う。だから、気まずくなることを恐れちゃいけない。だって私たちは仲が良いから会いたいと思って、仲が良いから気まずくなることが悲しくて、緊張してるんだけ。きっと、そうでしょう?
いちばんの音楽は 聴くものじゃないのさ 聞こえてくるもの 空気の色と温度 お日様の光と気持ち 全て聞こえているのさ 木のそよぎも 海のなみも めからリズムを刻んでいるのさ いつのまにか音楽は流れてるのさ 僕の心臓の鼓動と一緒に 静かなところに 聞こえてきてさ 勝手に僕をゆらゆらさせる 眠たさが音楽なのさ 静けさが音楽なのさ そういう心のトクトクが 流れてくるのさ
私はあなたなんかに 本音は見せない 見せるものか あなたなんかに どうせ私の話など テレビドラマのように聞いてるくせに 私に安い心配顔を売りつけてくるな 心配などしていないくせに 形式ばった手紙の頭のような 親切ことばを私に売り付けるな 私をみくびるな 本当に心配してる人くらい 声の音色ですぐわかる 八方美人はすぐにわかる 思ってもいないことばを やすやすと売る 親切なフリか いい人のフリか 偽善者はすぐにわかる すこしつつけば脆く崩れる 私はそんな軽々しい心には頼れない そんな人のことばほど 安いものはない 価値もない 信じれない
‐‐‐ 私は嘘をつかない ことばで八方美人になどならない 人に思ってもいないお世辞を言って 気に入ってもらおうなんて思わない 私は嘘をつかない そうしないと真実は信じてもらえない
雨の日は無性に顔がかゆくなるから 大嫌いだ 雨に濡れても全然冷たくない なんか生温くて 服に蒸気がたまったみたいで 大嫌いだ 朝も昼も夕もずっと同じ雲と暗さ 時間がわかったもんじゃない 大嫌いだ 沈黙が湿気くさいから いらいらする 明日まで湿気くさそうで 不安になる 静かになると胸の火が消えてしまいそうだ 静かになると頭の意識が破裂してしまいそうだ 心が 心が 落ち着かなくなる なんにも不安なんて思いつかないのに 心が 心が 焦っているようだ
‐‐‐ 二日間、今日なんかは丸一日。作り笑いしていた影響は大きい。友達が嫌いなわけじゃないのに。むしろうれしいのに。すごくすごく疲れるんだ…。映画を三本も見たら、考えすぎて、集中しすぎて、感情移入しすぎて、もう心が疲れてる…。
苦しいことがあるなら 悲しいことがあるなら 私のもとへきて泣くといい
おまえのために 風を呼んであげよう 雲に太陽を見せてもらおう
淋しいのなら 虚しいのなら 私の葉を連れてゆけ
おまえのもとへ 朝日のたびに 花が詩を届けてくれる
帰るところがないのなら 私のところへ帰っておいで 私はどこへも行きやしない ずっとここに在るだろう
地べたがかたい灰色になろうとも 人が私の花を忘れても あの猫が旅にたとうとも 私はここから動かない おまえが来るというのなら そのたびに甦らせてあげよう 風の空気の 幸せ香る幼い記憶 夕日のにおいの あたたかかった心の記憶
たった一言、一秒もたたないうちにその瞬間は終わるのに。その一瞬のためにどれだけの時間を苦しむことに費やすんだろう。たった一言いえないから苦しいのに。はやく伝えたいともがいているのに。どうして人はためらうのだろう。私はどうしてためらっているんだろう。 yesが返ってくる一番いいタイミングを狙ってるから?ふられてしまったら、もう戻れないから?…それは当たり前の理由なんだ。ほかにも、まだ、何かあるような気がして…。 彼に恋人がいるかもしれないから?告白したことが同級生に広まったら恥ずかしいから?あ…そうかも知れない。もしも、私の友達と彼がお互いを意識しだしていたとかだったら、私はまるっきり空気を読めないただの邪魔者だ。いまどきの可愛い子が割って入ったならまだしも、私が入っていったって今さら何?という感じだ。だって、きっと中学までの私のイメージは、勉強よくしてる子で、オシャレしてなくて…みんなとワイワイ話したりはするんだけど、なんか恋の対象にはなってなかった気がする。私、きっとどこか近寄りがたい感じをだしてるんだと思う。なんか真面目に見えてる?本当はただ自信がなくて自分から近寄れないだけなのに。だから人を遠ざけてるように思われるのかな?あ、それともただの被害妄想?それともやっぱり私は可愛くなくて興味がないからなの?あー、もう何かいてるかわからなくなってきた!今日はやめだ!!
2006年01月12日(木) |
自信があったらいいのに |
あの日 芽をだした 壁にもたれかかる姿 あと少しで さよなら 何年あえなくなるだろう あわてて あせって 気の利いたこと 言えなくて 後悔して 声かけられなくて
伸ばしかけた手を おろした 伝えかけた唇を つぐんだ だから 今あえなくて 苦しくて 切ない
駐車場 さりげなく 横に歩みよった だけど 言えなくて 気付いてもらえなくて 言いたくて 言えなくて 自身がなかった 可愛くないこと知ってる 声かけられなくて 引き止めようとした手を おろした 帰ってゆくあなたを 見送った
あの日 芽をだした いつか逢えますように どこかで逢えますように
…なんて書いてみたりして
寒い一月 二月
夜 布団にくるまる ぐぅぐぅ眠る ごくらく ごくらく
朝おきる 朝飯食べて こたつに居座る うとうと転寝 ごくらく ごくらく
風呂あびて 夕飯たべる こたつでくつろぐ あははは笑う ごくらく ごくらく
そうして また布団にくるまる ああ あったけぇ ごくらく ごくらく
なつかしいな いい人になろうとか 可愛くありたいとか 男とか女とか そんなの関係なくて
みんな教室で 給食たべたり 休み時間大声で走り回って ぐたぐだ着替えたり みんながみんな 自分をみんなを信頼してて 嫌われてるかもなんて不安なんかなくて 言いたいこと言って ばかで 素直で 楽しくて うれしくて まっすぐ傷ついて まっすぐ大好きで あのときの私は どんな顔して笑ってたかな 笑いたいな なんの不安も遠慮もないで 楽しみいっぱいのなかで 自然に笑いたいな
大切なことってたくさんあると思う 私がおととしの年末 初めてアルバイトをした 少しでもお金を稼げたら 一人暮しの足しになるから だけど そうしたら 年末におじいちゃんおばあちゃんがする餅つき 私はバイトが入って 一緒にできなかった お母さんは店のパートで忙しいし 妹は塾で 従妹たちもまだ帰ってこない だから おととしの餅つきは おじいちゃんとおばあちゃんの 二人だけだった その時のお餅は いつもにないくらい もち米のつぶの大きさが粗かった
餅つきは うすのなかのお餅をひっくり返す以上に もちろん きねでつく方はものすごく体力がいる おじいちゃんもおばあちゃんも あたりまえだけど 年をとったんだ そして 私も妹も従妹も あたりまえだけど 年をとっていた そう子供は 成長して少しづつ一人歩きを始めるている それは喜ばしくて… すこし 寂しい
私は感動屋だから いくらでも想像してしまう おじいちゃんとおばあちゃんだけの 二人の餅つき たったそれだけだ だけど 二人しかいない餅つきだ
私は後悔した お金を稼ぐのもだいじだけど 年末の短期バイトで稼げる金額なんて たかが知れてるのだし だいじなことは 大切な人に 寂しい思いをさせないこと
だから昨年は 一緒に餅つきしたんだ 私も年をとったけど 一人歩きするようになったけど 離れていくわけじゃない 昔はみてるだけだった餅つきが 今は 私も杵を持って餅つきができるようになった ただ それだけのこと
2006年01月07日(土) |
世界はきっと円なんだ |
この世界で 私とつながっていない人などいやしない 私の手は あなたとつながっていて あなたの手は あの人とつながっている そして あの人の手もまたどこかとつながり いつしか それは木のように 渦のように 輪は円のように そう 世界はすべてものは関係しあっていて 憎しみには憎しみが 優しさには優しさが 巡り戻って返ってくる もらった愛に お返しをしたい 自分のなかにひそむ愛を 大切な人たちに与えたい 愛されていると感じたら 人は誰でも優しくなれる 優しさが世界をめぐる だけど 人は完璧ではなくて たまには腹の立つことが 巡ってくることもあるだろう そんなとき せめて人にそのことを 与えないようにしたい 円のようなこの世界で 誰かがそれを受けとめなければ それは永遠に円を巡りつづけるのだろう
人はすごい力を持っている 愛をうみだすことも 怒りを受けとめて消化することもできる けれど 怒りをうみだしてしまうことも できる そんなときは 誰かが優しさで怒りを消してあげよう 笑うことで 忘れさせてあげよう 自分が怒りをうみだしてしまいそうになったら 誰かの胸をかりて泣こう
元旦に父の実家に新年のあいさつに行った−ようするに、私の祖父と祖母だ。もともと体の弱っていた祖父だったが、想像以上に変わっていた。半分寝呆けていたようだが、手の力も入らず言葉を交わすことも、ものを食べることもままならない。私が去年の12/18に出演したコンサートの写真も、見られることはなく、意味をなさなかった。祖父の体調がよくなさそうなので皆が寝るようにいうが、祖父はなかなか動こうとしなく、またやっとベッドに着いても横になろうとしない。祖母は声を荒げた「お父さん!ほら寝るんだって!みんなに迷惑かけてるんだよ」。祖父もまたそう言われて、腹がたっているようで、なかなか横にならなかったが、いとこが「おじいちゃん、寝たほうがいいよ」っと言うと、やっと布団に入った。 祖父は変わってしまった。仕方がないんだ。年をとることを止めることは、たとえ総理大臣でもお医者でもできないのだから。もしかしたら、もうすぐ私たちのことも言葉もわからなくなってしまうかも知れない。でも思うんだ。それによって私たちがどんなに悲しい思いをしてもいい。けれど、祖父に悲しい思いをして欲しくない、「嫌われている」とか誤解して欲しくないと思った。 昨年の夏、まだ意識がしっかりとしていた祖父。体力が弱っていた祖父は私に小さい声で言った 「困ったことあったら、何でも言えば、ちからに、なるから」 たとえ祖父がどうなったとしても、祖父はずっと家族や私たちをとても大事に思っていた。そんな祖父が悲しい思いをして毎日を過ごすのだとしたら、私は胸が苦しくてたまらないんだ。 けれど、それは祖父の介護をしているわけではない私だから言えることなのかもしれない。かっこうよい祖父を知っている祖母は、きっとすごく悲しいはずだ。なかなか話の通じない祖父に苛立ってしまうんだ。「もうヤダ、迷惑」「大変、辛い」って思うだろう。だけど、どうか祖父のかとを「嫌い」にはならないでって孫の私は、願ってしまう。
2006年01月05日(木) |
自然にいるのは好かれる人 |
できないのに つまらない意地をはってみたり 嬉しいのに 「ありがとう」っていわなかったり 賛成なのに 「でも」とか「だけど」とかいっちゃったり かっこよくありたくて 自分の自慢してみたり 知的でありたくて なんか難しい話し方してみたり 本当は静かな人間なのに 盛り上がってるフリしてみたり ノリのいい人のように振るまってみたり みんなのマネしてみたり…
できないことは できないっていえばいいのに 嬉しいなら 照れてないで喜べばいいのに 接続語 なんかしゃべりたがりって感じしちゃうのに 自分の優位とか地位とか示すなんてこと 意味ないのに 知的さを自慢してどうするっていうの 素直に心にあることを話せばいいだけ 自然にできたらいいのに 自然にいられたらいいのに 心のままに 素直に話せたらいいのに 聞きたいこと聞けたらいいのに そのための言葉なのに
私 自信がないんだ だからカワイくあろうとムリしてしまう 女の子らしくあろうと ムリしてしまう ムリしてることがにじみ出てしまうこと程 人に嫌われる 少なくとも 相手は距離を置いてとおざかっていく 焦らないで私 あわてないで私 人に嫌われてる気がするなんて そんな最初から疑ってかからないで たくさん仲良くしたこと 忘れないで 人を信じなきゃ 誰も最初から私を嫌うことなんかない たとえ顔に自信がなくても たとえコミニケーションが苦手でも 被害妄想は 損するだけ 自然にいるために いつも深呼吸しよう
携帯から書いてる都合で、本当は三日の日記になるのですが。
成人式で、私は着物をきて、メイクをして会場の体育館に向かった。誰に話かければいいんだろう、誰なら話かけていいんだろう、そう思った。私のことなんか覚えていないかも知れない、別に話したいって思う程仲良しだと思われてないかもしれない、馴々しいってけむたがられるかも知れない…。話したいって思うのに、私の足は一歩前に出れなくて、何人かとたわいもない会話をしては一人ウロウロしていた。「やっぱり…私は好かれも嫌われもしてなかったんだ」そう思った。話したい人と話せないまま。 その後、夜からあった同窓会。頑張るんだ…笑え笑えと思って話す。精一杯だ、みんなが私にシラけてる気がして。みんなが私に話かけにくい気をもってる気がして。だから私は必死で、なんかノリのいい奴なテンションを装ってその場にいた。だけど、そうして話しているうちに気付いたんだ。 「壁をつくっていたのは私の方だったんだ。距離を感じさせていたのは私のほうだったんだ。」 街中で誰かに会っても、声かけなかった私。電車でも、店でも。みんなも迷っていただろうに、私はうまく会話できなかったらって不安で、自ら拒否していた…まるで気付かないフリをしていた。いえ、もっとひどい…「気付いてるよ、いることは。どもお互い声かけたいけど、特に話すことはないんだよねぇ」そんな空気を背中に漂わせて、知らんぷりしてた。 けど、みんなは…みつけたら声かけたいから声かけるのが普通だったんだ…。といあえず、一言でも声をかければよかったんだ。お互い話しかける恥ずかしさがちょっとあるけど、お互い声をかけられるのを期待してるんだ。
久しぶりにちょっと恋をした。でも周りの子が彼のこと、たくさん知ってるのに私は全然知らない。気後れした私は、メールも聞けなかった。私は彼をよく見かけていたけど、声はかけなかった。彼は私に一度駅で声をかけてくれたのに。どうして私は声をかけなかったんだろう…話しかければよかった、そうしたらせめてメールくらい聞けたのに。仲良くなれたのに。
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