とある合唱を聴きにいってきました。 海外の響きというのは、やっぱり日本の響きとは違うなぁと思った。 外人さんには外人さん特有の響きがある。 とてもパワフルで、綺麗で繊細な合唱だった。 そこからは、やっぱり異国の空気が感じられて 日本人にはそれを完璧に作り上げるのは無理なのかもと思った。 だけど、逆に、 外人さんが日本の響きを作るのもそれは無理なのかもしれない。 人にはそれぞれ、その人しかだせない声というものがある。 人の声はその人だけのもの。世界に一つしかない自分の声。
私はゆーちゃんのような、広がりのある声を出してみたいとずっと思っていた。 だけど、どうしてもゆーちゃんとそっくりにはならない。 高い声も、やっぱり似ない。
木曜日。 部活が終って、みんなも帰った後、 音楽室で一人でピアノを使って練習と研究をした。 特に高い音。 低い音はいくらか似せれる(ような気がする)。 だけど、高い音だけは全然似ない。 それどころか、高い音は理想通りにすら出てくれない。 『なんで・・・なんで出ないんだろう・・・』
「腹からの支えが足りなーい。 さぁさー、音楽室閉めるぞー、帰るぞー。」
突然、先生が隣の研究室から出てきた。 すっかり、荷物ももって帰る気満々な先生だったけど 私はどうしても高い音の出し方を教えてほしかった。
「せんせー。高い音の出し方教えてください〜 何か私、高い音にゆーちゃんみたいな広がりがないんですー…」
最初は私の悩みをいつもみたいな愚痴だと思ってた先生も、 私の立て続けの同じ一つの質問責めに、 本気で困っていることを察してくれたらしく、 悩みにつきあってくれた。
でも、なかなかうまく声が出せなかった。 教えられたこと忠実に実践しようとしているのに・・・。 そのうち、しだいに自分が悔しくなった。
『どうして出来ない? まだまだ修行不足? それとも、もしかして・・・才能ってやつなの?』
先生にも申し訳なくなってきた。 歌っていうのは本当に人に教えるのが難しいと思う。 「あくびをするように」とか、 「おなかの風船をしだいにつぶすようなブレス」とか そんな表現を使って相手に伝える。 だけれど、私は先生の教え方は本当に伝わりやすいと思っている。 なのに、なかなかうまく実践できない…。
涙がにじんだ。
何気なく目をこすったように見せかけて 涙を消そうと思ったけど 「何で泣くんだよ〜っ」 「うおぁ〜っ」 バレた。
でも先生は、あきずに教えてくれた。 なかなかうまくできなかったけれど、 うまく声が出たときも何度かあったから、 これを励みにもっともっと修行しよう。
終ってから、もう一つ聞いた。 「・・・どうしたら、ゆーちゃんのような声になれますか?」 「おまえらはなぁ〜、ホント、たして2で割ったら最高なんだよなー」 「どうしても、ゆーちゃんみたいな声にならないんですけど・・・」
先生は答えた。 それはやはり予測していながらも、私が見ないふりをしていた答えだった。 「あーいう声になりたいと思っても、なれないことはねぇ・・・ある。 人の声ってのは皆違うだろ?骨格とか」 ついにどうしようも無いものを見たと思った。 これこそが、生まれ持ったものなんだ。 でも・・・
「だからこそ、自分にしか歌えない声があるんだよ。 どれだけ自分のいいところをのばしてやるかなんだ。」
それを聞いて、その通りだと思った。 私には私だけの声がある。 この声をどれだけみがいて、光り輝かせるかなんだ。 よーし、修行するぞー! そう励まされて、家に帰った。
次の日聞いた話。 ゆーちゃんも、先生の前で泣いたらしい。 「私もあんな声になりたいのに、どうしてもならない!!」 そう言って、本気で泣いたらしい。 あんな声っていうのは・・・私の声。
私達って、本当にお互いがお互いの声を 心からうらやましいと思ってるんだね。 不思議なものだね。
部活の三年生4人でオペラを見てきました。 オペラ歌手になりたいと思いつつ、 実はオペラを見たのは今日が初めてなのでした。(おい) 長野にはなかなか来ないんです。(T-T
そのオペラ、なんと先生が主役! 「先生」ていうと生ぬるいソリストに聞こえるかもしれませんが、 音楽家ってのは割と教職を持ってるものですからね。 実力は立派なソリストです。
舞台に立つ先生は本当にすごかった。 常に歌いっぱなしで、歌だけでなくて演技もこなして、 しかも、当たり前だけれど全部暗譜。 堂々として、舞台で役をこなしていた。 先生なのに、先生に見えなかった。
「すごい」 そう思った。 心から先生を偉大だと思った。 尊敬しまくりでした。
公演が終って、舞台裏にいって花束を抱えて先生を皆で待った。 しばらく待ち伏せていたら、先生が控え室から出てきた。 「あーーーー!!!先生ーーーーー!!!!」 そういって皆で駆け寄った。 何故か私と、部長の子が号泣でした。 自分でも「なぜに!」って感じですけど、 何か泣き出したら止まんなくて。 「うぉ〜」とかいいながら花束渡しました。
初めて見たオペラが先生のオペラだっていうのが何か嬉しい。 私は先生を本当に尊敬している。 あんな音楽家になりたい。
やって来ました。 そろそろだろーな・・・と思っていたら、やっぱりきました。
クラスの友達と、どうもうまくかみ合わない周期。 何が理由なのかわからないけれど、 なぜか周期というのがあって、必ずクラスの友達とギクシャクする。 いつも通りの普通の態度で接してるのに、 向こうの態度は「あら?」みたいな感じで、どこか空気がチグハグしている。 ある一人の子なんですけど、 ちょっと性格になんありで、 ワガママで、しかも人を嫌うことのエネルギーを糧で過ごしてるという。 うーん。何てことだ・・・。 今度のその嫌うターゲットは私かい。 何もしてないというのに。
にしても、嫌われるってのはあまり気分がよいものではないです。 向こうがこっちを何故か気に入らないからだとしても、 私は何も悪いことをしてはいないので、 とりあえず「来るもの拒まず、去るもの追わず」の精神でいるのが一番か。 多分、何となく私が笑ってるのとか見ると、憎らしいんだと思いますけど。 ひがんでるのか、妬んでるのか知らないけれども。
あからさまな態度とられようと、無視されようと こちらがどーんと構えて、普通に過ごしつつ、 加害者にならないようにだけ気をつけていると たいてい、また向こうが都合よく元に戻るんです。 機嫌悪いときはひたすら怒りをぶつけといて、いい気なものです。 でも、今までその子のターゲットになった子のうちの一人は、 「うるさい。話がやだ。」っていう理由で 一年間以上も忌み嫌われてた期間が続いてたんですよ。 あえていうなら、そのおかげで他の人は被害を免れていたんですけど。 けれど、ターゲットにされた子は全くヤな子なんかじゃないんですよ。 よーするに「何かむかつく。そいつの幸せが腹立つ」っていう機嫌なんです。 で、それにちょうどいいような理屈をつけて理由にしてるだけ。
人を嫌うことが生きがいな人・・・てどうかと思う。 ようするに「人の悪口」会談が好きなのと同じタイプの人間ですけど、 生きていく上で、常に嫌いな人がいるなんて、なんか・・・心晴れない。 「人を嫌わない」っていう風に生きたい私には、 そんな人は相当な弱い人間に見えます。
あー、いやだなぁ・・・。 私が何したっていうのー・・・。
近頃、部活内の3年生がすごく結束力が強まってる。 そして、それとともなってアンサンブルの力が上がった。 やっぱり、コーラスって心が大切なんだ。
松下耕さん作曲の「日記」という曲が 今私達が歌っていて一番楽しい曲。 4パートあるので、一人1パート歌う。
4人でこの曲を歌っていると、 歌が始まって、そして気付いたらみんなで世界が飛んでる。 気付いたら、4人で同じ光景を思い浮かべていて、 もうそこだけ世界が違う。
私も今までこんな経験なかったんだけれども、 こんなにアンサンブルで一つになれるなんて、絶対そうそう無いと思う。 もともとコーラスは好きだったけど、こんなに楽しいと思ったのは初めて。 うーん、何ていうんだろう・・・ 一つの世界を4つの色で、まぜたり、そのものの色で彩っていく・・・みたいな。 もう本当に、この曲を何度歌っても楽しい。至福にみまわれる。
「4人ならどんな曲も歌える気がするね!」 そんな風に言えるようになった、私達。 すごく嬉しい。
あーぁ、部活引退したくない。 (とはいっても、九月十八日まではまだだけれど)
電話して、
「もう未練も何もないので、超普通に友達になれますよ」
と伝えた。 今度こそ、本当にもう大丈夫。
どうしても伝えなきゃ、次ぎあうときにギクシャクしそうだった。 だから、伝えさせてもらった。
迷惑かけてごめんなさい。 区切りつけるのに時間かかってしまったけれど、 今度こそ諦められると思えるような方向に向いてる。 過去話をしながら、思い出しながらも、 ちゃんと「諦めよう。諦めれる。」そう思える自分がいる。
二回目にフラれたあの日。 もう友達としてすら会ってくれなくなるのが恐くて 「じゃぁ、宣言していいですか? 私、もう好きにはなりません!」 って思わず言った。 そうしたら、 「いや、そんなの宣言することじゃないけど」 って言われた。
あの人は本当に意地も頑固もない人だと思う。 何か、絶対無理しない。 考え込んだり、悩んでも結果が変わらないことならいっそ悩まない。 どこにも無駄に力をいれずに生きてる人間。 私に怒ったのか、いさめたのかわからないけど、 あの人は 「人の気持ちなんて、宣言しても、結局どうなるかはわからない」 ってのを知ってるのかもしれない。
宣言することは、果たす義務が生まれることで 逃れられなくて拘束力はあるけれど、逆に苦しみにもなる。 宣言して 「私はああ宣言したから、もうこうするしかない!」 って自分を境地に追い込むから。 逃げられなくすることだから。
「勉強する!」とか「料理できるようになる!」とか そういう宣言は力になると思う。 私は実際、そういう宣言をよくしてきた。
でも、 「この気持ちは変わりませんよ宣言」はしない方がいいのかもと思った。 だって、・・・人の気持ちなんてどこで変わるかわからない。 私はあの人が一生好きと思ったって言ったけど、そっくりな人があらわれたら? やっぱり何が起こるか、どうなるのかはわからない。 意思が弱いとか、強いとか、そういう問題じゃなくて・・・ 人の気持ちが変わらないなんてことはきっと無いってこと。 だから、 「この気持ちは絶対変わらないから!」って、 自分を縛るような宣言はしない方がいい。 伝えたくて伝えたくて、しょうがないほど好きとか もう見たくもなくて無視とか心底嫌悪しているとかじゃないなら。 誓いをたてるなんて、結婚の時にするもの。 そんな簡単に、誓いや宣言なんてできるものではないんだと思う。
無理に宣言なんてして、 自分の行動を正当化しなくたっていい。 気持ちなんて宣言したって、 変わるときは変わるのだし、変わらないときは変わらない。 結局、気持ちや心なんて、 自分のものなのに自分じゃないように動いていく。 心からたてることができる誓いはそうそうない。 頭や理性で考えた誓いは、結局は心にふりまわされて苦しいだけ。
別れるのって、ただでさえ苦しいのに、 変な宣言して余計自分に苦しみ増やしていこうとするなんて、馬鹿な私。 どうせ諦めなきゃいけないなら、 もっとラクに諦めていったほうがいいに決まってるんだから。
ふと今までの日記読み返そうと思って、 目次の範囲が、下から上まで ちょうどあの人と会った頃から別れるまでの期間だった。
付き合っていた時間。 すごく長いようにも、短いようにも思ったけれど そうして見たら、何だかあっという間の夢みたいに感じた。 すごく色んなことがあったし、たくさんのことを知った。 それに、そういえばあの頃から、忙しくなるようになった。いい意味で。 狭い世界に閉じこもっていたけれど、 広い世界に自分を投げ出す勇気をもてたから、 コーラスの会とか、演奏会とか、よく出かけるようになって、 休みの日でも予定が入るようになった。 だから、あっという間に感じるのかな。
読み返したら複雑な気分になった。 ひとつの幸福をつかむためにひたすら頑張ってた。 私は、あの頃の私にあえたなら にこやかに微笑んで「あなたは精一杯生きているね。」 そういって声をかけてあげたい。 その姿はいちばんあなたが輝いてる姿だから、それでいい。 これから何が起こるかは誰にもわからないけれど 精一杯生きる気持ちをずっと忘れないで。
好きだったときの、日記。 あの頃の記憶。 いっそのこと消してしまおうかと思った。 何も無かったかのように、全部消してしまったなら、 どんなにかラクに全て忘れてしまえるだろうね。 全ては夢のなかでの出来事で、 現実には何も無かったなんて錯覚しようものなら、 切なくなったり、苦しくなったりなんてしようがないね。 「え?何も無かったよ?」 そんなふうに思い込めたら、きっと、ラクなんだろうね。
けれど。
何も無かったなんて、思えない。 だって、あったんだもの。 そこには、頑張ってる私があったんだもの。 今ここには、思い出があるんだもの。
未練がましいといわれるかも知れない。 だけど。だけどね。
別れた今、切ない気持ちは確かに大きい。 どうしようもないほど、無気力に大きい。 でも、それと同じくらい 私は感謝の気持ちも大きいから。
あの人は「他に好きな人ができたから」と言って 別れようと言って、私もそれを受け入れた。 実は嘘ついてるんじゃないかと思って、問いただしたけれど、 それは本当に、真実の理由だった。
だけど、私、全然恨んでなんていない。 許せないなんて思っちゃいない。 むしろ、私への後悔のほうがある。 「馬鹿だったな。私」みたいな。
「何も無かった」って忘れたほうがラクな期間のなかに、 私が成長した記憶や、思い出もあるから、 複雑だけど。けれど、忘れようと思わない。 心の整理をしながら、心の糧にして、 切なさや苦しさは少しづつ消化していこうと思う。
すごく私の力になった言葉がある
「忘れていい思い出なんてひとつもない」
今起こってること全て、 それは私を成長させるものだから。
もう大丈夫
もう言い残したことはないから
あとは友達として
人生語らいあえたらいいなぁって思ってるだけだよ
だから
今度こそ
やっと好きという気持ちを整理できる
よかった
これでまた明日から笑っていける
昨日は誕生日でした。
ついになんと、わたくし、18歳になってしまいました。
年取るのって早すぎる・・・。 なんだか18歳ってすごく変わって思える。 17歳に比べて、一気に大人になった気分。
今年も一年、「精一杯生きよう」という決意。 歌も、人としても、私として、精一杯生きようと思う。 私がいちばん誇らしくあれる在り方で、 後悔しないように、一日一日の今日を、しっかりと大切に過ごしてゆこう。
話は変わって! 私、歌曲コンクールの予選通過をしました。 256人中の44名に残ることができました! 今週の土曜日、6月7日に東京で本選です! ゆーちゃんは残念にも落ちてしまいましたが、 私の伴奏をやってくれることになったので、一緒に行ってきます。 これが初の共演だね!夢のようだね! 家族も先生もすごく喜んでくれている、頑張ろう!
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