日記病者

For God so loved the world that He gave His only begotten Son,
that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.
John 3:16




2002年08月31日(土) 夏の終わりに

8月下旬にかけて色々と書きたいことはあったんだが、もうそれどころじゃない。
一騒動あったんで。
もう心臓止まるかと思った……。(大袈裟)

ムカデがね、出たんですわ。
テレビの前に座ってボーっとナイナイサイズ(テレ朝系列?)見てたら、
何か太腿の裏がムズムズすんの。
ちり紙でも落としたっけ?とか思って手で探ってたら、
何か妙にスバシコイ生き物が……
ドキッとして立ち上がったら、ムカデの赤ちゃんがいたのだよ。
「うわーうわーうわーうわーうわー何かいるーっ!!!!」
と夜の11時半頃に大声で走り回ってたら、
後ろに座って仕事してた母がふっと振り向いて
「何? 何がおるん」
小っちゃいのが小っちゃいのが!としきりに喚いていると始末してくれました。
殺虫剤を取ってきて渡しながら「何それ」と訊くと「ムカデよ、ムカデ」。
最近見てなかったので、めちゃめちゃ動揺しました。おえ〜。
取り敢えず噛まれてないとは思うけど、怖いのでキンカン塗りまくった。
でも実んところ痛くも何とも無いし、多分大丈夫。
後でガレージに下りて、石の上で焼きました。
今日は風が強い日だったので、なかなか火が点かなくて困ったけど。

他にはまぁ、映画行ったり福岡行ったり。
受験生らしくない夏休みしてたんですが。(反省が活かせないタイプ)
映画は母の仕事関係の方にタダ券頂いたから行ったし、
福岡は大宰府に合格祈願(+遊び)に行っただけの話なんですが。
キャナルシティの広さにはビビった。
めっちゃ広いし、綺麗やし。
何だかんだ言って広島は田舎なのね〜、と思い知らされましたよう。
後、映画も良かった。
『トータル・フィアーズ』を観に行ったんだけど、かなり良かった。
あれは語りたいことがいっぱいあったんだけどね〜。
久し振りに内容のしっかりした映画を観た気がしますよ。
まさにお勧め。
あのような映画が核保有大国のアメリカで作られたというのは、とても嬉しいことだな。
核兵器は今更捨てられるような簡単な問題じゃないから、
たくさん作っちゃったんならせめて、その恐ろしさをきちんと自覚していたい。

……んで。夏休みはあと一日ですよ。
数学の課題がいっぱいあるんですけどね。
無機化学とか、あるんですけどね。
受かるのかー!?
……まぁ、来年一月まで何とか理系科目と日本史B、必死で走ってみます。
中学受験といい、大学受験といい、どうもあたしは夏休みが苦手らしい。
差し迫らないと頑張りの効かない人間ですみません母様。
うーん、何とか受かるように頑張るよ〜。
多分弱気の虫は何処かへ行った。
あんまり夏休みが駄目駄目過ぎて、弱気になる程の甘えが消えたのだと思われる。



2002年08月19日(月) Take it easy.

日曜日は模試でしたよ。
しかも学校休みだからとか言って、わざわざ河合塾まで行ったさ。
あたしは塾行かない派なので、初めて河合塾に入った。
綺麗ですなぁ。自動の回転ドアだし。すげぇ。
でも7回まで階段で昇り降りは辛かったよ……。

んで自己採点してみたら、まぁ見事に数学に倒れた。
化学が出来ないのは元からだし、前回に比べれば点数は上がったので
まぁーマシかな、と自分で自分を慰めてみるんだが。
数学ヤバいわ。なんであんなに出来んのだ、あたし。
駄目です、あほです。
あれは文系科目でカバーし切れないかも知れない。
やりようが全然足りてないということが如実に表れてたので、
きちんと自己反省して勉強しなくてはならん。
……とか思いつつ、なかなか教科書に手を伸ばさない駄目人間。

成績表とか見てたら、情けないの通り越して寧ろ笑えてくる。
国語と化学の順位、前からと後ろからで見事に逆ですよ。
こんな人間が国立受けようっつーのがまず無理な話なんでしょうけど。
でも私立行くわけにはいかんし、新聞奨学生の件も猛反対されたので諦めたし、
ひたすら理系科目勉強するしかないです。
センターは基本程度なんだから、やれば出来る単純なことなんだけどね……。
ほんとに駄目人間だなー。
親の脛かじるしか脳が無いですな。本当に駄目だ。

こういう時に何が腹立つと言って、プレッシャーに負けそうになってる自分が腹立ちます。
もーーーーー、何でこんなに根性無しなんだっ!
ここで反骨精神見せなきゃ何処で見せるんだよ。
絶対負けたくないという負けず嫌いと、
でもこのまま行くと駄目かもしんないという臆病なところと、
両方ともじっと客観的に見てる冷静なところと、
ぐちゃぐちゃになって変な気分ですな。
でもやっぱり絶対負けたくない。
他の受験生にも勿論負けたくないし、それから自分にも。
取り敢えず、落ちたときのことも頭には入れている。
浪人するつもりはない。
あたしのような弱い人間には浪人生活は向いてないだろうし、
浪人してまで入るような大学ではないし。(H大学さん、すみません)
そこまで親に迷惑は掛けられない。
落ちたときは、技術職に進もうかなーとか思ってるんですけどね。
甘く見てるわけではなくて。
逆に、大学行ってからじゃ技術職やるには遅いだろうし。
「駄目だったから、こうする」とかゆー悪い考え方ではなく、
「こうじゃなきゃ出来ないことをする」とゆー考え方をしたい。
いろんなことは、捉え方次第で無駄なことにはならないだろうから。

なんだろなー。ようやく尻に火が点いたっつーことですか?
キンキのDアルバムにそういう歌があったな〜(笑)。
あれ、初めて聴いた時はびっくりしたぜよ。<土佐弁?
歌詞にそのまま「お尻に火が点いた」ってあったもんね。
当時はまだファンになってなかったので、かなり衝撃だった。
「え…ジャニーズ事務所はどういう方向に行きたいの?」みたいな。
まぁつんく♂さんも「ひなまちゅり」とか言うてるくらいですから、いいんでしょう(笑)。
時代はあややですよ! あややはスゴイね。
この前友人とメールしてて、あやや談義に花が咲いたんですが、
「あややは将来どうなるんだろう」という友人の問いに、
「このままいつか消えていくか、上手く化けて松田聖子化する」
と答えてみました。
ある意味あたしは見てみたいです、「上手いこと松田聖子化した」あやや。

そんじゃああたしも頑張るかー。
みんな頑張ってるんですなぁ。



2002年08月13日(火) 男の浪漫

昨日テレビつけてたら、ソニンの新曲のPVをたまたま拝見した。

ってゆーか、もう! スゴイよ、ソニンさん!!

男の浪漫です。
裸エプロン。
スプーン片手に裸エプロン。
あたしまでついつい目が釘付けになりました。

でも何だかヤラシー感じとかは無くて、寧ろ健康美っぽくて良かった。
是非また見たい。
……いや、だから何度も言ってますがあたしは決して百合族ではないです。
純粋に好奇心と言うことで。
言い訳すると余計に怪しいんだろうか。

剛さんのソロコンもとうとうクライマックスに近付いとる訳なんですが、
やっぱりというか何というか、光一さんも客席にいらしたようで。
本番前に剛さんの楽屋に現れて牛丼食ってたとかいうのが微笑ましい。
仲良いですなぁ。
しかも
自分が食べ終わらないからコンサート10分押しでやれ、
とか(冗談だけど)言ってるのが、また何とも。
彼のそういう傲慢な冗談は可愛いです。
そういうこと言う時だけはきちんと王子なんだわ(笑)。

それとは全然関係無いんだが、ふっと思い出した話。
去年だったか一昨年だったか、尾道の千光寺で若手のお笑い芸人を見かけた。
アメリカザリガニとゆーんですが。好きなのよ、結構。
ロケか何かしてたらしくて、普通に歩いてた。ほんまに普通に。
あたしは擦れ違った瞬間に気付いたので、通り過ぎてから一人大興奮してたんだが、
お笑いの人って、ほんとに仕事以外では喋ってないんだなー、と思った。
一人は若い女性タレント(誰か知らんが)と話して歩いてたし、
もう一人の方は無言でスタッフに紛れて歩いてた。
かなりテレビの印象と違うので面白かった。

そういうのを目にすると、一緒に花火しようだの、釣りに行こうだの言ってるキンキさんは
ほんまに仲良いんだなー、と妙に感心する。
当人方は不仲説とか口にしていたが、そんなんどっから流れてくるんでしょうな。
ファンレターで垂れ込み(笑)でもあるのか。
そんなんいちいち手紙に綴られるのも大変だねぇ。
やれ不仲だの、やれデキてるだの、やれ解散だの、
……そんなん全部読んでたら分裂症引き起こすよー、大丈夫?
っつっても、今更いちいち間に受けてはいないでしょうが。
……でもこんなことあたしが言っても説得力まるで無いな〜(笑)。

ソロコンっていつまでだっけ? 明日まで?
このまま何事も無く済んでくれると良いですな。
取り敢えず、あたしに出来ることと言ったら。
……祈っときます。
イエス様、剛さんをどうぞよろしく頼みます。
ついでに出来ればソニンの新曲PVまた見せてくらさい。<邪心
アーメン。



2002年08月11日(日) 罠に陥りやすい性質

先日、オープンキャンパスに行ってきた。
以前日記にも書いた社会問題論議の友人、Mと。
Mは法学部に、あたしは文学部に取り敢えず行ってみた。
うーん、まあなかなかイイ感じです。
それなりに手広く勉強できるらしいし、環境も整ってるし。
その大学を妥協として選ぶのではなく、希望として選べるようになったのは何よりの収穫ですな。

その帰り、現実逃避型受験生の我々はデオデオ(電気店)で遊びまくった。
パソコンとかパソコン周辺機器とかオーディオとか見て遊べる高校生は変だな、
とか言い合いつつ、気が付けば数時間を過ごしていた。阿呆だな。
ついでに剛さんのアルバム発売日だったので買って帰ろうと地下のCDショップへ。
そこでまた何やかやと時間潰してたんですが、
シングルが置いてある場所でやたら、あややを薦めるあたしに、彼女の名言が。

「(あたしのあだ名)って本当に、馬鹿な子好きだよね」

これを聞いた瞬間、あたしは彼女を心底「すごーい」と感心しました。
鋭いなぁ、というか、簡潔に述べるなぁ、というか。
自分でも常々「阿呆な子ほど可愛い」と言っているが、
友人にまで言われるとこりゃあもう仕方が無いな、と思えてくる。
「本当に」と付け加えられてる辺り、普段から彼女がそう思っていただろうことが伺える。
……普段からこんな阿呆なことばっかり言ってますもんね、あたし。(反省)

蓋し、あたしが阿呆な子好きなのは、無いもの強請りが作用しているのではないか、と。
天然で阿呆なのが許されるのは、可愛い子(男女問わず)の特権である、
とあたしは思っているのです。
だから、自分には無いそういう部分を求めてんのかなー、みたいなね。
そしたら今度は、その「可愛い」の基準はどうなるんだ、ということになるが、
あたしの外見的「可愛い」の基準は、殆ど全て性的アピール度です。(断言)
だから女の子で言うと、あややとか加護ちゃんはロリ系かな、と。
ロリってのは凄い性的アピールですよ。
人間のアイデンティティは発達した大脳新皮質ではないかと思うのだが、
つまり人間である為に必要不可欠な理性を脅かす危険性が非常に高い。
ロリは人を容易に犯罪者にする力がある。
それってつまり、ナボコフ作「ロリータ」ってことなんでしょうが。

男の子で言うと、何なんでしょうな。
あたしの趣味ってどんなんだろう……。
そっちの特別な意味で考えると、小動物的な人に弱いんだろう。
剛さんの小動物的な振る舞いに、何度あたしは自首を考えたか。<大丈夫か?
なんかね、これは勿論性的アピールというのはあるんですが、ちょっと違う要素もある。
男性に小動物的な部分を求めるのは、とっても贅沢なことだなぁと思って。
そもそも小動物って、男性的ではない。
だから不要なものを敢えて存分に備えているっつーのが魅力なんです、あたしにとって。
とか言っても、実際に小動物的な人とは結婚しないです。
ちょっと耐えられん。いろんな意味で。
多分あたしはストライクゾーンがかなり広域なので(笑)、普通の人選を。
それには色々理由もあるけれど、
「欲望に突っ走ると滅びる」
というのが普遍的な一因ではあるかなぁ、と思う。
でも見てるだけならタダだしね〜。へっへっへっへっ。

そう言えば、さっき友人とメールしてるとき。

あたし:「アヤヤのコンサートに行ってみたいな〜」
友人Y:「ムサイ男とアヤヤの密室だよ…」
あたし:「熱狂的な彼らに紛れて、ひっそりと冷静にアヤヤを見てみたい」
友人Y:「あれはまるで宗教みたいだな」

……上記のような遣り取りをしていた。
改めて起こしてみると、随分ひねた女子高生のメールだな……。
たまたまテレビCMであややのコンサートが流れてたからね。
いやー、是非行ってみたい。
モー娘。でもいいかな、と思ったんだが、やっぱりあややだろう。
あやや一人に、会場全体が熱狂するというのは素晴らしい。
……とか言ってたら、
「じゃあ、視点を変えてキンキのコンサートに望めば良いのではないか」
とも思ったんだが、それはやっぱり却下だな。
何故ってつまり、あたしが剛さんを目の前にして、冷静でいられないからです。
『情熱』が掛かった時の己をよく思い出してみれば、非常によく分かる。
ひたすら双眼鏡で腰付きを追っていたからな。
いやぁ、よくお巡りさんに捕まらなかったもんだ。ごめんなさい、光一さん。
でも彼のダンスは凄いです。
「止めてください、お客さん」な感じ。(よく分からん)
しっかり腰使って下さるのも大いに結構ですが、やる気無さ気に踊られるのもまた良し。

……言うことが悉くオッサン化している。
発想がオッサン、と言うべきか。
何をどう間違えたらこんな人間が育つんだろうか。



2002年08月08日(木) 充満充血数日間

ここ数日で、短い間に色々あり過ぎて、疲れた。
何から日記を書けばよいのやら。
あり過ぎて困ります。
あたしは肝心なことだけを要約して簡潔に述べられる人間ではない。

まずは今年の8・6について。
何か自分にも出来ることは無いだろうかと考えて、
オモテのHPにささやかながら祈りの呼び掛けを書かせて戴いた。
そしたらきちんと応えて下さった方がいらして感動しましたよ。
あたしもそんなに真面目な人間ではない。
ただヒロシマに生まれた者として、ヒロシマに関わった者として、
何らかの責任はあるものと思っている。
取り敢えず自分の人生の大きなテーマとして、8・6の認識を広めたいと思っている。
でもワールドワイドな話じゃなく、国内で。
折角平和憲法を保持している日本で、今は余りに平和に対する意識が薄いと思うから。
ヒロシマとナガサキのある国として、もっと関心と知識を持って欲しい。
最低限でいいから、ヒロシマとナガサキのある国の国民として。

あたしがこういう風にヒロシマを意識し始めたのは、去年の学校の慰霊祭がきっかけだったと思う。
ウチの学校は爆心地に近くて、校内で礼拝中に被爆したから、
学校の敷地内に慰霊碑が立っている。
毎年、その慰霊碑の前で慰霊祭を行っている。
昨年はたまたまその式典の担当が高校の番だったらしくて、
あたしは国語科のM先生の申し付けで追悼文を読ませて戴くことになった。
何であたしなのかはイマイチよく分からんかったが、
引き受けたからにはきちんと自分の中のヒロシマを明確にしなければと思い、
改めて祖父母に被爆体験や戦時中の体験談を聞いてみた。
その話の中で、あたしが最も強く心を動かされたのは、
「もう若いモンにあんな思いはさせとうないのう」
(広島弁の分からない方の為に訳:もう、若い人にあんな思いはさせたくないなぁ)
という、祖父の何気無い、でも深い一言だった。
聞いた途端、つい涙が出そうになって、でもあたしは意地っ張りなのでそれは堪えた。
でもこんなに深くて明確な言葉は無い。
その時「二度と同じ過ちを犯してはいけない」と、初めてはっきりと思い知らされた気がした。
先日の朝日新聞の天声人語ではないが、被爆者の殆どは民間人だった。
日常の中の非日常。それが8・6だと思う。
普段の生活の中で、たまたま8月6日の8時15分に原子爆弾が投下された。
今、平和公園がある場所は、とても広くて一見公園のようにも見える。
しかしその場所は昔、中島町という普通の住宅地であった。
つまりあの広さの分だけ、まるまる町が死んだのだ。
9・11のテロ事件の時にも感じたが、アメリカは未だに真珠湾攻撃を忘れない。
忘れないことはとても大事だとは思う。
今は研究も進んで、真珠湾攻撃が決して不意打ちではなかったことが分かったが、
アメリカ人の記憶の中には真珠湾攻撃は「卑怯」な「不意打ち」として残っている。
しかし、では原子爆弾投下はどうなのか?
こちらも同じように、いや、真珠湾攻撃の倍以上の民間人が命を落としている。
普通に暮らしていた中に、驚異的な破壊を突然もたらされた。
アメリカは「戦争を長引かせない為の正当行為」と言うが、
あれだけの人命をあっけなく奪っておいて、正当行為と言い切れるのだろうか。
これはアフガン空爆にも通じる、偏頗な正義感だと思う。
しかしそれがまかり通っている以上、日本はヒロシマ・ナガサキを忘れてはならない。
ノー・モア・ヒロシマは、標語じゃない。
言葉に行動が伴わないなんて、朱子学じゃないんだから。
言うだけなら、誰にも出来る。

ただ、被爆の記憶を捨ててはいけないように、加害者としての記憶も忘れてはならないと思っている。
日韓併合、満州占領、南京大虐殺、今も残る在日問題。
まだまだあるだろうが、あたしは勉強不足なので申し訳無い。
それら加害者としての記憶も持たなければ、平和を呼び掛ける資格は無い。
例えば、身の回りに即して考えて。
悲劇のヒロインぶった奴に、誰が同情するだろう。誰が共感するだろう。
自分がやってきたことの責任とか、全部負った上で傷も見せなきゃ、誰もきちんと見て聞いてくれない。
ゆとり教育だとか何とか、学科を簡単にしたんなら、こういうことこそ学ばせなくてはならないのじゃないかしら。
はっきり言って、我々の世代が日本を背負って立つ頃のことを思うと、恐ろしいです。
前述のM先生が先日、学校新聞で仰ったこと。
「(その頃の日本は)少数のエリートが多くの凡人を引っ張っていくだろう」
言い得て妙ではないでしょうか。
でも少数のエリートに破綻が来て、ひずみが生まれたらどうするのだろう。
小さな面積を圧迫していれば、それだけ不具合も生じやすい。
……とは言え、今更軌道修正なんて効くのかな……分かんないですね。全く。

何か熱くなり過ぎたので、今日はこれだけにします。



2002年08月04日(日) 住基ネットと終末論

明日からとうとう施行されるそうな。

住民基本台帳ネットワーク。
略して住基ネット。

住民票が要らなくなって諸手続きが容易になるという点では良いと思うし、
そのお蔭で予算も130億円(だっけ?)ほどスリム化するというなら必要だとも思う。
でもやっぱり、皆さん言われているように情報の流出は怖いね。

ハッカー、コンピュータウイルスの問題も勿論ある。
専門家曰く「ネットワークへの侵入は不可」らしいが、
万一その通り外部からの侵入が無理だとしても、
それより何より一番怖いのが「内部の人間からの流出」ではないのか。
人間はお金が絡むとびっくりするくらいガラッと変わるからなぁ。
管理作業に当たる人間として、高いモラルを持って戴きたいが、それはなかなか難しいよ。
こういう時、やっぱり荀子の「性悪説」が正しいのかなと哀しくなる。

街頭インタビューを見ていると、
「人間に背番号を付けるとは!」
みたいなことを仰る方がいらしたが、それは曲解ではないかと思う。
情報を数字化することが、人権を軽んじることに繋がるか?
たかが数字化されたくらいで損なわれる程度の人間の尊厳なら、
最初から無いも同然のような気がするんだが。
そういうことは、好況でお金が有り余ってる時に仰ったらよかろう。
実際これだけ国債出して借金だらけの国庫がありながら、
そーんな悠長なことは言ってられんと思うんですがねぇ……。

先日、再び例の接骨院に参りまして、治療を受けた。
S先生は、あたしがキリスト教学校の生徒だからだろうか、
なーんかいっつも宗教の話を持ちかけられるんですが。
そんで今回は突然何を仰ったかと思えば、『終末論』。
しかも先生の仰る方は旧約聖書(つまりユダヤ教的な)終末論の方らしかった。
申し訳ないことにあたしが習ってきたのは殆ど新約聖書の、しかも福音書がメインなので
旧約聖書にはあんまり詳しくない。
せいぜい創世記か、コヘレトの言葉……くらいかしらん。
だからご期待に添えるような受け答えが出来なくて非常に申し訳無い。
ひたすら聞き上手(上手だったか?)に徹しました。

あたしの極々私見ですが、旧約は結構悲観的だと思う。
神様がやたらめったら怒って罰を与えなさるし(罰は洪水が多かった)、
「律法に従わねぇと、てめぇらぶっ潰すぞ!」
とも言わんばかりに怖くて厳しいし。(その良い例はソドムとゴモラ)

一方、新約はイエスメインだから、結構楽観的ではないかな。
浄土真宗に通じてるけど、
「律法が全てではない。弱くて小さなものも最後の日には救われる」
みたいな感じ。
その最後の日というのが、新約的終末論、だとあたしなりに定義している。
旧約的終末論は、残念ながら勉強不足なのでよく分からん。
果たしてその終末とは、
「神の国が実現する」
という、新約と同じような意味での終末なのか、それとも
「何か悪い大きな力がすべてを破滅させる」
という意味での終末なのか、そこんとこもよく分かりません。

んで、そのS先生から教えて戴いた。
旧約聖書に終末が来たるまでの条件が色々と書いてあるらしいのだが、
今のところ殆ど既に実現していて、所謂エックスデーは近いのだそうだ。
時間に換算すると、もう12分前なんですって。
……どういう基準の単位なのかは分からんが。
そんで、ここでようやくタイトルに結びつく訳ですが、
住基ネットってのは、その条件の一つだそうですよ。
あたしが先生から伺ったことを詳しく書くと、もうきりが無いので
泣く泣くここらで終わろうと思うけれど、ほんまに興味深いお話だった。

最後に惜しんでもう一つ。
映画『オーメン』で主人公ダミアンが生まれ持った数字は有名な666ですが、
これは新約聖書の『ヨハネの黙示録』から取っている。
この黙示録は新約聖書の最後を飾っていて、なかなか暗示的な文章が面白い。
聖書の脚注によれば、この666とは皇帝ネロを表すらしいが、
まぁその人物については諸説ある。中にはヒットラーを指すとかいうのも無かったかな?
……と、まぁここまでは、或る程度の方々は常識程度にご存知かも知れない。
それがですね、近い将来、この666の人物が世の中に現れるらしいんですよ。
ひょっとするともう何処かに生まれているかもしれないし、これからかも知れない。
んでこの666の人物が物凄いカリスマ性で地球全土を掌握するらしく、
その時悪用されるのが住基ネットなんですと。
以上が話の概略です。

パッと聞くと馬鹿らしいSF話のように思えるかもしれないが、
宗教的に聞くと洒落にならないくらい真実味を帯びているのだよ。
聖書も額面通りに読むと阿呆らしいが、
それなりの解釈をして読めばびっくりする真理が隠れていたりする。
それはまぁ、色んな宗教に通じることですがね。
これだけ狂い始めた世の中見てたら、666の人物がいつか現れても可笑しくないかなと思うよ。
本日の朝日新聞の9・11のテロに関する記事を読んでたら、
「正義のアフガン空爆」に於ける正義が如何に偏頗なものかということを身に積まされたし。
こんな近視眼的正義がまかり通ってしまう世の中なら、変な指導者が掌握しても不思議ではないさ。
宗教に対して鷹揚なのは日本人の民族性だと思うが、
教養として宗教を学ぶというのは、どの宗教であれ、必要なことではないのかしらん……。
ちょっと話が変わってきてしまうけれど、
倫理観を植え付けさせることが出来るのは、家庭と宗教だけだと思う。
学校にそれを求めるのは、無理なことですよ……。

また最初と最後で話が大幅に変わってしまった。



2002年08月02日(金) 涙腺故障中

現在開催中の剛さんのソロコンサートのレポをネットで拝見した。
で、パソコンの前に一人座って泣いている。
阿呆ですか。
すいません、こんな阿呆で。<世の中に対して

別に何が感動したとか、何が嬉しかったとか、そういう具体的なことではなくて。
強いて言えば、またしても『母の心境』。
たくさんの方々が
「すっごく良かった!」
「またソロコンして欲しいと思った」
「いい時間を剛くんに貰いました」
と仰ってるのを拝見すると、
なんだかもう、感無量なんですよ。
書いてる傍からまた涙が出てきた(笑)。
敢えて言葉を紡ぐなら
「お疲れ様」か、「良かったね」。
気難しいファンを抱えて、きっと色々と我々ファンには想像もつかないような苦労があったのだろうと思う。
だから何か、とにかく「良かったね」くらいしか言葉が浮かびません。
あたしのボキャブラリーの貧困さは棚に上げるとして。

普段ネットを彷徨ってると、どうしても心無いファンの方々が目立つ。
だから余計に『ネットで』純粋に感動したファンの声を聞くと、胸が一杯になる。
一杯になったついでに、貧乳も膨らんでくれば良いのだが。(下品)
……こうやって話の腰を自分で折るからいかんのだな。

ああ、でももう、なんかいいわ。
取り敢えず、他人事なのに幸せな自分がいるから今はそれでいい。

大体あたしという人間は欠陥人間なのか知らないが、どっか冷めてる。
それが剛さんの言う、女性が本来持ち合わせた性情なのかどうかは分からない。
キンキが好きだと言っても、頭の反対側では「偶像に過ぎない」と割り切っている。
普段からキンキファンを自称する必要も無いと思っているし、
また周囲の人々にとって、あたしに抱いていたイメージとの差異があることも分かるから、
特に必要が無ければカミングアウト(笑)もしない。
特殊な妄想を全開で働かせることはあっても、現実は頭に残ってる。
当たり前と言えば当たり前のことだろうけど、矛盾する事象を平気で並立させる。
それが感情面として、割合的な問題から「冷めてる」という表現に繋がる訳だが。

そんな冷めてるあたしでも、実はかなり涙脆い。
感動屋さんだったりする。
つまりあたしも取り敢えずはきちんと血の通った人間だということですな。
今はその感動屋さんの方が前面に出て来てるようですね。
『冷静なあたし』にとっては、関係の無い他人のことであるのに、こんなに嬉しいとは。
「少しは剛さんの胃痛も軽いかしら?」
と思うと、親か友達みたいにほっとしたりして。
まるで去年、文化祭が終わってほっとしたときのような感じ。
安心して、恥ずかしいような嬉しさがあって、自動的に涙が流出してくる。
大変困ったことだ。
でも『人間的なあたし』にはこの感情が心地良くて。
ファンなんて本当に勝手な生き物ね。
でも人間自体が勝手な生き物だから、ファンが勝手なのも当然なんでしょうか。

勝手という前提の上で調子に乗ってもう一言付け加えるとしたら、
もし剛さんがあたしの女友達だったら(まずあり得ないことだらけだけど)、
今すぐ飛んでって、ぎゅっとして「良かったね」って言いたい気分です。
それが女子校育ちのあたしの愛情表現なので。

コンサート中にあったという光一さんへの電話や、剛さんの語る光一さんとの関係とかを聞いていたら、
あたしも最近の受験の忙しさなどで少し忘れかけていた
大事な仲間のこととか、その仲間と支えあって突っ走ったこととか、
あたしがちょっと頭可笑しくなってた時も離れないでいてくれた友人のこととか、
きちんと思い出せて、本当に感謝。
ありがとう、お疲れ様、剛さん。
あともう少しですから頑張って下さい。
そしてあたしの親愛なる人々、
忘れっぽいあたしでごめんなさい。愛してます。



たまには真面目な日記もアリでしょう(笑)。


 < イママデ  INDEX  コレカラ >


東風 [MAIL]

↑面白かったら押してやって下され

My listに追加して下さるかい?

こんなサイトもやってます→ 
私は支持します→