日記病者

For God so loved the world that He gave His only begotten Son,
that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.
John 3:16




2002年09月24日(火) 女にまつわること

二週間連続の三連休だったからか、非常に調子が良い。
元気元気。元気よー。
だからかなり久々に二日連続真面目に日記書いてます。
今は5時間目でブランクということで。(でも勉強はしない)

女、ということですが、
先日あらぬ疑惑を掛けられちゃってねー、困った。
某英語教員のH先生(男性)に、レズ疑惑を抱かれている(笑)。
……いや、笑い事じゃないんだが。
友人Yがえらく落ち込んで(ネタ半分だけど)、抱きついてきたのでそのまま放っておいた。
あたしとしては「まぁ、いつものことだ」くらいの感覚で。
そしたら丁度そこにH先生が通り掛って、我々を発見し、
興味津々の目で立ち止まられた。
「えっ!?」と先生の好奇心溢れる眼差し(笑)にあたしが気付くと、
あたしとYを交互に指差しながら
「……好きなんか」。
いや違う、断じて違う、とあたしが大袈裟に否定していると、
面白がったYは「好きなんですっ!」と嬉しそうに言いやがった。
……まぁ誰も本気で疑惑は持たないでしょうがねぇ……微妙な感じだったさ(笑)。
改めて女子校の異質さを体感したのでありました。
このことなどについて、先日他の友人とも話し合ったのだが、
こういうことについてあたしらは余りにも無感覚すぎると。
この調子で大学に上がったら、周囲とのギャップに苦労するだろうと。
でもあたしはこういう開けっ広げな雰囲気は好きな方だからなぁ。
共学に進むとそういうのが無くなってしまうと思うと少し寂しい。

さて他のこと。
ウチの母は、オダギリジョーが気に入ってるらしい。
大体彼女は猫っぽい顔が好きだから妥当なところだろう。
それは別に構わないんだよ。
母が誰を気に入ろうがあたしには別にどうでもいいんだが、
娘の携帯にオダギリジョーの画像を送ってくるのは止めてくれませんかね(笑)。
この前、ショートメール派の母にしては珍しくEメールを送ってきたから何かと思ったら、
本文も件名も空欄で、ただ添付だけ。
見ず知らずの人からなら開けないところだが、母からだから開けてみたら、アナタ。
オダギリジョー氏の爽やかな笑顔が待っていたよ。
どうしたものかと思ったが、母は満足そうなので、
あたしも誰かを巻き込んでやろうと思い、前述のYに送りつけてやった。
しかし彼女からはノーリアクションなので怖いです(笑)。
……なんか下らんことばっかりしてるなぁ。

ってところで、もうすぐ5時間目のチャイムが鳴ってしまう。
あ〜、あと2時間で帰れるんだわ〜。
残りは2時間とも現代文演習なので文系女のあたしには幸せな時間です。
さて頑張ろう。

追記。
昨日の日記に書いたツヨシさんの旬果搾り(アサヒ飲料)のCMの曲は、確か「ラ・クカラチャ」よね。
あれは名曲だ。中学校で習ったが、素敵。
今でも歌えます。
あのCMのお陰で最近頭から離れんなぁ。



2002年09月23日(月) 時事問題など

昨日ふと思い立って、買ったまま放ったらかしになっていた
『水のうつわ』(伊集院静、幻冬舎文庫刊)を久々に読み始めた。
そうしたら『旅立つ前に』の章にて寿司屋の主人の一言に引っ掛かった。

主人は息子を店の後継ぎにすべく、修行に出そうと思うと伊集院氏に告げた。
どうしてまた自分が教えず、わざわざ他の店へやるのかと氏が問うと、
主人はこう答えた。
「どうも私には息子を殴れません」
その主人は、自分の弟子には客前であろうと奥へ呼び出して平気で殴る人であったらしい。
氏はその驚きを、
「親子とは、わからないものだ」
と締めている。

それがつい先日思いがけず聞いた母の言葉に酷似していて、引っ掛かったのだ。
家庭の事情であたしの現実的な志望校は地元国立だが、
そこに完全に決定してしまうまでには、多少の紆余曲折はあった。
どうしても自分の進路のために、某私立校が諦められず、
新聞奨学生に申し込んで、自分の力で行きたい、と頼んだことがあった。
結局それは東京にしても京都にしても駄目だと猛反対されて諦めたのだが、
母曰く、
「自分の生徒だったら、いい勉強になるから行きなさい、と言えるのに、
自分の娘となるとどうしてもそれが出来ない」
のだと。
良い意味でも悪い意味でも取れる言葉だが、
それでも結局込められた気持ちは一つしかないことはあたしにもよく分かったから、
我儘なんて言えないなぁーと思うしかなかった。
一概には言えないが、母子家庭っつーものは、互いに変な気を遣ってしまうものかも知れん。
それは決して悪いことではないが。
いつだったかラジオか何かで親が離婚して父を恨んでるとかいう女の子が電話してたが、
うーん……恨める方が幸せということもあるんだと知って欲しい。
恨みたくても恨めない人はいっぱいいて、そっちの方がやり切れないもんです。
ウチも父親は何処にいるんだかさっぱり分からん。かと言って会いたいわけでもなし。
いないことが大前提になってるんかも知れんな。
或る意味、彼も気の毒な人なんでしょう。

親子の話繋がりで。
北朝鮮の拉致事件は結局事実と知ってがっかりです。やっぱりかよ。
あんなもん今更「本当でした」とか言われたって、親はやり切れないよ。
今日の朝日新聞読んでて、実地に赴きたくても行けない親の気持ちを思うと哀しくなった。
北朝鮮については、さすがにあたしは悪の枢軸だとは言えませんが、
でもやってることは愚の骨頂だな、と思うぞよ。
拉致ってどういうことよ!?
勝手に連れ去って、国の中に監禁状態ですよ。
何つーかもう、ほんっと馬鹿じゃないの?
……なんて言っても、本当に今更なんだけどね。
それでも国民を見殺しにする訳には行かず、経済支援しなきゃいけないんだろうな。
今お気の毒なのは、拉致された方々のご家族は勿論ですが、在日の方々もですね。
二世、三世ともなるとほぼ日本人のような感じも(我々には)するけれど、
やっぱり祖国が拉致事件なんか起こしてたのが事実だとなると、
肩身も狭いでしょうし、心苦しく思ってらっしゃるだろう。
何より心配なのは、心無い日本人の迫害なんだけど。
彼等には何の責任も無いことなのに、必ず目の仇にする日本人が実際いるんだよ。
そういう馬鹿なことはやめればいいのに。
寧ろ言われ無き迫害をしている自分の方が愚かだと気付いてないから性質が悪い。
こういう時だけ付き纏ってくる『国』って、煩わしいもんだね。
そういえば『GO』、途中までしか見てなかった……受験終わったら借りて来ようかな。

色々ギスギスした日々ですが、旬果搾り(アサヒ飲料)のCMを見ると癒される。
ツヨシさん、可愛いです……泣きたくなります。
正直これまでの旬果搾りのCMはあんまり好きじゃなかったんだけど、
今回はイイ〜。ほんとにイイ〜。<阿呆
最近の彼は非常に表情が良いですね。釣りに目覚めてから毎日楽しいのかしらん。
何にせよ嬉しい限りです。
光一さんも「元気なときが好き」とか言ってましたが、それはファンも同じよ〜。
二人が元気でいてくれると嬉しいです。
それから近畿地方が晴れだと嬉しいです。<違う
あー、光一さんの秋ドラマ見ようかなー、どうしよう。
光一さんは見たいが、多分ドラマは面白くないし。
面白くないドラマを彼一人の為に見るのは、一時間無駄にしてしまう気がするし。
そんな愚行は『ガッコの先生』とか『夢のカリフォルニア』(ともにTBS系列)で十分懲りた。
でも意外に面白かったら見てみたいなー。
っつーか多分、結局見るんだよ。あたしはそういう人間だよ。
どうせその一時間、見なくたって勉強してないし。
じゃあ見るよ。見たらいいんだろ!!<逆切れ

最近はまた自信喪失だわ。
なんであたしはこんなに文章が下手なんだろう。
駄目駄目だねー。っかー。
近頃あんまり本も読めてないから仕方無いのかなぁ。
あー漱石の評論集読みたいよう……。
あと数ヶ月の我慢よ。半年経てば結果は出てるのよ。
我慢ならん人間だ、ごめんなさい。



2002年09月09日(月) 不真面目と真面目

本日の古典の授業中のこと。
『源氏物語』の『心づくしの秋』をやるにあたり、
何かの拍子にふと先生が
「王子様」
と仰った。
途端にあたしの脳内では
「王子!? 光一堂本!!」
という何とも阿呆な変換が為されて、我ながら呆れてしまった。

健気なファン心理とでも申しましょうか、こういうことは、ままある。
例えば、ベタなところで天気予報。
「今日の近畿地方は一日中晴れです」
と言われると、何だか嬉しくなる。
限りなく馬鹿。

また他には、朝の通学途中の光景。
何故かウチの学校近辺では、通学中に犬の散歩をしている人をよく見かける。
朝の8時頃なんだが、それって一般的な散歩タイムなの?
ペット経験の無いあたしには分からんが。
んで、よりにもよって見かける犬は殆どミニチュアダックスフント。
色違いで4匹くらい見かける。
非常に可愛い。
ツヨシさんとこのケンちゃんとは違って、ちゃんとミニチュアサイズを維持している(笑)。
つまりあたしは、そのワンちゃんたちを見かける度に、
ツヨシさんとこのケンちゃん(+飼い主)を思い出すんですな。
この上なく阿呆。

全くこんなにあらゆることに過剰反応して、涙が出て来るさ。
これがもっと受験勉強に応用されてたら嬉しいんだが。
そう都合良くはならないもんです。

最近は若干熱も冷めてきましたが、
数週間前はしょっちゅうツヨシさんのアルバム『ROSSO E AZZURRO』を聴いていた。
通学の必須アイテムだったり。
んで、何気なーく自転車を漕ぎながら聴いていて、ある歌詞が引っ掛かった。
『あなた』だったか『心の恋人』だったか、どの曲だったかは忘れたけど、
もし私の命をあなたの為に捧げるとしても……みたいな歌詞があった。
なんか一瞬、慄然としてしまった。
あたしが冷たい人間なんでしょうか、愛する人の為に命を捧げるなんて考えられない。
その人を助ける為には何でもするかも知れないけど、
自分の命をまるまる捧げてしまうなんて、あたしには到底無理です。出来ない。
あたしにはあたしの命があって、その人の命はその人自身のものだから、
そこの境界を踏み越えることはあたしには出来ません。
結局やっぱり、自分の命が惜しいんだな。

それに何か、自己犠牲の愛というのはあたしには恐ろしい。
まだまだコドモね、と笑われるでしょうが、恐ろしいっつったら恐ろしいんだよ。<逆ギレ?
例えば自分が『愛する人』の立場になったとして。
命を捧げられても、それは逆に悲劇的だなぁと思う
自分の為に誰か自分の愛する人が命を投げ打つというのは、
逆に自責の念にも駆られてしまうし、自分の存在価値を必要以上に問う羽目になる。
……と思うです。ええ。
これは相思相愛が前提な訳だけども、
結局お互いに相手が『愛する人』なんだから、
自分が相手を必要とする重みと、相手が自分を必要とする重みは同じであろう。
『愛する人』の命によって救われた自分、ってのは、何か皮肉で苦しいなぁ。
未経験者はそう考える。

うーん、上手くまとまって言葉に表現出来ない。
未熟者だな。お恥ずかしい限りであります。
ツヨシさんがそーゆー詩をお書きになるのは、
そんなに何も見えなくなるくらいに人を愛したことがあるからなのか、
それともあたしより遥かに乙女心を持ってらっしゃるからなのか。
……どっちもありそうな気がする(笑)。
でも彼もあたしに負けず劣らず(ひょっとするとそれ以上?)の理想家ですよね。
どうやって育てたら、あんな純粋な子が育つんだろう。
ツヨシさんのお母様を尊敬しつつ本日の日記は終わる。



2002年09月08日(日) 乙女の悩み

ちょっと悩んでいることがあって。
あたしはとっても好きな人にはすぐ
「嫁ぐから!」
と言うのだが、そんな人がたくさんい過ぎて困っている。

いや、あのうー、別に不純異性交遊が激しいんじゃないです。
寧ろそこらは綺麗なもんです。
こざっぱり。っつーかさっぱり?(それはそれで空しい)

例えば、或る友人Kちゃんのこと。
Kちゃんのお母様はとってもナイスなキャラで、大好きなんっす。
だからこれは是非、嫁と姑としてお近づきになりたいわ、とゆーことで
あたしは彼是3年以上前からKちゃんに
「将来、嫁ぐから。お母様によろしくお伝えしといてね!!」
と言っている。
Kちゃんの迷惑お構いなし。

他に、話のよく合う友人M。
しかもかなり男前な性格なので、出来ることなら嫁ぎたい。
あー、そういえばYちゃんにも以前、「嫁ぐよ!」って宣言したな。
まぁ、それくらいしょっちゅう口走っている。
でもあたしも好い加減な方ではないので、
ちゃんと嫁ぎたいわ、と思った人にしか言わん。
んでね、嫁ぎたい人がいっぱいいるからどうしようかなー、と。
……とは言え、ここには問題が潜在しているのだな。
第一に、相手の意思は全く無視している点。
第二に、殆どが女性なので、現在の日本の法律では結婚出来ない点。
困ったー。困ったね。困ったアルヨ。

話は突然変わるが、昨日面白い映画を見ました。
所謂『Vシネ』。
たまたま深夜にテレビでやってたの。『ミナミの帝王』。
前々から名前は聞いたことあったけど実際に見たことは無かったので、
この際だから見てみよう、と思い、竹内力さんと濃い二時間を過ごしました。
なんかね、ほんとにね。声を大にして言いたいよ。
「Vシネ、舐めててごめん!!」
なんか妙に面白いの。あれ。何なんだろね?
すーっごい単純なストーリーで、Vシネ版水戸黄門、みたいな感じなんだけど、
まぁ何とも本当に愉快です。妙に見入っちゃう。
極道の妻達と同じ感覚かなあ。
極妻見て志麻姐さんに惚れるのと同じように、
ミナミの帝王見たら、竹内力さんに惚れますよ。
シブーイ。ほんまに。っかーーーー!!!
あれがVシネじゃなくってテレビドラマか何かでやられたら、
多分『ガッコの先生』とか一連の作品並に気に入らんのだろうが、(好きな方すみません)
Vシネ特有の世界観で、奇妙に変形した勧善懲悪論が心地良いのだな。
でももしツヨシさんがVシネに出たら、それはそれで何か切ないです、ファンとしては(笑)。
……いや、その前に社長が止めるか。(相方が止める可能性も大)

くあー、何か映画観て泣きたいな。
映画じゃなくてもいいから、何か感動して泣きたい。
素敵なドキュメンタリーとか無いかな〜。
久し振りに『BANANA FISH』読もうかなぁ〜。……でもあれ長いんだよね。
文庫サイズなのに全12巻だよ。
そんなん読んでる暇があったら勉強せないかんのに。
ぅあー、泣きたい。
泣かして。誰か。
頼むー。泣きたいー!!!(変な欲求不満)



2002年09月06日(金) 生命倫理におけるクローン

日記を書けないのと書かないのとでは大違いである。
と、つくづく思い知りました。
普段から真面目に書いちゃいないが、
自分がぐうたらしてて書かないのと、
忙しくて書けない(或いは己を律して書かない)のとでは、
ストレスの度合いが全然違うっす。
書きたいのに書けないよーん、となると無駄にイライラするわ〜。
学校でブランクの時に書いてもいいんだけど、
やっぱちょっとでも勉強した方が……とか思うと書けない。
どうせどっちにしろ大して勉強してないんだけど。

本日のタイトルは何を思ったか、大変難しげです。
生命倫理におけるクローン、と。
何でかっつったら、聖書の授業で今回生命倫理を取り上げるらしいので。
最初はクローンとか遺伝子工学とかについてらしい。
医学的な面から考えたら、自分の内臓のストックとしてのクローンはとても有用らしい。
確かに自分のストックだと思ったら良いかも知れんが、
クローンっつっても、やっぱり人間な訳でしょ。
しかも他ならぬ自分な訳でしょ。
それって複雑じゃあないかのう……。

クローンの立場になってみる。
遺伝子的にも全く本体と違いの無い自分。
入れ代わっても誰も気付かないに違いない。
なのに、自分はストックであり、人権も尊厳も保障されない。
本体のコピーとしてだけに作られた。
クローンにも人間の心が備わってるんだから、そういうことを考えるんじゃないかね。
それとも、必要な内蔵とか器官だけを複製するんすか?
あたしはクローン技術に関して全くの無知なので、
「人間」を複製するのか、「一部」を複製するのか知らんけどさ。

極論だけど、病気したり、死んだりするからこそ生きる価値があるんじゃないのかなぁ。
いざ病気になったら怖いし、やっぱり治りたいと思うけど、
そういう怖さがあるから生きていけるんじゃないかと思う。
悪くなったら取り替える、とか機械みたいになるのは、あたしは嫌ですな。
別にあたしも早く死にたいのではない。
出来ればずっと健康でいたい(必要以上の長生きはしたくないが)。
倫理的な面のみでの意見ですが、人間にしろ他の動物にしろ植物にしろ、
「複製」という行為は、人間が足を踏み入れてはいけない部分だと思うっす。
複製って怖いよ。
元々を自分が作ったのでもない癖に、作った気になってしまう。
コピーは所詮コピーで、コピーしか作れない者にはオリジナルは作れないというのに。
でも人間は愚かだから絶対に何処かで履き違えてしまうだろう。
そういうことを思うととても賛成できないですなぁ。
なまじキリスト教に触れてるだけに、余計に否定的にならざるを得ない。

クローン技術は、このまま進んでいけば将来的に脳の移植も可能になるらしい。
もしあたしの家族が脳の病気で治らないとなったとき、
やっぱりあたしはクローン技術を以ってしてでも治して欲しいと思うんだろうか。
……きっと思ってしまうであろう自分が分かるからこそ、余計に反対してしまうな。
こういうことは何処で歯止めを掛けるべきなんだろうか。


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